1972/10/13 - 1972/10/13
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ソフィさん
1961年10月13日(金)続
私の海外生活は、戦争についている。
ベルリン封鎖が落着いたと思えば、アルジェリア独立反対テロの毎日だ。
アルジェリア戦役(1954-1962)は、フランスの植民地的支配への反抗派と、支配持続派の闘いである。
フランス本国と海外県アルジェリアを含めた内戦であり、アルジェリア地域内でフランス本国と同等の権利を与えられていた「コロン」と呼ばれるヨーロッパ系入植者と、ベルベル人やアラブ系住民などの先住民との民族紛争である。
1830年以降、アルジェリアはフランスの植民地支配を受けていた。
しかしヨーロッパ系植民と、同化政策で市民権を与えられた以外の先住民は、差別され抑圧されており、第二次大戦後の民族自決の世界的な流れの中で、反仏抵抗運動が高まる。
1954年にはアルジェリア民族解放戦線(FLN)が組織され、武装闘争が本格化した。
フランスの世論は、独立運動支持と、フランスの一部としてアルジェリアを残そうとする両派に分かれ、二つに分裂する。
「フランスのアルジェリア」を支持する現地軍人や入植者たちの反乱によって、危機に追い込まれたフランス政府は、有効な解決策を出せず、第四共和制は崩壊した。
ここに1958年首相になったドゴールは、憲法を改正して第五共和制を形成し、自ら国民投票による任期7年の大統領に就任する。
ドゴールはアルジェリア戦争の戦費による赤字財政を危惧し、アルジェリアの民族自決を支持、1961年の国民投票では、75パーセントがアルジェリアの民族自決を支持した。
しかしアルジェリアに住むフランス軍人や入植者たちは激しく抵抗し、OAS(秘密軍事組織)を組織してテロ活動を活発化させ、ドゴール暗殺を計画するが失敗する。
OASにはフランス最強の空挺部隊も参加しており、フランス国民は空挺部隊による本土奇襲を恐れた。
結局1962年エヴィアン協定で独立が承認され、フランス軍とFLNの戦闘は終結する。
ファオーサイスのベストセラー小説「ジャッカルの日」は、大統領の暗殺を目論む右翼組織OAS(秘密軍事機構)に雇われたプロの殺し屋と、暗殺を阻止しようとする警察の、息詰まる攻防戦を描く。
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