1972/10/13 - 1972/10/13
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ソフィさん
1961年10月13日(金)続
今月初め、パリの南、国際大学都市(俗称シテ)にある、学生用の寄宿舎、スペイン館の居住者になった。
本来は、スペイン人学生を主体とする施設なのだが、外国人が多い。
その理由は、スペインの独裁政権の統制が厳しいためと知り、俄然興味を持つようになる。
独裁の主フランコ(1892〜1975)は、陸軍士官学校を卒業(1910)後、モロッコの民族運動鎮圧に従事して功績を挙げ、30歳の若さで少将となった。
1935年には参謀総長に昇進した、翌年左翼の人民戦線内閣が成立すると、カナリア諸島守備隊司令官に左遷され、その直後の3月モロッコで反乱を起こす。
その反乱に応じて、スペイン本土でも各地で蜂起が発生し、政府軍との戦闘が始まった。
反乱軍は、マドリードやバルセロナなどでは、政府軍によって鎮圧されたが、7月にはモロッコ・スペイン南部・スペイン北部など国土の約3分の1を占領した。
さらに8月に入ると、ドイツ・イタリアのファシズム政権の援助を得たフランコ将軍が本土に上陸し、9月末には反乱軍はマドリードを包囲、ついにスペイン全土の約3分の2を占領する。
このスペイン内戦に対して、イギリスとフランスは拡大を恐れ、不干渉政策をとった。
1936年9月にイギリス・フランス両国の主導によって、スペイン内戦不干渉委員会が成立し、ドイツ・イタリア・ソ連など、27カ国が参加。
しかし、ドイツとイタリアは不干渉協定を無視して、公然とフランコ将軍側に軍事援助を行った。
特にドイツはこのスペイン内戦を新兵器の実験台とし、1937年4月にはスペイン北部の小都市ゲルニカを、空軍による無差別爆撃によって徹底的に破壊する。
スペイン生まれの画家ピカソ(1881〜1973)の「ゲルニカ」は、この惨状を素材として、戦争への憎悪をこめて描かれたものである。
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