「稲むらの火」の主人公、「生ける神」の銅像
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- 旅行時期:2013/05(約13年前)
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by yoshimune-kunさん(男性)
和歌山市 クチコミ:65件
県庁の東別館前には、和歌山県議会の初代議長である濱口梧陵(はまぐち ごりょう)の銅像があります。
濱口梧陵は、安政元年、安政南海地震の際に津波から避難するための道しるべとして自家の稲むらに火を放って多くの村人を救ったという「稲むらの火」の物語で有名です。
梧陵は、幕末時代に醤油醸造業を営む濱口家の分家の長男として生まれましたが、12歳で本家の養子となり、銚子に移りました。その後、海外留学を志願するものの認められず、30歳で広村(現在の広川町)に帰郷しました。1852年には現在の耐久高等学校の前身となる「耐久舎」の開設にも関わっています。
安政南海地震の後には、私財を投じて災害復旧につとめたほか、広村堤防の修理・築造にも取り組みました。これは、荒廃した被災地の住民に仕事を与える一種の失業対策事業であるとともに、将来の災害に備えての防災事業でもありました。現在で言えば緊急雇用対策としての防災・改良復旧事業であり、これに投じた梧陵の私財は4,665両にのぼると伝えられています。
江戸時代最後の年である1868年には商人身分ながら異例の抜擢を受けて紀州藩勘定奉行に任命され、維新後には藩校教授や大参事(副知事に相当)を歴任するなど、藩政改革の中心に立って紀州藩・和歌山県経済の近代化に尽力しました。その後、1871年には、大久保利通の要請で明治新政府の初代駅逓頭(えきていのかみ、郵政大臣)に就任するものの、権頭(次官)であった前島密との確執もあって半年足らずで辞職することになります。
そして、1880年に第1回通常会が開催された和歌山県議会では県内1区8郡から選ばれた43人の議員を代表して初代の県会議長に就任しました。県庁にある銅像は、こうした偉大なる政治家であるとともに稀代の篤志家であった濱口梧陵の功績をたたえて建立されたものです。
濱口梧陵は、「稲むらの火」の物語であまりにも有名なため、篤志家、政治家といった側面ばかりが強調されやすいのですが、彼はまた濱口家の家業である醤油醸造業もおろそかにせず、「ヤマサ醤油」の7代目当主として幕末の動乱の中で事業を守り、キッコーマンに次ぐ業界2位となる大メーカーの礎を築いたという面で実業家としての優れた才能を発揮しています。
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2015/08/27
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