山崎合戦古戦場跡
名所・史跡
3.29
クチコミ・評判
1~6件(全6件中)
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天下分け目の天王山も今はただ
- 4.0
- 旅行時期:2022/11(約3年前)
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高速道路の下
- 3.0
- 旅行時期:2018/05(約8年前)
- 0
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天下取りの夢・・・(-_-)zz
- 3.5
- 旅行時期:2018/05(約8年前)
- 0
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天王山の中腹の旗掛けの松が一番
- 4.0
- 旅行時期:2015/06(約11年前)
- 2
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天下分け目の天王山決戦跡
- 4.0
- 旅行時期:2015/04(約11年前)
- 0
・「天王山の戦い」とも呼ばれる山崎の合戦は、1582年(天正10年)6月2日の本能寺の変を受
け、備中高松城の攻城戦か... 続きを読むら引き返してきた羽柴秀吉の軍勢(約4万0000)が、6月13日に摂
津国と山城国の境に位置する山崎の地(現在の京都府乙訓郡大山崎町付近)において、明
智光秀の軍勢(約1万6000)と激突した戦い。合戦直後、秀吉は天王山一帯に城を築城し、
大山崎から天下統一へと乗り出すことになる。
・天王山(標高270m)を山頂まで登る登山はハイキングコース(約4.8km)となっている。
JR線山崎駅近くの天王山上り口より、宝積寺を経て、登山道に入る。登山の途中には三川
(桂川,宇治川,木津川)合流地点が見える青木葉谷展望広場や、山崎の合戦時に秀吉が軍
旗をかかげた旗立松展望台や重要文化財(神輿庫)のある酒解神社がある。
山頂には山崎城の跡が所々に残っている。
閉じる投稿日:2016/03/27
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光秀、三日天下に終わる
- 5.0
- 旅行時期:2014/05(約12年前)
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両軍は、小泉川を挟んで対峙した。光秀は、天王山と淀川に挟まれた隘路から出て来る敵を、小泉川流域の沼地で足止めし叩くことを企... 続きを読む図した。いっぽう秀吉軍は決戦前夜、先鋒の高山右近に山崎集落を占拠させた。ところが中川清秀が右近と先鋒を争うように、天王山の山裾を横切って高山隊の横に陣取ろうと移動すると、これに明智軍右翼の伊勢貞興が襲いかかった。これを見て斎藤利三も高山隊へ猛攻を加えたため、中川・高山隊は圧倒されるが、堀秀政が後詰に付き、かろうじてしのいだ。松田政近・並河易家が中川・高山隊の側面を突くべく天王山中腹を進むと、天王山に布陣していた黒田孝高・羽柴秀長・神子田正治と交戦となり、明智軍右翼では一進一退の攻防が続いた。
秀吉は池田恒興と加藤光泰に、密かに小泉川を渡らせ、明智軍左翼を攻撃させた。すると中川・高山隊も押し返し始めた。圧倒的な兵力を有する秀吉軍は、いずれの戦線でも兵力で優位に立ち、明智軍を包囲する態勢に入った。明智軍全体に動揺が広がり、やがて総崩れとなった。 閉じる投稿日:2015/07/22
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