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 二十一日目。<br /> 午前11時25分、京都駅を出発。烏丸七条の交差点を左折し、西本願寺に立ち寄った後、大宮七条を左折、東海道線のガードをくぐり東寺へ。慶賀門から中へ入り、講堂、金堂、五重塔を見学後、再び出発。東寺の敷地に沿って道を進み、羅城門遺址に到着。ここからは西国街道となります。<br /> 旧道を進み、桂川を越え、築榊講常夜燈、五辻、古い佇まいを残す下川原、一文橋、神足一里塚、調子八角を経て山崎合戦古戦場跡に寄り道。天王山を見ながら小休止。<br /> 再び出発し、山崎宿、櫻井驛跡、梶原一里塚を経て、梶原のねじりマンポに立ち寄り、芥川一里塚、芥川宿、太田一里塚を経て郡山宿に到着。今日はここで止まることとする。本日の走行距離、七里三十一町也。<br /> 玄通寺さんで着替えさせていただいた後、古民家を改装し金曜日と土曜日だけ営業しているという土かべ文庫さんへ。アイスコーヒーとドーナツをいただき二十一日目を締めくくったのでした。

憧れのお伊勢参り【二十一日目】 烏丸七条→郡山

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2025/11/15 - 2025/11/15

417位(同エリア481件中)

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かくちゃんさん

この旅行記のスケジュール

2025/11/15

この旅行記スケジュールを元に

 二十一日目。
 午前11時25分、京都駅を出発。烏丸七条の交差点を左折し、西本願寺に立ち寄った後、大宮七条を左折、東海道線のガードをくぐり東寺へ。慶賀門から中へ入り、講堂、金堂、五重塔を見学後、再び出発。東寺の敷地に沿って道を進み、羅城門遺址に到着。ここからは西国街道となります。
 旧道を進み、桂川を越え、築榊講常夜燈、五辻、古い佇まいを残す下川原、一文橋、神足一里塚、調子八角を経て山崎合戦古戦場跡に寄り道。天王山を見ながら小休止。
 再び出発し、山崎宿、櫻井驛跡、梶原一里塚を経て、梶原のねじりマンポに立ち寄り、芥川一里塚、芥川宿、太田一里塚を経て郡山宿に到着。今日はここで止まることとする。本日の走行距離、七里三十一町也。
 玄通寺さんで着替えさせていただいた後、古民家を改装し金曜日と土曜日だけ営業しているという土かべ文庫さんへ。アイスコーヒーとドーナツをいただき二十一日目を締めくくったのでした。

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
グルメ
3.5
交通
3.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
高速・路線バス 新幹線 JRローカル 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 京都駅中央口<br />平成に入って完成した4代目駅舎。京の都の玄関にふさわしい開放的で洗練された設計となっています。さすが京都、駅は観光客と思しき人々で混雑していました。

    京都駅中央口
    平成に入って完成した4代目駅舎。京の都の玄関にふさわしい開放的で洗練された設計となっています。さすが京都、駅は観光客と思しき人々で混雑していました。

    京都駅ビル 名所・史跡

  • 西本願寺<br />浄土真宗本願寺派の本山で秀吉の寄進により大坂天満から移転して来たのだそうです。写真は宝暦10年(1760年)に再建された国宝阿弥陀堂。11月の土曜日の正午前、程よい混み具合でした。

    西本願寺
    浄土真宗本願寺派の本山で秀吉の寄進により大坂天満から移転して来たのだそうです。写真は宝暦10年(1760年)に再建された国宝阿弥陀堂。11月の土曜日の正午前、程よい混み具合でした。

    西本願寺(お西さん) 寺・神社・教会

  • 東寺<br />平安京の遺構として唯一現存し、真言宗の総本山でもある東寺。秋の特別拝観期間だったため、講堂、金堂のほかにも五重塔の初層を拝観できました。なお、出入口は慶賀門だけで南大門からは門をくぐったすぐ辺りは散策できますが、境内には入れません。

    東寺
    平安京の遺構として唯一現存し、真言宗の総本山でもある東寺。秋の特別拝観期間だったため、講堂、金堂のほかにも五重塔の初層を拝観できました。なお、出入口は慶賀門だけで南大門からは門をくぐったすぐ辺りは散策できますが、境内には入れません。

    東寺(教王護国寺) 寺・神社・教会

  • 羅城門遺址<br />羅城門は平安京のメインストリートである朱雀大路の南端に設けられた大門で都の表玄関の役割を果たしていましたが、天元3年(980年)の暴風雨で倒壊した後は再建されることなく千年以上の月日が経過しています。当然ながら何の名残もありません。

    羅城門遺址
    羅城門は平安京のメインストリートである朱雀大路の南端に設けられた大門で都の表玄関の役割を果たしていましたが、天元3年(980年)の暴風雨で倒壊した後は再建されることなく千年以上の月日が経過しています。当然ながら何の名残もありません。

    羅城門跡 名所・史跡

  • 築榊講(つきさかこう)の常夜燈<br />奥に見える常夜燈は、向日町寺戸町の伊勢講である築榊講が天保13年(1842年)に建立したもので、徳川の御代はこの辺り一面が水田だったことから、西国街道を往来する人たちの目印になっていたのだそうです。

    築榊講(つきさかこう)の常夜燈
    奥に見える常夜燈は、向日町寺戸町の伊勢講である築榊講が天保13年(1842年)に建立したもので、徳川の御代はこの辺り一面が水田だったことから、西国街道を往来する人たちの目印になっていたのだそうです。

    築榊講常夜燈 名所・史跡

  • 中小路家住宅<br />菅原道真の一族が祖先と言われる中小路家。徳川の御代には総名主を務めた地元の名士で、建物は19世紀中頃に建てられたものとのこと。街道の古い佇まいを残した下川原地区にあり、西国街道の旧道は散歩道としても整備されています。<br />建物を利用して喫茶店をやっているようですが、時間の関係から残念ながら立ち寄ることはできませんでした。

    中小路家住宅
    菅原道真の一族が祖先と言われる中小路家。徳川の御代には総名主を務めた地元の名士で、建物は19世紀中頃に建てられたものとのこと。街道の古い佇まいを残した下川原地区にあり、西国街道の旧道は散歩道としても整備されています。
    建物を利用して喫茶店をやっているようですが、時間の関係から残念ながら立ち寄ることはできませんでした。

    中小路家住宅 グルメ・レストラン

  • 一文橋<br />室町時代にはすでにあったようで、大雨のたびに橋が流されその架け替え費用のため通行人から一文を取り始めたのが橋名の由来なんだそうです。

    一文橋
    室町時代にはすでにあったようで、大雨のたびに橋が流されその架け替え費用のため通行人から一文を取り始めたのが橋名の由来なんだそうです。

  • 神足一里塚があったのではないかと勝手に妄想している場所<br />案内板も石碑もありませんが、駐車場の名前が「一里塚駐車場」となっていたため、ここを勝手に一里塚があった場所と妄想させていただきました。神足商店街の中にあります。

    神足一里塚があったのではないかと勝手に妄想している場所
    案内板も石碑もありませんが、駐車場の名前が「一里塚駐車場」となっていたため、ここを勝手に一里塚があった場所と妄想させていただきました。神足商店街の中にあります。

  • 旧神足駅の駅名標<br />JR京都線長岡京駅は平成7年(1995年)まで神足駅という名前でした。その時の駅名標が神足公民館前に設置されています。神足商店街を進むと現れます。かなり保存状態が良いので、日常的に手入れされている感じがします。<br />

    旧神足駅の駅名標
    JR京都線長岡京駅は平成7年(1995年)まで神足駅という名前でした。その時の駅名標が神足公民館前に設置されています。神足商店街を進むと現れます。かなり保存状態が良いので、日常的に手入れされている感じがします。

  • 調子八角<br />丹波街道との分岐点で、写真の新しい道標のほかにも道路の反対側には元禄12年(1699年)に建造された古い石碑も残っています。

    調子八角
    丹波街道との分岐点で、写真の新しい道標のほかにも道路の反対側には元禄12年(1699年)に建造された古い石碑も残っています。

  • 山崎合戦古戦場<br />天正10年(1582年)6月13日、本能寺の変の後、世に言う「中国大返し」で京に進んでいた羽柴秀吉と明智光秀はここで激突します。天王山夢ほたる公園として整備されており、公園の真上には京都縦貫自動車道が通っています。

    山崎合戦古戦場
    天正10年(1582年)6月13日、本能寺の変の後、世に言う「中国大返し」で京に進んでいた羽柴秀吉と明智光秀はここで激突します。天王山夢ほたる公園として整備されており、公園の真上には京都縦貫自動車道が通っています。

    山崎合戦古戦場跡 名所・史跡

  • 天王山夢ほたる公園から見た天王山<br />明智光秀も本陣から見たであろうこの景色。天王山は「天下分け目の天王山」の慣用句の語源にもなっています。<br />

    天王山夢ほたる公園から見た天王山
    明智光秀も本陣から見たであろうこの景色。天王山は「天下分け目の天王山」の慣用句の語源にもなっています。

  • 西国街道 最初の宿場町 山崎宿。<br />摂津国と山城国の国境に位置し、関所もあったのだそうです。

    西国街道 最初の宿場町 山崎宿。
    摂津国と山城国の国境に位置し、関所もあったのだそうです。

  • 離宮八幡宮<br />石清水八幡宮の元社である離宮八幡宮。荏胡麻(えごま)油の油座として専売特許を持ち、一時は西の日光と言われるほどの壮大な社殿を構え栄華を極めましたが、織田信長の楽市楽座政策以降徐々に衰退し、幕末の元治元年(1864年)には禁門の変の戦火により建物のほとんどが焼失してしまったとのこと。現在の建物は昭和初期に再建されたものなのだそうです。

    離宮八幡宮
    石清水八幡宮の元社である離宮八幡宮。荏胡麻(えごま)油の油座として専売特許を持ち、一時は西の日光と言われるほどの壮大な社殿を構え栄華を極めましたが、織田信長の楽市楽座政策以降徐々に衰退し、幕末の元治元年(1864年)には禁門の変の戦火により建物のほとんどが焼失してしまったとのこと。現在の建物は昭和初期に再建されたものなのだそうです。

    離宮八幡宮 寺・神社・教会

  • 従是東山城國の碑<br />ここから山城の国に入りますよという上京する人への案内板的な要素を持った石碑のようです。京から下る人にここからは摂津の国ですよという案内はありません。

    従是東山城國の碑
    ここから山城の国に入りますよという上京する人への案内板的な要素を持った石碑のようです。京から下る人にここからは摂津の国ですよという案内はありません。

    従是東山城国の石標 名所・史跡

  • 櫻井驛址<br />古代律令時代の宿駅だったという櫻井驛。徳川の御代の宿場町には入っていませんが、太平記の名シーン楠木正成・正行父子が訣別した「桜井の別れ」の場所で、この別れは戦前の教科書には必ず載っていた逸話だったそうです。父子の別れ、近年では大河ドラマ「真田丸」で描かれた「真田犬伏の別れ」があった日光例幣使街道犬伏宿にある新町薬師堂の方が有名かもしれません。(https://4travel.jp/travelogue/11963294)

    櫻井驛址
    古代律令時代の宿駅だったという櫻井驛。徳川の御代の宿場町には入っていませんが、太平記の名シーン楠木正成・正行父子が訣別した「桜井の別れ」の場所で、この別れは戦前の教科書には必ず載っていた逸話だったそうです。父子の別れ、近年では大河ドラマ「真田丸」で描かれた「真田犬伏の別れ」があった日光例幣使街道犬伏宿にある新町薬師堂の方が有名かもしれません。(https://4travel.jp/travelogue/11963294

    史跡桜井駅跡史跡公園 名所・史跡

  • 西国街道梶原一里塚跡<br />一里塚のあったと思われるところにお堂があり、堂内には度重なる水害から守り継がれてきた「水あがりの地蔵さん」が安置されています。

    西国街道梶原一里塚跡
    一里塚のあったと思われるところにお堂があり、堂内には度重なる水害から守り継がれてきた「水あがりの地蔵さん」が安置されています。

  • 梶原のねじりマンポ<br />鉄道敷設草創期、線路下を横切る道路や水路には、外国人技師の指導により煉瓦造りのアーチ橋(トンネル、このトンネルは「マンポ」と呼ばれています)が造られました。このうち、道路を斜めに横切る時にできる煉瓦の横目地が斜めにねじったように走ったアーチ橋は「ねじりマンポ」と呼ばれています。実際に通ってみると煉瓦のみならず空間までねじれているような錯覚を覚えます。<br />この「ねじりマンポ」全国でも30カ所しか残っていないそうです。

    梶原のねじりマンポ
    鉄道敷設草創期、線路下を横切る道路や水路には、外国人技師の指導により煉瓦造りのアーチ橋(トンネル、このトンネルは「マンポ」と呼ばれています)が造られました。このうち、道路を斜めに横切る時にできる煉瓦の横目地が斜めにねじったように走ったアーチ橋は「ねじりマンポ」と呼ばれています。実際に通ってみると煉瓦のみならず空間までねじれているような錯覚を覚えます。
    この「ねじりマンポ」全国でも30カ所しか残っていないそうです。

  • 西国街道芥川一里塚<br />西国街道、別名「山崎通(やまざきみち)」と呼ばれる京と西宮の間で唯一現存する一里塚。大正時代に写真にある東塚の正面に三宝荒神や石地蔵が祀られ、地元の人々によって大切に守り継がれています。

    西国街道芥川一里塚
    西国街道、別名「山崎通(やまざきみち)」と呼ばれる京と西宮の間で唯一現存する一里塚。大正時代に写真にある東塚の正面に三宝荒神や石地蔵が祀られ、地元の人々によって大切に守り継がれています。

    芥川一里塚 名所・史跡

  • 西国街道 2番目の宿場町 芥川宿。<br />往時の面影を残すものは少ないですが、道は鍵の手となっており宿場町らしい雰囲気があります。

    西国街道 2番目の宿場町 芥川宿。
    往時の面影を残すものは少ないですが、道は鍵の手となっており宿場町らしい雰囲気があります。

    西国街道 芥川宿 名所・史跡

  • 西国街道 3番目の宿場町 郡山宿。<br />山崎通の中間にあたる郡山宿。写真の本陣は享保6年(1721年)建造、300年以上の歴史があります。この本陣、正門の脇に椿の大樹があり見事な五色の花を咲かせたことから「椿の本陣」と呼ばれています。<br />本陣は残念ながら現在公開されていませんが、建物の窓越しに本陣に誰が休泊しているのか知らせるための木製の関札(せきふだ)が見え、その一つには「松平土佐守叔母宿」と書かれていました。

    西国街道 3番目の宿場町 郡山宿。
    山崎通の中間にあたる郡山宿。写真の本陣は享保6年(1721年)建造、300年以上の歴史があります。この本陣、正門の脇に椿の大樹があり見事な五色の花を咲かせたことから「椿の本陣」と呼ばれています。
    本陣は残念ながら現在公開されていませんが、建物の窓越しに本陣に誰が休泊しているのか知らせるための木製の関札(せきふだ)が見え、その一つには「松平土佐守叔母宿」と書かれていました。

    椿の本陣【郡山宿本陣】 名所・史跡

  • 土かべ文庫<br />築200年の古民家をセルフリフォームした喫茶店。営業は金曜日と土曜日の12~18時だけ。中に入ると天井が高く吹き抜けのようになっており、土間だったと思われるところには机と椅子が配置され、あがりは板間になっていました。壁いっぱいに本棚があり自由に本が読めるとともにWi-Fiも整備されていることからPCで作業している人もいて席はほぼ満席でした。<br />お会計の後にもらったスタンプカード、しおりになっていました。しおりは今読んでいる本に挟んであります。再度訪れてスタンプを押してもらいたいところです。

    土かべ文庫
    築200年の古民家をセルフリフォームした喫茶店。営業は金曜日と土曜日の12~18時だけ。中に入ると天井が高く吹き抜けのようになっており、土間だったと思われるところには机と椅子が配置され、あがりは板間になっていました。壁いっぱいに本棚があり自由に本が読めるとともにWi-Fiも整備されていることからPCで作業している人もいて席はほぼ満席でした。
    お会計の後にもらったスタンプカード、しおりになっていました。しおりは今読んでいる本に挟んであります。再度訪れてスタンプを押してもらいたいところです。

  • 京都タワー<br />二十日目に引き続き、東京から京都までの新幹線はJR東海ツアーズの「ずらし旅」を利用しましたので、ずらし旅の選べる体験として訪問しました。日没後の午後6時前に訪問したせいか、かなり混雑していました。展望台で京都の夜景を見た後、地下1階のフードコートに下り「京のお出汁めしかつを」さんで生ビールとお出汁めしをいただきました。

    京都タワー
    二十日目に引き続き、東京から京都までの新幹線はJR東海ツアーズの「ずらし旅」を利用しましたので、ずらし旅の選べる体験として訪問しました。日没後の午後6時前に訪問したせいか、かなり混雑していました。展望台で京都の夜景を見た後、地下1階のフードコートに下り「京のお出汁めしかつを」さんで生ビールとお出汁めしをいただきました。

    京都タワー 名所・史跡

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