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逆櫓の松跡

名所・史跡

キタ(大阪駅・梅田)

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逆櫓の松跡 https://4travel.jp/dm_shisetsu/11371272

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施設情報

施設名
逆櫓の松跡
住所
  • 大阪府大阪市福島区福島2-2-4
アクセス
JR西日本 東西線 新福島駅 徒歩5分
JR西日本 大阪環状線 福島駅 徒歩7分
阪神本線 福島駅 徒歩5分
京阪中之島線 中之島駅 徒歩5分
公式ページ
詳細情報
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 名所・史跡
登録者
てっぽう さん

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

クチコミ(14件)

キタ(大阪駅・梅田) 観光 満足度ランキング 167位
3.31
アクセス:
3.55
人混みの少なさ:
4.28
バリアフリー:
3.50
歩道沿いのマンションの入り口にある by すぶたさん
見ごたえ:
3.25
石碑、案内板、細い松しかなかった by すぶたさん
  • 失礼ながらマンションの植木のような

    • 3.5
    • 旅行時期:2023/07(約10ヶ月前)
    • 0

    福島駅の方から朝日放送さんの方向に歩いて行きまして、まもなく橋が架かっているのが見えてきます。左前に朝日放送さん、右後ろに...  続きを読むマンションとコンビニという、なにわ筋と交差している細い道があり、コンビニを右手に右に曲がるとすぐにありました。ポツンと..。マンションの植木かのように。 平家追討の命を受けた源義経と梶原景時が軍議を行った場所ということです。その巨大であったろう松は枯れて、代わりの植物と石碑があります。
      閉じる

    投稿日:2023/07/20

  • 源平合戦の史跡

    • 3.5
    • 旅行時期:2021/12(約2年前)
    • 0

    大阪福島を歩いていると、逆櫓(さかろ)の松跡碑がありました。
    初めて見る史跡です。
    案内板によると、「一ノ谷の戦い」の...  続きを読む後、平家は讃岐国屋島を新たな拠点としており、源義経は平家攻略のため船での急襲を計画した。
    評議の場で梶原景時は船が戻れるよう船首にも逆櫓を付けるように提案したが、義経は最初から退却のことを考えるのは良くないとして拒否したとされる。
    結局逆櫓をつけることをせず、義経は勝利をおさめた。
    その論争を行った場所がこの辺といわれている。
    この地には、幹の形が蛇のような、樹齢千歳を超える松が生えていたという。
    この松を逆櫓の松と呼んだ。
    逆櫓の松は、近代に入るころには、既に枯れてしまっていたらしい。
    義経の勇敢さを表すエピソードですね。
    今は細い松の木があります。
       閉じる

    投稿日:2020/07/06

  • 源平合戦を伝承する碑

    • 3.0
    • 旅行時期:2021/09(約3年前)
    • 0

    大阪福島区付近にあったとされる老松のことで、マンションの植え込みに碑と説明文があります。1185年の源平合戦で、源頼朝から...  続きを読む平家追討の命を受けた源義経が、梶原景時と老松木の下で論争を行ったとのことです。少し意表を突く内容の石碑で驚きました。
      閉じる

    投稿日:2021/09/22

  • 義経の伝説の一つ

    • 3.5
    • 旅行時期:2020/01(約4年前)
    • 0

    JR新福島駅から南へ5分ほど行ったところ、、マンションの敷地内に逆櫓の松跡の碑があります。源の義経が屋島の源平合戦に向かう...  続きを読む途中、ここにあった松の木の下で、兄頼朝が付けた参謀と船の櫓のことでもめたそうです。参謀は後退も可能な逆櫓をつけるよう進言したところ、義経は前身しかないと主張。暴風雨の中を手兵150ばかりと5隻の船に分乗して向かった屋島の合戦で大勝したそうです。義経の伝説の一つのです。  閉じる

    投稿日:2022/08/15

  • 義経の時代に遡る史跡です

    • 3.0
    • 旅行時期:2020/01(約4年前)
    • 0

    福島区の裏通りの一画に「逆櫓の松跡」という石碑があります。案内書きによると平家物語に記されている、義経のエピソードにまつわ...  続きを読むる老松だということです。ステンレス製の案内板には「摂津名所図会」と「浪花百景」から引用したイラストが記されているのもいいです。  閉じる

    投稿日:2021/09/04

  • 屋島を船で急襲するため

    • 3.5
    • 旅行時期:2019/09(約5年前)
    • 1

    逆櫓の松跡は、なにげないビルの前。これは、屋島を船で急襲するため、源義経と梶原景時が軍議を行ったという場所。船首だけでなく...  続きを読む船尾にも櫓(逆櫓)をつけた方がいいという梶原景時に対し、はじめから退却することを考えるべきではないとする義経。暴風の中の船出だったこもあり、200艘のうち義経に従ったのは5艘だけ。それだけ敵も油断する条件。天才義経には運もあるように思います。  閉じる

    投稿日:2020/05/01

  • 今は跡のみです

    • 3.0
    • 旅行時期:2018/05(約6年前)
    • 0

    平家物語の逆ろうの段に寄れば、1185年源義経は平氏を討つため京都を出発して、摂津国の渡辺、福島から四国の八島を船で急ぎま...  続きを読むした。その時のゆかりの松ですが、近代の頃には枯れてしまったそうです。今は跡しかなく、夢の跡という感じの場所です。  閉じる

    投稿日:2019/01/20

  • 源時代の伝承を記念する碑

    • 3.0
    • 旅行時期:2017/11(約6年前)
    • 0

    なにわ筋を少し中に入ったところにあります。マンションの植え込みに碑と説明文がありました。
    源頼朝・義経等に関する伝承を記...  続きを読む念する碑です。論争がこの地の松の木の下であったそうです。かなり古い出来事の碑があるものだなと思いました。  閉じる

    投稿日:2017/12/01

  • 義経の方が人気ですね

    • 3.5
    • 旅行時期:2017/04(約7年前)
    • 0

    現在の大阪の中心はキタとミナミですが、
    江戸時代までは大阪城周辺や港に近いところの方が史跡が多く残っています。
    大阪湾...  続きを読むや淀川を利用して、海や川から物資を運んで天下の台所として栄えたからです。
    また、京都と大阪をつないだのも淀川や街道でした。
    時代はさかのぼって、平安時代が終わりを告げ源平の争いがおこりました。
    源義経が屋島に平氏を急襲するために、向かっていたのだそうです。
    その頃には、兄である源頼朝とうまくいっていなかったので、
    お目付役の梶原景時が進言する船の前後進自在の逆櫓とりつけをめぐって論争しました。
    景時の案ではなく、あくまで前進のみと主張してゆずりませんでした。
    その場所がこの場所であり、出陣して見事に勝利したそうです。
    ある意味、勝ったのでますます義経の株が上がり、
    兄弟のいさかいが大きくなったのですが…。

    現在は石碑、案内板、細い松が残っているだけです。
    2016年12月に下関を旅行し、赤間神宮にも行ったので感慨深かったです。



      閉じる

    投稿日:2017/04/27

  • 源平合戦の故事の跡

    • 3.5
    • 旅行時期:2016/06(約8年前)
    • 0

    福島区福島にあったとされる老松のことで、その松の下で、源平合戦の時、源義経と梶原景時が軍議を行ったと平家物語に書かれていま...  続きを読むす。今はその老松はありませんが、碑と説明プレートの横には一本松が植えられていました。  閉じる

    投稿日:2016/07/01

  • マンションドミール堂島前の石碑

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/10(約9年前)
    • 1

    源義経は平氏を討つため京都を出発し、四国の八島を船で急襲しようとしたが船での戦いはあまり経験がなかったので、梶原景時が「船...  続きを読むを前後どちらの方角にも容易に動かせるように、船尾のオールだけでなく船首に逆櫓をつけたらどうでしょう」と提案したが、義経は「はじめから退却のことを考えていたのでは何もよいことがない。船尾の櫓だけで戦おう」とその論争をしたところがこの場所らしいです。  閉じる

    投稿日:2015/10/15

  • 義経、梶原景時と言い争う

    • 4.0
    • 旅行時期:2015/03(約9年前)
    • 0

    1185年、平家追討の命を受けた源義経は渡辺津に軍を進めた。そこに大きな松の木があり、その下で軍議を行ったという。
    梶原...  続きを読む景時は「船首だけでなく船尾にも櫓(逆櫓)をつけ、自在に前進・後退できるようにすべきだ」と進言したが、義経は「はじめから退却することを考えるのは縁起が悪い」と景時の意見を批判したため、景時は「進むべき時・引くべき時をわきまえてこそ良い大将である」と言って義経を「猪武者」とやり返し、激しく言い争ったという。
    暴風雨のなか景時は出航を見合わせようとしたが、義経はわずか5艘150騎で出航し、急襲攻撃で屋島の戦いを完勝した。しかし景時は義経を「大将の器にあらず」と讒言し、義経は戦後罪に問われることになる。

    逆櫓乃松は実は江戸時代の1739年、源平合戦を題材にして大当たりした浄瑠璃「ひらがな盛衰記」に登場するのだが、この界隈に実在した樹齢1000年近い大松にこじつけた創作であり、義経軍の軍議はこの松とは何の関係もない。この松は江戸時代に枯れ、明治初期には根だけになっており、大正15年に逆櫓乃松址の碑が建てられたが、昭和20年の大阪大空襲で根は消失し、石碑も行方不明となった。昭和33年、ある運送会社が地ならしをしていたところ石碑が出土したので、その会社前に石碑を再建したが、昭和49年地元有志によって現在地に移された。  閉じる

    投稿日:2015/06/17

  • 源平合戦の史跡

    • 4.0
    • 旅行時期:2015/01(約9年前)
    • 0

    各線「福島」「新福島」駅から徒歩5分程度。
    なにわ筋から少し内に入ったマンションの植え込みに、ひっそりと石碑があります。...  続きを読む
    「逆櫓の松」は、源平合戦において、部下の梶原景時が「船を前後どちらにも動かせるように、船尾だけでなくへさきにも櫓をつけたらどうか」と提案したそうですが、義経は「はじめから逃げることを考えては縁起が悪い」と景時と論争をしたところがこの場所と伝えられているそうです。
    昔は樹齢千歳を超える松が生えていたといいますが、今では細く小さなものがあるだけです。植え替えられたのでしょうか。  閉じる

    投稿日:2015/01/14

  • 義経ゆかりの地

    • 3.0
    • 旅行時期:2014/03(約10年前)
    • 0

    大阪中之島、堂島川に架かる玉江橋北詰、関西電力病院の北側、なにわ筋からちょっと西側にあるマンションの植え込みにこの石碑はあ...  続きを読むります。
    大阪は歴史のある街でいろいろな所に名所があります。
    逆櫓の松は源義経が平家を討つために船がどちらの方向にも容易に進めるように船尾のオールだけではなく船首にもオールが付けられるように述べたそうですが、その論戦をしたのがこの地だったそうで、ここから義経の勝利が始まった地だそうです。
    義経好きにはかかせない名所です。  閉じる

    投稿日:2014/12/07

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