源平合戦の史跡
- 3.5
- 旅行時期:2021/12(約4年前)
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by 夏ミカンさん(女性)
キタ(大阪駅・梅田) クチコミ:577件
大阪福島を歩いていると、逆櫓(さかろ)の松跡碑がありました。
初めて見る史跡です。
案内板によると、「一ノ谷の戦い」の後、平家は讃岐国屋島を新たな拠点としており、源義経は平家攻略のため船での急襲を計画した。
評議の場で梶原景時は船が戻れるよう船首にも逆櫓を付けるように提案したが、義経は最初から退却のことを考えるのは良くないとして拒否したとされる。
結局逆櫓をつけることをせず、義経は勝利をおさめた。
その論争を行った場所がこの辺といわれている。
この地には、幹の形が蛇のような、樹齢千歳を超える松が生えていたという。
この松を逆櫓の松と呼んだ。
逆櫓の松は、近代に入るころには、既に枯れてしまっていたらしい。
義経の勇敢さを表すエピソードですね。
今は細い松の木があります。
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2020/07/06
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