義経、梶原景時と言い争う
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- 旅行時期:2015/03(約11年前)
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by bluejaysさん(男性)
キタ(大阪駅・梅田) クチコミ:3件
1185年、平家追討の命を受けた源義経は渡辺津に軍を進めた。そこに大きな松の木があり、その下で軍議を行ったという。
梶原景時は「船首だけでなく船尾にも櫓(逆櫓)をつけ、自在に前進・後退できるようにすべきだ」と進言したが、義経は「はじめから退却することを考えるのは縁起が悪い」と景時の意見を批判したため、景時は「進むべき時・引くべき時をわきまえてこそ良い大将である」と言って義経を「猪武者」とやり返し、激しく言い争ったという。
暴風雨のなか景時は出航を見合わせようとしたが、義経はわずか5艘150騎で出航し、急襲攻撃で屋島の戦いを完勝した。しかし景時は義経を「大将の器にあらず」と讒言し、義経は戦後罪に問われることになる。
逆櫓乃松は実は江戸時代の1739年、源平合戦を題材にして大当たりした浄瑠璃「ひらがな盛衰記」に登場するのだが、この界隈に実在した樹齢1000年近い大松にこじつけた創作であり、義経軍の軍議はこの松とは何の関係もない。この松は江戸時代に枯れ、明治初期には根だけになっており、大正15年に逆櫓乃松址の碑が建てられたが、昭和20年の大阪大空襲で根は消失し、石碑も行方不明となった。昭和33年、ある運送会社が地ならしをしていたところ石碑が出土したので、その会社前に石碑を再建したが、昭和49年地元有志によって現在地に移された。
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2015/06/17
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