1. ホーム
  2. 国内旅行
  3. 近畿地方
  4. 兵庫県
  5. 香住・余部
  6. 香住・余部 観光
  7. 餘部鉄橋事故犠牲者慰霊碑
香住・余部×
旅行ガイド
観光
グルメ
ショッピング
交通
ホテル
旅行記
Q&A

餘部鉄橋事故犠牲者慰霊碑

名所・史跡

香住・余部

このスポットの情報をシェアする

餘部鉄橋事故犠牲者慰霊碑 https://4travel.jp/dm_shisetsu/11348455

クリップを編集する

ラベルを選ぶ

  • ラベルはまだありません

公開設定

施設情報

施設名
餘部鉄橋事故犠牲者慰霊碑
住所
  • 兵庫県美方郡香美町香住区余部
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 名所・史跡

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

クチコミ(15件)

香住・余部 観光 満足度ランキング 5位
3.31
アクセス:
3.80
道の駅がある by ももちゃんさん
人混みの少なさ:
3.60
まあまあいた by ももちゃんさん
バリアフリー:
4.08
観音像に向かうには段差はありません。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん
見ごたえ:
3.60
30年前のニュースを思い出しました。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん
  • 昭和61年、列車転落事故の犠牲者の慰霊碑です。

    • 4.0
    • 旅行時期:2023/09(約1年前)
    • 0

    昭和61年、当時鉄骨製の余部鉄橋から回送列車が強風にあおられて40m下の工場に転落、列車の車掌と工場で働いていたパートの女...  続きを読む性5人が亡くなりました。
    観音様のような慰霊碑はこの惨事の慰霊のためのものです。
    目の前の道の駅は多くの観光客でにぎわっていましたが、この事故のことを記憶している人はどのくらいいたのでしょう。  閉じる

    投稿日:2023/09/28

  • 1986年の脱線転落事故の慰霊碑

    • 3.5
    • 旅行時期:2023/05(約2年前)
    • 0

    1986年(昭和61年))12月28日13時過ぎに餘部橋梁を通過していた回送中のお座敷列車「みやび」が強風のため、脱線転落...  続きを読むし死傷者を出した事故があり、その悲惨な事故を忘れないよう慰霊碑が建てられました。この橋梁からの列車の転落、死傷者発生は、国鉄時代から数えて87年ぶりの惨事だったそうです。  閉じる

    投稿日:2023/08/05

  • 餘部鉄橋事故犠牲者慰霊碑

    • 4.0
    • 旅行時期:2021/05(約4年前)
    • 0

    1986年12月、風速33メートルを超える突風で餘部鉄橋から回送列車の7両が転落しました。約40メートル下にあった水産加工...  続きを読む場などを直撃し、女性従業員5人と男性車掌が亡くなりました。鉄橋の下に立派な慰霊碑があり、30年以上経過した今もなお献花が絶えないようでした。  閉じる

    投稿日:2021/06/02

  • 餘部鉄橋の事故とは、1986年(昭和61年)12月28日13時25分頃餘部鉄橋通過中の回送列車の7両が風速33mを超える突...  続きを読む風により橋から転落。直下(約40m下)にあった水産加工場などを直撃し、女性従業員5人と男性車掌が亡くなった事故。

    事故現場の余部橋梁の直下、観光客には目立つ場所に慰霊碑は建てられている。
    余部鉄橋の架け替えが再燃し、余部橋梁に変わったが、悲惨な事故のことなど毛頭なく余部橋梁を愉しむ観光客。
      閉じる

    投稿日:2021/07/11

  • 忘れてはいけない記憶

    • 3.0
    • 旅行時期:2020/06(約5年前)
    • 0

    1986年12月28日、香住発浜坂行き回送列車が日本海からの突風にあおられ転落し、橋下にあった水産加工場や民家を直撃、工場...  続きを読むの従業員だった主婦5名と列車の車掌1名の計6名が犠牲になった列車転落事故犠牲者を慰霊するもの。
    当時テレビのニュースで見た記憶があります。
    地上からエレベーターで線路近くまで行きましたが、行った日は穏やかな天候で日本海も綺麗に見えました。  閉じる

    投稿日:2021/06/15

  • 忘れてはいけない事故

    • 3.5
    • 旅行時期:2020/03(約5年前)
    • 0

    餘部鉄橋事故犠牲者慰霊碑は、JR山陰本線餘部駅直下にある、昭和61年に起こった鉄道事故の慰霊碑です。
    瞬間最大風速32m...  続きを読むの強風にあおられた客車が橋下のカニ加工工場に落ち、6名の方が亡くなられました。
    橋は新しくなりましたが、忘れてはいけない事故であり、そのための慰霊碑です。
    餘部駅、道の駅あまるべに寄った際はぜひ。  閉じる

    投稿日:2020/03/16

  • 本当に信じられない事故でした。

    • 4.0
    • 旅行時期:2018/12(約6年前)
    • 0

    当時、余部鉄橋の事故をニュースで聞いた時は、本当にそんなことがあるんだろうかと信じられない気持ちでした。現在は鉄橋も建て替...  続きを読むわり、道の駅もできて、観光客もやってくる場所になっていますが、観音菩薩像と慰霊碑が事故の記憶をとどめています。  閉じる

    投稿日:2020/09/03

  • 昭和61年12月28日の事故でした。

    • 3.0
    • 旅行時期:2018/10(約6年前)
    • 0

    昭和61年12月28日の事故でした。よく覚えています。信じられない光景でした。直接には6人が志望していますが,上司がその後...  続きを読む,責任を感じて自殺しています。日本の鉄道事業にとって忘れられない事故です。いまここに,このような慰霊碑が建てられています。忘れないためです。祈りましょう。  閉じる

    投稿日:2018/10/26

  • 列車転落事故の犠牲者を弔う菩薩像があります

    • 3.5
    • 旅行時期:2017/04(約8年前)
    • 0

    JR餘部駅の橋を降りた下、道の駅のそばの道沿いに菩薩像が建っています。
    (道の駅や近くの海岸などを見た後、まだ時間があっ...  続きを読むたので見ていきました)
    土台の脇に説明が刻まれていて、1986年に起きた列車転落事故の犠牲者を弔うために建てられたものとのこと。
    事故後に鉄橋は建て替えられましたが、今後も鉄道が安全に運行するよう、手を合わせていってはいかがでしょう。  閉じる

    投稿日:2017/05/24

  • 大事故の慰霊碑

    • 3.5
    • 旅行時期:2016/05(約9年前)
    • 16

    餘部橋梁の間下にある事故の犠牲者を弔う聖観世音菩薩です。その事故とは、1986年12月28日にこの鉄橋を通過中の香住発浜坂...  続きを読む行き回送列車が日本海からの突風にあおられ、機関車と客車の台車の一部を残して7両が転落し、橋下にあった水産加工場や民家を直撃、加工場従業員と車掌の合わせて6名が犠牲となったものです。訪問時は強風で山陰線も止まり、雨も時よりぱらつく悪天候で、事故当日の様子を彷彿させられました。  閉じる

    投稿日:2016/05/26

  • 事故を思い出した

    • 3.0
    • 旅行時期:2014/09(約10年前)
    • 0

    餘部の事故は有名だったので、近くに道の駅があったので、行くことになった。旧餘部橋梁の遺構もあり、見所はあった。道の駅には餘...  続きを読む部周辺の観光の案内も在るし、近くには私設のミニ鉄道博物館らしきものもあり、意外に観光客が多くいた。  閉じる

    投稿日:2014/09/30

  • 昭和61(1986)年12月28日日曜日13:25頃…。

    • 5.0
    • 旅行時期:2014/08(約10年前)
    • 11

    香住駅から浜坂駅へと回送中のお座敷列車みやび(7両編成)が、日本海からの強風にあおられて牽引機関車であるDD51と1両半分...  続きを読むの台車を除いて約40m下の地上へと落下。鉄橋直下にあった水産加工会社の工場と民家を直撃し、工場は全壊し民家は半壊する惨事となりました。この事故で工場で働いていた主婦5名と列車車掌1名が死亡し、客車内で勤務していた日本食堂の車内販売員3名と工場の従業員3名の計6名が重傷を負いました。

    70余年の餘部鉄橋の歴史に於いて初めてとなった列車転落事故は、事故の凄惨さはもとより、生存者の方々への心理的配慮を考えれば長期不通は免れないものと思いきや、国鉄の山陰本線の大動脈となっていた餘部橋梁の路線復旧と事故車両の撤去を早急に行い、事故の遺族からの運転再開容認を取り付けた後、15:09に最初の列車が事故後鉄橋を通過しています。

    今は新しくなった余部鉄橋は往時の面影が残らない鉄筋のきれいなものになっていますが、京都方面のトンネルから出てきた列車が鉄橋に差し掛かる手前で少しカーブしていることが旧橋梁の存在を今に示しています。

    橋梁下の住宅等の多くは整備され、道の駅あまるべや余部鉄道資料館〝一滴亭〟等の旧余部鉄橋を記念する施設となっています。その一角にひっそり残る〝列車転落事故犠牲者慰霊観音像〟が建立されており、往時の悲劇を忘れないように鉄橋や道路を走る車通りをやさしく見つめています。

    それなりの年齢より若い方はその由来すら知らないこの観音像。あまるべを訪れたならば必ずその建立意図をお聞きして貰いたい…そんな気持ちに改めてさせられました。  閉じる

    投稿日:2019/03/29

  • 悲惨な事故だった余部鉄橋列車転落事故慰霊碑

    • 3.5
    • 旅行時期:2013/11(約11年前)
    • 4

    余部橋梁(あまるべきょうりょう)下に余部鉄橋列車転落事故慰霊碑があるが1986年客車列車が日本海からの最大風速約 33 m...  続きを読む/s の突風にあおられ客車の全車両が台車の一部を残して橋梁中央部付近より転落、橋梁の真下にあった水産加工工場と民家を直撃し工場が全壊、民家が半壊、工場の従業員だった主婦5名と列車に乗務中の車掌1名の計6名が死亡という列車転落事故犠牲者を慰霊するもの。悲惨な事故だった。
      閉じる

    投稿日:2014/01/19

  • 私が30歳くらいのころに、ニュスで余部鉄橋から回送電車が落ちたのを知り、驚いた記憶があります。日本海からの突風にあおられて...  続きを読む落ちたようです、下にあった水産工場と民家を直撃しました。その時に亡くなられた方の為に建てられたのが余部鉄橋事故犠牲者慰霊碑です。道の駅あまるべの横にある駐車場に建っています。道の駅あまるべに寄れば必ず見れるスポットです。  閉じる

    投稿日:2015/08/26

  • 島根・鳥取などの山陰を巡る旅で皆生温泉と城崎温泉に泊まった時に、兵庫県の日本海側にある餘部駅へも行って見学しました。

    ...  続きを読む
    高さ41.5mの余部橋梁のそのたもとに位置するのが、山陰本線でも有数の絶景ポイントである餘部駅です。

    餘部鉄橋事故は、昭和61年(1986年)に日本海からの最大風速約33m/秒の突風にあおられて、客車の全車両が台車の一部を残して、橋梁中央部付近より転落した事故で、回送列車であったため乗客はいなかったが、橋梁の真下にあった水産加工工場の従業員だった主婦5名と列車に乗務中の車掌1名の計6名が死亡、客車内にいた日本食堂の車内販売員3名と工場の従業員3名の計6名が重傷を負いました。

    餘部鉄橋事故犠牲者慰霊碑は、昭和63年(1988年)10月23日に事故現場に聖観世音菩薩像が建立されました。
      閉じる

    投稿日:2020/05/25

1件目~15件目を表示(全15件中)

このスポットに関するQ&A(0件)

餘部鉄橋事故犠牲者慰霊碑について質問してみよう!

香住・余部に行ったことがあるトラベラーのみなさんに、いっせいに質問できます。

  • あおしさん

    あおしさん

  • g60_kibiyamaさん

    g60_kibiyamaさん

  • TTukomiさん

    TTukomiさん

  • マリー88さん

    マリー88さん

  • クワトロさん

    クワトロさん

  • みーみさん

    みーみさん

  • …他

周辺のおすすめホテル

香住・余部 ホテルランキングを見る

兵庫県 ホテルランキングを見る

このスポットで旅の計画を作ってみませんか?

行きたいスポットを追加して、しおりのように自分だけの「旅の計画」が作れます。
クリップ したスポットから、まとめて登録も!

PAGE TOP