勝竜寺城公園
公園・植物園
3.36
勝竜寺城公園 クチコミ・アクセス・周辺情報
長岡京・向日 観光 満足度ランキング 5位
暦応2年(1339年)に細川頼春が築城したといわれる。織田信長の時代に細川藤孝によって城の大改修が行われ、当時の石垣が今も遺る貴重な歴史スポット。天正6年(1578年)に明智光秀の娘玉(後の細川ガラシャ)が、藤孝の長男忠興のもとに輿入れした城として有名である。また、山崎合戦で敗走した光秀がこの城に落ちのび、「光秀最期の城」ともいわれている。令和元年(2019年)に展示室をリニューアル。毎年11月に「長岡京ガラシャ祭り」が行われる。
ピックアップ クチコミ
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満足度の高いクチコミ
整備された公園と資料館があります♪細川忠興と細川玉(ガラシャ)が新婚時代を過ごしたお城の跡です。
5.0
- 旅行時期 2025/04
- by hijunoさん
細川忠興・玉(ガラシャ)が新婚時代を過ごしたお城、玉の父 明智光秀が山崎の戦いに敗れて最期の夜を過ごしたお城でもある勝龍寺... 続きを読む城跡が公園と、資料館がありました。 忠興と玉が激動の時代の中でも2年間という短い間、穏やかな日々を送っていたお城のように感じます。 桜の花がほぼ散ってしまった時期に訪れましたが、花びらがピンクの絨毯のようになっていて、新緑の樹々ととても美しい公園でした。 お城の遺構の説明もあり、明智光秀が脱出して坂本城に向かったといわれる北門まわりの石垣も残されていました。 資料館にも貴重な資料やわかりやすい歴史の説明があり、とても興味深かったです。 (二階の資料館は撮影が禁止でした) お堀周りにも花が植えられており、とても整えられた施設でした。 閉じる
クチコミ・評判 2ページ目
21~31件(全32件中)
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城跡というよりも庭園としての趣
- 3.0
- 旅行時期:2017/05(約9年前)
- 0
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勝龍寺城址が公園になっています。
- 3.0
- 旅行時期:2017/04(約9年前)
- 0
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歴史を感じながらの憩いの公園
- 3.5
- 旅行時期:2017/04(約9年前)
- 0
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~★☆織田信長と一戦を交えた勝竜寺城☆★~
- 4.0
- 旅行時期:2017/03(約9年前)
- 0
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細川ガラシャが嫁いだ城跡の公園
- 4.0
- 旅行時期:2016/12(約9年前)
- 0
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細川忠興・ガラシャ夫妻ゆかりの勝竜寺城址に整備された公園
- 4.0
- 旅行時期:2016/03(約10年前)
- 0
勝竜寺城公園は、日本の歴史公園百選に選ばれた周回式の庭園。
・勝竜寺(勝龍寺)城は、元亀2年(1571年) 細川藤孝... 続きを読むが山城西岡一帯を信長より与えられて
勝竜寺城主となり、天正6年(1578年)8月にはその信長のすすめで、藤孝の嫡男忠興と明智
光秀の娘お玉(のちの細川ガラシャ)がここで盛大な結婚式を挙げて、幸せな新婚時代を過ご
したとされている。
・天正10年(1582年)6月2日の本能寺の変の後、山崎の合戦では光秀がこの城に本陣を構え
たが、その後、明智軍を破った秀吉が勝竜寺城に入城している。
・細川ガラシャは忠興との間に三男二女を設けたが、ガラシャは本能寺の変後に丹後・味土
野に幽閉され、キリスト教の洗礼を受けた後、関ケ原の戦い時に石田三成の人質となるこ
とを拒んで、この地で家老の介錯により命を絶った(享年37才)。
[辞世の歌;散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ]
・毎年11月の第二日曜日には、市民のお祭である「長岡京ガラシャ祭」のメインとなる明智
玉の細川忠興へのお輿入れ行列で街中が賑わう。この行列の到着点が勝竜寺城公園とな
る。
閉じる投稿日:2016/03/28
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公園
- 3.5
- 旅行時期:2014/06(約12年前)
- 0
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ガラシャ祭りのメイン会場
- 3.0
- 旅行時期:2013/11(約12年前)
- 0
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ガラシャ夫人が細川忠興に嫁いだ城跡
- 4.0
- 旅行時期:2013/02(約13年前)
- 4
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細川ガラシャのゆかりの城
- 2.0
- 旅行時期:2011/12(約14年前)
- 0
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細川ガラシャゆかりの城あと、勝竜寺城公園
- 4.0
- 旅行時期:2009/11(約16年前)
- 3
勝竜寺城(しょうりゅうじじょう)は、南北朝時代から江戸時代初期の城で1339年、南朝方に対抗するため北朝方の細川頼春(ほそ... 続きを読むかわ よりはる1304−1352年)が築いた城と言われているが、1457年に山城国守護・畠山義就(はたけやま よしなり1437−1491年)が築城したとの説もあり真実は不明だ。
勝竜寺城は細川忠興(ほそかわ ただおき1563−1646年)・細川ガラシャ(1563−1646年)ゆかりの城として有名だ。1578年、細川 幽斎こと藤孝(ほそかわ ゆうさい・ふじたか1534−1610年)の息子・細川忠興と明智光秀(あけち みつひで1528−1582年)の娘・お玉(細川ガラシャ)が勝竜寺城で新婚時代を過ごしたとされている。
閉じる投稿日:2012/11/25
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