細川忠興・ガラシャ夫妻ゆかりの勝竜寺城址に整備された公園
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- 旅行時期:2016/03(約10年前)
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by タケさん(男性)
長岡京・向日 クチコミ:8件
勝竜寺城公園は、日本の歴史公園百選に選ばれた周回式の庭園。
・勝竜寺(勝龍寺)城は、元亀2年(1571年) 細川藤孝が山城西岡一帯を信長より与えられて
勝竜寺城主となり、天正6年(1578年)8月にはその信長のすすめで、藤孝の嫡男忠興と明智
光秀の娘お玉(のちの細川ガラシャ)がここで盛大な結婚式を挙げて、幸せな新婚時代を過ご
したとされている。
・天正10年(1582年)6月2日の本能寺の変の後、山崎の合戦では光秀がこの城に本陣を構え
たが、その後、明智軍を破った秀吉が勝竜寺城に入城している。
・細川ガラシャは忠興との間に三男二女を設けたが、ガラシャは本能寺の変後に丹後・味土
野に幽閉され、キリスト教の洗礼を受けた後、関ケ原の戦い時に石田三成の人質となるこ
とを拒んで、この地で家老の介錯により命を絶った(享年37才)。
[辞世の歌;散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ]
・毎年11月の第二日曜日には、市民のお祭である「長岡京ガラシャ祭」のメインとなる明智
玉の細川忠興へのお輿入れ行列で街中が賑わう。この行列の到着点が勝竜寺城公園とな
る。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
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- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2016/03/28
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