赤穂四十七士の墓
名所・史跡
3.24
赤穂四十七士の墓 クチコミ・アクセス・周辺情報
砂川・新十津川 観光 満足度ランキング 12位
砂川市にある「北泉岳寺」には、47人の忠義な侍たちにゆかりのあるお墓があります。 1703年(元禄16年)12月14日、47人の赤穂義士たちは吉良邸に討ち入りし、見事に主君の仇を討ちました。 その後、人々に惜しまれながらも切腹によりこの世を去った侍たちは、「忠臣蔵」として今日まで語り継がれています。 赤穂浪士の熱烈な崇拝者だった北泉岳寺の初代住職が、四十七士のお墓のある本家、芝・高輪泉岳寺に、義士墓の建立と寺名の変更を願い出たのです。当時は許可が出ませんでしたが、2代目住職(先代の孫)が祖父の志を引き継いで何度も陳情を続け、ついには泉岳寺からの内諾を受けることができました。 昭和28年2月4日、赤穂浪士たちが切腹をした日、泉岳寺より「北泉岳寺と名乗っても良い」という承諾書が届きました。 この墓は、こうした祖先の功労を経て、芝高輪の泉岳寺より分霊を受け、昭和31年に北泉岳寺の境内に建立されました。 周囲は豊かな緑に囲まれています。 一度、訪れてみませんか。
クチコミ・評判
1~4件(全4件中)
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北海道にも赤穂浪士の墓
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- 旅行時期:2021/08(約4年前)
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砂川「北泉岳寺」にある『赤穂四十七士の墓』
- 3.5
- 旅行時期:2021/08(約4年前)
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忠臣蔵で有名な『赤穂四十七士の墓』が、砂川市の「北泉岳寺」にあります。
12月14日に討ち入りの行事を行っているところが... 続きを読む北海道内にもあることは 以前ニュースで見た記憶がありましたが、場所まではよくわからずにいましたが…
今回 滝川から砂川へ向かう途中『赤穂四十七の墓』の案内板を偶然見つけ、そのお寺を訪れてみることにしました。
こちらの2代目住職が、熱心な義士崇拝者であった先代の遺志を継いで 芝高輪の泉岳寺へ再三お願いした結果 昭和28年に許可が下り、泉岳寺の義士のお墓の土を各々譲り受けお墓を建立し、お寺の名前も「北泉岳寺」に変えられたそうです。
「北海道義士祭」の幟が掲げられた石段の先の小高い場所に四十七士のお墓が祀られ、「北海道義士会」の方々に支えられ、今でも毎年12月14日に「義士祭」が行われているとは素晴らしいことです。 閉じる投稿日:2021/08/22
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12月14日に義士祭
- 3.5
- 旅行時期:2017/12(約8年前)
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東京の泉岳寺からの分霊が安置されています
- 4.5
- 旅行時期:2014/05(約12年前)
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基本情報(地図・住所・アクセス)
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