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賤ケ岳古戦場

名所・史跡

木之本・余呉

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賤ケ岳古戦場 https://4travel.jp/dm_shisetsu/10008815

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施設情報

1583年(天正11年)、羽柴秀吉と柴田勝家が覇権を争った「賤ヶ岳の戦い」の戦場跡。山頂付近には戦跡碑、戦没者の碑がある。

施設名
賤ケ岳古戦場
住所
  • 滋賀県長浜市木之本町大音
電話番号
0749-53-2650
アクセス
その他 [公共交通]JR木之本駅からバスにて約5分 大音バス停 [自動車]北陸自動車道木之本ICから車で3分 [駐車場]有
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 名所・史跡

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

クチコミ(14件)

木之本・余呉 観光 満足度ランキング 6位
3.32
アクセス:
3.14
公共交通機関, JR北陸本線「木ノ本駅」下車 バス 5 分 賤ケ岳バス停 by さすらいおじさんさん
人混みの少なさ:
4.00
バリアフリー:
2.33
見ごたえ:
4.00
  • 満足度の高いクチコミ(8件)

    ポスト信長争いをした古戦場跡。

    5.0

    • 旅行時期:2021/09
    • 投稿日:2024/11/04

    本能寺の変にて、亡くなった 織田信長の後釜を狙い 天王山で明智光秀を討ち取った 羽柴秀吉と、信長の第一家臣で あっ...  続きを読むた柴田勝家が争った場所。 其々に立前として信長の次男 三男を擁立していた様ですが… 山頂には『七本槍古戦場賤ヶ嶽』 の碑が立っています。 七本槍とは秀吉側の 脇坂安治、片桐且元、平野長泰 福島正則、加藤清正、糟屋武則 加藤嘉明を指すそうです。 槍の様な働きだったのでしょうか… 山頂付近には、苗木を保護する 為だと思いますが、傘を被った 木々が槍の様にも、兵士の様にも 見えました。 現在の様子からは古戦場らしさは 感じられませんが、こんな所で 戦うのはとても大変だったろう 事は容易に想像する事ができます。  閉じる

    azura

    by azuraさん(非公開)

    木之本・余呉 クチコミ:10件

  • 信長が本能寺で殺害された翌年、秀吉VS勝家の信長後継者争いが行われた古戦場。

    戦場自体は賤ケ岳を中心に広範囲になって...  続きを読むいて、観光としては賤ケ岳からの景色を楽しむ感じです。

    賤ケ岳の戦いでは兵士の地で赤く染まったといわれる余呉湖、北側が見える琵琶湖が一望できるほか、賤ケ岳に登る途中にも、供養碑があったり秀吉や勝家に関係のあった武将の情報や家紋が見られたり、山頂には疲弊した兵士の像があったり、いろいろ工夫がされています。

    晴れた日を狙っていくと最高です。  閉じる

    投稿日:2023/03/26

  • 賤ケ岳山頂にある疲れた兵士像はぜひ見てね

    • 4.0
    • 旅行時期:2022/05(約3年前)
    • 0

    賤ケ岳の戦いは羽柴秀吉と柴田勝家が賤ケ岳周辺で戦った戦です。この戦いに勝った羽柴秀吉はこの後、天下を取ることになるので歴史...  続きを読むの大きなターニングポイントになった戦いです。古戦場跡碑が山頂にあります。また、「疲れた兵士の像」も山頂にあります。本当に疲れ果てた表情が上手く作られていて見ていて本物の兵士のようでした。お勧めです。  閉じる

    投稿日:2022/06/27

  • 気軽に寄れます

    • 3.5
    • 旅行時期:2021/11(約3年前)
    • 0

    途中までシンブルリフトで上れますので、山頂まで最後の300メートルくらい徒歩で歩くだけでアクセスはしやすいと思います。
    ...  続きを読む何度も雨が降ったり急に晴れたりで、たまたまこういう天候だったのか元々変わりやすい地形なのかわかりませんが、天候に翻弄されました。  閉じる

    投稿日:2022/01/31

  • 賤ヶ岳山頂で意外とコンパクトでした

    • 4.0
    • 旅行時期:2021/09(約3年前)
    • 0

    余呉湖観光館の駐車場から徒歩で行きました。
    あまりきつい箇所はなく、1時間くらいで
    山頂につきました。山頂はそれほど広...  続きを読むくなく、
    古戦場と言う割にはコンパクトなスペースで、
    柴田勝家と豊臣秀吉が戦った場所はもっと
    広い範囲なんだと思います。代表的な場所
    が山頂だったのかなと思いました。  閉じる

    投稿日:2021/09/19

  • ポスト信長争いをした古戦場跡。

    • 5.0
    • 旅行時期:2021/09(約3年前)
    • 1

    本能寺の変にて、亡くなった
    織田信長の後釜を狙い
    天王山で明智光秀を討ち取った
    羽柴秀吉と、信長の第一家臣で
    あっ...  続きを読むた柴田勝家が争った場所。

    其々に立前として信長の次男
    三男を擁立していた様ですが…

    山頂には『七本槍古戦場賤ヶ嶽』
    の碑が立っています。
    七本槍とは秀吉側の
    脇坂安治、片桐且元、平野長泰
    福島正則、加藤清正、糟屋武則
    加藤嘉明を指すそうです。
    槍の様な働きだったのでしょうか…

    山頂付近には、苗木を保護する
    為だと思いますが、傘を被った
    木々が槍の様にも、兵士の様にも
    見えました。

    現在の様子からは古戦場らしさは
    感じられませんが、こんな所で
    戦うのはとても大変だったろう
    事は容易に想像する事ができます。  閉じる

    投稿日:2021/09/04

  • 真夏に湖北エリアの山、賤ケ岳を訪れました。 山頂までは、賤ケ岳リフトを利用して上ることが出来てラクチンですが、勿論登山も出...  続きを読む来ます。 

    賤ケ岳の合戦に関しては、学生の時に歴史の授業で習ったかどうかは一切記憶にないのですが…。 

    安土桃山時代、本能寺の変で織田信長が倒れた後、明智光秀を討ち実質的な主導権を握っていた豊臣秀吉と、織田家の旧臣中第一の家柄を誇る柴田勝家との間で権力争いが生じ、勃発したのが賤ケ岳の合戦です。 

    この合戦は、わずか2日で決着がつき、秀吉軍の勝利でしたが、山頂の石像は勝利した後の秀吉の、疲弊しうなだれた姿を表現してるとのことです。 なかなか珍しいタイプの石像だなと思いました。 

    リフトを降りてからは、山頂まで10分ほど歩くのですが、途中、賤ケ岳の合戦で亡くなった方々の霊が祀られている場所があったり、合戦で戦った武将たちの顔ハメパネルがあったりと、集客の為になかなか努力してるなーと感じました。  閉じる

    投稿日:2021/12/21

  • 賤ヶ岳登山道の中間地点

    • 3.5
    • 旅行時期:2016/05(約9年前)
    • 1

    マイカーが必要です。
    北陸道の木之本インターから車で10分も走れば賤ヶ岳リフトに到着します。
    リフト乗り場がありますが...  続きを読む、リフトを使わずに登山道を750メートル歩くと
    古戦場に到着します。古戦場は、登山口と賤ヶ岳山頂のちょうど中間地点に
    あります。  閉じる

    投稿日:2016/05/04

  • かつての権力争いの場

    • 4.0
    • 旅行時期:2016/04(約9年前)
    • 1

    信長亡き後、誰が跡目を継ぐかの戦いの場となったところ
    この山道だけではありません 周辺のいくつもの村で行われた戦です。
    ...  続きを読む

    ただ 砦が山上に造られることが多かったので山の名がついてます。

    賤ヶ岳の古戦場と言いますが、余呉湖付近に砦を構えていた秀吉軍に対し、勝家軍の先方が岐阜から入り、そちらに応戦している隙に 別軍がこのあたりを占領した、勝家の言いつけも聞かずにその軍は奥深くこの賤ヶ岳周辺まで勢力をのばした。

    秀吉軍が考えられない早さで戻って、戦にかったと油断をしている間に、総攻撃をかけ 勝家軍の戦力をもぎとりそのまま勝家の本陣に攻め込む元を作った戦いです。


    別にこの山の上で戦ったのではなく この周辺すべてで戦いはあったのです。

    大音の郷の中にも、浄明寺という 真言宗 弘法大師ゆかりの寺があったが賤ヶ岳の戦いで焼け落ち 本尊だけが助かって安置されていたり、東光寺、西光寺と脇に有った寺が 西光寺だけ残ったと言う話も残っています。  閉じる

    投稿日:2016/05/07

  • 大音地区 賤ヶ岳リフトで古戦場へ

    • 5.0
    • 旅行時期:2016/01(約9年前)
    • 6

    賤ヶ岳の合戦
    天正10年(1582)本能寺の変で自害した織田信長の家督争いに端を発した
    羽柴秀吉と柴田勝家の合戦。
    ...  続きを読む天正11年4月20日賤ヶ岳北側の山から余呉湖畔、柳ヶ瀬方面で決戦が行われ、秀吉はこの勝利により天下人への足がかりを得ることになりました。
    この合戦で功名を上げた秀吉子飼いの若武者は
    のちに賤ヶ岳の七本槍と呼ばれ、秀吉のもとで大名へと昇進しました。
    福島正則、片桐且元、脇坂安治、糟屋武則、加藤嘉明
    加藤清正、平野長泰
    賤ヶ岳リフトを降りてからも暫くは上り坂が続きます。
    古戦場を偲ばせる石佛などもあります。  閉じる

    投稿日:2016/01/14

  • 歴史の宝庫

    • 4.0
    • 旅行時期:2014/09(約10年前)
    • 0

     賤ヶ岳の古戦場といえば、歴史好きなら一度は訪れたいと思う所です。
     本能寺の戦いにより織田信長亡き後、明地光秀を破った...  続きを読む羽柴秀吉と、織田家の重臣・柴田勝家が戦ったのが賤ヶ岳の合戦です。
     賤ヶ岳は琵琶湖の北東に位置する低山です。
     ここには賤ヶ岳合戦戦没者霊地や歌碑や石碑などがあります。
     「賤ケ岳の七本槍」は有名ですが、七本槍とは秀吉の家来の福島正則、加藤清正、加藤嘉明、平野長泰、脇坂安治、槽屋武則、片桐且元のことです。
     私たちは小雨の中、遠い昔の合戦に思いをはせながら、賤ヶ岳を歩きました。  閉じる

    投稿日:2016/02/29

  • 秀吉が実権を握った戦いの舞台

    • 4.5
    • 旅行時期:2013/09(約11年前)
    • 0

    織田信長の死後に後継者の争いを演じた場所であり、秀吉軍の勝利によって秀吉の時代が始まるきっかけになった戦場です。
    この頃...  続きを読むには武田氏も織田軍によって滅ぼされており、この戦では柴田勝家が敗れて最期を遂げました。
    秀吉はこの戦をきっかけとして勢力を拡大する戦いであったことから、多くの人がこの場所を訪問し湖北地区は観光地としても有名です。  閉じる

    投稿日:2014/01/31

  • 眺望の良かった賤ヶ岳古戦場

    • 3.0
    • 旅行時期:2011/07(約13年前)
    • 0

    友人達と琵琶湖に遊びに行った時に、歴史好きで一度行きたかった賤ヶ岳古戦場にリフトを利用して行ってきました。リフトを下りてか...  続きを読むらも、しばらく坂道を登っていきます。ここからは、琵琶湖なども眺められ眺望は良かったです。
    この山の上が古戦場だったとは、ちょっとビックリです。当時を偲ぶ像などもありました。  閉じる

    投稿日:2012/05/06

  • 琵琶湖八景の一つ、賤ヶ岳古戦場跡

    • 3.5
    • 旅行時期:2009/04(約16年前)
    • 1

    琵琶湖の北にある余呉湖(よごこ)は、東西0.9km、南北1.8kmの淡水湖で琵琶湖とは、羽柴秀吉(はしば ひでよし1537...  続きを読む−1598年=豊臣秀吉)と柴田勝家(しばた かついえ1522−1583年)とが織田勢力を二分して織田信長(おだ のぶなが1534−1582年)の継承者となることを争った賤ヶ岳の戦い(しずがたけのたたかい1583年)が繰り広げられた賤ヶ岳(標高422m)で隔てられている。
    賤ヶ岳は「新雪ー賤ヶ岳の大観」として琵琶湖八景の一つに数えられ、賤ヶ岳の合戦は、戦国時代に本能寺で倒れた織田信長の後を狙う豊臣秀吉と柴田勝家の主導権争いで、激しい戦いの後に累々と屍が重なり、武具を洗い流した余呉湖の水は真っ赤に染まったとされる。
    秀吉の武勲者として史上に名をとどめた「賤ヶ岳の七本槍」の活躍は、このときの武勇談。
    山頂には賤ヶ岳合戦の戦跡碑や戦没者の碑があり、眼下に余呉湖を見下ろし、南に琵琶湖・竹生島・湖東の田園風景・南東には小谷山・虎御前山と眺望が良い。
    余呉湖周辺には賤ヶ岳古戦場跡や天女の衣掛柳など歴史や伝説にゆかりがある場所が多く歴史ファンには楽しい場所だ。
    アクセス――― 公共交通機関, JR北陸本線「木ノ本駅」下車 バス 5 分 賤ケ岳バス停
      閉じる

    投稿日:2013/01/04

  • 余呉湖に近い賤ヶ岳古戦場跡

    • 3.5
    • 旅行時期:2009/04(約16年前)
    • 1

    琵琶湖の北にある余呉湖(よごこ)は、東西0.9km、南北1.8kmの淡水湖で琵琶湖とは、羽柴秀吉(はしば ひでよし1537...  続きを読む−1598年=豊臣秀吉)と柴田勝家(しばた かついえ1522−1583年)とが織田勢力を二分して織田信長(おだ のぶなが1534−1582年)の継承者となることを争った賤ヶ岳の戦い(しずがたけのたたかい1583年)が繰り広げられた賤ヶ岳(標高422m)で隔てられている。
    賤ヶ岳は「新雪ー賤ヶ岳の大観」として琵琶湖八景の一つに数えられ、賤ヶ岳の合戦は、戦国時代に本能寺で倒れた織田信長の後を狙う豊臣秀吉と柴田勝家の主導権争いで、激しい戦いの後に累々と屍が重なり、武具を洗い流した余呉湖の水は真っ赤に染まったとされる。
    秀吉の武勲者として史上に名をとどめた「賤ヶ岳の七本槍」の活躍は、このときの武勇談。
    山頂には賤ヶ岳合戦の戦跡碑や戦没者の碑があり、眼下に余呉湖を見下ろし、南に琵琶湖・竹生島・湖東の田園風景・南東には小谷山・虎御前山と眺望が良い。
    余呉湖周辺には賤ヶ岳古戦場跡や天女の衣掛柳など歴史や伝説にゆかりがある場所が多く歴史ファンには楽しい場所だ。

    アクセス――― 公共交通機関, JR北陸本線「木ノ本駅」下車 バス 5 分 賤ケ岳バス停

      閉じる

    投稿日:2011/11/24

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