かつての権力争いの場
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- 旅行時期:2016/04(約10年前)
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by 壁ぎわさん(男性)
木之本・余呉 クチコミ:2件
信長亡き後、誰が跡目を継ぐかの戦いの場となったところ
この山道だけではありません 周辺のいくつもの村で行われた戦です。
ただ 砦が山上に造られることが多かったので山の名がついてます。
賤ヶ岳の古戦場と言いますが、余呉湖付近に砦を構えていた秀吉軍に対し、勝家軍の先方が岐阜から入り、そちらに応戦している隙に 別軍がこのあたりを占領した、勝家の言いつけも聞かずにその軍は奥深くこの賤ヶ岳周辺まで勢力をのばした。
秀吉軍が考えられない早さで戻って、戦にかったと油断をしている間に、総攻撃をかけ 勝家軍の戦力をもぎとりそのまま勝家の本陣に攻め込む元を作った戦いです。
別にこの山の上で戦ったのではなく この周辺すべてで戦いはあったのです。
大音の郷の中にも、浄明寺という 真言宗 弘法大師ゆかりの寺があったが賤ヶ岳の戦いで焼け落ち 本尊だけが助かって安置されていたり、東光寺、西光寺と脇に有った寺が 西光寺だけ残ったと言う話も残っています。
- 施設の満足度
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4.0
クチコミ投稿日:2016/05/07
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