黒木御所跡・碧風館
名所・史跡
3.31
クチコミ・評判
1~16件(全16件中)
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黒木神社の立派な鳥居が
- 3.5
- 旅行時期:2023/11(約2年前)
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離島なのに天皇から見の史跡がおおいですね
- 3.0
- 旅行時期:2023/05(約3年前)
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再興を誓っていた
- 3.5
- 旅行時期:2022/07(約3年前)
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別府港から歩いて数分
- 3.5
- 旅行時期:2022/07(約3年前)
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別府港から徒歩圏内
- 3.0
- 旅行時期:2022/07(約3年前)
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隠岐島に配流された2人目の上皇
- 4.0
- 旅行時期:2022/05(約4年前)
- 15
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碧風館(隠岐西ノ島):黒木御所の資料館
- 1.0
- 旅行時期:2021/08(約4年前)
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海を臨む展望台あり
- 3.0
- 旅行時期:2019/10(約6年前)
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下から上に上に登っていくと到着します
- 4.0
- 旅行時期:2018/05(約8年前)
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後醍醐天皇行在所は2ヶ所ある。こrちらは県指定
- 4.0
- 旅行時期:2017/07(約8年前)
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おばあちゃんの宿☆美味しい海の幸がいっぱいの竹並旅館の紹介
- 4.5
- 旅行時期:2016/09(約9年前)
- 3
【本題の前に】
本来ならばこの口コミはホテルのカテゴリーで口コミを登録したいのだが、現在長期間にわたりシステムのメンテナ... 続きを読むス中なのか、施設の登録が出来ない状態が3か月以上続いている。
女性の一人旅で宿泊できる宿情報は島旅をする上では比較的重要な部類に入ると考える。
故に今回は、宿の直ぐ傍の施設(黒木御所から一番近い宿が竹並旅館)の名前での情報提供とさせてもらう。
いずれ、システムが復旧次第、宿泊施設としてリライトする予定だ。
【ここからが本題】
2016年9月の西ノ島でお世話になったのは、別府港から歩いて5分、黒木御所からも歩いて5分の竹並旅館さん。
竹並旅館さんを選んだ理由は、レンタサイクルの基地である別府港の観光案内所が近いというのが一番のポイントだが、2番目のポイントが女性の一人旅・お断り!ではない点。
日本の旅館の場合、なぜか女性の一人旅というと断られる場合が多いのだが、竹並旅館さんは、そんなことはなくサラリと予約を入れることが出来た。
此処は旅館と名がつくものの、おばあちゃんがメインで経営している民宿風旅館。
広い和室に昔ながらの鏡台、蚊取り線香に目覚まし時計…。
床の間に置いてあった週刊誌もレトロ風なのか数か月前に発売された雑誌。
なんだか田舎のおばあちゃんの家の空き部屋に泊まりに来たかの様なお宿だった。
建屋の中も純和風の造りで、部屋に扉は無く、基本は引き戸の襖仕様。
お手洗いも洋式ではなく和式だったし、お風呂の浴槽も昔懐かしいステンレス製で昭和に戻った様な懐かさ。
建屋の屋根の上には島根県特産の赤茶色の石州瓦。
石州瓦は凍てに強く撥水性も高い優れものだが、最近では軽量瓦に押されて使う家も減ってきているというが、離島ではまだ現役バリバリで使われていた。
黒い瓦を見慣れていると、明るい発色の石州瓦や鬼瓦に鬼の代わりに大黒様の笑顔が飾られているのはちょっと不思議な感じだったが、瓦の色が明るいと建物全体が明るく見える。
そんな竹並旅館の宿泊金額は他の宿泊施設に比べて良心的で、1泊2食で8000円。
ただ、注意してほしいのは、タオル等のアメニティはないという事。
タオルは言えば貸してくれるそうだが、おばあちゃんの洗濯の負担を減らすためにも、基本は持参する方が良いのではないかな。
(浴衣と使い捨て歯ブラシはあり)
室内は清掃してあるが、小さな虫の死骸が窓辺に転がっていた。
でも、コレは自然が豊かな島だから当然のこと。
都会の様に夜になっても網戸に虫がつかない生活の方が明らかにおかしい。
風通しの良い部屋だったが、エアコンは各部屋についていた。
私が宿泊した9月初旬は、夜に寝る時には網戸にすれば涼しい海風が入ってきて気持ちが良かった。
島の宿泊は1泊2食で1万円を超える民宿やペンションが多い中で、竹並旅館のコスパの良さは群を抜いているかも。
ただし、老夫婦のお宅なので、何事もユックリ。
のんびりとした島旅を楽しみたい方に向いている宿だと思う。
旅館でのお楽しみの夕食は…というと、これも島の魚介類が盛りだくさんで、1日目には鯛の塩焼きとサザエのつぼ焼き、二日目にはヒラマサとサザエのお刺身と煮魚がついて、更におばあちゃんお手製の煮物やおしんこ達。
勿論、食後には季節のフルーツも付いていた。
閉じる投稿日:2017/01/09
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【真実はどっち?】村に残る口承と歴史書に残る記録
- 3.0
- 旅行時期:2016/09(約9年前)
- 6
【この場所の口コミの前に…】
隠岐諸島は貴人の島流し先として有名な島で、鎌倉時代には後鳥羽上皇や後醍醐天皇がこの地に島流... 続きを読むしとなっている。
そのせいかこの二人の人物名が非常に混同されやすく、口コミでもその傾向が見られるようだ。
後鳥羽上皇:承久の乱の親分で隠岐諸島の中ノ島へと流され、京へと帰りたいと念じながら、18年後に島でその生涯を閉じた。
後醍醐天皇:鎌倉幕府の討幕を企画したが失敗し隠岐諸島の西ノ島へと流刑になった。しかし、女装コスプレ作戦により島を脱出し、結果としては鎌倉幕府滅亡のトリガーを引いた人物となる。
【此処から本題の黒木御所跡についての口コミ】
黒木御所は鎌倉時代の末期に後醍醐天皇が西ノ島に島流しとなり、1年間の幽閉生活を送った場所だ。
行き方は別府港から徒歩5分(ゆっくりならば10分)で、湾沿いの1本道なので迷う事はない。
入口には資料館:碧風館があるが、私が16時頃に訪れた時は電気も消えていて中に入ることはできなかった。
現在の黒木御所跡は記念の石碑があり、その脇には黒木神社が建立されている。
黒木御所跡の高台からは隠岐のカルデラ湾の海が見え、700年前と変わらぬ風景が出迎えてくれる。
後醍醐天皇が流されたとする場所だが、実は黒木御所跡以外にも別の説がある。
それは、隠岐の島の国分寺説。
西ノ島の黒木御所の話は文書としての記録には残っていなく、現存する当時の文書は隠岐の島説を示唆している。
文書に残っている地名の方が島流し先として説得力がある様に思えるが、実はこれらの文書は後醍醐天皇の脱出の約30年後に伝聞を記した書物であることから、当時の筆者の聞き間違い、勘違いの可能性が高いとされている。
それゆえ、現在有力視されているのは西ノ島の黒木御所説だ。
閉じる投稿日:2016/10/30
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階段長い
- 4.5
- 旅行時期:2015/12(約10年前)
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後醍醐天皇の御所跡
- 5.0
- 旅行時期:2015/09(約10年前)
- 1
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別府港から徒歩10数分なのでフェリー待ち時間中に行ってみるのも良!
- 2.0
- 旅行時期:2014/07(約11年前)
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後醍醐天皇が住まわれたと言われています
- 3.5
- 旅行時期:2012/07(約13年前)
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1件目~16件目を表示(全16件中)
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