【真実はどっち?】村に残る口承と歴史書に残る記録
- 3.0
- 旅行時期:2016/09(約9年前)
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by ウェンディさん(女性)
隠岐諸島 クチコミ:25件
【この場所の口コミの前に…】
隠岐諸島は貴人の島流し先として有名な島で、鎌倉時代には後鳥羽上皇や後醍醐天皇がこの地に島流しとなっている。
そのせいかこの二人の人物名が非常に混同されやすく、口コミでもその傾向が見られるようだ。
後鳥羽上皇:承久の乱の親分で隠岐諸島の中ノ島へと流され、京へと帰りたいと念じながら、18年後に島でその生涯を閉じた。
後醍醐天皇:鎌倉幕府の討幕を企画したが失敗し隠岐諸島の西ノ島へと流刑になった。しかし、女装コスプレ作戦により島を脱出し、結果としては鎌倉幕府滅亡のトリガーを引いた人物となる。
【此処から本題の黒木御所跡についての口コミ】
黒木御所は鎌倉時代の末期に後醍醐天皇が西ノ島に島流しとなり、1年間の幽閉生活を送った場所だ。
行き方は別府港から徒歩5分(ゆっくりならば10分)で、湾沿いの1本道なので迷う事はない。
入口には資料館:碧風館があるが、私が16時頃に訪れた時は電気も消えていて中に入ることはできなかった。
現在の黒木御所跡は記念の石碑があり、その脇には黒木神社が建立されている。
黒木御所跡の高台からは隠岐のカルデラ湾の海が見え、700年前と変わらぬ風景が出迎えてくれる。
後醍醐天皇が流されたとする場所だが、実は黒木御所跡以外にも別の説がある。
それは、隠岐の島の国分寺説。
西ノ島の黒木御所の話は文書としての記録には残っていなく、現存する当時の文書は隠岐の島説を示唆している。
文書に残っている地名の方が島流し先として説得力がある様に思えるが、実はこれらの文書は後醍醐天皇の脱出の約30年後に伝聞を記した書物であることから、当時の筆者の聞き間違い、勘違いの可能性が高いとされている。
それゆえ、現在有力視されているのは西ノ島の黒木御所説だ。
- 施設の満足度
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3.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 別府港からゆっくり歩いても10分
クチコミ投稿日:2016/10/30
いいね!:6票
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