玉木文之進旧宅
名所・史跡
3.34
玉木文之進旧宅 クチコミ・アクセス・周辺情報
萩 観光 満足度ランキング 36位
松陰の叔父で、松下村塾を創めました。松陰の師にあたり、乃木希典はこの家から明倫館に通いました。 【その他】●周辺観光施設●松陰神社、松下村塾、伊藤博文別邸、伊藤博文旧宅、東光寺など
ピックアップ クチコミ
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満足度の高いクチコミ
松下村塾発祥の地です
4.0
- 旅行時期 2024/10
- by ぷーちゃんさん
松陰神社と東光寺の中間にある住宅地にあります。玉木文之進は吉田松陰の叔父です。付近の児童を集めて、住まいで教授していました... 続きを読む。松下村塾と名付けました。吉田松陰は幼少期に兄と共にここで学びました。玉木文之進の旧宅として公開される前は、人手に渡った住宅は民家で畳敷きになっていたそうです。玉木文之進は下級武士だったので、板の間の家で、吉田松陰は板の間で勉強していたと、スタッフが教えてくれました。 閉じる
クチコミ・評判
3.34
(24件のクチコミ)- アクセス:
- 3.41
- 松陰神社前から徒歩10分くらいです。 by きみちゃんです。さん
- 人混みの少なさ:
- 4.03
- 誰も見かけませんでしたが、こういう歴史を作り出した方についても学ぶべきだと思います。 by きみちゃんです。さん
- バリアフリー:
- 2.75
- 前面道路から旧宅には数段の階段を下りて入ります。 by きみちゃんです。さん
- 見ごたえ:
- 3.81
- 質素な旧宅を見ると、当時の生活の厳しさの中で立派な教育者として生きられたんだなと感じます。 by きみちゃんです。さん
1~20件(全24件中)
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萩藩の教育を担った自己に厳しいい教育者、玉木文之進の旧宅です。
- 3.5
- 旅行時期:2022/11(約3年前)
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質素で清廉な教育者らしい家だと思いました
- 2.0
- 旅行時期:2022/10(約3年前)
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幼い吉田松陰にも厳しく指導したという話を聞いたことがあるので訪問しました。
- 3.5
- 旅行時期:2022/08(約3年前)
- 0
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ここが松下村塾発祥の地
- 3.0
- 旅行時期:2022/01(約4年前)
- 0
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ずいぶんと小さな家でした。
- 4.0
- 旅行時期:2021/05(約5年前)
- 0
伊藤博文旧宅・別邸から東光寺方面に進んだところに玉木文之進旧宅がありました。文之進は松陰の叔父で、玉木家に養子に入り家督を... 続きを読む継いでいます。玉木家は大組(藩主直参藩士)に属し、40石取りです。その割?には、ずいぶんと小さな家で、約12.5坪(41.76㎡)しかありません。ここの前に、中間の伊藤博文旧宅を訪れましたので、身分と家の大きさがまったく一致しないので大混乱です。その小さな家に私塾「松下村塾」を作ったのですね。松本村の私塾だから松下村塾としたのだそうです。藩の仕事では各地の宰判所の代官や郡奉行を歴任しています。引退後はまた松下村塾を主宰しています。子息・彦介にも厳しく教育した様で、世子毛利元徳の近侍を務めましたが、後に奇兵隊に入りますが、「大田絵堂の戦い」で負傷し自刃しています。そこで養嗣子として乃木希典の実弟の正誼を迎え、松陰の兄・杉民治の長女を嫁とします。平和な時は短く、正誼は前原一誠の起こした「萩の乱」に参謀として参戦して戦死、また、この乱に松下村塾などの門弟が多く参加したことから、教育者としての責任を取るとして自刃しています。享年66歳です。 閉じる
投稿日:2021/08/02
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学識豊かな人だったのですね 。
- 4.0
- 旅行時期:2021/05(約5年前)
- 0
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発祥の
- 3.5
- 旅行時期:2021/03(約5年前)
- 0
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広義の松下村塾はここから始まりました
- 4.5
- 旅行時期:2020/12(約5年前)
- 0
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無料で見学できます
- 3.5
- 旅行時期:2020/09(約5年前)
- 0
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説明を読むと吉田松陰の叔父にあたる玉木文之進というかたのお住まいだったとのこと。
- 4.5
- 旅行時期:2019/11(約6年前)
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松陰が学んだ部屋
- 4.0
- 旅行時期:2019/10(約6年前)
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吉田松陰のお墓の前の急坂の麓
- 3.0
- 旅行時期:2018/06(約8年前)
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松下村塾生になれる?
- 3.5
- 旅行時期:2017/04(約9年前)
- 0
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玉木旧宅で文之進さんの使命感を感じた
- 4.0
- 旅行時期:2016/08(約9年前)
- 9
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松下村塾のルーツと言われる場所
- 4.0
- 旅行時期:2016/08(約9年前)
- 1
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癒される旅をしましょうね
- 3.5
- 旅行時期:2016/05(約10年前)
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幼い吉田松陰にスパルタ教育
- 3.0
- 旅行時期:2014/11(約11年前)
- 0
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松陰の叔父の松下村塾発祥の家
- 4.0
- 旅行時期:2014/07(約11年前)
- 0
松陰神社から徒歩10分ほど。
松陰神社の境内を出て、左の方に曲がり山の方に昇って行き、松陰のお墓への分岐点にあります。
... 続きを読む
木造平屋の茅葺屋根の家です。
玉木文之進旧宅というより、「松下村塾発祥の所」という石碑の方が目立つかもしれません。
私が訪れた時は、中に入れず外観のみでした。8畳の座敷を含む3部屋程あるそうです。
玉木文之進は吉田松陰の叔父にあたり松下村塾の創始者です。藩政に復帰し多忙になったため、松陰が引き継ぐこととなります。
文之進の教育方針はかなりスパルタで、松陰も殴られることも多く、厳しかったとのことです。
松陰亡き後、再び松下村塾を開きますが、門下生が後に萩の乱を起こし処罰されたことで、文之進自身も責任をとり、自刃したそうです。 閉じる投稿日:2015/11/16
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吉田松陰先生萩ゆかりの地巡り 松下村塾発祥地 玉木文之進旧宅
- 5.0
- 旅行時期:2012/11(約13年前)
- 0
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玉木文之進旧宅は松下村塾エピソード・ゼロなのか
- 3.0
- 旅行時期:2012/10(約13年前)
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松下村塾の創始者は誰かと聞かれて、私はてっきり吉田松陰だと思っていた。
確かに、松蔭神社の中にある松下村塾の創始者は吉田... 続きを読む松陰と言っても、間違いはないのですが、松下村塾が産声をあげたのは天保十三年というから、西暦で言うところの一八四十二年、場所は吉田松陰誕生地に上がる道と松蔭神社から吉田松陰誕生地に向けて上がる道との交差点にあり、松蔭の叔父である玉木文之進が開いた私塾だったとのことである。
現に今も残る玉木文之進旧宅には同時に「松下村塾発祥之地」の碑がある。
この松下村塾は、玉木が公務に忙しくなった後、松蔭の外叔父である、久保五郎左衛門に引き継がれ(「久保塾」とも呼ばれる)、当時は寺子屋のような私塾となった。
それが後に、吉田松陰へと受け継がれて、居を現在の松蔭神社付近に移したのである。
松下村塾の凄いところは、発祥時から地元の人材に講義をし、人を育てたところにある。
日本の名だたる私塾は多くあれど、ほとんどは全国から秀才や逸材が集まってその塾が形成され名を挙げていった。
しかし、松下村塾は一貫して地元からの人材を短期間で鍛え上げ、明治維新の要人を配した、画期的な私塾であったと言えよう。 閉じる投稿日:2014/12/21
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