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玉木文之進旧宅

名所・史跡

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玉木文之進旧宅 https://4travel.jp/dm_shisetsu/10008297

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施設情報

松陰の叔父で、松下村塾を創めました。 松陰の師にあたり、乃木希典はこの家から明倫館に通いました。 ●周辺観光施設● 松陰神社、松下村塾、伊藤博文別邸、伊藤博文旧宅、東光寺など

施設名
玉木文之進旧宅
住所
  • 山口県萩市大字椿東1584-1
電話番号
0838-25-3139
アクセス
東萩駅 徒歩 25分
中国自動車道美祢東JCT 車 20分 → 小郡萩道路絵堂ICから車20分
(JCTと直結の小郡萩道路利用で萩市街地へ)
→ 松陰神社駐車場から徒歩5~10分
まぁーるバス(東回り) 徒歩 5分
その他
文化財 都道府県指定史跡 指定年: 1964 3月
時代 江戸時代
https://www.city.hagi.lg.jp/soshiki/5/h9210.html
公式ページ
詳細情報
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 名所・史跡

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

クチコミ(24件)

萩 観光 満足度ランキング 40位
3.33
アクセス:
3.42
松陰神社前から徒歩10分くらいです。 by きみちゃんです。さん
人混みの少なさ:
4.03
誰も見かけませんでしたが、こういう歴史を作り出した方についても学ぶべきだと思います。 by きみちゃんです。さん
バリアフリー:
2.75
前面道路から旧宅には数段の階段を下りて入ります。 by きみちゃんです。さん
見ごたえ:
3.81
質素な旧宅を見ると、当時の生活の厳しさの中で立派な教育者として生きられたんだなと感じます。 by きみちゃんです。さん
  • 松陰神社の境内の南側の道を10分ほど歩いて行くと玉木文之進の旧宅があります。「松下村塾発祥之所」という石碑があるとおり松下...  続きを読む村塾の創始者です。旧宅は畳部屋が2室と板の間に台所があるだけの質素なものです。吉田松陰が顔を蚊に噛まれ顔を掻いたときに殴ったという逸話のある厳しい先生だったようです。
    明治9年に起こった萩の乱の首謀者が門下生だったことを恥じ、自分の教育の非を感じて自害した人物です。現在の感覚では理解できないような気もしますが、全てにわたって自己を厳しく律した人物であったようです。  閉じる

    投稿日:2022/11/23

  • 松下村塾発祥の地

    • 3.5
    • 旅行時期:2022/10(約2年前)
    • 0

    松陰神社の東側、東光寺との間の住宅街のなかにあります。この家の主だった玉木文之進は吉田松陰の叔父にあたり、天保年間にこの邸...  続きを読む宅にて子供たちを集めた私塾を始めました。それが松下村塾の起こりとなったため、ここが松下村塾の発祥の地とされていて碑も立っていました。
    建物自体も江戸時代の後期のものであり、いくつかの部屋があって見ごたえがありました。ありがたいことに無料で見学することができました。松陰神社とセットでまわるといいところです。  閉じる

    投稿日:2022/12/03

  • 質素で清廉な教育者らしい家だと思いました

    • 2.0
    • 旅行時期:2022/10(約2年前)
    • 0

    山口の萩に観光旅行で行った時に、市内を歴史散策している途中で、石碑が立てられている家があったので立ち寄ってみました。吉田松...  続きを読む陰の叔父、玉木文之進の旧宅でした。茅葺屋根と瓦屋根の小さな建物で、質素で清廉な教育者らしい家だと思いました。  閉じる

    投稿日:2022/11/19

  • 吉田松陰の叔父にあたり、松下村塾の創始者です。萩藩士杉家に生まれ、11歳のときに叔父の玉木家を継いだので玉木文之進になりま...  続きを読むす。自宅で近所の子供ために私塾を開いたのが松下村塾の起源になります。松陰もここで学びました。玉木文之進は非常に厳格で実直な人だったようです。建物は木造茅葺き平屋建てで、8畳、4畳の畳部屋のほかに4畳半の板間、3畳半の玄関と台所(土間)があり、ます。  閉じる

    投稿日:2022/09/23

  • ここが松下村塾発祥の地

    • 3.0
    • 旅行時期:2022/01(約2年前)
    • 0

     吉田松陰誕生の地を見学した後、200メートルほどの距離にある松下村塾発祥の地である玉木文之進旧宅を訪れました。ここが歴史...  続きを読むを大きく動かすルーツかと思う一方、松陰神社内の松下村塾と同様にあまりの小ささに少々驚きます。今回は、吉田松陰誕生の地近くの大きな駐車場に車を停めてここまで歩いて来たのですが、かなりの坂道となっているため、足腰の悪い方は注意が必要です。
      閉じる

    投稿日:2022/01/20

  • ずいぶんと小さな家でした。

    • 4.0
    • 旅行時期:2021/05(約3年前)
    • 0

    伊藤博文旧宅・別邸から東光寺方面に進んだところに玉木文之進旧宅がありました。文之進は松陰の叔父で、玉木家に養子に入り家督を...  続きを読む継いでいます。玉木家は大組(藩主直参藩士)に属し、40石取りです。その割?には、ずいぶんと小さな家で、約12.5坪(41.76㎡)しかありません。ここの前に、中間の伊藤博文旧宅を訪れましたので、身分と家の大きさがまったく一致しないので大混乱です。その小さな家に私塾「松下村塾」を作ったのですね。松本村の私塾だから松下村塾としたのだそうです。藩の仕事では各地の宰判所の代官や郡奉行を歴任しています。引退後はまた松下村塾を主宰しています。子息・彦介にも厳しく教育した様で、世子毛利元徳の近侍を務めましたが、後に奇兵隊に入りますが、「大田絵堂の戦い」で負傷し自刃しています。そこで養嗣子として乃木希典の実弟の正誼を迎え、松陰の兄・杉民治の長女を嫁とします。平和な時は短く、正誼は前原一誠の起こした「萩の乱」に参謀として参戦して戦死、また、この乱に松下村塾などの門弟が多く参加したことから、教育者としての責任を取るとして自刃しています。享年66歳です。   閉じる

    投稿日:2021/08/02

  • 学識豊かな人だったのですね 。

    • 4.0
    • 旅行時期:2021/05(約3年前)
    • 0

    松陰神社入口から東光寺へ通じる小径の途中に、玉木文之進旧宅がありました。入口横に「松下村塾発祥之所」と刻んだ石碑が立ってい...  続きを読むました。小振りな家です。玉木文之進は松陰の叔父さんで、1842年(天保13年)に松下村塾を創設して、近隣の子供たちを教えたそうです。私塾を作ろうと思うほどに学識豊かだったのでしょうね。少年期の吉田松陰を相当厳しく教育したことでも知られています。   閉じる

    投稿日:2021/06/22

  • 発祥の

    • 3.5
    • 旅行時期:2021/03(約3年前)
    • 0

    萩の松下村塾から少し行ったあたりにあります。松下村塾の創立者で、吉田松陰の叔父の家だそうです。なので、松下村塾発祥の地とい...  続きを読むう石碑や案内などもありました。萩の乱の際、責任を取って自刃したという方です。家は木造で茅葺の屋根、畳のお部屋と土間などの落ち追加感じの雰囲気でした。  閉じる

    投稿日:2021/05/15

  • 広義の松下村塾はここから始まりました

    • 4.5
    • 旅行時期:2020/12(約3年前)
    • 0

    吉田松陰先生が開いた松下村塾は誰もがご存知だと思いますが、実は最初に創立された方は叔父にあたるこの方とのことで、現在も松陰...  続きを読む神社と東光寺の間に続く住宅地の片隅に、旧家がひっそりと残されています。松陰神社内の本家の松下村塾に関しては、平時は外から眺めるだけとなっていますが、こちらに関しては内部に入って見学も可能(無料)ですので、松下村塾の歴史を肌で感じたい方は、是非中の様子もじっくりとご覧になってみて下さい。  閉じる

    投稿日:2021/01/26

  • 無料で見学できます

    • 3.5
    • 旅行時期:2020/09(約4年前)
    • 0

    吉田松陰の叔父の玉木文之進は松下村塾の創立者にあたる方だそうで、松下村塾発祥の地とも言えるお宅が、無料で見学できるようにな...  続きを読むっています。今回はかけ足での訪問だったので外から中をのぞきこむだけにしておきましたが、きれいに保たれていて、今も大切にされていることが感じられました。  閉じる

    投稿日:2020/09/22

  • 萩を観光した際に、松陰神社・松下村塾の見学を終えて東光寺方面に向かって歩きていく道すがら、こちらの古い民家が目に入りました...  続きを読む。説明を読むと吉田松陰の叔父にあたる玉木文之進というかたのお住まいだったとのこと。松下村塾のスタートはこの質素な茅葺の建物であったとの説明もあり、感慨深く感じました。  閉じる

    投稿日:2020/03/14

  • 松陰が学んだ部屋

    • 4.0
    • 旅行時期:2019/10(約5年前)
    • 0

    吉田松陰の叔父にあたる人の自宅で松下村塾を始めた人。それほど大きくない家屋。
    南側の和室で松陰が実際に学んだとボランティ...  続きを読むアの方から伺いました。近年まで借家として使用され、その後に観光のために公開されボランティアの方々がお手入れをされています。いろいろお話も聞けるので有意義な時間でした。
      閉じる

    投稿日:2019/10/29

  • 吉田松陰のお墓の前の急坂の麓

    • 3.0
    • 旅行時期:2018/06(約6年前)
    • 0

    萩の松陰神社・松下村塾を訪れた後に伊藤博文旧宅・別邸に立ち寄り、吉田松陰のお墓と生誕の地に向かいました。その途中にこの玉木...  続きを読む文之進旧宅があります。玉木文之進は吉田松陰の叔父さんだそうです。質素な建物でした。ここから急な坂を登っていくと、吉田松陰のお墓と生誕の地があります。  閉じる

    投稿日:2018/06/28

  • 松下村塾生になれる?

    • 3.5
    • 旅行時期:2017/04(約7年前)
    • 0

    松陰の叔父の旧宅です
    無料で上がれます
    松下村塾の設立者でかなりスパルタだったそう(詳しくはガイドの話や司馬遼太郎の本...  続きを読むなど読むといいかも)

    玉木文之進の絵や年表があります
    ボランティアスタッフの方が説明してくれます
    自分達は時間なかったので簡単に説明聞いただけですが、しっかり聞くのをオススメします

    ここで松下村塾をしていたという部屋に案内してもらい、松下村塾の塾生ですと書かれたパネルをもって記念撮影しました
    沖縄からこられたかたが写真を撮って、それを見た方が写真とりたくてきたそうです  閉じる

    投稿日:2017/07/04

  • 玉木旧宅で文之進さんの使命感を感じた

    • 4.0
    • 旅行時期:2016/08(約8年前)
    • 9

    玉木旧宅は、松陰神社からも比較的近く、車を数台置ける駐車場もあった。場所は直ぐにわかった。NPOボランティアの方が説明をし...  続きを読むてくださり、文之進さんが学問を教えていた部屋も、ここですよと教えてくださった。
    文之進さんというと、どうしても厳格なイメージが先行するが、山鹿流兵学師範として幼くして明倫館の教壇に立ち御前講義まで行った松陰先生を立派に育てなければならないという気持ちの固まりだったようだ。このような話は何度も読んでいるはずだが、現地の方から聞くと、改めて文之進さんの使命感を感じた。
      閉じる

    投稿日:2019/01/26

  • 松下村塾のルーツと言われる場所

    • 4.0
    • 旅行時期:2016/08(約8年前)
    • 1

    玉木文之進旧宅は、吉田松陰が主催した松下村塾のルーツと言われる場所。
    というのも、松下村塾はもともと吉田松陰の叔父である...  続きを読む玉木文之進が開いたもので、松陰も当初はここで学んでいます。松陰が11歳の時、藩主毛利敬親い講義ができるまでになったのも、玉木文之進の厳しい指導があったからこそ。松陰が藩校明倫館の助教授となった時も後見人となっています。
    建物は藁ぶきで、保存状態は良好。清貧な雰囲気が残っていて、背筋が伸びるような気持ちになりました。管理人の叔母さんがいて、付近の松陰ゆかりの地を詳しく教えてくれました。ありがとうございました。  閉じる

    投稿日:2016/09/28

  • 癒される旅をしましょうね

    • 3.5
    • 旅行時期:2016/05(約8年前)
    • 0

    今回は「維新のふるさと」とも言われている憧れの城下町を散策する旅行です。吉田松陰の叔父の玉木文之進この家で私塾を開いたのが...  続きを読む松下村塾の始まりで、木造茅葺きの平屋建てで伊藤博文の生家に比べたら保存状態も良いように感じました。旧宅内を見学できますのでご覧なってくださいね。場所は松陰神社から東光寺へ向かう途中にあります。見どころ多い萩の街素晴らしいわ。  閉じる

    投稿日:2018/10/27

  • 幼い吉田松陰にスパルタ教育

    • 3.0
    • 旅行時期:2014/11(約9年前)
    • 0

    松下村塾などがある松陰神社から東向きに坂道を上っていくと、左手に松下村塾の創立者玉木文之進の旧宅がありました。わらぶき屋根...  続きを読むの古い建物です。玉木は吉田松陰の叔父で1842年に松下村塾を開くと、周辺の多くの子弟に教育を施しました。藩の教授方になることが約束されていた松蔭に対しては徹底したスパルタ教育を行ったようです。エピソードを読むとかなり異常なことも多く、松蔭の極端な発想って、もしかして玉木から受け継いだものかしら。  閉じる

    投稿日:2014/12/24

  • 松陰の叔父の松下村塾発祥の家

    • 4.0
    • 旅行時期:2014/07(約10年前)
    • 0

    松陰神社から徒歩10分ほど。
    松陰神社の境内を出て、左の方に曲がり山の方に昇って行き、松陰のお墓への分岐点にあります。
    ...  続きを読む

    木造平屋の茅葺屋根の家です。
    玉木文之進旧宅というより、「松下村塾発祥の所」という石碑の方が目立つかもしれません。
    私が訪れた時は、中に入れず外観のみでした。8畳の座敷を含む3部屋程あるそうです。

    玉木文之進は吉田松陰の叔父にあたり松下村塾の創始者です。藩政に復帰し多忙になったため、松陰が引き継ぐこととなります。
    文之進の教育方針はかなりスパルタで、松陰も殴られることも多く、厳しかったとのことです。

    松陰亡き後、再び松下村塾を開きますが、門下生が後に萩の乱を起こし処罰されたことで、文之進自身も責任をとり、自刃したそうです。  閉じる

    投稿日:2015/11/16

  • 吉田松陰先生萩ゆかりの地巡りにやってきました。

    松陰神社南側の狭い道路をしばらく東進すると、玉木文之進旧宅があります...  続きを読む

    文之進は松陰先生の父、杉百合之助の弟で松陰先生の叔父に当たります。玉木家を継いだのですが、松陰先生を鍛え上げた人です。

    松陰先生で有名な松下村塾。発端は文之進が近くの子供を集めて私塾を開いたことによるもので、ここが「松下村塾発祥の地」と言えます。  閉じる

    投稿日:2014/12/09

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