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玉木文之進旧宅 施設情報・クチコミに戻る

ずいぶんと小さな家でした。

  • 4.0
  • 旅行時期:2021/05(約3年前)
旅好者さん

by 旅好者さん(男性)

萩 クチコミ:322件

伊藤博文旧宅・別邸から東光寺方面に進んだところに玉木文之進旧宅がありました。文之進は松陰の叔父で、玉木家に養子に入り家督を継いでいます。玉木家は大組(藩主直参藩士)に属し、40石取りです。その割?には、ずいぶんと小さな家で、約12.5坪(41.76㎡)しかありません。ここの前に、中間の伊藤博文旧宅を訪れましたので、身分と家の大きさがまったく一致しないので大混乱です。その小さな家に私塾「松下村塾」を作ったのですね。松本村の私塾だから松下村塾としたのだそうです。藩の仕事では各地の宰判所の代官や郡奉行を歴任しています。引退後はまた松下村塾を主宰しています。子息・彦介にも厳しく教育した様で、世子毛利元徳の近侍を務めましたが、後に奇兵隊に入りますが、「大田絵堂の戦い」で負傷し自刃しています。そこで養嗣子として乃木希典の実弟の正誼を迎え、松陰の兄・杉民治の長女を嫁とします。平和な時は短く、正誼は前原一誠の起こした「萩の乱」に参謀として参戦して戦死、また、この乱に松下村塾などの門弟が多く参加したことから、教育者としての責任を取るとして自刃しています。享年66歳です。

施設の満足度

4.0

利用した際の同行者:
友人
アクセス:
3.0
人混みの少なさ:
5.0
見ごたえ:
4.0

クチコミ投稿日:2021/08/02

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