山口旅行記(ブログ) 一覧に戻る
萩の街をレンタサイクルで巡る。その後、角島大橋、下関、門司港を観光。
  • 萩 明倫学舎。萩藩校明倫学館の跡地に明倫小学校が建てられ、平成26年(2014年)3月まで授業が行われていたという。

    萩 明倫学舎。萩藩校明倫学館の跡地に明倫小学校が建てられ、平成26年(2014年)3月まで授業が行われていたという。

    萩・明倫学舎 美術館・博物館

  • 復元教室。

    復元教室。

  • 松下村塾での講義の様子を紹介したアニメーション映像。

    松下村塾での講義の様子を紹介したアニメーション映像。

  • 江戸時代の手回し式扇風機。うちわを扇風機の羽根にした発想が面白い。

    江戸時代の手回し式扇風機。うちわを扇風機の羽根にした発想が面白い。

  • 萩博物館。

    萩博物館。

    萩博物館 美術館・博物館

  • 毛利家当主を描いた掛け軸。

    毛利家当主を描いた掛け軸。

  • 博物館内の高杉晋作資料室。

    博物館内の高杉晋作資料室。

  • やまざき屋でかき氷をいただく。夏みかんセーキ500円。シャーベット状になっており、氷の上からシロップをかけるのではなく、シロップが氷全体になじんでいた。

    やまざき屋でかき氷をいただく。夏みかんセーキ500円。シャーベット状になっており、氷の上からシロップをかけるのではなく、シロップが氷全体になじんでいた。

    やまざき屋 グルメ・レストラン

  • 松蔭神社。伊藤博文らの尽力により明治40年(1907年)に創建。現社殿は昭和30年(1955年)に竣功したもの。旧社殿は松下村塾の南隣にあったものを現社殿の北隣に移築し、松門神社として吉田松陰の塾生、門下生らを祀っている。

    松蔭神社。伊藤博文らの尽力により明治40年(1907年)に創建。現社殿は昭和30年(1955年)に竣功したもの。旧社殿は松下村塾の南隣にあったものを現社殿の北隣に移築し、松門神社として吉田松陰の塾生、門下生らを祀っている。

    松陰神社 寺・神社・教会

  • 松蔭神社境内にある松下村塾。安政4年(1857年)、吉田松陰の実家である杉家(松蔭は吉田家の養子となり家督を継いでいる)の宅地内にあった小屋を改造して8畳の塾舎とし、更に翌年に10畳半を増築。移築ではなく、当時からここに建っていた。松下村塾で吉田松陰が教育を行ったのはわずか1年だけ(安政5年に彼の思想が長州藩に危険視され投獄、安政6年に老中暗殺計画を自ら告白したこともあり死刑)。すぐ近くには吉田松陰が幽囚されたこともある杉家の旧宅も残されている。

    松蔭神社境内にある松下村塾。安政4年(1857年)、吉田松陰の実家である杉家(松蔭は吉田家の養子となり家督を継いでいる)の宅地内にあった小屋を改造して8畳の塾舎とし、更に翌年に10畳半を増築。移築ではなく、当時からここに建っていた。松下村塾で吉田松陰が教育を行ったのはわずか1年だけ(安政5年に彼の思想が長州藩に危険視され投獄、安政6年に老中暗殺計画を自ら告白したこともあり死刑)。すぐ近くには吉田松陰が幽囚されたこともある杉家の旧宅も残されている。

  • 萩城跡指月公園。左奥にある石垣が天守台。

    萩城跡指月公園。左奥にある石垣が天守台。

    萩城跡指月公園 名所・史跡

  • 旧厚狭毛利家萩屋敷長屋に展示されていた萩城の模型と天守の写真。

    旧厚狭毛利家萩屋敷長屋に展示されていた萩城の模型と天守の写真。

  • 萩市文化財施設1日券(310円)を購入し、文化財巡り。<br />旧厚狭毛利家萩屋敷長屋。毛利氏の分家、厚狭毛利家の萩屋敷。広大な敷地だったが、明治維新後に主屋等は解体。安政3年(1856年)に建てられた長屋のみが現存。

    萩市文化財施設1日券(310円)を購入し、文化財巡り。
    旧厚狭毛利家萩屋敷長屋。毛利氏の分家、厚狭毛利家の萩屋敷。広大な敷地だったが、明治維新後に主屋等は解体。安政3年(1856年)に建てられた長屋のみが現存。

    旧厚狭毛利家萩屋敷長屋 名所・史跡

  • 口羽家住宅。永代家老に次ぐ家柄の萩藩寄組士いわゆる上級武士の口羽家住宅。

    口羽家住宅。永代家老に次ぐ家柄の萩藩寄組士いわゆる上級武士の口羽家住宅。

    口羽家住宅 名所・史跡

  • 口羽家住宅表門のなまこ壁。

    口羽家住宅表門のなまこ壁。

  • 旧久保田家住宅。久保田家は、初代庄七が江戸時代後期に近江から萩に移って呉服商を開き、2代目の庄次郎から酒造業に転じたと伝えられており、以来明治30年代まで造り酒屋「あらたま酒店」を営業していた。

    旧久保田家住宅。久保田家は、初代庄七が江戸時代後期に近江から萩に移って呉服商を開き、2代目の庄次郎から酒造業に転じたと伝えられており、以来明治30年代まで造り酒屋「あらたま酒店」を営業していた。

    旧久保田家住宅 名所・史跡

  • 旧久保田家内部。

    旧久保田家内部。

  • 菊屋家住宅。ここは萩市文化財施設1日券で650円の見学料が600円に割引。菊屋家は、慶長9年(1604年)毛利輝元の萩入国に従い山口から萩に移り、城下の町づくりに尽力。その後、代々大年寄格に任命され、御用商人として藩を支えてきた豪商。

    菊屋家住宅。ここは萩市文化財施設1日券で650円の見学料が600円に割引。菊屋家は、慶長9年(1604年)毛利輝元の萩入国に従い山口から萩に移り、城下の町づくりに尽力。その後、代々大年寄格に任命され、御用商人として藩を支えてきた豪商。

    菊屋家住宅 名所・史跡

  • 書院から眺める庭園。この日は見れなかったが、年2回公開される回遊式庭園もあるらしい。

    書院から眺める庭園。この日は見れなかったが、年2回公開される回遊式庭園もあるらしい。

  • この柱時計は、明治4年(1871年)に出発した岩倉使節団に同行した伊藤博文からアメリカ土産として菊屋家に贈られたもの。

    この柱時計は、明治4年(1871年)に出発した岩倉使節団に同行した伊藤博文からアメリカ土産として菊屋家に贈られたもの。

  • 菊屋家住宅の西側にある菊屋横町。

    菊屋家住宅の西側にある菊屋横町。

  • 木戸孝允旧宅。実家の和田家旧宅。8歳で桂家の養子となるが、養父母死亡のため、この実家で江戸に出るまでの約20年間を過ごした。33歳の時に藩命により木戸貫治と改名するが、実名は孝允。

    木戸孝允旧宅。実家の和田家旧宅。8歳で桂家の養子となるが、養父母死亡のため、この実家で江戸に出るまでの約20年間を過ごした。33歳の時に藩命により木戸貫治と改名するが、実名は孝允。

    木戸孝允旧宅 名所・史跡

  • 木戸孝允旧宅の室内。

    木戸孝允旧宅の室内。

  • 青木周弼旧宅。青木周弼は幕末期の蘭学者。医学教育に尽力した他、西洋兵学の紹介も行った。

    青木周弼旧宅。青木周弼は幕末期の蘭学者。医学教育に尽力した他、西洋兵学の紹介も行った。

    青木周弼旧宅 名所・史跡

  • 青木周弼旧宅室内。

    青木周弼旧宅室内。

  • 旧田中義一別邸。田中義一は陸軍士官学校、陸軍大学校を卒業後、日清戦争、日露戦争に従軍。陸軍大臣、高橋是清の後の立憲政友会の総裁を経て昭和2年(1927年)4月~昭和4年(1929年)7月まで総理大臣を務めた。

    旧田中義一別邸。田中義一は陸軍士官学校、陸軍大学校を卒業後、日清戦争、日露戦争に従軍。陸軍大臣、高橋是清の後の立憲政友会の総裁を経て昭和2年(1927年)4月~昭和4年(1929年)7月まで総理大臣を務めた。

    田中義一別邸 名所・史跡

  • 田中義一別邸は、江戸時代は毛利筑前の下屋敷、明治には生活に苦しむ士族救済のため、この地で夏みかんの栽培をはじめ、萩の主要産業として育て上げた元萩藩士の小幡隆正が所有していた。小幡の業績を称え、別邸の北側はかんきつ公園として整備されている。また、今でも武家屋敷跡等で夏みかんが栽培されているのを目にすることができる。

    田中義一別邸は、江戸時代は毛利筑前の下屋敷、明治には生活に苦しむ士族救済のため、この地で夏みかんの栽培をはじめ、萩の主要産業として育て上げた元萩藩士の小幡隆正が所有していた。小幡の業績を称え、別邸の北側はかんきつ公園として整備されている。また、今でも武家屋敷跡等で夏みかんが栽培されているのを目にすることができる。

  • 桂太郎旧宅。桂太郎は幕末に藩校明倫館で学び、戊辰戦争では参謀として活躍。維新後は陸軍に入った後、陸軍大臣を務め、さらには現在の拓殖大学を創設。以後3度にわたり総理大臣に就任し、通算在職日数2886日は、安倍晋三の3188日に次いで2番目に長い。<br />現存する旧宅は、少年時代を過ごした地に、明治42年(1909年)に新築されたもの。

    桂太郎旧宅。桂太郎は幕末に藩校明倫館で学び、戊辰戦争では参謀として活躍。維新後は陸軍に入った後、陸軍大臣を務め、さらには現在の拓殖大学を創設。以後3度にわたり総理大臣に就任し、通算在職日数2886日は、安倍晋三の3188日に次いで2番目に長い。
    現存する旧宅は、少年時代を過ごした地に、明治42年(1909年)に新築されたもの。

    桂太郎旧宅 名所・史跡

  • 庭には桂太郎の銅像が建てられている。

    庭には桂太郎の銅像が建てられている。

  • 旧湯川家屋敷。藩政時代の武家屋敷。川の水を庭に引き込んで池を作っている。

    旧湯川家屋敷。藩政時代の武家屋敷。川の水を庭に引き込んで池を作っている。

  • 池の水は建物の下をくぐって台所へ流れ、野菜や茶碗を洗うために利用されて、向こう側にある川へと戻っていく。

    池の水は建物の下をくぐって台所へ流れ、野菜や茶碗を洗うために利用されて、向こう側にある川へと戻っていく。

    旧湯川家屋敷 名所・史跡

  • 外側から見るとこのようになっている。川の右下が台所の水の出口。

    外側から見るとこのようになっている。川の右下が台所の水の出口。

  • 伊藤博文旧宅。もとは伊藤直右衛門の居宅だったところ、安政元年(1854年)、伊藤博文の父、林十蔵が伊藤家の養子となったため一家をあげて伊藤家に入家し、明治元年(1868年)に兵庫県知事に赴任するまで、ここを本拠にしていた。安政4年(1857年)に17歳で松下村塾での教育を受けたが、松下村塾までは数100mの立地。

    伊藤博文旧宅。もとは伊藤直右衛門の居宅だったところ、安政元年(1854年)、伊藤博文の父、林十蔵が伊藤家の養子となったため一家をあげて伊藤家に入家し、明治元年(1868年)に兵庫県知事に赴任するまで、ここを本拠にしていた。安政4年(1857年)に17歳で松下村塾での教育を受けたが、松下村塾までは数100mの立地。

    伊藤博文旧宅 名所・史跡

  • 伊藤博文別邸。明治40年(1907年)に東京府下荏原郡大井村(現:東京都品川区)に建てたものの玄関、大広間、離れ座敷の3棟を移築したもの。伊藤博文旧宅の隣に建てられている。

    伊藤博文別邸。明治40年(1907年)に東京府下荏原郡大井村(現:東京都品川区)に建てたものの玄関、大広間、離れ座敷の3棟を移築したもの。伊藤博文旧宅の隣に建てられている。

    伊藤博文別邸 名所・史跡

  • 伊藤博文別邸。

    伊藤博文別邸。

  • 角島大橋へ。展望台からの眺め。

    角島大橋へ。展望台からの眺め。

    角島大橋 名所・史跡

  • さらに高い場所から。先程上った展望台が左の丘の上に見える。

    さらに高い場所から。先程上った展望台が左の丘の上に見える。

  • 橋のほぼ真正面からズームで撮影。

    橋のほぼ真正面からズームで撮影。

  • 下関の赤間神宮。この近くに壇之浦古戦場がある。壇之浦の合戦で亡くなった安徳天皇を埋葬したといわれる阿弥陀寺がこの地にあり、明治維新時の神仏分離令により阿弥陀寺を廃し天皇社と称せられたのち赤間宮とされ、昭和15年(1940年)に赤間神宮と宣下。昭和20年(1945年)に米軍の下関空襲により焼失。昭和40年(1965年)に復興が完成。竜宮城を模した赤間神宮のシンボル的建築の水天門は昭和32年(1957年)に建立された。

    下関の赤間神宮。この近くに壇之浦古戦場がある。壇之浦の合戦で亡くなった安徳天皇を埋葬したといわれる阿弥陀寺がこの地にあり、明治維新時の神仏分離令により阿弥陀寺を廃し天皇社と称せられたのち赤間宮とされ、昭和15年(1940年)に赤間神宮と宣下。昭和20年(1945年)に米軍の下関空襲により焼失。昭和40年(1965年)に復興が完成。竜宮城を模した赤間神宮のシンボル的建築の水天門は昭和32年(1957年)に建立された。

    赤間神宮 寺・神社・教会

  • 壇之浦の合戦で滅んだ平家一門の墓。

    壇之浦の合戦で滅んだ平家一門の墓。

  • 平家一門の墓のそばにある「耳なし芳一」のお堂。耳なし芳一は阿弥陀寺に住んでいた盲目の琵琶法師で、平家の亡霊の前で夜な夜な弾奏し、最終的には耳と引き換えに亡霊を弔ったという物語が伝わっている。

    平家一門の墓のそばにある「耳なし芳一」のお堂。耳なし芳一は阿弥陀寺に住んでいた盲目の琵琶法師で、平家の亡霊の前で夜な夜な弾奏し、最終的には耳と引き換えに亡霊を弔ったという物語が伝わっている。

  • 赤間神宮の隣にある宮内庁所管の安德天皇 阿彌陀寺陵。

    赤間神宮の隣にある宮内庁所管の安德天皇 阿彌陀寺陵。

    安徳天皇阿弥陀寺御陵 名所・史跡

  • 日清講和記念館。日清戦争の講和会議の舞台となった料亭春帆楼(戦災で焼失も戦後復興)の隣に建てられた記念館。

    日清講和記念館。日清戦争の講和会議の舞台となった料亭春帆楼(戦災で焼失も戦後復興)の隣に建てられた記念館。

    日清講和記念館 美術館・博物館

  • 亀山八幡宮。

    亀山八幡宮。

    亀山八幡宮(山口県下関市) 寺・神社・教会

  • 亀山八幡宮にある、ふく(フグ)の像。

    亀山八幡宮にある、ふく(フグ)の像。

  • 唐戸ターミナル桟橋。どこから流れ着いたのか、大量の木が漂着していた。

    唐戸ターミナル桟橋。どこから流れ着いたのか、大量の木が漂着していた。

  • フェリーで関門海峡を渡り、対岸の門司港へ。

    フェリーで関門海峡を渡り、対岸の門司港へ。

  • 旧門司三井倶楽部。

    旧門司三井倶楽部。

  • 旧大阪商船。

    旧大阪商船。

  • ブルーウィングもじ。歩行者専用の跳ね橋。

    ブルーウィングもじ。歩行者専用の跳ね橋。

  • 左:門司港レトロハイマート、中央:大連友好記念館、右:旧門司税関

    左:門司港レトロハイマート、中央:大連友好記念館、右:旧門司税関

  • 旧門司税関。

    旧門司税関。

    北九州市旧門司税関 名所・史跡

  • 旧門司税関の2階展望室から跳ね橋が跳ね上がるのを見学。

    旧門司税関の2階展望室から跳ね橋が跳ね上がるのを見学。

  • 橋の両側が跳ね上がり、観光船が通っていった。

    橋の両側が跳ね上がり、観光船が通っていった。

  • 門司港駅。

    門司港駅。

2いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

この旅行で行ったスポット

この旅行で行ったグルメ・レストラン

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

この旅行記の地図

拡大する

価格.com旅行・トラベルホテル・旅館を比較

PAGE TOP