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伊藤博文別邸

名所・史跡

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ここから眺める富士山が気に入っていたとか。

  • 4.0
  • 旅行時期:2021/05(約5年前)
旅好者さん

by 旅好者さん(男性)

萩 クチコミ:322件

ここには南側に大きな別邸、北隣に小さな旧宅が並んでいました。この別邸は現在の品川区大井に建てたもので、博文が建てた別邸の中で最後のものです。何でも、ここから眺める富士山が気に入っていたとか。この別邸は引退後に住もうと思っていたのか盛りだくさんで、車寄せを持つ玄関を入ると、中庭を挟んで右に西洋館、左に書院があり、その奥に離れ座敷、台所、風呂及び土蔵という広大な豪邸です。ここには玄関、大広間、離れ座敷を移築したものです。
博文は、1857年(安政4年)に長州藩士・来原良蔵の配下となります。来原家は大組(藩主直参藩士)に属しています。一方、博文の井上家は中間で、士分ではなく武家奉公人と呼ばれる身分です。博文は良蔵の奉公人になったということです。(後述の桂小五郎も大組ですが、かなり上級クラスです)博文は良蔵を生涯、師と仰いでいたといわれています。良蔵は松陰や桂小五郎(後の木戸孝允)らと交流があり、小五郎の妹・治子と結婚しています。博文は良蔵の推薦で、1857年(安政4年)に松下村塾に入ります。松陰の評価は「なかなか周旋家になりそうな」だったそうですね。AさんBさんの間に立って上手く話をまとめる能力に長けているということでしょうか。1863年(文久3年)に長州ファイブの一人として、英国へ藩公認の密航留学しますが、良蔵や孝允の相当強い働きかけで選抜されたのではないかと思います。この後、目覚ましい栄進を続けていくことになりますね。

施設の満足度

4.0

利用した際の同行者:
友人
アクセス:
3.0
人混みの少なさ:
5.0
見ごたえ:
4.0

クチコミ投稿日:2021/08/11

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