讃岐国「丸亀城」を語る上で歴代藩主が三家にわたり、築城や改修に縄張りなども経てようやく現在の形の天守も完成したのが万治3年...
続きを読む、藩主・京極高和になってからです。
丸亀市の南部に位置する標高66mの亀山を利用し、縄張りを四角形で亀山の周りに濠を巡らせた平山城です。
その石垣は緩やかではあるが荒々しい野面積みと端整な算木積みの土台から、頂は垂直に成る様に独特の反りを持たせる扇の勾配など複数の石垣を観れることは有難いこと。
麓から山頂まで4重に重ねられ合わせれば60mにも成り総高は日本一の高い石垣の城に成ります。
頂に建つ三層三階建ての高さ15mの天守は江戸時代のものとさ、現存する天守では最も小規模のものとされてます。
ゆえに荘厳な石垣に対して天守が余りにも不釣り合いな気がするのは諸説あるそうです。
もし、今の倍ほどの天守であれば松山城や高知城にも負けない荘厳な威嚇を持ったことでしょう?。
いずれにせよる”石垣の銘城”として後世に続く丸亀城であってほしいです。
また、丸亀藩として藩政が機能したのも京極高和が初代藩主に成ってから丸亀藩6万石の城下町として幕末まで7代京極朗撤まで続いたそうです。
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投稿日:2022/07/12