安土城跡
名所・史跡
3.60
安土城跡 クチコミ・アクセス・周辺情報
近江八幡・安土 観光 満足度ランキング 3位
標高約200mの安土山山上にあり、400年を経た今も石垣や礎石が往時をしのばせてくれる。 安土城は、織田信長が、天正4年(1576年)から3年有余をかけ完成した五層七重の、わが国最初の天主閣を有する城。本能寺の変で信長が倒れたのち、城下町とともに焼き払われ、天下の名城をわずか3年にして灰燼と化した。 当時は四方を琵琶湖と沼に囲まれていたが、今は大中の湖干拓地として田園が広がり、そう見寺跡から見る西の湖が美しく、わずかに二の丸跡の信長墓所や、秀吉、前田利家などの屋敷跡が戦国の世を語り伝えている。 織田信長(1534年?82年) 尾張に生まれたが、永禄10年岐阜城主となり、10年東奔西走して安土に移る。井の口を岐阜と改称した。本能寺の変に討死。
ピックアップ クチコミ
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満足度の高いクチコミ
「安土城跡」織田信長が最後に築城した場所!見応えあります。
5.0
- 旅行時期 2025/06
- by Yukinoさん
1576年(天正4年)築城 織田信長が3年かけて作った居城跡で、望楼型地上6階地下1階の天主です。 本能寺の変... 続きを読むの後、焼失して石垣だけが残っていると言う事で、登ってみる事にしました。 標高198mの安土山に、400段以上の石段ですから、入口で貸し出しされる杖が無いと、なかなかキツイです。 特に下り(笑) 場所によっては、昔の人は足が長かったの?ってくらい段差の高さが高い!! ただね、石垣や石段しか残っていませんが、当時の信長は本当に権力があったんだなと思わせる立派な作りになっています。 中央の急な階段は、帝(ミカド)が通る階段として整備され、その脇には豊臣秀吉の家や明智光秀のような家臣の家屋跡が配置されています。 わが国最初の本格的な天主の建築は、この安土城が始まりとされ、歴史上に名を残す名城跡だそうです。 軽く過酷ですが、城が無くともまた見に行きたい場所だなと思いました。 当時のままなので、見応えがかなりあります。 閉じる
クチコミ・評判 3ページ目
41~60件(全120件中)
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かなり歩きました
- 4.5
- 旅行時期:2019/01(約7年前)
- 0
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登りがいがあります
- 4.0
- 旅行時期:2018/10(約7年前)
- 1
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石段がきつかった!
- 4.5
- 旅行時期:2018/10(約7年前)
- 4
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ちょっときな臭いものを感じてしまった。
- 3.0
- 旅行時期:2018/09(約7年前)
- 3
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安土城跡は有料
- 1.0
- 旅行時期:2018/09(約7年前)
- 0
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歴史を感じるスポットとして、訪れるべき場所だと思います。
- 5.0
- 旅行時期:2018/08(約7年前)
- 2
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なまじ復元されていないのが素晴らしい
- 5.0
- 旅行時期:2018/04(約8年前)
- 0
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天守閣が無くてもいい眺め
- 4.5
- 旅行時期:2018/04(約8年前)
- 0
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JRとお花見楽しめます
- 4.0
- 旅行時期:2018/03(約8年前)
- 0
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安土城があった山 いろいろ整備中
- 3.0
- 旅行時期:2018/03(約8年前)
- 0
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安土城跡
- 3.5
- 旅行時期:2017/12(約8年前)
- 0
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『野望』を持たずにはいられない絶景 ♪
- 5.0
- 旅行時期:2017/11(約8年前)
- 2
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大きな石垣が残る
- 4.0
- 旅行時期:2017/09(約8年前)
- 1
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安土城のあった場所です
- 4.0
- 旅行時期:2017/08(約8年前)
- 0
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建造物は残っていないが、想像力で往時に思いを馳せたい
- 4.0
- 旅行時期:2017/07(約8年前)
- 2
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石垣が残っています。
- 3.5
- 旅行時期:2017/04(約9年前)
- 0
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信長の館に立ち寄ってから行ったほうがいい
- 3.0
- 旅行時期:2017/02(約9年前)
- 2
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築城主は織田信長です
- 3.5
- 旅行時期:2016/09(約9年前)
- 1
数々の歴史舞台となった「安土城跡」を訪ねました。
安土山の南側の裾野から城の正面になる大手口が一望できます。当時この付近... 続きを読むは沼地で船で琵琶湖へと通じていたそうです。
平成元年から20年かけ特別史跡安土城跡の調査が行われ東虎口、西虎口1と西虎口2、南山裾帯郭の4かがみつかり城の全貌が少しずつ分かってきました。
真夏の照りつける日差しに安土城跡から下山された方々は息を結構きつかったですよと一様に仰っていました。
安土城大手道の右手の高い石垣は平成13年に復元されたものです。大手道は道幅が広く山腹まで180mほどの直線に伸び突き当りを西へ曲がっています。
ジグザグとした石段が続いています。黒金門から二の丸、三の丸、そして本 丸、天守へと続いています。
ようやく天守台の礎石まで来ました。天守台からの眺めは田園風景が広がり長閑な雰囲気の漂う安土の街並みが見えます。
信長は天守に住んでいたので、ここからの眺めは毎日見ていた風景です。但し眼下一面は琵琶湖でした。
同じ風景を見ていたと思うと感慨深いものを感じます。 閉じる投稿日:2016/11/20
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信長の魂を感じられる場所!!
- 5.0
- 旅行時期:2016/08(約9年前)
- 0
金額がどうの駐車料金がどうのグダグダ言ってるやつが多いがそいつらはただの観光客!歴史ファンなら関係ないはず!
真夏に... 続きを読む汗ダクダクでぐずる娘(20と17歳)をなだめながらの登頂。
奥様は入場料を払って3分程上ったところでリタイア!
上ってる最中かなり合理的で無駄を省くはずの信長がなぜ天守まで時間のかかる場所に城を築いたのか疑問を感じたが天守閣跡まで登って景色を眺めた瞬間すべての謎が一気に払拭!!信長の考えが一気に頭の中に入ってきました。
もともと岐阜から京に向かう街道沿いのため交通の便はいうことはありません。
天守までの階段も当時は馬で駆け上ったと言う記述もあるので信長自体は天守まで労せず上ったはずです。
急峻な山の頂上近くに天守が築かれてるのと入り口付近に主要な大名屋敷を配置してるのとそれ自体が城郭の一部になっているので守りも強固
現状からは分かりずらですが当時は琵琶湖が目の前にあったと言うことで海運、即ち今日まで陸路でなく海路(湖ですが)でもいける好立地!
そして琵琶湖周辺の肥沃な土地、信長が奨励した鉄砲鍛冶の国友村と貿易、政治を司る上でこの上ない場所だと感じました!
天守閣まで上って琵琶湖を眺めた瞬間感じたのは琵琶湖周辺の町や京から見えるこの安土城は当時のランドマーク的存在なのではないでしょうか?
確実に信長はそれを意識しています。
存在意義と畏怖を界下に知らしめ天皇の住まう京を見下ろす事で自分が天皇より上の存在ということをアピールしています。
上る途中に石畳に仏がいくつか埋められていて諸事情の理解を求まるよう書かれていましたが、神仏に理解を示さなかったのとそういう存在より自分が上だと思ってた信長としては常に常に神仏を踏み歩くことが当然なのではないでしょうか!?
安土城に訪れて思ったことは今まで数々の城を訪問してますが城郭やその他一部分しか残ってませんがこれ程城主の思考がダイレクトに脳裏に入ってきたのは初めてです。
信長ファンにとってはまさに聖地といった存在ではないでしょうか!? 閉じる投稿日:2016/08/25
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信長の城
- 4.0
- 旅行時期:2016/07(約9年前)
- 2
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