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浅草寺

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浅草寺 クチコミ・アクセス・周辺情報

浅草 観光 満足度ランキング 2位

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都内最古の寺で、本尊は聖観音菩薩です。元は天台宗に属していましたが第二次世界大戦後独立し、聖観音宗の総本山となりました。観音菩薩を本尊とすることから「浅草観音」や「浅草の観音様」の呼び名で、あらゆる階層から広く親しまれ、年間約三千万人もの参詣者が訪れて民衆信仰の中心地となっています。雷門の大提灯、仲見世が江戸情緒を伝えています。浅草名所七福神(大黒天)

ピックアップ クチコミ

  • 満足度の高いクチコミ

    凄い人混み

    4.5

    • 旅行時期 2026/01
    • by Teruさん

    浅草雷門から仲見世通りを抜けて行くと、浅草寺があります。 平日にもかかわらず、凄い人混みでした。 外国人の方も多く...  続きを読む、参拝に来ていました。 御朱印は、お参りを済ませ、左側の階段を下りるとありました。 順番待ちで、番号札で呼ばれました。 外国人の方も御朱印をいただいていました。   閉じる

クチコミ・評判 73ページ目

1441~1460件(全3845件中)

  • 綺麗で立派なお寺です

    • 4.0
    • 旅行時期:2018/01(約8年前)
    • 0

    雷門から仲見世、本堂まではとても人が多く、お土産物を買う人、お参りに来られた方でごった返しています。不慣れな着物を着た外国...  続きを読む人の方も多く、先に進むのは困難です。本堂へのお参りも行列が出来ているので、時間はたっぷりみておかないといけないと思います。  閉じる

    投稿日:2018/05/21

  • 伏見稲荷神社より勧請

    • 3.5
    • 旅行時期:2018/01(約8年前)
    • 0

    被官稲荷神社は浅草寺境内の北東に位置する稲荷神社になります。安政元年(1854年)新門辰五郎という者の妻が病で床に伏した際...  続きを読むに、京都の伏見稲荷に祈願したところ、その効果があって病が全快したそうです。その後安政2年にお礼のために伏見から祭神を勧請して小社を創建したことがご由緒との事です。妻のために京都までお参りに行き、さらには伏見稲荷から祭神を勧請して社を建てるという妻への思いがとても胸を打ちました。小さな稲荷神社ですが、ぜひ訪問してみてください。  閉じる

    投稿日:2018/04/09

  • 悲しい歴史

    • 3.5
    • 旅行時期:2018/01(約8年前)
    • 0

    浅草寺境内の本堂北にある像になります。網格子でおおわれており、きちんとしたお姿がなかなか見にくいのが残念です。こちらの像は...  続きを読む、江戸時代に新吉原にいた「ひで」という女性の12歳になる息子が水難事故で無くなったことで息子の菩提のために造ったそうです。造立は1797年ということで200年以上も昔になるんですね。息子のためだけでなく、水難の被害が今後なくなるようにとの願いが込められているとの事で、「ひで」という女性の優しさや想いが伝わってきました。  閉じる

    投稿日:2018/04/09

  • 実業家

    • 3.0
    • 旅行時期:2018/01(約8年前)
    • 0

    大谷米太郎は大正から昭和にかけて活躍した実業家であり、大谷重工業(現合同製鐵)の創設者でもあります。富山生まれの大谷米太郎...  続きを読むは上京後相撲力士としても一時期活躍していたそうです。大谷米太郎の名前は現在でも見ることができ、赤坂にあるホテルニューオータニは大谷米太郎が建てたホテルとして有名です。どうして浅草寺境内に大谷米太郎の碑があるのか調べてみたところ、浅草寺境内にある宝蔵門を寄進したことがわかりました。このことから浅草寺境内に像があるようですね。なかなか面白い歴史が知れて楽しめました。  閉じる

    投稿日:2018/04/09

  • 市川團十郎

    • 4.0
    • 旅行時期:2018/01(約8年前)
    • 0

    浅草寺本堂の北側には広場がありますが、その一角にこの像はあります。もとは思ったよりも歴史のある像で、1919年に江戸歌舞伎...  続きを読む所縁の地であるここ浅草浅草寺の境内に、名優九代目市川團十郎の歌舞伎十八番「暫」の銅像が作られたのが始まりだそうです。今から100年ほども昔になるのですね。その後太平洋戦争中に金属回収令により像は回収されていましますが、戦後に再建されたそうです。とても大きくて立派な像で見ごたえはとてもありました。本来平和などを願うための場所でありますが、こういった戦争の記憶というものも思い出させてくれる良い機会になりました。  閉じる

    投稿日:2018/04/08

  • 商売繁盛

    • 3.0
    • 旅行時期:2018/01(約8年前)
    • 0

    浅草寺の西側にあるお堂で、名前からしてお金に関係していることがわかります。創建にかんする正確な歴史はわかりませんでしたが、...  続きを読む江戸時代に山口というものが庭先に寛永通宝がたくさん入った壺を掘り当てますが、見つけたお金は地中に埋め、地道に働いで財を成したことから、この壺の上に地蔵尊を祀ったのが始まりということで、こちらの地蔵尊の下には寛永通宝が眠っているとの言い伝えがあるようです。夢があってとても興味深い歴史で面白いですね。  閉じる

    投稿日:2018/04/08

  • 戦争の記憶

    • 3.5
    • 旅行時期:2018/01(約8年前)
    • 0

    浅草寺の西にある淡島堂の目の前にこちらの塔がありました。こちらの塔は太平洋戦争末期、1945年3月9日夜に行われたアメリカ...  続きを読む軍による東京大空襲により犠牲となった浅草地区3万名の犠牲を後世に伝えるために作られたものだそうです。再び戦争の過ちを犯さないよう我々も先の大戦を忘れずに後世に語り継いでいかなければなりませんね。  閉じる

    投稿日:2018/04/08

  • 針供養

    • 3.0
    • 旅行時期:2018/01(約8年前)
    • 0

    淡島堂は浅草寺境内の西の外れにあるお堂で、江戸時代の元禄年間(1688~1704年)に和歌山県の淡島明神を勧請したことが始...  続きを読むまりだそうです。淡島神社は江戸時代より女性の守り神として信仰を集めていたそうです。現在でも毎年2月8日にはこちらで針供養が行われ、女性の参詣人が集まるそうです。針供養は普段使用している針に感謝して、柔らかい豆腐に指して針を供養するという行事だそうです。非常に面白い行事があるんですね。もしタイミングが合えば是非見に来たいと思います。  閉じる

    投稿日:2018/04/08

  • 美しい塔です

    • 3.5
    • 旅行時期:2018/01(約8年前)
    • 0

    浅草寺の西方にある淡島堂本堂のすぐ前に写経供養塔はあります。こちらの塔がつくられたのはかなり最近のことで、1994年との事...  続きを読むです。高さは約9m近くあり、とても大きな塔になります。こちらの写経供養塔にはその年にご奉納された写経の経題と巻数を記した目録を奉安して信徒の写経の功徳を後世に伝えているそうです。歴史が新しいということもありますが、とても奇麗で美しい塔で見ごたえがあって良かったです。  閉じる

    投稿日:2018/04/08

  • 素晴らしい危機管理

    • 4.0
    • 旅行時期:2018/01(約8年前)
    • 0

    浅草寺の西にある淡島堂本堂のすぐ前に天水桶はあります。かなり大きな石(金属かもしれません)の容器で、太平洋戦争中にはこちら...  続きを読むの桶にご本尊の観音様を奉安して本堂の地中深くに埋めたそうです。そのおかげもあって、ご本尊様は戦火を免れ、戦後1947年に地中より掘り返されて無事が確認されたそうです。この天水桶自体は1770年に造立されたものだそうで、何の目的でつくられたものなのかはわかりませんでした。何かしらの災害が起きた際にご本尊様を守るためにつくられたものなのですかね。そうだとすると過去の方は素晴らしい先見の明といいますか、危機管理が出来ていたということでとても興味深い史跡でした。  閉じる

    投稿日:2018/04/08

  • 子供はくぐれます

    • 3.0
    • 旅行時期:2018/01(約8年前)
    • 0

    浅草寺の西にある淡島堂本堂のすぐ前に胎内くぐりの灯籠はあります。この石灯篭は江戸時代から存在しており、子供の虫封じや疱瘡の...  続きを読むおまじないとなるとされているそうです。いつくらいの時期につくられたものとか、由緒については案内板にも書かれておらずわからずじまいでした。かなり小さな穴ですが、細身の方なら大人の方でも通れそうなくらいの穴ではありましたが、私が見ている間には誰もくぐっている人は見かけませんでした。  閉じる

    投稿日:2018/04/08

  • 弁士という職業を初めて知りました

    • 3.0
    • 旅行時期:2018/01(約8年前)
    • 0

    浅草寺の西の外れ、五重塔の近くにたくさんの石碑が並んでいますが、この映画弁士塚もそのうちの一つになります。弁士とは映画創世...  続きを読む記の頃、まだ無声映画が主流だったころに映像の説明をする人のこを弁士と呼んでいたそうです。明治の初期に映画が日本に上陸し、その後有声映画が入ってくる昭和初期までに多くの著名な弁士が現れたそうで、その弁士たち名前を残しているのがこの映画弁士塚になります。多くの弁士の方の名前が書かれていますが、一人も名前を見聞きしたことがあるという人物はおらず、とてもよい勉強になりました。  閉じる

    投稿日:2018/04/08

  • 江戸時代の歌人

    • 3.0
    • 旅行時期:2018/01(約8年前)
    • 0

    浅草寺の西の外れ、五重塔の近くに新奥山と呼ばれる一角があり、そこにたくさんの石碑などが並んでいますが、その中に戸田茂睡墓は...  続きを読むあります。私はこちらのお墓で初めて戸田茂睡という名前を知ったのですが、戸田茂睡は江戸時代に活躍した歌人で、浅草寺近くに住んでいたことからこの地にお墓があるようですね。このお墓は面白いことに戸田茂睡自らが生前に自らの後世を供養した逆修塔だそうで、そういった文化があるということも初めて知れたので良い勉強になりました。  閉じる

    投稿日:2018/04/08

  • 新奥山にあります

    • 3.0
    • 旅行時期:2018/01(約8年前)
    • 0

    浅草寺境内の西方に新奥山と呼ばれる石碑がたくさん置かれている一角がありますが、そこに正岡子規句が詠んだ「観音で 雨に逢ひけ...  続きを読むり 花盛」という句の碑もありました。この句は浅草寺境内に訪れる多くの参拝客と、そこに咲く花の情緒について詠んだ句になるそうです。石碑には平成13年と書かれていたのでかなり新しい碑になるようですね。まだピカピカでとても奇麗でした。正岡子規は浅草についても句を詠んでいたのですね。よい勉強になりました。  閉じる

    投稿日:2018/04/08

  • かつては江戸の遊び場だった

    • 3.5
    • 旅行時期:2018/01(約8年前)
    • 0

    浅草寺境内の西側の一角が新奥山と呼ばれています。かつて浅草寺の北西部は「奥山」と呼ばれ、江戸の娯楽の中心的な場所で、芝居、...  続きを読む見世物、軽業などの大道芸や、多くの飲食店が集まっており、多くの人で賑わっていたそうです。明治時代に入り、「奥山」は浅草公園に組み込まれ、それに伴い多くの店も「六区」に移っていったそうです。現在の「新奥山」は江戸の娯楽を支えた方々が関係する多くの石碑が立ち並んでおり、当時を想像させてくれる場所となっていました。なかなか面白い歴史があってよいですね。  閉じる

    投稿日:2018/04/08

  • 美しい塔です

    • 3.5
    • 旅行時期:2018/01(約8年前)
    • 0

    浅草寺の五重塔は宝蔵門の西に位置しています。現在の五重塔は1973年に再建された鉄筋コンクリート製の塔との事です。五重塔の...  続きを読む歴史については、942年に平公雅によって建てられた塔が最初のようですが、当時は三重塔で、五重塔が現れるのは江戸時代の寛永年間になるようです。旧五重塔は国宝に指定されていましたが、戦火により焼失してしまったとの事で非常に残念です。現在の五重塔も立派で美しいのですが、やはり国宝だった五重塔が見たかったですね。  閉じる

    投稿日:2018/04/08

  • 七福神の神様を一度に2体も拝めます

    • 3.0
    • 旅行時期:2018/01(約8年前)
    • 0

    浅草浅草寺境内の影向堂と五重塔の間に、石碑やお堂などがたくさん集まっている場所がありますが、その中に恵比須大黒天堂はありま...  続きを読むす。とても小さなお堂ですが、堂内には2体の像がしっかりと安置されていました。堂内右手の像は恵比須様、左手の像は大黒天様で、いずれも七福神として知られた神様になります。これらの像は1675年に浅草寺に奉納されたものだそうです。像を造ったのは弘法大師空海と言い伝えられており、歴史的にとても貴重な像のようです。お堂の中が暗いのと、経年による劣化なのか、像の表情などはわかりませんでしたが、七福神の神様を一度に2体も拝められるとはとてもありがたい場所ですね。  閉じる

    投稿日:2018/04/07

  • 学問や芸能にもご利益があります

    • 3.0
    • 旅行時期:2018/01(約8年前)
    • 0

    浅草浅草寺境内の影向堂と五重塔の間に、石碑やお堂などがたくさん集まっている場所がありますが、その中の一角に銭塚弁財天はあり...  続きを読むました。小さなお堂ですが朱色でとても美しいお堂で、こちらには七福神のうち弁財天様が祀られていました。弁財天というと財産に関する神様だとばかり思っていたのですが、学問や芸能の上達のもご利益があると案内板に書かれており、恥ずかしながら初めて知りました。このあたりには七福神様がたくさん祀られていますので、まとめて参拝できるのがとてもありがたかったです。  閉じる

    投稿日:2018/04/07

  • 仕事がうまくいきますように

    • 3.5
    • 旅行時期:2018/01(約8年前)
    • 0

    浅草寺境内の影向堂と五重塔の間に、石碑やお堂などがたくさん集まっている場所がありますが、その中の一角に出世地蔵尊は安置され...  続きを読むていました。案内板や説明板がなかったので、御由緒などはわかりませんでしたが、「出世地蔵尊」という名前からしてとてもありがたいお地蔵様であると思い、これからの仕事の成功をお祈りさせていただきました。こちらのお地蔵さまは赤い頭巾をかぶっており、なんだかとてもかわいらしい感じがして気持ちが安らぎました。  閉じる

    投稿日:2018/04/07

  • 穏やかな表情でした

    • 3.0
    • 旅行時期:2018/01(約8年前)
    • 0

    聖観音菩薩像は浅草寺境内の影向堂と五重塔の間に、石碑やお堂などがたくさん集まっている場所がありますが、その中の一角に五重塔...  続きを読むに背を向けるように安置されていました。こちらの像が造られたのは1720年ということで、いまから300年近くも前になるんですね。面白い事に、聖観音菩薩像が鎮座しておられる蓮華座は、元々は別の勢至菩薩像という像のものだったものが、転用されて現在に至っているそうで、そんなことがあるんだと驚かされました。とても大きな像で、穏やかな表情をされている像で見ごたえがあって良かったです。  閉じる

    投稿日:2018/04/07

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基本情報(地図・住所・アクセス)

施設名
浅草寺
住所
  • 東京都台東区浅草2-3-1
電話番号
03-3842-0181
アクセス
浅草駅から徒歩で5分
その他
創建年代: 645年
バリアフリー設備: 車椅子対応EV ○
バリアフリー設備: オムツ交換台 ○
公式ページ
詳細情報
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 寺・神社・教会
  1. 観光・遊ぶ
  2. 花見

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