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元旦を迎えました。<br /><br />昨日、疲れすぎて夜景撮影に行く元気も出ず、早めに帰って休んだお陰で、今日は元気を取り戻しました。<br /><br />元日の今日は・・・京都に行くなら、真っ先にお会いしたかった大原三千院の観音菩薩さま(阿弥陀如来の脇侍です・・・阿弥陀さま、ごめんなさい)!!<br /><br />短い日程と、お寺の参拝日時の関係で、初日ではなく3日目となってしまったけれど・・・大原は、1日かけてゆっくり歩いてみたい・・・というのもあって・・・。<br /><br />今年の初詣は、憧れの観音菩薩さまだなんて・・・けっこうステキな年初めなのかな~。

年末年始は初京都♪美仏さまにお会いした~い!!④ ★大原でのんびりお寺を散策、嵐山キモノフォレスト・・・など★

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2018/01/01 - 2018/01/01

41位(同エリア2102件中)

10

197

こあひる

こあひるさん

元旦を迎えました。

昨日、疲れすぎて夜景撮影に行く元気も出ず、早めに帰って休んだお陰で、今日は元気を取り戻しました。

元日の今日は・・・京都に行くなら、真っ先にお会いしたかった大原三千院の観音菩薩さま(阿弥陀如来の脇侍です・・・阿弥陀さま、ごめんなさい)!!

短い日程と、お寺の参拝日時の関係で、初日ではなく3日目となってしまったけれど・・・大原は、1日かけてゆっくり歩いてみたい・・・というのもあって・・・。

今年の初詣は、憧れの観音菩薩さまだなんて・・・けっこうステキな年初めなのかな~。

旅行の満足度
5.0
同行者
カップル・夫婦
旅行の手配内容
個別手配

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  • 歩きながら、途中で目についたお菓子を買おう・・・と思っていたけれど、お土産(自宅用も含めて)は、最終日に京都駅で買うのが効率的だし楽・・・と考えていました。<br /><br />昨夜、京都駅の九条側にだけちょこっと寄り、お土産に買おうと考えていたもののひとつ、SIZUYAPANのあんぱんを何種類か買ってきてみました。<br /><br />パッケージがオシャレで・・・お菓子みたいな小さなあんぱんなので、お土産に可愛い!と思うのだけれど、日持ちはあまりしません。<br /><br />わが家は、朝食に頂きました。<br /><br />SIZUYAPAN<br />http://www.sizuyapan.kyoto.jp/

    歩きながら、途中で目についたお菓子を買おう・・・と思っていたけれど、お土産(自宅用も含めて)は、最終日に京都駅で買うのが効率的だし楽・・・と考えていました。

    昨夜、京都駅の九条側にだけちょこっと寄り、お土産に買おうと考えていたもののひとつ、SIZUYAPANのあんぱんを何種類か買ってきてみました。

    パッケージがオシャレで・・・お菓子みたいな小さなあんぱんなので、お土産に可愛い!と思うのだけれど、日持ちはあまりしません。

    わが家は、朝食に頂きました。

    SIZUYAPAN
    http://www.sizuyapan.kyoto.jp/

  • 大原までは、京都駅からバスで1時間ほど・・・でも地下鉄九条駅が最寄りのわが家は、烏丸線で国際会館駅に出て、そこからバスで30分ほど・・・を選びました。<br /><br />京都駅発と違って、1時間に1本ほどの便数なので、30分くらい待たなきゃならないな・・・と思っていたら、なぜか臨時便が出ていて(時刻表ではこの時期に無いはずなんだけれど・・・)、駅を出るとすぐに乗れて即出発となりました。ラッキー!<br /><br />10時半にならないうちに、大原バス停に到着しました。大原バス停は、トイレもあるちょっとしたターミナルみたいな感じです。<br /><br />三千院まで、バス停から6~700mほど歩きます。山あいの集落の間をぶらぶらと進みます。方向を示す標識があるので、方向音痴の私でも迷いませんでした。<br /><br />菜の花畑が広がります。昔は、菜種油用のアブラナの花畑が、大原の里一面に広がっていたらしいのですが、今は、菜の花漬け用として、わずかに栽培されているだけとなってしまいました。

    大原までは、京都駅からバスで1時間ほど・・・でも地下鉄九条駅が最寄りのわが家は、烏丸線で国際会館駅に出て、そこからバスで30分ほど・・・を選びました。

    京都駅発と違って、1時間に1本ほどの便数なので、30分くらい待たなきゃならないな・・・と思っていたら、なぜか臨時便が出ていて(時刻表ではこの時期に無いはずなんだけれど・・・)、駅を出るとすぐに乗れて即出発となりました。ラッキー!

    10時半にならないうちに、大原バス停に到着しました。大原バス停は、トイレもあるちょっとしたターミナルみたいな感じです。

    三千院まで、バス停から6~700mほど歩きます。山あいの集落の間をぶらぶらと進みます。方向を示す標識があるので、方向音痴の私でも迷いませんでした。

    菜の花畑が広がります。昔は、菜種油用のアブラナの花畑が、大原の里一面に広がっていたらしいのですが、今は、菜の花漬け用として、わずかに栽培されているだけとなってしまいました。

  • 呂川沿いに、上りの山道がゆるゆると続きます。

    呂川沿いに、上りの山道がゆるゆると続きます。

  • 参道の途中には、茶屋や漬物屋などお店が並びます。ゆるやかな坂道を振り返ってみました。<br /><br />まだ朝早いので、ほとんどお店は閉まっていますが・・・年末年始だからどうなんだろう!?(結局、参道のここら辺のお店は、やっていないお店の方が多かったかも)

    参道の途中には、茶屋や漬物屋などお店が並びます。ゆるやかな坂道を振り返ってみました。

    まだ朝早いので、ほとんどお店は閉まっていますが・・・年末年始だからどうなんだろう!?(結局、参道のここら辺のお店は、やっていないお店の方が多かったかも)

  • 早春から咲き出すヤブツバキは、大原の里の花のひとつだそうです。<br /><br />大原に限らず、今回の旅では、椿をよく見かけました。

    早春から咲き出すヤブツバキは、大原の里の花のひとつだそうです。

    大原に限らず、今回の旅では、椿をよく見かけました。

  • 大原の里が一望できる展望スポットがあるようなので、参道から逸れて、脇の丘を登ります。<br /><br />新緑とか・・・黄金の稲穂の季節だと、もっとキレイな田園風景なんだろうな~。

    大原の里が一望できる展望スポットがあるようなので、参道から逸れて、脇の丘を登ります。

    新緑とか・・・黄金の稲穂の季節だと、もっとキレイな田園風景なんだろうな~。

  • 大原の里は、山に囲まれた盆地です。<br /><br />展望スポットからは、棚田や集落、西山の連なりなどが一望できて、なかなか爽快なところです。<br /><br />癒されるな~ぁ!やっぱりこういう田舎歩き、好きだなぁ~。

    大原の里は、山に囲まれた盆地です。

    展望スポットからは、棚田や集落、西山の連なりなどが一望できて、なかなか爽快なところです。

    癒されるな~ぁ!やっぱりこういう田舎歩き、好きだなぁ~。

  • 侘しい色合いの冬景色ですが・・・そんな中、鮮やかな色のお花を見かけると、どこかほっとしますね。

    侘しい色合いの冬景色ですが・・・そんな中、鮮やかな色のお花を見かけると、どこかほっとしますね。

  • 呂川沿いの参道へ戻りました。<br /><br />呂川は、滋賀との県境にある比叡の山並みに源をもちます。大原川、高野川、鴨川、淀川と名前を変えながら、大阪湾に注いでいます。

    呂川沿いの参道へ戻りました。

    呂川は、滋賀との県境にある比叡の山並みに源をもちます。大原川、高野川、鴨川、淀川と名前を変えながら、大阪湾に注いでいます。

  • 京漬物の中でも、志ば漬、すぐき、千枚漬けが京の三大漬物と呼ばれているそうです。<br /><br />大原の里は、志ば漬の発祥地であり、また、すぐきの特産地として、京漬物の里なんだそうです。

    京漬物の中でも、志ば漬、すぐき、千枚漬けが京の三大漬物と呼ばれているそうです。

    大原の里は、志ば漬の発祥地であり、また、すぐきの特産地として、京漬物の里なんだそうです。

  • 大原の地は、最澄の弟子・慈覚大師円仁が、唐から持ち帰った声明(しょうみょう)の修練道場として開山されました。一帯は魚山と呼ばれ、仏教音楽である天台声明発祥の地となりました。<br /><br />その魚山を源とする呂川と律川の名前は、和楽の旋法に因んで名づけられました(律川は、この参道よりも北側に流れています)。<br /><br />「呂律がまわらない」と言う言葉は、呂と律の音階があわないことが語源となっています。

    大原の地は、最澄の弟子・慈覚大師円仁が、唐から持ち帰った声明(しょうみょう)の修練道場として開山されました。一帯は魚山と呼ばれ、仏教音楽である天台声明発祥の地となりました。

    その魚山を源とする呂川と律川の名前は、和楽の旋法に因んで名づけられました(律川は、この参道よりも北側に流れています)。

    「呂律がまわらない」と言う言葉は、呂と律の音階があわないことが語源となっています。

  • 数少ないカラフルな色を見つけると嬉しい。

    数少ないカラフルな色を見つけると嬉しい。

  • 大原って温泉もあるんだね~。見どころも多いから、じっくりゆっくりしたいのなら、泊まりもいいのかも~。

    大原って温泉もあるんだね~。見どころも多いから、じっくりゆっくりしたいのなら、泊まりもいいのかも~。

  • そろそろ三千院です。

    そろそろ三千院です。

  • 三千院前に並ぶお店は、年末年始でもしっかりやっていました。

    三千院前に並ぶお店は、年末年始でもしっかりやっていました。

  • お土産屋さんが並ぶ家並みにも風情があるよね。

    お土産屋さんが並ぶ家並みにも風情があるよね。

  • 三千院は、このどっしりとした石垣の上。苔も美しいです。

    三千院は、このどっしりとした石垣の上。苔も美しいです。

  • 三千院は、最澄(伝教大師)が、比叡山延暦寺を建立した際、東塔に草庵を結んだのが始まりです。その後、慈覚大師円仁に引き継がれ、平安後期以降、皇子皇族が住職を務めた宮門跡となりました。<br /><br />寺地は時代の流れの中で、比叡山内から近江坂本、そして洛中を幾度か移転し、そのつど寺名も、円融房、梨本坊、梨本門跡、梶井宮と変わりました。<br /><br />寺地を転々としながら、門跡寺院として発展しました。明治維新後に、現在の地・大原に移り今に至ります。<br /><br />あとで訪れる勝林院や来迎院などと違って、だいぶ後になってこの地にやってきたのですね~、意外。(三千院が移る前、この地には、延暦寺が、魚山にある寺院を管理するための政所がありました)。

    三千院は、最澄(伝教大師)が、比叡山延暦寺を建立した際、東塔に草庵を結んだのが始まりです。その後、慈覚大師円仁に引き継がれ、平安後期以降、皇子皇族が住職を務めた宮門跡となりました。

    寺地は時代の流れの中で、比叡山内から近江坂本、そして洛中を幾度か移転し、そのつど寺名も、円融房、梨本坊、梨本門跡、梶井宮と変わりました。

    寺地を転々としながら、門跡寺院として発展しました。明治維新後に、現在の地・大原に移り今に至ります。

    あとで訪れる勝林院や来迎院などと違って、だいぶ後になってこの地にやってきたのですね~、意外。(三千院が移る前、この地には、延暦寺が、魚山にある寺院を管理するための政所がありました)。

    三千院 寺・神社・教会

  • お正月モード。

    お正月モード。

  • 拝観料を払って、客殿から入ります。内部の撮影は禁止ですが、お庭の撮影はOK。

    拝観料を払って、客殿から入ります。内部の撮影は禁止ですが、お庭の撮影はOK。

  • 客殿から見えるのは、聚碧園(しゅうへきえん)と呼ばれる池泉鑑賞式庭園。お部屋から眺めて楽しむお庭です。江戸時代の茶人・金森宗和(1584-1656)による修築と伝えられています。

    客殿から見えるのは、聚碧園(しゅうへきえん)と呼ばれる池泉鑑賞式庭園。お部屋から眺めて楽しむお庭です。江戸時代の茶人・金森宗和(1584-1656)による修築と伝えられています。

  • 季節が変われば、違う風情を楽しめるのでしょうね。

    季節が変われば、違う風情を楽しめるのでしょうね。

  • お庭を眺めながら、抹茶を頂きました。

    お庭を眺めながら、抹茶を頂きました。

  • 縁側に出てみました。客殿と宸殿とは廊下で繋がっています。

    縁側に出てみました。客殿と宸殿とは廊下で繋がっています。

  • 宸殿から出ます。<br /><br />宸殿から見て、苔の海原を挟んで往生極楽院あたりまで、有清園と名付けられた庭園のようですが、出ることに気を取られ、宸殿からの眺めをすっかり見損ねてしまいました(いつもながら間抜け・・・)。

    宸殿から出ます。

    宸殿から見て、苔の海原を挟んで往生極楽院あたりまで、有清園と名付けられた庭園のようですが、出ることに気を取られ、宸殿からの眺めをすっかり見損ねてしまいました(いつもながら間抜け・・・)。

  • 宸殿から出て、宸殿を振り返ってみました。<br /><br />宸殿は、三千院の最も重要な法要である御懴法講(おせんぼうこう)を執り行うため、御所の紫宸殿を模して、大正15年に建てられたものです。<br /><br />宸殿では、毎年5月30日、山門(延暦寺)と魚山(大原寺)の僧侶による御懴法講が行われ、歴代天皇の回向をします。<br /><br />雅楽と声明がとけあった御懴法講は、後白河法皇から始まった宮中伝統の法要で、江戸末期まで宮中で行われていたため、「宮中御懴法講」と呼ばれていました。

    宸殿から出て、宸殿を振り返ってみました。

    宸殿は、三千院の最も重要な法要である御懴法講(おせんぼうこう)を執り行うため、御所の紫宸殿を模して、大正15年に建てられたものです。

    宸殿では、毎年5月30日、山門(延暦寺)と魚山(大原寺)の僧侶による御懴法講が行われ、歴代天皇の回向をします。

    雅楽と声明がとけあった御懴法講は、後白河法皇から始まった宮中伝統の法要で、江戸末期まで宮中で行われていたため、「宮中御懴法講」と呼ばれていました。

  • 有清園は池泉回遊式なので、自分で好きなように歩いて、歩を進めるごとに移り変わる景色を愛でるのです。

    有清園は池泉回遊式なので、自分で好きなように歩いて、歩を進めるごとに移り変わる景色を愛でるのです。

  • もっと色どり豊かなシーズンか、雪景色のシーズンか・・・に訪れてみたいものです。

    もっと色どり豊かなシーズンか、雪景色のシーズンか・・・に訪れてみたいものです。

  • 憧れの観音菩薩さまがいらっしゃる往生極楽院に近づいてきました。<br /><br />寛和2年(986)、天台浄土教の大成者である恵心僧都源信が、父母の菩提のため、姉の安養尼とともに建立したと伝えられます。

    憧れの観音菩薩さまがいらっしゃる往生極楽院に近づいてきました。

    寛和2年(986)、天台浄土教の大成者である恵心僧都源信が、父母の菩提のため、姉の安養尼とともに建立したと伝えられます。

  • まずは、往生極楽院の外観を見るため、お庭をぐるっと周っています。<br /><br />往生極楽院は、江戸時代に大修理が行われましたが、内陣は比較的古形を保っています。

    まずは、往生極楽院の外観を見るため、お庭をぐるっと周っています。

    往生極楽院は、江戸時代に大修理が行われましたが、内陣は比較的古形を保っています。

  • 苔がもっと青々とした時期に訪れてみたいです。

    苔がもっと青々とした時期に訪れてみたいです。

  • 絵になりますね~。

    絵になりますね~。

  • さて・・・いよいよ拝観といきますかぁ!

    さて・・・いよいよ拝観といきますかぁ!

  • お堂に入ると・・・<br /><br />(ポストカードを写しました)<br />正面にどど~んと、阿弥陀三尊像。<br /><br />仏像の正面の壁は開放されているので、とても明るく見やすいのが嬉しい(ちょっと寒いけれど)。<br /><br />けっこう大きな仏さま(阿弥陀如来が約195cm、脇侍が約132cm)なので、目の前に迫ってくる感がたまりません!<br /><br />阿弥陀三尊像は国宝。国宝なので、お寺の人は一切触ってはいけないそうで、お身ぬぐいすら出来ないそうです(須弥壇はOKだそうですが)。国から派遣される人がお手入れするそうです。

    お堂に入ると・・・

    (ポストカードを写しました)
    正面にどど~んと、阿弥陀三尊像。

    仏像の正面の壁は開放されているので、とても明るく見やすいのが嬉しい(ちょっと寒いけれど)。

    けっこう大きな仏さま(阿弥陀如来が約195cm、脇侍が約132cm)なので、目の前に迫ってくる感がたまりません!

    阿弥陀三尊像は国宝。国宝なので、お寺の人は一切触ってはいけないそうで、お身ぬぐいすら出来ないそうです(須弥壇はOKだそうですが)。国から派遣される人がお手入れするそうです。

  • (ポストカードを写しました)<br />わたしの胸キュン美仏は、向かって右にいらっしゃる観音菩薩さま。<br /><br />テレビでお顔を見た時に、なんて可愛い!(こら!)とトキめいてしまった仏さまです。<br /><br />向かって左の勢至菩薩さまと共に、膝を少し開き、上半身を前屈みにする「やまと坐り」と呼ばれる珍しい姿勢をとっています。往生者をお迎えすべく立ち上がろうとする、まさにその瞬間を表しているといわれています。

    (ポストカードを写しました)
    わたしの胸キュン美仏は、向かって右にいらっしゃる観音菩薩さま。

    テレビでお顔を見た時に、なんて可愛い!(こら!)とトキめいてしまった仏さまです。

    向かって左の勢至菩薩さまと共に、膝を少し開き、上半身を前屈みにする「やまと坐り」と呼ばれる珍しい姿勢をとっています。往生者をお迎えすべく立ち上がろうとする、まさにその瞬間を表しているといわれています。

  • 往生極楽院の特徴として、お堂に比べて阿弥陀三尊像が大きい(高い)ため、堂内に納める工夫として、天井を舟底型に折り上げていることがあります。<br /><br />現在では、肉眼ではほぼわかりにくいですが、船底天井には、極楽浄土に舞う天女や諸菩薩の姿が極彩色で描かれていました。柱も極彩色の文様で埋め尽くされています。<br /><br />こちらの写真は、後で行った円融蔵(宝物館)に原寸大で再現されたものです(パンフレットから写しました)。<br /><br />藤原時代の人々が現世に往生極楽を願い、浄土思想に基づいて描かれた天井画が、赤外線カメラを使った調査により、創建当時の顔料のまま、極彩色に復元されています。

    往生極楽院の特徴として、お堂に比べて阿弥陀三尊像が大きい(高い)ため、堂内に納める工夫として、天井を舟底型に折り上げていることがあります。

    現在では、肉眼ではほぼわかりにくいですが、船底天井には、極楽浄土に舞う天女や諸菩薩の姿が極彩色で描かれていました。柱も極彩色の文様で埋め尽くされています。

    こちらの写真は、後で行った円融蔵(宝物館)に原寸大で再現されたものです(パンフレットから写しました)。

    藤原時代の人々が現世に往生極楽を願い、浄土思想に基づいて描かれた天井画が、赤外線カメラを使った調査により、創建当時の顔料のまま、極彩色に復元されています。

  • 往生極楽院の南側にあるのは朱雀門。<br /><br />その昔、往生極楽院を本堂としていた頃の正門にあたるそうです。様式は、藤原期の様式とも言われていますが、江戸時代に再建されたものです。

    往生極楽院の南側にあるのは朱雀門。

    その昔、往生極楽院を本堂としていた頃の正門にあたるそうです。様式は、藤原期の様式とも言われていますが、江戸時代に再建されたものです。

  • 往生極楽院南側にある弁天池のまわりでは、わらべ地蔵たちが、苔の中に遊んでいます。<br /><br />

    往生極楽院南側にある弁天池のまわりでは、わらべ地蔵たちが、苔の中に遊んでいます。

  • わらべ地蔵探しはなかなか楽しい。

    わらべ地蔵探しはなかなか楽しい。

  • 有清園の苔と一体となって、いい感じですね~。<br /><br />わらべ地蔵と名づけられたこのお地蔵さまたちは、石彫刻家・杉村孝氏の手によるものです(苔のつき具合とは裏腹に、最近のものです)。

    有清園の苔と一体となって、いい感じですね~。

    わらべ地蔵と名づけられたこのお地蔵さまたちは、石彫刻家・杉村孝氏の手によるものです(苔のつき具合とは裏腹に、最近のものです)。

  • 弁天池の脇を通って・・・順路を進みます。

    弁天池の脇を通って・・・順路を進みます。

  • わらべ地蔵のあたりを過ぎて、金色不動堂に向かいますが、その参道は小高い丘を上る小路です。<br /><br />その丘のふもと近くに、弁財天がいらっしゃいます。

    わらべ地蔵のあたりを過ぎて、金色不動堂に向かいますが、その参道は小高い丘を上る小路です。

    その丘のふもと近くに、弁財天がいらっしゃいます。

  • 弁財天。

    弁財天。

  • 参道脇には遊歩道が整備され、数千株の紫陽花が植えられています。

    参道脇には遊歩道が整備され、数千株の紫陽花が植えられています。

  • 丘の上に建つ金色不動堂。護摩祈祷を行う祈願道場として、平成元年に建立されました。

    丘の上に建つ金色不動堂。護摩祈祷を行う祈願道場として、平成元年に建立されました。

  • 金色不動堂からさらに少し上がると・・・観音堂。平成10年に建立されました。<br /><br />観音堂内には、身丈3メートルの金色の観音像が祀られています。

    金色不動堂からさらに少し上がると・・・観音堂。平成10年に建立されました。

    観音堂内には、身丈3メートルの金色の観音像が祀られています。

  • 観音堂の横に、石庭・二十五菩薩慈眼の庭が広がります。補陀洛浄土を再現したお庭です。このシーズンだと渋い色合いですけれど・・・。

    観音堂の横に、石庭・二十五菩薩慈眼の庭が広がります。補陀洛浄土を再現したお庭です。このシーズンだと渋い色合いですけれど・・・。

  • 慈眼の庭から見下ろす金色不動堂。

    慈眼の庭から見下ろす金色不動堂。

  • 慈眼の庭を抜けて、遊歩道を歩いて行くと、律川にかかる橋が見えてきました。

    慈眼の庭を抜けて、遊歩道を歩いて行くと、律川にかかる橋が見えてきました。

  • 橋を渡ると・・・鎌倉時代の石仏(阿弥陀如来像)があります。<br /><br />高さ2.25mの阿弥陀如来坐像で、「欣求浄土(ごんぐじょうど)」を願ったこの地の念仏行者たちによって作られたものと考えられ、往時の浄土信仰を物語る貴重な遺物となっています。<br /><br />またこの場所は、昔、炭を焼き始めた老翁が住んでいた「売炭翁(ばいたんおきな)旧跡」と伝えられることから、この阿弥陀さまを、大原では親しみをこめて、売炭翁石仏とも呼ぶようになったと伝わっています。

    橋を渡ると・・・鎌倉時代の石仏(阿弥陀如来像)があります。

    高さ2.25mの阿弥陀如来坐像で、「欣求浄土(ごんぐじょうど)」を願ったこの地の念仏行者たちによって作られたものと考えられ、往時の浄土信仰を物語る貴重な遺物となっています。

    またこの場所は、昔、炭を焼き始めた老翁が住んでいた「売炭翁(ばいたんおきな)旧跡」と伝えられることから、この阿弥陀さまを、大原では親しみをこめて、売炭翁石仏とも呼ぶようになったと伝わっています。

  • 律川沿いに、お地蔵さまが並びます。<br /><br />苔庭のわらべ地蔵たちに比べ、やや哀しげなムードを醸し出しているのは、場所のせいでしょうか。

    律川沿いに、お地蔵さまが並びます。

    苔庭のわらべ地蔵たちに比べ、やや哀しげなムードを醸し出しているのは、場所のせいでしょうか。

  • これらのお地蔵さまたちは、おさな六地蔵と呼ばれています。

    これらのお地蔵さまたちは、おさな六地蔵と呼ばれています。

  • 子どもを抱きしめるお地蔵さま。

    子どもを抱きしめるお地蔵さま。

  • 律川。<br /><br />お寺の境内ながらも、山寺といった風情・・・自然の中に抱かれて、のんびり心癒される三千院です。

    律川。

    お寺の境内ながらも、山寺といった風情・・・自然の中に抱かれて、のんびり心癒される三千院です。

  • 山の斜面の遊歩道は、紫陽花苑を通り抜けて、弁財天あたりへ続いています。

    山の斜面の遊歩道は、紫陽花苑を通り抜けて、弁財天あたりへ続いています。

  • 往生極楽院の前庭を横切り・・・門を抜けて・・・石段を下りると・・・

    往生極楽院の前庭を横切り・・・門を抜けて・・・石段を下りると・・・

  • 円融蔵(宝物館)と売店があります。<br /><br />

    円融蔵(宝物館)と売店があります。

  • 円融蔵の向かいには、客殿から連なる円融房。最澄が比叡山に結んだ庵が円融房という名前でした。

    円融蔵の向かいには、客殿から連なる円融房。最澄が比叡山に結んだ庵が円融房という名前でした。

  • 客殿の前を通り、出入口へ・・・。<br /><br />三千院<br />http://www.sanzenin.or.jp/

    客殿の前を通り、出入口へ・・・。

    三千院
    http://www.sanzenin.or.jp/

  • さて・・・時刻は12時半。<br /><br />三千院の参道をさらに北へ進むと、勝林院といくつかの子院が隣接しているので、いってみようと思います。<br /><br />律川を渡ります。先ほど、三千院の境内を流れていた川です。

    さて・・・時刻は12時半。

    三千院の参道をさらに北へ進むと、勝林院といくつかの子院が隣接しているので、いってみようと思います。

    律川を渡ります。先ほど、三千院の境内を流れていた川です。

    茅穂橋 (未明橋) 名所・史跡

  • 律川。

    律川。

  • 律川。

    律川。

  • 橋を渡ってまもなく・・・左手に実光院。<br /><br />実光院は、この後訪れる勝林院(平安時代に寂源が、声明を伝承する為に建立した根本道場)の子院のひとつです。かつては、このあたりにもっと多くの僧房があったそうです。<br /><br />後で気づいたのですが、実光院だけ1月1日はお休み(ガイドブックにもそう記載あり)と、前もって問い合わせた時に言っていたはずなんですが・・・??

    橋を渡ってまもなく・・・左手に実光院。

    実光院は、この後訪れる勝林院(平安時代に寂源が、声明を伝承する為に建立した根本道場)の子院のひとつです。かつては、このあたりにもっと多くの僧房があったそうです。

    後で気づいたのですが、実光院だけ1月1日はお休み(ガイドブックにもそう記載あり)と、前もって問い合わせた時に言っていたはずなんですが・・・??

  • では・・・入ります。

    では・・・入ります。

    実光院 寺・神社・教会

  • 玄関から入ると、広々と気持のいい客殿に案内されました。

    玄関から入ると、広々と気持のいい客殿に案内されました。

  • 現在の建物は、1921年に再建されたものです。

    現在の建物は、1921年に再建されたものです。

  • 客殿の南側に広がる庭園は、江戸時代後期に作庭されたもので、律川から水を引く心字の池を中心とした、池泉鑑賞式の庭園「契心園」です。

    客殿の南側に広がる庭園は、江戸時代後期に作庭されたもので、律川から水を引く心字の池を中心とした、池泉鑑賞式の庭園「契心園」です。

  • やわらかい陽が射しこみます。<br /><br />寒くないシーズンには、障子やガラス戸が取り外されて、南側と西側のお庭を額縁のように眺められるようです(HPを見ると、そうなっています)。

    やわらかい陽が射しこみます。

    寒くないシーズンには、障子やガラス戸が取り外されて、南側と西側のお庭を額縁のように眺められるようです(HPを見ると、そうなっています)。

  • 床の間にあるさまざまな楽器は、声明の研究・研鑽の為に、実光院の歴代住職が収集したものだそうです。<br />

    床の間にあるさまざまな楽器は、声明の研究・研鑽の為に、実光院の歴代住職が収集したものだそうです。

  • ご本尊は地蔵菩薩像。脇侍に、不動明王像と毘沙門天像が安置されています。

    ご本尊は地蔵菩薩像。脇侍に、不動明王像と毘沙門天像が安置されています。

  • そもそも実光院は、現在地の向かいの大原陵(後鳥羽天皇、順徳天皇陵←気づかなかった)の場所にありました。<br /><br />明治以降、普賢院や理覚院(いずれも勝林院の子院)は無住となってしまいます。大正8年(1919)、実光院は、この二院と統合する形で、旧・普賢院の寺地に移転して、現在に至っています。<br /><br />客殿の西側のお庭は、旧・理覚院の寺地で、実光院と統合後には荒廃していましたが、以後の歴代住職が作庭整備して今日に至っています。こちらは、池泉回遊式となっています。

    そもそも実光院は、現在地の向かいの大原陵(後鳥羽天皇、順徳天皇陵←気づかなかった)の場所にありました。

    明治以降、普賢院や理覚院(いずれも勝林院の子院)は無住となってしまいます。大正8年(1919)、実光院は、この二院と統合する形で、旧・普賢院の寺地に移転して、現在に至っています。

    客殿の西側のお庭は、旧・理覚院の寺地で、実光院と統合後には荒廃していましたが、以後の歴代住職が作庭整備して今日に至っています。こちらは、池泉回遊式となっています。

  • ここでもお庭を眺めながら抹茶を頂きます。お菓子、写す前に食べちゃいました。

    ここでもお庭を眺めながら抹茶を頂きます。お菓子、写す前に食べちゃいました。

  • 連れ合いはお部屋で待っている・・・というので、ひとりで、理覚院の寺地跡のお庭に出てみます。<br /><br />客殿を外から見た画。

    連れ合いはお部屋で待っている・・・というので、ひとりで、理覚院の寺地跡のお庭に出てみます。

    客殿を外から見た画。

  • 南側の契心園の横を通って・・・

    南側の契心園の横を通って・・・

  • 客殿から出て、階段を下り、やや低くなったところきました。<br /><br />お寺の敷地だったので、思ったよりも広いです。<br /><br />

    客殿から出て、階段を下り、やや低くなったところきました。

    お寺の敷地だったので、思ったよりも広いです。

  • 冬の小さな桜が咲いています。

    冬の小さな桜が咲いています。

  • 茶室「理覚庵」は、昭和50年(1975)に建てられたもので、建築資材のほとんどは、実光院領の山林から切り出して調達されました。

    茶室「理覚庵」は、昭和50年(1975)に建てられたもので、建築資材のほとんどは、実光院領の山林から切り出して調達されました。

  • この時には、このお庭が、昔あったお寺の跡地と知らなかったので、それらしい痕跡探しをしませんでした。

    この時には、このお庭が、昔あったお寺の跡地と知らなかったので、それらしい痕跡探しをしませんでした。

  • 実光院<br />http://www.jikkoin.com/

    実光院
    http://www.jikkoin.com/

  • 実光院から出て、さらに北に少し進むと、勝林院があります。<br /><br />慈覚大師・円仁は、唐で五台山念仏(声明)を学んできました。<br /><br />円仁から数えて9代目弟子の寂源が、比叡山に伝承した法儀声明の修練道場として、長和2年(1013)に勝林院を創建し、のちに天台声明の根本道場となりました。<br /><br />また、文治2年(1186)、天台宗の顕真が、浄土宗祖の法然を招き、浄土念仏について論議した「大原問答」が行われた場所でもあります。<br /><br />法然上人が、念仏によって極楽へ往生できることをはっきりと示した時、本尊の阿弥陀如来が手から光明を放って、その主張が正しいことを証明しました。<br /><br />問答には、多くの聴衆も集まっており、どんな人でも極楽浄土へ生まれ変われると知り、大いに喜び、三日三晩、念仏を唱え続けたと伝えられ、本尊は「証拠の阿弥陀」と呼ばれました。

    実光院から出て、さらに北に少し進むと、勝林院があります。

    慈覚大師・円仁は、唐で五台山念仏(声明)を学んできました。

    円仁から数えて9代目弟子の寂源が、比叡山に伝承した法儀声明の修練道場として、長和2年(1013)に勝林院を創建し、のちに天台声明の根本道場となりました。

    また、文治2年(1186)、天台宗の顕真が、浄土宗祖の法然を招き、浄土念仏について論議した「大原問答」が行われた場所でもあります。

    法然上人が、念仏によって極楽へ往生できることをはっきりと示した時、本尊の阿弥陀如来が手から光明を放って、その主張が正しいことを証明しました。

    問答には、多くの聴衆も集まっており、どんな人でも極楽浄土へ生まれ変われると知り、大いに喜び、三日三晩、念仏を唱え続けたと伝えられ、本尊は「証拠の阿弥陀」と呼ばれました。

  • 門もなく、いきなりどど~ん!と、美しい本堂(阿弥陀堂)が正面に立ちはだかります。

    門もなく、いきなりどど~ん!と、美しい本堂(阿弥陀堂)が正面に立ちはだかります。

    勝林院 寺・神社・教会

  • まずは早速、本堂に上がってみます。<br />

    まずは早速、本堂に上がってみます。

  • 本堂の縁から眺めた前庭。

    本堂の縁から眺めた前庭。

  • 現在の本堂は、安永7年(1778)に再建されたものです。

    現在の本堂は、安永7年(1778)に再建されたものです。

  • 総ケヤキ造り。彫刻も細かく美しいです。

    総ケヤキ造り。彫刻も細かく美しいです。

  • 創建当時の「証拠の阿弥陀」は、何度か破損してその後補修されてきましたが、1736年に焼失してしまったようです。現在の阿弥陀さまは、1737年に開眼されたもののようです。

    創建当時の「証拠の阿弥陀」は、何度か破損してその後補修されてきましたが、1736年に焼失してしまったようです。現在の阿弥陀さまは、1737年に開眼されたもののようです。

  • きりっ!!

    きりっ!!

  • 脇侍は、毘沙門天さまと・・・

    脇侍は、毘沙門天さまと・・・

  • 不動明王さま。

    不動明王さま。

  • 天井の四隅には四天王。

    天井の四隅には四天王。

  • こちらは、踏出し阿弥陀如来立像(鎌倉時代末期~南北朝時代)。<br /><br />極楽浄土から迎えに来られた仏の姿で、蓮台がふたつに分かれ、足を踏み出しているように表現されています。

    こちらは、踏出し阿弥陀如来立像(鎌倉時代末期~南北朝時代)。

    極楽浄土から迎えに来られた仏の姿で、蓮台がふたつに分かれ、足を踏み出しているように表現されています。

  • 境内は、すっきりと見渡しが良いです。本堂から右手に宝蔵が見えます。

    境内は、すっきりと見渡しが良いです。本堂から右手に宝蔵が見えます。

  • 本堂から見ると左手は、小高い森林になっており、中腹に、観音堂と勝林院の鎮守である山王社があります。

    本堂から見ると左手は、小高い森林になっており、中腹に、観音堂と勝林院の鎮守である山王社があります。

  • 小高い丘にちょっと登ってみました。キレイなシルエットの本堂ですね。<br /><br />1013年に、寂源が勝林院を念仏道場として建立し、1109年に良忍が来迎院(後で行きます)を建立したことで、大原は、上院来迎院と下院勝林院を中心として坊が集まり、魚山大原寺と総称されるようになりました。

    小高い丘にちょっと登ってみました。キレイなシルエットの本堂ですね。

    1013年に、寂源が勝林院を念仏道場として建立し、1109年に良忍が来迎院(後で行きます)を建立したことで、大原は、上院来迎院と下院勝林院を中心として坊が集まり、魚山大原寺と総称されるようになりました。

  • 鎌倉末期の宝篋印塔。

    鎌倉末期の宝篋印塔。

  • その他にも、石塔があったり・・・。

    その他にも、石塔があったり・・・。

  • このあたりは西林院跡だと思われます。1736年の火災で、本堂などと共に焼失してしまった堂宇です。

    このあたりは西林院跡だと思われます。1736年の火災で、本堂などと共に焼失してしまった堂宇です。

  • 鐘楼は、江戸初期に春日野局が再建したもの・・・こちらは火災を免れたようです。<br /><br />梵鐘は、平安中期のもの。<br /><br />勝林院<br />http://www.jikkoin.com/index.php?data=./data/l9/

    鐘楼は、江戸初期に春日野局が再建したもの・・・こちらは火災を免れたようです。

    梵鐘は、平安中期のもの。

    勝林院
    http://www.jikkoin.com/index.php?data=./data/l9/

  • 勝林院に隣接しているのが宝泉院。<br /><br />こちらも勝林院の子院で、平安末期に僧坊として建てられたのが始まり。

    勝林院に隣接しているのが宝泉院。

    こちらも勝林院の子院で、平安末期に僧坊として建てられたのが始まり。

  • 宝泉院 寺・神社・教会

  • 門から入って真っ直ぐ進むとお庭へ・・・。

    門から入って真っ直ぐ進むとお庭へ・・・。

  • お庭の五葉松が見えます。近江富士を型どっているそうですが・・・??

    お庭の五葉松が見えます。近江富士を型どっているそうですが・・・??

  • 門から右手に進むと、客殿があります。

    門から右手に進むと、客殿があります。

  • いくつかのお部屋が続き、それぞれから眺める庭の景色が異なります。

    いくつかのお部屋が続き、それぞれから眺める庭の景色が異なります。

  • 江戸中期作の鶴亀庭園。

    江戸中期作の鶴亀庭園。

  • 縁側越しにババ~ン!と開放的な庭園を眺めるだけでなく、格子越しや小さな窓越しから庭を眺めるのも、鑑賞の仕方のひとつのようです。

    縁側越しにババ~ン!と開放的な庭園を眺めるだけでなく、格子越しや小さな窓越しから庭を眺めるのも、鑑賞の仕方のひとつのようです。

  • 樹齢700年の五葉松を眺めながら・・・抹茶を頂けます。

    樹齢700年の五葉松を眺めながら・・・抹茶を頂けます。

  • いくつもに分かれた幹が見事です。

    いくつもに分かれた幹が見事です。

  • どの角度から見ても美しいお庭です。

    どの角度から見ても美しいお庭です。

  • また抹茶を頂きます。今日はこれで3杯目(笑)。

    また抹茶を頂きます。今日はこれで3杯目(笑)。

  • 西側には、竹林が美しい庭園・・・。盤桓園(ばんかん、立ち去りがたい意)と名付けられています。<br />

    西側には、竹林が美しい庭園・・・。盤桓園(ばんかん、立ち去りがたい意)と名付けられています。

  • 柱と柱の空間を額に見立てて鑑賞する額縁庭園が、宝泉院の売り。

    柱と柱の空間を額に見立てて鑑賞する額縁庭園が、宝泉院の売り。

  • 慶長5年(1600)関ヶ原合戦前に、伏見城で戦いがありました。<br /><br />上杉討伐のため、徳川家康は東へ出陣し、伏見城には家臣の鳥居元忠が残ります。鳥居元忠は、家康の留守中に、西軍が伏見城を攻めてくることをわかった上で、討ち死にを覚悟していました。<br /><br />やがて西軍4万が、伏見城にたてこもる2千名弱の鳥居勢を攻めにかかります。激しい攻防の末、伏見城は落城・・・鳥居元忠と残兵数百名は、伏見城中で自刃しました。<br /><br />その武将達の霊を供養するため、自刃した場所の床板を天井にして祀ったのが血天井です。<br /><br />伏見城の床板は、血天井として、京都内のいくつかのお寺に残っています。

    慶長5年(1600)関ヶ原合戦前に、伏見城で戦いがありました。

    上杉討伐のため、徳川家康は東へ出陣し、伏見城には家臣の鳥居元忠が残ります。鳥居元忠は、家康の留守中に、西軍が伏見城を攻めてくることをわかった上で、討ち死にを覚悟していました。

    やがて西軍4万が、伏見城にたてこもる2千名弱の鳥居勢を攻めにかかります。激しい攻防の末、伏見城は落城・・・鳥居元忠と残兵数百名は、伏見城中で自刃しました。

    その武将達の霊を供養するため、自刃した場所の床板を天井にして祀ったのが血天井です。

    伏見城の床板は、血天井として、京都内のいくつかのお寺に残っています。

  • ・・・とはいえ、血の跡なのか、木目なのか、単なる染みなのか・・・よくわかりませんね~。<br /><br />宝泉院<br />http://www.hosenin.net/<br /><br />今わかりましたが・・・境内の南側に、宝楽園という新しいお庭があったようですが、見損ねてしまったようです。

    ・・・とはいえ、血の跡なのか、木目なのか、単なる染みなのか・・・よくわかりませんね~。

    宝泉院
    http://www.hosenin.net/

    今わかりましたが・・・境内の南側に、宝楽園という新しいお庭があったようですが、見損ねてしまったようです。

  • 宝泉院を出ました。道端に並んだ灯篭・・・これ、夜には灯るのかしら?それともイベントの時だけかな?<br /><br />ただ今14時過ぎ・・・。

    宝泉院を出ました。道端に並んだ灯篭・・・これ、夜には灯るのかしら?それともイベントの時だけかな?

    ただ今14時過ぎ・・・。

  • 三千院と、その奥にある勝林院とその子院は見終わることができました。律川まで戻ってきました。<br /><br />時間と体力・気力があれば、寂光院にも行こう・・・と考えていました。寂光院だけは、バス停まで戻り、バス停からさらに1・2km歩かなければならないので・・・。<br /><br />どうしようか・・・と思って連れ合いに尋ねたら、行く・・・と言うので、寂光院行きが決まりました。

    三千院と、その奥にある勝林院とその子院は見終わることができました。律川まで戻ってきました。

    時間と体力・気力があれば、寂光院にも行こう・・・と考えていました。寂光院だけは、バス停まで戻り、バス停からさらに1・2km歩かなければならないので・・・。

    どうしようか・・・と思って連れ合いに尋ねたら、行く・・・と言うので、寂光院行きが決まりました。

  • まだ時間に余裕があるので、休憩がてら・・・三千院前に並ぶ茶屋の中で、すぐに食べられそうな蕎麦を頂くことにしました。<br /><br />湯葉入りのきつねそばを・・・。

    まだ時間に余裕があるので、休憩がてら・・・三千院前に並ぶ茶屋の中で、すぐに食べられそうな蕎麦を頂くことにしました。

    湯葉入りのきつねそばを・・・。

    京美茶屋 グルメ・レストラン

  • バス停からくると・・・三千院への石段前が交差点になっています。<br /><br />朝そこを通った時に、「来迎院 藤原時代作の薬師釈迦弥陀三尊」という看板を見かけました。<br /><br />来迎院に行く予定はなかったのですが、その看板を見て、寄ってみよう!と思ったのです(写真の看板は、だいぶ来迎院まで近づいたところのものです)。

    バス停からくると・・・三千院への石段前が交差点になっています。

    朝そこを通った時に、「来迎院 藤原時代作の薬師釈迦弥陀三尊」という看板を見かけました。

    来迎院に行く予定はなかったのですが、その看板を見て、寄ってみよう!と思ったのです(写真の看板は、だいぶ来迎院まで近づいたところのものです)。

  • 三千院から4~500mほどの道のりなのですが・・・山へ入っていく上り道で・・・予定していなかったので、距離を知らずに歩き始めてしまい・・・どこまでも続く上り坂にめげながらも・・・ここまで来たら行くしかない・・・と、ヒィヒィ言いながら、上りました。<br /><br />途中にいくつかお寺があるようですが(来迎院の塔頭かな)・・・写真の浄蓮華院は宿坊のようです。

    三千院から4~500mほどの道のりなのですが・・・山へ入っていく上り道で・・・予定していなかったので、距離を知らずに歩き始めてしまい・・・どこまでも続く上り坂にめげながらも・・・ここまで来たら行くしかない・・・と、ヒィヒィ言いながら、上りました。

    途中にいくつかお寺があるようですが(来迎院の塔頭かな)・・・写真の浄蓮華院は宿坊のようです。

  • まだか・・・まだか・・・と息も絶え絶えに(←大げさ)・・・この後、寂光院に行くので、あまり時間を割けないのにとやや焦りながら・・・とにかくやっとの思いで、門にたどり着きました。<br /><br />来迎院は、9世紀に慈覚大師円仁が、唐で学んだ声明の修練道場として開山しました。<br /><br />その後、平安時代末期には、俗化した比叡山を離れた念仏聖が修行する隠棲の里となり、寂源が勝林院(1013)を、良忍が来迎院(1109)を建立(再興)しました。<br /><br />良忍は、円仁が伝えた声明を統一し、魚山流声明を集大成しました。この魚山流はその後、天台声明の主流となり、天台声明の根本道場として栄えました。

    まだか・・・まだか・・・と息も絶え絶えに(←大げさ)・・・この後、寂光院に行くので、あまり時間を割けないのにとやや焦りながら・・・とにかくやっとの思いで、門にたどり着きました。

    来迎院は、9世紀に慈覚大師円仁が、唐で学んだ声明の修練道場として開山しました。

    その後、平安時代末期には、俗化した比叡山を離れた念仏聖が修行する隠棲の里となり、寂源が勝林院(1013)を、良忍が来迎院(1109)を建立(再興)しました。

    良忍は、円仁が伝えた声明を統一し、魚山流声明を集大成しました。この魚山流はその後、天台声明の主流となり、天台声明の根本道場として栄えました。

    来迎院 寺・神社・教会

  • 山門を入り・・・受付のある建物で拝観料を払うと・・・本堂などは、さらに階段を上ったところでした。<br /><br />梵鐘は室町時代のもの。

    山門を入り・・・受付のある建物で拝観料を払うと・・・本堂などは、さらに階段を上ったところでした。

    梵鐘は室町時代のもの。

  • 本堂です。ほんとに山の中・・・といった風情。<br /><br />室町時代中期に諸堂は焼失し、室町時代後期に再建されたものです。

    本堂です。ほんとに山の中・・・といった風情。

    室町時代中期に諸堂は焼失し、室町時代後期に再建されたものです。

  • 藤原時代の薬師、阿弥陀、釈迦三尊が安置されています。<br /><br />脇侍の毘沙門天と不動明王も藤原時代の仏像です。

    藤原時代の薬師、阿弥陀、釈迦三尊が安置されています。

    脇侍の毘沙門天と不動明王も藤原時代の仏像です。

  • 創建当時の来迎院は、三尊院と称し、多数の堂塔伽藍がありました。<br /><br />また、大原が上院来迎院と下院勝林院を中心として、隆盛を極めた頃には、坊が49もあり、声明を修練する僧侶や貴族が数多く集まりました。

    創建当時の来迎院は、三尊院と称し、多数の堂塔伽藍がありました。

    また、大原が上院来迎院と下院勝林院を中心として、隆盛を極めた頃には、坊が49もあり、声明を修練する僧侶や貴族が数多く集まりました。

  • 天井や壁に描かれた天女の画が華やかで印象的です。そんなに古くないのでしょうけれど。

    天井や壁に描かれた天女の画が華やかで印象的です。そんなに古くないのでしょうけれど。

  • 境内は、山と川(律川と呂川)に囲まれていて・・・山の中腹を切り開いて造った・・・という感じですので起伏も多いです。本堂横の森林には、鎌倉時代の鎮守堂、獅子飛石、地蔵堂が並んでいます。

    境内は、山と川(律川と呂川)に囲まれていて・・・山の中腹を切り開いて造った・・・という感じですので起伏も多いです。本堂横の森林には、鎌倉時代の鎮守堂、獅子飛石、地蔵堂が並んでいます。

  • 境内の中を流れる律川を渡ると、来迎院を建立(再興)した良忍の御廟がありますが、時間がないのでパスします。

    境内の中を流れる律川を渡ると、来迎院を建立(再興)した良忍の御廟がありますが、時間がないのでパスします。

  • 良忍が創建した如来蔵。

    良忍が創建した如来蔵。

  • 収蔵庫。

    収蔵庫。

  • 来迎院から、さらに山道を200mほど上ったところに、「音無の滝」と呼ばれる滝があるのですが、時間もないし、これ以上、上り坂は懲り懲り・・・来た道を戻って寂光院に向かいます。<br /><br />良忍が声明を唱えていると、声明の音律と融合して水音が消えた・・・と言われることから、音無の滝と呼ばれるようになったそうです。<br /><br />写真は、来迎院から戻る途中・・・道の脇を流れる呂川です。

    来迎院から、さらに山道を200mほど上ったところに、「音無の滝」と呼ばれる滝があるのですが、時間もないし、これ以上、上り坂は懲り懲り・・・来た道を戻って寂光院に向かいます。

    良忍が声明を唱えていると、声明の音律と融合して水音が消えた・・・と言われることから、音無の滝と呼ばれるようになったそうです。

    写真は、来迎院から戻る途中・・・道の脇を流れる呂川です。

  • 下りは楽ちん・・・ずんずん進みます。まもなく15時・・・寂光院まで距離がありますので、頑張って歩かなければ・・・。<br /><br />右手は広い三千院の塀、左手には呂川。

    下りは楽ちん・・・ずんずん進みます。まもなく15時・・・寂光院まで距離がありますので、頑張って歩かなければ・・・。

    右手は広い三千院の塀、左手には呂川。

  • 大原バス停に戻り・・・三千院とは反対方向・・・西へ進みます。<br /><br />寂光院へ向かう道は、三千院へ行く参道とは違い、お店もなく、畑の中に住宅が点在する田舎の景色。のどかで静かです。

    大原バス停に戻り・・・三千院とは反対方向・・・西へ進みます。

    寂光院へ向かう道は、三千院へ行く参道とは違い、お店もなく、畑の中に住宅が点在する田舎の景色。のどかで静かです。

  • 所々に標識があるので、超方向音痴の私でも迷わずに行けました。

    所々に標識があるので、超方向音痴の私でも迷わずに行けました。

  • 寂光院まであと少し・・・というところで、お店が並ぶ賑やかさが現れました。<br /><br />こじんまりとした温泉街・・・温泉宿や食事処、お土産店が並んでいます。

    寂光院まであと少し・・・というところで、お店が並ぶ賑やかさが現れました。

    こじんまりとした温泉街・・・温泉宿や食事処、お土産店が並んでいます。

  • 建礼門院徳子・・・平清盛の二女(高倉天皇の中宮で、安徳天皇の母)は、寂光院で尼僧として余生を過ごしましたが、その建礼門院大原西陵(宮内庁管轄)が、この石段の先にあります(行っていませんが)。<br /><br />お恥ずかしい話ですが、壇ノ浦で海に身を投げた徳子が、生き残り、源氏によって罪を問われることなく、仏門に入って生きた・・・とは知りませんでした。

    建礼門院徳子・・・平清盛の二女(高倉天皇の中宮で、安徳天皇の母)は、寂光院で尼僧として余生を過ごしましたが、その建礼門院大原西陵(宮内庁管轄)が、この石段の先にあります(行っていませんが)。

    お恥ずかしい話ですが、壇ノ浦で海に身を投げた徳子が、生き残り、源氏によって罪を問われることなく、仏門に入って生きた・・・とは知りませんでした。

  • 建礼門院大原西陵前を通り過ぎると、寂光院です。15:20・・・ちょうどよかったかな・・・。<br /><br />寂光院の前には漬物屋さん。なんだかとってもいい風情ですね。

    建礼門院大原西陵前を通り過ぎると、寂光院です。15:20・・・ちょうどよかったかな・・・。

    寂光院の前には漬物屋さん。なんだかとってもいい風情ですね。

  • 本堂での説明でも、建礼門院のお寺ということばかり強調されていましたが、わたしがここを訪れたいと思ったのは、そもそもこのお寺は、推古2年(594)に、聖徳太子が父・用明天皇の菩提を弔うために創建したものだから・・・です。<br /><br />長い石段の上の山門。ここから見上げる景色がとても美しいです。

    本堂での説明でも、建礼門院のお寺ということばかり強調されていましたが、わたしがここを訪れたいと思ったのは、そもそもこのお寺は、推古2年(594)に、聖徳太子が父・用明天皇の菩提を弔うために創建したものだから・・・です。

    長い石段の上の山門。ここから見上げる景色がとても美しいです。

    寂光院 寺・神社・教会

  • 山門からまっすぐ奥に見えるのが本堂。

    山門からまっすぐ奥に見えるのが本堂。

  • 旧本堂は、内陣および柱が飛鳥様式、藤原時代および平家物語当時の様式、また外陣は桃山様式で、慶長8年(1603)に、豊臣秀頼が修理した・・・という歴史的に貴重なものでしたが、平成12年5月9日に、放火による火災で全焼してしまったのです。<br /><br />放火犯はいまだに捕まっていないそうです(時効も成立)。

    旧本堂は、内陣および柱が飛鳥様式、藤原時代および平家物語当時の様式、また外陣は桃山様式で、慶長8年(1603)に、豊臣秀頼が修理した・・・という歴史的に貴重なものでしたが、平成12年5月9日に、放火による火災で全焼してしまったのです。

    放火犯はいまだに捕まっていないそうです(時効も成立)。

  • 本堂で参拝する前に、本堂前のお庭を撮りながらウロウロしていると・・・

    本堂で参拝する前に、本堂前のお庭を撮りながらウロウロしていると・・・

  • 本堂に来てください~とお呼びがかかったので、先に本堂へ入ります。ひと通り集まると、簡単な説明をしてくださるのですね。

    本堂に来てください~とお呼びがかかったので、先に本堂へ入ります。ひと通り集まると、簡単な説明をしてくださるのですね。

  • (パンフレットを写しました)<br />聖徳太子の作と伝えられる旧・本尊の六万体地蔵尊も、平成12年の火災でほぼ炭化してしまいました。<br /><br />現在の本堂も本尊も、平成17年に、損傷前の姿をもとに忠実に復元されたものです。<br /><br />本堂内でのお話で、この放火についても触れられましたが、ほんとうに悔しそうにお話しされていました。それにしても、灯油をまいて放火されたなんて・・・。

    (パンフレットを写しました)
    聖徳太子の作と伝えられる旧・本尊の六万体地蔵尊も、平成12年の火災でほぼ炭化してしまいました。

    現在の本堂も本尊も、平成17年に、損傷前の姿をもとに忠実に復元されたものです。

    本堂内でのお話で、この放火についても触れられましたが、ほんとうに悔しそうにお話しされていました。それにしても、灯油をまいて放火されたなんて・・・。

  • さて・・・本堂から出ました。今度こそゆっくり見させていただきます。ここは僧坊かな。<br /><br />写真左側に写っているのは雪見灯籠。置き型の鉄製灯籠で、豊臣秀頼が本堂を再建した際に、伏見城から寄進されたものと伝わっています。<br /><br />火袋には、五三の桐文が透し彫りになっていて、猫脚三脚がついた形です。<br /><br />それとは知らずに、ちゃんと見てきませんでした~。

    さて・・・本堂から出ました。今度こそゆっくり見させていただきます。ここは僧坊かな。

    写真左側に写っているのは雪見灯籠。置き型の鉄製灯籠で、豊臣秀頼が本堂を再建した際に、伏見城から寄進されたものと伝わっています。

    火袋には、五三の桐文が透し彫りになっていて、猫脚三脚がついた形です。

    それとは知らずに、ちゃんと見てきませんでした~。

  • 本堂前はそんなに広くもないのですけれど・・・

    本堂前はそんなに広くもないのですけれど・・・

  • 「汀の池」あたりは、平家物語に出てくる当時そのままを偲ぶことができるそうです。<br /><br />平家物語にも出てくる樹齢数千年と言われた松も、火災により枯死してしまい、倒木の危険があるため伐採され、現在はご神木として、残った幹の一部だけが祀られています。<br /><br />江戸時代に建立された鐘楼には「諸行無常の鐘」と称する梵鐘が掛けられています。

    「汀の池」あたりは、平家物語に出てくる当時そのままを偲ぶことができるそうです。

    平家物語にも出てくる樹齢数千年と言われた松も、火災により枯死してしまい、倒木の危険があるため伐採され、現在はご神木として、残った幹の一部だけが祀られています。

    江戸時代に建立された鐘楼には「諸行無常の鐘」と称する梵鐘が掛けられています。

  • 西門をくぐると・・・

    西門をくぐると・・・

  • 建礼門院が隠棲していた庵の跡・・・と伝えられる場所があります。<br /><br />建礼門院は、壇ノ浦で亡くなったわが子・安徳天皇や平家一門の人々の菩提を弔うため、出家しここで余生を過ごしました。<br /><br />それ以来、御閑居御所、または高倉大原宮とも称されています。<br /><br />平家物語には、寂光院に閑居する建礼門院のもとを、後白河法皇が訪れた話が出てくるのです。

    建礼門院が隠棲していた庵の跡・・・と伝えられる場所があります。

    建礼門院は、壇ノ浦で亡くなったわが子・安徳天皇や平家一門の人々の菩提を弔うため、出家しここで余生を過ごしました。

    それ以来、御閑居御所、または高倉大原宮とも称されています。

    平家物語には、寂光院に閑居する建礼門院のもとを、後白河法皇が訪れた話が出てくるのです。

  • 庵跡の脇には、建礼門院が使っていたと言われる井戸の遺構が残っていて、今でも清水が湧き出ています。

    庵跡の脇には、建礼門院が使っていたと言われる井戸の遺構が残っていて、今でも清水が湧き出ています。

  • 林の奥には収蔵庫。

    林の奥には収蔵庫。

  • 哀しみを抱え静かな余生を過ごしたのでしょうね。いや・・・仏に帰依したなら哀しみは無くなったのかな。<br /><br />このあと、鳳智松殿(宝物殿)を見学しました。平成12年の放火のあと、寂光院の復興を記念して建てられたそうです。<br /><br />焼失した本堂ですが、本尊の地蔵菩薩像だけは、屋根がすべて崩れ落ちた中で、ほぼ炭化しながらも形を留めて屹立していたそうです。像の表面は大きく損傷しましたが、胎内に収められていた鎌倉時代造立の発願文・経文や、3000余体の小地蔵尊は無事でした。<br /><br />火災後、重要文化財だったご本尊の指定継続の有無が議論されましたが、彫刻面がほぼ残存していることと、像内の造立当初からの豊富な納入品が無傷で残ったことなどが理由で、指定解除にはなりませんでした。現在は、保存処理がなされた上で林の奥にある収蔵庫に保存されています。<br /><br />胎内に収められていた数センチの小地蔵は、鳳智松殿に展示されていますが、焦げているものやそうでものないものが混じり・・・複雑な思いを抱かせてくれるものでした。

    哀しみを抱え静かな余生を過ごしたのでしょうね。いや・・・仏に帰依したなら哀しみは無くなったのかな。

    このあと、鳳智松殿(宝物殿)を見学しました。平成12年の放火のあと、寂光院の復興を記念して建てられたそうです。

    焼失した本堂ですが、本尊の地蔵菩薩像だけは、屋根がすべて崩れ落ちた中で、ほぼ炭化しながらも形を留めて屹立していたそうです。像の表面は大きく損傷しましたが、胎内に収められていた鎌倉時代造立の発願文・経文や、3000余体の小地蔵尊は無事でした。

    火災後、重要文化財だったご本尊の指定継続の有無が議論されましたが、彫刻面がほぼ残存していることと、像内の造立当初からの豊富な納入品が無傷で残ったことなどが理由で、指定解除にはなりませんでした。現在は、保存処理がなされた上で林の奥にある収蔵庫に保存されています。

    胎内に収められていた数センチの小地蔵は、鳳智松殿に展示されていますが、焦げているものやそうでものないものが混じり・・・複雑な思いを抱かせてくれるものでした。

  • 山門まで続く石段の途中に、孤雲(こうん)と称する茶室があります。<br /><br />京都御所で行われた、昭和天皇即位の御大典の際に用いられた部材が下賜され、それをもとに昭和4年に造られたものです。

    山門まで続く石段の途中に、孤雲(こうん)と称する茶室があります。

    京都御所で行われた、昭和天皇即位の御大典の際に用いられた部材が下賜され、それをもとに昭和4年に造られたものです。

  • 庭園の向こうに孤雲。

    庭園の向こうに孤雲。

  • 鐘の音が聴こえたので、もう一度石段を戻って鐘楼へ・・・鐘を撞いていたのは、尼僧でした。<br /><br />16時です。

    鐘の音が聴こえたので、もう一度石段を戻って鐘楼へ・・・鐘を撞いていたのは、尼僧でした。

    16時です。

  • 石段を下りた途端に門扉が閉められました。<br /><br />16時半閉門だと思っていたのですが、1月1日~3日だけは16時だったのです。後から思うと、まさにギリギリで、うまく間に合ったものだな・・・という感じですが、予定したお寺をすべて拝観することができてよかったです。<br /><br />寂光院<br />http://www.jakkoin.jp/

    石段を下りた途端に門扉が閉められました。

    16時半閉門だと思っていたのですが、1月1日~3日だけは16時だったのです。後から思うと、まさにギリギリで、うまく間に合ったものだな・・・という感じですが、予定したお寺をすべて拝観することができてよかったです。

    寂光院
    http://www.jakkoin.jp/

  • うっすら夕暮れ色に染まる大原の里。

    うっすら夕暮れ色に染まる大原の里。

  • 三千院のご朱印。

    三千院のご朱印。

  • 三千院と実光院のご朱印。<br /><br />三千院には、ご朱印を頂ける場所が3ヵ所(金色不動堂、観音堂、円融蔵)あります。パンフレットの地図を見るとちゃんと記載されていますのでお忘れなく。

    三千院と実光院のご朱印。

    三千院には、ご朱印を頂ける場所が3ヵ所(金色不動堂、観音堂、円融蔵)あります。パンフレットの地図を見るとちゃんと記載されていますのでお忘れなく。

  • 勝林院と宝泉院のご朱印。<br />

    勝林院と宝泉院のご朱印。

  • 来迎院と寂光院のご朱印。

    来迎院と寂光院のご朱印。

  • 帰りは京都行きのバスを利用したので、本数も割とありました。始発の大原からは空いていましたが、街なかに入るとけっこう混雑してきました。<br /><br />18時に予約しておいた居酒屋に行くため、三条京阪で降りました。<br /><br />17:20と、だいぶ早めに着いちゃいましたが・・・元旦は混雑するのか2時間と言われました。時間制限あるなら、予約の時に言ってほしかったなぁ~。

    帰りは京都行きのバスを利用したので、本数も割とありました。始発の大原からは空いていましたが、街なかに入るとけっこう混雑してきました。

    18時に予約しておいた居酒屋に行くため、三条京阪で降りました。

    17:20と、だいぶ早めに着いちゃいましたが・・・元旦は混雑するのか2時間と言われました。時間制限あるなら、予約の時に言ってほしかったなぁ~。

    旬菜ダイニング eーとこ屋 グルメ・レストラン

  • アボガド丸ごとチーズフライが売りのようです。<br /><br />旬采ダイニング e-とこ屋<br />https://etokoya.owst.jp/

    アボガド丸ごとチーズフライが売りのようです。

    旬采ダイニング e-とこ屋
    https://etokoya.owst.jp/

  • かっちり2時間で追い出されました(笑)・・・19:20です。<br /><br />昨晩は、疲れすぎて夜景撮りに行く元気を失ってしまいましたが、今夜は、これから予定通り撮影に出かけます~!

    かっちり2時間で追い出されました(笑)・・・19:20です。

    昨晩は、疲れすぎて夜景撮りに行く元気を失ってしまいましたが、今夜は、これから予定通り撮影に出かけます~!

  • 地下鉄で三条駅から太秦天神川駅へ・・・嵐電に乗り換えます。<br /><br />ん?駅はどこ?って探しちゃった・・・路面電車みたいな駅でビックリ!

    地下鉄で三条駅から太秦天神川駅へ・・・嵐電に乗り換えます。

    ん?駅はどこ?って探しちゃった・・・路面電車みたいな駅でビックリ!

    嵐電天神川駅

  • 途中までは、路面電車みたいに道路を走っているところがあって、面白かったです。

    途中までは、路面電車みたいに道路を走っているところがあって、面白かったです。

  • 車内もレトロでとっても可愛い。

    車内もレトロでとっても可愛い。

  • バスみたいに、降りる人はブザーボタンを押します。降りる時、運転手さんの後ろの小窓が開き、そこで切符を渡すか清算をします。

    バスみたいに、降りる人はブザーボタンを押します。降りる時、運転手さんの後ろの小窓が開き、そこで切符を渡すか清算をします。

  • 20時・・・嵐山駅に到着。<br /><br />今夜は・・・ぜひ見たかった嵐電嵐山駅のキモノフォレストにやってきました。<br /><br />駅にある商業施設「はんなりほっこりスクエア」はまったくやっていませんでした。営業しているお店もあるかな・・・なんて思ってたんですが、元旦なので一斉休業だったのかな・・・それとも時間が遅めだったからなのかな・・・。

    20時・・・嵐山駅に到着。

    今夜は・・・ぜひ見たかった嵐電嵐山駅のキモノフォレストにやってきました。

    駅にある商業施設「はんなりほっこりスクエア」はまったくやっていませんでした。営業しているお店もあるかな・・・なんて思ってたんですが、元旦なので一斉休業だったのかな・・・それとも時間が遅めだったからなのかな・・・。

  • まぁお陰で、たま~に人がやってきますが、ほぼひと気がなく、好きなだけ無人で撮ることができました。

    まぁお陰で、たま~に人がやってきますが、ほぼひと気がなく、好きなだけ無人で撮ることができました。

  • 京友禅を用いた約2mのポールが600本。<br /><br />様々な柄があり・・・いくら撮っても切りがありません。ぜんぶ違う柄というわけでなく、32種類あるらしい。

    京友禅を用いた約2mのポールが600本。

    様々な柄があり・・・いくら撮っても切りがありません。ぜんぶ違う柄というわけでなく、32種類あるらしい。

  • 雨が降り始めました。

    雨が降り始めました。

  • 奥まで行くと「龍の愛宕池」と呼ばれる水盤が・・・。地下50mから湧き出る、霊峰・愛宕山の伏流水なんだそうです。

    奥まで行くと「龍の愛宕池」と呼ばれる水盤が・・・。地下50mから湧き出る、霊峰・愛宕山の伏流水なんだそうです。

  • 連れ合いは傘を差していました。

    連れ合いは傘を差していました。

  • SNSの写真なんかでよく見かけていましたが、予想通りのフォトジェニックさ!雨の中、しつこく粘っているのは、わたしだけ。

    SNSの写真なんかでよく見かけていましたが、予想通りのフォトジェニックさ!雨の中、しつこく粘っているのは、わたしだけ。

  • 写真だと、わりとオレンジ色がかって撮れるので、実際に見た時、思っていたよりも白っぽい明るさが意外でした。<br /><br />撮ったそのままだと、実際よりもオレンジっぽいので(それも温かみがあっていいのですが)、実際に見た色目に近いようにレタッチしています。

    写真だと、わりとオレンジ色がかって撮れるので、実際に見た時、思っていたよりも白っぽい明るさが意外でした。

    撮ったそのままだと、実際よりもオレンジっぽいので(それも温かみがあっていいのですが)、実際に見た色目に近いようにレタッチしています。

  • 水面への映り込みが幻想的。

    水面への映り込みが幻想的。

  • 雨なので、誰か来ても、写真を撮ってそそくさと引き上げていきます。なので、ツーショットも思いのまま・・・。

    雨なので、誰か来ても、写真を撮ってそそくさと引き上げていきます。なので、ツーショットも思いのまま・・・。

  • 雨の中・・・ちょっと渡月橋まで行ってみました・・・予想していましたが、やっぱり真っ暗すぎ~~(爆)。<br /><br />しかも、途中のお店は一軒もやっておらず(平常時でも、このへんは閉店が早そうだけれど)・・・暗い中の往復でした。<br /><br />ライトアップとか・・・常時してるといいのにね。

    雨の中・・・ちょっと渡月橋まで行ってみました・・・予想していましたが、やっぱり真っ暗すぎ~~(爆)。

    しかも、途中のお店は一軒もやっておらず(平常時でも、このへんは閉店が早そうだけれど)・・・暗い中の往復でした。

    ライトアップとか・・・常時してるといいのにね。

  • 嵐山駅にそそくさと戻ってきました。<br /><br />改札がないので、出入り自由なのが嬉しいですね。

    嵐山駅にそそくさと戻ってきました。

    改札がないので、出入り自由なのが嬉しいですね。

  • ホームから見るキモノフォレスト。

    ホームから見るキモノフォレスト。

  • 帰りは、嵐電と地下鉄を乗り継いで帰りました。<br /><br />少し疲れてたけれど、気合い入れ直して来てよかったです。人もいないし、とてもキレイで、楽しかったです。<br /><br />長い旅行記になりました・・・見て下さってありがとうございました。

    帰りは、嵐電と地下鉄を乗り継いで帰りました。

    少し疲れてたけれど、気合い入れ直して来てよかったです。人もいないし、とてもキレイで、楽しかったです。

    長い旅行記になりました・・・見て下さってありがとうございました。

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この旅行記へのコメント (10)

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  • 白い華さん 2018/02/25 14:04:24
    京都の 「都会 & 田舎・・・の お寺」。
    今日は。
    なかなか、「関西旅行って 行かれない! 私」で
    2月は、「関西 和歌山 高野山 & 熊野古道・方面」に 行く!つもり。の 我が家でしたが、

    2月初旬に 「息子が、年内に、結婚するよ~」って 言い出して
    「暮れ!の 結婚式」は ノー・タッチ・・・の 老夫婦。ながら
    主人が、「5年前!の 娘・同様に 「息子の 新居!作り & 私達も お引越し!する」と 言い出して、
    「想定外!の 2018年・・・と なり、 家づくり!が 急遽 始まってしまいました」(まだ、 3週間・・・なのに、着々と 決まっていく)
    だから、 和歌山には 行けず・・・。と なりました。

    ただ、 5月の「地中海クルーズ」は、夫婦で 行けます。ので、これ!が 「大忙し!の 2018年・・・の 我が家」の 支え。と なりそう。 (笑)
    ーーーーーーーーーーーーーーーーー
    ところで、先日から 「年末年始の 京都旅行」を 拝見していました。が
    「京都の 都会!の 京都らしさ」を 味わったら、

    田園風景!の のどか・・・な 「大原へ」は、 また、落ち着きますね。
    『 三千院 & 寂光院 』 と、 有名なお寺。だけ・・では なくて、
    子寺も 違いますね~。

    田園風景!を 味わい 歩く 道。
    ただ・・・の 農村。とは、違ってて、「歴史ある! お寺」に 到着すれば
    見応え!ある 「苔に 伽藍が 建ち並んでいる」。

    そんな、子寺群!を 拝見しつつ 散策する・・・ 『 大原の里 』。
    詳しい!お写真。 コメントが とっても、「行った気」に なれて、 楽しめました。

    夜の 『 キモノ・フォレスト 』 も、
    嵐山駅 & 嵐電・・・が 似合ってて、「素敵な 企画」ですね。
    これだけ! 大胆に 「キモノ」を 魅せる・・・って なかなか、出来無い。ので
    「外国人も 喜ぶだろう」ね。
        これからもよろしくお願いします。

    こあひる

    こあひるさん からの返信 2018/03/01 14:26:02
    RE: 京都の 「都会 & 田舎・・・の お寺」。
    白い華さん、こんにちは!

    あら?お引越しされるのですか?それはお忙しくなりそうですね。お近くなのでしょうか?

    高野山&熊野古道方面は、とても魅力的でしょうが(わが家も、1年半前の夏に高野山に行ってきましたよ〜)、まぁ、すぐに行くチャンスはあるでしょうから・・・。

    今回の京都旅行の中では、大原ののんびりとした田舎の雰囲気が好きでした。広大な伽藍を持ち、キレイに整えられたお庭があるようなお寺も京都らしくていいと思いますが、わたしは、こういうちょっと田舎臭いのどかなお寺が好きなようです。

    キモノフォレストは多くの写真で見ていて、是非にもこの目で見たい!と思っていたので、元気を振り絞って訪れてみて、とてもよかったです。ひと気もなくて、思う存分2ショットを撮ってきました。

    5月には地中海クルーズですね〜。わが家も、GWには年に一度の大きな海外旅行を控えており、そろそろ細かいプランを立て始めようかな〜なんて思い始めています。あと2ヶ月と思っていても、気づけばあっという間にやってきてしまいますもんね〜。

    こあひる
  • zunzunさん 2018/02/20 16:52:56
    キモノフォレスト♪
    こあひるさま、こんにちは~^^

    元旦も精力的に歩かれていますね。
    大原は京都市内から少し時間がかかりますが、とっても趣のある所ですよね。

    2月の3連休、三千院の大根炊きへ行きたかったのですが、関西行きが流れたので・・・また今度です。
    寒い時期の京都はピンと空気が張り詰めていて好きなんですよ^^

    元旦の夕食を食べるお店探しは、すんなりだったのですか?
    私は以前にお店が見つからなくて苦労した事があります。。。

    そして嵐電嵐山駅の、キモノフォレスト!!!
    京友禅ですね、ここは一度見に行きたいですよ。
    だってこんな美しいのだもの~~~

    行けると良いな~^^


    zun



    こあひる

    こあひるさん からの返信 2018/02/23 10:49:54
    RE: キモノフォレスト♪
    zunさま、こんにちは!

    お寺は閉まるのが早いので・・・遅出のわが家ですが・・・美仏さまにお会いするため、かなり頑張りました(笑)。

    大原は、今回の京都旅行の中で最も自分好みだったかな〜って思います。のどかで静かな郊外をの〜んびりお散歩・・・こういうのがけっこう好きかな〜。最もお会いしたかった観音さまもいらっしゃいますしね〜。三千院は、雪景色の時に行ってみたいとも思いました。

    夕食については、ここ、いいな〜!と思ういくつかのところは、年末年始でお休みだし・・・夕食後に夜景を撮りに行きたいので、待つのはもったいない・・・と思い、場所などを考えながら、すべて予約を入れておきました。いきあたりばったりが多いわが家では、こういうパターンは珍しいのですけれどね〜。

    キモノフォレストは、是非にも実際に見たかったので、願いが叶ってよかったです!とってもキレイだったし・・・ほぼ無人だったので、思う存分撮影も楽しめました。

    こあひる
  • milkさん 2018/02/12 00:20:13
    静かな三千院
    こあひるさん、こんばんは☆

    三千院はとても静かで風情がありますよね。
    大原の田園風景を眺めながらのんびり歩いていくのがまた素敵です。

    私も10年以上前になりますが、三千院に行きました。
    その時、途中でそばを食べたら胃が痛くなってしまって...。
    体調すぐれないままの拝観だったので、記憶が曖昧です。
    今、考えるとその頃から私の蕎麦アレルギーが発症したようです。
    それまでは全く大丈夫で、むしろ好きだったので美味しく山菜蕎麦を頂いたのに(>_<)
    そんな思い出の場所になってしまった三千院...。
    いつかまたゆっくりと再訪したいです。

    そうそう、かわいいわらべ地蔵さんは良く覚えています。
    癒されました~♪

    勝林院の本堂は美しいですね。
    シルエットはもちろん、彫刻も素敵。

    寂光院は放火されて全焼したのですか??
    それは許せない...。
    聖徳太子作と伝えられている六万体地蔵尊まで焼かれてしまったなんて、本当に許されない事ですよね。
    悔しそうにお話される姿が思い浮かびます...。

    「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」
    この鐘は寂光院にあったのですね。

    「娑羅双樹の花の色、 盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久しからず、 ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひにはほろびぬ、ひとへに風 の前の塵に同じ」

    放火犯もいつかは滅びますね。

    国宝って、国から派遣された方でないと触ってはいけないのですね!

    最後に嵐山のキモノフォレストを見に行って良かったですね。
    とっても美しい京友禅は目の保養になりました♪

    milk


    こあひる

    こあひるさん からの返信 2018/02/19 17:04:00
    RE: 静かな三千院
    milkさん、こんにちは!

    返信が遅くなってごめんなさい。

    大原はのどかで静かで美しく、の〜んびり散策するのがとても楽しくて心癒されるところでした。

    milkさん、そばアレルギーだったんですねぇ〜。日本には、お蕎麦が名物の地域が多いので、食べられないのは残念なこともありますが、蕎麦アレルギーはけっこう強力と聞きますので、こればかりは・・・仕方ないですよね。

    わらべ地蔵やおさな六地蔵探しも、なかなか遊び心があって楽しめました。周りの草木の緑や苔が美しいシーズンにも訪れてみたくなりました。

    国宝の阿弥陀三尊は、ほんとにステキでした〜〜ぁ!国宝の扱いにも色々あるんでしょうが、ここの仏像に関しては、お身ぬぐいすらできないんですよ〜とおっしゃっていました。

    寂光院の放火には、驚きました。こんな田舎の奥の小さなお寺・・・わざわざ灯油をまいて放火したっていうのは・・・どういうことなんだろう・・・と。お寺の方たちや住民の方たちのショックは計り知れません。

    仏教では、そういうことにすら執着しない・・・というのが教えなのでしょうが・・・大切にされてきた宝物が突然途切れてしまった無念さは計り知れませんねぇ・・・。

    キモノフォレストは、是非にも見たい!と思っていたスポットでしたので、元気を振り絞って行ってみてよかったです。とてもキレイで・・・2ショット撮るのも楽しかったです。

    こあひる
  • たらよろさん 2018/02/11 10:42:35
    こんなにいっぱいわらべ地蔵が、、、
    こんにちは、こあひるさん

    京都大原三千院!!
    バス停からそんなに歩いたっけかな??って考えて、
    そういや、私バスで行ったことないかも!!って(笑)
    あの辺は辺鄙なので、いつもバイクか車でしたね。

    すぐきのお漬物、なんとも言えない苦味というか酸味というか渋みというか、、、
    それが私は苦手で、唯一京都のお漬物で食べられないもの。
    苦手な人は細かく刻んでお茶漬けにしたらよいらしいけれど、
    そこまでして食べたいとも思わないのでねー(笑)

    念願の仏様にお会いできてよかったですね♪
    最近は復元の技術が良くなって、昔の色がそのまま復元されるようになりましたが、
    想像以上に奇抜で派手な色合いで、少々びっくりすることも、、、
    もうすこし落ち着いた色合いで良いんじゃないの??って。
    まあ、中国から来た文化ですから、同じように派手だったんですね。

    わらべ地蔵がこんなにたくさんいらしてびっくりです。

    たらよろ

    こあひる

    こあひるさん からの返信 2018/02/14 11:17:01
    RE: こんなにいっぱいわらべ地蔵が、、、
    たらよろさん、こんにちは!

    バス停からのんびり山あいを歩く道のりも、なかなか楽しい大原でした。

    すぐき・・・って何?って思ったけれど、独特の風味があるのですね?しば漬けも千枚漬けも全国的に有名ですが、すぐき・・・だけは知りませんでした。味の想像もつきません〜。

    憧れの三千院の観音さまにお会いできてよかったです!しかも初詣〜!

    往時の寺院や仏像の色彩は、そういうものだったと知っていても、復元されたものを見ると、あまりのギャップにビックリしちゃいますよね〜。古色蒼然とした姿の古寺ばかり見慣れているので、そのままの風情を味わいたい気持ちと、当時の人々が見ていただろう圧倒的な光景を見てみたい気持ちと・・・両方感じてしまいます。

    こあひる

  • aoitomoさん 2018/02/10 15:15:32
    美仏巡り京都編コンプリート!?
    こあひるさん こんにちは~

    大原三千院の西に金毘羅山があります。
    そこに娘とロッククライミングをしに行った時に、
    歌でも有名な三千院てここにあるんだと知ったのです。
    こんな大きな庭園があるというのは後に知りました。

    客殿から見る聚碧園のように、部屋から眺める庭園は風情があっていいですね。
    フォトジェニックでもあるし、こんなところに足を運びたくなります。
    とは言うものの紅葉シーズンは混んでいそうだし、
    雪景色の時は意外と空いていそうなんて思いますが、
    雪が多いところは相方が付き合いません。(笑)

    往生極楽院の『阿弥陀三尊像』、国宝だとお寺の人ですら触れることができないのですね。びっくりです。
    憧れの観音菩薩に出会えて何よりですが、こあひるさんをときめかせたテレビ番組も見てみたいです。(笑)

    極彩色に復元された天井画もびっくりです。
    創建当時は天井画に限らず色々とカラフルだったのでしょうね。

    『わらべ地蔵』
    なかなかいい表情をしているとともに、苔むした庭園に馴染んで絵になりますね。
    わらべ地蔵探し楽しそうです。
    私は結構こんなのに夢中になってしまいますよ。

    『実光院』
    入れてラッキー?
    ここも客殿から美しい契心園が眺められるのですね。
    客殿からの撮影も楽しめますね。
    ご主人もひと息つけて、ちょうど良かったのかも。
    池も雰囲気ありますね

    『勝林院』
    本堂(阿弥陀堂)の阿弥陀さま、
    写真で見るとこあひるさんの表現『きりっ!!』がぴったりの表情です。
    これまた印象に残る御顔です。(笑)

    『宝泉院』
    ダイナミックな樹齢700年の五葉松、圧巻というかフォトジェニックというか、
    インパクトあります。
    逆光で皆さんが抹茶をいただきながら眺めている写真もいいです。

    『来迎院』
    本堂の仏像、明るいし撮影も出来たのですね。
    天女の画も時代はともかく素晴らしい。
    全体として美しい空間です。

    『寂光院』
    放火の話も、びっくりですが、
    炭化してしまった六万体地蔵尊が聖徳太子の作と伝えられるというのにも驚きです。
    それを聞いたらなおさらショックですよ。
    現在の本尊も復元されたばかりなんですね。

    『キモノフォレスト』
    これは面白い。
    色々なアイディアがあるものです。
    幻想的かつフォトジェニックです。
    撮影にはもってこいの場所ですね。
    人も少なくてラッキーです。
    色々構図を探りながら撮影も楽しめましたね。

    今まであまり知らなかった京都のお寺も、
    少し分かった気分です。
    楽しませていただきました~

    aoitomo

    こあひる

    こあひるさん からの返信 2018/02/14 11:01:10
    RE: 美仏巡り京都編コンプリート!?
    aoitomoさん、こんにちは!

    三千院よりも、金毘羅山のロッククライミングを先に知っている・・・とは、さすが、アクティビティのaoitomo家です〜!

    大原全体が、のどかな山あいの風情いっぱいな集落なので、思った通り、ゆっくりのんびり歩き周るにはピッタリのところでした。

    京都市内の立派なお寺もいいですが、山寺風情ののんびりしたお寺が好きかな〜。

    市内に雪がちらつく程度でも、大原では積雪するようです。SNSで、今年は京都に何度か雪が降ったようですが、街なかに比べ、大原はけっこう積雪していました。雪景色の大原はとてもフォトジェニックですが、歩き周る目的だと、ちょっと大変かもしれませんね。きちんと見るなら、やっぱり雪のないシーズンでしょうね〜。

    国宝でも所有者管理のものもあるようですけれど(?)、この阿弥陀三尊像については、一切触れることができない・・・って、説明の方が言っておられました。埃がついていても払えないそうですよ〜。

    堂内の極彩色の復元を見ると、かつてそうだったという話を聞いてイメージするよりも、かなりのインパクトですよね〜。お寺も仏像も、当時はかなり金ぴかハデハデだったことを重々承知していても、今ではどの古寺も、侘び寂び感たっぷりの古びた風情が売り・・・のようになっているので、改めてギャップにビックリしてしまいます。

    新緑のシーズンは、苔ももっと青々としていて、まわりの木々も緑一色で・・・そこにわらべ地蔵が埋もれているのは、ほんとにステキだろうな〜と思います。地蔵探しとともに、どう撮ればフォトジェニックかな〜なんて、このお庭だけでも、けっこう楽しめました。

    実光院・・・あれ?やってるじゃない〜〜!?ってビックリでしたが、やっていると言ってたのにやっていないのであればショックですが(海外ではありがちかも)、逆だと有り難いですよね。

    それぞれのお寺で、3度も抹茶とお菓子を頂き、ちょっと飽きました(笑)。でも、連れ合いをお部屋に置いて、心置きなく庭や院内を見て周れるので、こういうスタイルはわが家には有り難いことです。

    勝林院の阿弥陀さまは、なかなかりりしいお顔で男前でした。勝林院は、本堂の形が美しく印象に残りました。

    宝泉院のお庭はとてもキレイでしたよ〜。五葉松のある側と竹林のある側と、雰囲気の異なるお庭を見渡せるのがとても魅力的でした。額縁庭園なのもよかったです。紅葉の時には人気のようです。

    寂光院の放火は、ほんとに・・・こんな田舎のお寺・・・わざわざここを狙って放火した・・・っていうことに驚きます。聖徳太子作と伝わる地蔵尊の真偽は疑わしいと思いますが(こら!)、歴代の有名な武将たちによって大切に保存されてきた本堂や仏像が、一晩で焼失してしまうなんて、どんなに悔しがっても足りないことでしょうね。

    そういうことに執着しない・・・のが仏教なのでしょうが、お話しをしてくれた方は、かなり悔しそうでした。

    キモノフォレストも、SNSで見て行ってみたいな〜と思っていたスポットでしたので、元気を振り絞って行ってみて楽しかったです。ひと気もほぼなく、思う存分撮影できて良かったです。

    こあひる

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