みちのくの古代巡りとちょい紅葉の旅(六日目・完)~東日本大震災の傷跡が未だに生々しい石巻から、古代巡りの最後はやっぱり多賀城。支配するものと支配されまいとする者の興亡は豊かさの所以でもあるようです~
2016/11/06 - 2016/11/06
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たびたびさん
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秋田から始まったみちのくの古代巡りも今日で最終日。そして、最終日を飾るのは、多賀城。
大和朝廷の東北経営が積極化するのは飛鳥時代から奈良時代。しかし、安定期を迎えるのは、アテルイを降すことで、伊治砦麿呂といった有力な俘囚の離反等が続いた混乱を収めた平安時代初頭の坂上田村麿辺りから。そして、前九年の役、後三年の役で軍事介入する源頼時・義家父子の時代。長きに渡って陸奥国の要として機能したのが多賀城なんですね。
ただ、朝の散策は前泊した石巻から。昨日の伊達政宗関係の続きとなりますが、石巻は仙台藩の江戸廻米の積出港。政宗の時代から北上川の開発が始まり、今の北上市の展勝地から石巻までが舟運で結ばれると、新田開発と合わせて、仙台藩の廻米は江戸でナンバーワンの地位を得るまでとなる。石巻の隆盛は容易に想像できると思います。しかし、今回の旅では、そうした名残りに触れることはできず。ちょっと、残念な結果となりました。
一方で強く印象に残ったのは、東日本大震災の爪痕。宮古や気仙沼など、これまでも震災の爪痕は見てきていますが、この石巻が一番痛々しかったような。聞けば、復興計画がなかなかまとまらず、力が結集出来ていない面もあるとのこと。元あったままに戻すのが復興とばかりは言えないと思いますが、戻らないと復興したような気持ちにならないのも仕方ないところ。こうした現場の思いの複雑さもあるのではないかと感じました。
そして、後半は石巻から多賀城跡へ。多賀城駅から国府多賀城駅の間には史跡や関係施設が点在していて、それらを一つ一つ丁寧にまわります。政庁跡の基礎土木の見事さにはちょっと感銘を受けましたが、ほか特によかったのは東北歴史博物館。東北全体の古代史を概観する意欲的な内容なので、今回の旅の総括にはぴったり。
胸がちょっぴり痛むような出来事も混じった古代みちのくの壮大な歴史物語。もしかしたら、奥の細道に向かう芭蕉も同じような思いがあったのだと思いますが、私も私なりの視点で思い返しながら、頭の整理、気持ちの整理ができたように思います。
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石巻で朝を迎えて、さっそく石巻市内の散策に向かいます
日和山公園は石巻市街の中心部から歩きましたが、なかなか遠いですね。 -
山すそを公園として整備してあって、
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芭蕉と曽良が石巻を訪れ、曽良旅日記には日和山からの景色も書かれていることにもちなんででしょうが、これは芭蕉と曽良の像。志賀直哉、石川啄木、宮沢賢治などの文人も多く訪れているようです。
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イチオシ
まあ、北上川の河口を見下ろす景色とかが旅情を誘うということなんでしょうが、それより今では東日本大震災の跡の方が気にかかる。優雅に思いをはせるという気持ちにはなれないように思います。
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見えているこちらは日本製紙石巻工場。石巻市の臨海部にあたり、ここも東日本大震災では甚大な被害を受けようですが、今では煙突から元気に煙を吐いていて、復興の象徴的な存在にもなっています。日和山公園から工場の全景がよく見えました。
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ほか、日和山公園の一角に石巻城跡の石碑がありましたが、あまり目立っていないので、これに気が付かない人も多いかもしれません。
石巻城は、源頼朝に従って、奥州合戦でこの一帯に所領を得た葛西氏の居城だったもの。その後、秀吉の北条攻めに何とか間に合った伊達政宗はおとり潰しにならなかったのですが、葛西氏はそれで滅亡する。それでも400年の間、領主であったことはたいしたものかもしれません。
最後のあがきは、昨日の旅行記でも触れた葛西大崎一揆。一揆の戦後処理として、旧葛西領は、新領主だった木村吉清から葛西が従属していた伊達政宗の所領に替わることとなりました。 -
ここから、日和山から石巻市街の方に戻ることにします。
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あのドームが石ノ森萬画館ですね。でも、周囲は工事現場のよう。東日本大震災からもうだいぶ経っていると思いますが、まだこんな状況なんですか。なんだか予想外の光景です。
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石ノ森萬画館の対岸の市街地。あれれ、こちらも空地だらけでどうしたんでしょうねえ。
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ここは建物が建っていて少しはましなんですが、やっぱり復興した感があんまりありません。
気仙沼や宮古でも、もう少しちゃんとしていたような印象。
しかし、ここはなんだか復興するのかしないのか。それすらまだ迷っているような感じですね。 -
イチオシ
少し進んで、こちらは旧観慶丸商店。これも東日本大震災の津波の被害を受けたビルだと思いますが、昭和初期に建てられたスペイン瓦葺という美しさは変わっていないような。しかし、こっちも改装工事か何かをやっている感じで、まだこんな状態ですか。
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モヤモヤ感を残しながらですが、まずは石ノ森萬画館を訪ねましょう。
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橋から見える市街。橋から眺めると、広い範囲が塀に囲まれたままであることがよく分かります。
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今はゆったりと流れる北上川ですが、ここに津波が押し寄せたんでしょうね。
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石ノ森萬画館は、北上川の中州のような場所。
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イチオシ
この場所であれば、東日本大震災の津波をもろに受けたのだと思います。周囲は荒地のままでまたへこみそうですが、この建物はなんとか復活しているみたいですね。
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中に入ると、これならOK
大震災の名残りはまったくありません。私も気持ちが落ち着いてきました。 -
ショップがあって、有料スペースはこの奥です。
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さて、石ノ森萬画の作品といってもあれこれありますが、やっぱり胸が躍るのは何と言っても「サイボーグ009」でしょう。
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館内の女性の制服も「サイボーグ009」。この服のデザインの近未来的なイメージは今も色あせていないように感じました。。
ただ、この女性の年代では「サイボーグ009」なんて知らないでしょう。そんなことを話したら、やっぱり後になって知っていったということ。私は幼いころ、「サイボーグ009」の映画も祖母に連れて行ってもらって見ましたけど、今でもそのドキドキをおぼろげながら覚えています。本当に懐かしいです。 -
緩やかな坂を上って奥へと進む。
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写真が撮れるのはここまでです。
サイボーグ001から始まって、それぞれが多様な能力を持つキャラクター。一つ一つが、あーこんなだったよなとか思い出して楽しい限り。もうすっかり忘れたと思ってましたが、けっこう覚えてるもんですね。
しばし、童心に戻って、心が癒されました。 -
再び、市街に戻ってきて。
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これは石巻復興まちづくり情報交流館。
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東日本大震災からの復興への思いをアピールする展示内容なんですが、そもそも石巻は復興がかなり遅れているような。そんな感想を素直に話したら、その通りという答え。復興をどうするのか決めかねているところが多々あって、力が結集出来ていないということでした。
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これは隣りの復興商店街。まだ営業時間の前です。
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同じ並びにある石巻ニューゼですが、これも東日本日本大震災の記憶をとどめるための資料館。
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入ってすぐにはちょっとした休憩スペースもあります。奥に震災直後に作られた手書きの壁新聞のようなものがいくつか展示されていて、当時の空気をけっこう生々しく伝えていました。それは撮影禁止です。たぶん、個人情報とかがあるからなんでしょうが、お伝えできないのが残念です。
ここでも、さっきの石巻復興まちづくり情報交流館の疑問をぶつけてみました。つまり、「この辺りの商店街にいた人からすると、元の賑やかさを取り戻すのが復興ということなんでしょう。これだけ生々しい傷跡が残ったままだと、我々だって心が痛みます。しかし、それでいいということでもないような。聞けば、今では石巻の市街地は北部の方が発展しているし、ここより駅に近い辺りの方が活気が出ている。地形的なこともあるのだと思いますが、そうであるなら、むしろそれを後押しして行くのが自然なのでは?しかし、行政としては、この辺りに住んでいた人たちへの配慮もあってなかなかそうとははっきり言えない。そういうことだけじゃないとは思いますが、そういったことも含めて、全体を取りまとめていくのは難しいんでしょうね。」云々
これに対する答えは明確なものはなかったのですが、否定の言葉はなし。悶々としている状況であることや悩みの深さが想像されました。 -
そうこうしているうちに、そろそろ多賀城への列車の時間が気になってきて、石巻駅に急ぎます。
その途中に白謙蒲鉾。白謙蒲鉾って仙台でもちょくちょく見るんですが、石巻が本店なんですね。 -
石巻駅にほど近い国道沿いにさりげなくあって、店舗も大きくはないので、ここが本店と聞かされてビックリするくらい。しかし、店員さんはたくさんいるし、お客さんも次々入ってきて、活気はありますね。
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白謙あげを買って、列車の中でいただきました。柔らかめの仕上がりがいいと思います。
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石巻駅に到着。
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ロマン海遊21は、石巻駅のロータリーに面した立派な建物。基本は地元のおみやげ品を扱うショップですが、野菜や海産物の直売も含めた商業施設です。
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東日本大震災からの復興もうたっているのですが、正直言えば、少し寂しい印象もぬぐえない。地元の人向けなのか、観光客向けなのかがあまりはっきりしないのも気になります。
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多賀城へはJR仙石線です。この路線は石巻と仙台を結んでいるのですが、高城町駅で東北本線と結束しているので、ちょっと分かり辛い。
それに、多賀城に行くのに、多賀城駅なのか国府多賀城駅なのか。多賀城駅は仙石線ですが、国府多賀城駅は東北本線。高城町駅で乗り換えするのか、しないのか。ちゃんと調べていないと混乱します。 -
で、多賀城駅の方に到着しまして。
穂野かは、道の駅の直売コーナーみたいなお店。この辺りには数店舗あるようですが、私が寄ってみたのは多賀城駅出てすぐのお店。 -
どういうわけか分かりませんが、お手伝いのおばちゃんたちがいっぱいいて、お餅の無料サービスをしていました。なんだか生産者との距離がかなり近いようなお店です。生姜のお餅とか、珍しい。石巻や平泉でもそうですが、仙台藩の餅の文化はここでも当然健在です。
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さて、お昼は多賀城駅の改札を出てすぐの駅中食堂。店名は出ていませんが、キーチャンズです。
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多賀城駅付近だとまともな店はここしかないという感じでしょうか。ローストビーフ丼というのがイチオシのようでしたが、私は豚の生姜焼き定食をいただきました。しっかりした豚肉で好感が持てました。厨房がカウンターから丸見えなのもいい感じです。
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落ち着いたところで、多賀城の散策開始です。それなりに広い範囲だし、効率のいい道順で回りたいと思います。
まずは、多賀城市埋蔵文化財調査センターへ。こちらは、想像以上に巨大な建物。政庁を象った門を入ってからでも、玄関までが遠いです。 -
ここが展示室の入口です。
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地図で確認すると多賀城は東北全体を統括するような位置。秋田市の秋田城は1日目で回りましたし、志波城は盛岡市ですよね。今の東北の姿と基本的は同じです。
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さて、展示は多賀城跡から発掘された土器や瓦などを多数の出土品。
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多賀城の歴史にも詳しく解説があって、724年に創建されて以降、780年には、伊治呰麻呂の乱で焼失したり、鎮守府機能が胆沢城に移されたりと、けっこうな変遷があったようです。
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展示品は、第1期:創建から藤原恵美朝狩の改修までの724~762年、第2期:伊治呰麻呂の乱までの762~780年、第3期:大地震の倒壊までの780~869年、第4期:復興から廃止までの869~10世紀半ばの四期に分けられていて、伊治呰麻呂の乱の火災にあったと思われる真っ黒な瓦なども生々しいです。
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やっぱり、時代が下るとより装飾的なものが増えてきて、
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イチオシ
世の中が落ち着いてきたことが窺われて、ホッとします。
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隣りにある多賀城史遊館は、多賀城市埋蔵文化財調査センターの敷地の続きにある施設。
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多賀城市埋蔵文化財調査センターの展示室と同様に多賀城からの発掘品を展示していましたが、規模はかなり小ぶり。
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その一方で、多賀城関係に限らず、会津や伊豆などの土器との比較や古代の人の暮らしなどにも展示の幅を広げているので、ちょっと中途半端な印象は否めないと思います。
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建物を出て、遺跡の方へ。
この多賀城廃寺跡は、もう国府多賀城駅に近い辺り。 -
多賀城とともに建立された寺で、名前ははっきりしないのですが、観音寺という寺ではなかったかということ。
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ただ、古代の寺は、朝廷の威厳を示すという意味もあって大規模なものが多いのですが、それらと比べると少し規模は小さいような気はします。
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一方でこの塔の跡に残る
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イチオシ
芯柱を支える礎石などくっきりとした形が残っていて、それなりに見応えがあるように思いました。
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多賀城廃寺跡の向かいに多賀神社という小さな神社。社殿も新しいし、てっきり後世のもののように思ったのですが、そうはいっても陸奥国延喜式式内社では、仙台市内で一番古い神社。
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日本武尊が東夷征伐の時に勧請したという歴史にはちょっと驚きました。源義家も参拝しています。
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この地域にあった多賀城は陸奥国府であり、それに相応しい施設がこの東北歴史博物館でしょう。
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敷地も広いし、建物も素晴らしく立派ですよ~
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展示室に入ると、そこは一気にみちのくの古代が始まって、
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多賀城のことだけなく、東北全体の古代史を余すところなく伝えようとする意欲的なものを感じます。
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ただ、展示品は幅広いし壮大ですが、
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イチオシ
美しさも備えていて、細かく見ていっても、
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概要だけをざっと見るのでも、どっちでも楽しめる。
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仙台市内でもこれだけの施設はなかったような。
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イチオシ
わざわざでも訪れたい、魅力いっぱいの施設だと思います。
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ちなみに、古代というのは、飛鳥時代・奈良時代から平安時代の前半くらいですが、
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奈良の都の文化がちゃんと東北まで伝わっている感じ。
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むしろ、それを示すことで東北を大和朝廷に組みこもうとしたのでしょうが、平安初頭に活躍した坂上田村麻呂辺りからいい伝統が作られたと言えないこともない。アテルイ、モレを都に連れて帰ったものの、約束を違え処刑してしまったことは汚点だと思いますが、やっぱりそれだけではない。
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武力を背景とする一方で、仏教の力も民心を安定させるためには大きな力を発揮する。
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イチオシ
金色堂の模型もありましたが、このきらびやかな美しさもそれは仏教への深い帰依がなければ生まれなかったものでしょう。
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奥州街道に羽州街道を中心にいろんな街道が網の目のように整備されていく。大和朝廷の政策もあったでしょうが、俘囚の力をなんとか味方につけたから。これも忘れるべきではないでしょう。
天智天皇に阿倍比羅夫。桓武天皇に坂上田村麻呂とアテルイ・モレ。源頼時・義家と安倍氏清原氏から奥州藤原氏に義経・頼朝。これだけ豪華な登場人物を迎えて。大和朝廷対蝦夷。俘囚の台頭。源氏対俘囚と、形を変えた豊かさを巡る中央権力と地元勢力のパワーバランスが東北の古代を彩り、時代は流れていく。
そして、俘囚の歴史は、最終的には奥州藤原氏の滅亡で終わりを告げる。その終わりは大和朝廷によるものではなく、新たに勃興した武家の勢力によるものだったのですが、即ちそれは日本全体としても中世の始まり。律令制度が形骸化し、新たな担い手となった武士の時代の始まりが、東北をも飲み込んだという構図でしょう。そして、以降は、東北も日本の一部として同じ歴史の道を辿ることになるのですが、一方で、みちのくの古代史はやっぱり生半可なものではない。今でも形を変えて東北人の心、日本人の心の奥深くに受け継がれているように思います。 -
こちらは藁で作った巨大な人形たち。
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厳しい気候条件や労働の苦しさとかの背景もあってでしょうか、思いの深さというか、独特の雰囲気があるように感じます。
以上で、東北歴史博物館はおしまい。 -
そして、最後になりましたが、いよいよ多賀城跡です。この丘陵のような地形全部が多賀城跡ですね。
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あちらこちらに建物跡があるようですが、礎石があるということでもないような。
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しかし、土塁の方はそれらしい感じです。
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このお堂は多賀城碑。多賀城跡という石碑なんですが、たかが石碑なのに、屋根つきの建物の中にあって、すごい扱いです。
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なんでも奈良時代の作で、日本三大古碑の1つなのだとか。国の重要文化財にも指定されています。
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そして、その先に多賀城政庁跡というのがあって、こちらの方も行ってみましょう。
石柱から、 -
これも丘のような場所を行くと
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広い石段が現れました。
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それをえっちらおっちら上って行くと、ここは広くて平坦な場所。
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ふり返るとこんな具合。それなりに上がってきてますよね。
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奥に続く道もありますが、それだけではなくて、
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この場所全体がごろた石で敷き詰められています。
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ガクガクして、ちょっと歩きにくいのですが、たぶん石は広場の基礎を固めたもの。
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当時は石は表面には出ていなかったんだろうと思いますが、結局、こうした基礎工事がちゃんとできていないと、少しの雨風で土台が流されてしまうことにもなりかねない。
広いことで、単純にすごいと思ってしまうのですが、それだけではないということに初めて気が付かされたように思います。政庁跡は今までも何度も見ていますが、どこもこのような基礎工事がされていたのか。それともここだけなのか。知る由もありませんが、いずれにしても古代の土木技術は侮れないとけっこう感心した次第です。 -
これはよく見る建物の礎石です。
結局、多賀城跡はこの政庁跡が一番の見どころでした。 -
ここから国府多賀城の方に戻ります。
その途中の多賀城跡あやめ園は、多賀城跡でも東のエリア。アヤメの田んぼが広々とした平地に整備されていました。
そして、多賀城跡は、高台にある政庁跡の周辺と小高い丘を中心とした公園のエリアとこのアヤメ園の三つのエリアに分かれている感じ。それらを総合して、かつての多賀城の規模を想像してみるとそのスケール感がよく分かっていいのではないかと思います -
舘前遺跡は、国府多賀城駅の目と鼻の先。国司の館跡ですが、土を高く盛ったような台形状の地形を見ても、工事現場のような風に見えなくはないかもしれません。それに、時代が下れば、石垣でも組むのですが、盛り土だけで館を高い場所に作るのは丈夫さには欠けるでしょう。ただ、さっきの政庁跡と同じで土の下には意外な基礎工事の跡が埋まっていないとも限りませんが。。
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ただ、上に登っても平たい場所があるだけ。
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ここにどんな建物が建っていたのか。なかなか想像するのは難しいでしょう。
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以上で、多賀城はおしまいです。ここから仙台に戻ろうと思ったのですが、もう少し時間がある。ということで、宿題になっていた塩竃のお寿司屋さんに寄ってみます。
その宿題の寿司屋さんというのは、塩竃でも一番人気のすし哲です。前回来た時はここが休みで、「しらはた」にしたんですよね。 -
カウンターの向かいには職人さんが三人。握るネタの種類を分けて担当していて、流れ作業でにぎりの皿を完成させます。なるほど、これならあっという間ですね。そうした効率性の良さも、いいものを安く提供できる理由なのかなあと感心します。
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イチオシ
ところで、聞くと「しらはた」は兄弟の長男がやっているお店。ここの主人は三男なのだそうです。しらはたのにぎりはすごくゆるかったのですが、ここはそこまでゆるくはない。やはり寿司の個性も違います。
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さて、日も暮れて、やっと仙台駅に帰ってきました。
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ここで甘いものが食べたくなって、エスパル伊達のこみちの黒砂糖工房です。
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たぶんこれが看板商品だと思いますが、黒砂糖まんじゅうというのがあって、それをいただきました。赤ちゃんの肌みたいにプルンプルンの皮がいいですね。黒砂糖の香りもちゃんとするし、これ一個で十分満足できる逸品です。
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こちらは、いつもの仙台駅のおみやげ処せんだい。牛タンやかまぼこ、萩の月などのお菓子類とか宮城のお土産を豊富に取り扱っていますが、東北の他の駅では考えられないくらいの賑わいです。いまではどうしても仙台じゃないと手に入らないというものでもないと思いますが、ここまでお客を集める秘策って何なのかなあと不思議な感じもしてきます。
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そして、ここでも最後にもうひとひねり。
カズノリ イケダは、仙台駅からちょっと距離があったのですが、評判がいいようだったので頑張って訪ねてみました。 -
イチオシ
すっきりおしゃれな店内にはカラフルなケーキが並んで、なかなかですね。で、私はアリババと銘打ったサバランをいただきました。
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干しブドウの乗った生クリームと本体の表面には柑橘系の甘いジャムのコーティング。そこから気泡の大きめのパウンドケーキが現れて、すかさずラム酒との融合へ。
一つ一つの味もすごい完成度が高いんですが、なんですかこの素晴らしい展開力は。私の中で、サバランのナンバーワンはダントツでイナムラショウゾウだったんですが、それと並ぶおいしさ。これはちょっと衝撃的でした。
がんばるとこうやって、ひょこっとご褒美がある。スイーツ巡りには根性が必要です。
さてさて、ということでこれでみちのくの古代を巡る六日間の旅は終了。分かっていたようなことでも、現地を歩くとよりリアルな実感が湧いてくるし、やっぱり新たな発見は多い。また、これからの情報収集にも弾みがつくと思います。
お疲れ様でした。
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