2015/08/02 - 2015/08/04
181位(同エリア896件中)
ねいちゃさん
「やっぱ、今年も国内旅行~」と何気に決めたのが、今大河ドラマで話題の「萩」。
安直すぎる選択なんですけど、一度は行っておきたかったし
世界遺産にも登録されたってんで、「行っとこう!」と決めた次第。
それに「萩」だと、幕末を思い切り語れるんで・・・(笑)
というわけで、今回は「萩」に行ってまいりました。
さすがに歴史の宝庫で、とても有意義に過ごせた3日間。
今回のタイトルは「至誠にして動かざる者は未だこれ有らざるなり」。
ご存じ、吉田松陰先生の名言中の名言をいただきました。
「丁寧に誠(まこと)を尽くして説得すれば、動かない者はいない」
しかし、彼の声は幕府には届かず、処刑されるわけですが
その想いはこの長州に残り、多くの志士たちを育んでいきます。
そんな萩の町をゆっくり見て回ることにします。
いつもながらの、歴史語りですけど、お楽しみくださいませ。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- レンタカー 新幹線 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
今回は「やまぐち幕末ISHINきっぷ」なるものを購入いたしました。
旅行一月前から購入可能で、往復新幹線・山口での在来線・バスなどが込み込みになる「優れもの」で、通常よりも安くなります。
ただ大阪からなんで、京都大阪間は別途購入。まぁ「せわぁ−ない」。 -
京都8:03発、新山口10:11着ののぞみ99号。
ものの2時間余で到着。日本の新幹線はやっぱ速い!
新山口駅前には、俳人の種田山頭火の像がありました。
五・七・五にとらわれない自由律の創始者ですが
10歳の時、母の自殺を見て、精神破綻が見られる人物。
作品も凡人の私には、よくわかりません。新山口駅 駅
-
スーパー萩号、一日4便往復で、新山口から萩を結びます。
運賃2060円が補助金により半額。
しかし、幕末ISHINきっぷでは、これも込みです。
けっこう、うれしい。 -
さすがに大河ドラマの影響でしょうが、バスが「イタ車」状態。
地域振興の起爆剤になってほしいものです。
約1時間で萩まで連れてってくれます。 -
12時に萩到着。
とりあえず、お約束の「花燃ゆドラマ館」をサクっと見学し、
ドラマ館前のレンタサイクルを借りて、萩市内散策に出かけましょう。
あ、「花燃ゆドラマ館」の情報はこちらで
http://www.city.hagi.lg.jp/fumi-hagi/top.html -
イチオシ
ところで、木戸孝允と桂小五郎が同一人物だって、知ってます?
明治維新三傑の一人で、新政府の道筋をつけたエライ人です。
もっとも、池田屋事件では「逃げの小五郎」とも称され
禁門の変でも様子見に徹した人ですが、
こういう人でないと生き残れないという教訓を教えてくれます。木戸孝允旧宅 名所・史跡
-
あ、冷たい言い方になっちゃいましたね、
悪気はないんですよ。スゴイ人だなぁ〜とも思います。
当時において先を読めた人なんで、
それはそれでいいんだけれども、
才が長けた人の一面の冷徹さも持ち合わせた人なのかな〜って。 -
ここは桂小五郎が誕生から20歳までを過ごした木造浅瓦葺きの旧宅。
誕生の部屋がそのまま残って、幼少時代の手習いの書なども見ることができます。
右にちょこっと見えてるのがソレ。「今日」って書いてある。
滅多にもらえない「もっての外よろし」との褒め言葉もあって、
藩では評判になったとか・・・。 -
この女性は、京都の芸妓「幾松(いくまつ)」。
桂小五郎の京都の愛妾で、後に正妻となって木戸松子となられます。
芸妓時代は山科の大富豪が大層贔屓にしていて、小五郎はこれに張り合い、
伊藤博文が富豪を刀で脅して、モノにしたと言われています。
桂小五郎が最も困難な時に、精神的に支えた女性。
龍馬の愛人のお龍さんもそうですが、
幕末の女性ってすごく強くて、なんか大好きなんですが、
幕末の男性には・・・あんまり魅力を感じない。(笑) -
潜伏中の木戸にも会いにいったり、京都で病床の木戸の看病をしたり、
常に二人でいることを大事にした女性。
享年44歳の生涯で、お墓は霊山墓地にあり、
木戸孝允の北隣に眠っておられます。若すぎる死ですよね〜。 -
木戸孝允、誕生の間。
もともとは藩医の子で、武士の桂家に末期養子となります。
武士でない出身などから、より武士らしく振る舞うことを心がける様子は「新撰組」と通ずるものがありますね。
吉田松陰は「事をなすの才あり」と評し、師弟関係でもあり、親友であったとも言われています。 -
お二階は立入禁止。
下からちょこっと。 -
いきなりの木戸邸訪問から始まりましたが
この界隈はキリがないくらい、こういうお屋敷がいくらでもあります。
ほとんど有料で100円だったかな?
共通チケットもあるそうです。 -
萩の城下町は、江戸時代の町割りがそのまま残されています。
外堀より外側は町筋が碁盤目状に区画され、
中・下級の武家屋敷が軒を連ねています。 -
旧佐伯丹下家屋敷
「萩城下町絵図」では、萩藩大組士佐伯丹下(125石)の屋敷とされています。
佐伯丹下は、藩の財政整理や岩国の吉川家との交渉に尽力したそうです。
保存状態がよく、映画のロケ地にもなったそうですよ。
木戸邸から南に下がった所にありました。今も普通にお住まいの様子。古美術 甍(いらか) 古拙洞 専門店
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旧野田家住宅
嘉永年間の当主野田七郎左衛門(51石)の邸宅。
庭園や土塀などもよく残り、江戸時代の武家屋敷の面影を今に伝えてくれているそうです。 -
イチオシ
自転車であちこち回ってるんですが、実は・・・
同じような景観でどこを巡ったのかよくわかっておりません。
とりあえず、萩城趾へと西に向かっております。 -
菊屋家住宅
菊屋家は萩の豪商。大内家時代は武士だったのですが、
同氏滅亡後は町人になり、毛利家を経済的に支援したことで、
毛利輝元が萩入国の際、この地を与えられて邸宅を構えたそうです。菊屋家住宅 名所・史跡
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立派な店構えですね〜。
こちらも庭園が公開されているのですが、
いちいち入ってるとキリがありません。
ここも写真だけでパス。
こういうお家を維持するのは大変でしょうねぇ。 -
菊屋家のお向かいさんは、旧久保田家住宅。
目の前の道は御成道(おなりみち)で、大名行列が通る道。
店構えから菊屋家と競い合ってたのかもしれません。
久保田家は呉服商・酒造業を営んでいた豪商。旧久保田家住宅 名所・史跡
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この辺りはホントに綺麗ですね〜。
タイムスリップしたような趣があります。
しかし、暑すぎるぅ・・・。(笑)萩城下町 名所・史跡
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観光本格化の前に
「お食事処わらじ」さんで、昼食とビールを補充します。
「文御膳」が人気のお店ですが、
私ら年寄りは昼からそんなに食べられないので
もっぱらビールが主食。(笑)御食事処 わらじ グルメ・レストラン
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外堀を越えて、堀内に入ります。
堀内は大身の武家屋敷が並ぶ地域となっています。
萩博物館東入口。
今日はここも見送って、先に城趾見学を。
明日もう一度来るつもり・・・。萩博物館 美術館・博物館
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イチオシ
実にいい感じの道が続きます。
堀内伝統的建造物群保存地区・・・美しっ!萩市堀内地区伝統的建造物群保存地区 名所・史跡
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石垣が壁というのが剛毅でいいです。
身分の高いお屋敷群らしい設えですね。 -
こういう土塀もいいですね。
私、「土蔵」というのが好きで、古い農家なんかに残ってる土蔵を
内部だけ今風に改築して住みたいなぁとずっと思ってるんです。
マンション暮らしの快適さに慣れ親しんだ上での贅沢ですけど、
お金いっぱいかかるだろうし、夢ですねぇ。 -
舊(旧)長藩指月城祉
指月[しづき]城は、萩城の別名で、天守の後方の指月山に
詰丸が置かれた所から、このようにも呼ばれています。 -
イチオシ
毛利輝元公
毛利家は毛利元就から始まる戦国大名ですが、本拠は安芸の広島。
中国地方一帯を支配した120万石を越える大大名でしたが、
関ヶ原の戦いで、安国寺恵瓊や石田三成によって西軍の総大将に担がれ、
敗戦後、輝元は隠居、領土も周防・長門の2国(37万石)に減封されます。
安芸を失ったため、新たな城郭候補地として、山口・三田尻・萩を奏上した所
徳川家は山陰の奥地に押し込める意味で、萩と回答したと伝えられています。
萩城は慶長9(1604)年に着工され、慶長13(1608)年に完工。
築城者は毛利輝元で、城祉にも輝元像が安置されているわけです。 -
輝元像の置かれた場所には、二の丸南門がありました。
今は石垣しか残されていませんが、当時は門と土塀で囲まれていたでしょうし
枡形虎口となっていて、防衛の拠点でもあったようです。 -
イチオシ
史跡萩城趾
いろんな写真でよく見る定番の景観がここ。
橋を渡れば本丸門跡に入ります。そこからは有料ゾーン。
旧厚狭毛利家屋敷の見学料も兼ねていて、レンタサイクルでも入城可。
当然、入りますよぉ。チャリですし・・・。 -
天守台跡
萩城の天守は5層5階の複合式望楼型で、高さは21mあったそうです。
手前が内堀、後方の山が指月山です。
どんなのだったか、見たいですよねぇ。
ちょっと待っててね・・・。 -
ネットで拾ってきました。
萩城は明治7(1874)年の廃城令により
天守・櫓などの建物が破却されましたが
幕末期には西洋から写真技術が導入されており、
こうしてありし日の天守を見ることができます。
確か、5・6枚程度写真が残ってると聞いたことがあります。 -
御本丸橋
上の写真でわかるでしょうか、現在は全て石橋になっていますが
途中まで土橋で最後に木橋が架かっているように見えます。
これも防衛の工夫なんでしょう。
いざとなれば、焼き落とす・・・。 -
指月公園
大きな石造りの鳥居があります。
これは本丸御殿跡地に建てられた、志都岐山神社のもの。萩城跡指月公園 名所・史跡
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志都岐山神社[しづきやまじんじゃ]
この神社は明治12(1879)年に建立され、毛利元就・隆元・輝元・敬親・元徳を5柱として、初代から12代まで萩藩歴代藩主が祀られています。 -
戦国乱世で頭角を表したのが「毛利元就」で、事実上毛利氏の繁栄の基礎を築きます。
もともと毛利氏は、鎌倉幕府の名臣大江広元の四男の大江季光を祖とする一族で、
後に所領が相模国愛甲郡毛利庄にあった所から「毛利」と称するようになったそうです。 -
次の「毛利隆元」は、毛利元就の嫡男。
吉川元春や小早川隆景は同じ母をもつ兄弟。
父元就は隠居後も実権を握り続け、隆元は父よりも8年も早くに亡くなります。
毛利家当主として、一度も実権を握れなかった気の毒な人物ではありますが
武田勝頼や今川氏真・徳川秀忠など、創始者が偉大すぎて
2代目がエライ目にあうことと比べると、まだラッキーだったかもしれません。
もっとも早世したため、あまり記憶には残りませんが。 -
実質3代目が「毛利輝元」で、長州藩の藩祖。
長州藩の初代と数えないのは、関ヶ原の敗戦の責任をとって隠居したため。
初代藩主は、輝元の子秀就[ひでなり]ですが
この神社では「5柱」になされておりませんね。
萩城を築いたのも父輝元なので、萩の町は常に「輝元」押し。
それに秀就は何かと評判のよろしくない殿様だったようです。 -
毛利家の家紋「一文字三星」が神々しい。
「一文字」は「相手に打ち勝つ」を意味し、
「三星」は「大将軍・左将軍・右将軍」を示す「将軍星」のことで、
ともに武門にとっては、武威を示す縁起のいい絵柄だそうです。
「米俵に蓋がついてる」絵だと思ってたのはナイショ! -
楫取素彦[かとりもとひこ]寄進の井戸
大河ドラマで大沢たかおさん演じる小田村伊之助は、藩命により楫取素彦と改名します。
小田村伊之助は吉田松陰の友人で、松陰の妹寿[ひさ]と結婚。松陰ともっとも関係の深い人物なんです。
初代群馬県令となった素彦は、藩主を祀る神社への寄進は恩返しのような気持ちだったのでしょうか?
この寄進から2年後に妻寿が亡くなり、さらに2年後その妹の文[ふみ]と再婚することになるのですが、松陰の姉妹を奥さんにするんですから、深い縁があるんですね。 -
天守台に上ってみました。
石垣の高さは11mで、東西約20m・南北約16mの空間となってます。
礎石が残されており、この上に21mの天守が建てられていました。 -
イチオシ
萩城は、複合式天守で付櫓がついていました。
写真はその付櫓の「天守附添之長屋」の跡の石垣。
遠くには、本丸門に続く石橋が見えています。 -
このあたりから広角レンズを使っています。
ある程度の規模やスケール感が伝わればいいのですが・・・。 -
-
指月山
萩城の別名ともなった山で、山頂には詰丸が設けられ、
常時6・7名で海上監視が行われていたと言われています。
正面の石垣奥に登り口がありますが、さすがにこの炎天下
登るわけがありません。 -
萩城は平山城の分類に入るそうですが、
異説もあって天守は平城、詰丸は山城の併合とも言われています。
また三角州の先端に出ている所から、海城という意見もあります。
戦国期ではない、大勢が決した江戸初期の城郭建築なので
戦国の名残をもった、毛利家らしい城郭だったんでしょう。 -
旧厚狭毛利家萩屋敷長屋[きゅうあさもうりけはぎやしきながや]
指月公園に入るとセットになっている文化財。
大層疲れてはいますが、当然入りますとも、えぇ。
もとは広大な武家屋敷だったのですが、維新後解体され、現在は長屋のみとなっています。旧厚狭毛利家萩屋敷長屋 名所・史跡
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厚狭毛利家は、毛利一門で元就の5男元秋を祖とし、
厚狭(現山陽小野田市)に知行地を与えられたことから、
このように呼ばれ、8371石余りを領しました。
桁行51.5m・梁間5mのこの長屋は、萩に残る武家屋敷の中では最大のもの。
国の重要文化財に指定されています。 -
解体修理後は、城下町絵図や復元模型などを展示する資料館となっています。
こちらにも、萩一押しの「毛利輝元公」の絵が・・・。 -
毛利といえば、「三本の矢」のお話。
父元就が正妻の3人の子の隆元・元春・隆景に与えた教訓。
矢は一本では折れて弱いが、三本束ねると折れない。
兄弟3人仲良くしろという有り難いお話。 -
あまりにも有名なお話ではありますが、フィクションだとも言われています。
元就臨終の時のお話らしいのですが、すでに隆元は亡くなっておりますし、
隆元家督相続の時だとすれば、みんな立派な青年なので3本の矢くらい折れるだろうと・・・。
まぁ、いちゃもんはいちゃもんとして、置いといて
寛容に楽しむのもまた歴史の遊び方です。 -
「毛利両川」という言葉はご存じですか?
次男元春は吉川家を奪い、三男隆景は小早川家を乗っ取った。
この吉川・小早川両家が主家毛利を支える「両川=2つの川」と呼ばれています。
3代目輝元にとっては、小うるさい叔父二人だったとは思いますが
実際に毛利家は幕末まで生き抜き、最終的には幕府に引導を渡す雄藩と
なっているわけで、紆余曲折はあるにせよ、大局的に見れば
「三本の矢」も結果が物語ると言えますよね。 -
旧厚狭毛利家屋敷にあった復元模型。
往時はこんな感じだったのでしょうね。
天守はこうしてみると小さいめで、城下からは見えないくらい。
安土桃山時代のような、威厳を見せるという意図はなくなっているのでしょうか。 -
江戸時代の町割りそのままが、現在の萩の町となっています。
川や道路の位置なんかそのまんまです。
嬉しくなっちゃって、ドラマ館で古絵図500円で購入してしまいました。
買ってみたものの、飾る場所も飾る意味も、今は見いだせない状態です。(笑) -
堀内鍵曲[ほりうちかいまがり]
鍵曲は「かぎまがり」と読むのではなく、「かいまがり」と読むそうです。
これは左右を高い土塀で囲み、道を鍵の手(直角)に曲げた独特な道筋です。
なお、4トラの地図表示の場所は間違って登録されているようです。
本当はもう少し南で、口羽家住宅の近くにあります。堀内の鍵曲 名所・史跡
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口羽家住宅[くちばけじゅうたく]
永代家老につぐ家柄の寄組の口羽家の住宅。
萩城下に残る上級武士の屋敷としては古く、かつ全国的にも遺構は少ないそうです。
この表門は国の重要文化財。なまこ壁と白壁のコントラストが綺麗ですね。
萩現存の門としては最大規模を誇っているそうです。 -
堀内地区は藩政時代の城内三の丸にあたり、
藩の役所や毛利一門・永代家老・寄組といった大身の武家屋敷が
並んでいた場所になります。 -
鍵曲は城下町特有の街路を現代にそのまま残しています。
昔のままの萩らしい風情を残していますね。
ここはガイドブックにも載っていたので、是非とも見ておきたかった所なんです。 -
イチオシ
いいでしょう?
幸い、他の観光客もおらず、車も通らなくて独占中。
長閑な散策路となっています。 -
-
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旧明倫館址[きゅうめいりんかんあと]
堀内鍵曲を抜けて、旧明倫館跡地にやってきました。
明倫館は5代藩主毛利吉元によって享保4(1719)年に創建された儒学の藩校。
上に立つものが人倫を明らかにすれば、下の者の生活は安定し国は治まるという教えから「明倫」と名付けられています。
戦争法案を無理から押し通そうとする、どっかの国の政治家にも学んで欲しいものです。旧明倫館跡 名所・史跡
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こちらのなまこ壁もきれいですねぇ。
堀内地区はほんとにあちこちにこういう景観が待ってくれてます。 -
イチオシ
旧児玉家長屋[きゅうこだまけながや]
三の丸の平安古総門の隣にあった児玉家は、2200石余の寄組の大身武士の一つでした。
絵図によるとこの長屋は屋敷の西側にあったようです。 -
外廻り壁は白壁、腰はなまこ壁。
出格子も古風で趣がありますよね〜。
保存していくのも大変そうです。 -
さて、自転車もそろそろ返却する時間になってきましたが
まだ行っておかないといけない所があります。
地図的にはかなり北の方ですけど、萩は小さい町ですから
ちょこちょこっと漕いでいきましょう。 -
野山獄跡[のやまごくあと]
かの吉田松陰が投じられた獄屋敷跡。大河ドラマでも何度も出てくるおなじみの獄舎です。
遺構らしきものは石碑のみですが、150年ほど前にこの地に吉田松陰や高杉晋作が捕らえられていたことを頭の中で想像してみるのは楽しいものです。
4トラの地図表示、ここもあてになりません〜。(笑)野山獄 岩倉獄跡 名所・史跡
-
野山獄には、海外密航に失敗した吉田松陰が投じられ、
向かいの岩倉獄には従者だった金子重之助が投じられました。
野山獄は士分が、岩倉獄は庶民と分けられていたそうです。
松陰はこの獄でただ悶々と過ごしたわけではなく、囚人たちに孟子の講義を行い
獄を学舎に変え、囚人の心も解放し、獄吏ですら松陰の講義に耳を傾けたとも言われています。
まさに前例のない教育活動を行った場所がここでもあります。 -
この地は元は岩倉孫兵衛と野山六右衛門の屋敷だったのですが、
両家の争いが元で、酒に酔った岩倉が野山の家族を殺傷した事件がおこり
結局両家は断絶、屋敷は藩預かりとなって、牢獄となったと言われています。
何があったのかわかりませんが陰惨な話で、この獄には常に「死」がまとわりつくようにもなってゆきます。
長州藩の正義派や改革派も捕らえられ、処刑も行われた場所。
今は長閑な住宅街の一区画ですが、ギャップありありの場所となってます。 -
野山獄での松陰と高須久子とのほのかな恋についても語りたい所ですが
先に進まないとこの長い旅行記も終えられません。(笑)
野山獄を後にして、ドラマ館に戻りましょうか。 -
有備館[ゆうびかん](旧萩藩校明倫館)
旧藩明倫古館建物の石碑のある有備館。
南北に長い長屋造りで、北側は板間の剣術場、南側は土間のある槍術場となっています。旧萩藩校明倫館 名所・史跡
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藩士の錬成の場であり、他国藩士との試合場でもあったそうで
かの坂本龍馬もここで試合をしたらしいとのことでした。
とりあえず坂本龍馬を出しておけば、有りがたがるだろうという認識はおいといて
それなりに面白い施設ではありました。 -
明倫館南門の扁額
現在は真新しい扁額が架かっていますが、これがオリジナルのようです。
「皆、人倫を明らかにする所以なり」という孟子の言葉。 -
こちらは藩主の上覧場で畳敷き。
正面に土間があります。 -
その土間には長州藩の大砲が置かれておりました。
これで外国艦隊に「攘夷」をやっちゃったんでしょうか?
もっとも、レプリカでしょうけど。 -
往時の明倫館の絵図です。
14代藩主毛利敬親は藩政改革に伴って、城下の中心地江向へ移転させます。
敷地15,184坪と言われていますが、広さの単位はどうもピンときませんね。 -
現在敷地内には、旧明倫小学校本館があり、国の有形文化財となっています。
昭和10年に建てられた木造4階建ての校舎で、懐かしげな建物です。
もっとも、このような建築物で学んだ記憶はありませんが
かつての小学校らしいという記憶だけはあるんで・・・。 -
良い感じでしょ。
保存のためか、色々電線や機器がくっついているのは興ざめなんですけど
映画やなんかでみる小学校の感じが満載です。
でも、中は見せて貰えません。 -
この奥には水練池なども残されています。
今回は訪れていませんが。 -
旧明倫小学校の正面玄関
実にいい感じです、手前のひまわりが小学校らしくて、ねっ。 -
イチオシ
明倫小学校本館
明倫小学校本館 名所・史跡
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明倫館碑[めいりんかんひ](旧萩藩校明倫館)
左側は、元文6(1741)年6代藩主毛利宗広が創建の由来を記して建てたもので、旧明倫館から移したもの。
右側は嘉永2(1849)年13代藩主毛利敬親が新明倫館の開校を記念して建てたもの。
幕府に対する忠心を意味する箇所が削られた跡があったそうですが
知らなかったもんで、見ておりません・・・残念。 -
新明倫館南門[しんめいりんかんなんもん](旧萩藩校明倫館)
藩校明倫館の遺構で、新明倫館の正門として建てられたもの。
公式行事以外は開かれない開かずの門。
しばらく他寺院の正門となっていましたが、後に寄付されてこの地に移築されたそうです。
現在は、市指定の有形文化財です。旧萩藩校明倫館 名所・史跡
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扁額が見えますでしょうか?
随分真新しくなっております、オリジナルは有備館にあったヤツね。 -
裏手に回るとドラマ館に戻って来ます。
簡単に萩の町をくるりと回ってきました。
時間は4時半・・・、自転車を返して、宿に行きましょう。 -
今回お世話になる旅館は「萩本陣」さんで2連泊。
東萩駅で電話するとお迎えがきてくれます。
お風呂がいっぱいあって楽しめましたよ。
町側・山側のお部屋があるのですが、どうせなら夜景みたいから
少し高めのお値段の山側にしました。萩本陣 宿・ホテル
-
では、萩の初日はここまで。
十分自転車で回れるんですが、季節によります。夏はつらいです。
明日は車にしよーっと。
ではでは、次は松陰神社から、幕末語りをはじめます。
ここまでお付き合い下さり、ありがとうございました。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- るなさん 2015/08/23 19:08:00
- 歴史博士が語る萩
- 兄貴、こんばんは。
おひさだね、旅行記!!
でもって、得意中の大得意な歴史ワールドにどっぷりじゃあございやせんか?(;'∀')
漢字いっぱいなお題、最初読めんかったさ(爆)
木戸孝允と桂小五郎が同一人物←これ、なぜか知ってた('◇')ゞってか龍馬伝で見た気がする。
「堀内伝統的建造物群保存地区」
舗装されたコンクリートの道がなかったら、まじでその時代の写真みたいだ。
昨年、金沢に行った時にも思ったけど、古い家屋の維持はホントに大変だと思うわ。でも、やっぱりずっと残して欲しいって思いますよね。
そいうや東京にも松陰神社ってあるんだよねぇ〜
うちからも近いんだけど、改めて行ったことない^^;
非国民とか言われそうだけど「花燃ゆ」も観てない...あかんね。雑学も頭に叩き入れんと接客は出来ない。
るな
- ねいちゃさん からの返信 2015/08/24 01:43:05
- RE: 歴史博士が語る萩
- > 兄貴、こんばんは。
> おひさだね、旅行記!!
姐さん、早速のお立ちより。ありがとうございます。
旅行記、ほんとおひさだわ〜。昨年の秋以来だもんなぁ。
作り方忘れてしまったぜぃ。
> 漢字いっぱいなお題、最初読めんかったさ(爆)
孟子というエライ人のお言葉なので、漢文。
で、私、東洋史学を専攻していたので、多少の漢文は読めたりする。
歴史語りは今回のはジャブ程度。
次編は幕末なんで、もううずうずしてます。(笑)
> 木戸孝允と桂小五郎が同一人物←これ、なぜか知ってた('◇')ゞってか龍馬伝で見た気がする。
えらいえらい!よく覚えていたねぇ〜。花丸あげるよ。
木戸孝允になった時点で、歴史の表舞台にあんまり出てこなくもなるんだけどねぇ。
> 舗装されたコンクリートの道がなかったら、まじでその時代の写真みたいだ。
実際「花燃ゆ」のロケでは砂まいて撮ったらしいっす。
欧州のように電線の地下化もやってくれるといいんだけど。
開発でどの都市も全部同じになっちゃって、こういう風情はお金かかるけど大切にしてほしいよね。
> そいうや東京にも松陰神社ってあるんだよねぇ〜
松陰先生は江戸で斬首されたから、おそらくその縁かも。
幕末の一扇動家が神様になっちゃうのも面白いよね。
日本では不遇な死を迎えた人は何でも神様にしちゃうけど。
> 雑学も頭に叩き入れんと接客は出来ない。
逆に、これは私の商売だから・・・(笑)
大河はポイントで見るようにしてます。「八重の桜」は見てなかったし。
「花燃ゆ」は今後の展開は少しダレる気もしますけど。
とりあえず、久々に旅行記つくって、少し勘所も思い出してきたので
ぼちぼちつくっていきまっさー、よろしゅうおたの申します。
暑さも峠を越したようですが、お体を大切に。
ではでは〜 ねいちゃ
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