2015/08/02 - 2015/08/04
140位(同エリア672件中)
ねいちゃさん
三日目ですっ。
今日は早朝から朝風呂を浴びて、すっきりした気分で最終日を迎えます。
スーパー萩号が9時半発なので、旅館の方にドラマ館まで送ってもらえるよう頼んでおきました。
新山口駅から新岩国駅まで、「こだま」号での小トリップ。
萩もいい所だったけど、さすがに三日間の全旅程は埋まらない。
秋吉台もいいし、津和野もいいんだけど、どうも触手が伸びないので
折角、山口県に来たのだから、錦帯橋は見ておこうと思ったのです。
でも岩国は泊まるほどではなさそうなので
萩メインで、帰りにサクっと寄るという計画にしました。
移動距離はそこそこあるんで、どうかなぁと思いながらでしたが
時間は余ったくらいで無事クリア~です。
吉田松陰先生とは関係もなくなっていますが
タイトルはそのまんま、そこはご愛敬ということで。
ではでは、旅の最終日。
今年は良い天気に恵まれました。
それではのほほ~んとした旅行記をごらんくださいませ。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 新幹線 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
朝風呂を浴びて、清々しい気分で朝食をいただきました。
萩本陣の朝食はバイキング形式なのですが、平日にも関わらず、さすがに夏休み。
目玉焼きが欲しかったのですけど、並んでた直前で他の客に取られて、しばし待ってくれと。
そんなに待てませんから、目玉焼きナシで朝食をとっていた所、コックさんが私の所まで目玉焼きを持ってきて下さいました。
うわぁー、覚えてて下さったんだと、感激ですっ。
このことで「萩本陣」は私にとって一押しの旅館となりました。 -
イチオシ
というわけで、岩国・錦帯橋までやってきました。
新山口から新岩国まで30分くらい、そこからバスで15分くらいです。
おぉ、写真でしか見たことない錦帯橋が目の前に・・・。
今回の表紙写真は順当にこれですかね。明治維新いわくに歴史探訪 名所・史跡
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優美な曲線で描かれた錦帯橋。
美しいものです。 -
橋の下に来ました。
木造の橋なのに・・・重厚感が半端ない。 -
この木組みの艶やかなこと。
橋を歩く人がいると、ギシギシ音が聞こえるんだ。
ほんとの木造なんだなぁ。 -
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おぉ、錦帯橋越しに岩国城が見えてます。
何度も写真で見た光景なんですが、自分の目で見るとそのスケールがわかって、わくわくしてきます。 -
イチオシ
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錦帯橋
日本三名橋や日本三大奇橋に数えられています。
「錦帯」という名は、完成後に定着した説が有力だそうです。 -
5連のアーチからなるこの橋は、全長193.3m、幅員5.0mで、継手や仕口といった組木の技術によって造られています。
木造橋ですが、所々に鉄が用いられ、強度が保たれています。 -
中国の杭州、西湖にある連なった橋からヒントを得て1673年に創建されました。
その西湖の錦帯橋とは、2004年に姉妹橋となっているそうです。
姉妹都市というのはよく聞きますが、姉妹橋というのは初めて聞きますね。 -
初代岩国城領主の吉川広家が、岩国城を築城して以来、岩国城と城下町をつなぐ橋は何度も洪水によって流されました。
3代領主吉川広嘉は、洪水に耐えられる橋造りに取り組みます。 -
橋脚を無くせば流失は避けられます。
大工の児玉九郎右衛門は、橋脚がない跳ね橋を調査しましたが、
錦川の川幅は200mもあるため、跳ね橋は困難であるという結論に達しました。 -
藩主広嘉は、明の帰化僧である独立性易から、中国の杭州の西湖には、島づたいに架けられた6連のアーチ橋があることを知ります。
連続したアーチ橋・・・アーチ間の橋台を石垣で強固にすることで、洪水に耐えられる橋が造れるのではないか・・・。 -
児玉九郎右衛門の設計により、延宝元(1673)年5連のアーチ橋の錦帯橋が完成しました。
しかし、翌年にはまたも洪水によって流失してしまうのです。 -
それでも心折れなかった児玉は、同年橋台の敷石を強化して再建します。
その結果、何と!昭和期まで250年以上も流失することはなかったのです。 -
現在の錦帯橋は数年ごとに架け替えが行われ、地元の高校生が強度調査にも協力しています。
美しい錦帯橋は、今も不断の努力によってかくある姿を見せてくれるのですね。 -
吉川広嘉公銅像[きっかわひろよしこうどうぞう]
江戸時代前期の毛利家家臣で、周防岩国領の第3代領主。
元和7(1621)年7月6日、第2代領主・吉川広正の長男として萩に生まれ、
寛文3(1663)年8月28日、父の隠居により家督を継ぎます。
ですが、生来病弱であったため京都で療養したことで、京風文化を身につけ、錦帯橋架橋の人脈を京都で身につけていきます。
領主としての最大の治績は、錦川に架橋工事を行い、現在の形の錦帯橋の元を築いたことでしょうね。吉川広嘉公銅像 名所・史跡
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香川家長屋門
岩国藩家老香川氏の表門で、香川正恒によって元禄6(1693)年に建立されたと伝えられています。
岩国市の建造物としては最も古いものの一つで、当時の武家屋敷の構えをよく残しており、山口県の有形文化財に指定されています。香川家長屋門 名所・史跡
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香川家は、吉川広家が岩国に移封された時、客分から家老に取り立てられた名門です。
香川正恒の父正矩は著名な「陰徳太平記」の作者で、正恒の弟景継によって完成されたと言われています。 -
萩もそうだったけど、ここ岩国も土塀が江戸時代の風情を物語ってくれますね。
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イイ感じな景観です。
でも、さすがに今日も暑い! -
錦雲閣[きんうんかく]
明治18(1885)年に旧岩国藩主吉川家の居館跡が公園として開放された際、
旧藩時代の矢倉に似せて造られた絵馬堂です。
堀に面して立つその姿はとても風情があります。
岩国市の登録有形文化財。錦雲閣 名所・史跡
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吉香神社[きっこうじんじゃ]
旧岩国藩主吉川家の先祖を祀る三社を統合して、明治17(1884)年旧居館跡に建立されました。
見に行こうとも思ったのですが、暑くってねぇ。吉香神社 寺・神社・教会
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白山比○神社[しらやまひめじんじゃ]
あら、文字化けしちゃいますね。○部分の漢字は口編に羊です。(口羊)
1559年の創建。加賀の白山神社の分霊を移し祭ったものと伝えられています。
現在の建物は、明治31(1898)年に完成したもの。
境内横より城山登山道が通じているそうです。
わたし?歩いて登る? んなわけないでしょー。(笑)白山比咩神社 (岩国) 寺・神社・教会
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2つの神社を尻目に、あんまり暑いので
とりあえず休憩・・・。
菜食キッチンわたぼうしさんへ。
食事は完売だったんで、またもビールをいただきます。
そういや、錦帯橋渡ったとこでも飲んだ気が・・・(^^;) -
しばし休息して、動く気にやっとなれたので、
ロープウェイ乗り場へ・・・。 -
岩国城ロープウエイ
吉香公園の山麓駅から山頂駅まで、約3分で結んでいます。
00・20・40の20分ごとに出発します。片道320円・往復550円。
なお、お得な「錦帯橋・ロープウェイ・岩国城」のセット券は940円。
私らは錦帯橋前で購入しておきましたっ!岩国城ロープウエー 乗り物
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熱気のせいか、少々もやっていますが、壮大な眺めです。
ここから見る錦帯橋の曲線は見事ですね。 -
イチオシ
-
錦川が大きく左に蛇行する様子がよくわかります。
-
イチオシ
あっという間に山頂駅へ。
ここから岩国城まで約10分、整備された舗装道路を歩きます。 -
イチオシ
岩国城
慶長13(1608)年、初代岩国藩主の吉川広家が、錦川に囲まれた天然の要害の地である横山の山頂に築城しました。
1608年と言えば、関ヶ原の8年後、幕府開闢からは5年後のこと。
天下の趨勢はすでに徳川氏のものとなってはいますが、いまだ豊臣氏は難攻不落の大坂城で侮りがたい力を持っています。
何が起こってもおかしくない状況、吉川広家の防衛重視の築城も肯けます。岩国城 名所・史跡
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1614年大坂冬の陣、翌年夏の陣・・・この大坂の役により豊臣氏は滅亡。
以後武器を用いない、いわゆる「元和偃武」を迎え、
これにより徳川の天下は揺るぎないものとなったのです。
1615年に出された一国一城令により、築城より僅か7年後この年、取り壊しとなり、政務は山麓の居館で行われるようになります。 -
天守閣内部は、刀剣や甲冑の展示が行われておりました。
最近、異常な刀剣ブーム・・・ゲームによるんですが
人気のなり方が偏ってて、ついていけませんな〜。
でも、刀って綺麗なんですよね〜。
脇差しでも惚れ惚れします。←アブナイ? -
現在の天守閣は昭和37(1962)年に外観復元されたもので、四重六階の桃山風南蛮造。
鉄筋なんですけど、古い建物で冷房施設やエレベーターがない、天守によくあるタイプです。
なので、最上階までせっせと登ると暑いんですよ〜。 -
で、苦労して登り終えれば、開けっ放しの最上階では風がふき、ご覧のような絶景が待ってます。
このギャップがいつも堪らないんですよね。
しかも岩国城は標高200mの横山山頂にあるわけですからね、眺望は破格・・・。 -
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晴れた日には瀬戸内海や四国まで見えるとか。
今日はそこまでは見えませんが、遠くに岩国基地があるような・・・。
岩国には米海兵隊基地があり、昨年よりオスプレイの受入を巡って報道がありましたね。今も日常的に沖縄より日々飛来しているようです。 -
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岩国城、落ち着きがないというか、珍しい外観ですね。
南蛮造は、最上階をその下階より大きく造り、その間の屋根を省略した様式。
確かに張り出し感が半端ないですっ。
それに現在建てられている場所は、本来の天守位置から50m南に移動されているそうで、錦帯橋からよく見えるようにという配慮からだとか。
復元保存の観点から言えば、「それって、あかんやん!」と突っ込み入れたくなる所ですが・・・。
昭和の頃は、こういう復元が結構まかりとおっております。 -
旧天守台
確かに50m北側にありました、ここが本来の旧本丸。
ここに建ってると確かに下からは見えにくいわな〜。でも違うんだよね、そういう問題じゃないんだよなぁ・・・。 -
城郭破壊では石垣も破壊を命じられ、あちこちに破壊された石垣遺構がゴロゴロ転がっています。
ただ、石垣を崩すと城下に崩落する恐れのあった北の丸の石垣は残され、往時の石垣を垣間見ることもできるそう。
でもねぇ〜、看板が立ってて「まむしに注意!」とか書いてある・・・
怖くていけません、蛇嫌い・・・。 -
大釣井[おおつるい]」
築城と同時に作られた大井戸。
非常脱出口であったとも言われています。
でもこんな中、怖くて入れませーん。 -
山頂駅広場に戻ってきました。
「おもしろパーク」と言うらしいですが、からくり時計がありました。
13:55、突然音が鳴り始め、人形が動き出しました。
解説によると、毎時15・35・55分に作動するらしい。
で、終わったんですが・・・何ともビミョーでした・・・。(笑) -
山頂駅もお城風・・・何というか、残念です。
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目加田家住宅[めかたけじゅうたく]
ロープウェイを降りて、周辺を観光しましょう。
まず目についたのがこのお宅、250年前の江戸時代中期に建てられた中流武家屋敷でした。
錦川の氾濫に備えて、武家屋敷も二階建てが多かったようですが、こちらも一見平屋に見えますが二階建て。これは藩主を見下ろさないようにという工夫だとか。
現在国の重要文化財に指定されています。 -
吉川家墓所[きっかわけぼしょ]
初代広家から12代経幹まで (6代経永を除く) の当主や一族の墓51基が並んでいます。
一般的な観光ルートではありませんが、毛利家墓所とどう違うのか見てみたかったので、のぞいてみました。 -
-
そもそも、吉川氏と毛利氏の関係はわかりにくいので、簡単に整理してみますと・・・。
戦国初期以来、姻戚関係にある両氏ですが、吉川興経が背反を繰り返し、毛利元就をしばしば窮地に追い込みます。
業を煮やした元就は、吉川家家臣を興経から離反させ、次男元春を養子に入れ、興経を隠居に追い込んだ後、謀殺しました。 -
毛利が乗っ取った吉川氏は、元春・元長・広家と継承しながら、「毛利の両川」の一角として主家を支えていきました。
関ヶ原の戦いで、毛利家が減封されると、吉川家は周防岩国を与えられるも、毛利家からは独立した分家とは見なされることはありませんでした。 -
主家とは様々な軋轢もあり、元春系の吉川家も絶えてしまいますが、
それでも幕末の動乱期には毛利家を助けて、第二次長州征伐では長州・岩国両藩は結束して幕府と抗することになります。
元就の「三本の矢」は、形を変えながらも、こうして三百年間命脈を保ち続けていったことを思うと、すごいことだったんだな〜と改めて思いますね。 -
毛利家の藩主の墓石が整然と並べられていたのに対し、吉川家のは建て増しを繰り返した家のように、複雑に入り組んでいました。
どこまで見て回ったか、同じ所をくるくるしてしまいます。 -
-
人も滅多に訪れないせいか、ひっそりとして怖いくらいな厳粛な感じが漂っています。
夜などは一人ではいられないでしょうねぇ。
大変、興味深いところでした。 -
吉川経家弔魂碑
吉川経家は、中国攻めを行う羽柴秀吉と鳥取城で対峙した武将です。
織田方に内通した鳥取城主山名豊国が追放されたため、吉川元春は文武両道に秀でた吉川経家を派遣します。
経家が鳥取城内の兵糧を調べさせると3ヶ月分しか残っていませんでした。
かねてより、秀吉は若狭の商人を使って高額での米の買収を行っており、備蓄米を吸い上げる工作をすでに行っていたのです。
鳥取四千の住民は二万の羽柴勢に包囲され、城内への輸送路は完全に絶たれます。
いわゆる「鳥取の渇え殺し」・・・城内の有様は死体の人肉を貪り食うという、まさに地獄絵と化したそうです。 -
その中で四ヶ月も籠城した経家は、自らの切腹を条件に城兵の助命を嘆願し、聞き入れられます。
秀吉はその武勇を惜しみ、経家の助命を画策するも、その意志は固く、天正9年10月25日切腹して果てました。享年35歳。
その最期の言葉は「かねてより練習したわけではないのだから、無調法かもしれぬが赦せ」であったとされます。
さらに自らの子供たちには仮名で手紙をしたため「父は自らを犠牲にしてみんなを助け、吉川家の名をあげた、その物語を是非心にとめてほしい」と伝えたと言われています。
格好良すぎます!こんな武将がいたんですね〜。 -
佐々木小次郎の銅像
吉川英治の「宮本武蔵」では、佐々木小次郎が錦帯橋で、秘剣「燕返し」を編み出したと書いてますが、これは吉川の創作です。
佐々木小次郎という名もまた後世の記述で、実際は剣客「岩流」としかわかっていないそうです。佐々木小次郎の銅像 名所・史跡
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長い太刀ですよね〜、これが約1mの通称「物干し竿」、野太刀「備前長船長光」。
対峙した武蔵は櫂を削った木刀で二刀流。
銅像は若い小次郎なんですが、巌流島の決闘の折には、小次郎はゆうに60歳を越えていたのに対し、武蔵は20代だったとのこと。 -
50代半ばの私ですけど、若い者にはまだまだ負けんと息巻いてはおりますが。(笑)
寄る年波には勝てません。20代の体力には抗すべきもありませんな。
歯はぼろぼろ、高音も聞こえにくいし、左目は霞んでおりますです。
孫もいる世代で、何とか職場で踏ん張ってはおりますがもう限界ですわ。(笑) -
昌明館付属屋及び門[しょうめいかんふぞくやおよびもん]
現在は吉川史料館となっている御門です。
七代藩主吉川経倫の隠居所として建造され、明治には用達所がおかれるまで、吉川家の岩国の拠点として使用されました。
長屋二棟と門が残存しています。昌明館附属屋及び門 名所・史跡
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イチオシ
吉川史料館[きっかわしりょうかん]
旧岩国藩主吉川家に伝来した歴史資料や美術工芸品を収蔵しています。
中でも吉川家文書・吾妻鏡・太平記など2500点の歴史資料は、国の重要文化財に指定されています。
http://www.sky.icn-tv.ne.jp/~kikkawa7/吉川史料館 美術館・博物館
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見学料500円を払って入場します。
大変趣のある史料館です。
ですが、史料室は一室のみで、え?もう終わり?感がたっぷりとありました。
まぁそれはそれで、いいんですけどね。
見応えという点では、萩の至誠館よりは何倍も劣るかな〜。 -
ただし、外壁をなす長屋遺構は見所があります。
江戸時代の趣を今に伝える立派なものでした。 -
イチオシ
これで概ね、岩国界隈の見所は見てきました。
あ、錦帯橋を真横から見られるスポットがまだだったー。
4トラ・スポットでは「錦帯橋」になってますが、大嘘です。
正しくは「錦城橋」。
車が通れる鉄筋の橋ですが、ここから見る錦帯橋は一見の価値あり!錦帯橋 名所・史跡
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真下や真上、岩国城からも拝ませて頂きましたが
錦帯橋見学スポットとして、真横からもまた格別です。
川面に映る姿がまるで眼鏡のようで、とても美しいですね〜。 -
下方には鵜飼いの屋形船も見えています。
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見上げれば、岩国城の雄姿もほぼ正面から臨めます・・・。
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たっぷり楽しみましたね。
最後は「むさし」さんへ。
小次郎に武蔵、こだわり感満載。(笑)
ここは「珍百景」で紹介されたお店で、ソフトクリームの種類がなんと140種類も存在しています。
ただ、品数は多くても「食べたーい」と思う品種はオーソドックスなものですがね。むさし グルメ・レストラン
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醤油・納豆・味噌・七味・にんにく・ハバネロ・カレー・お茶漬け・ラーメン味・・・はたまた、スッポンまむし味のソフトクリームってどうよ!
何かの罰ゲームとしか思えませんね。 -
色んな商売の有り様ってあるんですね〜。
誰も好き好んで食べなくても、客寄せにはなるってことです。
アイデアの勝利でしょうなぁ。 -
人がずいぶん少なくなってきて、俄然風情が出てきましたね。
なんでも、萩でボーイスカウトの国際大会があったようで、やたらボーイスカウトが目に付くなぁと思っていたんです。 -
錦帯橋下には、どこにでもいる家族づれの夏の夕暮れの風景。
私らには非日常の旅ですが、あの家族には日常の一コマなのですね。
こういう光景が心を和ませてくれます。 -
反射する川面には釣り人の姿も・・・。
観光地はそれゆえに恩恵を戴いている京都人の私ですが、観光地の苦労もまたあるわけで、地元民としての生活や余暇がしづらいことも多いのです。
どこ出かけても人が一杯だし、道路は常に混んでます。
清水寺界隈なんて、今や東南アジアかと思うくらいに異国の言葉が飛び交ってます。 -
その観光客がはける夕暮れに、その土地の持つ風情が醸し出されてくるんですね。
人っ子一人いない、産寧坂や二年坂の美しいことこの上ないです。
旅行者の身の上ながら、錦帯橋もようやくその姿に戻りつつある、ここからは地元民の元に戻る錦帯橋となっていくんですなぁ。 -
錦帯橋が有料の橋だってこと、ここに来るまで知りませんでした。
保存や維持に多額の費用がかかるんでしょうねぇ。
嵐山の渡月橋も有料にすればいいのに、とイケズな京都人は思ってしまいました。(笑) -
見事な木組みですねぇ〜、こういう景観はほんと惚れ惚れする。
-
-
イチオシ
いいでしょ〜、このショット。
昔の人工物の矜恃すら感じられます! -
欧州の意匠を施した石造りの立派な橋も見事です。
でも何というか、こういう繊細さは木造の橋でないと出せないなーと思います。
大洪水には持ちこたえられない、儚さや危うさが日本美なんでしょうね。 -
わび・さび・一期一会・・・未来永劫が約束されないものの中に、日本人は美を見いだす民族なのかもしれません。
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今回も思い切り、私情を交えての旅行記となってしまいました。
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観光ガイドブックじゃないんだから、それが旅行記たる所以かもね。
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イチオシ
最後は例によって、グラデーション加工を施して、錦帯橋へのオマージュとさせていただきます。
時間だいぶ余ったな・・・一時間半近く浮いたんで、こだまを一本早めて、広島駅に行きましょう。 -
今年の夏旅はここまで。
最後までご覧下さりありがとうございました。
来年こそは、海外に行こうと思っています!
国内旅行も二年続くとさすがにちょっと飽きる・・・(笑)
来年はどこいこうかなぁ〜。
ではでは〜。
〜 2015 夏 萩・岩国 −完− 〜広島駅 (JR) 駅
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この旅行記へのコメント (2)
-
- ニッキーさん 2015/09/17 20:27:58
- 旅行記の名作ですよ〜
- ねいちゃさん、先日3編続けて拝見しました。
萩と錦帯橋、私、両方とも行ったことがあります。
萩へ行ったのは高校時代。その頃から歴史より景観重視で観光するタイプだったので、出雲大社と津和野はよく覚えているんですが、萩は記憶があまりありません。松下村塾へも行ったはずなんですけどねぇ・・・。萩ではカトリックの教会をのぞいていたら、ミサを見学させてもらい、外国人神父さんと英語で話して「通じた〜」とか喜んでた記憶があります。
ねいちゃさんの旅行記を拝見すると、萩は歴史的に重要な街なのだとわかります。人名が次々に出て来て、ねいちゃさんのお得意、歴史を語れる部分がいっぱいですね。街の雰囲気もいいですね。平安古鍵曲り、歩いてみたいです。人影が見当たらないのは暑い時期だったからなのでしょうか?
いつもながら初心者にもわかりやすい解説とハード・ソフト織り交ぜた内容で飽きさせず、すっかり引き込まれました。旅行記の名作ですよ〜。
毛利家と吉川家の関係もようやくわかりました。
錦帯橋は数年前に行ったばかり。記憶にしっかり残っています。年末だったので岩国城も武家屋敷(目加田家)も休みで、体を温めるためシロヘビ館だけ見学して帰って来ました。岩国出身の友達に真冬に錦帯橋へ行ったと話したら、今度はぜひ桜の季節に行ってくださいって。桜の季節はいいよーって。まあ、そうでしょうね。桜の季節は混むから、わざわざ外したんですけど、年末はちょっとまずかったです。
ところで、岩国城は下からお城が見えるように、上から錦帯橋が見えるように、位置をずらせて復元したってこと、ねいちゃさんの旅行記で初めて知りました。私はもともとあそこにあったと思っていたので、昔のお殿様、ずいぶんいい所にお城を建てたなぁと思ってました。
幕末ISHIN切符・・・いいもの発見しましたね。
ニッキー
- ねいちゃさん からの返信 2015/09/17 21:59:40
- RE: 旅行記の名作ですよ〜
- こんばんは、ニッキーさん。
いつもありがとうございます。
> ねいちゃさん、先日3編続けて拝見しました。
久しぶりの旅行記だったので、作り方忘れかけておりましたよ。
冬から春にかけて、リアルで雑事がふえてしまったもので
写真すら満足に撮れてなかったのですが、
萩で久しぶりにカメラ三昧ですごせて良かったです。
やっぱり、国内でも旅に出ないとダメですね〜。
> ねいちゃさんの旅行記を拝見すると、萩は歴史的に重要な街なのだとわかります。人名が次々に出て来て、ねいちゃさんのお得意、歴史を語れる部分がいっぱいですね。
そうですね、吉田松陰については、かじった知識しかなかったもので
どういう人なのか、今回しっかり勉強できて良かったです。
人物像がイメージできると、その次に一歩進めますから。
鍵曲・・・いいでしょ〜。
人通りが少なかったのは暑いからもあるんだけど、ほんと人があんまりいないんですよ〜。人を避けてとか心配しなくてもいい街・・・観光地としては、いいんだか、悪いんだか。(笑)
> いつもながら初心者にもわかりやすい解説とハード・ソフト織り交ぜた内容で飽きさせず、すっかり引き込まれました。旅行記の名作ですよ〜。
まぁ、ある意味プロですしねぇ。(笑)
読み手がどこで引っかかるかとか、何となく見えてるし
堅い話ばかりだと、最後までもたないとかもね。
> 錦帯橋は数年前に行ったばかり。記憶にしっかり残っています。年末だったので岩国城も武家屋敷(目加田家)も休みで、体を温めるためシロヘビ館だけ見学して帰って来ました。
白蛇館行ったんですか!剛毅だなぁー。
蛇だけはどうもダメで・・・生まれがねずみ年というのが原因だと固く信じているんですよ。
縁起が良い生き物らしいのですが、別に蛇に縁起もらわんでもと、最初から頭にありませんでした。
> ところで、岩国城は下からお城が見えるように、上から錦帯橋が見えるように、位置をずらせて復元したってこと、ねいちゃさんの旅行記で初めて知りました。
あかんでしょー、アレ。
復元展示の悪例です。今の歴史物の保存は現状に近づけるものになってますし、ドレスデンなどでもそういう努力があの景観を甦られたんですよね。
観光資源として見せやすいようにって、歴史物を何と思っているのかって・・・。
昭和の模擬天守ってこんなんばっかりで・・・時代考証の上にかつての形状を復活させる方向でお願いしたい。
とか、何とかいいながらも楽しんでいるんですけど。
ニッキーさんのように、ちゃんと細かく見て下さる方がおられるので
ほんと励みになります。いつもありがとうございます。
ねいちゃ
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