2015/01/12 - 2015/01/12
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たびたびさん
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九州の北部を眺めた時、観光で目が行くとしたら長崎県と福岡県。その中にあって、佐賀県の観光はアピール度で言えばちょっと落ちるイメージでしょう。さらに、佐賀県で観光を考えても、有田焼の有田に伊万里。唐津に嬉野温泉が浮かぶくらい。観光として、佐賀市を思い浮かべる人はかなり少ないんじゃないかと思います。
しかし、実は佐賀市も観光の宝庫なんですね。視点は幕末の雄藩としての佐賀鍋島藩の歴史。長崎警備を命じられていたことによる開明的な素養が蓄積されていたことに加え、鍋島閑叟の強力な指導力を得て、幕末、急速に力を付けて自力で蒸気船を建造するまでになったことは案外知られていないかもしれません。近代兵器の装備も最先端。これは新政府が戊辰戦争を勝ち抜く大きな戦力となりました。
ただ、一方で。幕末の歴史は尊王攘夷と公武合体や佐幕派の主義主張が、日本全体だけじゃなくて、各藩の内部でも交錯して揺れ動いたのが面白いところ。鍋島藩ではそうした混乱が比較的少なかったことが、逆に、幕末史ファンの興味が薄い原因にはなっているかもしれません。
そして、伝統産業では。元々、35万石の大藩ですから、焼き物以外にも、佐賀錦や鍋島緞通といった独自の産業がしっかりある。また、長崎街道は砂糖街道とも言われ、お菓子の文化に嬉野茶といったお茶の文化も有名でしょう。
例によって、こうした全体像はいろんなスポットを総合して感じるしかない。佐賀は街歩きが適した街なんですが、うまく伝わるでしょうか。さあ、出発です。
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宿泊した大牟田のホテルを早朝に出て、今日の観光地、佐賀に向かいます。
途中にある山口家住宅は、佐賀空港から車で15分ほど。小さな集落の中にありました。 -
一見すると、よくある茅葺屋根の古民家なのですが、屋根の構造がとても変わっていて、ロートのように中央が窪んでいるんです。そこに雨を集めて流すのだそうですが、周囲に迷惑をかけないということなんでしょうか。何の利点があるのか、よく分かりません。
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佐野常民は、佐賀の七賢人の一人で、日本赤十字社の創始者。日本赤十字社の前身は、西南戦争時に傷病者救護を目的として組織した博愛社です。
山口家の近くにあるこの記念館は、佐野常民の偉業を顕彰するもの。体育館のように大きな建物で、ちょっと驚きました。そして、周囲は佐賀藩海軍所跡地。この遺構は現在世界遺産登録を目指しているのだそうです。 -
というのも、佐賀藩は、福岡藩と交代で長崎港の警備を行っていましたが、オランダ船を装って、イギリス船が長崎港に侵入するという船フェートン号が起きてしまします。
これがきっかけとなって、佐賀藩は西洋に対抗すべく近代化への舵を大きく切り、とうとう国産初の実用蒸気船である「凌風丸」を完成させるところまで行ったのですが、その造船所がこの三重津海軍所。 -
跡は公園のように整備されていましたが、川原のような場所では、いまだ発掘調査の作業が進められているようでした。
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三池炭鉱の施設と合わせて、この施設もセットで世界遺産登録を目指しているようです。
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さて、佐賀市内に入ってきて。
高伝寺は、肥前佐賀藩の藩祖、鍋島直茂の父で、まだ龍造寺氏の家臣であった鍋島清房の創建。 -
その後は佐賀藩鍋島家の菩提寺となり、
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裏手の墓地には龍造寺隆信や佐賀藩歴代藩主の墓所があります。
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楼門から入って、
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本堂の脇を進んだ先が墓所です。
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この寺は、とにかく、この墓地が最大の見どころでしょう。
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石灯籠が並んでいて、基本的には大名墓地なのですが、梅の木が随所にあって、ちょっとした公園のようです。梅の花の咲く時期はさぞかし眺めがいいのではないかと思いました。
ところで、鍋島藩の東京の菩提寺は元麻布の賢崇寺ですが、そちらはこうした余裕はなくて、ひたすらいかめしい雰囲気のお墓。広さが限られるということはあるでしょうが、ちょっと対照的かもしれません。 -
イチオシ
本庄神社は、石造肥前鳥居がいいですねえ。車の中からそれが見えて、あまりの見事さに寄ってしまった次第です。下に行くにしたがって太くなる、ずんぐりとした石の支えは、力強さを感じる姿だし、実際に安定感抜群でしょう。確かに佐賀県の重要文化財です。
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そして、これが境内です。
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次に回った本行寺は、国道207号線の方から入るのですが、裏手の方をうろうろしてかなり迷いました。ここには、佐賀の七賢人の一人ともされる江藤新平の墓があるんですよ。
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佐賀の乱の首謀者で、最期は梟首の刑、いわゆるさらし首の刑に処せられるという、あまりにひどい仕打ちを受けました。過激な言動が目立った人物だったようですが、法治国家を目指す明治政府がすることではなかったでしょう。
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墓はすっきりしたシンプルなもの。地元では複雑な思いがあるのだと思いますが、冥福を祈るしかないでしょう。
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佐賀城に近いのですが、この辺りはかつての町割りがそのまま残っているのか、分かりにくい場所。まごついていたら、突然、この伊勢神社の前に出てきました。
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狭い路地から神社の門を入ると中は静謐な空間。九州のお伊勢さんと呼ばれた神社の格式が今でも偲ばれるようでした。
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そして、少し足を延ばして神野公園へ。
市内から歩ける範囲じゃないですから、レンタカーの利点でしょう。 -
ここは、江戸時代末期に造られた佐賀藩主鍋島直正の別邸跡。往時を偲ぶ隔林亭が美しくて、これは一見の価値ありなんですが、江藤新平の銅像もありました。
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イチオシ
その隔林亭は、佐賀藩主鍋島直正の別邸であった「神野のお茶屋」の茶室を復元したものだそうですが、周囲を広い池に囲まれて、その中にワンポイントでたたずむ姿がとても美しいです。
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入口を入って、
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奥に進むと
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こんな感じ。
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数寄屋造りの開放感あふれる建物は軽快そのものですね。
迎賓館の役割があったようですが、客をもてなし楽しく愉快な時を過ごすには最高の場所だったと思います。 -
佐賀駅の北でレンタカーを返しまして、ここからは歩いて佐賀市街を巡ります。
佐賀駅の改札を出てすぐの佐賀市観光案内所で、ちょっと情報収集。佐賀駅から佐賀城まではまっすぐな道なので迷うことはありませんが、その間にいくつか観光スポットがあるので、効率よく回るには、ルートをよく考えないといけませんから。ここで街歩きの地図をいただきまして、もう一度作戦を練りました。 -
イチオシ
この面浮主の像は、佐賀駅の正面。国の重要無形文化財にも指定された伝統芸能です。
音成の面浮主は、毎年9月に七浦音成の天子神社に奉納されるのだそう。鬼の面は、龍造寺氏の家臣だった鍋島氏が大軍の大友軍を奇襲し勝利を収めた、その戦勝祝いに踊ったのが始まりとも。異様なオーラを感じる姿はそのためなんですね。なるほど、納得です。 -
ここからメインストリートを南下します。メインストリート沿いには何軒かお菓子屋さんがあるはずです。
村岡屋の本店は、まず最初。巨大な店舗の堂々たる構えです。 -
看板商品は、たぶん、小城羊羹だとおもうのですが、いただいたのは最中。羊羹と最中は共通するところもあると思うんですが、どうなんでしょう。最中の餡は、けっこう柔らかめ。その一方で深い甘さがじんわり浸みてくるよう。今の時代にあった味わいのように感じますが、やっぱり積み上げてきた歴史がないとここまでのレベルにはならないように思いました。
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二軒目は八頭司伝吉本舗。こちらは、小城に本店がある小城羊羹の老舗です。ここは、佐賀駅から続くメインストリート沿い。大きな白い暖簾が鮮やかです。表面がガリッとした羊羹は、小城羊羹の特徴そのまま。安定感のある羊羹です。
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ただ、お土産には逸口香を購入。長崎にもある一口香というお菓子ですけど、佐賀でも名物なんです。中が空洞になって意表をつかれるお菓子です。長崎のものより、ちょっと柔らかいかなと思いました。
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三軒目は村岡総本舗。さっきの村岡屋とちょっと紛らわしいかも。しかし、こっちのお店も中に入ると広々したいいお店。
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やっぱり、小城羊羹がウリなんですが、抹茶餡の最中をいただきました。この抹茶餡は、抹茶の香りがするっていうほどではないんですが、やっぱりちゃんと変化がある味わい。それが絶妙な甘さでこれほどまとまってるってすごいです。佐賀は砂糖の運ばれた長崎街道で別名、シュガーロード。それぞれの店はレベルが高くて、驚かされました。
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ところで、佐賀には鍋島緞通という伝統工芸があります。緞通というのはいわゆる絨毯のことなんですが、木綿で作った絨毯です。その技を継承するのが吉島家です。
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今回も目の保養というだけで寄ったのですが、何んといっても一畳分で100万円もするのですから仕方ありません。
石原良純さんはファンだということですが、使い心地がいいんでしょう。想像するしかありません。。 -
もう少し進んで。
白山名店街は、佐賀市内中心部。アーケードの入口がありました。たぶん、市内では唯一のアーケード商店街だと思いますが、結局はやはりちょっとさびれた感じは否めないような。 -
白山名店商店街に入ったら、子供たちが竹の棒を持って、一軒一軒お店を回って、なにやら店先で、その棒を打ち付けています。棒の先には藁が巻いてあって、何度も地面を打ちつけます。これは、冬の行事で、もぐら打ちというのだそうです。
元々は田畑を荒らすモグラの害を防ぐために行われていた作業だったのですが、五穀豊穣や家内安全を­祈る儀式となって、こういう形になったのだそうです。元気の良い子供たちをしばし眺めて楽しみました。 -
北島は、佐賀の銘菓、マルボーロが有名なお店。私の中でも、マルボーロと言えばここという感じです。その本店は、この名店街の入口にありました。南蛮風をイメージしたんでしょうか。お店の入口は紺をあしらって、さすが北島と言ったおしゃれなデザイン。一見の価値あるいいお店です。
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龍造寺八幡宮は、白山名店商店街からすぐ。
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イチオシ
佐賀開府の鎮守の神であり、龍造寺氏の村中城からこの地に移転されたもの。鎌倉鶴岡八幡宮の分霊を祀っているのだそうですが、武門の神様のいかめしさだけではなく、華やかな雰囲気も感じる神社だと思いました。大きな楠木が景色を整えています。
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楠神社は、龍造寺八幡の隣り。境内に境はありません。
幕末の安政3年(1856年)。佐賀藩の執政、鍋島安房が創建したもの。佐賀藩は明治維新を成し遂げた雄藩の一つですが、他藩ほど狂信的な尊王攘夷の風は吹き荒れることはなかったような。この神社の創建も穏やかな尊王の思想が背景だったのではないかと想像しました。 -
名店街に戻って。
エスプラッツは、佐賀市が運営する商業施設と公団住宅が一体となった再開発ビル。一階にスーパーが入ったりしていて、それは何のことはないんですが、裏手にFMラジオのスタジオがありまして、これがなかなかいい。アナウンサーの声が路上にもよく響いていて、これなら生番組の間中、楽しい時間を過ごせると思いました。 -
松原神社の近くでふと香蘭社のお店を発見しました。香蘭社は、有田でも、もっともメジャーな窯元でしょう。有田焼の引き出物なんかだとここの製品であることが少なくないと思います。そういう意味では、見慣れた製品なんですが、やはり地元で見ると気持ちも違ってくる。本当は有田で見るのがいいのですが、佐賀市内でもまあまあ気分が出るような気がします。
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願正寺は、佐賀市内中心部。浄土真宗の寺です。
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鍋島藩は、実は関ケ原の戦いでは西軍の加わったのですが、東軍の徳川方が勝利。その時、小城出身の金持院元佶長老と西本願寺の准如上人が斡旋に勤め、事なきを得たのだとか。その恩に報いるために建てたのが願正寺なのだそうです。通りから少し入った場所ですが、豪壮な本堂が威容を誇っていました。
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ここから佐賀市歴史民俗館の周辺施設を探索します。
最初の馬場家住宅は、佐賀市歴史民俗館旧古賀銀行の向かい側。馬場家は、鍋島藩の藩医を務めた漢方医だったようですが、医家であったり、組侍が暮らした時代もあったよう。いずれにしても、この辺りは、長崎街道に面した「柳町都市景観形成地区」。幕末から明治初期の名残をとどめる建物の一つです。ただ、残念ながら内部の見学は不可。外から見るしかありません。 -
佐賀市歴史民俗館は、旧古賀銀行をメイン施設として、周辺に旧古賀家、旧牛島家、旧三省銀行、旧福田家を合わせて保存したもの。すべて佐賀市の重要文化財に指定された建物ですが、それぞれに市民のイベント会場としても活用されているようで、どの施設に行っても人の出入りがあって、活気がある。ただ保存するだけでは意味がない。そうした考えが徹底しているようで、面白いことだと思います。
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旧古賀銀行は、佐賀市歴史民俗館として保存されています。
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イチオシ
ちなみに、古賀銀行は、両替商であった古賀善平が明治18年に設立。
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九州の五大銀行に数えられるまでに発展しますが、大正期には業績が悪化し廃業。現在の建物は、明治39年に建てられたもの。一階から二階への大きな吹き抜けによってできた空間は、現在もある一般的な銀行店舗の感じがそのままですが、シックな木調だけに落ち着いた雰囲気。この空間を味わうだけでも価値があるように思います。
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一階奥には、佐賀の七賢人に、
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長崎街道のパネル展示です。
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次は旧古賀家。
ちなみに、こちらは、古賀銀行を創設した古賀善平の住宅で、明治17年に建てられたもの。 -
住宅は門から玄関などはちょっと武家屋敷のような感じ。
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入ってすぐに、
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50畳の大広間がありましたが、この日はヨガか何かのレッスンが行われていました。
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ここだけではありませんが、周囲の保存建物はただ保存されているだけではなくて、地域のために十分活用されているようです。とてもよいことでしょう。
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旧牛島家は、江戸時代中期に建てられた佐賀城下では最古の町屋建築。
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住宅でもあり、店舗や倉庫としても使われていたようです。
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この日は、展示替えか何かのためだと思いますが、若い人が作業をしている最中でした。
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イチオシ
続いては、旧三省銀行。
まずは漆喰の壁に緑の銅板の窓がとても美しくて、印象的ですねえ。 -
この建物は、明治15年に建てられたもののようですが、
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土蔵の続きに屋敷が広がっているという構造。銀行の店舗としてはちょっと特殊な感じかもしれません。
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この一角にある八坂神社です。この神社も長崎街道に面して、柳町都市景観形成地区を形成しています。
この日は何かの行事があったよう。小さな本殿に何人かの人が腰かけていて、お祓いを受けていました。しっかり地元に根付いた神社です。 -
少し南に下って。
肥前通仙亭は、佐賀市歴史民俗館から旧福田家へ向かう途中。 -
無料休憩所のような施設ですが、中には伝統的地場産品の展示販売と、これが主目的のようですが、煎茶道の祖、高遊外という人物の紹介。ビデオを見せてもらいました。
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今では普通になっている煎茶も昔は薬。それを庶民にまで広めた功績が大きいということです。
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最後は、旧福田家。
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ちょっと離れた場所にありますが、
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旧牛島家や旧古賀家などと比べると、ここが一番ゆったり。
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部分的ではありますが、和洋折衷の雰囲気が残っていて見応えがあるし、規模も一回り大きような気がします。
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イチオシ
邸宅の始まりは明治初期ですが、現在の母屋は佐賀を代表する実業家、福田慶四郎が大正7年に建てたもの。やはり、日本が上り坂だった時代の気風なのかもしれません。
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一室では、佐賀錦の作業中。
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金糸を織り交ぜる繊細な作業なので、この大きさで作る。小物用に使われるようです。
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佐賀市歴史民俗館を離れて。
今度は松原神社。 -
イチオシ
こちらは、藩祖、鍋島直茂を祀ります。地元では「日峯さん」と呼ばれるそうですが、それは直茂の法号です。
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ちなみに、鍋島直茂は、今山の戦いで大友宗麟の大軍に攻められ窮地に陥った龍造寺氏を、夜討ちで救う功績をあげたりした実力者。秀吉との関係を早くからとったりして、後の佐賀藩への道筋をつけた人物です。
なお、境内には肥前の陶工が寄進した白磁の鳥居と灯籠があったはずなんですが、ちょっと気が付きませんでした。赤い灯籠の方が目立ってます。 -
いったん北側を出て佐嘉神社に向かいます。
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イチオシ
これが佐嘉神社。いったん出ましたが、実は佐嘉神社と松原神社は境内がつながっていました。無駄に遠回りをしたようです。
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山門前には、
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ひつじ年の飾り。
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佐嘉神社は、開けた場所にあるし、1月の三連休も境内はお参りの人が多くて、とても賑わっていますね。
ここは、佐賀藩の近代化を進め、明治維新では薩長土肥と呼ばれる雄藩の一つに育て上げた鍋島閑叟を祀る神社。鳥居の前には、近代化の象徴としての大砲が置かれていて、今でも佐賀の誇りとなっていることがうかがわれました。 -
深川製磁は、有田に本社があって、有田焼では香蘭社と並んで企業化された窯元。六本木、大阪、札幌、福岡などの店舗がありますが、佐賀市内にも立派な店舗がありました。
有田焼は高価な焼き物というイメージがあったのですが、それを低廉な磁器とした功績は大きいと思います。濃紺の色使いが特徴的なんですが、どうかすると、メジャーになったゆえにむしろ見慣れた色使いになってきているかもしれません。建物は木造でちょっと風情があるし、いいお店だと思います。 -
松原神社の方に戻って。
ひぜんえびすやは、そういう看板はなくて、「なかみぞ」と書いた目立たない看板がかかっています。中溝菓子店とも、ひぜんえびすやとも言うようで、どっちにしても、もしかしたら佐賀市内では一番古い和菓子屋さん。店の名前にはこだわってませんということでしょう。 -
いただいたのは、やぶれ饅頭。素朴な饅頭ですが、粒餡のどっしりした甘さは基本がしっかりしている感じ。目だったことはしなくても、ちゃんと伝統の重みが備わっている饅頭です。
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お店の前には、ここにもえびすさんです。
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開運さが恵比須ステーションもその近く。
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佐賀では、旧長崎街道沿いを中心に市内至る所にえびすの石像があって、その数は400を超えるのだとか。それだけえびす信仰が盛んな地であるのですが、そのシンボル的な施設がこれ。
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石像に張り子の恵比須も賑やかに展示されて、休憩がてら寄ってみるにはちょうどよい施設かと思います。
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旧長崎街道を中心に、えびす像が至る所にあって、それを見て回るというのが、さが恵比須八十八ヶ所巡りです。えびす像は、実際には803体もあるので、とんでもない数なのですが、スタンプラリーをしながら回ります。ちょっとした佐賀の街探訪になると思います。
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さて、ここで昼飯にしたいと思います。
調べておいたのは季楽です。JAが経営する超人気の佐賀牛レストランなんですが、駐車場を挟んだ向かいにあるのが、さが風土館季楽。こちらは、産直の販売所。こちらもウリは佐賀牛なんですが、たれやドレッシングなど、幅広い食材も扱っていて、スーパー感覚のお店です。レストランに行った帰りに寄っているお客さんも含めて、こちらも賑わっていました。 -
隣りが、街かど畑。同じJAが経営する産直のお店です。
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佐賀マンダリンというみかんを試食したら優しい甘さがとっても美味。思わずネット入りのそれを大量買いしてしまいました。箱に詰めて全国発送もしてくれるし、お買い得です。
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そして、佐賀牛レストラン季楽へ。12時過ぎに到着したら、待合室のような部屋にいっぱいのお客さん。 待ち時間が1時間近くかかりました。
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イチオシ
きらランチをいただきましたが、
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自分で焼いて、
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至福の時間。
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量はちょっと少ないですが、佐賀牛のストレートな味わいを楽しみました。あれこれと手を加えていないシンプルな内容がJAらしいかなあと思いました。
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落ち着いたところで、大隈記念館へも行ってみます。
大隈重信の生家に隣接した資料館なんですが、現在は大改装をしていて、休館中でした。前回10年前に来た際、早稲田大学の創設者くらいしか頭になかったのですが、政界で外務大臣、首相も務める間、政敵との対立を乗り越え、右足を切断するなどの難にも遭いながら不屈の魂で乗り越えて行った人物像に触れて、それまでのイメージが変わってしましました。早い時期の再開を願います。 -
早稲田大学の創設者であり、二度の総理大臣を務めた大隈重信は、天保9年(1838)の生まれ。生家は、大隈重信旧宅として保存されています。
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この辺りは、佐賀藩士たちの屋敷が集まった場所。この旧宅もそうした武家屋敷の一つです。
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禄高は300石取級と説明されていましたが、派手さはありませんが余裕のある生活ぶりが十分窺われる屋敷です。
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随分寄り道しましたが、やっぱり佐賀城に行かないと話になりませんよね。
こちらのさがレトロ館も佐賀城公園の一角。白地にモスグリーンの縁取りといったおしゃれな洋風建物に、レストラン、ベーカリー、カフェが入った、佐賀のうまいもの館といったところです。 -
入ると、正面奥にあるのがベーカリーコーナー。米粉のパンなんかもありましたが、一番目立っていたのは佐賀牛のカレーパン。これはうまそうです。トロトロのルーにはけっこう大きめの佐賀牛が入っていて、豪華ですねえ。揚げたパンのざっくりした食感もいい。完成度の高いカレーパンです。
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二階では、佐賀錦の展示会が行われていて、もうすぐ始まるひな祭りの人形もちょこっと飾られていました。
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佐賀錦は大きな織物はできないので、こうした小物で使われるもの。キラッと光るたて糸の金が特徴です。
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佐賀城は、龍造寺氏の居城だったのですが、龍造寺隆信が有馬・島津連合軍との戦い、沖田畷の戦いで討ち死にすると、鍋島氏に実権が移って行きます。本格的な城の整備は江戸時代に入って鍋島氏の元で行われたもの。典型的な平城でしょう。主要な建物は佐賀の乱等で焼失したので、往時を偲べるのは石垣とこの鯱の門くらい。スケールはなかなかなのですが、ちょっとさみしいかもしれません。
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佐賀県立佐賀城本丸歴史館は、鍋島閑叟の元で、幕末、佐賀藩の近代化が推し進められ、最後は自力で蒸気船を建造するまでになるといった素晴らしい成果を紹介するもの。
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前回来た際、 そうした概括的な解説を初めて知った時はかなり驚きました。
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中の展示物は撮影禁止なので、せめて玄関の大砲だけ撮らせてもらいます。
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この大広間は撮影可。何畳あるんでしょうか。
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廊下の方まで畳が敷き詰められています。
今回の特別展示は、副島種臣の書。字体を変幻に使い分けるその技の深さに驚きました。ちなみに、副島種臣は、明治25年に、第1次松方内閣において内務大臣を務めた人物。佐賀の七賢人の一人でもあり、やはり、ただ者ではありません。 -
佐賀城跡は、城内公園として整備されていますが、その中心は鯱の門と佐賀城本丸歴史資料館でしょう。
石垣が巡って、お堀が囲む敷地はかなりの規模。ジョギングにも最適そうな遊歩道が長く続いていて、いろんな景色、いろんな顔があるような。佐賀藩35万7千石の城は雄大です。 -
少し離れたところにあるのが龍造寺隆信誕生碑。
龍造寺は戦国時代の九州で、大友、島津と並んで覇を競った、九州を代表する戦国大名。龍造寺隆信は、大友氏を破り、勢いがあったのですが、最後は、有馬・島津の連合軍と戦った沖田畷で討ち死に。以降、龍造寺家は衰微し、鍋島氏へと受け継がれていくことになります。
誕生碑は見上げるような大きなもの。志半ばで倒れた隆信に思いを馳せました。 -
再び佐賀城公園の戻って。西側の方に歩きます。
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遊歩道のような道を行くのですが、
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けっこう遠いですねえ。
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で、目指していたのは、大隈重信の墓。
佐賀城のお堀の西側にある龍泰寺という寺の境内にあるんです。 -
立派な囲いがあって、その中なのですが、大隈家の方々の墓が並んでいるので、どれが重信の墓か分からない。大きさからするとそれらしい墓があるのですが、まだ新しい感じでそれでもないような。結局よく分からなくて、お寺の方に尋ねて、新しいけど大きな墓がそれであることが分かりました。もう少し分かるようにしてもらえればと思います。
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と、近くで見つけたのは、吉島家緞通ミュージアム。
ここは、今朝寄った鍋島緞通の吉島家のショールームなんですが、玄関から続きの和室に古い緞通が何点か展示されていて、それがミュージアム。 -
古い緞通は古美術商なども取り扱っているのだそうですが、10万円くらい。素足で使うものだけに、一度使ったものは古くても値段は張らないんだとか。しかし、伝統的なデザインを紹介するという施設の意味はあるでしょう。
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で、最後に訪れたのは与賀神社。
佐賀市の散策マップに載ってはいるのですが、実際に行ってみると入口がとってもわかりにくい。佐賀城のお堀から直接行くことはできないので、ぐるぐる彷徨ってしまいました。 -
ところで、神社は欽明天皇25年(564年)の創建。百済からの仏教伝来が538年ですから、とんでもなく古い歴史です。また、室町時代後期に建てられた赤い楼門だけでなく、石橋、鳥居も国の重要文化財。境内は限られた広さですが、ぎっしり詰まったような神社だと思います。
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これで、佐賀空港まで向かいます。空港は近いので、安心感がありますね。
さて、以上で三日間の旅は終了。お疲れ様でした。
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