2015/01/11 - 2015/01/11
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今日は昨夜泊まったホテルの周辺長洲町や玉名からスタート。
ところで、玉名は玉名温泉なんですが、温泉だけではないんです。玉名、菊池、山鹿は菊池川の流域で、平安時代に荘園が置かれたりした豊かな土地。水運にも恵まれて栄えた時代があったり、意外なことに西南戦争の激戦地だった場所でもある。へえ、そうなんですかという場所が随所にあって、以前、玉名もそれなりに回っていたんですが、再発見が多いことになりました。
今日は、荒尾の近代遺産が中心のはずだったんですが、そんなことが分かると、田原坂にも行ってみたくなって。さらには、夏目漱石の天水までも足を延ばすことに。。これはきつい。
そして、三井港倶楽部に石炭産業科学館という一番のハイライトもしっかり回れたものの、本当に押せ押せです。三池炭鉱は、江戸時代は三池藩の炭鉱だったのですが、明治になってからは官営に。そして、明治22年には三井財閥に払い下げられ、大発展を遂げることになります。たぶん、深度や湧水もあるし大資本じゃないとどうにもならないような条件だったことも背景だったでしょう。ちなみに、筑豊では家族掘りと呼ばれた小さな炭鉱がそこかしこにあって、そんな炭鉱がだんだんと統合されて、麻生や安川に伊藤伝衛門などの五大炭鉱王が現れるという流れ。かなり事情が違うように思いました。現場の過酷さは同じでしょうが、技術の進歩なども、何か、大資本の元に経営された安定感のようなものを感じました。
そして、最後はずっと気になっていた荒尾の名物、小代焼。ちなみに、小代焼は肥後藩に保護された窯で、ルーツは豊前。細川家が小倉から熊本に国替えとなった時に、小倉では上野焼と言っていたのですが、陶工を熊本に連れてきたんですね。こんなに地味でいいんかなあという渋い焼き物というイメージが強かったのですが、いつの間にか、美しさが前面に出る焼き物に変身しているような。これも大きな収穫です。
ということで、またまた超欲張りな一日となりました。
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今日の計画はかなりハードなので、明け方から回り始めます。
金魚と言えば、大和郡山くらいしか思い浮かばなかったのですが、熊本の長洲町も金魚の町なんだそうです。それを象徴するのが、この金魚と鯉の郷。 -
門を入ると予想外に広々とした芝生の公園。金魚の館は、その中心施設です。まだ開いていなくて外からうかがってみただけですが、巨大な金魚のオブジェとかが見えて子供連れにはいい施設だと思いました。
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ここから玉名に移動して。
蛇ケ谷公園は、玉名市街から少し山手に向かった場所。市内を走ると道路標識にも大きく書いてあって、このあたりでは位置を確認するポイントになっているのかもしれません。 -
この公園自体が広い丘陵地にあって、ハイキングでもできそうな感じなんですが、実際にここは小岱山への登山の入口になっているらしく、登山の団体が通り過ぎて行きました。では、行ってらっしゃ〜い。
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さらに周辺を回ります。
ここは山田日吉神社というよりも、山田の藤と言った方が分かりやすいかも。 -
正直言えば、どうせ田舎の神社だろうくらいにしか思ってなかったのですが、ここの藤の見事さには驚きました。
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さすがに足利フラワーパークの大藤には及びませんが、これだけの大きさの藤はめったにないでしょう。境内一杯に枝を伸ばしていて、圧巻。花が咲いていなくても、十分すばらしいと思いました。
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そして、玉名には世界一の大梵鐘という名物があることは知っていましたが、公共交通機関では不便なので行けずじまいでした。今回はレンタカーでの旅だったのでそういう意味では宿題のつもりで訪ねました。
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イチオシ
こちらの寺は、真言律宗の九州別格本山ということですが、山門に中門。本堂に相当する五重塔が広大な敷地に整然と立ち並ぶ、これまで見たことのないような見事な伽藍配置です。
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これが世界一の大梵鐘なんですが、
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そのことよりも、その雄大な姿をみて、あっけにとられてしまいました。
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一方で、新興宗教ではないんでしょうが、
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これだけの伽藍がどうやってできたのか。ちょっと不思議な気もしてしまいました。
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ここから玉名温泉に戻って。
ここでは懐かしい映画看板を通り沿いに掲げて「映画看板名作通り」にするという企画があるようで、立願寺公園にもいくつかの映画の看板が設置してありました。玉名温泉とどういうつながりがあるかは不明ですが、風情を損なうものではないし、悪くないと思います。 -
立願寺公園には、足湯もあって、そこから流れ出した湯からもわっと白い湯気が上がっていて、いかにも温泉地の公園です。まだ朝早かったのですが、その足湯にもちらほら人の影。じっと足湯に浸かっている人もいて、のどかな光景です。
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しかし、それにしても今日は冷え過ぎ。予定にはなかったのですが、朝ぶろに入りたくなってきました。
この玉の湯は、公園の前にある公共浴場。朝8時くらいでしたが、近所の常連さんも含めて、大勢の人で賑わっていて、ちょっとびっくり。こんな朝早くから湯に入っていたら、一日何もできないように思いますけど。。私の方は、そうならないように短めに。ちなみに、泉質は無味無臭無色の単純泉。それでも、じんわりした暖かさは名湯の感触です。 -
さて、改めて街歩きです。
玉名市立歴史博物館は、玉名温泉からは少し離れたところ。
玉名市の歴史をテーマにしているんですが、玉名、菊池、山鹿は菊池川の流域で歴史的にも一体感のある地域。古墳の時代や平安期の荘園がおかれた頃、南北朝時代の菊池氏の支配など、共通項が多いのですが、この地域全体を指す言葉がない。私としては、菊池という言葉かなあと思いますが、独特の文化圏なのに言葉がない。それが何だか寂しいような気がしました。
なお、展示や解説は、充実していますので、少し時間を取って行く方がいいと思います。 -
ここから菊池川の堤防に出ます。
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この辺りは高瀬というという地区。この裏川は、その高瀬の川。菊池川の堤防に沿って、かつては小さな川が流れていたのでしょうが、今はその跡が残っているような感じです。古い石橋がいくつもかかっていて、雰囲気は抜群。高瀬裏川水際緑地が整備されていて、新たな観光スポットとなっています。
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木製の遊歩道が水際に続いて、
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途中途中には、細い石橋などが何本も渡っていたり、一種独特の景色となっていますよ。ちょうど竹灯りが飾られていましたが、夜のイベントをしていた時期なのかもしれません。
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これを下って行くと、高瀬目鏡橋。九州は、長崎でも熊本でも鹿児島でも、本当に石橋が多い。この眼鏡橋もそうした九州の石橋文化の面目躍如と言った感じの橋ですね。
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全長15m、幅4m、アーチ径6.7mの二重橋は、菊池川から荷揚げされた荷物を高瀬の街に運び込むためのもの。高瀬町奉行である高瀬寿平らによって造られたそうですが、それだけ利用目的が明確な橋だったということでしょう。
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さらに下って、秋丸眼鏡橋。この橋は水流量を調整する分流板を備えているのが特徴です。運河は、この時期、水が干上がっていて、川から見上げることもできました。この橋もがっちりとして、いかにも頑丈そうな石橋です。
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イチオシ
眼鏡橋を抜けるとここがドン詰まり。
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見ると、西南戦争についての説明板です。
つまり、高瀬地区は、西南戦争の古戦場でもあるんですね。説明によれば、高瀬の会戦と言われる戦いは、西南戦争の関ヶ原とも位置づけられた重要な戦いでした。南下する政府軍と迎え撃つ薩軍は、ここで初めて主力が激突することとなります。薩軍はここで退却し、有名な田原坂の戦いは、この戦いの後のこと。薩軍を退却させたものの侮りがたしと援軍を待つ政府軍と、一方の薩軍は、その時間を使って防備をガチガチに固めた上で、再度、官軍に挑戦するという流れです。 -
高瀬地区の菊池川のほとりに西郷小兵衛戦死の地碑があって、これもこの戦いの遺構。小兵衛は西郷隆盛の弟。小隊長として最前線で軍を指揮したということです。
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この辺りには、菊池川の船着き場の遺構がいくつも残っていました。菊池川から分かれた裏川と連携して、機能していたんですね。菊池川に降りて行く石垣に守られた石段がいくつかあって、よく見るとかなりしっかり造ったものでした。いまでもほとんど壊れていなくて、往時の技術の高さも証明しているように思います。
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で、この辺りのお菓子の老舗は玉名温泉にあるのかなあと思ったら、こっちの高瀬にある菊水堂がそれ。やっぱり歴史から言えば、物資の集散が行われたこっちが中心地なんでしょう。
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長者饅頭が名物ですが、それは疋野神社の長者伝説にちなむもの。白餡のような黄み餡のような餡子の甘さが特徴的です。
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西南戦争の遺構を見たら、やっぱり田原坂にも行ってみたくなりました。ちょっと、迷ってはいたんですが、後のことはあるけど、ここで行かないわけにはいきませんねえ。
その前に、桃田運動公園へもちょこっと寄ります。玉名の高瀬地区の菊池川を挟んだ向かいの丘陵地を開発した公園です。丘陵地の地形をそのまま活かしたような感じ。ジョギングをしている人も何人かいましたが、ちょっときつそうです。 -
この玉名天望館は、名物建物。桃田運動公園の一番高いところに建っていて、名前からすると天体観測の施設かなあとか思ってしまうのですが、この建物自体が意味あるもの。「地の座」、「雲の座」、「星の座」の3層構造になっていて、奇抜な姿です。
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そして、いよいよ田原坂です。思ったほどは遠くなかったですね。
史跡田原坂は、玉名側から、一之坂、二之坂、三之坂と続きます。 -
両側が土手のようになっていて、
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ここを熊本に向かおうとした政府軍が、
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待ち伏せた薩軍に散々な目にあったというのは分からないでもない地形です。
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坂を抜けた先は、田原坂公園です。
中央の楠木の下には美少年兵士の像。その奥には田原坂崇烈碑。山を見下ろす側には、薩軍、政府軍の陣形を図示する説明もありました。 -
結局、田原坂の戦いは坂だけではなく、この辺り一帯の丘陵地で行われたよう。
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城塞化した薩軍の陣地を政府軍が攻めるという構図ですが、一方の熊本側はふもとを見下ろす見晴らしの良い地形。
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薩軍は地形の利をフルに活用して戦ったのではないかと思います。
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ここに建つ田原坂崇烈碑は、政府軍の立場から書かれたもの。
戦いは、明治10年3月4日から3月20日までの17日間。政府軍の戦死者は2,000名と言われた大変な戦いだったわけですが、この戦いに勝利していなければ、全国に明治政府への不満が広がり、時代はどうなっていたか分からない。明治政府も必死の戦いだったと述べています。
反面、それだけ犠牲者の多い戦いだったわけですが、この戦い以降も日本の戦争への道はますますエスカレート。太平洋戦争まで一本道で続いて行ったことはご承知の通りです。反戦という反省はあくまで乏しかったのかもしれません。 -
先に進んで田原坂資料館です。
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官軍が田原坂の戦闘で消耗した小銃の弾薬は、一日平均32万発。
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最後は政府軍が勝利を収めるのですが、
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17日間もの戦いは激烈です。
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ただ、最後にものを言ったのは、
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先込め銃と後込め銃の違いや衣服の防寒機能など装備の差もあったようですが、
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抜刀隊といった切込み部隊を編成した泥臭い戦い。まさに死闘だったことが窺われました。
なるほど。やっぱり来てよかったですね。何が悪かったとか、よかったとか。そんなのが全然なくて、事実を伝えようとする姿勢に好感が持てました。
さて、ここまで来たら、天水まで足を延ばしましょう。 -
で、やってきたのは、草枕交流館。しかし、予想に反して、田原坂からはかなり遠かったです。これからの予定は大丈夫でしょうか。。
さて、ここは、夏目漱石が天水を訪れ、それが後になって「草枕」の材料となったことを記念してできた施設。展示は草枕草紙から。この草紙は草枕に出てくる名場面を絵にしたものなのだそうですが、そもそも草枕の中身ってなんだたっけ?の疑問には答えていないでしょう。展示品から草枕を紐解くのは難しい。時間が必要ですが、ビデオを見せてもらわないと、ここの価値はなかったように思います。 -
草枕温泉てんすいは、すぐそばにある日帰り温泉施設。一番奥の方の高台にあって、立派な施設です。温泉には入りませんでしたが、産直の売り場がとても充実していて、地元産のみかんとかが豊富に並んでいました。これを目当てに来るだけでも価値があるかもしれません。
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イチオシ
そして、目当てだったのは草枕温泉展示ホール。草枕温泉てんすいの入り口を入ってすぐです。
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夏目漱石の小説「草枕」とこの天水地区との関わりをパネル展示なども含めて要領よく解説しています。
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ほか、熊本時代に奥さんである鏡子さんと見合いで結婚したことも初めて知りました。さっきの草枕交流館もこんな感じで展示があればよかったんですけどね。なんかマニアックになっています。
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もう一つ気になっていた漱石館は、基本的には前田家別邸と同じと言っていいかも。漱石の小説「草枕」の材料となった天水訪問。その際、滞在した前田家別邸には、実際に漱石が泊まったという離れの部屋があって、それを見ることができます。管理は草枕交流館が行っているのですが、ここは無人。自分で勝手に見るという仕組みです。
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ただ夏目漱石は、ここではっきりと小説のインスピレーションを得たというほどではないよう。東京に帰ってから、ここを材料にして執筆したようなことを草枕交流館の係りの人がしきりにおっしゃっていました。
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でも、まあ、その辺りはどうでもいいことでしょう。
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これは、主人公がヒロインと鉢合わせした風呂。
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ちょっとした、パネルの説明もありましたが、これで精いっぱいです。
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さて、ここからはひたすら荒尾に向けて帰ります。
これは途中にあった四王子神社。ここは、今朝の金魚の街、長洲町です。
立派な神社なので、車で走っていても目に止まるほどですが、ここは破魔弓祭で知られた神社。850年の伝統を誇るまつりで、藁や麻で編まれた的を締め込み姿の男達が奪い合うというのです。いろんな伝統が残っています。 -
お腹もめっちゃ減ってるし、立ち寄ってみました。ちょこっと車を止めて、野焼きを一本買いましたが、スケソウダラのまあごく普通のタイプ。ただ、この辺りには食堂もなくて、昼飯までのつなぎになりました。ありがたかったです。
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本当は、もっと急ぎたかったのですが、あちこちに看板が出ているし、ではということで宮崎兄弟の生家にも寄ってみました。
ちなみに、宮崎兄弟というのは、玉名出身の宮崎八郎・滔天ら4兄弟のこと。 -
八郎は自由民権運動家。熊本協同隊を結成し、西南戦争では薩軍とともに戦い戦死。
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滔天は、孫文達を支援し、辛亥革命を支えた革命思想家。
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それぞれに、近代アジアとは何かというテーマを追いかけた人であったように思います。
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展示史料は豊富で、土地制度への思考は共産主義みたいだし、
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大東亜共栄圏の思想につながるような面もあるし、
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あちこちに思いが波及して、
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ちょっと広げ過ぎのような気もしますが、
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まあ、それだけ活力のあった人たちであったことは
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間違いないようです。
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こちらが母屋。
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イチオシ
庭を望む座敷で孫文を迎える滔天の姿です。
いや、寄り道でしたが、これもやはり来るべきだった場所ですね。明治の激動期に、思い切り頭を働かせて自分の世界を広げて行った。並外れたパワーは、よく分かりました。北一輝が軍部の思想に影響を与えたことも含めて、激動する日本は何を基本的な価値観にしたらいいのか。模索が続いていた時代を反映しているような気がします。 -
さて、ここからやっと近代産業遺産に戻ります。
三池港は、かつては三池炭鉱の積出港であり、閘門の施設などを含め、万田坑などと並んで世界遺産の候補となっています。 -
有明海に面した港であるために大型船の入港が出来なかったことで、小舟に積んだ石炭は口之津に運ばれ、そこで大型船に積み直されるという非効率があったのですが、閘門の設置によって潮位に影響されず大型船の入港も可能となったということ。
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今はのどかな眺めでしかありませんが、大牟田の繁栄を支えた華やかな時代があった港です。
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これは、島原への連絡船ですね。
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続いて、これは旧三井港倶楽部。
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優雅な姿は、かつての繁栄をそのままに伝えています。
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イチオシ
これはいいですねえ。
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建物を見に行ったつもりだったのですが、あれ食堂もあるんですね。
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では、ここで昼食にしましょう。
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イチオシ
いや、こんなレトロな雰囲気。最高じゃないですか。
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いただいたのは、大牟田名物の洋風カツ丼。
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イチオシ
酸味のあるあんかけがかかっていたり、スパゲティが添えてあるので、確かにハイカラです。往時の隆盛をそのまま残すレトロな室内で優雅にいただきまして、思いがけずリッチな時間を過ごしました。
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食事を終えて、なにやら二階の方も見学ができるそうで。
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上がってすぐの応接に、
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小さな会議室も
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複数あります。
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共通スペースもゆったりしていて、
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これはすごいですね。
いっそ、ここも世界遺産登録にはならないんでしょうか。もったいない施設ですよ〜 -
ここから、石炭産業科学館に向かいます。
途中にあるのが諏訪公園。 -
都市型公園なのですが、都市公園と言っても子供の遊具とかがかなり充実していて、変な遊園地に行くならここの方がずっといいのではという感じ。子供連れがたくさんいて、本当に大賑わいの公園でした。
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で、これが今回の旅のハイライトの一つ、石炭産業科学館。
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三池炭鉱の歴史や内容を伝える総合的な博物館です。
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明治政府から三井が買い受けた三井炭鉱は、団琢磨などの優秀な経営陣にも支えられて大発展。海外の最先端の技術を取り入れた排水技術は勝立抗の成功にもつながりました。
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ここから次の展示場に向かうのですが、エレベーターは時間があって。待ち時間が出来てしまいました。ジオラマを
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見たりして時間調整をします。
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エレベーターはここから。炭鉱の中に入って行くという設定です。
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ここからがメインの展示ですね。
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掘削や運搬の機械類。
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実際に使われた物だとは思うのですが、
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イチオシ
ピカピカにメンテナンスされて、
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その雄姿は迫力満点。
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ここで培われた技術は、世界の鉱山に引き継がれているという、自負心も見えて、それも大いに結構。心が躍るような見応えがありました。
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隣りは、イオン。
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もう少し、小さな遺産も回ります。
というのも、三池炭鉱の抗は10以上あったのですが、見学にたりる状況にある抗は限られるんですね。 -
この宮浦石炭記念公園は宮浦抗跡。
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ちなみに、宮浦抗は、明治20年に開坑し、三池炭鉱の主力坑として最盛期は4,000万トンの石炭を産出したということです。
シンボルは高い煉瓦の煙突。近づくと高いだけじゃなくて、太さのあることにも気が付きます。 -
公園内には運搬や掘削の機械も置いてありました。
これで、予定していた近代遺産は終了。なんとか回れました。ほっと一安心です。余裕が出たところで、市内の二つの場所も攻めてみましょう。 -
まずは、延命公園。
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小さな駐車場があって、そこから歩きましたが、公園と言ってもちょっとハイキングのような感じで、どんどんと山を登って行った先の方。こんなところに何があるのかなあと思いましたが、辿り着くと配水塔があって、その周辺が公園として整備されていました。
後で聞くと、配水塔には上ることが出来て、大牟田市内を見渡せる展望台のようになっているんだそうです。しかし、ここは余計だったか。。 -
次に向かったのは、三池カルタ歴史資料館。「カルタックスおおむた」という図書館の中にあります。
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そもそも、カルタはポルトガル語で「四角い紙」を表すのだそう。初めてカルタに触れた日本人はそれを日本の伝統と融合させて、カルタの文化を作り上げていくのですが、三池カルタは日本でも最も古い歴史を持っているのだとか。
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伝統の三池カルタが豊富に展示されていましたが、そのどれもがただただ美しい。しばらくうっとりと見入ってしまいました。撮影禁止なのでお見せできませんが、せめてということでお土産用のカルタを撮らせてもらいました。
ここは正解。このカルタは大牟田観光では必見ですよ〜 -
ここまででも、今日は超欲張りだったのですが、もうひと踏ん張りして、荒尾の小代焼に挑戦。どこまで回れるか自信がありませんが、行けるところまで行ってみたいと思います。
まずは、小代瑞穂窯。ここは、荒尾市内にある小代窯の窯元としては、一番山奥にあると思います。といっても、荒尾市内からは車で20分強なので、しれてはいますが。。 -
一段高いところにあるギャラリーで、商品を見せてもらいましたが、一見するとちょっと雑器かなあという感じ。
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ただ、よく見ると青い藁灰釉の感じは熊本の健軍窯でも見なかったもの。
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掘り出し物を見つける楽しさがあるような窯元です。それと、女将さんが気さくだし、猫がたくさんいます。
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二軒目は、小代焼太郎窯。広い敷地の奥にポツンと展示場があって、女将さんが相手をしてくれました。
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小代焼って言っても、いくつかは高取焼のようなものも多いですねというと、そうなんです。
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やっぱり、きれいなものからよく売れますという答え。時期的なものもあってか、ちょっと品数は限られていましたが、こうやってじっくり話ができるのは窯元巡りの醍醐味。楽しい窯元です。
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三軒目は小代焼中平窯。この辺りにある小代焼の窯元の中では一番洗練されたギャラリーだったかも。例えばバックグラウンドミュージックが流れているのはここだけだったと思います。
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作品は、ひしゃく掛けが得意ということ。あと、掛けではなくて、描きというのもあるようで、釉を垂らしながら線を描く。なるほど、感じがよく出ています。
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お茶をいただきながら、ご主人から少し焼き物の知識も教わったりしながら、寛がせてもらいました。落ち着いて作品を見たい人にはお勧めです。
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四軒目は、小代焼ふもと窯。こちらは、荒尾にある小代焼の窯元ではもっとも規模が大きい窯元だと思います。
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加えて、ちょうど、熊本で個展をやる前ということで、店内には出展のための作品が数多く揃えられていて、一番いい時にやって来たようでした。
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黒い地に藁灰釉の真っ白い釉薬をかけた色合いがたまりません。
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こんな小代焼あったかなあと思ったのですが、
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イチオシ
これも伝統的な小代焼ですとのこと。
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二階にもショールームがあって古い作品もずらり。壺などの大物もたくさんあって、迫力十分。
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最後に今日火を入れたという窯の方も見学して、とても楽しませてもらいました。
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最後は真っ暗になった中、小岱焼末安窯へ。
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小さな窯ですが、高取焼のような美しさが特徴。焼き物はきれいなのがいいですとおっしゃっていましたが、まったく同感。小石原の高取焼以上にきれいな作品もいくつかあって、その美しさが十分堪能できました。ここもいい窯です。
うーん。よかったー。焼き物は美しさが基本。どの窯もそうした考え方が徹底していて、作品に表れています。久しぶりに気持ちがトロトロになってしまいました。 -
では、晩飯です。
調べておいた山口うなぎ屋は、荒尾駅からは近いのですが、ちょっとさみしげな場所ですね。
7時過ぎでしたが、真っ暗な中にここの店の灯りがポツンとあるといった感じでした。ただ、もう100年以上の歴史があるというお店はどうなんでしょう。 -
奥の天井の高い日本間に通されて、白いご飯のタイプを注文。
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いただくと、
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イチオシ
うなぎの野性味のようなうまさがあって、これは抜群にうまい。絶品です。これまで食べたうなぎの中でナンバーワンでしょう。天然もののうなぎではないようですが、いろんなところに技があっての味わいだと思います。
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今日の宿は、グランドホテル清風荘。安かったので利用しただけなのですが、建物はガッチリしていて大きいし、安心感がありました。風呂も大浴場でしたが、問題なし。インターネットの無料サービスも受付の横。私としては申し分のない宿ですね。
さて、明日は最終日。佐賀市内を回ります。
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この旅行記へのコメント (4)
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- Decoさん 2021/04/04 11:35:32
- 田原坂から天水とは!
- たびたびさん、こんにちは。
大牟田・荒尾・佐賀の旅行記拝見しました。
私の普段の行動範囲と重なってる部分も多く、普段の生活範囲を旅行記で読むのはちょっと不思議な気分になりました(^^;
大牟田、旧産炭地ということもあるのか、甘いもののお店が多いですね。草木饅頭は二つ(元祖と本家)があって、味はほぼ同じですが、包装が違っていて、たびたびさんが買われた方はいくつかがまとめて包まれ、もう一つは個別包装です。地元ではこのあたりで好みが分かれているみたいです。とらやさんは、私は「カステラ饅頭」が幼いころからの好物でした。
さて、今回の旅行記で移動の凄さに驚きました。大牟田も玉名植木もよくこれだけ動けたと。田原坂から天水に跳んだ(!)ときはびっくりしました。
私は旧天水町の町づくりは結構うまくやったと思います。が、唯一痛いのはご指摘のあった交流館のと温泉のホールの展示だと思います。あの二つが一か所にまとまれば良かったのですが。
最初、草枕温泉ができたときは入口の大きなホールは展示のみでゆったりしていて、PCがあって前田家別邸の復元3Dなどが見られたのです。物産コーナーは大浴場とホールの間のスペースだったのですが、多分指定管理制度になって売り上げを延ばすためか物産コーナーが移動、展示が目立たない中途半端なものになりました。
草枕交流館ができたときは、温泉の展示と重ならないようにしたのかも知れません(あるいはそれを補うためのDVDだったのかも)が、ちょうどその頃、温泉が指定管理制度になったと記憶しています(曖昧ではっきり覚えていませんが)。こういった状況が重なって、どちらの展示も中途半端になってしまったようで残念です。
(長文になってしまい、失礼しました…Deco)
- たびたびさん からの返信 2021/04/04 23:08:54
- RE: 田原坂から天水とは!
- ちょっと昔のことで忘れかけてたところもありましたが、自分でもう一度目を通して、その時のことを思い出しました。九州の良さをぎゅっと詰め込んだような旅だったなと改めて思いがこみ上げました。私は福岡に3年住んだことがありまして、九州にはそれなりに縁が出来ていたんですが、この旅は九州を離れてまた九州への挑戦をしていた頃です。
地元の方に言うのは気が引けるところがなくはないですが、九州に住んでみて、九州の人がいかに九州のことしか考えていないかとか初めて知ってとても驚きました。九州は九州王国なんですよね。そして、歴史的にも時代の最先端の経験が何度もあって、精神的に余裕がある。私の中ではそんな感じです。
それと、草枕ですが、これでいいきっかけをいただいたと思って、ちゃんと読んでみたくなりました。漱石は鴎外と違って庶民的なイメージもありますが、鴎外のテーマの家と個人の自由の対立みたいに単純ではない。いろんな価値観や考え方に興味を持っていて変幻自在。何をどうしたいのかつかみどころがない作家なんですよね。
いずれにしても、私としては貴重な刺激をいただきました。ありがとうございました。
たびたび
- たびたびさん からの返信 2021/05/22 11:31:20
- RE: 田原坂から天水とは!
- 草枕を読んでみました。天水で、「ところで「草枕」ってどんな内容なんですか」と質問したら、答えがなかった意味が分かりました。ストーリーで言えば、暇な画家が日常のしがらみから離れて旅に出たというだけのものなんですよね。
しかし、私としては夏目漱石がいかに素晴らしいかが分かったような気がしました。古今東西の知識を駆使しながら、文化論、芸術論を展開させるところとかお見事。ただ、そこでもう一つ、考えることや思うことを表現するのには漢学の素養がいかに大事なのかも見逃せない。現代の日本語は横文字が入ってきて、多様性に富んだ表現が可能になっているのですが、一方で漢学の素養を大部分失ってしまったがために相当の部分でダイナミックな表現力が損失を受けているんだなあとつくづく実感させられました。
さらには、漱石の持っている明治人の気概。当時の日本は西洋に遅れまいとする小さな後進国だったはずなのに、そうした引け目なんかまったく感じられない。西洋の文化や芸術にも堂々とそれも一種余裕を持って対峙している姿勢には、新鮮な驚きと清々しさがありました。鴎外のテーマは「個」と「家・公」なので、封建時代からの脱却という分かりやすいものなんですが、漱石はもっとスケールがでかいような気がします。
旅は、いろんなきっかけ。熊本の旅も、二度も三度も楽しめる旅になったと思います。
以上、ご報告まで。
たびたび
- Decoさん からの返信 2021/05/26 11:28:26
- 私も読みました
- たびたびさん、コメントありがとうございました。また、返信が遅れて失礼致しました。
緊急事態宣言でわが町の図書館も閉まり、家にあった「草枕」を読んでいたところでした。草枕温泉に通って二十年近く経つのに、部分的に読んだりしたことはあっても、通して読んだことがなかったのです。交流館のDVDや温泉の展示を見て、なんとなくわかったような気になっていたのですね。
ストーリーに関して、たびたびさんが書かれた通りですね。話の筋らしきものはなくて、一人の画家が温泉にきて経験したことの心象風景を交えながら描かれている。言及されるときも、漱石が実際に小天に旅をしていることで、小説の中の世界というよりも主人公を作者に見たてて漱石本人について述べることが多いように思います。
漱石についてはいろんな人が書いていいますが、やはり明治の日本人として、その矜持を持ちつつも、圧倒的な近代西洋文明に対峙して、その葛藤は大きかっただろうな…と。今の日本人の大部分は漢学の素養は失っていて、随分変わっているけど、日本的なものと西洋(というよりグローバルなもの)との狭間で葛藤することは、今の日本人も形を変えながら引き継いでいるのかなと思いました。コロナの対応を見ていても、世界の中で日本がどう生きていくかというのは、(私の)想像以上に難しいのかも知れません。
司馬遼太郎や宮崎駿が「草枕」が大好きなのは、もしかしたら、このあたりが描かれているから…なのかも、と思いました(ご存じかと思いますが、宮崎駿はジブリの社員旅行で天水を訪れているそうですね)。
私はそれほど素養もなくてどちらかと言えば単純なミーハーなので、たびたびさんのコメントに「ああ、こういう見方、考え方があったんだ」と勉強になり、私ももう少し感性を磨いて物事を理解しなければならないと思った次第でです。たびたびさんの丁寧なご返信に感じ入りました。ありがとうございました。
Deco
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