2009/04/25 - 2009/04/26
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pacorinさん
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『鉄道でフランス周遊+ちょこっと英瑞 13日間の旅 Day 0 ~旅のきっかけ、準備編~』からの続きです。
https://4travel.jp/travelogue/10824749
いよいよ、出発。計画を実行に移すときがきました!こちらは旅行1日目と2日目のパリ、主にヴェルサイユ宮殿観光の様子です。
<日程>
1日目 関空 → 北京 → パリ (パリ泊)
2日目 ヴェルサイユ観光 (パリ泊)
3日目 パリ → ロワール古城めぐり (アンボワーズ泊)
4日目 アンボワーズ → リヨン (リヨン泊)
5日目 リヨン → アヌシー (アヌシー泊)
6日目 アヌシー観光 → シャモニーモンブラン
(シャモニーモンブラン泊)
7日目 モンブラン観光 (シャモニーモンブラン泊)
8日目 シャモニーモンブラン → ローザンヌ (ローザンヌ泊)
9日目 ローザンヌ → パリ (パリ泊)
10日目 モンサンミッシェル観光 (パリ泊)
11日目 パリ → ロンドン (ロンドン泊)
12日目 ロンドン → (機中泊)
13日目 北京 → 関空着
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 鉄道
- 航空会社
- 中国国際航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
朝5時15分。自宅に関空シャトルのお迎えがきて出発です。今回はロンドンとパリで友人と会うことになっていたので、関空で海外用携帯を借りました。
9:30 関空 CA162 11:50 北京
値段が安かったので選んで初めて乗ったエアチャイナ。もちろんのYクラス。どうせ機内食出るし…と思って乗りこんだら、びっくりするほどしょぼくて食べるもんがない!メインがくるのかしら?と思っていたスペースには何もこず。おなかすいたよ~(>_<) -
13:30 北京 CA933 18:40 パリ(CDG)
当時は4トラにも登録してないし、旅行記を作るなんて思っていないので、機内食や食事を撮るという発想がありませんでした。この旅行は移動時間が長いので、こんな感じで、ひまつぶしがてら旅日記を書いてました。
このページでは機内食とフライトの文句しか書いてませんが、他のページには電車のチケットや入場券なども貼ってあり、今見ても楽しい♪ 細かいことはもう忘れているので、この旅行記を作るのにも大活躍です。 -
退屈なフライトに耐え、定刻より1時間遅れでパリに到着。
Air Franceのバスで市内へ移動。21時ぐらいでも明るかったです。 -
凱旋門近くのホテルへ向かいます。
凱旋門 建造物
-
Hotel Marmotel
http://www.paris-hotel-marmotel.com/index.html
凱旋門から徒歩圏内です。 -
ホテルに荷物を置いたらわたしだけ凱旋門へ。Yちゃんはホテルでゆっくり。
Yちゃんはフランスに何度も来ていてメジャーな場所は観光済み。わたしはこの前年、ベルギー旅行のついでにパリにちょこっと立ち寄っただけなので、今回で有名どころをおさえようという魂胆です。
地下道を通って入口へ。(のぼるのは有料です) -
毎時ちょうどから始まるエッフェル塔のシャンパン・フラッシュを凱旋門から見ようと、時計を見ながら必死で螺旋階段を駆け上がります。23時に間に合わすため、がんばりました。
高さ50m近く・・・めっちゃ疲れて息切れしたわ。 -
展望台に到着。とりあえず間に合いました。
これはシャンゼリゼ通りかな。シャンゼリゼ通り 散歩・街歩き
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写真は上手く撮れませんでしたが、キラキラ光るシャンパン・フラッシュ、この目でしっかり見届けました♪
想像以上のピカピカ具合でした。(ちなみにこの写真は普通のライトアップ時です。)エッフェル塔 建造物
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ラ・デファンス(新副都心)方面。
正面の真ん中に四角く見えるのはグランダルシュ(新凱旋門とも呼ばれる。ほんとは凱旋門じゃないけど)ですね。新凱旋門 建造物
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・・・。
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ひとしきり夜のパリを眺めて満足しました。
-
エトワール凱旋門は、シャンゼリゼ通りの西端、シャルル・ド・ゴール広場にある凱旋門です。
もともとこの広場はエトワール(星)広場と呼ばれていたのですが、広場を中心に12本の通りが放射状に延びていて、その形が☆に見えるということですね。
立派な彫刻はフランスの歴史。これは「1792年 出発」かな。門の内側には歴代の戦争で死亡した兵士の名前が彫られ、地下には無名戦士の墓があります。 -
この凱旋門は、アウステルリッツの戦いに勝利した記念に翌年の1806年、ナポレオン・ボナパルトの命によって建設が始まり、ルイ・フィリップの復古王政時代、1836年に完成しました。
ナポレオン本人は凱旋門が完成する前に既に亡くなっていて、彼がこの門をくぐったのは1840年にパリに改葬された時なんだそうです。 -
このロータリー、去年パリジェンヌの友人に車にのせてもらって走ったな。
エッフェル塔の先が見えていますね。 -
明日から盛りだくさんで行動しなきゃだし、ホテルに帰って0時過ぎに就寝。
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2日目。
昼間はYちゃんと別行動です。早朝、モネが晩年を過ごしたジヴェルニーへ向けてYちゃんが先に出発。
わたしはヴェルサイユ宮殿は見とかなきゃでしょ、ってことで7時半頃ホテルを出て、近くのブーランジェリーでお昼用のパンを買ってポルト・マイヨからRER C線でヴェルサイユに向かいます。
駅で「ヴェルサイユに行きたい」と言うと、乗り換えなどを英語で書いた紙きれをくれたので、スムーズにヴェルサイユ・リヴ・ゴーシュに到着しました。 -
面倒だから観光案内所みたいなところで入場券(全エリアを見学できる券)を買ったら手数料(?)を取られました。なんでネット予約していなかったんだろう?フランス語しかなかったのかな?
ヴェルサイユ宮殿
http://chateauversailles.fr/homepage
早い時間に来たので、思ったほど混雑はしていませんでした。あいにくの曇天ですが、見学へとまいりましょう。ヴェルサイユ宮殿 城・宮殿
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あかん・・・これは広すぎて入った瞬間見る気をなくすところやわ。(わたしの中では大英博物館、ルーブル美術館、メトロポリタン美術館が同じグループ分けです。)
ヴェルサイユ宮殿は何の下調べもしてないし、ポイントもよくわからんから、とりあえず宮殿(グラン・アパルトマン)を見にいこーっと。
以下、写真と宮殿の公式HPをつきあわせながら振り返ります。 -
王室礼拝堂
世界文化遺産に登録されているヴェルサイユ宮殿は、ルイ14世が1662年から莫大な費用と50年の歳月をかけて建設した豪華絢爛な建物です。
ルイ13世がこの地に狩猟の館を建造して以来、その息子のルイ14世が改装と増築を施し、1682年に政府と宮廷をパリから移しました。 -
王室礼拝堂
フランス革命の勃発まで、この宮殿には3代のフランス国王が住み、王家の居城として繁栄しました。
礼拝堂ですらゴージャスな雰囲気だわ。 -
国王の大居室(7つの連なった部屋) ヘラクレスの間
王の大居室の最初の部屋であるヘラクレスの間は、ルイ14世(太陽王)の治世の一番最後に作られた部屋です。
太陽王の死により10年間中断されていたヘラクレスの間の工事は1736年まで続き、フランソワ・ルモワンヌがヴォールト(天井)の部分にヘラクレスの栄光を描きましたが、これは画布を壁に糊で貼り付けたものでした。 -
国王の大居室 ヘラクレスの間
暖炉の飾りも豪華ですね。 -
国王の大居室 豊穣の間
夜になると、この豊饒の間が軽い飲み物を提供する場所となり、ビュッフェスタイルでカフェ、ワイン、リキュールなどが供されました。 -
国王の大居室 豊穣の間
この部屋はまた、ルイ14世の「好奇心または珍重の小部屋」とも呼ばれ(その後、ルイ16世の遊戯の間になった)、奥の扉から通じていました。
王は重要な訪問客に、ここに保管されている金銀細工の壷、宝石、メダルを見せることを好んだそうです。
けっ、金持ち自慢かよ。 -
窓の外にはプティ・トランが見えます。
後であれに乗って移動しよーっと。 -
国王の大居室 ディアナの間
ルイ14世の頃には夜は居室、ビリヤードの間として利用されていました。拍手を送る夫人たちのためにふたつの壇が作られていて、王が素晴らしいプレイをするたびに拍手をしたので、「拍手の寝室」とも呼ばれていたそうです。
これはルイ14世の胸像です。 -
国王の大居室 マルスの間(たぶん)
マルスは火星ですが、同時に戦争の神でもあります。この部屋を装飾するための軍事的なテーマの選択は、もともとこの大広間が衛兵の間だったことからきています。
この広間はその後、夜は居室、音楽及び舞踊などに使用され、「舞踏の間」とも呼ばれるようになりました。宮廷バレエは厳格な基準があり、数多くのリハーサルを必要としたんだそうです。 -
国王の大居室 マルスの間
こちらはマリー・レクザンスカ(ルイ15世の王妃)の肖像画(カルル・ヴァン・ロー画)です。信心深く、教養豊かな女性だったそう。 -
国王の大居室 マルスの間
天井画で埋め尽くされていますね。 -
国王の大居室 メリクリウス(英語だとマーキュリー)の間
ここはもともと寝室でしたが、しばらくすると冬場に寝台が取り払われ、その代わりに遊戯の机が置かれました。
1689年、アウクスブルク同盟戦争に向けて資金を調達するためにルイ14世が鋳造を余儀なくされるまで、机、鏡、薪載せ台、ゴブラン彫金師の見事な銀細工が施されたシャンデリアなどが、壁、天井、暖炉を飾っていたんだそうです。 -
このメリクリウスの間が再び寝室として利用されたのは、ルイ14世の孫、アンジュー公のスペイン国王即位の宣言の折でした。アンジュー公はこの部屋を3週間寝室として使用し、その後彼の新しい国スペインへ向かいました。
1715年9月2日から10日までルイ14世の遺体が安置されたのもこの部屋です。
現在見ることのできる寝台は、ルイ・フィリップがヴェルサイユを博物館にしたときに王の寝室に設置したものだそうです。 -
国王の大居室 アポロンの間(たぶん)
「マリー・アントワネットと彼女の子供たち」
(ヴィジェ・ルブラン画、1787年)
享楽的で遊び好きだったことで知られる彼女ですが、子供がうまれてからは熱中していた賭博をぴったりやめ、良い母親だったようです。
この絵、好きだな。
*この旅行記を作成していて気がついたのですが、この絵は本当は大会食の間(控えの間)に飾られているはず。わたしが訪れた当時、王妃の居室が一部工事中だったので、この部屋に移動してたのかも!?写真の順番的にもここに登場しているのでアポロンの間だと思うんですよね。今となってはわからないし、どの部屋でもいいですけど。 -
国王の大居室 アポロンの間
ルイ16世の肖像画
(アントワーヌ=フランソワ・カレ画、1788年)
ブルボン朝第5代のフランス国王(在位:1774年5月10日 - 1792年8月10日)。ルイ15世の孫。王妃は言わずと知れたマリー・アントワネット。
在位中の1789年にフランス革命が起こり、1792年に王権が停止され、翌年ギロチンで処刑されました。生涯愛人をもたず、錠前作りと狩猟が趣味の地味な王だったようです。
革命後、宮殿の調度品は多く失われましたが、建物はほとんど無傷で残りました。
その後ナポレオンが修復を開始し、ルイ18世、シャルル10世が引き継ぎますが王室がヴェルサイユに戻ることはありませんでした。旧体制の象徴であるこの宮殿は避けられたのかもしれませんね。 -
戦争の間
鏡の回廊をはさんで戦争の間と平和の間があります。ここは軍事的勝利の数々を称える装飾がほどこされています。 -
戦争の間
化粧漆喰作りのレリーフは、馬に跨ったルイ14世が敵を蹴散らしている姿を表しています。(コワズヴォ作)足元には、鎖につながれ自由を奪われた金色のルノメの姿が二つあります。 -
鏡の回廊
17世紀には「大回廊」と呼ばれた鏡の回廊は、宮廷人や外部からの訪問者といった人々の通路、待ち合わせと出会いの場所として利用されていたそうです。その長さ73メートル、17のアーケードを飾る鏡の数357枚。
ヴェルサイユ宮殿で一番有名なところ(?)だけあってさすがにここは人だらけ。
天井しか撮れないわ。 -
鏡の回廊
丸天井に描かれたル・ブランの作品30点は、ルイ14世が戴冠以来18年の間(1661年からナイメーヘンの和約まで)に成し遂げた偉業を物語っています。
1919年のヴェルサイユ条約の調印式が行われた場所でもあります。 -
鏡の回廊
なんかゴテゴテした装飾品をじっくり見てたら疲れてきたぞ。すごいけど、全然好みじゃないな。「朕は国家なり」と言ったかどうか知らないけど、庶民派のわたしはルイ14世の成金趣味はついていけへんわ~ -
窓の外を眺めてみました。
タイルの模様が面白いですね。 -
王の寝室
1701年、ルイ14世は、宮殿の東向きのサロンに寝室を移しました。寝室を自らの象徴である日の出に面するようにしたということらしいです。この寝室で「プチ・クヴェール」と呼ばれる軽い晩餐をとったそうです。また、王の「朝の引見」と「夜の引見」も毎日ここで行われました。72年に渡る治世の後、1715年9月1日にルイ14世が亡くなったのもこの寝室でした。
へ~太陽王ルイ14世は72年間も王様だったのか~
→ 「中世以後の国家元首として最長の在位期間を持つ人物」としてギネス世界記録にも認定されているそうです(!) -
閣議の間
ルイ14世が財務諮問・国務諮問を召集した閣議室です。王の寝室に隣接し、鏡の回廊に通じています。
この部屋、他の部屋より落ち着いていて好きかも♪ -
時々窓の外を眺めて息抜きします。
-
王妃の寝室
王妃は寝室で大半の時間を過ごし、たびたび王が訪れました。朝は、身づくろいの間とその後、人々の訪問を受けましたが、この身づくろいは王の起床と同じくらい礼儀作法に縛られたものでした。
キルスティン・ダンストの映画「マリー・アントワネット」を思い出すな。 -
王妃の寝室
この部屋で寝起きしたのは、3人の王妃:マリー・テレーズ(ルイ14世の王妃)、マリー・レクザンスカ(ルイ15世の王妃)、マリー・アントワネット(ルイ16世の王妃)
ここで、いわば公開の出産が行われ、19人の「フランスの子」が生まれたそうです。
ちなみにテレーズさんは3男3女、レクザンスカさんは2男8女、アントワネットさんは2男2女を出産したらしいけど、20人じゃないのかな?アントワネットさんの2番目の女の子は1歳未満で亡くなっちゃったみたいだけど・・・。 -
王妃の寝室
1789年10月6日に暴徒が宮殿内に侵入した時、マリー・アントワネットは小さな扉から逃げ出すことができました。
革命によりヴェルサイユ宮殿は略奪はされませんでしたが、家具類はほぼ1年間におよぶ競売にかけられ散逸しました。後年になって見つかったものもあれば、同様のもので置き換えられたものもあります。
寝台と壁を覆う織物は、保存されていた下絵をもとにリヨンで新たに織り直され、寝台と手すりは過去の資料をもとに再度彫り直しされたのだそうです。 -
戴冠の間
もともとは「王と王妃の衛兵の間」と呼ばれていたのですが、後にダヴィッドが描いた有名な「ナポレオン1世の戴冠」の絵画が飾られたことから「戴冠の間」と呼ばれるようになりました。
この絵、どっかで見たことあるな?と思ったら、ルーブル美術館に同じ作者の同じ絵があるんですね。ルーブルの方が気合を入れて描いた風です。 -
戴冠の間
ナポレオンの肖像画。ベタなポーズがちょっと笑える。 -
王太子妃の寝室
ポーランド王アウグスト3世の娘でルイ15世の王太子の妻である王太子妃マリー=ジョゼフ・ド・サックス が、未来の3人のフランス国王、ルイ16世、ルイ18世、シャルル10世を出産したのがこの寝室でした。
ラブリーなベッドですね。 -
王太子妃の書斎
この部屋好きかも。 -
王太子の大書斎
天球儀と地球儀は、1786年にルイ16世が地理学者マンセルに依頼して息子の教育のために製作させたものだそうです。 -
王太子の寝室
このあたりの部屋は時代によってちょくちょく改装や模様替えがされたようです。 -
これは何の部屋だ?
入った瞬間見る気をなくしたわりに結構熱心に見てしまい、宮殿を見学しただけでかなり疲れました。
豪華だねーというだけで、さらっと見てしまえば意外に早く終わるかもしれませんが、フランス革命のことなんかを思い出しながらじっくり見ているとあっという間に時間が経ってしまいます。 -
宮殿の外観にも金が施されているのね。
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さ、プティ・トランに乗りにいこーっと。
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ヴェルサイユの庭園は宮殿と同じほど重要であると考えていたルイ14世は、1661年、その設計と整備をアンドレ・ル・ノートルに命じました。
庭園の工事は宮殿の建設と同時期に進められ、完成までに40年ほどかかったそうです。ヴェルサイユの宮殿と庭園 城・宮殿
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庭園の整備には莫大な作業が必要でした。森林、牧草地、沼地でしかなかった場所に、花壇やオレンジ園、池、水路などを作るために、大量の土を運ぶ必要があったのです。土は手押し車に乗せて運ばれ、木はフランス全土から荷車によって運ばれて来ました。
何千人という人々が、時には一個連隊が丸々借り出されて、この大規模な造園工事を進めました。 -
プティ・トランに乗ってグラン・トリアノンにやってきました。
大トリアノンは1670年、ルイ14世が中国風の小宮殿(磁器のトリアノン)を建造し、1687年にマンサールの設計により改築した離宮です。
もともとルイ14世が宮廷の目を逃れて愛妾モンテスパン夫人と会う隠れ家として建設し、後にマントノン夫人(最後の女性、秘密の王妃)と余生を過ごすために改築したって感じですかね。ルイ14世は女性遍歴が多く、王妃との間に6人、愛人との間に11人子供が生まれています。
ドイツのリンダーホーフ城はここをお手本に建てられました。(リンダーホーフ城、この2年前に行きましたがとっても面白いお城です。) -
皇后の居室 鏡の間
宮殿のこの部分では1691年から1703年までルイ14世が使用した居室の最後の部屋で、王はここで閣議を執り行っていました。
トリアノンの大部分がそうであるように、家具調度品は革命時に売却され、ナポレオンによって他の家具と入れ替えられました。
1810年から1814年までは、マリー・アントワネットの姪の娘にあたるマリー・ルイーゼ皇女が大客間として使用していました。 -
皇后の寝室
ルイ14世の元の寝室で、帝政期には分割されて小さい寝室と小部屋(控えの間)になりました。後者は皇后マリー・ルイーズが使用し、現在の状態に家具調度品が整えられました。
例外は寝台で、ナポレオンがチュイルリーで使用していたもので、ルイ16世の兄弟のルイ18世が1824年に亡くなった時の寝台でした。 -
柱廊
当初、大トリアノンは、ファサードを区切る柱にちなんで、「大理石のトリアノン」と呼ばれていました。中庭と庭園をつなげ、宮殿が屋外へと通じるように柱廊を採用する、というのがこの建物の主な構想だったようです。
バラ色の大理石が印象的です。 -
トリアノンの庭園
宮殿見学で疲れていたので、グラン・トリアノンはスルー気味。庭園は全然見ませんでした。 -
大居室 ルイ・フィリップの家族の間
ここはルイ・フィリップが、作らせた部屋で、トリアノンに滞在することを好んだ王と家族は、夜になるとこの広間で、当時流行だった家具に囲まれてひと時を過ごしました。
黄色い壁が印象的です。 -
大居室 マラカイト(孔雀石)の間
ロシア皇帝アレクサンドル1世がナポレオンに贈った孔雀石が皇帝の大広間に置かれてあり、それがこの広間の名前になっています。
離宮といえども十分豪華なグラン・トリアノン。宮殿に比べて全体的に落ち着いているし、住むんだったらまだこっちの方がいいな? さらっと見学した後、プティ・トリアノンへ。 -
プティ・トリアノンにやってきました。
この辺で朝に買ったパンでランチ休憩にします。空が青ければ良かったのですが、この日は一日中曇天で、雨が降らなかっただけマシな感じでした。
王妃の城
この小さな城は、ルイ15世が愛妾ポンパドゥール夫人のために建てた離宮ですが、ポンパドゥール夫人は完成前に死去します。
小トリアノン宮殿の建築には、「ギリシャ風」と呼ばれた当時の最新流行の様式が反映され、古典的な要素が再び取り入れられています。
外観はシンプルですね。 -
1774年にルイ16世はトリアノンの領地を王妃マリー・アントワネットに与え、彼女は大変この土地を気に入ります。
マリー・アントワネットはヴェルサイユ宮殿に個人の趣味を持ち込んだ唯一の王妃です。古い宮廷としきたりを軽視し、自分の流儀にかなった生き方を押し通しました。
ここは彼女にとって、宮廷の礼儀作法から逃れる隠れ家でした。ポリニャック伯爵夫人といった極端にお気に入りの少数の人しか出入りできず、彼女の招待なしには夫である王さえも訪れることができなかったのです。 -
寝室
ルイ15世の隠れ家的な小部屋が、1772年にデュ・バリー夫人の寝室に、次いでマリー・アントワネットの寝室に改装されました。
今まで見てきたものよりシンプルでかわいいです。ちなみにこの館に王の寝室はなく、彼は一晩もここで過ごすことはなかったそうです。
部屋は飽きるほど見てきたので、愛の殿堂を眺めてから外に出ましょう。 -
愛の殿堂
こうした中で、マリー・アントワネットとスウェーデン貴族ハンス・アクセル・フォン・フェルセンとの浮き名が、宮廷では専らの噂となりました。
ここでフェルセンと逢引したとされていますが、どうなんでしょ?王妃の自室から眺めることができるし、やっぱりここで会って、後からそのときのことを思い返したりしてたんですかね? -
愛の殿堂は、1778年にリシャール・ ミックが建築を手がけたもので、全体が大理石でできています。
フランスの彫刻の傑作として知られるブーシャルドンの作品「ヘラクレスの棍棒で弓を作るキューピッド」が飾られていたことから、「愛の殿堂」と呼ばれたようです。 -
「王妃の村里」へ向かいます。なんだか急に田舎に来たような雰囲気♪
小トリアノンの周りに最初の庭園が出来上がるやいなや、マリー・アントワネットはもう既に2つ目の庭園の造成を考えていました。
その新しい場所で田園趣味を発展させ、1783年から1787年にはノルマンディー地方の本当の村よろしく大きな湖の周りに11軒の家が建てられ、村里を形成しました。 -
素敵な小道です。
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村里の新しい景観を整備するために、48,621本もの苗木が植えられました。植樹と平行して1784年には大きな湖が掘られ、その漏水を防ぐために粘土による補強が施されました。そして1786年には、湖にコイや川カマスが放たれました。
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また、丘の斜面から大きな湖にかけて広がる周辺一帯は、農場の耕作地帯となりました。その地帯に整備された畑では、オオムギ、オートムギ、ソバなどの穀物が耕作され、ウマゴヤシ、クローバー、アマなども栽培されていました。
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このくらーい写真からは全く伝わらないと思いますが、ここ、めちゃくちゃ癒されます。緑があふれ、鳥がさえずり、かえるが飛び跳ね、とにかくのどかで素敵なんです。
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マルボローの塔と呼ばれた漁場監視塔は、小舟で行く池の散歩コースの出発点であり、川カマスやコイなどの魚を捕らえるための釣り具も収容していました。
上階は展望所の役割を果たし、そこからヴェルサイユ宮殿と信号の交信を行うこともできました。 -
王妃の家、ビリヤードの家、私室のあった家、水車小屋、酪農小屋は、王妃とその客人たち専用に使われました。
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その他、農場とその別館、納屋、鳩舎、酪農仕込小屋は、農作業のために使われました。
残る1軒は家事専用に使われ、王妃の家や水車小屋に運ぶ夕食を準備するための料理保温小屋となっていました。 -
これは農家のお庭かな。
建物の中は見学できなかったと思います、たぶん。写真もないし・・・。 -
あ、クジャクがいる!
本当にのどかで美しい王妃の村里ですが、膨大な費用がかかっていることも確か。自然の風景ではなく、人工的に田舎の風景を作り上げたのですから。
こんなところで税金を湯水のように使って田舎ごっこなんかに興じていたら、そりゃ貧しい民衆はキレますよね。 -
農場は村から離れた場所にあり、8頭の雌牛と1頭の雄牛、10頭の山羊、鳩といった家畜が飼われていました。
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フランス式庭園
1749年以降、大トリアノンに居を構えていたルイ15世はポンパドゥール夫人に薦められて、幾何学と対称を特徴とする新たなフランス式庭園を作り、その領地を拡大しました。
自然を人工的に形作るフランス式庭園に対し、自然そのままにさまざまな植物を植えるのをイギリス式庭園といいます。「愛の殿堂」がある辺りはイギリス式庭園です。 -
・・・。
-
ん?ツツジの仲間のような花が咲いています。
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宮殿前に広がる庭園。
芝生がきれいに手入れされていますね。 -
今日一番の青空ショットがこれ。
マリー・アントワネットやナポレオンの本は何冊か読んだことがあるので、興味深く見学できました。 -
結局ほとんど見なかった広大な庭園。
幾何学模様で面白いけど、なぜか心ひかれず。やっぱ、ルイ14世と趣味合わへんのやわ、っていうか、嫌いなのかも。 -
そういえば、この日は日曜で大噴水ショーもやってたはず。なのですが、目もくれず他のところを見学していました。
ヴェルサイユ宮殿は、めーーーっちゃ広いので、さくっと見るにしてもじっくり見るにしてもそれなりに作戦を立てて行かれることをおすすめします。(見られるエリア毎にチケットも異なりますので) -
濃厚なヴェルサイユ宮殿見学を終え、RERでアルマ橋まで帰ってきました。
あ、あれはバトームッシュかな? -
ぶらぶら歩いてホテルへ戻ります。
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シャンゼリゼ通りはすごい人ごみでした。
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夕方Yちゃんとホテルで合流、着替えて夜のお出かけへ。
ホテルの部屋はこじんまりしていますが、寝るだけなので問題なし。 -
モンマルトルにやってきました。
真っ赤な風車が目印のナイトクラブ、ムーランルージュ。21時からのドリンクショーを予約しているので、それまでに夕食をすませましょう。 -
ぶらぶら歩いてレストランを探します。
これから肉ばっかりかなぁ~?ということでシーフードをおもてに並べていたここに決定。
"La Mascotte"
https://la-mascotte-montmartre.com/ -
食材の名前がわからず、英語メニューと格闘しながら選んだシーフードプラター。
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skate=ガンギエイ なんて日本語でも知らんぞ。エイの仲間?
→ 今調べてみたら、めっちゃきもいやん・・・
けど、バターソースでなかなか美味でした。 -
映画「アメリ」で主人公が働いていた「カフェ・デ・ドゥ・ムーラン」
通りすがりにパチリ☆ -
時間つぶしに割引クーポンがあったエロチズム博物館へ。
http://www.musee-erotisme.com/ja/エロチズム博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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たいしたことない感じでした。
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夜のムーランルージュです♪
コートを持ってると無理やり預けさせられ、2ユーロとられました。ほとんど着てなかったのに、持って行かなきゃよかった。
トップレス美女が続々登場して歌や踊りが色々くり広げられましたが、ネットで適当に予約していた席は一番後ろで舞台が遠く、1日中歩きまわって疲れていたのと、出てきたシャンパンを飲んでたので、ちょっと寝てしまいました(笑)けど、最後のフレンチカンカンはお見事☆
メトロに乗ってホテルに帰ります。ムーラン ルージュ ナイトライフ
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明日はアンボワーズに移動して、ロワールの古城めぐりです。
『鉄道でフランス周遊+ちょこっと英瑞 13日間の旅 Day 3-4 ~ロワールの古城めぐり、天才に思いを馳せる~』へ続く。
https://4travel.jp/travelogue/10821215
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旅行記グループ 鉄道でフランス周遊
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