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今日は雨なので、近場の「加治屋町」に「文化ゾーン」はこの日に回しておきましたが、丁寧に史跡を探索してみるという今回の旅の目的からすると、実は今日がメインなのかもしれません。ということで、雨でもしっかり精力的に歩きます。<br /><br />さて、それにしても、明治の英傑たちをこれほど生んだ加治屋町には何があったのか。郷中教育が才能を育んだことは事実でしょうし、海外に目を向けた英明な島津藩主の存在も大きかったことでしょう。そして、世界の情勢を理解していく中での切迫した危機意識も。<br /><br />西南戦争の悲劇を生んだり、必ずしも、彼らが先を見通せていたとばかりは思えませんが、近代日本の先駆けとして薩摩のエネルギーが一つにまとまっていたことだけは疑いがないことだと思います。<br /><br />わが胸の 燃ゆる思いに くらぶれば 煙はうすし 桜島山<br /><br />この爆発力が鹿児島なのでしょう。

鹿児島市内探索の旅 (二日目・完)~加治屋町の英傑生誕地巡りと文化ゾーン、そして最後はやっぱり天文館です~

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2013/05/19 - 2013/05/19

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たびたび

たびたびさん

今日は雨なので、近場の「加治屋町」に「文化ゾーン」はこの日に回しておきましたが、丁寧に史跡を探索してみるという今回の旅の目的からすると、実は今日がメインなのかもしれません。ということで、雨でもしっかり精力的に歩きます。

さて、それにしても、明治の英傑たちをこれほど生んだ加治屋町には何があったのか。郷中教育が才能を育んだことは事実でしょうし、海外に目を向けた英明な島津藩主の存在も大きかったことでしょう。そして、世界の情勢を理解していく中での切迫した危機意識も。

西南戦争の悲劇を生んだり、必ずしも、彼らが先を見通せていたとばかりは思えませんが、近代日本の先駆けとして薩摩のエネルギーが一つにまとまっていたことだけは疑いがないことだと思います。

わが胸の 燃ゆる思いに くらぶれば 煙はうすし 桜島山

この爆発力が鹿児島なのでしょう。

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  • 鍛治屋町には、明治維新で活躍した英傑の生誕地があちこちにありまして、まずは、東郷平八郎誕生地へ。碑は、県立鹿児島中央高校の塀の一角にありました。<br />日露戦争でロシアのバルチック艦隊を破った「東洋のネルソン」は、幼名を仲五郎。薩摩藩士として薩英戦争にも従軍し、戊辰戦争では新潟・函館に転戦しています。<br /><br />

    鍛治屋町には、明治維新で活躍した英傑の生誕地があちこちにありまして、まずは、東郷平八郎誕生地へ。碑は、県立鹿児島中央高校の塀の一角にありました。
    日露戦争でロシアのバルチック艦隊を破った「東洋のネルソン」は、幼名を仲五郎。薩摩藩士として薩英戦争にも従軍し、戊辰戦争では新潟・函館に転戦しています。

  • 続いて、篠原国幹誕生地碑。こちらも、鹿児島中央高校横。小さな石柱が建っていました。<br />篠原国幹は、戊辰戦争では、薩摩藩の城下三番小隊の隊長。彰義隊と戦った上野戦争では、正面の黒門口攻撃をした勇猛さを知られた人物です。<br />明治初期には近衛長官となるものの、西郷を追って鹿児島へ。桐野が総司令兼四番大隊指揮長、篠原が副司令格の一番大隊指揮長となって戦いますが、田原坂の激戦で銃弾に倒れ死去します。<br /><br />

    続いて、篠原国幹誕生地碑。こちらも、鹿児島中央高校横。小さな石柱が建っていました。
    篠原国幹は、戊辰戦争では、薩摩藩の城下三番小隊の隊長。彰義隊と戦った上野戦争では、正面の黒門口攻撃をした勇猛さを知られた人物です。
    明治初期には近衛長官となるものの、西郷を追って鹿児島へ。桐野が総司令兼四番大隊指揮長、篠原が副司令格の一番大隊指揮長となって戦いますが、田原坂の激戦で銃弾に倒れ死去します。

  • 甲突川の方まで来てしまいました。ちょっと道に迷っているような。。

    甲突川の方まで来てしまいました。ちょっと道に迷っているような。。

  • しかしそこで見つけた牛島満陸軍大将生い立ちの碑。緑の深い場所でした。

    イチオシ

    しかしそこで見つけた牛島満陸軍大将生い立ちの碑。緑の深い場所でした。

  • 碑には、幼少の頃に父が亡くなったため、東京から母の実家があったこの地に帰ったと記されています。<br />ところで、牛島中将は沖縄戦を戦った第32軍の司令官。米軍との最後の決戦地、摩文仁の司令部壕で割腹自決をしています。沖縄戦では住民が多数巻き込まれる中で、日本軍の対応は本来守られるべき住民より軍を優先していたのではないかということが非難され、また、牛島大将がかつて沖縄を支配していた鹿児島出身であったこともこれと結びつけられることが聞かれます。<br />碑は、明治の英傑と同じくらい大きな立派なもの。なんだか亡くなってからも大きな重圧がかかっているような気もします。ご冥福をお祈りします。<br /><br />

    碑には、幼少の頃に父が亡くなったため、東京から母の実家があったこの地に帰ったと記されています。
    ところで、牛島中将は沖縄戦を戦った第32軍の司令官。米軍との最後の決戦地、摩文仁の司令部壕で割腹自決をしています。沖縄戦では住民が多数巻き込まれる中で、日本軍の対応は本来守られるべき住民より軍を優先していたのではないかということが非難され、また、牛島大将がかつて沖縄を支配していた鹿児島出身であったこともこれと結びつけられることが聞かれます。
    碑は、明治の英傑と同じくらい大きな立派なもの。なんだか亡くなってからも大きな重圧がかかっているような気もします。ご冥福をお祈りします。

  • この辺りは甲突川左岸緑地。その甲突川沿いの堤防のような一帯です。九州新幹線の全線開通も追い風になって整備が進んだ場所のようです。<br /><br />

    この辺りは甲突川左岸緑地。その甲突川沿いの堤防のような一帯です。九州新幹線の全線開通も追い風になって整備が進んだ場所のようです。

  • 写真は、佐藤忠良の「帽子の像」です。<br />

    イチオシ

    写真は、佐藤忠良の「帽子の像」です。

  • 甲突川にかかる甲突橋。これを渡らずに反対方向に行きますと、

    甲突川にかかる甲突橋。これを渡らずに反対方向に行きますと、

  • 鹿児島私立病院の敷地角に安藤照誕生地碑。<br />安藤照は、明治25年に生まれた彫刻家。昭和3年に東郷平八郎から依頼を受け、鹿児島の西郷隆盛像を制作。また、忠犬ハチ公像を制作したことでも知られます。<br /><br />

    鹿児島私立病院の敷地角に安藤照誕生地碑。
    安藤照は、明治25年に生まれた彫刻家。昭和3年に東郷平八郎から依頼を受け、鹿児島の西郷隆盛像を制作。また、忠犬ハチ公像を制作したことでも知られます。

  • 隣りには、四方学舎跡の碑も。<br />四方学舎とは、郷中教育の鹿児島にあって、武芸に励み、士魂の育成を行った施設。明治25年から昭和44年にかけてここにあり、内閣総理大臣黒田清隆、彫刻家の安藤照など多くの逸材を育てました。<br /><br />

    隣りには、四方学舎跡の碑も。
    四方学舎とは、郷中教育の鹿児島にあって、武芸に励み、士魂の育成を行った施設。明治25年から昭和44年にかけてここにあり、内閣総理大臣黒田清隆、彫刻家の安藤照など多くの逸材を育てました。

  • 井上良馨の生誕地碑は、もう一度、県立中央高等学校に帰ってきて見つけました。<br />西南戦争では、同じ薩摩出身者が敵と味方に分かれることになりましたが、井上良馨は政府軍の軍艦「清輝」の艦長とした錦江湾に入港します。日清戦争・日露戦争では佐世保・横須賀・呉などの鎮守府司令長官を歴任し、戦後は軍事参議官となり、明治44年には元帥の称号を受けました。<br />

    井上良馨の生誕地碑は、もう一度、県立中央高等学校に帰ってきて見つけました。
    西南戦争では、同じ薩摩出身者が敵と味方に分かれることになりましたが、井上良馨は政府軍の軍艦「清輝」の艦長とした錦江湾に入港します。日清戦争・日露戦争では佐世保・横須賀・呉などの鎮守府司令長官を歴任し、戦後は軍事参議官となり、明治44年には元帥の称号を受けました。

  • 今度は、大山巌誕生地碑。維新ふるさと館入口交差点のそばです。大きな石の碑が建っていて、これは西郷隆盛の誕生地碑より大きいかもしれません。<br />説明によれば、大山巌は、下加治屋郷中の元気坊。日露戦争で満州軍総司令官として奉天大会戦に勝利し、名声が世界に知られることなります。<br />初代陸軍大臣に就任。日清・日露の両戦争での活躍によって元帥公爵という最高の地位を与えられました。<br /><br /><br />

    イチオシ

    今度は、大山巌誕生地碑。維新ふるさと館入口交差点のそばです。大きな石の碑が建っていて、これは西郷隆盛の誕生地碑より大きいかもしれません。
    説明によれば、大山巌は、下加治屋郷中の元気坊。日露戦争で満州軍総司令官として奉天大会戦に勝利し、名声が世界に知られることなります。
    初代陸軍大臣に就任。日清・日露の両戦争での活躍によって元帥公爵という最高の地位を与えられました。


  • そのまま、西郷隆盛誕生の地碑へ。<br />さすが西郷隆盛の生誕地。周囲は公園のようにきれいに整備されています。

    そのまま、西郷隆盛誕生の地碑へ。
    さすが西郷隆盛の生誕地。周囲は公園のようにきれいに整備されています。

  • 西郷隆盛が生まれたのは、1827年。13歳の頃、友人とのけんかで右腕を怪我してしまい、いっそう学問に励むようになった経緯も書かれています。<br />なお、後に、ここから現在の共研公園に引っ越しますが、祖父、両親を相次いで失い、借金の返済に充てるため、この屋敷を売ったためといわれています。<br />

    イチオシ

    西郷隆盛が生まれたのは、1827年。13歳の頃、友人とのけんかで右腕を怪我してしまい、いっそう学問に励むようになった経緯も書かれています。
    なお、後に、ここから現在の共研公園に引っ越しますが、祖父、両親を相次いで失い、借金の返済に充てるため、この屋敷を売ったためといわれています。

  • これは、高麗橋。甲突川にかかる橋で、明治の英傑を数多く輩出した加治屋町と高麗町を結ぶ橋です。これを渡って大久保利通の生誕地に向かいます。<br />ただ、気が付くと、橋の四隅には、20個の巨大な薩摩切子。底の直径は20cm以上もあって、これはかなりの価値があるものでしょう。夜の景色も目て見てみたいものです。<br /><br />

    これは、高麗橋。甲突川にかかる橋で、明治の英傑を数多く輩出した加治屋町と高麗町を結ぶ橋です。これを渡って大久保利通の生誕地に向かいます。
    ただ、気が付くと、橋の四隅には、20個の巨大な薩摩切子。底の直径は20cm以上もあって、これはかなりの価値があるものでしょう。夜の景色も目て見てみたいものです。

  • 大久保利通誕生地は、ここ高麗町。維新の英傑たちを輩出した加治屋町から、高麗橋を渡ってすぐの場所です。<br />小さな誕生地碑で、最初に見た時は大久保の鹿児島での人気のなさかなあとも思いましたが、大久保は生まれて間もなく、ここから加治屋町に引っ越しています。加治屋町にはりっぱな生い立ちの碑がありますので。<br /><br />

    大久保利通誕生地は、ここ高麗町。維新の英傑たちを輩出した加治屋町から、高麗橋を渡ってすぐの場所です。
    小さな誕生地碑で、最初に見た時は大久保の鹿児島での人気のなさかなあとも思いましたが、大久保は生まれて間もなく、ここから加治屋町に引っ越しています。加治屋町にはりっぱな生い立ちの碑がありますので。

  • で、同じ通りに、また井上良馨の生誕地碑。さっきの碑と同じ文言で紹介されています。大久保と同じようにこっちから引っ越したのかもしれません。<br /><br />

    で、同じ通りに、また井上良馨の生誕地碑。さっきの碑と同じ文言で紹介されています。大久保と同じようにこっちから引っ越したのかもしれません。

  • 維新ふるさと館入口に戻ると、村田新八生誕地の碑。<br />村田新八は、明治の岩倉使節団にも参加し、欧米文化を視察し国際情勢をよく理解していましたが、「西郷さんの意見も聞かねば」と下野した西郷を追って鹿児島に帰ります。そして、私学校で子弟教育にあたりますが、結局は、薩軍の二番大隊長として砲兵隊を指揮。西郷の最後を見届けた後、自刃しています。<br />なお、勝海舟は村田を「彼は大久保利通に亜ぐの傑物なり。」と評しており、大変な逸材であったことが窺えます。<br /><br />

    維新ふるさと館入口に戻ると、村田新八生誕地の碑。
    村田新八は、明治の岩倉使節団にも参加し、欧米文化を視察し国際情勢をよく理解していましたが、「西郷さんの意見も聞かねば」と下野した西郷を追って鹿児島に帰ります。そして、私学校で子弟教育にあたりますが、結局は、薩軍の二番大隊長として砲兵隊を指揮。西郷の最後を見届けた後、自刃しています。
    なお、勝海舟は村田を「彼は大久保利通に亜ぐの傑物なり。」と評しており、大変な逸材であったことが窺えます。

  • 山本権兵衛誕生地碑がなかなか見つからなかったのですが、加治屋町の電車通沿い、田平病院の塀のところにありました。山本権兵衛は、明治31年、山県内閣の海軍大臣となって、伊藤、桂両内閣でも重任。実質的な海軍トップに7年間あって、薩摩閥の後継者となった人物。明治37年の日露戦争で東郷平八郎を連合艦隊司令長官に大抜擢したのも、山本権兵衛です。<br /><br /><br />

    山本権兵衛誕生地碑がなかなか見つからなかったのですが、加治屋町の電車通沿い、田平病院の塀のところにありました。山本権兵衛は、明治31年、山県内閣の海軍大臣となって、伊藤、桂両内閣でも重任。実質的な海軍トップに7年間あって、薩摩閥の後継者となった人物。明治37年の日露戦争で東郷平八郎を連合艦隊司令長官に大抜擢したのも、山本権兵衛です。


  • さて、フランス菓子 一公という洋菓子屋さん。もしかしたら、このお店も偉人の遠縁の人なのかもと思うような、きちんとした店構えですね。お店には職人さんも何人かいるようで、活気もありました。<br />

    さて、フランス菓子 一公という洋菓子屋さん。もしかしたら、このお店も偉人の遠縁の人なのかもと思うような、きちんとした店構えですね。お店には職人さんも何人かいるようで、活気もありました。

  • 街歩きで疲れていたので、シュークリームを一ついただきました。カスタードクリームのタイプをいただきましたが、どっしりした味わい。生クリームのタイプもあって、それはいただきませんでしたが、これとどういった違いがあるのか、いろんな想像ができる味でした。<br />

    街歩きで疲れていたので、シュークリームを一ついただきました。カスタードクリームのタイプをいただきましたが、どっしりした味わい。生クリームのタイプもあって、それはいただきませんでしたが、これとどういった違いがあるのか、いろんな想像ができる味でした。

  • 大久保利通生い立ちの地は、維新ふるさと館の隣り。西郷隆盛の生誕地は、ほんの目と鼻の先です。生誕地は、さっきの高麗町なのですが、生まれて間もなく、ここに引っ越してきたようです。西郷隆盛とは征韓論で袂を分かつことになりましたが、西南戦争の翌年、大久保も不満士族に襲われ、紀尾井坂で暗殺されています。これも運命なのでしょうか。<br /><br />

    イチオシ

    大久保利通生い立ちの地は、維新ふるさと館の隣り。西郷隆盛の生誕地は、ほんの目と鼻の先です。生誕地は、さっきの高麗町なのですが、生まれて間もなく、ここに引っ越してきたようです。西郷隆盛とは征韓論で袂を分かつことになりましたが、西南戦争の翌年、大久保も不満士族に襲われ、紀尾井坂で暗殺されています。これも運命なのでしょうか。

  • 伊地知正治誕生地の碑は、維新ふるさと館のまん前だったんですね。今になって気が付きました。説明板がかすれてしまっていて読みにくいのですが、西郷隆盛が最も信頼していた人物の一人という説明が印象的です。幼い頃に大病で片目と片足が不自由となるのですが、薬丸自顕流、合伝流兵学の奥義を極め、戊辰戦争では、総大将格の西郷に従い、実質的な作戦はほとんど伊地知がたてたと言われます。西南戦争では下野せず、戦争後、鹿児島に帰り、鹿児島の産業振興に貢献したようです。<br /><br />

    伊地知正治誕生地の碑は、維新ふるさと館のまん前だったんですね。今になって気が付きました。説明板がかすれてしまっていて読みにくいのですが、西郷隆盛が最も信頼していた人物の一人という説明が印象的です。幼い頃に大病で片目と片足が不自由となるのですが、薬丸自顕流、合伝流兵学の奥義を極め、戊辰戦争では、総大将格の西郷に従い、実質的な作戦はほとんど伊地知がたてたと言われます。西南戦争では下野せず、戦争後、鹿児島に帰り、鹿児島の産業振興に貢献したようです。

  • さて、生誕地はこれで確認終了したので、いよいよ鹿児島市維新ふるさと館へ。<br />鹿児島が生んだ明治維新の英傑たちの育った加治屋町にあるのですが、それらの英傑は、一人であっても、十分にりっぱな記念館が建つところ。

    さて、生誕地はこれで確認終了したので、いよいよ鹿児島市維新ふるさと館へ。
    鹿児島が生んだ明治維新の英傑たちの育った加治屋町にあるのですが、それらの英傑は、一人であっても、十分にりっぱな記念館が建つところ。

  • そんな人物をこれだけたくさん輩出しているのですから、これは本来並大抵ではありませんね。<br />

    そんな人物をこれだけたくさん輩出しているのですから、これは本来並大抵ではありませんね。

  • ただ、展示内容は、

    イチオシ

    ただ、展示内容は、

  • ジオラマや劇のようなものもあって、

    ジオラマや劇のようなものもあって、

  • とても平易。一方で、薩摩藩の郷中教育なども、今の時代、もう少し研究されてもいいのかもしれません。<br />

    とても平易。一方で、薩摩藩の郷中教育なども、今の時代、もう少し研究されてもいいのかもしれません。

  • 維新ふるさと館から橋を渡って、ナポリ通りに出たところ。こんなところに鹿児島市観光交流センターがありました。<br />甲突川右岸緑地の整備事業の一環として造られたもののようで、鹿児島中央駅から、加治屋町に入るコースの途中にはあたるのですが、ちょっと微妙な位置。西郷南洲翁宅地跡に寄るならこの道ですが、大久保利通像から、歴史ロードを通って、維新ふるさと館に行くコースの方が一般的だと思います。<br /><br />

    維新ふるさと館から橋を渡って、ナポリ通りに出たところ。こんなところに鹿児島市観光交流センターがありました。
    甲突川右岸緑地の整備事業の一環として造られたもののようで、鹿児島中央駅から、加治屋町に入るコースの途中にはあたるのですが、ちょっと微妙な位置。西郷南洲翁宅地跡に寄るならこの道ですが、大久保利通像から、歴史ロードを通って、維新ふるさと館に行くコースの方が一般的だと思います。

  • で、目当ては西郷南洲翁宅地跡。ここは、西郷一家が加治屋町から移り住み、武屋敷に移るまで10数年を過ごした場所です。<br />

    で、目当ては西郷南洲翁宅地跡。ここは、西郷一家が加治屋町から移り住み、武屋敷に移るまで10数年を過ごした場所です。

  • ここに移る前々年 祖父、父、母と相次いで失い、借金の返済に充てるために加治屋町の屋敷を売ったようで、西郷さんは29歳の時。ここから、安政の大獄、島津斉彬の死など、波乱の時代を過ごすことになります。<br /><br />

    ここに移る前々年 祖父、父、母と相次いで失い、借金の返済に充てるために加治屋町の屋敷を売ったようで、西郷さんは29歳の時。ここから、安政の大獄、島津斉彬の死など、波乱の時代を過ごすことになります。

  • ここから鹿児島中央駅の方へ歩きます。と、この大きなお店は和風菓からいも (本店)。駅からだと電車通りを越えたところなので、すぐには分かり辛いかも。ここは、鹿児島で人気のお芋のフェスティバロがプロデュースする和風のお店。<br />

    ここから鹿児島中央駅の方へ歩きます。と、この大きなお店は和風菓からいも (本店)。駅からだと電車通りを越えたところなので、すぐには分かり辛いかも。ここは、鹿児島で人気のお芋のフェスティバロがプロデュースする和風のお店。

  • 洋風唐芋と違って、和風の唐芋はより芋の味に近いのですが、ただ、その分、普通になってしまったかも。店内には、西郷隆盛と篤姫の人形があって、ちょっと面白いです。<br />

    洋風唐芋と違って、和風の唐芋はより芋の味に近いのですが、ただ、その分、普通になってしまったかも。店内には、西郷隆盛と篤姫の人形があって、ちょっと面白いです。

  • 駅ビルでもうろうろ。鹿児島は、お茶どころ。市内にいくつもお茶屋さんがあるのですが、美老園はお菓子などもたくさん作っていて、このアミュプラザ店では、ダックワーズをいただきました。

    駅ビルでもうろうろ。鹿児島は、お茶どころ。市内にいくつもお茶屋さんがあるのですが、美老園はお菓子などもたくさん作っていて、このアミュプラザ店では、ダックワーズをいただきました。

  • ダックワーズは、アーモンド風味のメレンゲを使った焼き菓子。お茶の香りで、さらに引き立っているように思います。<br /><br />

    ダックワーズは、アーモンド風味のメレンゲを使った焼き菓子。お茶の香りで、さらに引き立っているように思います。

  • 駅ビルフレスタ鹿児島には明石屋もありました。鹿児島中央駅は、改札を出てすぐのおみやげ横丁がかなり充実して賑わっていて、一階にあるこの明石屋は気づきにくいと思うのですが、

    駅ビルフレスタ鹿児島には明石屋もありました。鹿児島中央駅は、改札を出てすぐのおみやげ横丁がかなり充実して賑わっていて、一階にあるこの明石屋は気づきにくいと思うのですが、

  • 皆さんさすがよく知っていらっしゃるようで、ここのかるかんを買う観光客は本当に多いですね。私も、それは正解だと思います。<br /><br />

    皆さんさすがよく知っていらっしゃるようで、ここのかるかんを買う観光客は本当に多いですね。私も、それは正解だと思います。

  • 九州新幹線が全線開通して、鹿児島の玄関口として整備が進んだ鹿児島中央駅。その改札を出てすぐの場所にある観光案内所です。大きなブースには案内の人が複数いて、県内全域をカバーしています。市内にも観光案内所はいくつかあるようですが、鹿児島中央駅は観光の起点ですし、ここの利用が一番便利だと思います。<br /><br />

    九州新幹線が全線開通して、鹿児島の玄関口として整備が進んだ鹿児島中央駅。その改札を出てすぐの場所にある観光案内所です。大きなブースには案内の人が複数いて、県内全域をカバーしています。市内にも観光案内所はいくつかあるようですが、鹿児島中央駅は観光の起点ですし、ここの利用が一番便利だと思います。

  • その横が、おみやげ横丁。充実してます。

    その横が、おみやげ横丁。充実してます。

  • その先にあるみやま本舗。鶏肉を鉄板で焼いて食べるコースがとても気になったのですが、時間がないので黒鶏の親子丼にしてみました。

    その先にあるみやま本舗。鶏肉を鉄板で焼いて食べるコースがとても気になったのですが、時間がないので黒鶏の親子丼にしてみました。

  • 弾力があっても柔らかくて旨味もある。肉質がいいのはよく分かりました。ただ、比内鶏の肉とかもすごくおいしいですからね。黒鶏のおいしさはあってもそれだけではだめでしょう。親子丼としての完成度をもっと上げてもらえればと思いました。そこがちょっと残念でした。 <br /><br />

    弾力があっても柔らかくて旨味もある。肉質がいいのはよく分かりました。ただ、比内鶏の肉とかもすごくおいしいですからね。黒鶏のおいしさはあってもそれだけではだめでしょう。親子丼としての完成度をもっと上げてもらえればと思いました。そこがちょっと残念でした。

  • おみやげ横丁に帰って、薩摩いも福。看板商品は、馬場製菓の薩摩きんつば。<br />

    おみやげ横丁に帰って、薩摩いも福。看板商品は、馬場製菓の薩摩きんつば。

  • 天皇陛下・皇后陛下への献上銘菓というのですが、「黄金いも」「紫いも」「隼人いも」の3種類の餡の色彩がとても鮮やか。この三種類の詰め合わせを買いましたが、味わいもそれぞれ特徴があって、けっこう楽しめました。<br />

    天皇陛下・皇后陛下への献上銘菓というのですが、「黄金いも」「紫いも」「隼人いも」の3種類の餡の色彩がとても鮮やか。この三種類の詰め合わせを買いましたが、味わいもそれぞれ特徴があって、けっこう楽しめました。

  • カゴシマシティビューは、鹿児島市内の観光スポットを効率よく回る周遊バス。一日乗車券は、600円。これで、市電に市バスも乗れるし、大抵の観光施設では割引も受けられます。この割引は、例えば、土曜日の一日券を提示しても、日曜の施設利用で割引が受けられます。とても親切だと思います。<br />ただ、今回は黎明館まで利用します。

    カゴシマシティビューは、鹿児島市内の観光スポットを効率よく回る周遊バス。一日乗車券は、600円。これで、市電に市バスも乗れるし、大抵の観光施設では割引も受けられます。この割引は、例えば、土曜日の一日券を提示しても、日曜の施設利用で割引が受けられます。とても親切だと思います。
    ただ、今回は黎明館まで利用します。

  • 鹿児島県歴史資料センター黎明館は、鶴丸城跡にできた博物館。鹿児島の歴史文化の総合的な展示をしていて、その内容は膨大です。一階の鹿児島の歴史は特にここでなければというものではないのですが、二階の祭事で使われる出し物の大らかな景色は必見かも。三階の美術品も薩摩焼の系譜を丁寧に解説していて、頭の整理ができました。<br /><br />

    鹿児島県歴史資料センター黎明館は、鶴丸城跡にできた博物館。鹿児島の歴史文化の総合的な展示をしていて、その内容は膨大です。一階の鹿児島の歴史は特にここでなければというものではないのですが、二階の祭事で使われる出し物の大らかな景色は必見かも。三階の美術品も薩摩焼の系譜を丁寧に解説していて、頭の整理ができました。

  • 内部は、撮影禁止。これは、入口に展示してあった

    内部は、撮影禁止。これは、入口に展示してあった

  • 篤姫の着物です。全然、古びていない。新品のようですね。

    篤姫の着物です。全然、古びていない。新品のようですね。

  • 今度は、鹿児島市立美術館。黎明館や図書館などとともに、鹿児島の文化ゾーンを構成しています。明治の画壇をリードした黒田清輝を生んだ鹿児島は、文化の面でも先駆的です。美術館では、清輝が影響を受けたフランス印象派の時代から、フォーヴィスムやキュビスムを経て、抽象絵画に至る流れを体系的にとらえて、作品群を配しています。今回は二回目の訪問でしたが、相変わらずバランスがとても良くて、感心します。<br />地元出身の画家、橋口五葉の作品も目を引きました。<br /><br />

    今度は、鹿児島市立美術館。黎明館や図書館などとともに、鹿児島の文化ゾーンを構成しています。明治の画壇をリードした黒田清輝を生んだ鹿児島は、文化の面でも先駆的です。美術館では、清輝が影響を受けたフランス印象派の時代から、フォーヴィスムやキュビスムを経て、抽象絵画に至る流れを体系的にとらえて、作品群を配しています。今回は二回目の訪問でしたが、相変わらずバランスがとても良くて、感心します。
    地元出身の画家、橋口五葉の作品も目を引きました。

  • そして、次はかごしま近代文学館へ。

    そして、次はかごしま近代文学館へ。

  • かごしま近代文学館は、鹿児島ゆかりの文人を紹介する施設。入ってすぐには、林芙美子の紹介ビデオ。林芙美子は、鹿児島市古里町が本籍地。鹿児島市に住んでいたのは11歳の時で、桜島の大爆発のあった大正3年の約1年間のようですが、「故郷を思えば胸が熱くなる」と望郷の念を語る言葉が紹介されていました

    かごしま近代文学館は、鹿児島ゆかりの文人を紹介する施設。入ってすぐには、林芙美子の紹介ビデオ。林芙美子は、鹿児島市古里町が本籍地。鹿児島市に住んでいたのは11歳の時で、桜島の大爆発のあった大正3年の約1年間のようですが、「故郷を思えば胸が熱くなる」と望郷の念を語る言葉が紹介されていました

  • 併設されているかごしまメルヘン館。近代文学館とセット券があって、これで見学しました。

    併設されているかごしまメルヘン館。近代文学館とセット券があって、これで見学しました。

  • 親子で楽しむ施設のようでどうかなあとは思ったのですが、これがけっこう楽しい。三階までエレベーターで上がって、らせん状の坂道を下ってくるのですが、

    親子で楽しむ施設のようでどうかなあとは思ったのですが、これがけっこう楽しい。三階までエレベーターで上がって、らせん状の坂道を下ってくるのですが、

  • その坂道の壁面に、不思議の国のアリスとかの大きな絵が描かれています。

    イチオシ

    その坂道の壁面に、不思議の国のアリスとかの大きな絵が描かれています。

  • たぶん、子供が見たら、物語の中に自分が入り込んだような気持ちになってしまうでしょう。私もちょっとそんな気持ちになって、楽しめました。

    たぶん、子供が見たら、物語の中に自分が入り込んだような気持ちになってしまうでしょう。私もちょっとそんな気持ちになって、楽しめました。

  • こちらは鹿児島県立博物館。企画展「かごしま化石発見伝」をやっていて、家族連れで賑わっていました。恐竜の骨とかもいいのですが、鹿児島の観光としては。。と思っていたら、

    こちらは鹿児島県立博物館。企画展「かごしま化石発見伝」をやっていて、家族連れで賑わっていました。恐竜の骨とかもいいのですが、鹿児島の観光としては。。と思っていたら、

  • 大正3年の桜島大噴火のコーナーがありました。桜島が陸地とつながった大噴火。溶岩の流れた場所とかがよく分かりました。なお、料金は無料でした。<br /><br />

    大正3年の桜島大噴火のコーナーがありました。桜島が陸地とつながった大噴火。溶岩の流れた場所とかがよく分かりました。なお、料金は無料でした。

  • 中央公園は、照国神社から天文館に戻る途中。鹿児島の中心部、文化ゾーンにもつながる公園です。「緑と水と光」をテーマに整備を進めた2haの公園は、芝生がとてもきれい。大通り公園も芝生がありましたが、そういえば、鹿児島は、地球温暖化を意識して、市電のレール付近にも芝生が植えられているのを思い出しました。<br /><br />

    中央公園は、照国神社から天文館に戻る途中。鹿児島の中心部、文化ゾーンにもつながる公園です。「緑と水と光」をテーマに整備を進めた2haの公園は、芝生がとてもきれい。大通り公園も芝生がありましたが、そういえば、鹿児島は、地球温暖化を意識して、市電のレール付近にも芝生が植えられているのを思い出しました。

  • そして、鹿児島中央公園の一角にあるのが医学院跡の碑。ちなみに、医学院は、島津氏25代当主、島津重豪が創設したもの。島津重豪は、島津斉彬の曽祖父で、既に開化的な政策を掲げて人材育成に力を注いでいたよう。医学院は、足軽・町人でも入学を許可され、七人前後の講師のもとで数十人から百人ほどの医生が学んだそうです。 <br /><br /><br />

    そして、鹿児島中央公園の一角にあるのが医学院跡の碑。ちなみに、医学院は、島津氏25代当主、島津重豪が創設したもの。島津重豪は、島津斉彬の曽祖父で、既に開化的な政策を掲げて人材育成に力を注いでいたよう。医学院は、足軽・町人でも入学を許可され、七人前後の講師のもとで数十人から百人ほどの医生が学んだそうです。


  • 天文館といずろの中間あたりにやってきました。

    天文館といずろの中間あたりにやってきました。

  • これはお茶の美老園の本店です。

    これはお茶の美老園の本店です。

  • お店に入ってすぐのところに、ソフトクリームなどを扱う一角があって、そこで抹茶フロートをいただきました。店内にベンチがいくつかあって、それに腰かけて休みました。けっこう人気のようで、ぽつぽつと人が入ってきては、私と同じように休んでいきます。フロートは、やや薄味の抹茶が心地よい。お茶屋さんだからと言って、下手に濃い味をウリにしていないところに好感を持ちました。

    お店に入ってすぐのところに、ソフトクリームなどを扱う一角があって、そこで抹茶フロートをいただきました。店内にベンチがいくつかあって、それに腰かけて休みました。けっこう人気のようで、ぽつぽつと人が入ってきては、私と同じように休んでいきます。フロートは、やや薄味の抹茶が心地よい。お茶屋さんだからと言って、下手に濃い味をウリにしていないところに好感を持ちました。

  • 山形屋の前にいた、伊佐市公認キャラクター「イーサキング」。伊佐市って聞いたことないですね。どこなんでしょうか。

    山形屋の前にいた、伊佐市公認キャラクター「イーサキング」。伊佐市って聞いたことないですね。どこなんでしょうか。

  • 明石屋の本店にやって来ました。ここは、かるかんの元祖というお店。かるかんは、いくつかのお店でも扱っているのですが、ここのおいしさは正直別格です。<br />で、市内にいくつもお店があるのですが、本店は、山形屋の先です。<br />

    明石屋の本店にやって来ました。ここは、かるかんの元祖というお店。かるかんは、いくつかのお店でも扱っているのですが、ここのおいしさは正直別格です。
    で、市内にいくつもお店があるのですが、本店は、山形屋の先です。

  • りっぱな店構えで、入ると生菓子も置いてあるではありませんか。さすがです。<br />しかし、目立たない場所に麦手餅。はああああ。麦手餅って、京都の中村軒の看板商品だし、私は、麦手餅は京都でも三本の指に入る偉大なお菓子だと思っていますよ。鹿児島では誰も知らないかもしれませんけど、これにはちょっと弱りました。<br />

    イチオシ

    りっぱな店構えで、入ると生菓子も置いてあるではありませんか。さすがです。
    しかし、目立たない場所に麦手餅。はああああ。麦手餅って、京都の中村軒の看板商品だし、私は、麦手餅は京都でも三本の指に入る偉大なお菓子だと思っていますよ。鹿児島では誰も知らないかもしれませんけど、これにはちょっと弱りました。

  • さらに鹿児島ブランドショップへも足を延ばします。ここは、県の産業会館の一階。鹿児島の名産品である薩摩焼、屋久杉製品、本場大島紬、郷土玩具、郷土菓子、お茶、さつま揚げ、黒豚加工品、醸造品、農産加工品、焼酎など、約1600品目を扱っています。<br /><br />

    さらに鹿児島ブランドショップへも足を延ばします。ここは、県の産業会館の一階。鹿児島の名産品である薩摩焼、屋久杉製品、本場大島紬、郷土玩具、郷土菓子、お茶、さつま揚げ、黒豚加工品、醸造品、農産加工品、焼酎など、約1600品目を扱っています。

  • 興味を持った薩摩焼の慶田窯について聞いていたら、市内の直売所の場所を教えてくれただけではなく、話が聞けるかどうかの問い合わせまでしてくれました。その後訪ねてみましたが、素早い対応には感心しました。ありがとうございました。<br />

    興味を持った薩摩焼の慶田窯について聞いていたら、市内の直売所の場所を教えてくれただけではなく、話が聞けるかどうかの問い合わせまでしてくれました。その後訪ねてみましたが、素早い対応には感心しました。ありがとうございました。

  • 五代友厚銅像は、この近く。朝日通りの泉公園内にありました。<br />薩英戦争後、薩摩藩の派遣した留学生の一人。戊辰戦争が勃発すると、西郷隆盛や大久保利通らとともに倒幕に活躍しますが、維新後の財界での功績が華々しく、特に商業都市大阪の土台を築いた人物として有名です。<br />ちなみに、この像は、大阪の人が鹿児島市に寄贈したものだということです。<br /><br />

    五代友厚銅像は、この近く。朝日通りの泉公園内にありました。
    薩英戦争後、薩摩藩の派遣した留学生の一人。戊辰戦争が勃発すると、西郷隆盛や大久保利通らとともに倒幕に活躍しますが、維新後の財界での功績が華々しく、特に商業都市大阪の土台を築いた人物として有名です。
    ちなみに、この像は、大阪の人が鹿児島市に寄贈したものだということです。

  • これも近くの月照上人遺跡之碑。金生町の鹿児島銀行本店裏です。僧月照は、尊皇攘夷に傾倒したり、将軍継嗣問題では一橋派に与したため、安政の大獄で追われる身となり、幕府の追及を逃れ、西郷を頼りに鹿児島にやって来ます。ここは、その際泊った旅館「俵屋」の跡。錦江湾に西郷隆盛と身を投じるまでここで過ごし、月照は亡くなりますが、西郷は九死に一生を得て蘇生することになります。<br />

    これも近くの月照上人遺跡之碑。金生町の鹿児島銀行本店裏です。僧月照は、尊皇攘夷に傾倒したり、将軍継嗣問題では一橋派に与したため、安政の大獄で追われる身となり、幕府の追及を逃れ、西郷を頼りに鹿児島にやって来ます。ここは、その際泊った旅館「俵屋」の跡。錦江湾に西郷隆盛と身を投じるまでここで過ごし、月照は亡くなりますが、西郷は九死に一生を得て蘇生することになります。

  • 金生町の電車通りに出たところで、賑わうパン屋さんを発見。トワ ベール 天文館。<br />

    金生町の電車通りに出たところで、賑わうパン屋さんを発見。トワ ベール 天文館。

  • 山形屋の向かいです。2割引のバーゲンセールをやっていて、大変なにぎわい。つられて入ってみると、立派なフランスパンが並んで、これは本格的なパン屋さんなんですね。市内にいくつか店舗もあるし、人気のよう。アンパンを買っただけでしたが、それだけではちょっともったいなかったかもしれません。<br />

    山形屋の向かいです。2割引のバーゲンセールをやっていて、大変なにぎわい。つられて入ってみると、立派なフランスパンが並んで、これは本格的なパン屋さんなんですね。市内にいくつか店舗もあるし、人気のよう。アンパンを買っただけでしたが、それだけではちょっともったいなかったかもしれません。

  • 鹿児島の繁華街は、天文館、いずろ、金生町と続く一帯。そのいずろの交差点には、古びた3基の石灯籠があります。石灯籠は、屋久島に通う船の航路の標識という説があるようですが、<br /><br />

    鹿児島の繁華街は、天文館、いずろ、金生町と続く一帯。そのいずろの交差点には、古びた3基の石灯籠があります。石灯籠は、屋久島に通う船の航路の標識という説があるようですが、

  • いずれにしても、いずろという地名の起源。いしどうろう→いっどろ→いずろ<br />で、いずろです。

    いずれにしても、いずろという地名の起源。いしどうろう→いっどろ→いずろ
    で、いずろです。

  • 竜馬とおりょうさんの像。

    竜馬とおりょうさんの像。

  • 鹿児島は二人が新婚旅行を楽しんだ場所でもあります。

    鹿児島は二人が新婚旅行を楽しんだ場所でもあります。

  • 慶田窯の小さな販売店。薩摩焼の情報を収集。白い色は高級品の証。昔の白薩摩が黄色く見えるのは変色したからで、始めは真っ白な色だったものだとか。一方で、使っているうちに貫入に色が付くのはそれも風流なんだとか。たったこれだけのことでも、かなり誤解をしていました。やっぱり、ちゃんとした人に話を聞くのは大事なことですね。

    慶田窯の小さな販売店。薩摩焼の情報を収集。白い色は高級品の証。昔の白薩摩が黄色く見えるのは変色したからで、始めは真っ白な色だったものだとか。一方で、使っているうちに貫入に色が付くのはそれも風流なんだとか。たったこれだけのことでも、かなり誤解をしていました。やっぱり、ちゃんとした人に話を聞くのは大事なことですね。

  • 帰りの時間が気になってきて、天文館通りに戻ります。<br />ここは薩摩蒸氣屋のお店。看板は、「菓々子横丁」となっているので、薩摩蒸氣屋はテナントで一部に入っているのかと思ったら、屋久杉や焼き物を売っているところも、全部が薩摩蒸氣屋さんなんですね。<br />

    帰りの時間が気になってきて、天文館通りに戻ります。
    ここは薩摩蒸氣屋のお店。看板は、「菓々子横丁」となっているので、薩摩蒸氣屋はテナントで一部に入っているのかと思ったら、屋久杉や焼き物を売っているところも、全部が薩摩蒸氣屋さんなんですね。

  • 私は、焼きドーナツをいただき、しばし休憩をさせてもらいました。卵の風味がしっかりあって、ふわふわのドーナツでした。ちなみに、薩摩蒸氣屋のドーナツは鹿児島市内ではここだけです。<br />

    私は、焼きドーナツをいただき、しばし休憩をさせてもらいました。卵の風味がしっかりあって、ふわふわのドーナツでした。ちなみに、薩摩蒸氣屋のドーナツは鹿児島市内ではここだけです。

  • 隣りの揚立屋。ここは、さつま揚げの専門店。市内のあちこちにあるのですが、天文館のお店を訪ねました。<br />

    隣りの揚立屋。ここは、さつま揚げの専門店。市内のあちこちにあるのですが、天文館のお店を訪ねました。

  • さつま揚げは、どれがスタンダードですかと聞いたら、野菜とか何も入らないぼうてんですとのことだったので、それをいただきました。ファーストフードみたいに小さな箱に入れて、プラスチックのフォークも付いて、歩きながら食べれるようにちゃんと準備が出来ています。白身の魚のぷりぷりしたうまさがあって、おいしいです。<br />

    さつま揚げは、どれがスタンダードですかと聞いたら、野菜とか何も入らないぼうてんですとのことだったので、それをいただきました。ファーストフードみたいに小さな箱に入れて、プラスチックのフォークも付いて、歩きながら食べれるようにちゃんと準備が出来ています。白身の魚のぷりぷりしたうまさがあって、おいしいです。

  • さて、黒豚料理 あぢもりのトンカツを鹿児島の旅の最後の晩飯にしようと思ったら、夜の営業では黒豚しゃぶしゃぶのみ。そして、二名様からだとのこと。空いていれば、一人でもなんとかすることはあるとのことでしたが、この日は予約で空きもなし。午後5時半の営業開始に合わせて訪ねたのですが、一人旅なので残念なことになってしまいました。

    さて、黒豚料理 あぢもりのトンカツを鹿児島の旅の最後の晩飯にしようと思ったら、夜の営業では黒豚しゃぶしゃぶのみ。そして、二名様からだとのこと。空いていれば、一人でもなんとかすることはあるとのことでしたが、この日は予約で空きもなし。午後5時半の営業開始に合わせて訪ねたのですが、一人旅なので残念なことになってしまいました。

  • 急きょ予定変更の「いちにいさん」。

    急きょ予定変更の「いちにいさん」。

  • ここで、黒豚しゃぶしゃぶをいただきました。

    イチオシ

    ここで、黒豚しゃぶしゃぶをいただきました。

  • ここの黒豚しゃぶしゃぶは、そばつゆでいただきます。<br />

    ここの黒豚しゃぶしゃぶは、そばつゆでいただきます。

  • ここは、もともとおそば屋さんだそうで、一階は確かにおそば屋さんです。最後に、細いそばを入れて締めにします。

    ここは、もともとおそば屋さんだそうで、一階は確かにおそば屋さんです。最後に、細いそばを入れて締めにします。

  • 全体として、優しい味わいのしゃぶしゃぶです。鮮やかな黒豚の盛り付けも印象に残りました。<br />これで二泊二日の鹿児島の旅は終了。何んとか最終便のバスの時間にも間に合って、鹿児島空港に向かいます。

    全体として、優しい味わいのしゃぶしゃぶです。鮮やかな黒豚の盛り付けも印象に残りました。
    これで二泊二日の鹿児島の旅は終了。何んとか最終便のバスの時間にも間に合って、鹿児島空港に向かいます。

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