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2010年の夏期休暇を利用して、旧ユーゴスラビアの国々(スロヴェニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニア)を訪れました。また、正式に独立を承認されていないコソボも通過。さらに、乗り継ぎ時間を利用して15年ぶりにモスクワにも立ち寄るという、超々「弾丸の旅」。<br />夜行バス・夜行列車で2泊という、いつにも増してハードな行程でしたが、かなり変化にも富んだ充実した旅となりました。<br /><br />各国の歴史・宗教・世界観について、深く語ってはおりません。<br />いつものお気楽な「なんちゃって旅行記」をご紹介します。<br /><br />≪全行程≫<br /><br />1日目:昼、成田→モスクワ    [アエロフロート・ロシア航空]<br />2日目:早朝より、モスクワ市内散策。<br />http://4travel.jp/traveler/satorumo/album/10491519<br /><br />    昼、モスクワ→ザグレブ  [アエロフロート・ロシア航空]<br />    クロアチアの首都ザグレブ市内散策。<br />http://4travel.jp/traveler/satorumo/album/10491643<br /><br />3日目:朝、列車でスロヴェニアの首都・リュブリャーナへ。<br />    列車とバスを乗り継ぎ、ブレッド湖へ。<br />http://4travel.jp/traveler/satorumo/album/10491722<br /><br />    午後、リュブリャーナ市内散策。<br />http://4travel.jp/traveler/satorumo/album/10493192<br /><br />    夕方、列車でザグレブへ。<br />    夜、夜行列車でボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエヴォへ。<br />4日目:早朝より、サラエヴォ市内散策。<br />                ≪★今回のお話はココです≫<br />http://4travel.jp/traveler/satorumo/album/10495801<br />http://4travel.jp/traveler/satorumo/album/10496438/<br />       <br />    午後、バスでクロアチアのドブロヴニクへ。<br />5日目:早朝より、ドブロヴニク散策。<br />http://4travel.jp/traveler/satorumo/album/10497177/<br /><br />    午前、バスでモンテネグロのコトルへ。<br />    コトル散策。<br />http://4travel.jp/traveler/satorumo/album/10497874/<br /><br />    夕方、バスでモンテネグロの首都・ポトゴリツァへ。<br />http://4travel.jp/traveler/satorumo/album/10498489/<br /><br />    夜、夜行バスでマケドニアの首都・スコピエへ。<br />6日目:深夜、コソボ領土内通過。<br />http://4travel.jp/traveler/satorumo/album/10499053/<br /><br />    早朝、スコピエ着。<br />    午前、スコピエ市内散策。<br />http://4travel.jp/traveler/satorumo/album/10499407/<br /><br />    午後、バスでセルビアの首都・ベオグラードへ。<br />7日目:早朝より、ベオグラード市内散策。<br />http://4travel.jp/traveler/satorumo/album/10499791/<br /><br />    午後、ベオグラード→モスクワ   [ヤット航空]<br />    夜、モスクワ→成田   [アエロフロート・ロシア航空]<br />8日目:午前、成田着。<br />    そのまま仕事へ。<br /><br /><br />≪旅の経緯≫<br /><br />かねてより興味のあった旧ユーゴスラビアの国々。<br />何度か手配しながら、仕事の都合でキャンセルとなったりで、<br />今回ようやく念願がかないました。<br /><br />学生時代の20年以上前に、ハンガリーのブダペストから<br />ギリシャのアテネまで夜行列車で旅をしたことがあり、<br />この際、旧ユーゴを通過はしていますが、<br />ベオグラード駅前の写真が1枚残っているだけで、<br />きちんと訪問したのは今回が初めてです。<br /><br />4月中旬にWEBで航空券を手配。<br />ザグレブIN、ベオグラードOUTの<br />オープンジョー(行き帰りの地点が異なること)にし、<br />とりあえずサラエヴォに行くことだけは決め、<br />後は現地で考えるという、いつものスタイルです。<br /><br />出発の2~3日前には、ほとんど夜を徹して仕事となり、<br />8/10を迎えました。<br /><br />往復のAIRのみ、事前に予約済みです。<br /><br />

弾丸ボスニア・ヘルツェゴビナ1008 「民族・宗教・文化のカオス」  ~サラエヴォ①~

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2010/08/13 - 2010/08/13

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たぬき2号

たぬき2号さん

2010年の夏期休暇を利用して、旧ユーゴスラビアの国々(スロヴェニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニア)を訪れました。また、正式に独立を承認されていないコソボも通過。さらに、乗り継ぎ時間を利用して15年ぶりにモスクワにも立ち寄るという、超々「弾丸の旅」。
夜行バス・夜行列車で2泊という、いつにも増してハードな行程でしたが、かなり変化にも富んだ充実した旅となりました。

各国の歴史・宗教・世界観について、深く語ってはおりません。
いつものお気楽な「なんちゃって旅行記」をご紹介します。

≪全行程≫

1日目:昼、成田→モスクワ    [アエロフロート・ロシア航空]
2日目:早朝より、モスクワ市内散策。
http://4travel.jp/traveler/satorumo/album/10491519

    昼、モスクワ→ザグレブ  [アエロフロート・ロシア航空]
    クロアチアの首都ザグレブ市内散策。
http://4travel.jp/traveler/satorumo/album/10491643

3日目:朝、列車でスロヴェニアの首都・リュブリャーナへ。
    列車とバスを乗り継ぎ、ブレッド湖へ。
http://4travel.jp/traveler/satorumo/album/10491722

    午後、リュブリャーナ市内散策。
http://4travel.jp/traveler/satorumo/album/10493192

    夕方、列車でザグレブへ。
    夜、夜行列車でボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエヴォへ。
4日目:早朝より、サラエヴォ市内散策。
                ≪★今回のお話はココです≫
http://4travel.jp/traveler/satorumo/album/10495801
http://4travel.jp/traveler/satorumo/album/10496438/
       
    午後、バスでクロアチアのドブロヴニクへ。
5日目:早朝より、ドブロヴニク散策。
http://4travel.jp/traveler/satorumo/album/10497177/

    午前、バスでモンテネグロのコトルへ。
    コトル散策。
http://4travel.jp/traveler/satorumo/album/10497874/

    夕方、バスでモンテネグロの首都・ポトゴリツァへ。
http://4travel.jp/traveler/satorumo/album/10498489/

    夜、夜行バスでマケドニアの首都・スコピエへ。
6日目:深夜、コソボ領土内通過。
http://4travel.jp/traveler/satorumo/album/10499053/

    早朝、スコピエ着。
    午前、スコピエ市内散策。
http://4travel.jp/traveler/satorumo/album/10499407/

    午後、バスでセルビアの首都・ベオグラードへ。
7日目:早朝より、ベオグラード市内散策。
http://4travel.jp/traveler/satorumo/album/10499791/

    午後、ベオグラード→モスクワ   [ヤット航空]
    夜、モスクワ→成田   [アエロフロート・ロシア航空]
8日目:午前、成田着。
    そのまま仕事へ。


≪旅の経緯≫

かねてより興味のあった旧ユーゴスラビアの国々。
何度か手配しながら、仕事の都合でキャンセルとなったりで、
今回ようやく念願がかないました。

学生時代の20年以上前に、ハンガリーのブダペストから
ギリシャのアテネまで夜行列車で旅をしたことがあり、
この際、旧ユーゴを通過はしていますが、
ベオグラード駅前の写真が1枚残っているだけで、
きちんと訪問したのは今回が初めてです。

4月中旬にWEBで航空券を手配。
ザグレブIN、ベオグラードOUTの
オープンジョー(行き帰りの地点が異なること)にし、
とりあえずサラエヴォに行くことだけは決め、
後は現地で考えるという、いつものスタイルです。

出発の2~3日前には、ほとんど夜を徹して仕事となり、
8/10を迎えました。

往復のAIRのみ、事前に予約済みです。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
交通
4.5
同行者
一人旅
一人あたり費用
15万円 - 20万円
交通手段
鉄道
航空会社
アエロフロート・ロシア航空
旅行の手配内容
個別手配

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  • スロヴェニアのブレッド湖、<br />http://4travel.jp/traveler/satorumo/album/10491722/<br />リュブリャーナを散策した後、<br />http://4travel.jp/traveler/satorumo/album/10493192/<br />クロアチアの首都・ザグレブに戻ってきました。きょうはこれから夜行列車で、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都・サラエヴォにむかいます。

    スロヴェニアのブレッド湖、
    http://4travel.jp/traveler/satorumo/album/10491722/
    リュブリャーナを散策した後、
    http://4travel.jp/traveler/satorumo/album/10493192/
    クロアチアの首都・ザグレブに戻ってきました。きょうはこれから夜行列車で、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都・サラエヴォにむかいます。

  • ザグレブ〜サラエヴォの運賃は、220クーナ=約3,000円。安いです。

    ザグレブ〜サラエヴォの運賃は、220クーナ=約3,000円。安いです。

  • ザグレブ駅のトイレに、シャワーの表示がありました。

    ザグレブ駅のトイレに、シャワーの表示がありました。

  • シャワーは45クーナ=585円。これはかなり高額ですが、夜行列車乗車前のシャワーは快眠を約束してくれるので、ここは浴びておくことにします。

    シャワーは45クーナ=585円。これはかなり高額ですが、夜行列車乗車前のシャワーは快眠を約束してくれるので、ここは浴びておくことにします。

  • サラエヴォという文字を見ると、少々緊張感を覚えます。

    サラエヴォという文字を見ると、少々緊張感を覚えます。

  • 翌朝、サラエヴォに無事到着しました。列車はこのままモスタル方面にむかうので、大勢の乗客が乗り込んでいます。

    翌朝、サラエヴォに無事到着しました。列車はこのままモスタル方面にむかうので、大勢の乗客が乗り込んでいます。

  • こちらはバスターミナルです。治安が悪いとのことでしたが、早朝のせいかのんびりした雰囲気が漂っています。

    こちらはバスターミナルです。治安が悪いとのことでしたが、早朝のせいかのんびりした雰囲気が漂っています。

  • 午後クロアチアのドブロブニクへ移動するため、バスのチケットを購入します。運賃は44マルカ=2,400円。こちらも安いです。

    午後クロアチアのドブロブニクへ移動するため、バスのチケットを購入します。運賃は44マルカ=2,400円。こちらも安いです。

  • バスのチケットも購入できたので、安心してサラエヴォの街歩きを開始します。まずやってきたのは1984年に開催された冬季オリンピックの会場です。当時ボスニアは旧ユーゴスラビアであったため、共産圏で初めて開催された冬季オリンピックということになります。

    バスのチケットも購入できたので、安心してサラエヴォの街歩きを開始します。まずやってきたのは1984年に開催された冬季オリンピックの会場です。当時ボスニアは旧ユーゴスラビアであったため、共産圏で初めて開催された冬季オリンピックということになります。

  • 日本人選手では、スピードスケート男子500mで北沢欣浩氏が銀メダルに輝いた大会です。 1992年から1995年までのボスニア紛争で多くの競技施設が破壊されましたが、現在は再建されています。<br /><br /><br />

    日本人選手では、スピードスケート男子500mで北沢欣浩氏が銀メダルに輝いた大会です。 1992年から1995年までのボスニア紛争で多くの競技施設が破壊されましたが、現在は再建されています。


  • サッカーに興じている地元の人たち。ちなみに、ボスニア・ヘルツェゴビナのFIFA(国際サッカー連盟)ランキングは、2014年10月24日現在26位です。(日本は52位)オシム元日本代表監督はサラエヴォの出身です。

    サッカーに興じている地元の人たち。ちなみに、ボスニア・ヘルツェゴビナのFIFA(国際サッカー連盟)ランキングは、2014年10月24日現在26位です。(日本は52位)オシム元日本代表監督はサラエヴォの出身です。

  • オリンピック競技場近くには、大規模な墓地が広がっています。<br /><br />

    オリンピック競技場近くには、大規模な墓地が広がっています。

  • ボスニア紛争で亡くなった方達の墓標が並んでいます。

    ボスニア紛争で亡くなった方達の墓標が並んでいます。

  • 紛争中は埋葬する場所もなく、グラウンドを墓地としていたそうです。

    紛争中は埋葬する場所もなく、グラウンドを墓地としていたそうです。

  • 近くに市場がありました。

    近くに市場がありました。

  • 豊富な野菜・果物が並んでいました。

    豊富な野菜・果物が並んでいました。

  • バシチャルシァ地区にやってきました。旧市街の中心です。

    バシチャルシァ地区にやってきました。旧市街の中心です。

  • お年寄りがチェスに興じていました。ヨーロッパでよくみられる光景です。

    お年寄りがチェスに興じていました。ヨーロッパでよくみられる光景です。

  • カトリック教会のサラエヴォ大聖堂です。サラエヴォは、カトリック、イスラム、東方正教会など、多くの宗教施設が並ぶ多宗教・多民族が同居する街です。<br />

    カトリック教会のサラエヴォ大聖堂です。サラエヴォは、カトリック、イスラム、東方正教会など、多くの宗教施設が並ぶ多宗教・多民族が同居する街です。

  • こちらはフェルハディヤ・ジャミーヤというモスクです。

    こちらはフェルハディヤ・ジャミーヤというモスクです。

  • 古い家が並んでいるバシチャルシァのメインストリートです。

    古い家が並んでいるバシチャルシァのメインストリートです。

  • ここにもモスクがありました。

    ここにもモスクがありました。

  • サラエヴォのシンボル、セビリと呼ばれる水飲み場です。

    サラエヴォのシンボル、セビリと呼ばれる水飲み場です。

  • 実際に水が流れています。

    実際に水が流れています。

  • 思っていたよりも、多くの観光客が訪問していました。

    思っていたよりも、多くの観光客が訪問していました。

  • 銅製の食器を扱っている店もありました。<br /><br />

    銅製の食器を扱っている店もありました。

  • 赤レンガの家並みは、なにか中近東の趣きがします。

    赤レンガの家並みは、なにか中近東の趣きがします。

  • ラテン橋です。1914年のサラエヴォ事件の現場となった所です。

    ラテン橋です。1914年のサラエヴォ事件の現場となった所です。

  • ドイツ語で声をかけてきたおじさんです。「ドイツ語できるか?」と言うので、「でけん!!」と言うと手を振って去っていきました^^<br />この後は、スナイパー通りやセルビア人地区を散策します。<br />http://4travel.jp/traveler/satorumo/album/10496438/

    ドイツ語で声をかけてきたおじさんです。「ドイツ語できるか?」と言うので、「でけん!!」と言うと手を振って去っていきました^^
    この後は、スナイパー通りやセルビア人地区を散策します。
    http://4travel.jp/traveler/satorumo/album/10496438/

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この旅行記へのコメント (4)

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  • Aesopさん 2011/06/07 14:00:34
    サラエボ
     スプリットからドブロブニクへ向かうバスで、プロチェを過ぎたあたりの交差点に「あっちドブロブニク、そっちサラエボ」の道路標識があり、私もそれを見て、どこか緊張感を覚えました。
     さらにそのバスはなぜかサラエボ方向に曲がって行った(時刻表にはそんな予定なかったはずですが…)ので、ちょっと先のバス停に行くんだろうとたかをくくっていたら、どんどん進んで、ついにボスニア・ヘルツェゴビナとの国境の街についてしまいました。バスを乗り間違えたはずはないし、運転手もドブロブニク行きと言っていたはずだし、と思っていたら、その街で女性を一人降ろしてUターン、無事ドブロブニクに着きました。ただし到着時刻は予定の1時間遅れ。
    いまだに私の確認不足か、運転手の気まぐれか解りません。

    たぬき2号

    たぬき2号さん からの返信 2011/06/07 23:40:39
    RE: サラエボ
    Aesop様

    こんばんは。

    海外の路線バスは、結構融通がきくので、
    事前に「国境に寄ってね」と
    乗客が頼んでいたのだろうと思います。

    Aesopさんにすれば、
    不安でいっぱいだったでしょうね。

    まあ、今はボスニアも治安は安定していますね。

    たぬき2号

  • 鯨の味噌汁さん 2010/09/04 01:03:35
    サラエボ・・・
    社会人になったばかりのころに「サラエボ五輪」がありました。
    本命といわれた黒岩ではなく、無名の北沢がメダルを取って、日本中が困惑したのをよく覚えています。

    そのあとにやってきた内戦の様子は、新聞・テレビで詳しく報じられていました。

    「スナイパー通り」・・・カメラマンも市民も一生懸命走りぬける映像がテレビで映されていたのを覚えています。

    あれから20年ほどたったのでしょうかね。
    落ち着いた街並みを写真で拝見し、自分の足でゆっくり行きたくなりました。

    たぬき2号

    たぬき2号さん からの返信 2010/09/04 18:50:49
    RE: サラエボ・・・
    鯨の味噌汁さん、こんにちは。

    サラエヴォは、長い間訪れたかった場所のひとつです。
    私の場合、オリンピックの記憶はあまりないんですが、
    その後のボスニア紛争は、非常に気になっていた出来事でした。

    サッカー好きなので、1990年のワールドカップで
    ベスト8になったユーゴスラビアがその後の各共和国の
    独立運動により、国が崩壊していった状況は
    よく覚えています。

    当時ユーゴスラビア代表監督だった
    イビチャ・オシム監督の生まれ故郷がサラエヴォ。
    ボスニア人の彼が、セルビア人が中心のユーゴスラビアの
    代表監督を勤めていたこと。
    そのセルビア人がサラエヴォを包囲し、ボスニア人を
    攻撃、何万人もの住民が亡くなったこと。
    オシムの家族は、その時もサラエヴォに残され、
    常に生命の危険があったこと。
    そのオシムが、日本代表監督になったこと・・・

    こういった経緯からサラエヴォは、
    以前から一度訪問したい街でした。

    旅行記には、重くなるのであまり表現していませんが、
    表面的には平和に見えていても、
    「民族浄化」のわだかまりは、地元民の感情として
    強く残っているように感じました。

    旧ユーゴの国々で、所属民族を尋ねることは失礼なので
    確認することは一切しませんでしたが、
    旅の途中知り合った人で、「サラエヴォに行ってきた」
    といった途端に、急に無口になったケースがありました。

    この夏、かなり考えさせられた出来事です。











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