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福山城!<br />歴史好きには一度は訪れておきたいお城の一つです。<br /><br />関ケ原の合戦の後、徳川家康の従兄弟である水野勝成が毛利氏他、西国の外様大名に対する抑えとして築城したお城です。<br />豊臣秀吉の伏見城の伏見櫓、月見櫓、伏見御殿、御湯殿、筋鉄御門、追手御門が使われており、その中のいくつかが明治の廃城令で取り壊されることはなく、空襲の被害にも遭うことなく、今でも残っていることです。<br /><br />

野球観戦のスケジュールに合わせ広島へ。⑭福山城へ。

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2026/07/15 - 2026/07/21

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nichi

nichiさん

福山城!
歴史好きには一度は訪れておきたいお城の一つです。

関ケ原の合戦の後、徳川家康の従兄弟である水野勝成が毛利氏他、西国の外様大名に対する抑えとして築城したお城です。
豊臣秀吉の伏見城の伏見櫓、月見櫓、伏見御殿、御湯殿、筋鉄御門、追手御門が使われており、その中のいくつかが明治の廃城令で取り壊されることはなく、空襲の被害にも遭うことなく、今でも残っていることです。

  • 16時過ぎて広島県立歴史博物館を出て福山城に向かいます。

    16時過ぎて広島県立歴史博物館を出て福山城に向かいます。

  • 階段を上がって行きます。<br />昼間より少し涼しくなりました。

    階段を上がって行きます。
    昼間より少し涼しくなりました。

  • 西側の、西坂口御門跡から登城します。

    西側の、西坂口御門跡から登城します。

  • 二の丸に上がってきました。

    二の丸に上がってきました。

  • この隅に神辺一番櫓がありました。<br />奥には福山駅の新幹線ホームが見えます。

    この隅に神辺一番櫓がありました。
    奥には福山駅の新幹線ホームが見えます。

  • かつて二の丸の西側には4つの櫓がありました。<br />「西側に睨みを利かせる」という福山城築城の目的を表しています。<br />明治の廃城令で取り壊されたのは残念ですね。

    かつて二の丸の西側には4つの櫓がありました。
    「西側に睨みを利かせる」という福山城築城の目的を表しています。
    明治の廃城令で取り壊されたのは残念ですね。

  • おお~<br />これが伏見櫓です。

    おお~
    これが伏見櫓です。

  • 京都伏見城・松の丸にあったものを水野勝成の福山城築城に当たって、徳川2代将軍秀忠が移築させたものです!<br /><br />元々は豊臣秀吉の伏見城松の丸の東櫓です。<br />それがココ福山で残っていることは凄いことですね~

    京都伏見城・松の丸にあったものを水野勝成の福山城築城に当たって、徳川2代将軍秀忠が移築させたものです!

    元々は豊臣秀吉の伏見城松の丸の東櫓です。
    それがココ福山で残っていることは凄いことですね~

  • 伏見城と言えば豊臣秀吉が京都に築城したお城。<br />関ヶ原の戦いの際、家康の家臣だった鳥居元忠らが伏見城を守っていましたが、西軍の宇喜多秀家、小早川秀明、大谷吉嗣らに攻め落とされました。<br />立てこもっていた徳川家の家臣らが自刃した建物の床板は、京都の養源院の天井板になっています。<br />私たちシニア夫婦も養源院に伺って、血天井を拝見しました。<br />現在も生々しい痕を拝見しました。<br /><br />そんな歴史を持つ伏見城の櫓です。<br />明治の廃城令でも壊されることはなく、空襲でも戦火を免れた奇跡の櫓です。

    伏見城と言えば豊臣秀吉が京都に築城したお城。
    関ヶ原の戦いの際、家康の家臣だった鳥居元忠らが伏見城を守っていましたが、西軍の宇喜多秀家、小早川秀明、大谷吉嗣らに攻め落とされました。
    立てこもっていた徳川家の家臣らが自刃した建物の床板は、京都の養源院の天井板になっています。
    私たちシニア夫婦も養源院に伺って、血天井を拝見しました。
    現在も生々しい痕を拝見しました。

    そんな歴史を持つ伏見城の櫓です。
    明治の廃城令でも壊されることはなく、空襲でも戦火を免れた奇跡の櫓です。

  • 伏見櫓を左に見て、奥に進みます。<br />右に筋鉄御門が見えてきました。

    伏見櫓を左に見て、奥に進みます。
    右に筋鉄御門が見えてきました。

  • 左奥には鐘櫓が見えてきました。

    左奥には鐘櫓が見えてきました。

  • この筋鉄御門は、本丸に入る正門です。<br />この門も伏見城からやってきました。<br />そして明治の廃城令で取り壊しを免れ、空襲の被害も受けることはありませんでした。<br /><br />昭和26年(1951年)の解体修理で多くの材は交換されているものの、当初の材の多くを残しているようです。

    この筋鉄御門は、本丸に入る正門です。
    この門も伏見城からやってきました。
    そして明治の廃城令で取り壊しを免れ、空襲の被害も受けることはありませんでした。

    昭和26年(1951年)の解体修理で多くの材は交換されているものの、当初の材の多くを残しているようです。

  • 来た道を振り返ります。<br />左に筋鉄御門、右に伏見櫓です。

    来た道を振り返ります。
    左に筋鉄御門、右に伏見櫓です。

  • 筋鉄御門をくぐりましょう。

    筋鉄御門をくぐりましょう。

  • 両脇の石垣も昔のままです。

    両脇の石垣も昔のままです。

  • 廃城令の際も壊されずよく残っていてくれました。

    廃城令の際も壊されずよく残っていてくれました。

  • この門を水野勝成も何度も通っていたことでしょうね。

    この門を水野勝成も何度も通っていたことでしょうね。

  • 激戦だった伏見城からやってきた筋鉄御門なんですよね~

    激戦だった伏見城からやってきた筋鉄御門なんですよね~

  • さあ本丸です。<br />ココにあった伏見御殿は、京都の伏見城から移築されたと伝えられる非常に格式高い建物だったようです。

    さあ本丸です。
    ココにあった伏見御殿は、京都の伏見城から移築されたと伝えられる非常に格式高い建物だったようです。

  • 奥には立派な天守が見えます。<br />今の天守は戦後に再建されたものです。

    奥には立派な天守が見えます。
    今の天守は戦後に再建されたものです。

  • 伏見御殿は明治時代の廃城令での取り壊しは免れることができましたが、空襲で焼けてしまいました。

    伏見御殿は明治時代の廃城令での取り壊しは免れることができましたが、空襲で焼けてしまいました。

  • こちらは御湯殿です。<br />天守の閉館時間が近いので、ココはあとで・・・

    こちらは御湯殿です。
    天守の閉館時間が近いので、ココはあとで・・・

  • さあ福山城天守です。<br />戦後に再建された天守です。

    さあ福山城天守です。
    戦後に再建された天守です。

  • 本丸にあるこの松、どの方向から見ても形が美しいとされる「八方にらみの松」が植えられています。<br />かつて福山藩主であり、寺社奉行や老中を務め、福山の藩校弘道館を創設した阿部家第4代藩主阿部正倫ゆかりの松として大切に守られてきた貴重な松なんですね。<br /><br />福山城の歴史を見守り続けた松なのです。

    本丸にあるこの松、どの方向から見ても形が美しいとされる「八方にらみの松」が植えられています。
    かつて福山藩主であり、寺社奉行や老中を務め、福山の藩校弘道館を創設した阿部家第4代藩主阿部正倫ゆかりの松として大切に守られてきた貴重な松なんですね。

    福山城の歴史を見守り続けた松なのです。

  • さあ天守へ。<br />再建された建物とはいえ、間近に見るとアガリます。

    さあ天守へ。
    再建された建物とはいえ、間近に見るとアガリます。

  • 天守の中へ。<br /><br />500円×2名<br />中は撮影禁止。<br /><br />福山城について、古地図と今の地図との比較が面白かったです。<br />そして歴代藩主であった、水野家、松平家、阿部家について色々知ることができました。<br />特に日本開国を実現した阿部正弘と阿部家については、初めて知ることが多かったです。<br />福山は日本にとって優秀な人材を輩出していたのですね~

    天守の中へ。

    500円×2名
    中は撮影禁止。

    福山城について、古地図と今の地図との比較が面白かったです。
    そして歴代藩主であった、水野家、松平家、阿部家について色々知ることができました。
    特に日本開国を実現した阿部正弘と阿部家については、初めて知ることが多かったです。
    福山は日本にとって優秀な人材を輩出していたのですね~

  • 最上階に上がってきました。<br />そこにあったのは、水野勝成の鎧兜のレプリカです。<br />ここはフォトスポット。

    最上階に上がってきました。
    そこにあったのは、水野勝成の鎧兜のレプリカです。
    ここはフォトスポット。

  • 外に出てみました。<br />南西方面の景色です。<br />下に鏡櫓と月見櫓が見えます。<br />奥には新幹線の福山駅が見えます。<br />広島を代表する百貨店、天満屋も見えます。

    外に出てみました。
    南西方面の景色です。
    下に鏡櫓と月見櫓が見えます。
    奥には新幹線の福山駅が見えます。
    広島を代表する百貨店、天満屋も見えます。

  • 鏡櫓と月見櫓をアップで!

    鏡櫓と月見櫓をアップで!

  • 南東方面の景色です。<br />本丸の奥に伏見櫓、その左に筋鉄御門、右に鐘櫓が見えます。

    南東方面の景色です。
    本丸の奥に伏見櫓、その左に筋鉄御門、右に鐘櫓が見えます。

  • 伏見櫓をアップで!

    伏見櫓をアップで!

  • これは鐘櫓。

    これは鐘櫓。

  • 奥には新幹線の福山駅。<br />ちょうど新幹線が通過しています。

    奥には新幹線の福山駅。
    ちょうど新幹線が通過しています。

  • 此方は北側の景色です。<br />昨日、祇園祭のけんか神輿をみにいった戸手はこの左奥ですね。

    此方は北側の景色です。
    昨日、祇園祭のけんか神輿をみにいった戸手はこの左奥ですね。

  • 東側の景色です。<br />奥は岡山県の笠岡市方面です。

    東側の景色です。
    奥は岡山県の笠岡市方面です。

  • 北側には城内の施設である福寿会感が見えます。

    北側には城内の施設である福寿会感が見えます。

  • 福山市内を一望にすることができます。

    福山市内を一望にすることができます。

  • いいお天気で良かった。

    いいお天気で良かった。

  • この先には毛利元就の八男毛利元康が城主だった神辺城があるはずです。<br />あの奥の小山の上かな~?<br />福山城の築城時、この神辺城の一番櫓が移築されています。

    この先には毛利元就の八男毛利元康が城主だった神辺城があるはずです。
    あの奥の小山の上かな~?
    福山城の築城時、この神辺城の一番櫓が移築されています。

  • このすぐ奥は岡山県笠岡市です。

    このすぐ奥は岡山県笠岡市です。

  • 天守最上階をグルっと楽しみました。

    天守最上階をグルっと楽しみました。

  • 閉館まで天守の中の展示を拝見しました。<br />外に出て昭和になって復元された福山城を見上げます。<br />石垣は以前のものが多いようです。

    閉館まで天守の中の展示を拝見しました。
    外に出て昭和になって復元された福山城を見上げます。
    石垣は以前のものが多いようです。

  • 本丸の天守周辺をプラプラしてみます。

    本丸の天守周辺をプラプラしてみます。

  • 北側に廻ると、白い天守が黒くなります。<br />福山城天守の北側壁面には最上階を除いて鉄板が張られていました。<br />天守が城郭内の北側に寄っているため、外部から直接天守が攻撃されることへの備えだったようです。<br />この鉄板、幅11?3cm、長さ130cmを基本とする縦長の板を横に並べ、上下に重ねる「羽重ね」という留め方で取り付けてあったようです。<br />平成になって復元されました。

    北側に廻ると、白い天守が黒くなります。
    福山城天守の北側壁面には最上階を除いて鉄板が張られていました。
    天守が城郭内の北側に寄っているため、外部から直接天守が攻撃されることへの備えだったようです。
    この鉄板、幅11?3cm、長さ130cmを基本とする縦長の板を横に並べ、上下に重ねる「羽重ね」という留め方で取り付けてあったようです。
    平成になって復元されました。

  • これは面白いですね~

    これは面白いですね~

  • 天守の廻りをグルっと廻ってみました。<br />こちら側は天守の東側です。

    天守の廻りをグルっと廻ってみました。
    こちら側は天守の東側です。

  • こちらは鏡櫓です。<br />明治の廃城令で取り壊されましたが、昭和に復元されています。<br />今は福山藩に関する古文書の収集・展示する文書館です。<br />もう時間が遅く閉館していました。

    こちらは鏡櫓です。
    明治の廃城令で取り壊されましたが、昭和に復元されています。
    今は福山藩に関する古文書の収集・展示する文書館です。
    もう時間が遅く閉館していました。

  • 今朝、駅前から撮った写真ですが、右側が鏡櫓です。

    今朝、駅前から撮った写真ですが、右側が鏡櫓です。

  • 鏡櫓の前から筋鉄門が見えます。

    鏡櫓の前から筋鉄門が見えます。

  • 月見櫓までやってきました。<br />この建物は元々は伏見城から移築された建物でした。<br />しかし明治の廃城令の際に取り壊され、昭和に再建されている建物です。

    月見櫓までやってきました。
    この建物は元々は伏見城から移築された建物でした。
    しかし明治の廃城令の際に取り壊され、昭和に再建されている建物です。

  • 隣は御湯殿です。<br /><br />その名の通り、藩主が使用するための風呂場です。<br />風呂と言っても蒸し風呂で、今でいうサウナです。<br />本丸御殿と廊下続きだったようです。<br /><br />廃城令での取り壊しは免れましたが、空襲で焼失しました。<br />昭和に再建された建物です。

    隣は御湯殿です。

    その名の通り、藩主が使用するための風呂場です。
    風呂と言っても蒸し風呂で、今でいうサウナです。
    本丸御殿と廊下続きだったようです。

    廃城令での取り壊しは免れましたが、空襲で焼失しました。
    昭和に再建された建物です。

  • 御湯殿の門の家紋が桐?<br />豊臣?<br />葵の御紋でないのはなぜ?<br /><br />AIに聞いてみたら、昭和の再建の際の資料不足?

    御湯殿の門の家紋が桐?
    豊臣?
    葵の御紋でないのはなぜ?

    AIに聞いてみたら、昭和の再建の際の資料不足?

  • 御湯殿の前から本丸奥の天守を眺めます。

    御湯殿の前から本丸奥の天守を眺めます。

  • 冠木門から本丸を降ります。

    冠木門から本丸を降ります。

  • 振り返ると松越しに鏡櫓。

    振り返ると松越しに鏡櫓。

  • 上には天守が見えます。

    上には天守が見えます。

  • 真っすぐ降りて行きます。<br />東坂三階櫓という櫓があった所です。

    真っすぐ降りて行きます。
    東坂三階櫓という櫓があった所です。

  • だいぶ降りてきました。

    だいぶ降りてきました。

  • ココから見上げる天守。<br />再建された天守ではありますが素敵ですね。

    ココから見上げる天守。
    再建された天守ではありますが素敵ですね。

  • さらに下りて、

    さらに下りて、

  • ここは東揚楯御門跡です。<br />二之丸東側に設けられていた厳重な櫓門です。

    ここは東揚楯御門跡です。
    二之丸東側に設けられていた厳重な櫓門です。

  • ココから見上げる天守は逆光。

    ココから見上げる天守は逆光。

  • 下まで降りて来て案合図を見て色々確認。

    下まで降りて来て案合図を見て色々確認。

  • 石垣について説明書きがありました。<br />空襲の炎で焼けた石垣???

    石垣について説明書きがありました。
    空襲の炎で焼けた石垣???

  • 空襲による火災で高温の激しい炎に長時間さらされたため、石垣の石は赤く変色し、鋭角だった石は丸くなったそうです。

    空襲による火災で高温の激しい炎に長時間さらされたため、石垣の石は赤く変色し、鋭角だった石は丸くなったそうです。

  • シニア夫婦は福山城をあとにしました。

    シニア夫婦は福山城をあとにしました。

  • 暑さにやられたシニア夫婦は、コメダ珈琲に避難。<br />ここで身体を冷やします。

    暑さにやられたシニア夫婦は、コメダ珈琲に避難。
    ここで身体を冷やします。

  • 私はアイスコーヒー

    私はアイスコーヒー

  • 相方はコーヒーフロート。

    相方はコーヒーフロート。

  • 身体を冷やしてから、予約していたこのお店へ。<br />「鞆の浦」さんへ。

    身体を冷やしてから、予約していたこのお店へ。
    「鞆の浦」さんへ。

  • シニア夫婦は、17時50分に来てしまいました。<br /><br />相方「すみませ~ん。18時予約のnichiですが・・・」<br />着物姿のスタッフ「nichi様、いらっしゃいませ。お待ちしておりました。」<br />奥に案内されました。

    シニア夫婦は、17時50分に来てしまいました。

    相方「すみませ~ん。18時予約のnichiですが・・・」
    着物姿のスタッフ「nichi様、いらっしゃいませ。お待ちしておりました。」
    奥に案内されました。

  • オーダーしたのは、福山の郷土料理である<br />「鯛うずみ」<br /><br />「うずみ」とは、江戸時代の倹約政治で贅沢が禁止された際、具をご飯の下に埋めて質素に見せかけたことが由来とされる福山の郷土料理です。

    オーダーしたのは、福山の郷土料理である
    「鯛うずみ」

    「うずみ」とは、江戸時代の倹約政治で贅沢が禁止された際、具をご飯の下に埋めて質素に見せかけたことが由来とされる福山の郷土料理です。

  • コースターがおっしゃれ~~

    コースターがおっしゃれ~~

  • 期待して待ちます。

    期待して待ちます。

  • それぞれに鍋が出て来て火が点きました。

    それぞれに鍋が出て来て火が点きました。

  • まだ煮えない~

    まだ煮えない~

  • ド~ンとやってきた!

    ド~ンとやってきた!

  • 具材がご飯に隠れてないぞ~?<br />ド~ンと載ってます。<br />現代版のうずみ??

    具材がご飯に隠れてないぞ~?
    ド~ンと載ってます。
    現代版のうずみ??

  • 特別純米鞆の浦<br />2合オーダーしました。

    特別純米鞆の浦
    2合オーダーしました。

  • シニア夫婦は乾杯!

    シニア夫婦は乾杯!

  • 煮えろよ煮えろ~

    煮えろよ煮えろ~

  • 煮えた!<br /><br />旨い!!<br />美味!!

    煮えた!

    旨い!!
    美味!!

  • 海老天<br />キス天<br />帆立<br />玉子焼き<br />鯛焼<br />がんもどき<br />大根<br />里芋<br />しめじ<br />ほうれん草<br /><br />がご飯の上に載ってます。<br />そこに出汁を掛けて、

    海老天
    キス天
    帆立
    玉子焼き
    鯛焼
    がんもどき
    大根
    里芋
    しめじ
    ほうれん草

    がご飯の上に載ってます。
    そこに出汁を掛けて、

  • これらの薬味もかけて戴きました。<br />美味しかったな~<br /><br />ご馳走様でした!

    これらの薬味もかけて戴きました。
    美味しかったな~

    ご馳走様でした!

  • そしてシニア夫婦は福山の大衆食堂へ!<br />JR高架下にある、安べゑさんです。<br /><br />店内、めっちゃ混んでます。<br />何とか2名、入れました。

    そしてシニア夫婦は福山の大衆食堂へ!
    JR高架下にある、安べゑさんです。

    店内、めっちゃ混んでます。
    何とか2名、入れました。

  • 何飲む~?

    何飲む~?

  • 私は、みぞれレモンサワー<br />相方は、塩みかんレモンサワー<br />をオーダー

    私は、みぞれレモンサワー
    相方は、塩みかんレモンサワー
    をオーダー

  • スタッフに「鯵のたたき一口大葉飯がお勧めです!」<br />と言われた相方は、「それ一つお願いします。」<br /><br />え~~?<br />まだ食べるの?

    スタッフに「鯵のたたき一口大葉飯がお勧めです!」
    と言われた相方は、「それ一つお願いします。」

    え~~?
    まだ食べるの?

  • 地元広島産のカキフライ。

    地元広島産のカキフライ。

  • もろこし焼。

    もろこし焼。

  • この後、シニア夫婦は緑茶杯を飲み続けました。<br />「今日は暑かったね~」<br />と何度言ったことか・・・<br /><br />つづく

    この後、シニア夫婦は緑茶杯を飲み続けました。
    「今日は暑かったね~」
    と何度言ったことか・・・

    つづく

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