2008/04/29 - 2008/04/29
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jijidarumaさん
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Straubingシュトラウビングの町で多分一番の有名人は、魔女として処刑されたAgnes Bernauerアグネス・ベルナウアー(1410年頃 - 1435年)かもしれない。
アウクスブルク出身のアグネス・ベルナウアーは理髪屋の娘、美しい彼女は別名“アウクスブルクの天使”と呼ばれた。
・・・・・
彼女の【身分違い(貴賤結婚)の相思相愛】については、後述するが、
本編を書きだすうえで、実に驚いたことがある。
先の旅行記本文でも書きましたように、シュトラウビングの町は「ほとんど日本人観光客には無縁の地」と思っていました。
多分、シュトラウビングの町にとっても、ローマ軍団はもう古すぎるようで、ローマのKastell城砦の復元もせず、ローマ軍団の行進(祭り)といった各地で観光策としてやるようなこともやっていないようです。
そうした町にもかかわらず、時にコメントを頂戴する偏西風さんは、何かでアグネスさんの事をお知りになって、シュトラウビングの町(聖ペトロ教会にあるアグネス礼拝堂まで)をわざわざお訪ねになったとか、ほんとに驚きました。
ドイツ好きでも、この挿話を知る方は、まず偏西風さんしかいないと思いましたね。
ともかくにも、この町は悲運の女性に優しく、『Agnes-Bernauer-Festspieleアグネス・ベルナウアー祭り』を行って、思いを共にしているようです。
参考写真:Agnes_Bernauerアグネス・ベルナウアーの美しい肖像画・・・16世紀に描かれた肖像画を18世紀にアウクスブルクの画家が匿名で模写したものと云う。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
さて、初めに*Morganatische Ehe貴賤結婚(きせんけっこん)について実例で説明しておきたい。
*Morganatische Ehe貴賤結婚(きせんけっこん)は、配偶者同士の間で、所属する社会的・経済的階層ないし法的身分という観点から見た場合、大きく上下の隔たりが存在する婚姻の形態である。特に彼らが属する社会において、一般に対等だと認められないため、君主国における夫婦の間に出生する子供には、王位継承権を認めないといったペナルティが科せられる。
ドイツの実例を見ると、16世紀頃からその例が記録として多くみられ、驚くほどである。
ドイツの名門 Haus Habsburgパプスブルク家の実例では、1557年に貴賤結婚した Erzherzog Ferdinand II. von Österreich-Tirol とdie Augsburger Patriziertochter Philippine Welserオーストリア・チロルのフェルディナント2世大公とアウクスブルクの名士の娘フィリピーネ・ヴェルザーの例が上がっている。
参考写真:アグネス・ベルナウアーの事件が起こった、2008.04.29.Straubingシュトラウビングの町のMap -
番外編:
孤独なゾフィー・シャルロッテ・フォン・オルデンブルク
https://4travel.jp/travelogue/11540880
この編は珍しいことに、プロイセンPrinz_Eitel_Friedrich_von_ Preußenアイテル・フリードリヒ王子とオルデンブルク大公家のゾフィー・シャルロッテが結婚し、後にゾフィー・シャルロッテは離婚した翌年の1927年、ポツダムの元警察官(騎兵)Harald von Hedemannハーラルト・フォン・ヘーデマンと再婚した。
彼女はすでに48歳になっており、新しい夫は8歳年下の40歳だった。
ヘーデマンとの結婚は、珍しいことに妻が(貴)であったが、これも「貴賤結婚」に該当する。
シャルロッテの結婚式はオルデンブルク大公家の持ち城の一つラシュテーデ城で行われ、式にはゾフィー・シャルロッテの父・元大公も出席したと云う。
参考写真:2019.09.20.Rastedeラシュテーデ:Sophie_Charlotte_von_Oldenburgオルデンブルク大公家のゾフィー・シャルロッテ -
【魔女裁判で、身分違い(貴賤結婚)の相思相愛は悲劇の幕あけとなった。】
≪Agnes-Bernauer-Affäreアグネス・ベルナウアーの事件≫
ドイツ語ではAffäreアフェア―(事件)という言葉で表現している。
確かに魔女裁判の結果として、強制した水死の形をとっているが、まぎれもない殺人事件であろう。
Agnes Bernauerアグネス・ベルナウアー(*1410年頃、アウクスブルク~1435年10月12日シュトラウビング)は、 Albrecht アルブレヒト(公爵の御曹司、1401~1460年)が見初めた、若く、魅力的な女性であり、秘密の婚姻(1429年)により、初めての妻として認められていた。
(尚、1428年2月にアルブレヒトが、アウクスブルクでTurnierトーナメント(馬上試合)に参加したことから、彼がこの機会にアグネスと出会い、見初めて、その後すぐにミュンヘンに呼び寄せたと考えられている)
アルブレヒトは後にバイエルン公となる王位継承者でした。この身分違い(片や王位継承者であり、相手は市民である理髪屋の娘という身分不相応な関係)により、彼は父であるHerzog Ernst von Bayern-Münchenバイエルン・ミュンヘン公爵エルンストから結婚を反対され、秘密の婚姻をしたことに怒りをかい、父子対立になってしまった。
エルンストはやむなく、アルブレヒトの留守中をねらって、策略をめぐらし、魔女裁判でアグネスを魔女と認定させ、1435年10月12日に多くの観衆の目前で、アグネスを橋からドナウ川に投げ落とし、溺れさせてしまった。
アグネスの死後、彼女の遺体はシュトラウビングにあるSt.Peter聖ペテロ教会内に葬られた。
現在のAgnes-Bernauer-Kapelleアグネス・ベルナウアー礼拝堂である。
その後、 Albrechtアルブレヒトは父と和解し、翌1436年にはAnna von Braunschweig-Grubenhagenブラウンシュヴァイク・グルーベンハーゲン家のアンナ (1414年~1474年)と結婚することとなった。
参考写真:アグネス・ベルナウアの肖像-ビンテージドイツのトレードカード! -
さて、この物語の登場人物は
Ernst von Bayern-Münchenバイエルン・ミュンヘン公エルンスト、
その子で後にバイエルン公となる Herzog Albrecht III. アルブレヒト3世、
そして、アルブレヒトが見初めて、愛したAgnes Bernauerアグネス・ベルナウアーである。
実際に事件が起こった日は1435年10月12日(日本では室町時代・永享七年)として記録され、何百年後の世の人達は・・・【魔女裁判で、身分違い(貴賤結婚)の相思相愛は悲劇の幕あけとなった】・・・アグネスの悲運を嘆き、このことを美しい詩に書き、劇に作り、あるいは現代の有名な俳優を出演させて映画まで作り、上映しているのだ。
「Leben und Sterben der Agnes Bernauerアグネス・ベルナウアーの生涯と死」は、多くの文学作品で描かれている。
最も有名なのは、ドイツの劇作家、詩人、小説家Friedrich Hebbelフリードリヒ・ヘッベル(1813年~1863年)のTrauerspiel 悲劇『 Agnes Bernauer アグネス・ベルナウアー(1855年、戯曲)』や、
ドイツの作曲家Carl Orffカール・オルフ(1895年~1982年)の『Die Bernauerinベルナウアーの女(1947年、オペラ:Welttheater世界劇と自称した)』です。
また、シュトラウビングでは、4年ごとに「Agnes-Bernauer-Festspieleアグネス・ベルナウアー祭」が開催され、公爵家の城の中庭でアマチュア俳優たちがこの物語を演じると云う。
参考写真:Straubingシュトラウビングに残る、Agnes_Bernauer-Tod処刑されるアグネス・ベルナウアー(1880年制作の木版画)・・・橋からドナウ川に落とされる光景 -
参考写真:「Sturz_Agnes_Bernauer転落!?アグネス・ベルナウアー」と題した古い絵が残る。・・・転落ではなく、処刑されるアグネス・ベルナウアーは橋からドナウ川に落とされる光景である。
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参考写真:Der Innenhof des Herzogsschlosses公爵家の城の中庭・・・ここでアグネス祭が4年ごとに上演される。
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参考写真:公爵家の城(宮殿)とアグネス・ベルナウアーが処刑された当時のドナウに架かる橋・・・現在は広い鉄橋に変わり、アグネス・ベルナウアー橋と称されている。
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参考写真:2008.04.29.Straubing・Vogelperspektiveシュトラウビングの町の俯瞰・・・公爵家の城(宮殿)が右手にたち、その左手前にアグネス・ベルナウアーが処刑されたドナウに架かる橋・・・現在の立派な鉄橋、つまりアグネス・ベルナウアー橋が見える。
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イチオシ
参考写真:Agnes_Bernauerアグネス・ベルナウアーの美しい肖像画・・・16世紀に描かれた彼女の肖像画を、18世紀にアウクスブルクの画家が匿名で模写したものと伝えられている。
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参考写真:アグネス・ベルナウアーを見初めたAlbrechtIIIアルブレヒト3世
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アグネス・ベルナウアーはこの悲劇的な最期により、バイエルンでは“悲劇のヒロイン”として後世に広く語り継がれ、多くの戯曲・音楽等の題材とされてきた。
中でもFriedrich Hebbelフリードリヒ・ヘッベルの戯曲「 Agnes Bernauer - Ein deutsches Trauerspiel in fünf Aufzügen, Drama, 1855「アグネス・ベルナウアー ・・・ 5幕のドイツ悲劇、ドラマ、1855年」が有名である。
参考写真:Friedrich Hebbelフリードリヒ・ヘッベルの戯曲「 Agnes Bernauer 」本の表紙 -
参考写真:Friedrich Hebbelフリードリヒ・ヘッベルの戯曲「 Agnes Bernauer 」の最近発行された本と思われる現代風な表紙。
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イチオシ
アルブレヒトとアグネスが人目を避けて、隠れ住んだと云う古城(水城)がミュンヘンにある。
バイエルン選帝侯の夏の宮殿だった、有名なSchloss Nymphenburgニンフェンブルク宮殿からほぼ真西にあり、距離も近い(距離は約5km、徒歩で1時間)。
【 アルブレヒト3世が隠れ家的宮殿に改装したWasserschloss Blutenburgブルーテンブルクの水城】
住所:Seldweg 15, 81247 München
URL:blutenburg.de
ブルーテンブルクの水城は、ミュンヘンのWürmヴルム川の2つの流れの間に位置する13世紀初めごろに築かれたと推定されている。
もともとはバイエルン公の狩猟の館であり、堀に囲まれた水城は静かで木々に囲まれた風光明媚な景観の中にある。美しい塔とピラミッド型の屋根の門が重々しく立ち、城内にはゴシック様式の宮殿礼拝堂もある。
現在はレストラン(テラス席も)や、ドイツの作家に関する博物館、新たに設けられた「ミュンヘン国際児童図書館」として改修され、蔵書3万冊以上を誇る専門図書館として運営されている。
参考写真:Wasserschloss Blutenburgブルーテンブルクの水城の俯瞰 -
当時の水城は4つの城塔と水濠で構成されていたと思われるが、1422年のアリングの戦いで破壊ないし荒廃していたらしい。
Ernst von Bayern-Münchenバイエルン・ミュンヘン公エルンストの子で後にバイエルン公となる Herzog Albrecht III. アルブレヒト3世が、水城を1431年から40年にかけて、隠れ家的な宮殿として改修工事を進めていた。
相思相愛のアルブレヒトとアグネスの二人が隠れ住む宮殿にふさわしい、美しく、こぢんまりした城である。
前述したように、アルブレヒト3世は、許嫁!(ヴュルテンベルク伯エーバーハルト3世の娘エリーザベト)と婚約していたがいたにも関わらず、自らが見初めたBaderstochter理髪屋の娘アグネス・ベルナウアーと秘密裏に結婚して、水城内に住まわせた。
これを知って、激怒した父エルンストは、1435年にアグネスを魔女裁判にかけ、ドナウ川から突き落として殺害した。
つまり、この水城は魔女裁判のきっかけになったわけだ。
アルブレヒトは二人目の妻アンナと、この水城に住んだと云う。
ブルーテンブルクの水城は1508年からは狩猟館として利用され、1676年、アントン・フォン・ベルヒェム男爵が荒廃しきった城を購入し、大規模な修築を施した。1702年にアントンが没すると、遺領はバイエルン選帝侯マクシミリアン2世エマヌエルが相続し、マクシミリアン2世の妻テレーゼ・クニグンデが死ぬまで居住していたそうだ。
第二次世界大戦後にはほとんど廃墟となったとされる。
1980~83年には「 Die Internationale Jugendbibliothek ミュンヘン国際児童図書館」として改修工事が行われ、今のような美しい水城に変わった。
ついでに言えば、バイエルン選帝侯の夏の宮殿だった、有名なSchloss Nymphenburgニンフェンブルク城からほぼ真西(距離約5km)にあった。1663年にKurfürstin Henriette Adelaideヘンリエッテ・アデライデ選帝侯夫人はブルーテンブルクの狩猟地への関心は薄れ、宮廷の活動はニンフェンブルク宮殿に移っていった。
Schloss Nymphenburg
80638 München
尚、参考に付け加えると、
ミュンヘンの旧市街にあるResidenz Münchenレジデンツ・ミュンヘンから、ニンフェンブルク宮殿は距離訳6.5km、徒歩1時間半である。
Residenzstraße 1, 80333 München
参考写真:ブルーテンブルクの水城の俯瞰 -
写真:シュトラウビングを訪問する4年前に、2004.05.01.ミュンヘン・ニンフェンブルク宮殿と庭園、美人画ギャラリーなど見学した。
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「Blutブルート」を直訳すれば「血」という意味だけに、 Blutenburgブルーテンブルクは<血の城>ともいえる。
この珍しい、呪わしい名が何故付けられたか?よく分からないらしいが、アグネス事件の惨劇を思うと、実に怖い話だ。
一説に古バイエルン語で経済的困窮に陥るという意の「blueten」が語源で、アルブレヒト3世およびジギスムントが城普請に多額の費用をかけたことに因むといわれている。
ただ、城主が自分たちへの批判ともいえる名を付けるはずがないだろうに・・・。
美しい水城の名が大いに違和感が残ったまま、現代に至っているのも不思議なことだ。
参考写真:ブルーテンブルクの水城の城門 -
2013年、彫刻家Joseph Michael Neustifterヨーゼフ・ミヒャエル・ノイシュティフターは、Ursula und Fritz Heimbüchlerウルズラとフリッツ・ハイムビュックラー夫妻(ルーマニア出身の切手収集家らしい!)の依頼でブルーテンブルク城の前庭に、愛するベルナウアー女性の記念碑を建てた。
これに『Ein Denkmal für die Liebe愛の記念碑』というタイトルをつけた。
それはアルブレヒト3世公と理髪店の娘アグネス・ベルナウアーの悲恋への追悼(ついとう)としたのだと云う。
参考写真:誠に現代風な『Ein Denkmal für die Liebe愛の記念碑』 -
参考写真:記念碑が建てられてから、もう13年が経ってしまった。この『愛の記念碑』の下部に追悼文も書かれた。
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シュトラウビングでは、4年ごとに『Agnes-Bernauer-Festspieleアグネス・ベルナウアー祭』が開催され、公爵家の城のInnenhof中庭でアマチュア俳優たちがこの物語を演じると云う。
参考写真:Agnes-Bernauer-Festspieleアグネス・ベルナウアー祭(アグネス事件の起きた年である1435年から1935年、アグネス没後500年記念) -
イチオシ
シュトラウビングの町で多分一番の有名人は魔女として処刑されたAgnes Bernauer アグネス・ベルナウアー(1410年頃 - 1435年10月12日)かもしれない。
1935年、アグネス没後500年記念した際に、主役を演じた二人の写真も残る。
参考写真:Straubing-Herzog-AlbrechtIII_Agnes-Bernauer-Festspielverein1935年(アグネス没後500年記念) -
参考写真:ドナウ川の川畔にたつHerzogSchloss_Straubingシュトラウビングの公爵家の宮殿・・・ラインの守護聖人・聖クリストファーがキリストを背負って川を渡る場面が壁画(左手の壁面)に描かれている。
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参考写真:Straubing Das Herzogspaar der Agnes-Bernauer-Festspiele 2019年の主役たち
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2年前のアグネス・ベルナウアー祭は2024年6月21日から7月21日まで、公爵家の城の中庭で、約200人のアマチュア俳優と参加者が、新たな演出でアグネス・ベルナウアー(1410年頃 ~1435年10月12日)とアルブレヒト3世公爵(1401年3月27日~1460年2月29日)のドラマを上演したと云う。
2万人以上の観客を魅了する、バイエルンで最大級の野外劇のひとつ、アグネス・ベルナウアー祭にぜひ足を運んでみてください!と、書かれていた。
次の機会は2028年に予定されている。
参考写真:Straubing Plakat_Agnes-Bernauer-Festspiele_2007年(上演期間は1ケ月)の祭りのポスターだろう。 -
シュトラウビングの人々にとっては演劇を通して、記憶に残る町の歴史を懐かしく振り返り、再認識する機会になっているようです。
それはLiebe, Leidenschaft und Tod愛、情熱、そして死の話であり、Vertrauen,
Macht und Politik信頼、権力、政治といったことでしょう。
Um die allumfassende Frage ?Was ist wichtiger ? die große Liebe oder das große Ganze?“
全体を貫く問いは「大きな愛と大きな全体、どちらが大事なのか?」なのだと。
参考写真:Straubing-Herzog-AlbrechtIII_Agnes-Bernauer-Festspielverein 2024年の主役たちです。 -
【映画:Les Amours célèbres素晴らしき恋人たち】
1961年制作のフランスのオムニバス映画『素晴らしき恋人たち』(原題:Les Amours célèbres、ミシェル・ボワロン監督)がある。
第4話「アニェス」はAgnes-Bernauerアグネス・ベルナウアーをモチーフに描いたもので、 Brigitte Bardotブリジット・バルドーが彼女をモデルにしたヒロイン・Agnèsアニェス(アグネスのフランス語読み)を演じた。相手役のAlbertアルベール(アルブレヒトがモデル)は Alain Delonアラン・ドロンである。
参考写真:映画「Les Amours célèbres素晴らしき恋人たち」の第四話「Agnèsアニェス」 -
参考写真:映画「Les Amours célèbres素晴らしき恋人たち」・・・ヒロイン・Agnèsアニェス(アグネスのフランス語読み)をBrigitte Bardotブリジット・バルドーが演じ、相手役のAlbertアルベール(アルブレヒトがモデル)は Alain Delonアラン・ドロンである。二人とも美男美女、若々しい。
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『素晴らしき恋人たち』(Les Amours célèbres)は1961年のフランスの映画。有名なラブ・ロマンス物語から4つをとり上げ、映画化したオムニバス作となっている。
第一話Lauzun
* ローザン公:ジャン=ポール・ベルモンド
* モナコ公夫人:ダニー・ロバン
* ルイ14世:フィリップ・ノワレ
第二話Jenny de Lacour
* ジェニー:シモーヌ・シニョレ
* ルネ・ド・ラ・ローシェ:ピエール・ヴァネック
第三話Les Comédiennes
* デュシェーヌ:アニー・ジラルド
* ロークール:エドウイジ・フィエール
* ジョルジュ:マリー・ラフォレ
第四話Agnès Bernauer
* アルベール:アラン・ドロン
* 平民の娘:ブリジット・バルドー
* トリンク:ジャン・クロード・ブリアリ
*Amours célèbres ? avec Brigitte Bardot et Alain Delon (1961)
* Amours célèbres ? avec Brigitte Bardot et Alain Delon (1961) - YouTube
参考写真:映画「Les Amours célèbres素晴らしき恋人たち」の第四話「Agnèsアニェス」
他の三つの話はどのようなものかは分からないが、アグネスの悲恋は欧州全体でもその位置を保っているようだ。 -
ドナウ川の南岸に面した、旧市街から東に約1キロにある。
聖ピーター教会は、かつてその地域の教区教会でした。
この教会は12世紀末に建てられたロマネスク様式のバシリカです。
古い樹木が立ち並ぶ墓地の中にあり、環状の塀に囲まれていて、14世紀から19世紀にかけての3つの後期ゴシック礼拝堂や多数の墓碑が残っていると云う。
参考写真:Straubing_st._peter_mit_historischer_friedhofsanlageシュトラウビング・聖ペーター教会と歴史的な墓地の俯瞰 -
この教会は要塞化された墓地の一部として、バイエルン州の保護建築物に指定されている。
参考写真:St_Peter_Straubing_West -
イチオシ
アグネスの死後、彼女の遺体はシュトラウビングにあるSt.Peter聖ペテロ教会内に葬られた。
アグネス・ベルナウアー礼拝堂は1436年に建てられ、1435年に処刑されたバイエルン・ミュンヘン公アルブレヒト3世の愛しい人の墓として使われました。
現在のAgnes-Bernauer-Kapelleアグネス・ベルナウアー礼拝堂である。
参考写真:Holzstich_Bernauerkapelle初期の木造のアグネス礼拝堂 -
参考写真:Am Eingang zur Vohburg Ein weiteres Agnes-Bernauer-Denkmalフォーフブルクの入口に、もうひとつのアグネス・ベルナウアー記念碑がある。
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参考写真:Agnes_Bernauer_Kapelleアグネス・ベルナウアー礼拝堂の聖壇
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アグネス・ベルナウアーのオリジナルの墓石である。
現在は礼拝堂の壁に立てかけられているが、当時はおそらく地面に埋められていたものだろう。
よく見ると、彼女の指に二つの指輪が見え、左右の二匹の犬は、おそらく忠誠心の象徴として、描かれているようだ。
参考写真:アグネス・ベルナウアー礼拝堂内にあるアグネスの墓石 -
参考写真:アグネスの墓石(拡大)は赤石大理石で作られた。
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参考写真:Agnes_Bernauer_Bildnis_in_Kapelleアグネス・ベルナウアー礼拝堂内にあるアグネスの肖像画!
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参考写真:こちらの頁にもアグネスの肖像画が!
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古い樹木が立ち並ぶ墓地、14世紀から19世紀にかけての3つの後期ゴシック礼拝堂や多数の墓碑が残っていると云う。
参考写真:Straubing_st._peter_mit_historischer_friedhofsanlage1シュトラウビング・聖ペーター教会と歴史的な墓地 -
参考写真:シュトラウビング・聖ペーター教会と歴史的な墓地にはこうした表示が壁に掲示されている。
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<シュトラウビングの家壁の画>:
左がアグネス・ベルナウアー、右がアルブレヒト3世。
下にはドナウ橋での処刑が描かれている。アグネスは十字架を持ち、鉄鎖のようなもので全身を巻かれている。
橋には、左にアウクスブルク(アグネスの出身地)の紋章、右にシュトラウビング(処刑の地)の紋章がかかっているのが象徴的だ。
アグネスの側には絡み合ったAの文字(処刑の年1435年とアグネスのA、アルブレヒトのAのデザインが窓枠の上に見られる)、バラ、ハート、犬が描かれ、
アルブレヒト公の側にはトーナメント(馬上試合)用ヘルメットと剣、バイエルンのダイヤ模様の盾(紋章)が描かれている。
参考写真:Wandmalerei in Straubingシュトラウビングの家壁の画・・・アグネスとアルブレヒトの悲恋をテーマにした場面が見られる。 -
また、「Agnes Bernauer Torteアグネス・ベルナウアー トルテ」というアグネスの名を冠したケーキも作られている。
Die Straubinger Agnes-Bernauer-Torteシュトラウビンガーのアグネス・ベルナウアー トルテは、アーモンドとナッツのメレンゲ、生モカバタークリーム、ローストアーモンドとナッツでできている。
このケーキ自体はおよそ80年前からあるそうだ。
悲劇の公爵夫人アグネスを追悼して、Familie Krönnerクレーナー家によって創作されたそうである。
それも町の人が優しい一例かもしれない。
参考写真:Die Straubinger Agnes-Bernauer-Torteシュトラウビンガーのアグネス・ベルナウアー トルテ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
本編は思いもかけない形で、知ることとなった貴賤結婚の
ことですが、残念なことに、悲劇を迎えてしまった。
今の時代と違って、王や貴族が幅を利かしていた時代は、
当事者たちは大変であったはずだ。
とはいえ、貴賤結婚でも、うまく生涯を共にしたケースも
たくさんあるようだから、そう捨てたものでもない。
(2026年9月14日Wiki/HP参考、訳、編集・追記)
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この旅行記へのコメント (4)
-
- pedaruさん 2026/09/17 07:25:04
- 貴賤結婚
- jijidarumaさん おはようございます。
活力全開矢継ぎ早の投稿、pedaruとは真逆をいっています。
アグネスベルナウワーの実話は心痛むものですね。この世でなにが尊くて、何が卑しいのか?基準がわかりません、労働をする人が卑しくて、不労所得で贅沢三昧な層が
尊い階層になっているのでしょうか?
物語は分かりやすく、引き込まれるように読んでしまいました。
ベルナウワーを偲んで彼女のお祭りを続けているとは人情は洋の東西も関係ありませんね。この祭りを通して、貴族という身分がいかなるものか、考える機会を与えるイベントとなっている気がします。
思いがけず懐かしい洋画のスターたちの写真や話題がありました。青春時代の映画スター、ブリジットバルドーのことは動物を遊びで殺す狩りを批判する運動をしている姿をテレビで見ました。映画の役とは離れた彼女の生き方に感銘を受けました。
偏西風さんのおっしゃるように、「変わることのない調査・収集力、解説力(?)には驚くばかりですよ。」いつもながら真摯なたいどには尊敬の気持ちが湧いて来ます。
次は何でしょう?楽しみです。
pedaru
- jijidarumaさん からの返信 2026/09/18 01:20:22
- RE: 貴賤結婚
- Pedaruさん、
今晩は。いつもありがとうございます。
思えば、「バート・ゼッキンゲンのトランペット吹き」も貴賤結婚でしたね。
こちらは女性が<貴>で、アグネス嬢の例とは逆でした。
この歳になっても、妙に悲恋!や、身分違いの恋といった言葉に反応してしまいます。私もまだまだ若いのかな?!と(笑)。
若い人はハードルが高いほど、熱量が高くなる様ですが、アグネス嬢が亡くなると、翌年には再婚!公爵家の息子、立場があるとはいえ、ちょっとひどくない!と思いました。
ドイツ人たちの文章の中では、単に記録的な書き方をしているだけで、批判的文言は見受かられず、あっさりとしたものでした。野外劇の表現はどうなのか?分かりませんけど、この違和感を拭い去れません。
その分、民衆はアグネス嬢の事を悼んだのでしょう。「人情は洋の東西も関係ありません」とおっしゃるように、捨てたものではないですね。
突然ですが、日本での貴賤結婚の例はあまり知りません。
例えば、徳川家康さんは多くの側室がいて、神主さんの娘(と言っても家康の従妹)だった「於万の方」(おまんのかた:院号「長勝院(ちょうしょういん)は双子を生んだ。当時双子は「畜生腹」(ちくしょうばら)と呼ばれ、忌み嫌われていたため、家康は於万の方の産んだ息子のひとりは早々に「永見家(於万の方の実家)」へ養子に出し、もうひとりの息子は後の越前松平家福井藩主「結城秀康」(ゆうきひでやす)になったものの、徳川姓を名乗ることはできませんでした。
また、千葉県の勝浦城主正木頼忠の子として生まれた「お万の方:院号・養珠院(ようじゅいん)」も家康の側室でした。この方も二子を産んでいます。
この方の息子たちは、たいへん恵まれたようで、徳川御三家の紀州藩祖・徳川頼宜、水戸藩祖・徳川頼房となっています。(以前、勝浦見物しましたが、この話と結び付きませんでした)
水戸光圀は孫にあたるわけで、千葉の各地にお万の方、光圀が植えたと云う桜やカエデの木が残っているのを見たことがあります。
日本的な貴賤結婚も様々ですね。
それではまた。ありがとうございました。
jijidaruma
-
- 偏西風さん 2026/09/17 01:02:09
- アグネス・ベルナウアー
- jijidarumaさん、今晩は、お邪魔します。
なさることが早いですね。参考になる資料を探して、選択して、さらに解説を考える。
図版の具体的な説明も忘れられていません。変わることのない調査・収集力、解説力(?)には驚くばかりですよ。
「アグネス・ベルナウアー時代のシュトラウビングとドナウ橋」の図をみると、哀れなアグネスの死を身近に(?)感じられるような気がします。両岸はやじうまでいっぱいだったのでしょうね。
<シュトラウビングの家壁の画>も説明文がなければすぐに次の図に移ると思いますが、なるほどこの画にはアグネス・ベルナウアーの悲劇のすべてが描き込まれてことが分かりました。
若い頃は洋画ばかり見ていたのに『素晴らしき恋人たち』は知らなかった。残念なことをしました。
アグネス・ベルナウアー礼拝堂は中に入れず、こうすれば見えるよ、と教えてくれる人がいたおかげで彼女の像をやっと見ることができました。
町ではカフェにも寄らずに離れました。アグネス・ベルナウアー・トルテなるものがあるのですね。惜しいことをしました。
いろいろなこと知ることができました。ありがとうございます。
偏西風
- jijidarumaさん からの返信 2026/09/17 12:07:29
- Re: アグネス・ベルナウアー
- 偏西風さん、
おはようございます。ご覧いただいてすぐに読後感をコメントして頂き、誠にありがとうございました。
大兄のお陰もあってか、少々、気合が入りました。
気になる点は、細かすぎるほど調べてみたもので、自分で資料を読んでいると、疑問が次々に浮かびました。何とか纏めてみましたが、その辺が古い挿話を読む面白さなのでしょう。4Traの皆さんが納得する形ではないかもしれませんが、jijidaruma流の番外編としてお楽しみいただけたら、幸いです。
ともあれ、橋の上に群がる観衆とアグネスの恐怖、こうした絵画が残っているから、見る方は真に迫って、ひきつけられます。
十字架を持っているシュトラウビングの家壁の画(下部)は後世に付け加えたに思いますが、キリスト教による魔女審判を思うと、少々気の毒に思います。
あの絵は、旧市街の歩行者天国の地域に見ることができるそうです。
あの壁絵とトルテで、私なりのアグネス嬢への追悼にしました。
それではまた。ありがとうございました。
jijidaruma
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