2007/04/25 - 2007/04/25
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jijidarumaさん
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“ドイツ 南西部・黒い森とボーデン湖・シュヴァーベン地方の旅”
:黒い森・バーデンワイン街道・高-上ライン川とボーデン湖・
シュヴェービッシュ-アルプ地方・オーデンの森:
期間 : 2007年4月19日(木)~5月3日(木)15日間の旅
先日、kawakoさんのスイスの美しい町Aarburgアールブルク!の旅行記でやり取りした。
その際、地図を見ていたら、アールブルクから北にある高ライン川沿いの町、Bad Säckingenバート・ゼッキンゲン(後述)が目に留まりました。
ここのライン川に架かる橋上にあったドイツ・スイスの国境線を渡ったことを思い出したのです。
Hochrhein高ライン川に架橋されたSäckingerbrückeゼッキンゲン橋とスイス側の表示は書いてあったが、ドイツ側の表示はHolzbrücke ホルツブリュッケ(木造の橋)といやにそっけない名前だったのが可笑しかった。
そして、下流のデュッセルドルフでは絶対にお目にかからない、“青き高ライン川”の流れは見事なほどに美しいものでした。
さて、この旅はドイツ南西部の町フライブルクから、ライン川を遡上して行く。
参考写真:ゼッキンゲンのトランペット吹き(ラッパ手)の絵葉書
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
<4.25(水)快晴 29℃最高の暑さに、182km(ここまでの合計 1,088km)>
朝食後、8:30 Breisachブライザッハ =>B31 35km、Freiburgフライブルグ見学11:35~12:35 =>B31/E5 63km (Weil am Rhein) =>A41/B316 10km Lörrachレーラッハ・Burg Röttelnロッテルン城址見学 13:45~15:05 =>E98/B316/L?13km Inzlingenインツリンゲン・水城見学 15:20~15:35 =>L?B316/34 28km Bad Säckingenバート・ゼッキンゲン ・Schloss Schönauシェーナウ城(別名トランペット城:博物館は水休み)、聖堂、ライン橋 16:20~17:00 =>B34 25km (Waldshutヴァルトシュトゥット) =>8km Tiengenティーエンゲン (今年は町の創立から1150年となる記念年) 旧市街 ・Hotel Bercher Tiengenホテル ベルヒャー ティーエンゲン 17:50着
写真:Freiburg=>Lörrach=>Inzlingen=>Bad Säckingenホルツブリュッケ(木造の橋)バート・ゼッキンゲン=>Tiengen 行程図 -
先日、kawakoさんのスイスの美しい町Aarburgアールブルク!の旅行記でやり取りしたが、この町にも写真の様な屋根付きの木造橋があった。
この時代に出来た、この形式の橋がいまだに多くの残っているようだ。
参考写真:Alte Aare bei Aarberg (2007年スイス・アールブルクのアルテ アーレ川に架かる屋根付き木造橋をアルテ アーレと称しているのか?)。 -
上ライン川流域=>フランスのStrassburgシュトラウスブルク辺りから、スイスのBaselバーゼル近くまで全長120kmのライン川畔運河・Grand Canal d’ Alsace(アルザス大運河)が本流のライン川に平行してあり、川幅も狭く感じる。
B31/E5を南に走り、63kmでスイスの工業都市・バーゼルが対岸に見えるWeil am Rheinヴァイル・アム・ラインの町を経由する。更にA41/B316を10km走ると黒い森の南部にあたるLörrachレーラッハの町である。
Burg Röttelnロッテルン城(城址)はWiesentalヴィーゼンタル(草原で覆われた谷)に挟まれた、小高い丘の上に見えてくる。
城址下の白茶けた、木陰の一つも無い駐車場に車を駐車する。
かなり暑い、気温は29℃。それでもキャラヴァン他数台が停まっていた。
参考写真:Lörrachレーラッハ・Burg Röttelnロッテルン城を東から見る(1643年メリアン作) -
城への登り道は下で思っていたほどきつくは無い。Unteres Burgtor下の城門をくぐり、橋を渡ると、城郭の中心であるGrüner Turm緑の塔、今は赤茶けた天守閣が望まれる。
写真:2007.04.25.Burg Röttelnロッテルン城のSüdportal 南門(1468年建設)をバックに。 -
イチオシ
この城の歴史は8世紀の頃に遡り、1259年当地の領主によって、最初の城が築かれ、14~5世紀に改築を重ね、現在の縄張りの城郭になったという。
新旧キリスト教徒の宗教戦争(30年戦争)はヨーロッパ各国を巻き込んだが、この城も旧教派・帝国軍(ハプスブルグ家)と新教派・スウエーデン軍に占領され、城の一部が破壊された。
その後もフランスの絶対王政を確立した太陽王ルイ14世による侵略戦争で、仏軍の攻撃にさらされ、ここだけではなく、ライン川一帯の城は壊滅したと云う。
写真:2007.04.25.Burg Röttelnロッテルン城のOberburg mit Südturm南塔と上の城 -
天守閣の上には城の旗なのか?黄色の地に赤い横線が入った旗が翻っている。
参考写真:Burg Rötteln (Bergfried)ロッテルン城(天守閣) -
城郭は下の城門から先に、丘の稜線の平らな部分に細長く、造られていた。
険しい丘の上に建つ、本丸、天守、二の丸といった形が分かりやすい。
参考写真:Burg Rötteln ロッテルン城の俯瞰 -
本丸にあたる城郭に上がる手前に、小さな二階建ての博物館があり、初老の館長が一人黙然としていた。城と此処の入館料はEuro2。
写真:2007.04.25.Lörrach:Burg Rötteln kleinen Museumロッテルン城の小さな博物館(1985開館)・・・メルヘンの世界と称したオルガン(硬貨50セントを投入すると鳴り出す) -
中で目を引いたのは城郭の復元したものでした。
写真:2007.04.25.ロッテルン城の小さな博物館(1985開館)・・・城郭の模型 -
緑の塔(北塔)からのWiesentalヴィーゼンタルの眺望は素晴らしく、そして、上天気に恵まれて、町々や緑の中を長く伸びるアウトバーンがくっきりと見える。
写真:2007.04.25.Panoramablick auf Lörrach und das untere Wiesental vom Nordturm der Burg Rötteln ロッテルン城からのパノラマ -
写真:2007.04.25.Panoramablick auf Lörrach und das untere Wiesental vom Nordturm der Burg Rötteln ロッテルン城からのパノラマ
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城内のBurgschenkeブルクシェンケ(軽食所)で休憩にした。
菩提樹の大木の下に幾つかのテーブルが置かれ、セルフサービスで飲み物、軽食が頼める。
ホテルの朝食で頂いてきた、【バナナや日本から持参のおせんべい等、リンゴジュース、コーヒーで一休みした。(Euro4)】
木陰を涼しい風が吹き、上り下りした城郭見学の汗を冷やしてくれた。
(13:45~15:05)
写真:2007.04.25.Lörrach:Burg Rötteln Burgschenkeブルクシェンケ(軽食所)で休憩 -
緑の塔から遠望したアウトバーンE98の長い上り坂を走り、6kmで国道B316/L?に入ると7kmで、Inzlingenインツリンゲンの村である。
この辺りはライン川のこちら側だが、スイスとの国境が入り組んでいて、地図上ではスイスが袋状に張り出して直ぐ先はスイスになる。
この村にInzlingen Wasserschlossインツリンゲン水城があると云う。
村に入ると直ぐ左手に水城があった。
写真:2007.04.25.Wasserschloss Inzlingenインツリンゲン水城Gästehaus am Wasserschloss & Restaurant Wasserschloss Inzlingen ホテル
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イチオシ
池に沿って、小ぢんまりした水城の周辺を見て回る。青い色の池に、城の真っ白な壁、茶色の屋根が映って、大変美しい。
1394年にこのあたりの領主Reichensteinライへンシュタインが領地とし、1511年に最初の城が築かれたと云う。1969年、村がこの城を購入・改装の上、庁舎、会議場、レストランを置いた。
写真:2007.04.25.Wasserschloss Inzlingenインツリンゲン水城 -
このレストラン“Reichensteiner-Stubeライヘンシュタイナー・シュトゥーベ”はたいへん評価(Schlemmer Atlasシュレマー・アトラス 18.2点)も高い。
この日はHPでみた通りで、レストランはお休みでした。
それでも水城にかかる橋を渡って、城内(レストラン)に入る。
何とかパンフレットでも、もらえたらと思って、ずうずうしく奥の事務所まで入ってしまうと、中で小母さん二人が事務をしている。声をかけて、お願いすると快くパンフレット一部を差し出してくれた。
(私はパンフレットを常に二部集め、帰国後に一部はアルバム用に切り貼りする。残りの一部は参考資料としてとって置く事にしている)
更にずうずうしくもう一部をお願いする。100m先のホテルにあるから、そこでもらってくれと言う。
写真:2007.04.25.Wasserschloss Inzlingenインツリンゲン水城の中はレストランだ。 -
<Restaurantレストラン「Wasserschlossヴァッサーシュロス」>
Familie Behaベハ家は、1978年からインツリンゲンでレストラン・ヴァッサーシュロスを経営しており、現在はオーナーシェフ二世代目にあたるSimone Behaシモーネ・ベハ、Stephanie Behaシュテファニー・ベハの姉妹で経営している。
参考写真:インツリンゲン水城・城内レストランStubeシュトゥーベ -
ここのレストランで一度食べてみたいものだ。 (15:20~15:35)
この時以来、ここを訪ねていないが、レストランは健在だった。
参考写真:インツリンゲン水城・城内テラス -
参考写真:Wasserschloss Inzlingenインツリンゲン水城:ドイツ郵便の切手にもなっている。
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Bad Säckingenバート・ゼッキンゲンはInzlingenインツリンゲンからL?B316/34で28kmの距離だ。
高ライン川沿いのバート・ゼッキンゲンは、「トランペットの街」として世界的に知られていて、ライン川の右岸、黒い森の南部Hotzenwaldホッツェンヴァルトに位置している。
Schloss Schönauシェーナウ城(トランペット城の異名・トランペット博物館は今日は休み)やFridolinsmünster フリドリン大聖堂が17千人の町の中心にある。この町の歴史もライン川沿いの町々と同じである。
ゲルマンの支配、キリスト教の進出があり、1430年Schönauシェーナウの領主がライン川沿いにこの城を築いた。以後、何回もの戦争で町はフランス軍に焼かれ、占領されることになる。
2003年、この町はヨーロッパにおける最も美しい“花の町5選”の一つに選ばれている。城と教会とライン川、そしてラインの木造橋と、大変絵になる町である。
参考写真:Bad Säckingenバート・ゼッキンゲン ・タイトル -
【Der Trompeter von Säkkingen ゼッキンゲンのトランペット吹き(ラッパ手)】
青き高ラインの流れ、バート・ゼッキンゲンのトランペット吹きは悲恋のままに終わったのか?
トランペット城の異名ともなった、
『Der Trompeter von Säckingen ゼッキンゲンのトランペット吹き(ラッパ手)』の粗筋は、伯爵家(領主)の娘マリアとトランペット吹きフランツとの身分違いの恋の物語である。
1854年に出版された文学作品(Joseph Victor von Scheffel ヨーゼフ・ヴィクトル・フォン・シェッフェル作)を1884年にVictor Nesslerヴィクトル・ネスラーがオペラ作品にした事(ライプツィヒで初演)から、どうもその名が有名になったようだ。
オペラ案内書・Knaus Opernführer(1977年購入)には簡単だが、Viktor Nesslerヴィクトル・ネスラー(1841~90年)の作品だと書かれている。
17世紀末、実在の人物の恋愛をオペラにしたもので、その中で歌われた、別れの歌『さようなら!それはなんと美しかったことか!』は当時、大変な国民的人気を得たとある。
https://www.youtube.com/watch?v=oRqXUpJ2UnE
シェッフェルはバート・ゼッキンゲンで1850年から 1851年まで 、裁判所の官吏見習いのような仕事をしていたそうですから、その時に構想が出来たのでしょう。
参考写真:Bad Säckingenバート・ゼッキンゲン・・・市内図 -
参考写真:Bad Säckingenバート・ゼッキンゲン:町の眺め(Merian1663年作)
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イチオシ
Wikiによれば、
作家シェッフェルに『Der Trompeter von Säckingen ゼッキンゲンのトランペット吹き(ラッパ手)』についての本を書くきっかけを与えたのは17世紀の実際の出来事があったのだと云う。
『Der Trompeter von Säckingen ゼッキンゲンのトランペット吹き(ラッパ手)』の一つの話は、17世紀のゼッキンゲンに実際にあった出来事としている。
裕福な市民の子として生まれたFranz Werner Kirchhoferフランツ・ヴェルナー・キルヒホーファー (1633~1690年)が伯爵家(領主)のMaria Ursula von Schönauマリア・ウルズラ・フォン・シェーナウ(1632~1691年)と恋仲になった。
フランツは裕福な家庭の子供として、伯爵家のシェーナウ家に出入りしていたと云う。宮殿でマリアは育ち、二人の身分の差を超えて、フランツは自分の兄弟たちの激しい反対にもかかわらず、1657年頃に彼女と結婚したと云う。
ザッキンゲンで彼らは家庭を築き、合わせて5人の子どもをもうけた。
フランツ・ヴェルナーは著名な商人になり、市会議員に選ばれ、学校の教師でもあったそうだ。
さらに、彼は聖フリドリンス大聖堂の少年合唱団の指導者でもあった。
つまり、フランツは堂々たる成功者になったのだ。
今日、大聖堂の一角にある墓碑が「互いに愛し合う比類なきカップル」を物語っている。(A.EnderleA.エンダーリ)
写真:2007.04.25.Bad Säckingenバート・ゼッキンゲンのSchloss Schönauシェーナウ城(別名トランペット城)前にて -
もう一つのシェッフェルの作品『Der Trompeter von Säckingen ゼッキンゲンのトランペット吹き(ラッパ手)』では、
この物語は17世紀の実話に基づいている。音楽の才能に恵まれた中流階級の青年、ヴェルナー・キルヒホーファーは、伯爵家の娘マリア・ウルズラ・フォン・シェーナウ(作中ではマルガレータ)と恋に落ちる。しかし、二人の身分は大きく異なるため、彼女の両親は二人の愛を禁じ、ヴェルナーは町から追放されてしまう。
小説的な苦難が二人を引き裂いて、長年の別離と放浪の後、ローマ教皇はヴェルナーのトランペット演奏に感銘を受け、ついに彼を教皇宮廷楽長に任命し、貴族の地位に昇格させる。
こうしてヴェルナーは、ついに愛するマリアとゼッキンゲンで結婚することが許されるのだった。
二つの物語はどちらも悲恋とならなかった。二人は見事に添い遂げたのだです。
写真:2007.04.25.Bad Säckingenバート・ゼッキンゲンの『Der Trompeter von Säckingen ゼッキンゲンのトランペット吹き(ラッパ手)』 -
ゼッキンゲンのトランペット吹き(ラッパ手)の像は1876年に設置されたハインリヒ・ルフ(1827~1883年)作の奏者像で、シェーナウ城の西側裏手、階段の傍にある。ブロンズ鋳造は2018年。
参考写真:Bad Säckingenバート・ゼッキンゲン・・・トランペット城にある『Der Trompeter von Säckingen ゼッキンゲンのトランペット吹き(ラッパ手)』の彫像(拡大) -
写真:2007.04.25.Bad Säckingenバート・ゼッキンゲン・・・Schloss Schönauシェーナウ城(別名トランペット城)の前庭にある『Der Trompeter von Säckingen ゼッキンゲンのトランペット吹き(ラッパ手)』の銅像と
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参考写真:Schloss Schönauシェーナウ城(別名トランペット城)・・・博物館内部
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参考写真:Schloss Schönauシェーナウ城(別名トランペット城)・・・博物館内部
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< Joseph Victor von Scheffel ヨーゼフ・ヴィクトル・フォン・シェッフェル>
シェッフェル(1826年~1886年)はドイツの国民的作家・詩人である。短編小説、叙事詩や多数の歌の詩を書いたことでも知られる。
1876年叙爵されている。
長編叙事詩『Der Trompeter von Säckingen ゼッキンゲンのトランペット吹き(ラッパ手)』(1854年)、
さらに歴史小説『Ekkehardエッケハルト』(1855年)は、中世スイスの修道院を舞台とする作品で、19世紀で最も人気のあるドイツ小説の一つとなった。
シェッフェルはドイツ・カールスルーエに生まれた。父はバーデン大公軍の退役少佐で、土木技師であり、ライン川の流路調整委員会の委員でもあった。母はネッカー川上流のオーバーンドルフの裕福な商人の娘で、優れた知性とロマンチックな性格の持ち主だった。
若きシェッフェルはカールスルーエで教育を受け、その後、父の希望で(1843年から1847年) 、ミュンヘン大学、ハイデルベルク大学、ベルリン大学で法律(哲学・文学)学んだ。
ハイデルベルクではBurschenschaft学生団のAlemanneアレマン学生団、次いでTeutoneチュートン学生団に属し、そして最後は終生所属したのはDie Frankoniaフランコニア学生団である。
司法官になるための国家試験に合格した後、彼は法学博士号を取得し、4年間(1848年から1852年)、ゼッキンゲン市で公職に就いた。
ここで彼は叙事詩『ゼッキンゲンのトランペット吹き(ラッパ手) 』(1854年)を執筆した。これはロマンチックでユーモラスな物語で、たちまち爆発的な人気を博した。250部以上も出版され、 1884年にはVictor Ernst Nesslerヴィクトル・(エルンスト・)ネスラー(1841年~1890年、ドイツ(アルザス)の作曲家)によってオペラ化されました。シェッフェルはその後、イタリアへと旅立ちました。
(ハイデルベルクの旅行記を引用)
ハイデルベルクの町は多くの芸術家が訪れ、詩を書き、称えたと云う。
その事もさることながら、ハイデルベルクの名を世に知らしめ、19世紀の学生生活の象徴ともいえる、次の作品群がある。
Joseph Victor von Scheffelヨーゼフ・ヴィクトール・シェッフェル作の詩『アルト・ハイデルベルク、麗しの街』(後に付曲され、ポピュラーな学生歌となった)、
Wilhelm Meyer-Försterヴィルヘルム・マイヤー・フェルスターの戯曲『アルト・ハイデルベルク』、
そして、Friedrich Raimundフリードリヒ・ライムントが1927年に作曲したオペレッタの曲『Ich hab' mein Herz in Heidelberg verloren。わが心、ハイデルベルクに失い』がある。
『Das Lied“Alt Heidelberg、du Feine歌曲アルト・ハイデルベルク、麗しの街”(1853年)』Studentenlieder ・Alt Heidelberg学生歌:アルト・ハイデルベルク
http://www.youtube.com/watch?v=fM9j-kv4j30
Joseph Victor von Scheffelヨーゼフ・ヴィクトール・シェッフェル作の詩にSimon Anton Zimmermannシモン・アントン・チンマーマン(1807~1876年・ドイツの指揮者・作曲家)が1861年に付曲、ポピュラーな学生歌となって大いに流行った。
尚、ハイデルベルク城址のScheffelterrasseシェッフェル・テラスにその名を留め、城址公園にはシェッフェルの死後90年を記念し、1976年6月26日に建てられた記念碑がある。
参考写真:Bad Säckingenバート・ゼッキンゲンで勤務したと云うJoseph_Victor_von_Scheffelシェッフェルの自画像(1867年) -
時は17世紀、30年戦争の末期。兵士でトランペット吹きのヴェルナーは伯爵の令嬢マリアと恋仲になる。紆余曲折の末、2人はめでたく結ばれる。
バート・ゼッキンゲンには「相思相愛の身分違いの愛」と刻まれた2人の墓標があるのだ。
参考写真:Grabmal_des_Trompeters_von_Säckingenゼッキンゲンのトランペッターの墓・・・今日でも、聖フリドリンス大聖堂の後陣の外側、一角にある墓碑が「互いに愛し合う比類なきカップル」を物語っている。 -
参考写真:1865 Titelblatt - Der Trompeter von Säckingen 1865年 表紙 - ゼッキンゲンのトランペット吹き(ラッパ手)
-
シェッフェル作の場合は、最初にそのカップルは結婚できず、トランペット吹き(ラッパ手)がローマに移住し、教皇による貴族認定によってようやく結婚が可能になったとしている。
参考写真:Jung_Werner_beim_Grafen_Der_Trompeter_von_Säckingen若きヴェルナー(ゼッキンゲンのトランペット吹き(ラッパ手))が伯爵家にて接見 -
Hermann Prey - Der Trompeter von Säckingen - Victor Ernst Nessler - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=oRqXUpJ2UnE
1884年にライプツィヒで初演され、空前の大ヒットを遂げた伝説的オペラで、第二幕のアリアはトランペット・ソロに伴われ、感涙を誘うほど甘美!とか。
文豪森鷗外はドイツ留学時代にこのオペラを観たそうだ。
彼の訳詩集『於母影』は、原作から素材を得ていると云う。
また、今年はシェッフェル生誕200年にあたる。
参考写真:ゼッキンゲンのトランペット吹き(ラッパ手)の絵葉書1 -
https://www.youtube.com/watch?v=NjEh3MjsVZQ
参考写真:絵葉書ゼッキンゲンのトランペット吹き(ラッパ手)、berühmten Lied Behüt' dich Gott.有名な歌「神様が守ってくれますように」 -
Der Trompeter von Säkkingen:
Behüt‘ Dich Gott, es wär so schön gewesen 『神様が守ってくれますように(さようなら!)それはなんと美しかったことか!』
(Arr. R. Friedrich & E. Takezawa for Trumpet & Piano) ? Reinhold Friedrich ? Eriko Takezawa
https://www.youtube.com/watch?v=OvpxG9wLO4k&list=RDOvpxG9wLO4k&start_radio=1
参考写真:ゼッキンゲンのトランペット吹き(ラッパ手)の絵葉書 -
【高ライン川に架橋されたHolzbrücke Bad Säckingenホルツブリュッケ(木造の橋)バート・ゼッキンゲン(ドイツ名)、Säckingerbrückeゼッキンゲン橋(スイス名)Holzbrücke Bad Säckingen(ドイツ名)、Säckingerbrücke(スイス名)】
この橋は1272年に建てられ、その後、何度か Krieg戦争、Hochwasser洪水(1570年、1633年、1678年)で破壊されてしまった。現在の橋は1700年に完成したものである。もともとは道路橋でしたが、1979年に道路交通用のFridolinsbrücke (Swiss name:Rheinbrücke Stein) フリドリン橋(スイス名:ライン橋シュタイン)が開通してから、現在、自転車、歩行者専用となった
写真:Bad Säckingenバート・ゼッキンゲンの木造橋の入り口 -
所謂、ライン橋はドイツとスイスの掛け橋である。450年以上の歴史をもつ木造の橋は全長203.7mである。ほぼライン川の川幅と同じだろう。
高ライン川といえども、まだ広い川幅と云える。
二つの国の住民はお互いが、自由に行き来ができる。
参考写真:Bad Säckingenバート・ゼッキンゲン:ライン川と木造橋・俯瞰 -
6つの石の支柱の上に立つこの木造橋は、どんな観光客の群れにも、どんな荒天にも耐えられると云う。ヨーロッパで最も長い屋根付き木造橋であることを、地元の人々は誇りに思っているそうだ。
参考写真:Bad Säckingen Holzbrücke über den Rheinライン川に架けられたホルツブリュッケ(木造の橋) -
参考写真:Holzbrücke über den Rheinライン川に架けられたホルツブリュッケ(木造の橋)
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ゼッキンゲンの町から2番目の支柱には、両方の川岸に小さな多角形の木骨組みの礼拝堂があり、その上部には色付けされたSt.Franz_Xaver聖フランシスコ・ザビエルの像が置かれている。
参考写真:ホルツブリュッケ(木造の橋)にあるSt.Franz_Xaver聖フランシスコ・ザビエル(1700年) -
4番目の支柱には、上部に切妻屋根の小さな礼拝堂があり、そこにはバロック様式で色付けされた*?Brückenheiligen“ Johannes Nepomuk “橋の守護聖人”ヨハネス・ネポムクの像がある。
*14世紀ボヘミアの司祭でローマ・カトリック教会の聖人。聖ヤン・ネポムツキーとも呼ばれ、しばしば十字架や棕櫚の枝を手にし、頭上に5つの星が輝く人物として描かれる。
参考写真:Holzbrücke über den Rheinライン川に架けられたホルツブリュッケ(木造の橋)にあるSt.Johannes_Nepomukネポムクの聖ヨハネ(1712年) -
全長203.7m(屋根付きで206.5m)で、ヨーロッパで最も長い屋根付き木造橋であると云われる。
これはスイスの LuzernルツェルンのKapellbrückeカペル橋よりも長く、カペル橋は202.9m(屋根付きで204.7m)です。
参考写真:ホルツブリュッケ(木造の橋)は屋根がある。 -
イチオシ
写真:高ライン川に架橋されたHolzbrücke Bad Säckingenホルツブリュッケ(木造の橋)バート・ゼッキンゲン(ドイツ名)、Säckingerbrückeゼッキンゲン橋(スイス名)
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写真:Bad Säckingenバート・ゼッキンゲンの木造橋から対岸を撮ったが、逆光!
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写真:Bad Säckingenバート・ゼッキンゲンの木造橋をスイスに向かいます。
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イチオシ
写真:Bad Säckingenバート・ゼッキンゲンの木造橋上にあるドイツ・スイスの国境線(白線)・・・行ったり、来たりを繰り返す人も多い!
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参考写真:バート・ゼッキンゲンの木造橋上にあるドイツ・スイスの国境線(白線)・・・Alte_Grenzplakette_D-S(1979)古い国境プレート D独-S瑞西(1979年)
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Bad Säckingenバート・ゼッキンゲンの木造橋を見て、ドイツ・スイスの国境線を渡って、スイスのStadt Steinシュタイン(スイス北部に位置するKanton Aargauアールガウ州に属する人口3600人の村)に至る。
木造橋をスイス側に渡りきった所には、もう国境の旅券チェックは無い。一応Zollamt税関事務所の建物はあったが、水曜日でも人の姿が見えなかった。
こちらの写真はスイス側税関事務所、建物の壁にスイスの国旗とSäckingerbrückeゼッキンゲン橋の文字が見える。
写真:スイス側Zollamt税関事務所の建物
17時、Bad Säckingenバート・ゼッキンゲンから、30kmほど先になるWaldshut-Tiengenヴァルトシュトゥットとティーエンゲンに向かう。 -
Waldshut-Tiengenヴァルトシュトゥットとティーエンゲンは合併して、二つの町の名を残している。
国道B34は走りやすく、25kmでヴァルトシュトゥットを通過する。ライン川も半分位に川幅は狭くなり、そしてAareアーレ川(スイスを流れる河川でライン川の支流である。全長295km)がライン川に合流するコブレンツを過ぎると、8kmでTiengenティーエンゲンに着いた。
此処にはライン川支流のWutach、Steina、Schlücht の三つの川が町の周辺を流れている。今年、町は創立1150年の記念年だそうだ。
小さな旧市街の城内公園前にホテルは直ぐ見つかった。
Hotel Bercher Tiengenホテル ベルヒャー ティエンゲンには17:50に到着。
参考写真:Hotel Bercher Tiengenホテル ベルヒャー ティーエンゲン ・Anfahrt-ホテルへの地図 -
<(1泊)Hotel Bercher Tiengen ホテル ベルヒャー ティーエンゲン>
D-79761 Waldshut-Tiengen 、
Am Schlosspark 、Bahnhofstrasse1、
3星S・全38室、302号室(4F)、Euro 100
1911年創業、町一番のホテル。黒い森の南部、Hochrhein高ライン川に沿った旧市街の中心にありました。目の前はSchlosspark城公園で、車も公園前の駐車場に停めたので、4階の奥まった302号室からも良く見える。
値段以上に部屋は広く、美しく、満足した。
参考写真:Hotel Bercher Tiengenホテル ベルヒャー ティーエンゲン ・タイトルHotel Bercher ホテル
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参考写真:Hotel Bercher Tiengenホテル ベルヒャー ティーエンゲン ・レストランSchloss-Stubeシュロス・シュトゥーベは家族のお祝いなど団体客用なのだろう。
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値段以上に部屋は広く、美しく、満足した。
写真:ホテル ベルヒャー ティーエンゲン ・302号室 -
写真:ホテル ベルヒャー ティーエンゲン ・302号室
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なかなか良い感じのレストランである。
写真:ホテル ベルヒャー ティーエンゲン ・レストラン -
【夕食:ホテル ベルヒャーのレストランThumbstube親指(?)シュトゥーベにて】
19時~21時 Euo53(3品のコース料理の味、内容に比べて安いなと思った)
暑かった一日でしたので、まずビールを0.3Lx2を注文する。
本日のお勧めメニューから、私がNo.3(Euro22.8)、家内がNo.2(Euro18.8)を選びました。
スープとデザートが同じですが、メインが肉料理・魚料理で異なるだけだ。
ワインはラインの20km上流、当地もの“Hohentengener Oelbergホーヘンテンゲンのオイルベルク. Spätburgundeシュペートブルグンダー(ピノ・ノワール)赤 ”をグラスで。(0.2L Euro4.4)
スープは大好きな『アスパラガスのスープ』です。
きちっと塩気の効いた美味しいスープだ。
写真:ホテル ベルヒャー ティーエンゲン ・ビールとスープ -
メインは私がいつもの如く肉料理で、『子羊の背肉のフィレ、プロヴァンス風(バラ色に柔らかくローストした・・・)、いろんな野菜とポテトのグラタン添え。』
写真:ホテル ベルヒャー ティーエンゲン ・私のメインは肉料理 -
家内の方はお魚料理で、魚は見事な鱸(スズキ)でした。
『皮をローストした、大きな二枚の鱸がお皿にのって、出てきました。たくさんのブロッコリーとこれも立派な茹でたポテトが添えてある』
見た目からして、ドイツ的なドンとした一品、大きな胃袋が必要に思える料理で、さすがに魚好きの家内も半分でギブアップとなった。
写真:ホテル ベルヒャー ティーエンゲン ・家内のメイン料理は魚料理 -
シャレタ色彩が好ましい席、気軽に楽しめる雰囲気を持ったレストランである。
写真:ホテル ベルヒャー ティーエンゲン ・レストランは真っ白のテーブルクロス、そして歓迎の蝋燭が灯る。 -
イチオシ
写真:ホテル ベルヒャー ティーエンゲン ・最後のデザートを頂く。
-
デザートは『ホテル特製のパフェ、イチゴと生クリーム添え。』
生クリームの上に珍しいホウズキが一つ載っていた。
写真:ホテル ベルヒャー ティーエンゲン ・デザート -
<4.26 (木) 快晴 25.5℃爽やか 、 184km>
朝食後、9:00 Waldshut-Tiengenヴァルトシュトゥット・ティーエンゲン を出発 =>B34/B13 37km 高ライン川流域=>スイス領へ Neuhausen am Rheinfallノイハウゼン・ラインの滝 9:50~10:40=>B34/B13 4km Schaffhausenシャフハウゼン 10:55~11:25 =>B13 26km Stein am Rhein シュタイン・アム・ライン(1000年記念年) 12:10~12:55 =>L? 16km Singenジンゲン・“Hohentwiel”ホーヘントヴィール大要塞跡 13:20 =>B33/34 37km 世界遺産 Kloster Insel Reichenauライヒェナウ島の僧院群(2000年登録・St.Georg、St.Maria&Markus、St.Peter&Paulの3教会)14:00~16:20=>B33/34/31 42km(Überlingenウーバーリンゲン)=>L?12km Salemザレム・Schlosshotel Schwanen古城ホテル白鳥 17:30着
参考写真:2007.04.26.Hotel Bercher Tiengenホテル ベルヒャー ティーエンゲン ・正面
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ひょんなことから、ゼッキンゲンのトランペット吹き(ラッパ手)にはまった。
それにしても高ライン川の美しい流れを思うと、もう一度再訪したいものだ。
(2026年8月28日Wiki/Hp参考、訳、編集・追記)
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この旅行記へのコメント (4)
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- pedaruさん 2026/09/03 07:38:16
- 日本人はほとんど知らない
- jijidarumaさん おはようございます。
旅行好きということもあって、大分以前から写真を丁寧に撮られて、将来4トラベルに投稿しようと満を持して構想を練っておられたのですね。
昔の定番として人物の写真が多いのは普通ですが、建物や、景色の写真をしっかり撮って現代の旅行記にマッチしております。
屋根付き橋は四国で見ました。ドイツの屋根付き橋は寒い地方に多いのでしょうか?
雪や雨から住民をまもるために造られたのでしょうね。そういえばカナダでもすっかり囲んだ屋根造橋を写真で見ました。(もちろんいったことはありません)
ロッテルン城の俯瞰図を見ましたが、城の外壁のみ残り廃墟感が漂っております。
白鷺城ももちろん素敵ですが、幾多の歴史を想像させる廃城はロマンがあります。スコットランドではたくさんの廃墟の城があって、楽しみました。
水城もすごいですね、徹底した水城です。見た目や、安全のためなど理由は沢山あるでしょうが、不便なことも多いかと思います。
ゼッキンゲントランペット吹き、はオペラにもなっているのですね、美しい町ですね、そして周りの景色も。歌も聴きました、しばし異国の雰囲気に浸りました。
トランペット吹きの話の二つとも悲恋にならなくて、気持ちがいいですね。
jijidarumaさんの旅行記はいつも大作です。労力もたいへんですが、意志の強さ、好奇心の旺盛さも感じます。いつまでもお続けください。
pedaru
- jijidarumaさん からの返信 2026/09/03 12:04:23
- Re: 日本人はほとんど知らない
- pedaruさん、
おはようございます。いつもありがとうございます。
<日本人はほとんど知らない>・・・確かに山形県長井市(姉妹都市)の関係者以外はほとんど知られていない町、知られていない伝説、オペラですね。日本人にはもちろん私も含まれるわけで、何やら自分が理解できるように、度々、修正・加筆することに、時間だけは大いにかかるのです。したがって、かつて旅した時期の旅行記に相当の量が加わっていくのです。
2013年11月に4Traメンバー入りしていますが、最初は大好きな!伝説から始めたから、写真は二の次でしたね。しかもドイツの宣伝係を自認してまして、調べるのも苦にならないから、他人にはどうでも良いような細かなことに拘るようなもので、さらに人名、地名はドイツ語の表記を加えるという面倒なことをする始末です。
きっと読みにくいことだろうなと、忸怩たる気持ちが残ります。
屋根付きの橋はスイスの LuzernルツェルンのKapellbrückeカペル橋を見たのが最初だった記憶です。木造橋は趣があって、良いですね。ラインでも下流は川幅も広くて、木造橋をかけるには不適なのでしょう、ラインの上流を探すと多いのではないのでしょうか。(一度、屋根付き橋のリストを見つけたのですが・・・・)
おっしゃるようにドイツに限らず、城址は写真映えがします。多分ネス湖の城址も気に入られたことでしょう。
また、古城好きには水城めぐりは楽しみです。周囲が水なので、生活するのは湿気が大変でしょうけど・・・。ドイツ西部のMünsterland ミュンスターラントは沼地が多く、水城めぐりができます。
あードイツに行きたいな!(苦笑)
それではまた・ありがとうございました。
jijidaruma
-
- Rolleiguyさん 2026/08/30 10:19:24
- 懐かしい町
- jijidarumaさん、こんにちは。
題名を見て懐かしくなり興味深く拝見しました。ゼッキンゲンは私がスイスで仕事を始めるにあたり、車を買いに行った町です。当時、スイスよりも2割ほど安く買えたので、ドイツフォードのグラナダという車を注文し、スイスで初めて運転するのにちょっと無謀かなと思いましたが、上司もそう思ったのか会社の車で運転手をつけてくれました。大雨のなか恐る恐る運転してチューリッヒまで戻りました。チューリッヒからドイツは近かったので、旅行記の最後に出て来るジンゲンやホーエントヴィールにも何回か行きました。ゼッキンゲンがこれほど魅力的な町だったとは当時全く知らず、もったいないことをしました。jijidarumaさんの旅行記にはいつも勉強させられます。ヘルマン・プライの声も楽しめました。今年は旅行に行けそうもないので、こうして旅行記を拝見して行った気分になっています。
Rolleiguy
- jijidarumaさん からの返信 2026/08/31 01:06:09
- Re: 懐かしい町
- Rolleiguyさん、
今晩は。
ゼッキンゲンとチューリッヒは凡そ50kmと近いのですね。
車を購入にゼッキンゲンまで行かれたと読んで、改めてチェックしたら近いことに気づきました。納得です。スイスは確かに物価は高いから、2割ともなれば、ラインを超えてドイツで購入するのもありだった訳だ!
それにしても、ゼッキンゲンの町は世界に知られた町だと、この町は誇りに思っているようでしたが、私自身もボーデン湖がなかったら、この町を調べることも無かった事でしょうね。
伝説好きな私には、いわば「あたり!」の町でした。
旅行記内には書きませんでしたが、ゼッキンゲンのトランペット吹き(ラッパ手)のオペラが、日本でも聞けるらしいですよ。
(トランペット吹きで検索すると出てきてビックリ)
意外ですが、山形県長井市はゼッキンゲンと姉妹都市だそうです。
【ドイツ語上演・日本語字幕付き】オペラ『Der Trompeter von Säckingen ゼッキンゲンのトランペット吹き(ラッパ手)』を開催します。
場所:長井市民文化会館ホール
開催日時:令和8年9月5日(土曜日)・6日(日曜日)
主催:山形県長井市・長井市教育委員会
後援:ドイツ連邦共和国 バート・ゼッキンゲン市
YOUTUBEもお楽しみいただけ幸いでした。
私もドイツは遠いのです。
それではまた・ありがとうございました。
jijidaruma
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