2026/03/30 - 2026/03/30
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kirinbxxさん
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西安はかって「長安」という名でいくつもの王朝の都として栄えました。その時代に建てられた建物の多くは、都が他所へ移り、名前が変わっても維持されたり、修復されたりして残っているものもあります。また、「遺跡」として保存されているものも。
ユネスコ世界遺産「シルクロード:長安天山回廊の交易路網」を構成する小雁塔と空海ゆかりの寺の遺跡を訪ねました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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西安博物館の敷地内の一角に、武則天が夫だった高宗追善のために建立した寺院がありました。その地はかって隋の煬帝が晋王だったころの邸宅があった場所だそうです。
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人で賑わう西安博物院ですが、敷地内にこんな場所もあるのです。もっとも、この場所も、唐朝コスプレの女性達が占領していて、彼女達が入らない写真を撮るのに一苦労したのですが。
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その脇から見えるのがこちら。
小雁塔(しょうがんとう)です。
唐の中宗が父である高宗の追善のために寺を造営したときに建造されました。小雁塔 建造物
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記録によれば、唐の中宗の景龍年間(707~710年)に建立された当初は、15層45mあったそうですが、しばしば地震などで被災しそのたびに修復を繰り返しました。明の時代におきた大地震で崩壊、修復されたものの13層43mと規模は少し小さくなりました。
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寺そのものが中華民国時代に完全に廃寺となってしまいましたが、明・清の時代に修復されていた建造物はそのまま利用されました。文化大革命の時期には中国人民解放軍が接収して倉庫などとして利用。おかげで紅衛兵による「文化浄化」と称した破壊を免れたそうです。
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修復に際しては、明や清の時代の様式を残すよう注意が払われたとのこと。
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この木は中国では龍爪槐と呼ばれて珍重されている、シダレエンジュという植物です。このように枝がまっすぐ上に伸びるのではなく、クネクネとしていて、それがまるで「下を向いてのたうつ龍の爪」に見えるとして、龍のように立身出世を遂げたい人々に愛好されたとか。
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こちらは西安市の市花にしていされているザクロの木だそうです。この庭園には多くのザクロが植えられていて、これはその中でも有名な木のようです。初夏になるとザクロの赤い花と、古い塔のコントラストが美しいそうです。
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この門の奥には、竹林が見えます。この奥には隔翠園と名付けられた庭園が広がっていました。きれいな庭で、本来はこの門をくぐると「俗世の喧噪から隔て」られるはずですが、この日はコスプレした若い女性達で騒がしく・・・
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大雄宝殿、大雄とは中国語ではお釈迦様に対する最大の尊称ということで、ここは本来は「本堂」だったのですね。元の本殿は宋代に完全に破却されてしまっていたのですが、清の時代に再建されました。
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建立当時は塔がもう少し高くそびえ立っていたのですね。
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鳴鐘祈福、1人10元払うと鐘をついて福が来る事を祈願できます。もちろんこの鐘はレプリカです。
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次に訪れたのは、青龍寺という空海ゆかりの寺。といっても、寺が現存するわけではなく、西安の一般市民や中国の若者にとっては「西安で一番の桜の名所」、あるいは「漢服コスプレの聖地」 として広く認識されているとか。道理で、やたらとコスプレした人達がいたわけです。
青龍寺 寺院・教会
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「青龍寺遺址博物館」の正面玄関です。
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階段の中央に設けられた「御道(陛道)」には、「宝相華(ほうそうげ)」 の文様が美しく刻まれています。当時は一般人が歩くなどとんでもないことだったのでしょうが、今は皇帝気分で歩くこともできます。文様の凹凸が大きいのと角度が急なので、バリアフリーにはなっていません。
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正門には電子電光掲示板があり、ここの公式名称である「西安市青龍寺遺址景区」という文字が流れていました。両側は「社会主義核心価値観(愛国、敬業、誠信、友善など)」のスローガンと、ダフ屋やコスプレファンに関する警告がずらり。「桜の木を揺らして花吹雪を作るな」なんてのもありました。
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緊急避難場所機能配置図です。英語がないのは、日本人以外の外国人はあまり来ないからでしょうか。
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池と橋、まわりの植物が調和していて美しい一角です。桜があまりないので、人も少ないし。
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このように判りやすい表示版があるのはいいですね。
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左側が「古原楼」、右側が「楽遊妙境」、2つの立派な唐代様式の古建築が、美しい空中回廊(渡り廊下)で結ばれているのが大きな特徴です。
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そしてその「古原楼」が現在は「青龍寺遺址博物館」の主楼となっています。2010年、西安市政府の重点プロジェクトとして整備がはじまり、2012年5月から博物館として無料で一般公開されました。一階は唐青龍寺の元の姿を再現した砂の模型、考古学的発掘の写真、出土した建築部材が展示されていました。
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五筆和尚的故事、と題された絵に描かれた空海。空海は真・草・行・隸・篆の5つの書体を完璧に使いこなした書の達人で、唐の皇帝が感心して「五筆和尚」という称号を与えたという伝説があります。これはそれを描いた物らしいですが・・・・良くいえばユーモラス。
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日本人による最古の個人文集である、空海による『遍照発揮性霊集』の解説書です。
もとの書は通称を性霊集といい、空海の漢詩、碑銘、上表文、願文などが納められています。この書は、それに後世の人が読みやすく注釈をつけたもの。 -
突然現れた讃岐うどんと、素麺・島の光。
空海はやたらと伝承・伝説の多い人ですがそのひとつに「「空海が唐(長安)から日本へうどんの製法を持ち帰った」というのがあります。以前は空海は讃岐の生まれ、というのがわりと有力視されていましたし。。。 -
立派な標柱。左右は狛犬のルーツと言われることもある獅子。左は雌で左前師には子獅子がいて、「子孫繁栄」「家庭円満」など内部の平和の象徴らしい。右は雄で玉か鞠のようなものを踏みつけていて、これが「外からの禍を防ぐ」ことを表しているとのこと。
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空海真言密教八祖誕生と題された像。この像が、なぜ日本人観光客がこの廃寺跡を訪れるのかを物語っています。左は代宗・徳宗・順宗と3代にわたり皇帝に師と仰がれた名僧、恵果。805年6月に訪れた空海の才を見抜き、たった2か月で全てを教え、彼のために宮中の絵師達に密法具や曼荼羅図を制作させ、自分が持つものも全て与えたそうです。そして12月に死没、空海は師の葬儀や追善行事に参加したのち、2月に帰朝しました。
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真っ赤な案内図。
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左上の碑は再建に尽力した日中の関係者の名前や、空海の功績、寺院の歴史が克明に記録されているようです。右下の碑も、中日友好源遠流長と彫られています。
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空海記念碑(空海同志記念碑)、1982年に建てられました。高野山金剛峯寺を初めとする真言宗の主要寺院、四国霊場会、四国四県の自治体や有志が西安市と協力して建てたものです。その縁もあり、後に四国霊場会の会長だった善通寺法主によって、四国八十八箇所の「零番札所」と名付けられたとか。ちゃんと御朱印ももらえるそうです。
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密教がどのように日本に伝わったかを解説したパネルもありました。
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青龍寺簡介入、という碑には青龍寺の建立から焼失、遺跡としての整備などの歴史、日中友好協力の歩みなどが書かれています。
1980年代はじめ、そういえば日中関係は蜜月時代でしたね・・・きっとここ青龍寺の共同事業もトントン拍子で進んだのでしょう。 -
西安市民や、よそから観光に来たごく普通の中国人は、兵馬俑その他で「歴史はお腹いっぱい」状態になるそうで(無理もないかとは思います)ここに来るのは桜がお目当て、という人が多いらしいのですが、その桜、およそ1000本はすべて日本が寄贈したものです。
1982年に空海記念碑が完成したあと、1985年から1986年にかけて、日本の四国4県の中日友好協会や日本の仏教界から、多様な品種の桜の苗木が青龍寺に寄贈されました。「空海が修行した長安の聖地を、日本から贈った桜で満開にしよう」という、当時の人々の熱い願いと平和への祈りを込めて送ったんですね。
これはサトザクラ(八重桜)の一種。楊貴妃だと、まさにぴったり。 -
しかも日本国内の有名な品種を10種類以上集めて贈ったそうで、そのおかげで3月中旬から4月下旬までの長い期間、いつでも満開の桜に出会えるようになっています。
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西安でお花見ができるとは!
でも・・・・やっぱりコスプレした人が・・・でもこれは実はまだまだマシだったのです。 -
桜の多いところはこんな感じ。人、人、人。
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どうやらこの程度ならここでは「混雑」には当たらないようです。中国の人達が投稿している旅行サイトをみると、混雑にウンザリした人の投稿や、いかにして混雑を避けるかのヒントなどが沢山出ていました。何処も同じ・・・・ですね。
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見るべきものは見たので、外へ。どうやらもう桜まつり?が始まっているようで、食べ物屋台が沢山でていました。
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食べ物だけではなく、日本の縁日でもお馴染みの輪投げや、オモチャ屋などがずらりと並ぶ中を駅の方面へと歩きました。
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なるほど。もうお寺はありませんが、いわばここからが「参道」ですね。
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そして青龍駅へ。4月の休日に来た人達によると、ここからまるでカオスのようだったとか。改札を出るのも一苦労、外に出たら人と車とバイクでごった返し、青龍寺ではチケットを貰う(入場は無料ですが)のに大行列だったとのこと。「桜より人の頭の方が沢山見える」状態みたいですね。この日はまだそこまでのこともなく、助かりました。しかし駅はなかなかの混雑ぶりでした。
私達はこのあと駅を通り越したあたりで無事に運転手さんと合流、次の目的地へと向かいました。
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