2026/03/30 - 2026/03/30
641位(同エリア1683件中)
kirinbxxさん
- kirinbxxさんTOP
- 旅行記473冊
- クチコミ111件
- Q&A回答68件
- 317,106アクセス
- フォロワー34人
次の博物館は、陝西(せんせい)歴史博物館です。1983年から建設が始まり、1991年6月20日に正式にオープンした、展示品の質・量ともに中国国内有数の所蔵を誇る博物館です。所蔵品は170万点以上、 青銅器、歴代の陶俑(兵馬俑や唐三彩など)、金銀器、唐代の墓壁画など、国宝級の貴重な歴史遺産が数多く展示されています。
もちろん、この博物館も予約なしでは入れません。また、西安では最も人気のある博物館ということで、予約開始から1分も経たずに完売になるそうです。
というわけで、先に行った西安博物館なども含め、私達は全部まとめて西安の旅行社に予約をお願いしました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
こちらは、敷地内にある駐車場です。ここで車を降りると、正面玄関はすぐそこ。こういう場所まで車で来られ、空きスペースがなくても降りられるのがガイド以外に運転手がいる最大の利点。
陜西歴史博物館 博物館・美術館・ギャラリー
-
露天で紙ものの雑貨を売っているおばさんが数名いました。4個自由に選べて10元。傘を逆さにして容器にしているのは、取り締まりが来たら素早く商品を抱えて逃げられるための工夫。いずこの国の観光地でも、似たような工夫を凝らした人達が商売をしてますねぇ。
-
これもきっと、収蔵品のどれかをモチーフにしたのでしょう。
-
現在は予約がないと入れないのでこの程度の行列です。
-
規模の大きな博物館なので、複数の建物がありました。こちらは、「西南角楼」といい、正面玄関の左手前にありました。展示室はなく、土産物屋や、飲食スペースとのことなので、入場はしませんでした。
-
主楼(中央本館)はこちら。
-
こちらはエントランスゲートである南門。
-
「展覧導覧分布図(館内フロアマップ案内板)」を見ても、かなり広そうです。
-
館内へ。ロゴマークは郭沫若の直筆から集字してつくったもの、取っ手は中国の古代建築に使われていた瓦の先端部をモチーフにしたもの。
-
観覧者を最初に迎えてくれるのが、この博物館のシンボルとされている「順陵の石走獅のレプリカ」です。(実物は咸陽市の郊外、西安咸陽国際空港の南にある順陵という、則天武后の母親の陵墓にあるらしい)
-
北京原人!と思ったら、藍田原人という、この陝西省で発見された人類でした。1963年代に発見された藍田遺跡から発見された化石をもとに再現したそうです。化石はおよそ100万年~70万年前のものと推定されています。アフリカ以外で年代が確定しているホモ・エレクトスとしては2番目に古く、東アジアでは最古のもの、
-
新石器時代の仰韶文化(陝西省の他、河南省、山西省などで栄え、ろくろを使わない彩陶で有名)を代表する出土品。左上のシンプルな鉢、右上は尖った底が特徴(紐で縛って水に落とすと自重で傾いて水が入り、引き上げると垂直に戻る設計)の水汲み道具。素晴らしい知恵です。
左下は爪や細い棒のようなもので細かく突いたような「錐刺紋(すいしもん)」や「縄文(じょうもん)」に似た繊細な装飾が施されています。
そして右下は紅陶船形壺、当時の舟がモチーフになっていると考えられています。 -
これは石峪遺跡のジオラマです。黄土高原の砂ぼこりが吹き荒れる丘にある朽ちかけた石垣、近くに住む人々は長い間、これは万里の長城の一部だと信じていました。実際に長城はちょうどこのあたりを通過しています。しかし、このあたりでは産出されず、ましてや長城という外敵を防ぐための城塞には場違いなもの、ヒスイとその加工品が見つかったことで、考古学調査が始まりました。
結果、ここは壮大な要塞都市の名残であることが判りました。ピラミッドのようなもの、全長10kmを超える防壁、壁画やヒスイの工芸品など。そして放射性炭素による年代測定の結果、この遺跡の一部は4300年前(万里の長城建設開始の2000年前、殷(商)王朝ができるよりも500年前)に造営され、500年ほどを経て突然放棄されたことがわかりました。現在も調査が進められていて、中国古代史の定説を覆す可能性があるということです。 -
古代の装飾品や祭器も展示されていました。
-
仰韶文化の最大の発明は、赤褐色の土器に黒や白の絵の具で美しい模様を描いた「彩陶(さいとう、彩色土器)」ですが、そこに描かれたり立体化されたりしたモチーフの多くが人間や身近な生き物でした。
右端はその初期のものでまだ抽象的・原始的な造詣です。そのとなりは人や動物を象った陶器の一部、左から二つ目の筒は表面に人の顔のような模様が描かれています。
そして左端。目と口が大きくくり抜かれ、大きく口をあけて驚いたような表情をしている 陶塑人頭像は、10年ほど前から中国のSNSなどでもミームにそっくり、ということで人気を博し、2018年にはBBCでも取り上げられています。 -
さて、ここからがこの博物館の真骨頂です。
陝西省の西部の山林地帯という、所謂「中華」の西の果てに隠れ住んでいた周という小さな部族が南下して力をつけ、西安に都を建て、やがて殷(商)を滅ぼして中華の主となる経過を表した地図です。
ここから「周の時代」の展示が始まります。 -
周原(岐山・扶風)から出土した青銅製礼器たち。
左上から銅鼎、獣面紋鼎、鳳柱斝(ほうちゅうか)、伯壺と言うようです。 -
利簋(りき)、周王朝初期の官僚によって鋳造された青銅製の祭祀用の器です。主に穀物を入れて使ったもの。
1976年に陝西省で発掘されたもので、その銘文によって、周による殷の征服が歴史的事実であったこと、その日付が特定されました。その考古学的価値は極めて高く、中国国外への持ち出し厳禁の文化財に指定されています。(持ち出しとは、海外の展覧会への出品も含みます)
本物なら間違いなくここの「至宝」ですがこれはレプリカ。本物は中国国家博物館所蔵です。この先、北京に行くことがあったらここも訪れたいものです。 -
左上から、同心円状の重環紋が美しい粘土製の瓦。
右上は周原遺跡の宮殿や宗廟の遺構から発見された、大型の建築用ブロック。
左下は古代中国の儀礼や宮廷音楽で用いられた青銅製の打楽器。
右下は「伯庸父盉」、これが出土した張家坡(ちょうかは)遺跡は西周の都があった場所にあり、西周滅亡時に東の洛陽へ逃げる貴族達が地下に埋めた青銅器の一つです。ここから見つかった青銅器に刻まれた多くの銘文により、西周についての史記など文献の記述が史実であることが考古学的に証明されたそうです。 -
古代中国の代表的な青銅製打楽器である編鐘。
中国全土の遺跡から沢山出土しているので、各省の地方博物館にありますね。 -
この酒器、胴体の形もいいですが、なによりも気にいったのが鴨の形をした取っ手。梁其壺という名前がつけられていました。
こまかなところまでしっかり描写された取っ手、胴体の文様、美事なものです。 -
これも酒か水を入れる礼器です。今度は細長い注ぎ口と、持ち手に龍がデザインされています。蓋の頭は、鳩のような鳥、もちろん胴体部や首には細かい文様。
-
これもやはり酒器と考えられています。水牛の形ですね。背中の部分に四角い蓋があり、なんとその蓋には虎が乗っかっていてこれがつまみ。牛の口が注ぎ口。そしてくるりと巻いたしっぽが持ち手です。
牛は周王朝の祭祀では最高位の動物だったそうで、胴体の文様は雲と夔竜文という鳥頭で口ばしが下に下がったような,長身の怪獣を側面から見た形の文様が彫られています。重さが6.9kg、高さ24cm、長さ38cmの堂々たるものでした。 -
これは、四足調色器、だそうです。ラクダ?
四隅に筒があり、発掘したときは絵の具の原料となる鉱物性の粉末が入っていたため、調色器として使われていたと推測されました。パレットみたいなものですね。胴体部に空いている穴の用途はわかりません。 -
饕餮文卣。提げ手のついた酒つぼをあわせて卣といいます。日本の博物館にもそっくりのものがありました。饕餮(とうてつ)は、中国神話の怪物あるいは霊獣の一つでこれを青銅容器に飾ることにより,その中に入れられた神への供えものである食物,飲物を悪霊から守護するという呪術的意味があったそう。
-
酒を入れる壺のような大型のものは沢山出土していますが、このようなものの出土例は少ないそうです。左右対称の大きな取っ手のついた杯。この取っ手の文様は、非常に高い技術で造られたものだとか。
-
西周時代の素晴らしい青銅器の展示のあとに来たのがこの地図です。これは、「秦」の国が首都を遷していった歩みを示す「秦人九都八遷示意図」です。
「中原」「中華」にあった諸侯からみれば、その西(今の甘粛省)にいた秦人は野蛮と蔑まれていましたが、、『九都八遷』という重要な東進・遷都の過程を経て、西の辺境からかつての西周王朝の故地(豊かで中心的な土地)へと移り住んだ。そして、秦の発展に最も適した咸陽に都を定めたことで、その後の中国統一(天下一統)の確固たる基盤が築かれた、という説明がありました。
最後に25代孝公が商鞅を登用して、紀元前350年咸陽に遷都したころには秦の国力は非常に大きなものになっていました。 -
これは穀物を盛るために造られた彩陶土器で、赤、白、黒などの顔料で幾何学的な文様が描かれています。これが作られたのは、西周が滅び、後に春秋時代と呼ばれるようになったころです。
-
これは青銅の龍。2匹の龍が互いに複雑に絡み合う姿をしており、重量は約92.5kg、長さは2m以上に及ぶ巨大なものです。中空の体には精巧な鱗の紋様が施されています。正確な用途どころか、時代もはっきりは判りません。
というのも、これは「発掘」されたものではないからです。1993年冬、西安の検問所で警察が密輸グループを摘発し、バラバラになったこの龍を発見しました。警察から引き渡された陝西歴史博物館の修復チームが7年かけ、このように修復しました。 -
動物の形を取り入れた、戦国時代に作られた青銅器の名品たち。
瓢箪のようなフォルムに鶉の形をした蓋を組み合わせた左下の壺は、廃品回収スタンドから偶然発見されて溶かされる寸前だったのがいまや国家一級文物に指定されています。
他のものも戦国時代~秦王朝時代にかけての青銅器です。 -
錯金杜虎符、という虎の形を模した兵符です。2つのパーツから成る割符になっており、片方は君主、もう片方は君主から兵権を与えられた将軍が持ち、いざ軍を動かす場合には朝廷からの使者が携えた部分と、将軍の持つ側がぴったりと一致しなければならなかったとか。この博物館の収蔵物ですが超貴重品らしく、これはレプリカでした。
-
「中華を統一した最初の王」の死後、彼がたてた秦はあっというまに滅び、次に中華を統一したのが「漢」でした。展示はここからその漢の時代へと移りました。この地図は西漢(日本の高校では前漢と習いましたね)のほぼ最盛期の地図です。前200年2月に秦の都であった咸陽の地に新しく造営した都が「長安」です。匈奴に敗北したり、高祖の皇后が実権を握って混乱したり、大きな乱が起こったりはしたものの七代武帝のときに漢は最盛期を迎えました。匈奴を制圧、西は現代の中国の領土とほぼ同じあたりまで達し、朝鮮半島やベトナムまで広がる「世界帝国」が出現しました。
-
日本でも創作などによく使われる東西南北の「四神」を象った瓦当(丸瓦の先端を保護し、装飾するための円形の瓦)です。四神は、原形は新石器時代に遡る可能性がありますが、戦国時代に天文学と結びつき、前漢の頃には陰陽五行説とも結びついて、このような瓦当、鏡、墓の壁画などに頻出するようになりました。
-
このころから、金メッキを施された青銅器が現れました。
-
漢の時代につくられた俑、左側はおそらく侍女や文官、そして右端のは「盾を持っている陵墓の衛士」だそうです。
-
こちらの歩兵俑は彩色されています。ポーズはそれぞれ、盾や槍などをもっていたから。それらは、木や皮で作られていたため2000年以上経つ間に朽ちてしまいました。
おかげでこのような味わいのあるユーモラスなポーズで、まるで3人で踊っているかのよう。 -
前漢の終わりから後漢にかけての時期に作られた酒器で、使用者の死後は副葬品として共に墓に納められたそうです。
この色と繭を象ったと言われる形が世界的にも人気を集めているとのこと。日本でも数万円で買える本物もあるようです。(このような美しく、状態の良いものは貴重ですがこの形式の器自体は非常に数多く作られたということです) -
我が家は牛に関するものを集めているのですが、これは欲しい!うずくまった牛を象ったヒスイです。1972年に前漢時代の遺跡から発見されたもの。
-
この牛は青銅製のランプです。
-
この盾を持つ兵士の俑は、華北の西部を支配していた西魏の時代に作られたものです。
-
これは彩色された「胡人」の武士。北魏の時代のものです。これまでに見てきたものとは違い、盾も土で作られているためちゃんと残っています。武器の方はやはり木製だったのでしょう。
-
この博物館では要所に地図や年表、解説などが展示されていました。
この年表、高校生の頃の「世界史資料集」で同様のものがありました。私が高校生の頃は世界史が必修で、教科書の三分の一くらいは中国史、その中国史の中でも憶えるのが大変だったのがこの時代、魏晋南北朝時代でした。
日本では「五胡十六国」というところ、現在の中国の博物館では「胡」がもともと漢民族ではなく「野蛮な民族」というニュアンスがあるということで単に十六国というようですね。 -
北周で造られた、三尊像です。北周の仏像はそれ以前の北魏時代の「細身で鋭い様式」に比べ、顔が少しふっくらとし、体つきに丸みや厚みが出てくるのが特徴と言われています。この特徴は後の隋、唐の時代にさらに洗練されていくそうな。
-
これらは主に唐代(618年~907年)に作られた墓葬用の「陶俑(とうよう)」や「唐三彩(とうさんさい)」と呼ばれる焼き物です。上段左から2つめの永泰公主の陵から出土した馬が特に有名です。
-
唐代の軍官であった「孫承嗣」とその妻の合葬墓(西安市南郊で出土)から発見された副葬品(陶俑)です。 高さは約25cm、赤土でつくられています。彩絵十二生肖陶俑、「擬人化された十二支」の像ですね。唐代にはこの十二支を象った俑は副葬品としてとても人気があったそうで、ヨーロッパのオークションではよく出品されるとか。
-
これは大迫力。明代の彩絵儀仗俑です。1990年、明王朝の一員で秦王であった人の墓から300体以上の陶製の人形が発見されたときは大変な騒ぎになったそうです。傷みの激しいものをのぞいた全てがここに、台座に墨で記されていた情報を元にして整然と並べられています。帽子や髪型、衣服の色や長さなども丁寧に描写されていて当時の制度などの貴重な資料でもあります。
-
ちょっと変わり種?象牙で造られた白菜です。
台北の故宮博物院のヒスイの白菜を見たときも「なんで白菜?」と思いました。聞けば、中国語で白菜は「バイツァイ(báicài)」と発音し、これが「百財(あらゆる財産)」と同じ発音、それで「金運や商売繁盛のシンボル」なんだとか。 -
白菜を見たからではありませんが、お腹も空き、程よい時間になったのでお昼ご飯を食べにこちらへ連れていってもらいました。陝西省・西安の名物麺料理である「岐山臊子麺(チーシャン・サオズミェン)」を提供する有名チェーン店「永明岐山面(ヨンミン・チーシャンミェン)」です。隣にあるのは、陝西省北部・延安スタイルの伝統的な涼麺を食べられるお店です。
永明岐山麺 ファーストフード
-
左は多くの中国料理店で見かける看板ですが、西安ならやはり羊肉串でしょう。ホテル近くの屋台でも定番中の定番、クミンの香りが特徴的です。麺やお粥も豊富にそろっていました。
-
堂々と飾ってあったこの看板は、西安老字号と書いてあります。西安市商務局が公認(認証)した「老舗(しにせ)」の証明書です。調味料や薬味、スープや湯はセルフサービスで。
-
ガイドさんが持ってきてくれました。さっぱり(といってもそこは中国料理、油は使われています)した箸休めです。
-
岐山臊子麺はこのような、小さな器に数口で食べられる量を入れたのを沢山供するのが伝統的スタイルだそうです。麺が伸びず、スープが熱々のうちに、ということですがそれならなぜわんこそばみたいに・・・と思いましたが、元々この「一口香」は、農村での結婚式や葬式、お祝い事などで何百人もの親族や村人に一斉に振る舞う「宴会料理」として発展したとか。それなら納得ですね。それに、中国の文化ではもてなすにはまず卓上を料理で一杯にしなくては!
シニア夫婦はこれを2人で分けて、そこそこ満腹に。シェアして食べるのは全く問題ありません。足りない人は追加注文すればいいだけです。
個人的には、まぁ、一度経験すればそれでいいかな・・・ -
ガイドさんがこれもぜひ食べて、と持ってきたのは肉夾「食莫」(ロージャーモー)、西安を代表する超定番のB級グルメです。中国式ハンバーガーという人もいますね。
お腹いっぱいになりました。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
2026年 西安訪問記
-
2026年 西安訪問記(1)大阪から西安へ
2026/03/28~
西安
-
2026年 西安訪問記(2)プライベートツアーで巡る西安 兵馬俑博物館へ
2026/03/29~
西安
-
2026年 西安訪問記(3)プライベートツアーで巡る西安 秦の始皇帝陵へ
2026/03/29~
西安
-
2026年 西安訪問記(4)プライベートツアーで巡る西安 中国史を彩る温泉保養地・華清宮
2026/03/29~
西安
-
2026年 西安訪問記(5)プライベートツアーで巡る西安 明代の西安城壁
2026/03/29~
西安
-
2026年 西安訪問記(6) プライベートツアーで巡る西安 西安博物院
2026/03/30~
西安
-
2026年 西安訪問記(7) プライベートツアーで巡る西安 陝西歴史博物館と名物料理で昼食を
2026/03/30~
西安
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
この旅行で行ったグルメ・レストラン
西安(中国) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 2026年 西安訪問記
0
53