2026/08/23 - 2026/08/23
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スネフェルさん
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岩村城にやってきました。
三大山城の一つで日本で一番高所にある城です。
城下まで車で到着した時はそれほどの高低差を感じなかったのですが、登り始めるとなかなかの高低差です。
ただ、道が整備されているため、八王子城に行った時のように本格的な「登山」感はでません。
山一つを城としたこともあって、奥行きが半端ないです。
全面に石垣があるのではなく、要所要所に石垣を配置して他は土塁で構成、といった形です。
平城の様に、平地に土を持ったわけではないので、斜面に合わせて石垣を築いた、といった印象を受けました。
段々になった石垣は鉄砲時代ではなかなか作られなかった構造です。
岩村城といえば、逆磔になった織田信長の叔母・おつやの方の城として有名です。
武田との攻防の舞台となった城、とも言えます。
長篠城は守り抜き、後の繁栄を迎えましたが、その陰で人質よして奥平の養女となった家臣の娘が磔になっています
逆磔は絶命まで時間がかかり、残酷な刑罰として有名ですが、逆磔を選んだ信長の怒りの深さを否応なく感じます。
とはいえ、おつやの方が磔にされる契機となった武田氏が滅亡した際、信長はここ、岩村城に滞在し、武田の滅亡を聞いたのを、ここ岩村城の天守を訪問した際に知りました。
そして、その数週間後に本能寺の変。
おつやの方の「呪い」のようなものを感じました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 3.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- レンタカー 徒歩
-
長野駅から特急に乗って向かいましたが、その前に長野電鉄の長野駅に寄りました。
かつてのNEXの車両が長野電鉄の特急として留置されていました -
長野駅の鉄道むすめ
JR側では見なかった気が・・・ -
出発前の腹ごしらえ
ホーム外の駅そばです -
と、思ったらホーム内にも駅そばあったのね・・・
-
特急入線
先頭車両はかっこいい -
後尾側はちょっと微妙な顔・・・
-
シートはいたって普通。
コンセント等はありません -
途中、日本3大車窓の箇所を通ったのですが、絶景といえるほどでは・・・
-
特急を中津川駅でおります。
ここからローカル線に乗り換え -
中津川駅。
国鉄っぽい駅舎 -
栗きんとん発祥の地らしい・・・
-
「栗きんとん発祥の地」の碑
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苗木城500年の碑
ここは苗木城のおひざ元なので、岩村城より苗木城か・・・
次はここに来よう -
「これより北 木曽路」の碑
街道の結節点なんですね -
ローカル線に乗り換え。
-
恵那駅に到着
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恵那駅前の地図
-
市内を少し歩きます。
恵那は宿場だったんですね
宿場時代の地図が道端にありました -
雰囲気のある灯篭も道端に鎮座
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道の一角に神社が
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駅前神社というの余り他では見ず、いいですね
-
恵那市のマンホール
カラフルです -
岩村駅まで到着
-
岩村駅のホーム
折り返し駅であることもあり、構内は大きいです -
駅前にあった城下町の地図。
主街道の脇に店が連なる構造であるのが特徴。
中山道から分岐した岩村街道がここまで続いていたのでしょう -
駅前を少し散策
-
駅前には鴨長明塚があります
石碑が1本立ってるだけです。
方丈記を書いた人で有名な鴨長明ですが3m四方のはず。
敷地は3m四方ではなかったようです -
鴨長明が晩年ここに住んでいた様です
-
鴨長明の塚碑
-
駅前のレストランで昼食をとることに
満席で別棟に案内されました -
別棟の入口
-
いや、これ、料亭でしょ?
-
うん、料亭だ・・・
-
恵那鶏親子丼を頂きました
-
岩村城の城下町
古い建物が残っています -
さて城域に来ました。
歴史資料館があったので入ってみましたが、城の資料は余りありませんでした。
城とはあまり関係のない、地域の郷土資料館の様な展示物でした
これで500円は高い。 -
資料館横に駐車場があるのですが、駐車場脇にはなにやら城っぽい建物が
藩主邸跡のようです -
駐車場へ通じる道から見た御殿部分の構造。
曲曲輪構造になっています -
階段から門があり、門の脇には櫓
城門の風情です
一部しか残っていないのは残念 -
この隅櫓は太鼓櫓というみたいです。
-
門のような建物もあります
-
この門は、藩校跡だったようです
-
のぼりは百名城より三大山城を強調。
そりゃ、百より三の方が希少ですもんね -
岩村城の古絵図がありました。
-
城へ通じる道
-
城碑
「登城口」とありますが、登山口の予感が・・・ -
少し上ると早速左手に土塁が見えてきました
-
土塁の先には石垣も
-
碑がありますが、よく読めません
-
下田歌子さんの生家があったようです。
下田歌子さんは実践女子学園の創始者とか。 -
下田歌子さんの顕彰碑のようです
-
下田歌子さんの勉学所の門
-
斜面にあるので境界部には石垣があります。
往時は土塀があったのでしゃないでしょうか? -
下田歌子さんの勉学所
庵、といった風情 -
下田歌子女史像
-
さて、下屋敷エリアを過ぎて城域に入ります
-
石畳みが見えてきましたが、これは当時モノではなく、のちに作られたものでしょう。
綺麗すぎるので。 -
初門跡
ここの大手道はゆるやかに曲がっています。
大手道の中で、唯一の曲線部だとか -
樹々の間を進みます。
樹々の高さが廃城からの期間を感じさせます -
石畳と林立する林が良い雰囲気です
-
樹々が減り、少し開けた空間に出ました。
一の門跡です。
右手に土塁が見えます。 -
右手は土塁ではなく、石垣でした
-
土岐門跡
建物が失われていますが、立派な門があったことは想像できます -
石畳みは消えました。
山道です -
畳橋跡。
この石垣と石垣の間に橋がかけられていたようです -
畳橋の右側の石垣。
結構な高さがあります -
追手門跡。
三重櫓があったようです -
再び石垣が見えてきました
-
屈曲する道の両側に石垣が。
この上に土塀や櫓があったのでしょう。
攻め手は左右かられないうちされて殴殺されるポイントですね。
戦闘可能な兵力の展開はせいぜい左右2-3人。
ランチェスター第二法則に従えば、このスポットで左右2二人で十分に殴殺できたはずです。
守れなかったのは、通過する兵力が矢や銃の発射速度に比べて膨大だったからでしょう -
古井戸が傍らにありました。
何か所か井戸を見かけました。
水が確保できる城は籠城もしやすいです -
再び左右を仕切る門跡
門を破るとまた門が現れる。
心をへし折る構造ですね。 -
左右に石垣がある道を進みます。
ここも殴殺スポット -
霧ヶ井というらしい
敵が攻めてきたとき、城秘蔵の蛇骨をこの井戸に投げ入れるとたちまち霧で城を多い、守ったとの伝説がある、とのこと。
ってか、井戸に蛇骨投げ入れるって、普通は発想しないよね?
ここには記載されない、何か伝承があったのかな? -
霧ヶ井の前の曲輪
-
八幡神社があるようです
向かってみます -
城を作った加藤景廉公を祀っているらしい
wikiによると城の創建はその息子の景朝とある
息子が父が創健者として祀ったのかな? -
八幡宮跡
屋根は後付け感が強いので、中の社がオリジナルなのでしょう -
さて、本丸に向かいます
-
ここには菱櫓があったようです。
跡形もありませんが・・・ -
菱櫓跡まで来ると段々になった石垣が見えてきました。
-
石垣近景。
七尾城の時もそうでしたが、この様式でした石垣は積めなかったんですね。
段々の下に隠れると鉄砲の直射は防げそうな空間がありました。
石垣下に取りつくと、石垣を登るチャンスはありそうな構造です -
六段壁という様です
-
少し引いて観た六段壁
テラス部は狭いが石垣が遮蔽物になる角度でもあります。
ここに張り付かれると鉄砲で排除するのは難しかったことでしょう -
石垣脇の階段を上って本丸へ
-
一段あたりの幅は狭い
-
本丸入口が見えてきました。
石垣基部とは結構な高低差がありました -
本丸入口
ここに門があったのでしょうから、入口の防御力は高そうです -
本丸の入口は曲がり曲輪形状になっています。
ここで敵兵を滞留させ、殴殺する構造 -
本丸に到着
-
本丸の標識
-
甲州征伐時、信長がここに宿営した、とあります。
その80日余後、本能寺の変で信長は討たれます。
ここ岩村城は叔母であるおつやの方を虐殺した地でもあります。
おつやの方の呪い、を感じてしまいました
おつやの方の無念も少しは晴れたのはないでしょうか -
本丸から岩村市街(城下方面)を望む
-
慰霊碑がありました。
落城時に詰めていた兵士3000名は値切りになったと伝わるので、無念の想いを鎮めるのは大変そうです -
岩村城は県指定史跡であるようです。
手は入っていますが、県レベルの指定とはちょっと意外。
歴史的にも城史的にも、国指定にふさわしいのでは? -
昇龍の井戸
-
岩村城の南側
-
南側は急な崖です。
人力でこちらから攻めるのは難しかったでしょう。
攻め口は北からしかなかったため、北側に出丸が築かれたのでしょう -
休憩所
駐車場が併設 -
休憩所の中には歴代城主の名前が
-
休憩所から本丸を眺める
一部が現代の石垣になってしまったのはちょっと寂しい -
おまけ:岩村のマンホールアート
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