2026/07/09 - 2026/07/09
202位(同エリア348件中)
まつこさん
この旅行記スケジュールを元に
壱岐島の旅の2日目です。
郷ノ浦のホテルを出発して、近い順に気になる古い神社を巡ります。「天手長比売神社跡」、「天手長男神社」、「國片主神社」、「月読神社」と徐々に北上してから島の北東部にある「諸津観音白歯雪公園」「勝本城跡」まで行くとお昼になったので、島の最北部、勝本港で昼食を食べました。
昼食後は勝本浦にある「聖母宮」や「馬蹄石」等の神功皇后ゆかりの史跡を訪ねてから「猿岩」を見に行きました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- JTB
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壱岐の旅2日目の朝食です。ここ壱岐マリーナホテルの朝食はよくあるバイキングではなくご飯とお味噌汁と、4つに区切った御膳にしっかりと和食の小鉢が付いてきます。朝食会場に宿泊客が姿を見せる度にベテランの女性達が何人も出て来て御膳を運んだりお味噌汁やご飯やお茶を持ってきてくれて、しかも丁寧に挨拶をしてくれるのが、今どきのビジネスホテルには珍しいおもてなしです。献立の内容もホテル用の既製の食材ではなく地元の食材を使って丁寧に薄味に作っているのがわかります。
そんな正しい?朝食で元気をつけて、いざ出発。 -
壱岐は神社の宝庫。日本神話でお目にかかる神様の名称の付いた神社が目白押しなので、全部回るのは無理でも気になる神社には行ってみようと思っていました。
そこで先ずはホテルに近い所から、ということで一番に来たのが「天手長比売神社(あまのたながひめじんじゃ)跡」。祭神は栲幡千々姫命(たくはたちぢひめのみこと)をはじめとする五女神です。跡とついているので、社殿は無く現在は向かい側にある「天手長男神社(あまのたながおじんじゃ)」に合祀されています。
天手長比売は日本神話に登場する女神で栲幡千々姫命と同一の神と考えられ、機織や手仕事の神とのことです。なんだか七夕伝説を連想します。
それにしても風格のある鳥居です。 -
鳥居をくぐって石段を上るとさらに石畳の参道が続き、その奥に祭壇が残っています。石段の下から感じる鬱蒼と木々が茂る印象に反して、社殿跡は明るく清浄な雰囲気でした。
尚、鳥居横に左片方だけ立っている燈籠の上に逆さまになった狛犬が乗っているのは他に類を見ないものだそうです。 -
「天手長比売神社」と対を成すように川を挟んだ向かい側にあるのが壱岐国一の宮でもある「天手長男神社」です。天手長男神も日本神話に登場する神で、「天手力男命(あめのたぢからおのみこと)」と同一神とされます。「天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)」「天細女命(あめのうずめのみこと)」も祭神となっており、開運や勝負運にご利益があるとか。それでもここは対に祀られている天手長比売神社との位置関係から、地元の方にとっては夫婦円満を祈る神社なのでは、と私は考えてしまいます。
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本来なら天手長比売神社の向かいから上るこの石段が正式な参道となるのですが、一部崩れて危険な為に通行禁止となっており、角を曲がった所に新しい参道ができていました。これは新しい参道から古い石段を見下ろした写真です。 -
こちらが新しい登り口。
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ここは合祀された神様の古いお住まいでしょうか?
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天手長男神社を後にして道を北上して行くと、道路の突き当たりにまた珍しい名前の神社を発見しました。その名も「國片主神社(くにかたぬしじんじゃ)」。主祭神は「少彦名命(すくなひこなのみこと)」ですが、菅原道真まで祀られています。ここも811年創建の古い神社です。壱岐島のほぼ中心部である国分にあり、また近くには国分寺跡もあります。壱岐の要衝といった場所でしょうか。
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この辺り国分は「壱岐のへそ」と言われるだけあって、鳥居の左側にある岩にはこんな丸い石が乗っています。
江戸時代に書かれた「壱岐名勝図誌」に「女夫石」の記載があり、当時から壱岐の中心として道標になっていたようです。元は道路の南側にあったものが工事によってこの神社の前に移されたそうです。地元では「へそ石」と呼ばれています。 -
國片主神社の境内にある、 人が腹ばいになってようやく通れるほどのミニ鳥居。祭礼の日にこの鳥居を潜って合格祈願や厄除けなどの願掛けをするそうです。
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菅原道真を祭る天満宮らしく牛の像もあります。
少彦名命も日本神話に大国主命とペアで登場する身体の小さな神様ですが、医薬の知恵を授けたり温泉を発見したりと産業を発展させた神様なので、多方面の願掛けにご利益があるのでしょうか。願掛けのミニ鳥居の他にも「撫で小僧」や「招福猫」もある面白い神社でした。 -
國片主神社から東に行くと、今回私が一番来たかった「月読神社(つきよみじんじゃ)」がありました。
日本各地に「月読神社」と名のつく神社は12社、月讀命(つくよみのみこと)を祭る神社は80数社あるそうですが、その中で壱岐にある「月読神社」は全国の月読神社の総本社、すなわち月読神社発祥の地というわけです。
月讀命は日本の生みの親伊邪那岐生命(いざなぎのみこと)伊耶那美命(いざなみのみこと)から生まれた有名な三兄弟神の真ん中、天照大御神(あまてらすおおみかみ)を姉に、素戔嗚命(すさのおのみこと)を弟に持つ神様です。姉が太陽を、その下の弟である月讀命は月にまつわる暦や潮の干満、女性の出産等を司る神様です。
京都の松尾大社の左側にある月読神社は普段は宮司さんも滞在しておられない神社ですが、静寂の中に神様の存在感がある不思議な雰囲気があって心惹かれる神社です。総本社である壱岐の月読神社に実際に来てみると苔むした石の鳥居にさすがの歴史を感じます。ちなみに日本書紀によると壱岐の月読神社から京都の月読神社に分霊されたのが487年とされているので、壱岐の月読神社はそれ以前からあったという事になります。
この月読神社や、今回は行きませんでしたが航海安全を司る「住吉神社」の総本社もあって、壱岐は本州へと神道が伝えられた神道発祥の地とも考えられます。 -
神社の最上部にある小さな鳥居に「山の神」と書いた札が下がっています。そう、月讀命は江戸時代以前は山の神と呼ばれていたそうです。
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この時期は茅の輪くぐりで身の穢れを祓う時期なので、私も潜りました。
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赤い鳥居には「月読神社」と、鳥居の向こうの古い石の祠には「月弓命」と書かれています。
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福を呼ぶ「招福の鼓」。小槌で歳の数だけこの木の板を叩いてから、赤い鳥居の前でお願い事をするのだそうです。
日本最古の月読神社もまた、人間の願い事を聴いてくださるありがたい神社でした。 -
神社をいろいろ参拝したので次は少し毛色を変えて、島の北東部にある「諸津観音」を見に行きました。正式には「諸津観音白歯雪公園(もろつかんのんしらはゆきこうえん)」という名称です。
急坂やカーブの多い道を迷いながらたどりつくと、入口の門構えから驚かされます。これは一体お寺なのか? -
先の入口を通り過ぎると突然木魚を叩く音が聞こえて振り返ると、このケースの中で一休さん?が動いていたのでした。どうやらセンサーが人の動きを感知すると動き出すようです。
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諸津観音は高さ約9mの石造りの聖観音像です。この公園は壱岐出身の本城満征氏が平成15年に開園したもので、公園の中を巡っていくと釈迦涅槃像や弘法大師像、十一面観音など仏像や河童や玉等が置かれ、それぞれのスポットで音楽が鳴りだしたりおみくじの人形が動きだしたりするしかけでした。全部回るとかなり時間がかかりそうなので、途中で引き返しました。
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全部回るとこの案内図の通りです。仏像を巡るテーマパークみたいな公園でした。
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お昼は勝本港周辺で海鮮を食べるつもりです。その前にあと1か所、勝本城跡に寄ります。
駐車場に車を停めると、山頂に続く細い道が鬱蒼としていたのでパスし、標識に従って角を曲がると立派な「御柱」が立っていました。由来は後で説明しますね。 -
豊臣秀吉が朝鮮出兵の折に壱岐に作らせた拠点が勝本城です。本人が来たわけでもないのに御座所まで作らせた形跡もあります。
勝本城は壱岐島の最北部に開かれた勝本港を見下ろす山城ですが、秀吉が命じただけあって安土桃山時代の技術があちこちに見られます。
車を山頂近くの駐車場に停めてお城正面に回ると「男嶽神社(おんだけじんじゃ)」の札の掛かった鳥居をくぐり石段を上っていくのですが、男嶽神社の本社は芦辺港の近くにあるので、この勝本城にあるのは本社を分祀したものと思われます。 -
この石段の先が勝本城の大手門であり両側の石垣は穴太衆の組んだ石垣です。
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男嶽神社の祭神は「猿田彦命(さるたひこのみこと)」なので、勝本城跡にある灯籠にもお猿さんが乗っています。
そして灯籠の建っているこの石垣こそ、戦国時代に活躍した石積集団、穴太衆の「野面積み(のづらづみ)」の技術が生かされた石垣なのです。
秀吉の命を受けた平戸領の松浦鎮信が有馬、大村、五島の長崎の武将達と協力してわずか4か月で石垣を完成させたと言われています。築城後7年間は朝鮮に物資を送るための基地として使われましたが、秀吉の死後破城となりました。 -
この勝本城跡の一画に展望台が設置されています。上ると、
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眼下に勝本港、その奥に景勝地である辰ノ島、遙か彼方に対馬の見える絶景です。
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位置関係はこの通り。
この展望台を訪れていた地元の方から「辰ノ島には行った?」と聞かれて初めて、辰ノ島の美しい景観とビーチの事を知りました。今回の旅行ではノーマークだったので、今から遊覧船で辰ノ島に渡る時間も無く断念しましたが、エメラルドグリーンの海と断崖、「日本の快水浴場100選」に選ばれたビーチを見てみたかったなぁ。 -
さて、これから昼食を食べに勝本港周辺のご飯屋さんを探します。
勝本港からは辰ノ島行きの観光船が出る他は漁港としての役割が大きいようです。 -
これは巻き網の機械なんでしょうか。
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長く伸びた港を囲む道路を走ってみて、駐車場も近くて入りやすかったのがここ「海神(わたつみ)」さんでした。昨日食べれなかったウニを食べるチャンス!
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とは言え最近は高くてなかなか口に入らないイカにも魅力を感じ、私は「海神スペシャル」3600円。甲イカとマグロと、ウニも少量ですが載っています。
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連れ合いはズバリ「生うに丼」小なので3500円。今まで見かけたお店では4000円以上だったり「時価」だったりしたので、お安い方かと思います。
かつて壱岐では比較的安いウニが食べられたのですが、現在は環境の変化や海女さんの高齢化もあって漁獲高は年々減少しているとのこと。壱岐のウニは見かけは崩れているけれど味は良いのだそうです。
ともかくこれで壱岐に来た目的の一つは達成しました。 -
勝本浦は玄海灘に開けた大陸への玄関口なので、中国や朝鮮半島との交渉に関する文化財が多く残っています。中でも港の西のエリアは神功皇后に関する伝承や文永の役の際の元軍の上陸地の碑、文禄•慶長の役の時の物見台、朝鮮通信使の迎接所跡など興味深い文化財が集中しています。食後はそういった文化財を見に行きました。
この巨木はそれとは直接関係ないのですが、長野県諏訪大社の御柱祭に使われたモミの木の先端部分です。諏訪市に生まれ勝本町で客死した蕉門の1人、河合曾良との縁から、友好都市である諏訪市から寄贈された物です。本体は勝本城跡のある城山公園に建立されています。 -
神功皇后が勝本浦から新羅に遠征された際、皇后の乗った馬の蹄の跡がついた石とされるのが「馬蹄石」です。神功皇后は別名「息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)」、仲哀天皇の后で三韓出兵を成し遂げ後に応神天皇を産んだ伝説の人物です。
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この神功皇后を祀ったのが「聖母宮(しょうもぐう)」です。加藤清正が寄進したという西門は現在修復中でした。ここ聖母宮も奈良時代の創建で壱岐国二の宮です。
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門にこのようなわかりやすい説明書が貼ってありました。
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境内に並ぶ4つの石は「力石」として、江戸時代から昭和初期にかけて若者たちが力競べに用いた石だそうです。石の重さは左から順番に。100キロ、72キロ、65キロ、52キロ。丸くて滑りやすいので、この石を持ち上げた物は豪傑と認められたそうです。
壱岐の神社は古い歴史があっても気取らず庶民に親しまれている印象です。 -
「文永の役元軍上陸地」と書かれた石碑。現在は浜は埋め立てられて波打ち際はもっと先にありますが、当時はここまで海で、この海岸から元軍が大挙して上陸して守護代の平景隆らが応戦するも壊滅、島民も甚大な被害を被りました。
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昔はおそらくここまでが海岸だったのでしょう。その先は現在「馬場先公園」となっています。
さあ、いよいよ壱岐で最も有名な観光スポット、「猿岩」を見に行きましょう。 -
やって来ました!壱岐のシンボルとも言える「猿岩」は想像以上のスケールでした。高さ45メートルとの事ですが、もっと大きく感じます。
壱岐にはお猿さんにまつわる物が多いとは言え、この猿岩はそういった先入観を差し引いても、どうしたって猿の横顔に見えますよね。 -
展望所から草地に降りててくてくと草地の途切れる所まで行ってみました。
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草地の向こうは切り立った断崖絶壁でした。
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右手に見える島が地元の人が話していた辰ノ島かな?
なるほど九州側から反対の玄海灘の奥に進むほどに、海は青く輝いています。
この後は夕方まで時間があるので壱岐湯本温泉のどこかに日帰り入浴しに行きます。
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旅行記グループ 魏志倭人伝に登場する一支国へ 壱岐島3日間
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