2026/07/19 - 2026/07/19
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7月3連休中日
この日も18きっぷを使い(青春18きっぷが連続3(5)日の使用に変わってしまったので)出かけました
朝は曇って(雨も降って)いましたが、軽井沢に着いたらすっかり晴れ、前日とは打って変わって灼熱の太陽の下の酷暑
そんな酷暑の中、道の駅2駅を巡り、海野宿を歩いてきました
【表紙の写真】海野宿
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 徒歩
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2日続けての早朝赤羽駅
赤羽駅 駅
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この日は05時23分発 高崎行に乗車します
JR高崎線 乗り物
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終点高崎には 06時55分に到着
高崎駅 駅
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接続の信越線横川行は 06時58分発
JR信越本線 乗り物
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07時31分に終点横川駅に到着
次のバスの出発は08時10分なので、高崎からは次の電車でも良かったんですけど、とりあえずここまで来ちゃいました横川駅 (群馬県) 駅
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嘗て信越本線は、この先碓井峠を越えて軽井沢へと繋がっていましたが、新幹線が開業したことによりこの先線路は途切れてしまい、こちらは横川駅構内の信越線線路の終端
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横川駅を出て
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すぐの場所にはアプト式のころに使われた車両の動輪
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駅すぐそばの碓井峠鉄道文化むらに続く路面軌道
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その先に続く碓井峠鉄道文化むら
当然この時間は開園前です碓氷峠鉄道文化むら テーマパーク
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この日の天気は予報では晴れだったけどちょっと怪しい
高崎を通った辺りでは雨が降っていたが、とりあえず雨はやんだようですが~ -
碓井の関所
碓氷関所跡 名所・史跡
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おじぎ石
通行人はこの石に手をついて手形を差し出し通行の許可を受けた
現代でこんな制度があったらコンプラ上大きな問題となりそうだけど -
鉄道文化むらの展示車両も見えます
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大分青空が広がってきてちょっとホッとしました
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08時10分 先ほど乗って来た次の08時05分横川駅到着の信越線の乗継客を待って、乗客29名を載せたバスが軽井沢へ向けて出発
JRバス関東 (群馬) 乗り物
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バスは碓井峠を登ってここで標高1,000m
横川駅の標高が388mなので、一気に612m上ってきました -
県境辺りでは霧も発生していましたが・・・
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08時44分の到着予定時刻よりも少し早く軽井沢に到着する頃にはすっかりきれいな青空に
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ここからはしなの鉄道に乗換となります
軽井沢駅 駅
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08時54分発 長野行の電車に乗換て
しなの鉄道 (電車) 乗り物
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09時28分 滋野駅に到着
外は既に猛暑、いや、酷暑間近滋野駅 駅
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ここ滋野駅は江戸時代の力士雷電為右衛門生誕の地
雷電為右衛門(明和4年~文政8年 本名・関太郎吉)は信濃国小県郡大石村に生まれ、天明元年相撲好きの長瀬村庄屋上原源吾右衛のもとへ寄宿、天明4年上京し伊勢ノ海部屋入門、天明8年松江藩お抱え力士となり、文化8年の引退
江戸本場所での通算成績は254勝10敗(34場所)で、勝率は9割6分2厘
引退後も文政2年まで松江藩相撲頭取を続け、文政6年妻八重の郷里臼井(現在の千葉県佐倉市)に転居し、文政8年59歳で死去 -
駅を出てその正面に続く上り坂の道をひたすら進む
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途中には佐久間象山の撰文揮毫による雷電顕彰碑が建つ
1861年建立で、石片が勝負ごとにご利益があると削られ続け判読できなくなり、勝海舟・山岡鉄舟の発起で新しい石碑が建立されたため、新旧両碑が建っています -
7月も後半に入り夏全開を象徴するヒマワリ
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途中、道を一本外れたところにある雷電為右衛門生家に立ち寄ります
「生家」とはなっていますが、出世した雷電が大関時代に建てたものだそうです力士雷電の生家 名所・史跡
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ここから入ります(無料です!)
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恩人の上原源吾右衛門に遠慮して上原家よりも一回り小さく建てたそう
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外にある雷電の鋤石は、雷電が田畑の行き帰りに鋤の先に吊るして体を鍛えたものとされています
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家の中に入ると目の前には土俵
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暫くは関家の納屋として使われていたそうですが、昭和に入ってから復元され、1984年から一般公開されています
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奥の床の間には先ほど建っていた雷電記念碑の拓本も掲げられています
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雷電直筆とされる「諸国相撲控帳(雷電日記)」「萬御用覚帳」の原本の写しなども保存されています
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稽古の様子を見学できるように二階座敷が設けられたそうです
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殆ど人も歩いていない道ですが、お墓へ向かう途中のマンホールの蓋は雷電仕様
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生家の近くにある雷電のお墓は関家の墓地の中に建っていました
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雷電の手形
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さて、先ほどの駅前から延びる道へと戻り、上信越自動車道を潜った先の交差点を右に曲がって暫く行ったところ
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道の駅 雷電くるみの里にようやく着きました
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途中寄り道もしましたが、酷暑の中、駅からひたすら上り坂を歩いて50分ほど
距離は2.5kmほど(AI検索による) -
涼しいことを期待して中へと入ります
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まずはスタンプいただきました
図柄はもちろん雷電道の駅 雷電くるみの里 道の駅
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駅名が「くるみの里」と言うだけあってもちろんくるみも売っています
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野菜の直売所
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雷電の銅像の奥に
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無料で見学できる力士雷電展示館があります
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化粧まわしのレプリカ
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雷電の手形
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雷電の肖像
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こちらにも記念碑の碑文(拓本)
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手形
さすがにかなり大きい! -
こちら「お食事処 湯の丸」さんで早めの昼食にします
お食事処 湯の丸 グルメ・レストラン
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人気1位 とんかつ定食
人気2位 カツカレー
人気3位 もつ煮定食
人気4位 くるみそば
人気5位 くるみおはぎ定食 -
店頭ではおそばを手打していましたが
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スタンプブックの当駅のオススメにもなっている「くるみおはぎ」がメインの「くるみおはぎ定食」をいただきます
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「くるみおはぎ」は単品でこちらの「お食事処湯の丸」さんで頼んでも、お隣の物産売場で購入しても2個で380円 こちらの定食は550円でした
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ご当地グルメも感じられ、もっちりとしていて美味しい逸品です
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道の駅のサンセットデッキからは北アルプス連峰が眺められます
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すぐ隣には上信越自動車道が通っていますが、こちらの道の駅は高速側からは利用できません
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アマビエにお別れを告げて
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滋野駅に戻ってきました
行きはひたすら上り坂で、寄り道もしたので道の駅まで50分ほどかかりましたが、帰りは30分ほどで戻ってきました
滋野駅を最寄りとする道の駅はもう一つ
ということで一旦駅を通過して駅の反対側へ滋野駅 駅
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線路を潜り坂を下ると
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一面の田んぼ
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千曲川を渡って
千曲川 名所・史跡
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道の駅みまきに来ました
こちらは駅から歩いて20分ほど(AIによれば1.6km)
滋野駅から雷電くるみの里が2.5km、同じくみまきまで1.6km→雷電くるみの里からみまきまで4.1km(徒歩) スタンプブックは車移動前提だから4.8kmと記載されています -
こちらの道の駅唯一の飲食店舗「CAFEみまき苑」は本日貸切のため休業
先ほどの雷電くるみの里で食事をしておいて正解でした -
道の駅の建物へ入り
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こちらのスタンプもいただきました
道の駅 みまき 道の駅
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直売所
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直売所の奥には「御牧乃湯」が併設されている道の駅です
信州布引温泉 御牧乃湯 温泉
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再び滋野駅に戻ってきました
滋野駅から雷電くるみの里へ、そしてみまきへ行き、滋野駅まで8.2km
雷電の生家やお墓にも立ち寄ったので炎天下の中9km近く歩きました滋野駅 駅
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12時11分発 長野行きの電車で移動します
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12時15分 お隣田中駅で再び下車
田中駅 駅
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駅にある観光情報ステーションで海野宿の地図をいただきます
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こちらの田中駅は海野宿の最寄駅
ひっそりとしていて乗降客もほぼいませんでしたが、一応東御市の中心駅でもあります -
それでは田中駅を出発します
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線路沿いに西へと進み
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旧北国街道を歩いて海野宿
田中駅から西へ1.5km -
海野宿の東端にある白鳥神社
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海野宿の産土神で日本武尊の伝説を縁起とし、海野氏・真田氏の氏神として祀られる
古代から中世に栄えた海野氏の祖とされる貞元親王、善淵王(醍醐天皇より滋野姓を賜る)、海野広道を祭神としているそうです -
境内のケヤキの木は樹齢700年を超えると言われています
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境内に祀られている白鳥弁財天
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この白鳥神社の前あたりの河原 白鳥河原
恐らくこの辺りが平家物語や源平盛衰記に木曽義仲が治承五年海野宿にある白鳥神社前を流れる千曲川河原で挙兵し、上洛した寿永三年に征夷大将軍に任ぜられたが、十数日後に戦死したとされる挙兵の地
挙兵には地元の海野一族も加勢したそう -
白鳥神社(宿場町東側)近くから見た海野宿
中世は海野氏の領地として城下町として栄え、近世は北国街道の宿場町となり、延長約650m 幅約10mの両側に現在も約100棟の旅籠屋造り、蚕室造り、茅葺屋根など当時使用された約100棟の歴史的な建物が残る海野宿 名所・史跡
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街道沿いの媒地蔵尊 通称縁結び地蔵
加賀藩前田侯が参勤交代の道中にお参りしたところ良縁に恵まれなかった姫君が無事結婚できたという -
宿場町を更に進む
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福嶋屋さん
福嶋屋 グルメ・レストラン
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海野宿歴史民俗資料館の建物は江戸時代に建てられた旅籠屋造り
昭和59年市に寄贈され一般公開される海野宿歴史民俗資料館 美術館・博物館
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一茶の句碑
夕過の臼の谺の寒さ哉 一茶 文化九年十一月 海野泊 -
宿場の通りの中央には江戸時代から変わらぬ位置にある「表の川」とよばれる用水堰が流れていて、向かい合わせの家ごとに洗い場が設けられており、江戸時代には馬に水を飲ませたり旅行者が足を洗ったと考えられている
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矢島行康記念館
矢島行康は明治期の養蚕業振興に尽力し、平田篤胤の養子鉄胤の門かで国学を修め岩倉具視とも親交があり富国産業政策に養蚕業を積極的に取り入れ、特に蚕種製造に力を注ぎ地域発展の礎を築く
こちらの記念館は機材を使用した堅牢な建物で、海野宿での蚕業の隆盛を伝える記念館です -
なつかしの玩具展示館
個人が日本各地から集めた郷土玩具が寄贈されたことから古民家を改装し展示館として展示公開なつかしの玩具展示館 美術館・博物館
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こちらは本陣跡
江戸時代に栄えた海野宿には問屋を兼ねた本陣1軒と脇本陣2軒が -
馬の塩なめ石
この日も暑かったので水分・塩分を補給しないと熱中症になりますねぇ
江戸時代はこの季節馬も塩分を補給しないと熱中症になるから馬が塩を舐める石があったんでしょうか? -
この海野宿の建物群には江戸時代・明治時代のそれぞれの建築様式が見られるそうです
二階部分の出格子が長短二本ずつ交互に組み合わさった「海野格子」は海野宿ならではの意匠
屋根の妻壁を高くした本卯建(ほんうだつ)、軒下に造られた軒卯建(のきうだつ)といったものは江戸時代の名残り
明治時代の建築様式としては蚕の飼育に必要な通気のために二階の屋根に設けられた小屋根(気抜き窓)や、二階と一階の屋根の間に意匠を凝らした袖卯建(そでうだつ)などが特徴だそうです
あの「うだつが上がらない」の「うだつ」はここからきています(作るのにお金がかかるので、生活や地位がよくならないことを表すのが「うだつがあがらない」です) -
海野宿の町並みもこの辺で終わり
西端からの海野宿です -
田中駅のお隣大屋駅に到着
田中駅からの鉄道営業距離は3.4kmなので、滋野と合わせて酷暑の中で12km以上歩く
駅舎改築と同時期に建替時期を迎えていた大屋郵便局が新駅舎に入居して「大屋駅郵便局」として開業し、現在は郵便局が駅業務も行っているそう(この日は日曜日のためお休みでした)大屋駅 駅
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駅前には「日本初の請願駅記念碑」が建っています
明治29年日本発の請願駅として誕生 -
13時半過ぎ 改札を入り、電車を待つ
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13時39分 再び長野行の電車に乗って移動します
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