2026/05/22 - 2026/05/22
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さっくんさん
私事になますが、先日健康診断で胃に腫瘍がある事が判明しました。胃カメラを飲んだのがGW前だった事もあり、結果が出るのに3週間もかかりました。病気慣れしていないので精神的に辛い日々でした。
死んで後悔したくないから、イラク、アフガニスタン、リビアと退避勧告が出ている国々に追われるかの様に次々と旅をしてきました。人は死期が近づくといお医者様に宣告される前に気付くものなのかな?と思いました。
終に結果報告となり、私は経過観察となりました。私の腫瘍は胃の粘膜下に発生したものであり、現状の6mmと言う大きさの段階では良性か悪性かの判断がつかないのだそうです。
良性か悪性か解らないものと共生するのはとても気持ちの良いものではありませんが、早期発見出来たとも言えるので不幸中の幸いな事なのだと思います。
私が何故、常に死を前提に旅を続けているのかと振り返れば、14年前、重篤なマロリーワイス症候群を患い。一夜生死を彷徨った経験からです。ナースセンター対面の緊急の部屋の中で、私は
「未だ行きそびれた国々がある。未だ死ねない。」
と必死に死神に懇願しました。以来死神との約束を果たすかの様に、私は次々と旅をしてきました。今回死神は様子を見に来たのかもしれません。私にとって旅とは、最大の趣味、ライフワークであると共に終活であるとも捉えています。
ディア、死神様、もう少しだけ猶予をください。私の旅したいリストを完成させる、それ以上は望みませんから。
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私は病院を後にすると、最近少し興味を持っていた先に出かけました。以前私の生活圏を流れる鶴見川を、最上流から河口まで歩いて旅をしました。昨年は鶴見川の上流を数回散策しています。次は鶴見川中流に目を向けて見ようと思いました。
鶴見川の旅
https://4travel.jp/travelogue/11875197 -
鉄道駅で言うと東急こどもの国線の中間駅に当る恩田駅。其処には鶴見川にこの先で合流する恩田川の流域となっています。恩田川は町田市本町田の滝の沢を源に流れる13㌔の河川で鶴見川の支流です。鶴見川、真光寺川と同様暴れ川として流域の人々の水源となると同時に恐れられた存在でした。
そんな鶴見川中流域、恩田川流域には、勿論現在では跡形もありませんが、恐ろしい地名を持つ地域が点在しています。 -
バスを降りた中恩田周辺は、まるで周囲の土地開発から取り残されてしまったかのように昔ながらの風景が残る一帯でしたが、此処周辺は古来では「餓鬼塚」と呼ばれていました。
現在となっては詳細は解りませんが、恩田川も暴れ川の一つと恐れられた川なので、水害の多い地形でしたし、若しくは紛争だったのかもしれません。それらの多くの犠牲者を此処周辺に葬った事から、この地名となった様です。 -
塚こそ見当たりませんでしたが、庚申塔や地蔵様が幾つも集まる場所がありました。昔は災害、戦争などで、一度に多くの人々が亡くなると、個々に墓を建てている余裕が無いので、身元の判らない遺体は纏めて塚に入れ葬る事が常でした。一般的には後世、オブラートを包むような言葉に置き換えられ、直接的な表現は避けられる傾向がありましたが、それでも「塚」やその変形の「束」の字を含む地名は、過去にそうした経緯を持つ地名である事が多いとされています。
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昔は谷戸に挟まれた狭いコミュニティが暮らした場所。観光地として集客したり、他所から移住者を集ったりする必要性がありません。それより地元の人々や子孫の為に、其処は死者を祀った場所である事や、水害の危険性がある地域である事を明確に示す為、現在の間隔で言うと露骨過ぎる表現が使われたのでしょう。
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苗万坂を登って青葉台方面を目指します。
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坂から麓を見下ろせば。解り易い谷戸の風景が広がります。山の尾根に挟まれたV字型の谷。嘗ては田畑だったろう谷戸に今は民家が犇めき合っています。
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坂道を登り切ると、其処はまるで世界観が変わった様な整備された住宅街が広がります。其処はもう青葉台の高級住宅地の一画。お洒落な街並みで有名な東急の土地開発が進んだ地域です。東急ばかりでは無く、多摩一帯では低い地形の昔ながらの街並みの上に、昔は里山だった山を切り開かし造成したニュータウンが展開し、まるで別世界が広がっている事は多々見かけます。
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更に歩けば車の列が昼夜途切れる事の無い大通りに出ます。国道246号線です。大型ショッピングセンターや大型マンションが建ち並ぶ青葉台駅チカの246号線。そんな高級住宅群の最寄り駅の駅チカにも曰く付きの地名が残されています。(当然言語としては残されていません。)
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この付近は昔「地獄田」と呼ばれていたそうです。これも、と言うか此方は更に恩田川の水害に直結した地名であったと言えるでしょう。水捌けが悪く、酷い時は腰まで浸かって田仕事をしたとされます。勿論腰まで水深があっては稲が育たないので、泥状の地形で足が埋まりが酷いので、そうひょうげんされたかと思います。
全国の古来の怖い地名は、大きく分けて、人の埋葬場所に因む地名と水害に因む地名の二つに分けられます。人の生死、そして水害。これが日本人にとってどれだけ大きな影響を与えたかが伝わってきます。
今でこそ大規模な都市開発により、魅力的な住宅地となった多摩南部ですが、鶴川、鷺沼等水場に暮らす鳥と川、沼等ズバリ水地を示す言葉が重なった地名。稗原等の穀物の名前から察するも、水捌けが整わず、農業を営み暮らすには過酷な地形だったかを窺い知る事が出来ます。 -
恩田川沿いを散策します。嘗ての暴れ川も現在となっては鶴見川同様、流路も直線状に改造され川の両側にはサイクリングロードも整備され、快適な散策路となっています。
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川は人類にとって欠かせない存在とも言えます。世界の四大文明も漏れなく大河に沿って発展を遂げました。エジプトのナイル川の様に、ナイル川沿いにしか人の暮らせる場所が無い地形だって存在します。正にエジプトはナイルの賜物なのです。いや、人の暮らしは川の賜物と言っても良いのかもしれません。
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しかしながら時に川は人に牙を?きます。であったとしても人は川を離れる訳にもいかず、彼等はその牙が向かう先を地名に残し、後世の人々に伝えようとしました。現在、そんな地名が忌み嫌われ、歴史から、地名から消し去られていきます。
広島安佐南区八木地区で発生した水害は多くの犠牲者を出しました。嘗てこの地区は八木蛇落地悪谷と呼ばれていました。蛇の付く地名は土石流の恐れを、悪谷は水害を指します。つまり此処は減税の様な天気予報も、土地改良も確立されていなかった時代から警鐘があった地域だったのです。そしてその情報が失われてしまった故の災害でした。 -
上の写真、下の写真、合わせて別方向から眺めた鶴見川と恩田川の合流点です。更に現在では暗渠となっていますがもう一つ手前に小川が合流しています。つまり三つの河川の合流地と言う事です。ズバリこの地の地名は川和町。「和」と言う和やかなイメージを持つ字が宛てられていますが、当時はさぞかし水害に悩まされた地だったかを推察出来ます。
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暴れ川として恐れられた鶴見川と恩田川が合流する事によって、鶴見川の水量は増し、中流としての本領を発揮し始めます。そして、その先で鶴見川最大の難所が待ち構えているのです。
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解り易くするため、敢て地図を参照します。恩田川と合流し水量の増加した鶴見川はその先で大きく弧を描き北上します。此処は現在も流れが直線化されていません。嘗ての災害時はこの曲がり角で増水した水が反乱を繰り返したに違いありません。
現在では画面左下の日産スタジアム周辺が遊水地となっており、いざと言う時にわざと日産スタジアム周辺に水を逃がせ、急激なカーブに過度の水を流さない工夫が施されています。実際に数年前の豪雨時に、日産スタジアム周辺に水が引き込まれたのですが、余りに急だった為、スタジアム下の駐車場の施設の防水対策が間に合わず、電気系統が故障してしまった為、復旧する為警備員やスタッフの手動で駐車場が運営される事態になりました。
とはいえ、そのおかげで周辺の水害は未然に回避する事が叶いました。一見常時は穏やかになった鶴見川ですが、暴れ川の力は潜在的に残されている事を痛感しました。 -
そんな、昔はだいすいがいの被害に苦しまされてきただろう、鶴見川の大カーブ周辺の地にも、幾つか恐ろしい地名が残されているので訪れました。此処は横浜市営地下鉄ブルーラインの新羽駅周辺。現在では美しい緑道となっています。こうした緑道は昔、路面電車が走っていた場所や小川が流れていた跡地に作られる事が多いですが、土地柄路面電車は考えられないので、水路だった事が解ります。
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現在では新田緑道と名付けられています。その先で鶴見川と合流し、水門も設けられているので、緑道の下は暗渠となり、現在も水路となっているのでしょう。緑道は鶴見川の合流地点から反対側にも、倉部谷戸コミュニティロードと名付けられ続いているので、もう一本の水路があったのかもしれません。また谷戸と言う字が示す様に、かつては此処周辺まで谷戸が拡がっていたのかもしれません。
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さて、この倉部谷戸の暗渠の部分、つまり嘗ての水路が百目鬼堀と呼ばれていたのだそうです。何かおどろおどろしく感じますが、百目鬼は此処固有の地名では無く、全国的に存在し、当て字も百目鬼、百目木、道目木等様々に存在し、謂れとして「どよめき」「轟き」等水量の音の大きさや激しさを表す表現から生まれたものでは無いかと推測されており、世田谷区で有名な等々力渓谷の等々力と同じベクトルの地名だと考えられています。
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因みに百目鬼は妖怪の名前としても有名ですが、この妖怪の出自も調べましたが、この地名が先なのか、この妖怪あっての地名なのか?鶏が先か?卵が先か?の問題同様はっきりしないのが現状ですが、少なくともこの地名では鬼としての百目鬼より、水路の激しさとしての百目鬼の性格が強い事はハッキリしていると言えるでしょう。
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以上、嘗て百目鬼掘りと呼ばれた激しい流れが、元祖暴れ川の鶴見川に合流する地点からレポートしました。
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引き返して、嘗ては百目鬼掘りが轟いていただろう倉部谷戸コミュニティロードを散策しながら次の目的地を目指します。目的地とは言え現在は痕跡すら残されていない、即ち地域と言う事になります。
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私の記憶が確かならば、最早目的地に達していると思います。現在は小学校も近く、歩道も整備され、決して高級では無いものの、穏やかな住宅地で暮らしやすそうな雰囲気の地域ですが、旧地名では裏土腐(ドブ)と呼ばれていた地域です。
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先程見て来た様に、恩田川など、幾つもの河川と合流した鶴見川が真下水量と共に急カーブを曲がり、増水時には氾濫を繰り返してきただろうこの地には水捌けの悪い地形には、水が残り続け、そんな地で田を耕さねばならなかった人々にとっては、苦闘の連続であった事に思います。此処も先に紹介した地獄田と並び、当時の人々の苦闘の証を見た想いがします。彼等に今の此処を歩いてもらいたいなと感じました。
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散策を続けます。途中こんな場所にも開発の手が進み、山がほんの一画を残し削り取られていました。工事車両がいるので、次訪れる時があれば最早無くなっている事でしょう。更に丘に登れば、案の定低地より明らかに年代の新しい住宅地が広がっていました。農業では無く、車も所有し、新しく移って来た人々にとってはリスクが伴う川の傍に敢て暮らす必要も無くなりました、
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そんな給料の住宅地を抜けて、再び低地に戻ってくると、この散策で、唯一文字として残っている不思議な地名に辿り着きました。バス停「神隠」謂れとしては、先程の鶴見川とは離れ、谷戸風景の広がるこの地では隠れて暮らすのに最適だった事や、有力者がこの地で亡くなったとか、はたまた山本勘助が守り本尊を隠したから等、幾つか謂れが存在しますがハッキリしません。
此処は水害由来の地名ではありませんが、新羽駅周辺は不思議な旧名が溢れている地域でもあります。それは古来から此処が人々の暮らしと密接していた事を表しているのではないでしょうか? -
せせらぎ公園を通ってブルーライン仲町台駅へ向かいました。此処も嘗て小川が流れていた事に間違いありません。
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思った以上に規模が大きく癒される空間でした。本日散策した地域は、青葉区など東急が開発したお洒落な街並み、そして港北ニュータウンと言う人気のニュータウンにも程近い、怖い地名とは程遠いイメージにある地域でした。ただオカルト好きにとっては有名な地域でもある様で、検索すると「港北の怖い地名」とか沢山ヒットします。
ただ、その多くが「怖い地名」で止まってしまっているのは勿体無いと思います。此処周辺に点在するおどろおどろしい地名。それらの点と線を繋いでいるのは、恩田川であり、鶴見川であり、そして水害です。決して川無しでは人は暮らせない。でも川は時に牙を剥く。そんな川とどう向き合って暮らしていくか?その彼等の苦闘が地名となって残されたのだと私は感じます。そんな苦闘を続けたあれらの人間力、ヒューマンパワーに注目したく散策しました。
そんな地名の殆どが、今となっては消えてしまい、知る人も僅かとなってしまいました。勿論その名前を残せとは言いませんが、何処かに記録、若しくは記憶として残しておくべきではなかろうかとも思います。嘗ての地名は潜在的なその土地の弱点を克明に伝えてくれるものだからです。 -
そして帰りがてらにもう一つ。此方は水害由来ではありません。人の生き死にの由来です。その名も「血流れ坂」この上方に「老馬」と言う旧名の地があったのですが、それは「牢場」が訛ったもの。つまり処刑場があり、そこで流れた血が坂を伝ったと言うのが謂れです。
因みに「餓鬼塚」「地獄田」はグーグルマップで現在もヒットします。嘗ては血流れ坂もグーグルマップでそう表記されていた記録が残りますが、現在では削除されています。恐らく苦情が入ったのだと思われます。不動産屋さん等には溜まったものでは無い地名なので、そうした部分では致し方ないものとは思います。また興味本位で訪れ、現地の人々の迷惑になる事は絶体避けなければならない事です。 -
今回は、自分の体に訪れた危機を踏まえて、自分の暮らす地域のすぐ傍で嘗て生きる為に苦闘した人々の痕跡を追いました。
川は太古から人になくてはならない存在だったから、歴史を追う旅に川は度々登場します。ヨーロッパのドナウ川、東南アジアを貫くメコン川、ガンジス川、ナイル川…言い出せばキリがありませんが特に印象的だったのがニジェール川です。エジプトはナイルの賜物と言いますがニジェール川もマリにとって欠かせない川です。
トンブクトゥを目指したい想いで訪れたマリ。2011年11月25日。私がマリに到着したその日。アルカイダがトンブクトゥを襲撃。私の旅程が滅茶苦茶になりました。行けるのか?撤退か?心を搔きむしられる思いでバマコを出発した26日夕刻、私の心とは裏腹に戦争が始まる1か月前のニジェール川は余りにも平和な夕陽を写しだしていました。
今でも不安を感じると、ふと眺めてしまう思い出の一枚。そんな一枚も川の風景でした。
dear 死神様 再び矛を収めて頂きありがとうございます。感謝の念は誠心誠意終活(旅)に捧げようと思います。
最期迄御覧になってくださり、ありがとうございました。
マリへの旅
https://4travel.jp/travelogue/11207282
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