2025/12/29 - 2025/12/29
431位(同エリア442件中)
さっくんさん
「たまに、たまたま、多摩を巡る」と題して旅行記を書きました。それ以来無しの礫で今日まで…。
戦国時代が好きな私がもし近畿に暮らしていたのなら、毎週の如きに旅行記を挙げているだろうに、多摩にはネタが少な過ぎて…と言い訳ばかり。これではタイトル詐欺だと訴えられかねないので、2を書かねばと多摩の地図と睨めっこしていたところ…。
町田に小山田と言う地名があるのは以前から知ってはいたのですが、翌々調べて見ると、かの大裏切り者、小山田信茂の祖先の出身地だと知ってビックリ!これが、先週アップした岩殿山城訪問と、武田家滅亡を辿る旅に繋がったのですが、そのきっかけとなった小山田も歩かない訳にはいきません。鎌倉時代、幕府の有力御家人だった小山田氏の拠点、小山田と小野路を散策しようと思います。
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皆様はショートケーキのイチゴと本体、どちらから食べる派ですか?
近所を散策したい!→小山田と言う地名は、あの武田家を滅ぼした小山田信茂の祖先が暮らしていた場所だった!→うむ、面白そうだ。行ってみようか!→いや、小山田信茂を語るなら、現地へ行くべきでは?それにそれを語るなら勝頼を無視出来まい!→それなら甲斐に行こう!→と言う流れで先週の旅へ繋がった訳ですが、その発端も訪れなくては片手落ちと言う事で、痛む足を引き摺りながら町田市の小山田を目指しました。 -
町田駅から神奈川中央交通、略して神奈中のバスに揺られる事約30分、小山田に到着しました。小山田は鉄道の空白地帯、町田市のチベットとも言われる地域。でも、そのおかげで昔ながらの多摩の風情を残す自然豊かな地域です。
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先ず訪れたのは大泉寺。曹洞宗の寺院で本尊は釈迦如来、開山は無極彗徹。創建は室町中期と言われます。
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当寺の前身として1227年に開山された真言宗の寺院高昌寺がありましたが、豪族小山田有重の五男行重が父の菩提を弔う為、創建。その後無極彗徹が有重の別館跡に高昌寺を移し、改めて曹洞宗寺院として大泉寺を建立したのが起源と言います。
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小山田氏は桓武平氏秩父流にルーツがあり、同族として畠山氏が存在します。二つの家系は共に源氏の御家人として活躍しましたが、源頼朝が亡くなり、北条が執権を行う様になると、北条にとっては源氏の古参の重鎮は目の上のたん瘤。梶原景時、比企能員等、イチャモンをつけられては次々と粛清されていきました。
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そんな粛清の波が小山田氏、畠山氏の下にも降りかかります。畠山重忠に謀反の嫌疑がかけられたのです。畠山重忠は申し開きを行う為に一所懸命で、数少ない軍勢を引き連れて鎌倉を目指しましたが、其処には時政の命を受けた北条義時率いる大軍が待ち受けていました。(この時の大軍が地名となり現在の相鉄線の南万騎が原と言う駅名にもなっています。)
確たる上は…と畠山重忠は最期の奮戦を行いますが、圧倒的な兵数の差には抗う術も無く自決を遂げました。これを畠山重忠の乱及び二俣川の戦いと呼びます。(この時の首洗い井戸、首切り地蔵が現在の旭区役所近辺に残ります。)
更には、その畠山重忠を陥れたのは、小山田有重の息子、稲毛重成の讒言によるものとされ、稲毛重盛もまた、誅される事になったのです。 -
さて、この騒動を北条義時の視点から纏めます。
北条時政は畠山重忠を討伐しようとし、義時は反対していた。しかし、小山田信茂の子稲毛重成の讒言もあり、時政は義時に計画を強行させた。
しかし、実際大軍を引き連れ戦って見ると、畠山重忠は余りにも手勢が少なく、謀叛とは思えない兵数であり、むざむざ彼を自決させてしまった。
事件の処理として讒言をした稲毛重成を誅殺した。
こうした経緯から父時政との確執が深まり、以降時政の追放に繋がった。
と言う流れになります。 -
なんか臭いませんか?私はプンプン臭います。歴史は何時だって勝者に都合良く書かれます。大抵テロの黒幕は、一番得をした人物であります。先に述べた歴史の中で一人だけ得をしている人物がいます。そうです北条義時です。
畠山重忠排除して、その責任を父に擦り付け追放する。罪の無い重忠を葬ったのだから、周りの御家人の怒りも心頭でしたが、それを讒言があった事にして稲毛重成(小山田有重の息子)等に責任を負わせ誅殺する事でガス抜きを行う。
此処で重要な事は、これ迄武蔵一帯を支配していた秩父党の畠山、小山田と言う二つの同勢力を、この事件を契機に一網打尽にした事です。そうです。この時から武蔵は北条宗家の支配が確立する事になったのです。
とんだ茶番劇で、それまで畠山と小山田が領有していた武蔵の国を奪い、目の上のたん瘤の父を追放し、しかも自分はまるで潔白の様に演じ、自らの専制政治を確立した。北条義時、あんたこそ、この事件の真犯人だ!
と、歴史ポンコツ探偵さっくんは推理しました。 -
イチオシ
小山田有重の息子、稲毛重成は讒言で畠山重忠を討ち死にさせ、子孫の小山田信茂は裏切りで武田家を滅亡させた。世間は小山田の悪評ばかり言いおって、羅漢様もお怒りじゃ!
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何はともあれ、この騒動で大きく衰退してしまった小山田家は、故郷の小山田から甲斐に活路を見出す為旅立ち、武田家との抗争の末、武田家の国衆となる事で、やがて跡を継いだ小山田信茂が、信玄の率いた武田二十四将の一人に数えられる迄昇進したのです。しかし…(その後は前回の旅行記を参照してください)
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そしてこの大泉寺の裏山には、小山田有重が築いた小山田氏の居城小山田上の城跡が残されているのです。小山田城は大泉寺が整備、管理しているので、お寺さんに見学の旨を伝えてください。ご丁寧に外まで出て案内して頂けました。羅漢様も道案内してくれています。
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見事な竹林に覆われた緩い坂を登ります。気持ち良いです。
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坂の向こうに大泉寺の本殿を眺めます。小山田城は本殿を取り囲む様に聳える裏山に展開されている事から、現在本殿が建っている場所に、小山田家の御殿が建てられていたのかもしれません。
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きちんと整備された石造りの階段を登って行きます。
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静謐な境内と言おうか、城内に時折オジサンの変な歓声が響きます。どうやら竹林の向こうにゴルフコースがある様です。
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坂を登り詰めるとなんて事でしょう!無数の羅漢様がいらっしゃります。前回の多摩の旅行記でも、浄慶寺さんのユーモラスな羅漢様を紹介しましたが、私は羅漢様が大好きです。大声上げそうになりました!
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羅漢さまとは、サンスクリット語の「アルハット」を音訳した阿羅漢(私はアラ還)を略したもので、仏教の究極の教えに到達した高僧を意味するのだそうです。悟りを開きながらも、人間らしい描写が特徴とされます。だから良いんだよねぇ!
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イチオシ
さぁ、羅漢様と一緒に小山田城を楽しんでいってね!
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その前に入場料!ほれ!早く!出しなされ!
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いえいえ、此処ではその手に乗ってはいけませぬぞ!仏教はインドからやって来たので、インドでは、これ、挨拶みたいなものなのです。インドに行ったことある?なら、解るでしょ?
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ほれ!バクシーシ、バクシーシだよ!解らんのかい?
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イチオシ
持ってるんでしょ?ひ、ひ、ひっ…。
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いやいや私に!僕、イケメンでしょ?
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ヤバいヤバい!戯れていたらSDカードの容量パンパンになってしまう程羅漢様がいっぱい!
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なんか、本当、一人一人表情も、所作も違うので見ていて飽きません。
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城巡りだなんて事すっかり忘れて、一人一人羅漢様と対面を済ませながら城内を散策します。
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まぁ、チャイでも飲めや!
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貴方、絶対バラナシにいたよね?覚えてる?私、絶対貴方に会ってる、バラナシで!
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私の教えた事理解出来た人、手を挙げてください!
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解りませんなぁ!
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いったい何処迄続いているんだ?と言うよりどんだけ羅漢様いるんだよ(笑)
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白を切る羅漢様。
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ちょっと君、待ちたまえ!
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イチオシ
だぁからぁ~、言ったじゃぁないですかぁ~。
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狸寝入りする羅漢様。
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子犬を抱いたら耳を喰われた羅漢様。
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羅漢様と戯れていたら二の丸跡に到着しました。
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二の丸跡にも大勢の羅漢様が占拠していらっしゃいます。
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耳が痒い羅漢様。
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羅漢様に導かれる様に散策を続けます。
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なんか文句あるのか?
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これ、あげない!ダメ、絶対!
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やめてぇ!カメムシ嫌い!助けてぇ!
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イチオシ
なぁんて事するんじゃ!
俺がやったんじゃ無いってばよぉ! -
羅漢様は本当表情豊かで癒されます。笑ったり、怒ったり…この頃自分、こんな表情作れてるかな?
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カメムシを頭に乗せるのが、羅漢様流お洒落なのです。
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ちょっと、やめてくださいよ!近寄らないでください!
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困ったやっちゃなぁ…って表情の羅漢様。
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坂上二郎さん、この頃見かけないと思ったら、貴方も小山田城へ来ていたのですか!飛びます!飛びます!
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羅漢様、何を想って虚空を見つめる?
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羅漢様背後の土が妙に盛り上がってる部分、さてはて土塁だったのでしょうか?
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羅漢様は何も教えてはくれません。城を見極める眼力は、自分で養うしかありません。
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本丸に到達しました。城跡は大泉寺の本殿を囲うかの様に残りますが、本丸はその中央部、即ち本殿の真裏に位地し、外側に突き出す様な形で存在しました。
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本丸だけが向こう側に飛び出していると言う構造は、本殿側からの守りは固いものの、外側が全く無防備になってしまうと思うのですが、当時は地形上崖だったり、川だったり要害が存在したのでしょうか?
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う~ん、どうなんでしょうね?
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そんな事知るかぁ~!自分で調べろ~!
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現在はねぇ…ゴルフ場になってしまっているので想像がつかないのです。
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イチオシ
ほ~れ、嗅いで見ろ、良い匂いじゃろ?効いてきたか?
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本丸の最深部に到着しました。
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あ゛~~っ!!
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このオジサン、絶対何処かで見かけたオジサンですよね?絶対いる。もう羅漢様には思えませんよ!どこで会いましたっけ?
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冬の快晴の日和の中、大勢の羅漢様達が日向ぼっこを楽しんでいます。
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円陣を組む羅漢様隊。
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ちょ、ちょっと待ってくだされ!
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貴方、何か、企んでますよね?
顔にそう書いてあります。 -
写真左手中央の土が剥き出しの部分に御屋形様が立って、羅漢様はその御屋形様の演説を聞いている御家人達。そんな構図を考えて、当時の本丸の様子を想像してみました。
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さぁ、皆の者、お手を拝借ぅ!
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空を仰げばド快晴!昨日もそうでしたが、日本で雲一つ無い快晴が続くのは貴重な事だと思います。ありがたやぁ。
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虎口の表示がありました。虎口とは城や砦に用いられる防御用の出入り口で、通常敵の流入を防ぐ為、直線的に入れない様折れ曲がる場合が多いのですが、イマイチ構造が解りませんでした。(私の眼力が甘い為です。)
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本丸から先の部分には羅漢様がいらっしゃりません。どうやら、羅漢様は本丸迄の案内を務めていた様です。
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大泉寺の反対側迄回り込んできました。正に寺を包むような形で城跡が残されています。
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空堀の様な形で続くその先で、城跡は途絶え、その先は駐車場となっていました。
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散策路を引き返します。
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それにしても鎌倉時代の初期って、本当にドロドロし過ぎていて、人間不信に陥りそうになります。私はテレビを持っていないので見ていませんが「鎌倉殿13人」ってどの様な描かれ方をしていたのでしょう?どうやら私が真犯人に挙げた北条義時が主人公的役割な様で…。
レビューを見ると、どうやら好評の様ですが…。昔テレビの昼ドラって、物凄くドロドロした展開が多くて、私は受け付けなかったのですが、ああした展開が好きな人にはもしかすると面白かったのかなぁ? -
兎に角、源氏は身内を殺し過ぎます。鎌倉幕府初代の源頼朝からして、同族の木曽義仲から始まって、弟の範頼、そして義経と二人の弟を殺害しています。続く二代頼家、実朝と続いて暗殺され、以降北条家が執権を司ると、先に述べた様に次々とそれ迄の重臣が粛清されていくのです。正に身内同士の潰し合いです。義もへったくれもありません。
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それはまるで項羽と劉邦を読んだ後に、劉邦の妻であり、中国三大悪女、呂后が次々と劉邦を支えた名君達を謀殺していく、あの胸糞悪い展開を想い起してしまい、どうしても鎌倉時代の歴史に苦手意識を持ってしまいます。
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鎌倉幕府が始まる迄の平家物語は大好物なのですが…。平家物語は一族滅亡を前にして、一族が手を取りながら絶望的な現実に立ち向かう姿が描かれていたり…人間として美しい部分が描かれていますし、その後の戦国時代のエピソードも、内戦と言う悍ましい世界観の中、心が救われる様なエピソードも多いです。
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私が知らないだけなのかもしれませんが、鎌倉時代の歴史って救いようの無い話が多く感じます。畠山重忠の話は、仕事場が現場に近い時もあったので、良く知っていた話で、無実の罪を着せられ、北条の大軍の前に散った忠臣として悲しいエピソードだなと感じていましたが、まさか小山田の歴史を追う事で、直接絡んでくるとは思いもしませんでした。
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私は良い歳してオコチャマなんです。現実でもドロドロとした関係って大の苦手で、徹底的に逃げてます。認めます。弱虫です。でも嫌なものは嫌です。そういう部分で精神すり減らすのって無駄な時間に思えるのです。
勿論、現実と向き合わなければいけない時もありますが、基本向日葵の様に明るい部分だけを見ながら時を過ごしたいと思っています。 -
そんな、鎌倉時代の哀しくドロドロした世界観に打ちのめされた心を、天真爛漫な羅漢様達の表情が、私を和ませてくれます。流石教えの極致を勝ち得た者達です。
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そうそう!書きそびれてしまいました。北条氏の陰謀により、讒言をし畠山重忠を死に追いやったとされ誅された、小山田有重の息子、稲毛重成。何処かで聞いた事がある…と思っていたのですが、自らが書いた旅行記「たまに、たまたた、多摩を巡る1」にて訪れた小沢城址が稲毛重成が築いた城だったのです。
実際は重成の息子、小沢小太郎が城主で、重成自身は現在の生田緑地に位置する枡形城を居城としていました。なんかひょんな事から繋がるものです。面白いですね!
小沢城跡(たまに、たまたま、多摩を巡る)
https://4travel.jp/travelogue/11997612 -
現在では小沢城址は稲城市になりますが、当時は稲毛荘と呼ばれていた様です。つまり、小山田荘を牛耳っていたから小山田氏、その子供は独立して稲毛荘を牛耳ったから苗字も変わったと言う事です。調べて見ると、色んな地名から昔の豪族の所縁の地が発見できるかもしれませんね!
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お!なんか不自然な窪みがあります。往きには羅漢様に夢中で気づきませんでした。
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周囲を確認すると堀切の石碑がありました。私は見逃しが多いです。
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振り返りました。この窪みが堀切の事の筈です。
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羅漢総出のお見送りを受けて、出城します。目指すは支城である小野路城です。
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素敵な城跡巡りとなりました。
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なんだか、城を見に来たのか?羅漢様と戯れに来たのか?解らない事になってしまいましたが、いずれにしても楽しいひと時でした。大泉寺さん、ありがとうございました。
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また来いよぉ!出口はあっちだぜぇ。
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此方は別のお寺さんで正山寺と言い、浄土真宗東本願寺派のお寺です。このお寺さんの裏から富士山を眺められると聞いて、足を延ばしましたが残念ながら丹沢連峰は見えたものの雲がかかってしまい富士山は見えませんでした。
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引き返す途中に鶴見川の源流近くを通りました。鶴見川は過去に源流から、河口まで歩き倒しました。懐かしいなぁ。
鶴見川を源流から河口まで
https://4travel.jp/travelogue/11875197 -
小山田緑地の見晴らし広場にやってきました。遠くに丹沢連峰を眺められます。
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広大なスペースの広場です。
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小山田緑地は広大な敷地があります。電車なら小田急多摩線の終点唐木田駅が最寄りになります。バスなら本数に注意が必要ですが町田から神奈川中央のバスがあります。
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小山田緑地の緑道を散策します。
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とても都内とは思えない散策路。
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行く手につり橋が見えてきました。
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つり橋を渡ります。つり橋があると知ってやって来ましたが、想像以上に立派なものでした。やっぱりそうなりますよね?安全第一です。もっとヤバそうなものを期待していた…。
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グングン進んでいきます。目指すはアサザ池。どんなお池でしょう?頭の中で期待値が爆上がりして池が次第に湖と化しています。
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現在地はきばん峠と言うそうです。全く峠感はありませんが…。
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心地良い快晴の空の下の散策路。
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そしてお目当てのアサザ池。今日一番の期待外れでした(笑)脳内で湖化してしまったのが敗因です。池にも満たない水溜まりでした(笑)
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ドンマイです。でも、だからと言って小山田緑地はとても素晴らしい散策路です。今回は次の地域に移動するので、緑地の一部を見たに過ぎませんが引き返します。
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小山田に隣接する小野路地域にやってきました。此方も里山風景が残る地域です。町田市には丘陵地に挟まれた谷状の地形、即ち谷戸と呼ばれる地形が多く、農耕地として利用されてきました。現在ではそんな里山風景を保存する動きも活発で、そんな谷戸のうちの一つ、奈良ばい谷戸を訪れました。
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町田市界隈には奈良時代に、奈良から移住してきた人々が一定数いた様で、此処奈良ばい谷戸を含め、奈良北団地や三輪町等、奈良に因んだ地名が残ります。
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しかし、この山がちで、谷戸が多く点在する地形こそ、町田の良い所でもあり、ウィークポイントでもあると思います。自然が残された事は大変嬉しい事なのですが、いざ、開発しようとすると大変難しい地形であるとも言えます。
地図を見れば一目瞭然ですが、町田近隣を走る鉄道網は全て町田市の端を掠める様にして走っています。 -
何と言っても町田市の中心となるべく町田駅は、神奈川県すれすれに位置しています。なんとヨドバシカメラの店内に都県境が存在したり、同じ駐車場内に東京都と神奈川県が存在したりします。そんな関係上警視庁と神奈川県警のパトカーが交互に巡回していたりとカオスな事になっています。(そんな都県境は、警察の管轄も変わる事から、町田は軽犯罪が多いのだとも囁かれます。)
つまり、経済活動が活発に行える平野部が、町田市には鉄道が走る際の部分しか無いと言う事になるのです。 -
そんな鉄道空白地帯のこの地域にも鉄道が伸びてくるかもしれません。相模原北側のアメリカ軍施設が返還された事により、小田急が唐木田から相模原迄延伸する事が具体的になって来ました。町田市は小山田に一つ駅を設ける事を前提にしています。
となると、小田急には既存駅として小田急相模原と言う駅が存在するので、新しく出来る相模原駅をどう命名するのでしょう?どちらも小田急の相模原駅と言う事になるのでややこしい事になりそうです。 -
更には遠い先でしょうが多摩モノレールも町田駅まで伸びる予定もありました。此方は小山田、小野路より東にずれると思いますが、此処周辺の利便性が上がる事は喜ばしい事ですが、それと共に開発も間違いなく進んでいくので、この自然を上手く残しながら進めて欲しいと切に願います。
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谷戸の最深部迄到達しました。その先は登り坂となり、森の中に突入します。本当此処都内なのか?
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やがて道は鬱蒼とした林道に飲み込まれていきます。最早此処が東京であるとは思えない規模です。
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奈良ばい谷戸から続く、この林道は何気ない林道に見えて、実は小山田城から支城である小野路城へと続く城道でもありました。
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小山田氏が此処で権勢を張っていた時代も、こんな道だったのでしょうか?それとも現代になって、寧ろ緑地化されたのでしょうか?
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倒木に行く手を遮られました。何々この程度!散策する旅人は増える一方、管理する人は人材不足。この頃、山道では「頭上注意」の看板が増えました。自然の出来事ですから、いつ倒木やら枝が落ちる事も当然起こります。いつしも自分の身を守る注意力は必要な事です。ご安全に!
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四方、鬱蒼と木々が茂る中、私はとある痕跡を探しています。クンカ、クンカ…。
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なんかこの土の盛り上がり方…なんか…人の匂いがする…。登ってみましょう!
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どうやらビンゴの様です。私が探していたのは小野路城跡、先程訪れた小山田城の支城だったと思われる城です。小山田有重が築城し、子の二郎重義が城主だとされます。私はどうやら裏手から登って来てしまった様です。良く見分けられました。
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また、室町時代には長尾景春の乱に於ける扇谷上杉氏の拠点の一つとなった為、長尾勢の攻撃により落城した経緯があるそうです。
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詳しい資料は残っていないようですが、立地的には戦国時代には後北条氏が利用していた可能性も大きいと思います。
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小野路城跡は町田市が管理しているものと思われますが、説明版等は少なく、大泉寺が管理する小山田城跡に負けています。マニアなら未だしも、私の様な初心者は眼力が無いので、もう少し遺構についての解説があると嬉しいのですが、頑張れ!町田市。
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なんとか簡単な解説版を見つけました。もっと詳しく!
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なんと、小野小町が目を洗ったところ、患っていた目が治ったとさえる小町井戸がありました。実際は小野路城の飲み水として使われていたのではないでしょうか?
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此方が今も水を湛える水場です。んでもって、本当にこんなところに小野小町が来たの?とググってみると、なんと小野小町所縁の場所は北は秋田から南は熊本まで…。小野小町は水戸黄門かよ?と思う程全国を行脚していた様です(笑)
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小野路城跡は、多分城に興味が無い人、いや、例え興味があったとしても、此処に城跡がある事を知らされなければ、只の林道散策で通過してしまいそうな程、地味に扱われていました。でもね、私は小山田氏に関する悲しい歴史を学んできたから…。この静寂の空間で、思う存分想いを馳せられました。
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林を抜けると万松寺谷戸が拡がりました。
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谷戸の麓で六地蔵の場所を頬かむりしたお婆ちゃんに尋ねたら、とんだ長話に発展しました。御年95歳とおっしゃっていましたが、どう見てもそう見えない。目もランランと輝いていますし、ハッキリ喋りますし、ヨガを嗜むそうで私より体が柔らかい。
私が嫁いできた時あの栢木は350年仰っていましたから、現在は樹齢400年を越えていると言う事です。お婆ちゃん、貴重なお話をありがとう!とても嬉しかったです! -
そしてお婆ちゃんが教えてくれた六地蔵様なのですが…。どうみても7人いる様に見えるのは私だけ?どなたか一人は偽物なのでしょうか?それとも視聴率を上げる為、途中から新メンバーが加入したとか?
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調べて見ても、はっきりとした理由は解りませんが、何処かから運ばれてきたお地蔵様が付け加えられた様です。正式には六地蔵とは、六文銭等と同じく、仏教の六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天)の六道からきたものです。
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道が舗装に変わりました。竹林が途切れました。広大な緑地もゴールが見えてきました。緑地と緑地を貫いて、現代の鎌倉街道が走ります。そして其処には嘗て小野路宿として栄えた面影を残す通りが残されています。早速向かいましょう。
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とその前に、小野神社に参拝します。
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天禄年間(972年頃)に武蔵国司として赴任した小野孝泰が祖先の小野篁を祀って建てられた神社だそうです。
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初詣の幟に年末を感じます。
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小野神社の麓からは小野路宿の通りが始まります。幕末の頃は宿場町として栄え、新選組の近藤勇らが何度も出稽古に訪れた場所で、現在もほんのりと当時の雰囲気を残しています。
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小規模ながら昔ながらの水路も残されていますが、一方此処は鶴川から多摩センターに抜けるバス通りでもある為、車通りも激しく、車路も水路の分狭くなるので、渋滞の要因ともなっています。
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イチオシ
小野路宿通りから布田道へ入るとすぐ関谷の切通しを通ります。
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布田道とは、江戸時代、調布の布田宿と小野路宿を結んだ古道で、甲州街道のバイパスの役割を果たしていたと言います。先にも述べた通り、新選組の近藤勇等が出稽古の為通った道です。
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関谷の切通しは布田道と鎌倉古道が交差する場所としても知られています。鎌倉古道は、先に話した畠山重忠が、罠とも知らず一所懸命と、少ない手勢を引き連れて鎌倉へと目指したであろう道です。( ノД`)シクシク…
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普段は忙しさにかまけて、あまり意識していませんでしたが、近所を散歩するだけで、様々な歴史上の人々が交差した道が近くにあるものです。考え付きもしませんでした。正に犬も歩けば棒にあたるものです。歩いてみて良かった!
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新選組のメンバー達も歩いた布田道を歩いて別所に抜けます。私は此処で散策を終えようと思いますが、小田急唐木田駅から始め、小山田緑地、小野路城跡エリア、小野路、そして真光寺、黒川エリアと上手くコース取りすれば、丸一日がかりで緑道をハイキング出来る、都内に於いて稀に見る地域だと言えます。
更に単なる自然だけに留まらず、鎌倉の有力御家人だった小山田氏、新選組から小野小町迄、バラエティに富んだ歴史の史跡が残るのも嬉しいポイントでした。 -
帰りは鶴川駅の駅ビル?マルシェに入っている気になっていた今川食堂さんで、大トロ炙り鯖定食を頂きました。美味しかったです!
最初は、小山田城も小野路城も鎌倉時代のお城の跡だし、後はひたすら谷戸と林道歩きで、個人的には楽しめても、地味な旅行記になってしまうかなぁと心配していましたが、大勢の羅漢様と、予想以上にストーリーの濃い歴史に彩られて、大満足の散歩日和になりました。
最期迄、ご覧になって下さり、ありがとうございます。
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