2026/03/29 - 2026/03/29
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mistralさん
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呉のイメージは、港町、ノスタルジックな町。そして明治時代から東洋一と言われた軍港であり、日本一の海軍工廠の町として栄え、なによりも戦艦「大和」を建造した町とのイメージ。
帰りのフライトは広島空港からだったので、広島市内までも行ってみたかったが、夫の希望もあって呉が今回の旅の最終地となった。
フライトを予約してあった広島空港、もっと広島市内寄りと思っていたが、実際は竹原の北のあたりに位置していたので、呉が今回の旅の最後となったのは、結果的には良かったのかもしれない、
(表紙写真は、呉港で現在建造中の2隻のコンテナ船)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- レンタカー ANAグループ JRローカル
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
29日のお昼過ぎに、呉に到着。
「てつのくじら館」が見えてきた。
車は、裏通りにあるパーキングを見つけて駐車した。 -
大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)は4月末まで
改修工事の為の休館だった。
楽しみにしていた夫は残念がっていたが、仕方がない。 -
代わりといってはなんですが、
てつのくじら館に入ってみることにした。
正式な名称は「海上自衛隊呉資料館」というようだ。
入場料は無料だった。 -
資料館入口。
上に見えている赤茶の物体は
潜水艦のお腹。 -
潜水艦 あきしお
全長 76.2m, 重さ 2,250t
1986年から2004年まで海上自衛隊で使用されていた。
2004年3月に除籍され、陸に上がってここに展示された。
お腹の下を通って入場口へ。 -
2Fでは海上自衛隊の掃海部隊の活躍をパネルや実際の機器で
紹介していた。
掃海という言葉に惹かれて、その様子をパネルや実物の展示などから学んできました。自衛隊としても、掃海という大切な役割があることを広く広報したいという思い入れがあるように思った。
戦後、たくさんの機雷が日本の周囲の海には沈められていたそうだ。
旧日本海軍による「係維機雷」(海底に沈めたおもりとワイヤで繋がれ、海中を漂うように固定されている機雷の一種)約5万5000個、アメリカ軍がB29で投下した「感応機雷」が約6500個も残されていたそうだ。
これらの機雷によって、日本の海上交通はほとんど途絶えてしまい、食料の輸入も止まってしまっていた。
昭和20年9月から、GHQの指令により旧海軍の艦艇や人員を活用して、「航路啓開」が開始。(啓開:障害物を取り除き、水路の航行を可能にすること)
この危険な作業は、元軍人約1200名が民間人として動員され、命がけでの処理をしたそうだ。
初めて知った、戦後処理にあたっての危険な作業。
現在では海上自衛隊の掃海部隊がこの任務を引き継いでいる。
現在でも、関門海峡周辺などには未処理のアメリカ軍の機雷が残っているそうだ。 -
<写真とコメントとは一致していません。>
掃海艇による作業はもっとも基本となるもので、
ばらまかれた様々な種類の機雷に対して
掃海艇とその乗員とで対処していく。
海上からだけでなく、ヘリコプターなどを用いて
空からの掃海も行われるそうだ。 -
様々な機雷処分具
隊員にかわって機雷に接近し
遠隔操作によって機雷を処分する「海中ロボット」
自走能力があり、進化したものはテレビカメラ、
探知用のソーナーを持っているもの、などなど。 -
1991年の湾岸戦争の際、イラクはペルシャ湾北部のクウェート沖合に約1200個の機雷を敷設していた。そのため、ペルシャ湾を航行する船舶にとっての脅威となっていた。
輸入原油の7割を中東地域に依存している日本にとっても深刻な事態となっていた。
経済大国となっていた日本に対して、資金面だけでなく、人的貢献をも求める国際的な意見を受け、掃海部隊の派遣が決定された。自衛隊にとって初めてとなる海外への派遣だった。
写真は、ペルシャ湾の掃海に使われたフロート -
1991年4月、掃海母艦はやせ、ほか6隻、人員510名がペルシャ湾へむかった。
当時の掃海艇は、機雷の磁気センサーに反応しないよう、木造戦隊が主流だったそうだ。 -
「1991年5月27日にアラブ首長国連邦ドバイのラシッド港に入港。
6月2日には日本が担当するクウェート市の東方100kmのMDA(機雷危険海域)7に移動。6月5日から音響・磁気機雷掃海具によって掃海に着手。
徐々にMDA7の安全海域を拡大していった。
6月19日からは機雷掃討によって、ひこしまが機雷を発見。初めての爆破処分を行った。7月20日までには合計17個の処分をした。」とパネルに記載されている。
(右側下の写真はペイントが施されたフロート) -
手前にあるフロート
あわしまの自衛官さんが顔を描いたようだ。
掃海艇が曳航する掃海具を、海中で一定の深さを保つ役割とともに
掃海済みの安全な海域と未掃海の区域とを区別する役割があったようだ。 -
国内では賛否両論があった中でのペルシャ湾への派遣だった。
-
このようなパネル展示をみながら三階まで上がり、
本物の潜水艦内部へと入っていった。
内部は撮影禁止だった。 -
ただただびっしりと機器類が詰め込まれたところや
コンパクトに設えられている居住スペースを
次々と見て回って出口へと出てきた。 -
大和ミュージアムが休館ということから
「大和ミュージアムサテライト」へ行ってみることにした。
大和ミュージアムから呉駅方面へ歩いていったところにあった。
入場料金500円をお支払いする際、展示内容等について
サテライトであること(従って展示品はわずかだということ)
を念押しされた。 -
零式観測機実物大模型
この観測機は、艦船が射撃を行う際の弾着の観測を目的としているそう。三菱重工業が開発した水上観測機で、大和などの艦船に搭載されていた。
また、観測や偵察、船団護衛などにも使用されたそうだ。
ここでは実物大模型を再現し展示している。 -
タラップの上から、コックピット内の計器類などを間近で見られる。
-
-
戦艦に搭載されていた水上機。
戦艦が遠距離で射撃を行う場合、艦上から弾着を確認することは出来なかった。
そこで水上機を飛ばして、上空から弾着の状況を確認。その報告をもとに修正をして射撃の精度を高めようとしていた。
上の写真:カタパルト上の九〇式二号水上偵察機(戦艦日向) -
零式観測機のフロート
-
水上機には水面に浮かぶためのフロート(浮き舟)が備わっている。
中央に主フロート、左右に補助フロートがあった。補助フロートは格納時には折りたためたそうだ。 -
1/100戦艦「大和」の模型
昭和54年(1979年) -
実際の戦艦をみた坂上隆氏が、戦後収集した資料をもとに、昭和42年から12年の歳月をかけて完成させた模型。
-
-
模型とはいえ迫力があった。
-
当日の17時
レンタカーを返却して、レンタカー会社の方に、ホテルまで送っていただいた。
ホテルにキャリーを預けたまま、すぐに出かけていたので
改めてチェックインの手続き。
呉に到着時、すでに電話でお話はしていたが
想像通りの家庭的な雰囲気のホテルだった。
以前からあった建物を建て替えたようだった。
ホテルの名前は 「無垢 入船の宿」という。 -
お部屋の設え
-
-
-
この日の夕方の呉湾艦船巡り
「夕呉クルーズ」を予約していた。
ホテルからはタクシーで中央桟橋まで向かった。
一日の最終便は特別便として日の入り時刻に合わせて運航。
自衛隊の艦船から自衛隊旗が降下される儀式も見られるそうだ。
当日の記録によれば、18時05分から18時40分までとあった。
料金は1人あたり1700円。 -
予約書を受付に出して、窓口でのお支払い。
間もなく日が沈むという時刻に出航。 -
ガイドさんが詳しく説明をして下さる。
最初に見えてくるのが戦艦「大和」が建造された
海軍直轄の軍事工場、呉海軍工廠(こうしょう)大屋根ドッグ。
大和は1941年(昭和16年)12月に竣工。
現在、かつての建造ドック跡は、ジャパン・マリン
ユナイテッド呉工場となっているそうだ。 -
「良い写真が撮れますよ。」とガイドさんが。
現在ジャパン・マリンユナイテッド(JMU)
呉事業所で建造中のコンテナ船、2隻。
「MAERSK TOKYO」と「MAERSK TORINO」
デンマークの海運会社MAERSKが発注した次世代
燃料グリーンメタノール対応の大型コンテナ船2隻が
並んでいる。 -
サイドからも撮影。
-
海上自衛隊の停泊中の艦船をぬうようにクルーズ船は進んでいった。
おおすみ
として検索すると、驚くほど詳細な情報が出てきます。
海上自衛隊 輸送艦
発注 1993年
進水 1996年11月18日
建造費 503億2,000万円
艦歴は1998年3月11日に就役、自衛艦隊に直轄艦として編入され呉に配備。
以降、年度毎にいつ、どこへ、どんな役目で出向いたかなどなどが詳細に書かれています。 -
おおすみ
海上輸送、水陸両用作戦が主な任務でさらに
災害輸送(物資輸送・給水・入浴支援など)などで活躍 -
106(艦番号)
さみだれ
護衛艦
艦番号がわかると(艦の横にだいたいは番号または艦名が書かれている。)ネットで調べることができた。 -
?
-
?
-
4002
しもきた (輸送艦)
就役 2002年3月12日
2003年にはタイ王国陸軍工兵部隊と建設用重機をアフガニスタン近くのインド洋沿岸へ輸送、とあった。 -
しもきた
-
のうみ
掃海艦
就役 2025年3月12日
ソナー: 可変深度式機雷探知機
機雷捜索用水中無人機
自走式機雷処分用弾薬 -
ようこう
輸送艦
就役 2025年5月30日
乗組員の大半を陸上自衛官が担っている。
進水式も陸上自衛隊が執り行った。 -
ぶんご
掃海母艦
就役 1998年3月
機雷の除去や、掃海艦艇への燃料・真水・食料の補給、
傷病者の治療などの各種支援を行う。 -
あまつそら
輸送艦
就役 2025年10月23日 -
潜水艦が3隻並んでいた。
ちょうど自衛隊旗を降下するセレモニーが始まるようだった。
恐らくクルーズの最後あたりでこの降下式に出会えるように
スケジュールが調整されているのかも知れない。 -
トランペットが鳴り響き
自衛隊旗は最後にさげられた。 -
ぶんご
464 -
くろべ
訓練支援艦
就役 1989年3月23日 -
左 しもきた
ここもガイドさんお薦めのポイントだった。 -
-
こんな様子で、皆さん、熱心に撮影されていました。
-
三登山 観音院 萬願寺のライティングされている
五重塔。
塔からはきっと呉の港が良く見えることだろう。 -
港に戻ってくることには丁度日没となった。
この時間になるとさすがに食事が出来そうなところが
見つからず、結局呉駅まで歩いてしまった。 -
駅のそばにあるホテルで海軍カレー(ではなかったが)
を食べてホテルへ帰った。 -
ホテルへ到着。
-
バイオエタノール暖炉だった?
入口前のスペースで炎がチロチロと揺らいでいた。
翌日は最後の旅行記
たまたまホテルのすぐ近くにあった、旧呉海軍下士官兵集会所(青山クラブ)と、入船山記念館へ行きます。
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