2026/03/27 - 2026/03/28
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mistralさん
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かねがね鞆の浦の静かな入り江の写真に惹かれていて、一泊の予約をしたのだった。
しかし、宿の予約をする為に、どんなところが良いのか調べているうちに、
スタジオジブリの宮崎監督がしばらく滞在されていたらしい、との情報。
NPOが街づくりの為に活動をしていて、宮崎監督が古民家改修の為のデザインをそのNPOへ提供されたらしい。
更には、幕末のあの有名な坂本龍馬が紀州藩と交渉して莫大な賠償金を受け取った地が、そこだ!など
こじんまりとした鞆の浦の町なのに、どんどんにぎやかな情報が集まっている所だと分かってきたのです。
その上、旅行記を書き始めると、万葉の時代から先人たちが行き来していた地であると言われている理由が分かってきました。
あの政治家で歌人でもあった大伴旅人さん、大宰府から晴れて帰京することとなった折、鞆の浦へ立ち寄り、亡くなった奥さんを偲んで詠んだ歌碑もあることがわかりました。
さっと通りすぎてしまった鞆の浦。
できることならもう一度行って、今回訪問しそこなってしまった地を訪ねてみたいと思っています。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
-
鞆の宿、そわか荘は
27日、一晩の滞在
チェックアウト時間は10時だった。
キャリーを持って鍵は玄関においたままで
ロックをして出た。
あとから担当の方が鍵の回収やらお掃除などに来て下さる仕組み。
キャリーなどは車のトランクへ入れて
もう一度、鞆の港の散策をした。
前日に歩いた反対側へ行き、常夜灯などを見る。
良き眺め。 -
雁木が鞆港の周囲にはぐるりと設置されていて
まるで円形劇場のようだ。
全長は150m、最大のところでは24段もある花崗岩の石段。
石造りでは国内最大級のものらしい。
江戸時代初期に船着き場を造ったという記録が残っているようだ。
ところが昭和30年代には一部が埋め立てられてしまう。
現在でも残っている雁木は、1811年に造られた
「浜の大雁木」だそう。 -
お気に入りとなった景観。
-
浮き桟橋のようになっているところを
夫が渡ろうとしている。
途中でバランスを崩して海へ落ちるんではないか?
とハラハラして見ていた。 -
係留されている船まで
無事に辿り着いた。
自由に行っても良かったのだろうか? -
けっこうな距離を渡っていった。
絶景。 -
鞆の浦の特徴的な景色。
いろは丸展示館や常夜灯などが見えている。
まだ歩いている観光客は少なくて
一日の始まりの前の静けさが一帯を包んでいた。 -
-
観光船?フェリー?がやって来ていた。
-
ここからは前日の夕方に見学をしたものです。
「太田家住宅」
保命酒の醸造で栄えた建造物群。
江戸中期から後期にかけて酒造業で栄えた商家の構えがほぼ完全な姿で残されていることや、鞆の歴史的町並みの中核をなしていることなどから、1991年に重要文化財に指定されている。
主屋、保命酒蔵など9棟からなっていて
鞆の街並みの中心地に位置している。
当時は「保命酒屋中村家」として栄えていて特産品の保命酒を中心として様々な酒類の醸造が行われていたそうだ。明治期に太田家が受けつぎ今に至っている。 -
18世紀中期に建てられた主屋を中心に
後期には炊事場、西屋、保命酒蔵が増築されていった。 -
鞆町内の町屋、商家、寺院などでは
お雛様が飾られる恒例のイベントが毎年あるようだ。
3月の終わりだったが、ここ太田家では
まだ飾りつけが残されていた。 -
案内下さった女性の方のお話によると
お雛様のコレクションはお1人の女性の方が
集められたもののようだ。
今ではすべてのお雛様を、こちらの太田家で保存されているそう。
それでもまだまだ買い集められていて、購入されると
こちらへ直送されるとのことだった。 -
「胡蝶の舞」の雛人形が中に飾られている。
蝶の羽を背中につけているお人形。
現代ではこのような雛人形を新しく作る工房は
無くなってしまっているそうだ。 -
これらの雛人形は、飾る目的が桃の節句の雛人形とは
全く違っていたようだ。
この「胡蝶」は雅楽の中にある古典音楽の舞楽の一つで
「胡蝶楽」と呼ばれるそう。
伊勢神宮の「神楽祭」や熱田神宮の「舞楽神事」などで
奉納されるのは有名なようだ。
4人の童女が山吹の花を持って舞うそうだ。 -
この雛人形飾りは
お道具類がびっしりと飾られている。 -
-
お人形たちが
貝合わせで遊んでいる様子が、一部屋に -
裃雛(かみしもびな)の雛飾り
江戸末期~明治 -
埼玉県岩槻の橋本重兵衛という方が考案。
かみしも人形とも呼ばれている。
岩槻周辺から埼玉全域、群馬にかけて流行し
戦前まで取り扱われていたそう。 -
髪はオカッパや稚児の髪型、
裃を着て、両手を膝の前にお行儀よく揃えて正座している。
すべて男の子だそう。
手なども簡素な作りで、値段も内裏雛に比べる5分の1程度の為
広く人気が出て、女の子が生まれるとお祝いに親戚などから
贈られたようだ。 -
内裏雛を一番上に飾り、2段目以降には
贈られた裃雛を飾ったようだ。
女の子のいない農家でも、農耕や蚕の神さまにお供えする
ということから、わざわざ買ってきて飾ったようだ。 -
百歳雛
江戸末期 -
-
長寿を祝うお祝いなどに作られた雛人形。
白い髭がほどこされ、髪は真っ白な白髪で結われている。
「夫婦共に白髪になるまで仲良く元気にすごせますように」との
願いが込められていた。
東北地方では「相生さま」とも呼ばれていたようだ。 -
こちらは日本最大級の雛人形だそう。
脇にある立て札にはこう書かれていた。
「享保雛」(復元版)
平安 美忠 作
享保雛:
江戸時代中期(享保年間:1716~1736年)に京都で誕生し、裕福な商人の間で流行した豪華な雛人形。豪華絢爛になった為、幕府に8寸以上禁止、と制限されたという歴史をもつ。通常の雛人形より大きく、座り雛としては初期のものは70センチに及ぶものもあるそう。 -
雛人形の大きさを比較する為、ご参考までに前に座っている人との写真(夫)を載せます。雛人形の大きさがわかるかと思います。
写真を良く見てみたら、奥のお座敷には五月人形も
すでに飾られていたようです。 -
お内裏様のお雛様がお1人づつ別々になってしまいました。
三番親王:
大木平蔵、大正11年の作。滋賀県の豪商の家に伝わったお雛様だそうです。
現在一般的に飾られるお雛様は十番~八番の大きさのもののようです。
雛人形の業界では、実際の赤ちゃんの顔の約5分の1を5番、3分の1を3番という言い方をしているそうです。この3番の大きな雛人形は大変珍しいとのこと。
制作には大変な手間がかかるため、現在では3番親王を手掛ける人形作家さんはほとんどおられないようです。 -
特別注文品というこの雛人形。女雛の宝冠には家紋(桐紋)が入っているそうです。
-
古式ゆかしい雛人形と五人囃子
-
家庭画報(?)にここの雛人形が掲載されたようだ。
-
酒蔵の中にも飾られているとのことから
一旦外へでてみた。
裏側にも何棟もの建物がある。 -
「保命酒」の醸造販売をしていた太田家住宅
ここでの醸造工程とその施設の概要を明らかにするため、1996年から2年間にわたって、酒蔵、釜屋、炊事場の発掘調査が教育委員会によって実施されたそうです。
蔵の隣に立つ釜屋(写真はない)は、保命酒の原料のもち米を蒸す施設で、19世紀ごろの建物。
その時の発掘調査の様子が説明されている。 -
釜屋の隣には蔵がある。
端正な姿の蔵。
図面からは南保命酒蔵(18世紀後期のもの)と書かれている。 -
蔵入口周辺の平瓦(?)は
さいころの4の目のようなデザイン。
一つ上の蔵の全体写真、奥に方に設置されている瓦は
さいころの5の目のデザインになっている。
おもしろいというか、細部へのこだわりが粋。 -
蔵の内部。
-
羽子板が飾られている。
-
-
土人形のお雛様
粘土を型で成形し、素焼きした後に胡粉と顔料で彩色。
伝統的な郷土玩具 -
鞆の馬:
古くから伝わる風習の一つ。
八朔の節句(旧暦八月一日)に男の子が生まれた家では、木製の白い馬(玩具)を門口に飾って、出生を祝いました。そしてその飾り馬を馬の台(木製の車)に乗せて、太鼓をたたいて引きまわしたのです。
こうして、男の子の前途を男性的な馬に託して祝福したのでしょう。
とあります。 -
その馬の玩具。
-
この住宅の規模を示す看板。
幕末には、三条実美ら尊王攘夷を主張する七人の公卿が、都を追われ長州に向かう途中に宿舎としたことから、「鞆七卿落遺跡」として指定されているそうだ。 -
「いろは丸展示館」
江戸期に建てられた蔵をそのまま利用していて
鞆の町では「大蔵」とも呼ばれているそう。
内部には、船体調査の際に引き上げられた品々、
沈没状況のパノラマ、調査写真の展示、関連ビデオの上映
など盛りだくさんの展示。 -
2階には、当時から命を狙われていた龍馬が
鞆に滞在したおりに隠れていた「龍馬の隠れ部屋」が再現されている。
(写真は展示館ホームページよりお借りしました。)
瀬戸内海で紀州藩の軍艦に衝突されてしまった「いろは丸」
この事故で、いろは丸は積み荷とともに沈没。事故現場から近く、鞆の浦が大きな港だったため、事故の当事者たちは鞆の浦に上陸。事故の損害賠償交渉を行った。
龍馬が鞆にいたのはわずか4日間だったが、今でもいろは丸は鞆の沖に沈んでいて、それを2006年に発掘調査したのが鞆の「鞆を愛する会」だったことから、この町に展示館がつくられているそうだ。
龍馬側の言い分として、沈んでしまった鉄砲400丁、他銃火器、金塊など合わせて8万3526両を支払うよう要求。最終的に紀州藩では賠償金7万両を支払ったそう。
2006年に行われたいろは丸の沈没場所の調査では、龍馬が主張した鉄砲などの銃火器は一切発見されなかったそうだ。 -
車のパーキングあたりから
宿泊したそわか荘を見上げて
鞆の浦をあとにする。 -
書くことを忘れていましたが
鞆町も
「重要伝統的建造物群保存地区」いわゆる重伝建に選定されている。
いざそんな町並みをしめす写真をと思って捜してみたが
適当なものが見つからなかった。
町の観光用パンフの中の写真をお借りして載せておきます。
「江戸期の港湾施設が
揃って現存する奇跡の港町」
とサブタイトルが書かれていた。 -
名残惜しかったが、鞆の浦から尾道を目指した。
約1時間ほどで尾道市役所へ到着。
市役所は、船を連想させられるような建物で
休日も解放されていると聞いていたので
やってきた。 -
船の甲板のようだ。
照明器具もまさに船のもの。 -
-
トイレも使わせていただいた。
ロビーにはひと休みされているような方も。
丁度、もろもろの質問にも応えてくださるような
ボランティアの方(もしかしたら市役所の職員の方だった?)
がデスクに座っておられたので、
千光寺ロープウェー乗り場近くにはパーキングがあるかどうか
伺ったら、無いですね、とのお応え。
ここの駐車場にしばらく停めさせていただいても良いか
どうか聞いてみたら、有料ですが、それで良ければ、
と言ってくださった。 -
ついでにと、
市役所からも見えるところにあるラーメン屋さんが
今の時間、オープンしたばかりで、
これから長い列ができるでしょうから早めにと
教えてくださったので、急ぎ向かい
暫く列に並んでみた。 -
尾道ラーメン
一番シンプルなしょうゆ味を注文した。
次の旅行記では
千光寺ロープウェーに乗って尾道の町を眼下に見ながら
坂を下ってきます。
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旅行記グループ
瀬戸内海沿いの街を巡る旅。
この旅行記へのコメント (1)
-
- マーさん 2026/05/03 18:54:48
- 風情ある街なのですね !
- 先日、教えて頂いたNPOのHP 読ませて頂きました(^^♪
ホントに「鞆の浦」愛に溢れてる感じがして、愉しく読ませて頂きました。
グーグル先生で調べながら、滞在先とか観光スポット等検討してみたのですが
こりゃ最低でも2泊はしないと、周り切れない気がしました。
路地歩きだけでも楽しそうですよね。
ただお宿を調べると、結構高めな宿泊施設が多いのにはビックリしました(汗)
mistralさんご夫妻の泊まられた、施設が宮崎監督の滞在された場所とは
知りませんでした。 この一帯は「棟貸し」も多い感じもしました。
我が家が行く動機は、やはり龍馬関連がおおきなウエイトを占める気がします
今、この鞆の浦と呉市にある大和ミュージアムを関連付けて
計画立ててみようかと考えてます。
次回の尾道編もたのしみにしてます(^^♪
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