2026/03/25 - 2026/03/25
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mistralさん
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期限切れとなってしまいそうなマイルがあって、その使い道を考えていて、何気なく国内線の空き情報をみているうちに、ついつい予約をしてしまった岡山。そんなきっかけだったんが、3月後半の瀬戸内海沿いの街を歩いてみるのも、なかなか魅力的に思えてきた。
3月25日 羽田 10:05~岡山 11:25 ANA653便
3月30日 広島 15:55~羽田 17:25 ANA680便
表紙写真は、倉敷市の美観地区にある倉敷考古館。このあたりの中心部に位置している。手前に架かっているのが中橋。
江戸時代の米蔵を利用して博物館として公開されている。
雨さえ降っていなければ、内部の見学などをしたかったが、どんどん雨足が強くなってきそうで、倉敷駅まで一刻も早く辿り着こうと急いで通り過ぎた。
大まかな旅程:
3月25日 岡山へ、電車で倉敷へ
3月26日 レンタカーで宇野まで、宇野港から直島へ、半日の見学、宇野泊
3月27日 レンタカーで鞆の浦へ、鞆の浦の古民家泊
3月28日 レンタカーで尾道経由竹原へ、 竹原泊
3月29日 レンタカーで呉まで、レンタカー返却
3月30日 呉市内、大和ミュージアムなど見学、リムジンバスで広島空港へ
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
3月25日(水曜日)
羽田発10:05
富士山が見下ろせる側を予約したはずが、ほとんど何も見えないまま
岡山までやってきた。 -
当日の天気予報は雨。
暗い雲が立ち込めていた。 -
岡山のホテルにはキャリーを預かっていただき、とりあえず倉敷へ。
電車でもすぐの距離。
倉敷に行ったら当然、大原美術館を見学できるつもりでいた。
ところが調べているうちに、どうやら休館しているらしいことが分かってきた。
(改修工事による長期休館:2026年2月9日~4月24日まで) -
児島虎次郎記念館も休館。
実業家・大原孫三郎の支援を受けてヨーロッパに留学し、その間、後の大原美術館の礎となるコレクションの収集をした。この記念館には、児島の絵画と、彼が収集した古代エジプト・西アジアの美術品を展示しているようだ。 -
休館中と聞くと、ますます見てみたくなる。
-
建物は、大原美術館本館を手掛けた薬師寺主計の設計、大正11年(1922)に旧第一合同銀行(現・中国銀行)倉敷支店として竣工。
平成28年に大原美術館に寄贈された。 -
内部から見てみたかったステンドグラス。
-
雨がどんどん強くなってきて
-
じっくりと見学していられないほど。
-
こんな古めかしい内科医院の看板。
今も診療をされているのかしら。 -
立派な家と思ったら
倉敷に残る大型の町屋であり
江戸期からの歴史ある建物だった。
見学ができるようだ。 -
「井上家住宅」
(国指定重要文化財)
折から雨が強くなってきたので
井上家の見学をさせていただくことにした。 -
井上家は新田開発に従事し
古くから村役人となる資格を持っている
「古禄(ころく)」と呼ばれる十三軒のうちの一軒で、
江戸時代は年寄り役や百姓代など、他家と交代で
務めていたそうだ。
彼らは多くの借地・借家を抱え、問屋や醸造業を営む
有力商人だったそう。
中に入ってみたら、驚くほどの豪壮な建物。 -
店の間の蔀戸(しとみど)・摺揚戸(すりあげど)
店の間に設置されている板戸で、
一般的には舞帳(ぶちょう)造りと呼ばれるそう。
板戸は上下に分かれていて、板戸の上半分は
はねあげて開ける珍しい構造(平安時代の蔀戸のよう)
となっている。
秋の倉敷屏風祭の期間中には、日中はこの戸が全開になり
中に展示されている屏風を外から見学できるそう。 -
見どころの一つ
雪見灯篭のある壺庭。
第10代当主 三郎右衛門はここで飼っていた鶴の絵を
描いたと伝わるそう。 -
襖
客間にある襖には
幕末の漢詩人、藤井竹外による書が貼られているそう。 -
-
ここは坪庭に面していたようだが?
-
坪庭に置かれていた古そうな瓦。
-
面白いなぁと思って撮った太鼓橋は
客間と居住空間を結んでいる橋。
客人を迎える茶室と当主の間を結んでいるそうだ。
居住空間は淡い色合いの壁に囲まれ、落ち着いた雰囲気が
感じられる空間だった。 -
居住空間の収納部分の工夫
襖を締め切ってしまうと、収納部分が隠されてしまい
すっきりとした空間になる。
箪笥の引き出しにはそれぞれに個人の名前が書かれていて
わかりやすくなっている。
そんな工夫は現代の住宅にも取り入れることができそう。 -
お雛様を階段に飾ってあったけれど、
とわざわざ仕舞ってあった箱から出して
お顔にかけてあった和紙まではずして
見せてくださった女性の方。
普段はお花(の飾りつけ?)の担当をされているそう。 -
「素隠居(すいんきょ)」のお面が飾られていた。
当日はこのお面にまつわる説明を聞いていたが、現地では良く理解できなかった。
今、調べてみてわかったのは、このお祭りは倉敷の名物の一つとなっていること。
阿智神社の社伝には、素隠居の前身の「翁」が初めて登場しているのが元禄5年(1692)とのこと。この年に、ある男性が神社の御神幸に獅子舞のお役が回ってきたが、高齢の為に奉仕が難しいと悩んだそうだ。そこで自分たちに似せたお面を作らせ、店の若者に被らせて祭に参加させたのが、素隠居の始まりと言われているそうだ。
その後、神社の御神幸についてくる素隠居だけでなく、各町からも登場するようになったという。
素隠居が持つ大きな団扇は「渋団扇」と呼ばれ、これで頭を叩かれると無病息災にすごせるとの言い伝えがあるようです。 -
台所
修復前には現代のキッチンに改装されていたそうだ。
甕や土間の洗い場などは、発掘作業によって
明らかになり、本来の姿に復元されたそう。 -
埋め込まれていた備前焼の大きな水がめは
天正11年(1583)の銘が刻まれている。
倉敷市指定文化財。 -
-
お土公(どくう)さま
儀式用のかまどだそうです。
火とかまどの神であるお土公さまが祀られている。 -
かまど部分(多分再建されたもの)
かまどのたき口は、土間からではなく、
居住空間側から火を焚きつけられるようだった。
土間に下りる手間を省き、同時に室内の保温にも
繋がっていたようだ。
上部に黒光りしている太い梁にも注目。 -
改修工事をした箇所。
-
ビデオが上映されていて、すっかり見入ってしまった。
内容は
工事期間:2012年~2022年9月 約10年間にわたった。
工事内容:老朽化していたためすべて解体して組み直した。
主屋、井戸蔵、土塀などが対象で、部材の7割を再利用し
伝統的な工法で復元された。
総事業費:約5億6,400万円(国・県・市の補助金を活用)
など。見ごたえのあるものだった。
職人さんたちはどなたも、その改修工事にかかわれることが
勉強になるからと話されていた。 -
新旧の瓦をうまく調和させながら設置していった。
-
天井に開けられた開口部からは
太い梁などがみられる。
平成・令和の修理の際の棟札がついた大黒柱だそう。 -
その部分の柱と梁がどのように組まれているのか
順番にはずしていける模型も展示されていて
実際にはずしてくみ上げる体験をさせて下さった。 -
複雑な仕口加工が施されている。
-
-
こんな路地の奥にも何かありそうで
入っていってみたかったけれど。 -
-
-
路地を入った奥に広がる
クラシキ・クラフト・ワークヴィレッジ。 -
一番奥にあったお店は
中では帆布でバッグを作っていて、いろいろお話を伺って
一個購入。 -
坂道を少し上がったところにあった
国芳館。
入館料は1人1300円。
歌川国芳:江戸時代末期を代表する浮世絵師の一人。
江戸日本橋の染物屋の家に生まれた国芳。
30歳を過ぎたころに、水滸伝を題材にした「通俗水滸伝
豪傑百ハ人之一個」シリーズで脚光を浴びるようになった。 -
倉敷の美観地区を一望できるような地にあった旅館を再生。
世界でも初となった歌川国芳ミュージアム。
最近では海外でも国芳の評価が高まっているそうだ。
大雨の中、入場したが、館内には欧米人(特にフランス人
の方が多かったような印象をうけた)の方々が
熱心に見学をしていた。 -
館内は撮影禁止だった。
二階の窓から見下ろして撮影した、瓦屋根と白壁の街並み -
相馬の古内裏(そうまのふるだいり)
弘化2年ー弘化3年(1845-1846)
「UKIYOE-E KURASHIKI」ホームページより
巨大な骸骨を描いた国芳の代表作の一枚を
お借りしました。 -
新旧の杉玉2個が下げられている酒蔵。
-
アイビースクエアなどを経て
倉敷川沿いに出てきた。
夕方になるとライトアップも始まるそうだが。 -
表紙にも使った倉敷考古館。
-
考古館とともに代表的な撮影スポット。
-
「今橋」の欄干に彫られた竜のレリーフは
児島虎次郎のデザインだそう。 -
川沿いに置かれた傘
夕方からは明かりが灯って綺麗だそう。
でも夕方まで待てずに駅へ急いだ。 -
岡山駅と直結しているホテルグランヴィアに戻ってきた。
雨も降り続いているのでもう出かけないことにして
お弁当を買ってきて部屋でいただいた。 -
岡山駅発着の電車などが見下ろせた。
翌日はレンタカーで宇野港まで走り
そこから直島に渡ります。
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旅行記グループ
瀬戸内海沿いの街を巡る旅。
この旅行記へのコメント (5)
-
- 川岸 町子さん 2026/04/21 08:16:59
- 先人の知恵
- mistralさん、おはようございます。
ご夫妻のフットワークの軽さ、今回は岡山方面へ、カッコいいです~♪
先日知り合い仲良くさせてもらった方が、岡山在住です。
家へ泊まりに来てねと言われ、がぜん岡山に気持ちが向いています(笑)
「店の間の蔀戸(しとみど)・摺揚戸(すりあげど)」
私はこのような風情ある佇まいが大好きです。
だんだん無くなっていくのでしょうが、上手く残してほしいです。
これが全開になる様子も、美しいでしょうね。
お茶室と当主の間をつなぐ太鼓橋、粋ですね!
柱と梁の組み合わせ、先人の知恵の集まりだと感じました。
町子
- mistralさん からの返信 2026/04/22 13:16:11
- RE: 先人の知恵
- 町子さん
こんにちは。
> ご夫妻のフットワークの軽さ、今回は岡山方面へ、カッコいいです~♪
フットワークの軽さについては、町子さんには遥かに及びもしません。
迷っていらっしゃった地へ、やすやすと行ってこられたんですもの。
行ってしまえば、きっと何のご苦労もなく帰国なさったことでしょうね。
旅行記が楽しみです。
岡山まで行ったのは、期限が切れてしまうマイルをなんとか消化しなくては
との想いからです。
> 先日知り合い仲良くさせてもらった方が、岡山在住です。
> 家へ泊まりに来てねと言われ、がぜん岡山に気持ちが向いています(笑)
あまり関西にはなじみがありませんでしたが、今回西方へ行ってみたら素敵な街が
沢山あって、ちょっとはまってしまいそうです。
岡山は、倉敷にちょっと行っただけで通り過ぎただけに終わってしまいました。
>
> 「店の間の蔀戸(しとみど)・摺揚戸(すりあげど)」
> 私はこのような風情ある佇まいが大好きです。
> だんだん無くなっていくのでしょうが、上手く残してほしいです。
> これが全開になる様子も、美しいでしょうね。
いいですよね。
昔ながらの建具、間取り、生活スタイルなどなど
昔の人のようなカッコいい暮らし方はできないと思いますが、憧れます。
> お茶室と当主の間をつなぐ太鼓橋、粋ですね!
> 柱と梁の組み合わせ、先人の知恵の集まりだと感じました。
あの小さな太鼓橋は、素敵に思いました。
ちょっとしたところに遊びごころもあるのがいいですね。
ただの廊下で繋がっているのではないんですもの。
この後、訪問した鞆の浦では、たくさんのお雛様に出会えてラッキーでした。
mistral
-
- しにあの旅人さん 2026/04/12 21:42:58
- 飛鳥を越えて
- 大原美術館休館は残念でした。
2025年の3月に行ったばかりです。美術館と運河の周りの散歩だけでした。いい街でしたが、人が多すぎました。
この日はずいぶん人が少ないですね。見覚えのある景色もいっぱい出てきて、雨のせいでしょうか。雨にお礼を言うべきかと。
こういうような細い路地、歩きました。
運河沿いの建物、欄干の石の彫り物、色とりどりの傘、いいですね。
古い街はいい。このところ奈良に通っています。
2月には奈良と桜井に10泊してきました。
5月には法隆寺前の和久に4泊して、法隆寺を卒業しようと思っています。
「日本の旅は飛鳥に終わる」とおっしゃったのはMistralさんだと覚えているのですが。
飛鳥を通り越して葛城にはまりそうです。葛城氏の輪郭がおぼろげながらつかめました。磐之媛ってすてきな人だなあと思っています。
記紀の歴史に残るヤマト以前の闕史八代を訪ねてみようかとも思っています。
- mistralさん からの返信 2026/04/13 16:16:36
- RE: 飛鳥を越えて
- しにあさん
こんにちは。
いつもありがとうございます。
> 大原美術館休館は残念でした。
> 2025年の3月に行ったばかりです。美術館と運河の周りの散歩だけでした。いい街でしたが、人が多すぎました。
想定外の休館でした。
というよりも事前調査不足でした。
倉敷には思い出しても1回しか行っていません。
メディアでの紹介も多く、何度も行ったことがあるような気分になってしまいます。
せっかくの機会でしたのに、残念なことでした。
> この日はずいぶん人が少ないですね。見覚えのある景色もいっぱい出てきて、雨のせいでしょうか。雨にお礼を言うべきかと。
しとしとと降るような雨でしたら風情がありますが、途中からざんざん降りの大雨と
なってしまいましたから、撤退はやむを得なし、でした。
> こういうような細い路地、歩きました。
> 運河沿いの建物、欄干の石の彫り物、色とりどりの傘、いいですね。
倉敷は関西方面にいらっしゃった折の、通過地点でしたか。
それでもしっとりとした良い街ですよね。(観光客さえ少なければですが。)
> 古い街はいい。このところ奈良に通っています。
> 2月には奈良と桜井に10泊してきました。
そのようなご様子ですね。
10泊もされると、くまなく回れそうで、調査活動もかなりの成果があったことでしょうね。
> 5月には法隆寺前の和久に4泊して、法隆寺を卒業しようと思っています。
ご卒業ですか!
それでもきっと、再び再訪もありそうですね。
> 「日本の旅は飛鳥に終わる」とおっしゃったのはMistralさんだと覚えているのですが。
恐らく、京都に始まり、奈良から飛鳥へと関心が移っていった折の言葉かも?
飛鳥に行きついたのは必然だったように思います。
そして飛鳥から次には近江へと・・・
結局はしにあさんのようにじっくりと一か所に留まり、深く探求されるようなこともなく
私は、関心が移っていってしまうのです。
> 飛鳥を通り越して葛城にはまりそうです。葛城氏の輪郭がおぼろげながらつかめました。磐之媛ってすてきな人だなあと思っています。
> 記紀の歴史に残るヤマト以前の闕史八代を訪ねてみようかとも思っています。
磐之媛、初めて聞く名前、検索してしまいました。
仁徳天皇の皇后のうちのお1人とのこと。
しにあさんがはまられる女性ですから、きっと魅力的な女性だったことでしょうね。
古墳時代でしょうか。またまた古きときへのいざないを
楽しみにお待ちしております。
mistal
>
- しにあの旅人さん からの返信 2026/04/13 17:44:14
- RE: RE: 飛鳥を越えて
- 古代葛城には、おそらく実在したであろう、刮目すべき女性がいっぱいいます。まず吾田媛から始める予定です。
実在がほぼ確実な最初のヤマトの大王、崇神天皇に、夫とともに敢然と反旗を翻した、4世紀の女性です。
本命は磐之媛ですね。
やきもち焼きであまり評判がよくないのですが、記紀によると自分の留守中に夫、仁徳天皇がお妾さんを自宅にいれたわけで、怒るのは当たり前です。それは一夫多妻の当時の常識かもしれませんが、その常識を認めなかったのがすごい。女性の権利を敢然と主張したわけです。
平塚らいてふに先立つこと1600年、という切り口はどうでしょう。
なんで5世紀にこういう女性が葛城にあらわれたか、例によって実地調査と学説のつまみ食いでやってみようかと思っています。
期待しないでおまちください。
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