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竹原<br />古くは、平安時代、京都下賀茂神社の荘園だったようだ。<br />そんな古くからの歴史が有る町。<br />江戸時代中期には干拓事業により入り江を埋め立てた。<br />そのあたりは新田にする予定だったらしい。<br />ところが埋立地の為、塩分が多く、耕作には向かないことが判明。<br />そこで塩田に転用することになったことから、竹原の町は<br />思いがけない発展を遂げることとなった。<br />製塩にあたって、塩の国として有名な赤穂から技術者を招聘<br />(1650年頃)したようだ。<br /><br />製塩業と同じ頃、船着き場が整備されたことで、塩の積み出しが<br />便利なものとなり、北前船の寄港地となったころから<br />竹原の塩が全国へ運ばれていくこととなった。(1700年代終わり頃)<br />こうして塩田の経営者は莫大な富を築いていった。<br /><br />塩を運んで行った北前船は、帰路には米を積んで帰り、<br />竹原で酒造業が発展していくこととなった。(ただし盛んになって<br />くるのは藩の規制がなくなっていった明治期になってから。)<br /><br />こうして重伝建の街並みは、製塩・酒造・廻船によって莫大な富<br />を築いていった商人たちの豪邸によって形成されている。<br /><br />(表紙写真はNIPPONIA HOTEL KIKKO棟)<br /><br />

豪商の富によって築かれていった重伝建の町・竹原から、今回の旅の終着地・呉まで

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2026/03/29 - 2026/03/29

482位(同エリア525件中)

mistral

mistralさん

竹原
古くは、平安時代、京都下賀茂神社の荘園だったようだ。
そんな古くからの歴史が有る町。
江戸時代中期には干拓事業により入り江を埋め立てた。
そのあたりは新田にする予定だったらしい。
ところが埋立地の為、塩分が多く、耕作には向かないことが判明。
そこで塩田に転用することになったことから、竹原の町は
思いがけない発展を遂げることとなった。
製塩にあたって、塩の国として有名な赤穂から技術者を招聘
(1650年頃)したようだ。

製塩業と同じ頃、船着き場が整備されたことで、塩の積み出しが
便利なものとなり、北前船の寄港地となったころから
竹原の塩が全国へ運ばれていくこととなった。(1700年代終わり頃)
こうして塩田の経営者は莫大な富を築いていった。

塩を運んで行った北前船は、帰路には米を積んで帰り、
竹原で酒造業が発展していくこととなった。(ただし盛んになって
くるのは藩の規制がなくなっていった明治期になってから。)

こうして重伝建の街並みは、製塩・酒造・廻船によって莫大な富
を築いていった商人たちの豪邸によって形成されている。

(表紙写真はNIPPONIA HOTEL KIKKO棟)

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
4.5
グルメ
4.5
同行者
カップル・夫婦
旅行の手配内容
個別手配
  • 3月29日、<br />NIPPONIA HOTELのHOTEI棟で<br />美味しい朝食をいただき外へ。

    3月29日、
    NIPPONIA HOTELのHOTEI棟で
    美味しい朝食をいただき外へ。

  • 突き当りを左折すると敷地内部に蔵のある<br />KIKKO棟がある。

    突き当りを左折すると敷地内部に蔵のある
    KIKKO棟がある。

  • 左手にあるのは財満邸。<br />江戸末期に建てられた歴史的な建造物だそう。

    左手にあるのは財満邸。
    江戸末期に建てられた歴史的な建造物だそう。

  • 曲がり角にある<br />妙見邸は、和風建築が軒並みに続くなかで、ひと際目立つ<br />洋風建築。角にあるのは亀の紋章だそう。<br />(妙見邸の角を右折するとHOTEI棟へ。)

    曲がり角にある
    妙見邸は、和風建築が軒並みに続くなかで、ひと際目立つ
    洋風建築。角にあるのは亀の紋章だそう。
    (妙見邸の角を右折するとHOTEI棟へ。)

  • 突き当りにあるのが<br />竹鶴酒造の竹鶴邸<br />1733年創業

    突き当りにあるのが
    竹鶴酒造の竹鶴邸
    1733年創業

  • 竹鶴邸<br />店舗は当日は休業日だった。

    竹鶴邸
    店舗は当日は休業日だった。

  • 竹鶴邸

    竹鶴邸

  • NIPPONIA HOTELとなっている<br />旧渡辺邸

    NIPPONIA HOTELとなっている
    旧渡辺邸

  • ホテル前にある<br />松阪邸<br />後ほど内部を見学します。

    ホテル前にある
    松阪邸
    後ほど内部を見学します。

  • 重伝建保存地区の案内図をもとにして<br />何邸にあたるのかを記載しています。

    重伝建保存地区の案内図をもとにして
    何邸にあたるのかを記載しています。

  • 竹製品が下げられていたのは何邸?

    竹製品が下げられていたのは何邸?

  • 何邸?

    何邸?

  • 初代竹原郵便局跡(上吉井邸)<br />明治4年建造、60年間郵便局として使われていたようだ。

    初代竹原郵便局跡(上吉井邸)
    明治4年建造、60年間郵便局として使われていたようだ。

  • 竹原市歴史民俗資料館

    竹原市歴史民俗資料館

  • 竹鶴政孝・リタの銅像<br />資料館手前の広場に二人の銅像が設置されていた。

    竹鶴政孝・リタの銅像
    資料館手前の広場に二人の銅像が設置されていた。

  • NHKの朝ドラでお馴染みだったマッサン。<br />こんなお2人だったと改めて思った。<br />

    NHKの朝ドラでお馴染みだったマッサン。
    こんなお2人だったと改めて思った。

  • 歴史民俗資料館は元図書館だったそう。<br />外壁のペンキが剥がれかかっていて、ちょっと残念だった。<br />

    歴史民俗資料館は元図書館だったそう。
    外壁のペンキが剥がれかかっていて、ちょっと残念だった。

  • 民族資料館の裏手にある<br />「憧憬の広場」の枝垂れ桜は満開だった。

    民族資料館の裏手にある
    「憧憬の広場」の枝垂れ桜は満開だった。

  • 立て看板の説明によれば<br />この石塔(左側)は「竹原、小早川氏の菩提寺であった<br />法浄寺の跡地(新庄町)から出土したもので、<br />法篋印塔(ほうきょういんとう)は14世紀中ごろ<br />小早川氏のものと考えられている、と書かれている。

    立て看板の説明によれば
    この石塔(左側)は「竹原、小早川氏の菩提寺であった
    法浄寺の跡地(新庄町)から出土したもので、
    法篋印塔(ほうきょういんとう)は14世紀中ごろ
    小早川氏のものと考えられている、と書かれている。

  • 右側の塔も<br />基礎は法篋印塔のものだが、上にのっている<br />水輪・火輪・風空輪は五輪塔のものらしく<br />どこかで間違って載せられたもののようだ。

    右側の塔も
    基礎は法篋印塔のものだが、上にのっている
    水輪・火輪・風空輪は五輪塔のものらしく
    どこかで間違って載せられたもののようだ。

  • 小さなお地蔵さまが安置されている祠

    小さなお地蔵さまが安置されている祠

  • 脇にある細い坂道を上がりながら撮影。<br />

    脇にある細い坂道を上がりながら撮影。

  • 風情のある一角。

    風情のある一角。

  • ムラサキハナナが咲き乱れていた。

    ムラサキハナナが咲き乱れていた。

  • このあたり一角は、なにやら不思議な雰囲気を<br />醸し出していた。

    このあたり一角は、なにやら不思議な雰囲気を
    醸し出していた。

  • お抱え地蔵<br />1650年に創建されたお地蔵さま。<br />願い事をしながら地蔵を抱き抱え、軽く感じると<br />願いが叶うと言われているそう。<br />ちょっと抱えてみようとしたが、簡単には動きそうもなかった。

    お抱え地蔵
    1650年に創建されたお地蔵さま。
    願い事をしながら地蔵を抱き抱え、軽く感じると
    願いが叶うと言われているそう。
    ちょっと抱えてみようとしたが、簡単には動きそうもなかった。

  • お抱え地蔵の手前にあった<br />お堂の中にも、小さなお地蔵さまと<br />お祀りされている石(石像だった?)が。<br />こちらの地蔵様は「大名地蔵」と呼ばれているそう。<br />この地蔵尊は一切衆生を救いつくさんが為に<br />出生された仏様で、慈悲は広大無辺だとありました。

    お抱え地蔵の手前にあった
    お堂の中にも、小さなお地蔵さまと
    お祀りされている石(石像だった?)が。
    こちらの地蔵様は「大名地蔵」と呼ばれているそう。
    この地蔵尊は一切衆生を救いつくさんが為に
    出生された仏様で、慈悲は広大無辺だとありました。

  • もとの本町通りに戻って歩き始めると<br />「まちなみ竹工房」から出てきたおじさんに話しかけられた。<br /><br />中に竹製品があるから、ちょっと見学して行ってほしいと。<br />ここ竹原では65歳(60歳だった?)を過ぎると、<br />竹製品をつくる講習会に参加して、加工する技を学ぶそう。<br />

    もとの本町通りに戻って歩き始めると
    「まちなみ竹工房」から出てきたおじさんに話しかけられた。

    中に竹製品があるから、ちょっと見学して行ってほしいと。
    ここ竹原では65歳(60歳だった?)を過ぎると、
    竹製品をつくる講習会に参加して、加工する技を学ぶそう。

  • どんな作品があるのかと、ちょっと見学させていただいた。<br />プロの方が作るすばらしい竹製品から<br />風車などの小作品などがびっしりと展示されていたので<br />驚いた。<br />シニア世代の方が作られたという?竹製のざるを一点、購入。

    どんな作品があるのかと、ちょっと見学させていただいた。
    プロの方が作るすばらしい竹製品から
    風車などの小作品などがびっしりと展示されていたので
    驚いた。
    シニア世代の方が作られたという?竹製のざるを一点、購入。

  • 胡堂(えびすどう)<br />道路の突き当りに建つ胡堂<br />竹原にある小祠の中でも、最古・最大の規模のものだそう。<br />塩田業が盛んだったころ、胡堂は商業の守り神として祀られて<br />いて、毎年10月には商業の繁栄を願い、祭礼が行われる。<br /><br />大林宣彦監督の映画「時をかける少女」(1983年)のロケ地<br />としても有名なようだ。<br /><br />

    胡堂(えびすどう)
    道路の突き当りに建つ胡堂
    竹原にある小祠の中でも、最古・最大の規模のものだそう。
    塩田業が盛んだったころ、胡堂は商業の守り神として祀られて
    いて、毎年10月には商業の繁栄を願い、祭礼が行われる。

    大林宣彦監督の映画「時をかける少女」(1983年)のロケ地
    としても有名なようだ。

  • 照蓮寺の境内にある<br />「酒造用井戸」<br />かつて竹原の酒造家たちが、ここの水質が酒造りに<br />適していることを発見した重要な場所とされている。

    照蓮寺の境内にある
    「酒造用井戸」
    かつて竹原の酒造家たちが、ここの水質が酒造りに
    適していることを発見した重要な場所とされている。

  • 照蓮寺<br />山号は「龍頭山照蓮寺」<br />もともとは曹洞宗の禅寺で、定林寺といった。<br />竹原小早川氏からの帰依により、学問所として栄えた。<br />高麗鐘は国の重要文化財であり、<br />小早川氏が唐物貿易によって寄進したと伝わる。<br />日本で3番目に古い高麗鐘であり、峻豊4年(963)の銘が残る。<br />銅像は親鸞上人。

    照蓮寺
    山号は「龍頭山照蓮寺」
    もともとは曹洞宗の禅寺で、定林寺といった。
    竹原小早川氏からの帰依により、学問所として栄えた。
    高麗鐘は国の重要文化財であり、
    小早川氏が唐物貿易によって寄進したと伝わる。
    日本で3番目に古い高麗鐘であり、峻豊4年(963)の銘が残る。
    銅像は親鸞上人。

  • 屋根の上から、邪悪が近寄らないように<br />睨んでいるという鬼瓦、<br />現地では気がつかなかったが、てっぺんにある巨大な鬼瓦<br />(上部、右側、畳4枚ぐらいあるそう)の目には青い玉が<br />はめ込まれているそう。

    屋根の上から、邪悪が近寄らないように
    睨んでいるという鬼瓦、
    現地では気がつかなかったが、てっぺんにある巨大な鬼瓦
    (上部、右側、畳4枚ぐらいあるそう)の目には青い玉が
    はめ込まれているそう。

  • 鐘楼門

    鐘楼門

  • 本堂周辺の満開の桜を見て撮影。<br />桜の見ごろの丁度良い時期だった。

    本堂周辺の満開の桜を見て撮影。
    桜の見ごろの丁度良い時期だった。

  • 胡堂を経由して、もと来た道を戻ります。

    胡堂を経由して、もと来た道を戻ります。

  • 食事処だった?

    食事処だった?

  • 松阪邸<br />内部は公開されているので入ったみた。<br />

    松阪邸
    内部は公開されているので入ったみた。

  • 松阪邸について<br />この建物は、江戸時代から昭和にかけての竹原塩田の所有者<br />の家です。<br />表側の意匠は独特で「てり、むくり」を持つ大屋根、<br />2階の塗り込めの窓額縁つきの菱格子の出窓、ゆるやかに<br />カーブした庇、彫りを組み込んだ出格子など、華やかな<br />ものとなっており、内部も数寄屋造りとなっています。<br />文政頃(1818~)の建築で明治12年に全面的な改造<br />が行われ、昭和58年市が寄贈を受けて修理し、展示、<br />公開している。

    松阪邸について
    この建物は、江戸時代から昭和にかけての竹原塩田の所有者
    の家です。
    表側の意匠は独特で「てり、むくり」を持つ大屋根、
    2階の塗り込めの窓額縁つきの菱格子の出窓、ゆるやかに
    カーブした庇、彫りを組み込んだ出格子など、華やかな
    ものとなっており、内部も数寄屋造りとなっています。
    文政頃(1818~)の建築で明治12年に全面的な改造
    が行われ、昭和58年市が寄贈を受けて修理し、展示、
    公開している。

  • 大屋根が少し見えているが<br />屋根の中央から軒先にかけて、凹型に反り返っている「てり」<br />屋根の中央部分が、ゆるやかにふくらんでいる凸型の「むくり」<br />が少し見えている。<br /><br /><br />

    大屋根が少し見えているが
    屋根の中央から軒先にかけて、凹型に反り返っている「てり」
    屋根の中央部分が、ゆるやかにふくらんでいる凸型の「むくり」
    が少し見えている。


  • 虫籠窓(むしこまど)<br />木枠で囲まれた楕円形の窓。風通しや明かり取りの<br />役割があり、その形が虫籠(むしかご)に似ているため<br />そう呼ばれている。<br />「竹原格子」とも呼ばれる1階の格子は、中からは外が<br />見えやすく、外からは中が見えにくいというプライバシー<br />保護の役割がある。<br />一軒一軒意匠の異なるデザインになっているので注目です。<br />

    虫籠窓(むしこまど)
    木枠で囲まれた楕円形の窓。風通しや明かり取りの
    役割があり、その形が虫籠(むしかご)に似ているため
    そう呼ばれている。
    「竹原格子」とも呼ばれる1階の格子は、中からは外が
    見えやすく、外からは中が見えにくいというプライバシー
    保護の役割がある。
    一軒一軒意匠の異なるデザインになっているので注目です。

  • 「幸せのハート」<br />「猪目」(いのめ)と言われる日本に古くから伝わる文様が。

    「幸せのハート」
    「猪目」(いのめ)と言われる日本に古くから伝わる文様が。

  • 北にある胡堂からずっと歩いてきて<br />本町通りの南端までやってきた。<br />チェックアウトが12時だったので、ホテルに<br />荷物を置いたまま散策をしていたが<br />途中でキャリーをとって、鍵をロックし<br />パーキングへ向かている。

    北にある胡堂からずっと歩いてきて
    本町通りの南端までやってきた。
    チェックアウトが12時だったので、ホテルに
    荷物を置いたまま散策をしていたが
    途中でキャリーをとって、鍵をロックし
    パーキングへ向かている。

  • 重伝建の街並みを振り返ってみたら<br />遠くにワンちゃんの姿が写っていた。

    重伝建の街並みを振り返ってみたら
    遠くにワンちゃんの姿が写っていた。

  • 車を停めてある駐車場へ向かっているところだったが<br />ずっとこのワンちゃんがmistralのあとをついてきていた。<br />振り返ってみていると、お家に入ろうと引っ張られても<br />入らず、ずっとこちらを見ていたのだった。<br /><br />バイバイ、竹原。<br /><br />この近くにある道の駅に立ち寄って、お土産などを購入。<br /><br />このあと、

    車を停めてある駐車場へ向かっているところだったが
    ずっとこのワンちゃんがmistralのあとをついてきていた。
    振り返ってみていると、お家に入ろうと引っ張られても
    入らず、ずっとこちらを見ていたのだった。

    バイバイ、竹原。

    この近くにある道の駅に立ち寄って、お土産などを購入。

    このあと、

  • 一路、呉を目指して走っている。<br />ずっと海沿いの道だった。

    一路、呉を目指して走っている。
    ずっと海沿いの道だった。

  • 牡蠣の筏だったのかもしれない?

    牡蠣の筏だったのかもしれない?

  • 呉市にある<br />「海上自衛隊呉資料館」(愛称:てつのくじら館」へ着いた。<br />てつのくじらは実際に海上自衛隊で運用されていた<br />潜水艦「あきしお」だそう。<br /><br />続きの旅行記は呉の観光編です。<br />今回の旅の最後の旅行記となります。<br /><br /><br /><br />

    呉市にある
    「海上自衛隊呉資料館」(愛称:てつのくじら館」へ着いた。
    てつのくじらは実際に海上自衛隊で運用されていた
    潜水艦「あきしお」だそう。

    続きの旅行記は呉の観光編です。
    今回の旅の最後の旅行記となります。



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