2026/03/26 - 2026/03/27
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mistralさん
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ずっと鞆の浦には惹かれていました。
これまでアップされていた旅行記を拝見しながら、一度は行ってみたい地と思っていました。
宮崎駿監督のアニメ「崖の上のポニョ」。どうやら「ポニョは鞆の浦が舞台なのでは?」と囁かれているようです。監督は長期間にわたる鞆の浦の滞在で、ポニョの構想を練った…といわれているようです。またそこには宮崎監督が改修にあたりデザインを一部提供していた宿などもあるそうで、そんなことも興味がわいてきていました。
早々に、鞆の浦の宿を調べていて、古い民家が改修されて宿として提供されていることを知り、予約を済ませていました。
その宿まで案内してもらう際の待ち合わせ場所は、どうやら宮崎監督から提供されたデザインを元にして改修していた「御舟宿いろは」だったことから、その御舟宿への興味も抱いていたのです。
鞆の浦のパーキングへ車を停め、そのままその御舟宿いろはへ向かいました。
観光拠点のほぼ真ん中あたりにその宿はありました。
周辺をうろうろしてみると、ランチを営業しているようで、そのメニューがこのあたりの名物の鯛茶漬けだったことから、思い切って中へ入ってみました。
(表紙写真は、その折のランチのお膳。)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
3月27日朝
UNO HOTELにて
朝食会場へ -
朝食のメニュー:
カラフルなスムージーがずらりと並んでいて、目を惹いていた。
スムージー 5種
野菜のココット蒸
ヨーグルト、自家製ジャム2種類(岡山県産イチゴジャムとブルーベリー)
岡山ポタージュ -
スムージー:
オレンジ キウイとリンゴと小松菜 トマトと赤パプリカ
紫キャベツと豆乳 瀬戸内レモン (左側から)
紫キャベツと豆乳が予想以上に美味しかった。 -
後から運ばれてきた
UNOベネディクト
バケット、自家製瀬戸内鯛のベーコン、アボカドスライス、
瀬戸内海苔のオランデーズソース
パン、コーヒー・紅茶 -
落ち着いた、良いホテルだった。
レストランを出て左手へ、更に右手に向かうとフェリー乗り場
すぐ正面にはJRの駅がある。 -
レストラン棟から先に進むとグランピングのテントがあった。
-
レンタカーを飛ばして、まっすぐ鞆の浦までやってきた。
10時過ぎに出発して75キロの距離だった。
今回の旅も、一日の走行距離はわずか。
車は一旦パーキングに停めて、周辺部の探索。
「御舟宿いろは」までgoogle mapに案内をしてもらい
路地を抜けてきたら「いろは丸事件談判跡」との石碑が
たっていた。 -
近くには
「小小坊主」あなたのお願いをきいてくれる
との張り紙があり、小銭が供えられていた。
小銭とはいえ、そのまま残されている事が、安心安全な街だと物語っている。 -
どうやらここが「御舟宿いろは」
いろは丸の事件があった折、坂本竜馬が紀州藩と談判
した折の場所だったようだ。 -
入口にはランチの営業をしているとのお知らせがあり
内部を見たいのと、お店の人にいろいろのお話を聞いてみたい
想いがあったので、
ランチをここでいただくことにした。 -
ここは文化文政時代の町屋で
(旧魚屋萬蔵宅)
築220年を超す建物だそう。
ランチの予約はしていなかったが、受付をしてくださった。 -
やがて運ばれてきたランチ。
右のお椀の中に鯛の身が入っている。
まずは鯛はそのままお刺身として、又はご飯に載せて卵をおとして漬け丼として、最後は温められているお出し汁をかけて薬味を乗せて鯛茶漬けとして食べて下さい、と。 -
食事が終わる頃、
お料理を運んできて下さった男性にお話を伺った。
彼もNPOに関わっているようだった。
(以下はその時のお話と、テーブルに置かれていた「いろはのお話」を元にまとめています。又、以下の写真はそのお宿の1階内部です。)
もう20年以上も前に、「鞆港湾埋立架橋問題」として、鞆の浦の港湾埋め立て計画と更に橋を通して町を活性化する計画があったそう。万葉から続いて来た港町の機能と景観、文化が二度と取り戻せなくなるのではないかと、中心になって反対運動を進めていた一人の女性。
やがてその女性を中心として 「NPO法人 鞆まちづくり工房」が設立され、2003年から鞆の歴史的景観の保存、空き家再生、ワークショップ活動などが展開されていった。
ここをNPOが購入したのは2004年8月。当時やっとの思いで売りにだされていた建物を購入したが、内部は想像以上に劣化していて修復するまでの資金の余裕はなかったそう。全国の龍馬ファンに寄付を呼びかければなんとかなるかとキャンペーンを張った、が結果は無残なものだったようだ。 -
そんな折、スタジオジブリの社員旅行を鞆に誘致するお話があったようだ。
半年の準備期間ご、2004年10月、200名の方々が鞆にやって来た。その折には町の人々総出で、子供からお年寄りまでが協力して歓迎をされたそう。
旅行が終わり、その2日後、ジブリの鈴木氏からの電話。「NPOへの寄付をすることと、宮崎を2~3カ月預かってもらえないだろうか」との内容だったようだ。
思わぬ提案を受け、「龍馬ゆかりの町屋修復プロジェクト」は動き出すこととなった。
2005年2月、宮崎監督は1人、鞆の浦にやってこられた。ご自身で炊事洗濯をされ、鞆の町を散策され、さまざまな場所でスケッチをして過ごされていたようだ。
滞在されていたのは崖の上に建つ明治時代のお屋敷だったそう。 -
宿の修復工事は、鞆で最後の棟梁が担当されたそうだ。
その棟梁の仕事を宮崎監督はじっと見守っていたそうです。そのうちにその修復設計図から、御舟宿いろはの原案となる見取り図とスケッチを書きおこされた。
監督にとって、江戸の町屋を宿にするというプランは興味を惹かれたようだった。
「龍馬ならこうするだろう」と大胆なステンドグラスのデザインや、各部屋にはユニークな名前を付けられたりしたそうです。 -
その後、架橋問題は広島県との裁判にまで持ち越されていったそうだが、様々なことが追い風となって、文化的背景の保護を理由として公共事業の差し止めという日本初の判例によって決着したそうです。
「開発の時代は終わった」宮崎監督は裁判後、マスコミにこう語ったそうです。 -
当日、私たちが予約してあった「そわか楼」も、このNPOによって修復されたものだということは、この旅行記を書いていて知ったことだった。
お店の男性とお話ししながら、前日に訪れた直島での
海外からの訪問者の賑わいを思い出して、その事を伝えました。
鞆の浦の情報は英語等では発信していないそうで、
最近ではAIに頼むと上手に翻訳してくれますよ、と夫が話したら
現在の観光客ぐらいの数が、丁度良いと思っています、と応えられました。
もっともっとと望むのではなく、現状に満足され、
おそらく精一杯のおもてなしをされている鞆の浦の皆さんの
想いが感じられた言葉でした。 -
1階の中心部
ここが龍馬が紀州藩といろは丸事件での談判をした部屋として
残されているようだ。 -
いろは丸事件:
1867年、坂本龍馬率いる海援隊の「いろは丸」が紀州藩の「明光丸」と瀬戸内海で衝突・沈没した「いろは丸事件」。その賠償談判が、この鞆の浦で行われた。龍馬は事故直後、この地に上陸して約4日間滞在し、不利な状況を「万国公法」を駆使して得意の弁論で覆したそう。現在はいろは丸展示館や、滞在中の龍馬の隠れ部屋、談判の舞台となった「御船宿いろは」などが残っている鞆の浦。その談判の会場となったのがまさにここだったのです。 -
御舟宿の斜め前にある看板建築
-
手前にある、やはり宿になっている古民家。
-
当日のお宿へ案内していただく約束の時間は
15時から17時の間だった。
先ほどからお話しを伺っていた男性の方から
車は舟宿の前の駐車場(指定のパーキングだったようだ)へ
移動したらどうか、と言っていただいた。
約束の時間まで、しばらくの間街歩き。
どうやらこの舟宿は、鞆の町でのさまざまな観光事業の
拠点になっているような印象を受けた。
写真は住吉神社 -
力石:
海運の発展していた鞆の津では、多くの仲仕が積荷の積み込み、
陸揚げに従事していた。誰もが力自慢の人々だった。
祭礼の場で、彼らはその力自慢の技を競い合ったそうだ。
差し上げた石には名前が刻まれ、神社に奉納された。
ここ住吉神社に3個、沼名前神社には20個の力石が奉納されている。 -
その力石を撮影。
-
ここは西町恵比寿神社
商売繁盛の氏神様のようだ。
天和年間(1681~1684)にすでにこの神社の存在
が確認されているそう。 -
こんな細い路地も。
-
港沿いにやってきた。
-
鞆港西側に立つ常夜灯
鞆の浦のシンボル。
1859年に建設され、船の出入りを誘導してきた灯台。
現存する江戸時代の常夜灯としては最大のものだそう。 -
風待ちや潮待ちの為に船がかつては停泊していた港。
江戸期の港湾施設が、そのままの姿で残っているのは、
開発を阻止しようと頑張った人々がいたからで
もしそんなことがなかったのなら、今頃は近代的な
橋が架けられていたのかもしれなかった。 -
雁木:
潮の干満に関わらず、船着けができる石造りの階段。
1811年頃に造られたそうだ。
円形劇場のように、最大24段、約150メートルにわたり港を
取り囲んでいる。 -
「常夜塔」「雁木」「波止場」「焚場」(江戸時代のドッグ)
「船番所跡」など
江戸時代の港には必ずあった港湾施設がそのまま残っているのは
ここ鞆の浦だけと言われているそうだ、 -
波止場、焚場は行ってみなかった。
もう少し、突端の方まで歩いてみれば良かった。 -
15時になったので、御舟宿いろはに戻った。
当日のお宿へ案内していただくために、いろはで
待ち合わせをしていた。
すぐ近くとのことだったが、お宿に行くためには
石段を上がらなくてはならないようだった。
(写真は上り切った上から、見下ろしている。) -
門から入ったところ。
門も玄関も、暗唱番号で入るようキーがセット
されている。 -
玄関から内部を見る。
レトロな音のするピアノが玄関からすぐの和室にあった。
次の間にはベッド。 -
-
多分ここはキッチンだったようだ。
今は流しなどは撤去されていて、テーブルとイス
冷蔵庫や電子レンジが置かれている。 -
高台にあるため、浴槽にお湯をはるには
1時間ぐらいはかかるので、早めにお湯をいれて
ください、とのことだった。 -
廊下から眺めると
鞆の静かな海が見渡せた。 -
2階へ上がっていった。
5~6人は充分に泊まれそうな広さ。 -
2階の広間。
-
こんな広い家に二人で泊まるなんて
贅沢なことだった。
結局2階には上がらず、ずっと1階で過ごした。 -
翌朝、2階にあるテラスに出てみた。
すばらしい景観が広がっていた。 -
-
この宿の名前は「そわか荘」
NPO法人「鞆まちづくり工房」によって修復工事が行われた。
NPOがこの物件を購入したきっかけは、所有者の方から「この建物を大切にして下さる方に譲りたい」と、直接のお声かけがあったそうだ。
高台に立つ好立地ゆえに、また復元工事という形をとり新材をなるべく使わないこととしたため、当初の予算よりお改修費用もかさんだそうだが、無事完工。
現在では宿泊施設として利用されている。 -
夕方になると食堂やレストランも営業終了となってしまうようなので、
車でコンビニまで走り、夕食用食料と翌日の朝用のパンなどの
買い出しをしてきた。
石段を下っていったときに見かけた、龍馬と鞆の浦の立て看板。 -
宿からもう少し上ったところに
「鞆の浦歴史民俗資料館」もあったようだ。
「のぼるがはしんどいけんど
鞆の浦が一望できるぜよ」
と龍馬(アニメの)が語っている。 -
龍馬が案内している見どころマップ
龍馬の宿泊所跡 「桝屋」
談判会場のひとつ 「福禅寺・対潮楼」
修理された談判会場 「旧魚屋萬蔵宅」
江戸時代から残る「雁木」
紀州藩の宿舎 「円福寺」
などの案内図
次の旅行記は、鞆の町で見学した
雛人形の展示の様子などを載せます。
どうぞ宜しくお願いします。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- しにあの旅人さん 2026/04/27 17:16:43
- おもしろそう
- 鞆の浦は万葉からの歴史があるのですか。困っちゃうな。
目下葛城に凝っています。
仁徳天皇の恋人の一人に吉備海部直の娘黒日売というのがおります。古事記だとこの娘が磐之媛の嫉妬が怖くて故郷の吉備に逃げちゃうのです。この故郷を現在の牛窓という設定で話を組み立ています。牛窓は古代からの港で都合がいい。そこに50㎞も離れていない鞆の浦というのがでてくると、話が複雑になります。
なにか黒日売にまつわる伝説でも鞆の浦にありましたか?
そういうのどかな伝説でもありそうないい港町ですね。黒日売さんにはめいわくな話です。
いろは丸事件はここだったのですか。相手が紀州の船だったので、てっきりきり和歌山沖だと思っていました。そこに宮崎駿が絡んでくるとは知りませんでした。いろいろおもしろそうなところですね。私好み。
広島には出雲タイプのかまえ獅子がいるという話も聞いているので、いつか行ってみたいと思っています。
- mistralさん からの返信 2026/04/27 23:08:41
- Re: おもしろそう
- しにあさん
こんばんは。
いつもコメントをいただきまして有難うございます。
「なにか黒日売にまつわる伝説でも鞆の浦にありましたか?」
鞆の浦は、万葉からの歴史がある町というのは、鞆の浦にいつも出てくる
枕詞のように思っていました。良港に恵まれた町で、昔から瀬戸内を進む船
は潮流の様子を見る為に必ず停泊する港だったというせいもあるのでしょう
が、他にも?と思い調べていましたら
旅行記を書いているときに見つけたのは(いつもこんなふうです。)
しにあさんがこれまでも取り上げられています、旅人さんの句碑が
あるところということでした。
鞆の浦万葉の会という集まりもあるようです。
我妹子が見し鞆の浦のむろの木は常世にあれど見し人ぞなき
などの三首の歌を詠んだようです。
筑紫から旅人が帰京する折、鞆の浦をすぎるとき、すでに亡くなった奥さんを偲んで作った歌のようです。
ほかには、黒日売さんのお名前は出てこなかったように思います。
それでもしにあさんが調査されましたら、なにか痕跡も見つかるかも
しれませんね。
いろは丸事件は、まさにこの鞆の浦でした!
旅行記を読んで下さった龍馬ファンの方が、行ってみたいとおっしゃってました。紀州藩と談判をするにあたり、いのちを狙われる恐れありとして、
滞在したところには隠れ部屋も残されているようです。
そんな鞆の浦が、開発の理由のもとに、埋立やら橋を通すなどの話があり、
先頭にたって反対運動をされていた女性の方と宮崎監督とが鞆で出会い、
意気投合なさったり、
そんな様々なことがらが交差している、面白い街でした。
通りすぎただけでしたので、もう一度ゆっくり行ってみたいです。
mistral
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