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エジプトは今回で3度目の訪問となる。1度目はトルコからシリア、レバノン、再度シリア、ヨルダン、イスラエル、そしてエジプトと陸路で回る予定が、当時は全く無計画で、北キプロスとキプロスに寄り道したら、エジプトまで到底間に合わず、レバノンでカイロまでの航空券を購入するはめとなってしまった。(さらに、カイロで渋滞にはまり帰路便に乗り遅れ、仕事に間に合わないので、日本行きの航空券を別購入、、、) この時に、ギザのピラミッド、エジプト考古学博物館を訪問。<br />2度目はアラビア半島縦断の旅で、、、。スエズ運河を見たく、河口の町ポートサイード訪問、そしてイスラエルに抜けるため、シナイ半島のダハブ訪問。<br /><br />今回はエジプト第2の町アレキサンドリアへ、、、。

2025-2026 冬のマグレブ諸国周遊の旅2 エジプト編 アレキサンドリア

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2025/12/27 - 2025/12/31

16位(同エリア172件中)

kasekunさん

エジプトは今回で3度目の訪問となる。1度目はトルコからシリア、レバノン、再度シリア、ヨルダン、イスラエル、そしてエジプトと陸路で回る予定が、当時は全く無計画で、北キプロスとキプロスに寄り道したら、エジプトまで到底間に合わず、レバノンでカイロまでの航空券を購入するはめとなってしまった。(さらに、カイロで渋滞にはまり帰路便に乗り遅れ、仕事に間に合わないので、日本行きの航空券を別購入、、、) この時に、ギザのピラミッド、エジプト考古学博物館を訪問。
2度目はアラビア半島縦断の旅で、、、。スエズ運河を見たく、河口の町ポートサイード訪問、そしてイスラエルに抜けるため、シナイ半島のダハブ訪問。

今回はエジプト第2の町アレキサンドリアへ、、、。

  • 12/29 カイロ国際空港に早朝到着!<br />アライバルVISAを25ユーロで払ったら、差額をエジプトボンドでちゃんとくれた!(130ポンド、正規料金は25ドル)<br />まだまだ真っ暗なので、空港内で仮眠して朝を待つ、、、。<br /><br />カイロまでは以下の日程、、、<br />12/28 羽田11:35ーミュンヘン17:55  LH715<br />12/28 ミュンヘン21:20ーカイロ翌2:05着 LH586

    12/29 カイロ国際空港に早朝到着!
    アライバルVISAを25ユーロで払ったら、差額をエジプトボンドでちゃんとくれた!(130ポンド、正規料金は25ドル)
    まだまだ真っ暗なので、空港内で仮眠して朝を待つ、、、。

    カイロまでは以下の日程、、、
    12/28 羽田11:35ーミュンヘン17:55 LH715
    12/28 ミュンヘン21:20ーカイロ翌2:05着 LH586

  • さて、地下鉄が動き出す時刻に合わせて行動開始!今日は列車でアレキサンドリアまで、、、。<br /><br />ちなみに、所持していたエジプトボンド2000ボンド程は、前回の旅で出会った旅人さんが困ってたので2万円と交換したもの。エジプトボンドは2年前よりさらに暴落していた、、、

    さて、地下鉄が動き出す時刻に合わせて行動開始!今日は列車でアレキサンドリアまで、、、。

    ちなみに、所持していたエジプトボンド2000ボンド程は、前回の旅で出会った旅人さんが困ってたので2万円と交換したもの。エジプトボンドは2年前よりさらに暴落していた、、、

  • El Nozha地下鉄駅までてくてく、、、。空港から歩いて9キロ(2時間程)、、、。マップスミー頼りに朝の散歩です。

    El Nozha地下鉄駅までてくてく、、、。空港から歩いて9キロ(2時間程)、、、。マップスミー頼りに朝の散歩です。

  • こんな道を、、、。

    こんな道を、、、。

  • 陸橋渡って、、、。

    陸橋渡って、、、。

  • さあ、見えてきました、、、地下鉄El Nozha駅!

    さあ、見えてきました、、、地下鉄El Nozha駅!

  • ?

  • ここが空港から一番近い地下鉄の駅、、、バスで行ってもいいんですが、列車、地下鉄好きなんで、、、。

    ここが空港から一番近い地下鉄の駅、、、バスで行ってもいいんですが、列車、地下鉄好きなんで、、、。

  • 地下鉄3号線!料金は10ポンド(33円)。前回の旅では5ポンドだったので2倍に!<br /><br />※アラビア語と英語で「Welcome to Green Line 3(グリーンライン3へようこそ)」と表示されています。<br />エジプトのカイロ首都圏での交通手段です。<br />この路線は、カイロ地下鉄ネットワークの一部として機能しています。<br />

    地下鉄3号線!料金は10ポンド(33円)。前回の旅では5ポンドだったので2倍に!

    ※アラビア語と英語で「Welcome to Green Line 3(グリーンライン3へようこそ)」と表示されています。
    エジプトのカイロ首都圏での交通手段です。
    この路線は、カイロ地下鉄ネットワークの一部として機能しています。

  • で地下鉄乗ってカイロ市街に到着!最寄りの地下鉄駅はAl Abbasiyya!<br /><br />※写っている建物は、エジプトのカイロ中心部、ラムセス広場に位置するアル・ファトフ・モスク(Al-Fath Mosque、アラビア語: مسجد الفتح)で、1990年に完成したこのモスクはカイロで最大級のモスクの一つであり、高さ130メートルのミナレット(尖塔)はカイロで最も高いことで知られています。 世界で3番目に高いミナレットです。<br />歴史:<br />この場所にはもともと、エジプト征服時代に建てられた古いモスクがありました。<br />古いモスクは1798年のカイロ蜂起の際にフランス軍によって破壊され、跡地には軍事施設が建設されました。<br />現在のモスクはアラブ・コントラクターズ社によって再建され、1990年2月22日に落成しました。<br />建築: 現代イスラム建築様式で設計され、フセイン・ビクリが建築家を務めました。<br />収容人数: 2,000平方メートルの内部面積を持ち、5,000人の礼拝者を収容できます。 <br />

    で地下鉄乗ってカイロ市街に到着!最寄りの地下鉄駅はAl Abbasiyya!

    ※写っている建物は、エジプトのカイロ中心部、ラムセス広場に位置するアル・ファトフ・モスク(Al-Fath Mosque、アラビア語: مسجد الفتح)で、1990年に完成したこのモスクはカイロで最大級のモスクの一つであり、高さ130メートルのミナレット(尖塔)はカイロで最も高いことで知られています。 世界で3番目に高いミナレットです。
    歴史:
    この場所にはもともと、エジプト征服時代に建てられた古いモスクがありました。
    古いモスクは1798年のカイロ蜂起の際にフランス軍によって破壊され、跡地には軍事施設が建設されました。
    現在のモスクはアラブ・コントラクターズ社によって再建され、1990年2月22日に落成しました。
    建築: 現代イスラム建築様式で設計され、フセイン・ビクリが建築家を務めました。
    収容人数: 2,000平方メートルの内部面積を持ち、5,000人の礼拝者を収容できます。

  • で、露天で朝飯!<br />※画像内の屋台料理は、エジプトや中東で一般的な朝食メニューです。特に中央の大きなボウルに入った豆料理は「フール・メダムス」というソラマメの煮込み料理で、この地域の代表的な国民食です。<br /><br />メインディッシュ: 大きなボウルに入っているのは、エジプトの国民食である潰したソラマメの煮込み「フール」(Foul)と考えられます。<br />サイドディッシュ:<br />フライドポテト<br />ソラマメのコロッケ「ターメイヤ」(Ta&#39;ameya)<br />刻んだトマトやキュウリなどのサラダ<br />ナスなどの野菜の煮込みまたは炒め物<br />唐辛子やスパイスなどの薬味<br />パン: 食事には、薄い平たいパン(アイシュ)が添えられています。<br />食事スタイル: 小さな金属製のボウルに様々な料理が並べられ、皆でシェアして食べる、エジプトでは一般的なスタイルです。

    で、露天で朝飯!
    ※画像内の屋台料理は、エジプトや中東で一般的な朝食メニューです。特に中央の大きなボウルに入った豆料理は「フール・メダムス」というソラマメの煮込み料理で、この地域の代表的な国民食です。

    メインディッシュ: 大きなボウルに入っているのは、エジプトの国民食である潰したソラマメの煮込み「フール」(Foul)と考えられます。
    サイドディッシュ:
    フライドポテト
    ソラマメのコロッケ「ターメイヤ」(Ta'ameya)
    刻んだトマトやキュウリなどのサラダ
    ナスなどの野菜の煮込みまたは炒め物
    唐辛子やスパイスなどの薬味
    パン: 食事には、薄い平たいパン(アイシュ)が添えられています。
    食事スタイル: 小さな金属製のボウルに様々な料理が並べられ、皆でシェアして食べる、エジプトでは一般的なスタイルです。

  • 朝食後、ラムセス中央駅へ、、、。そこでアレキサンドリア行きのチケットを購入したわけですが、発車まで時間があったので、駅隣のエジプト鉄道博物館に、、、。<br /><br />※チケット購入場所は駅舎内2階に。(この写真の奥) 外国人専用?確か2年前にはこんなのなかったはず、、、列車に乗るには高額の外国人料金を払わないといけないみたい、、、。

    朝食後、ラムセス中央駅へ、、、。そこでアレキサンドリア行きのチケットを購入したわけですが、発車まで時間があったので、駅隣のエジプト鉄道博物館に、、、。

    ※チケット購入場所は駅舎内2階に。(この写真の奥) 外国人専用?確か2年前にはこんなのなかったはず、、、列車に乗るには高額の外国人料金を払わないといけないみたい、、、。

  • ※この画像は、エジプト・カイロのラムセス駅にあるエジプト鉄道博物館に展示されている絵画です。この博物館は改装を経て再オープンしており、エジプトの交通の歴史に関する展示品が収蔵されています。<br />博物館は1933年の国際鉄道会議を記念して設立されました。<br />古代から現代までのエジプトの交通の進化を、模型、レプリカ、文書、古い写真を通して展示しています。

    ※この画像は、エジプト・カイロのラムセス駅にあるエジプト鉄道博物館に展示されている絵画です。この博物館は改装を経て再オープンしており、エジプトの交通の歴史に関する展示品が収蔵されています。
    博物館は1933年の国際鉄道会議を記念して設立されました。
    古代から現代までのエジプトの交通の進化を、模型、レプリカ、文書、古い写真を通して展示しています。

  • ※この機関車は、カイロにあるエジプト鉄道博物館に展示されているものです。<br />エジプト鉄道博物館は、1933年にカイロで開催された国際鉄道会議を記念して設立されました。<br />中東で最初の鉄道博物館であり、世界でもイギリス国立鉄道博物館に次いで2番目に古い鉄道博物館です。<br />館内には700点以上の鉄道模型や歴史資料が展示されています。<br />この機関車には「(194)」という番号が確認できます。

    ※この機関車は、カイロにあるエジプト鉄道博物館に展示されているものです。
    エジプト鉄道博物館は、1933年にカイロで開催された国際鉄道会議を記念して設立されました。
    中東で最初の鉄道博物館であり、世界でもイギリス国立鉄道博物館に次いで2番目に古い鉄道博物館です。
    館内には700点以上の鉄道模型や歴史資料が展示されています。
    この機関車には「(194)」という番号が確認できます。

  • 15年程前、英国(スコットランド)を旅行した時、蒸気機関車に乗ろうと「ジャコバイト号(The Jacobite)」のチケットを購入した。しかし、タイムスケジュールではギリギリ間に合うはずのバスが遅れ、駅に着いた時には既に出発してしまっていた!あと10分早かったら、、、。という訳で、未だ蒸気機関車SLには乗車してない、、、。

    15年程前、英国(スコットランド)を旅行した時、蒸気機関車に乗ろうと「ジャコバイト号(The Jacobite)」のチケットを購入した。しかし、タイムスケジュールではギリギリ間に合うはずのバスが遅れ、駅に着いた時には既に出発してしまっていた!あと10分早かったら、、、。という訳で、未だ蒸気機関車SLには乗車してない、、、。

  • ※この画像は、蒸気機関車の機関室の内部を示しています。<br />機関室は木目調のパネルと真鍮製のパイプや計器で構成されており、歴史的な雰囲気を醸し出しています。<br />窓の外には、展示されている建物の内部または駅のプラットホームのような場所が見えます。<br />右側には、蒸気圧計と思われる丸いアナログメーターが取り付けられています。<br />これは、博物館や展示物として保存されている蒸気機関車の一部である可能性が高いです。

    ※この画像は、蒸気機関車の機関室の内部を示しています。
    機関室は木目調のパネルと真鍮製のパイプや計器で構成されており、歴史的な雰囲気を醸し出しています。
    窓の外には、展示されている建物の内部または駅のプラットホームのような場所が見えます。
    右側には、蒸気圧計と思われる丸いアナログメーターが取り付けられています。
    これは、博物館や展示物として保存されている蒸気機関車の一部である可能性が高いです。

  • こんな豪華な車内ならさぞかしぐっすり眠れそう、、、。

    こんな豪華な車内ならさぞかしぐっすり眠れそう、、、。

  • ※ この特定の豪華な車両は、スエズ運河開通式のためにフランスのウジェニー皇后のために作られた、貴重な王室列車(またはその一部)の機関車であると考えられています。<br /><br />※ウジェニー皇后とはフランス皇帝ナボレオン3世の皇后、、、意図せずナポレオン3世と繋がりました。

    ※ この特定の豪華な車両は、スエズ運河開通式のためにフランスのウジェニー皇后のために作られた、貴重な王室列車(またはその一部)の機関車であると考えられています。

    ※ウジェニー皇后とはフランス皇帝ナボレオン3世の皇后、、、意図せずナポレオン3世と繋がりました。

  • ※展示されている機関車は、カイロのエジプト鉄道博物館にあるサイード・パシャ (Said Pasha) 機関車です。 <br />詳細情報<br />名称: サイード・パシャ機関車<br />製作者: ロバート・スチーブンソン社<br />製造年: 1862年<br />用途: 当時のエジプト副王(ヘディーヴ)であったムハンマド・サイード・パシャのために製造された豪華な機関車です。元々はメキシコ帝国鉄道向けに製造されましたが、皇帝マクシミリアンの処刑後にエジプトに売却されました。<br />特徴: 蒸気機関車の内部構造を示すために、車輪やシリンダーの一部がカットされた「カットモデル」の状態で展示されています。 <br />この機関車は、アフリカおよび中東初の標準軌鉄道の一部としてエジプトに導入された歴史的な車両コレクションの重要な一部です。

    ※展示されている機関車は、カイロのエジプト鉄道博物館にあるサイード・パシャ (Said Pasha) 機関車です。
    詳細情報
    名称: サイード・パシャ機関車
    製作者: ロバート・スチーブンソン社
    製造年: 1862年
    用途: 当時のエジプト副王(ヘディーヴ)であったムハンマド・サイード・パシャのために製造された豪華な機関車です。元々はメキシコ帝国鉄道向けに製造されましたが、皇帝マクシミリアンの処刑後にエジプトに売却されました。
    特徴: 蒸気機関車の内部構造を示すために、車輪やシリンダーの一部がカットされた「カットモデル」の状態で展示されています。
    この機関車は、アフリカおよび中東初の標準軌鉄道の一部としてエジプトに導入された歴史的な車両コレクションの重要な一部です。

  • ※画像は、エジプトのスエズ運河建設を監督し、カイロとアレクサンドリアの近代化に貢献したオスマン帝国の自治領エジプト・スーダンの支配者、イスマーイール・パシャ(Khedive Ismail)の肖像画です。<br />彼は1863年から1879年までエジプトの副王(ヘディーヴ)を務めました。<br />彼の治世中に、有名なスエズ運河が開通しました(1869年)。<br />彼はエジプトをヨーロッパの都市のように近代化することを目指し、インフラ、都市開発、教育に多額の投資を行いました。<br />これらの野心的なプロジェクトは、エジプトに巨額の負債をもたらし、最終的に彼が退位に追い込まれる原因となりました。<br />左側のテキストはアラビア語で「الخديوي إسماعيل」(アル=ヘディーウィー・イスマーイール)と書かれており、これは「イスマーイール副王」を意味します。

    ※画像は、エジプトのスエズ運河建設を監督し、カイロとアレクサンドリアの近代化に貢献したオスマン帝国の自治領エジプト・スーダンの支配者、イスマーイール・パシャ(Khedive Ismail)の肖像画です。
    彼は1863年から1879年までエジプトの副王(ヘディーヴ)を務めました。
    彼の治世中に、有名なスエズ運河が開通しました(1869年)。
    彼はエジプトをヨーロッパの都市のように近代化することを目指し、インフラ、都市開発、教育に多額の投資を行いました。
    これらの野心的なプロジェクトは、エジプトに巨額の負債をもたらし、最終的に彼が退位に追い込まれる原因となりました。
    左側のテキストはアラビア語で「الخديوي إسماعيل」(アル=ヘディーウィー・イスマーイール)と書かれており、これは「イスマーイール副王」を意味します。

  • ※展示されている真鍮製の模型蒸気機関車は、エジプト・カイロにあるエジプト鉄道博物館で見ることができます。この博物館は、エジプトおよび世界の鉄道の歴史に関する貴重な展示品を収蔵しており、写真の模型はそのコレクションの一部です。 <br />この博物館では、鉄道の部品や模型など世界中から集められた品々が展示されており、訪れる人々は鉄道技術の進化の歴史を学ぶことができます。

    ※展示されている真鍮製の模型蒸気機関車は、エジプト・カイロにあるエジプト鉄道博物館で見ることができます。この博物館は、エジプトおよび世界の鉄道の歴史に関する貴重な展示品を収蔵しており、写真の模型はそのコレクションの一部です。
    この博物館では、鉄道の部品や模型など世界中から集められた品々が展示されており、訪れる人々は鉄道技術の進化の歴史を学ぶことができます。

  • 暇潰しに来たものの、結構楽しめました。

    暇潰しに来たものの、結構楽しめました。

  • ※フアード1世の胸像です。エジプト考古学博物館または国立エジプト文明博物館に展示されている作品で、彼がこれらの博物館の建設を命じたことを記念しています。 <br />詳細情報<br />人物: フアード1世(Fuad I, 1868年 - 1936年)は、ムハンマド・アリー朝のエジプトとスーダンのスルタンおよび国王でした。<br />場所: この胸像は、カイロのエジプト鉄道博物館や国立エジプト文明博物館など、複数の博物館に展示されています。<br />碑文: 胸像の下にある碑文(アラビア語と英語)によると、彼は1932年10月26日に博物館の建設を命じ、1933年1月15日に開館しました。 <br /><br />※ムハンマド・アリー朝(1805年 - 1953年)<br />●エジプト総督(ワーリー)(1805年 - 1867年)<br />①ムハンマド・アリー(1805年 - 1848年)<br />②イブラーヒーム・パシャ(1848年)<br />③アッバース・パシャ(アッバース・ヒルミー1世)(1848年 - 1854年)<br />④サイード・パシャ(1854年 - 1863年)<br />⑤イスマーイール・パシャ(1863年 - 1867年)<br />●副王(ヘディーヴ)(1867年 - 1914年)<br />⑤イスマーイール・パシャ(1867年 - 1879年)<br />⑥タウフィーク・パシャ(1879年 - 1892年)<br />⑦アッバース・ヒルミー2世(1892年 - 1914年)<br />●スルターン(1914年 - 1922年)<br />⑧フサイン・カーミル(1914年 - 1917年)<br />⑨フアード1世(1917年 - 1922年)<br />●国王(マリク)(1922年 - 1953年)<br />⑨フアード1世(在位:1922年 - 1936年)<br />⑩ファールーク1世(在位:1936年 - 1952年)<br />⑪フアード2世(在位:1952年 - 1953年)<br />○モハメド・アリ・フアード・ファルーク<br />○フアード・ザヘル・ハッサン<br />

    ※フアード1世の胸像です。エジプト考古学博物館または国立エジプト文明博物館に展示されている作品で、彼がこれらの博物館の建設を命じたことを記念しています。
    詳細情報
    人物: フアード1世(Fuad I, 1868年 - 1936年)は、ムハンマド・アリー朝のエジプトとスーダンのスルタンおよび国王でした。
    場所: この胸像は、カイロのエジプト鉄道博物館や国立エジプト文明博物館など、複数の博物館に展示されています。
    碑文: 胸像の下にある碑文(アラビア語と英語)によると、彼は1932年10月26日に博物館の建設を命じ、1933年1月15日に開館しました。

    ※ムハンマド・アリー朝(1805年 - 1953年)
    ●エジプト総督(ワーリー)(1805年 - 1867年)
    ①ムハンマド・アリー(1805年 - 1848年)
    ②イブラーヒーム・パシャ(1848年)
    ③アッバース・パシャ(アッバース・ヒルミー1世)(1848年 - 1854年)
    ④サイード・パシャ(1854年 - 1863年)
    ⑤イスマーイール・パシャ(1863年 - 1867年)
    ●副王(ヘディーヴ)(1867年 - 1914年)
    ⑤イスマーイール・パシャ(1867年 - 1879年)
    ⑥タウフィーク・パシャ(1879年 - 1892年)
    ⑦アッバース・ヒルミー2世(1892年 - 1914年)
    ●スルターン(1914年 - 1922年)
    ⑧フサイン・カーミル(1914年 - 1917年)
    ⑨フアード1世(1917年 - 1922年)
    ●国王(マリク)(1922年 - 1953年)
    ⑨フアード1世(在位:1922年 - 1936年)
    ⑩ファールーク1世(在位:1936年 - 1952年)
    ⑪フアード2世(在位:1952年 - 1953年)
    ○モハメド・アリ・フアード・ファルーク
    ○フアード・ザヘル・ハッサン

  • ここが「EGYPTIAN NATIONAL RAILWAYS MUSEUM」エジプト国立鉄道博物館です。

    ここが「EGYPTIAN NATIONAL RAILWAYS MUSEUM」エジプト国立鉄道博物館です。

  • さて、アレキサンドリア行きの列車に乗り込みます。

    さて、アレキサンドリア行きの列車に乗り込みます。

  • ラムセス中央駅構内!<br />前回のエジプト国鉄乗車はボートサイード駅からショブラ駅まで。初めてラムセス中央駅から乗車します!

    ラムセス中央駅構内!
    前回のエジプト国鉄乗車はボートサイード駅からショブラ駅まで。初めてラムセス中央駅から乗車します!

  • この列車でアレキサンドリアに行くようです。<br /><br />※このディーゼル機関車(牽引している側の列車)は、ドイツのヘンシェル(Henschel)社がエジプト向けに製造したAA22T型である可能性が高いです。

    この列車でアレキサンドリアに行くようです。

    ※このディーゼル機関車(牽引している側の列車)は、ドイツのヘンシェル(Henschel)社がエジプト向けに製造したAA22T型である可能性が高いです。

  • 車内、、、

    車内、、、

  • これがチケット!<br />※カイロ &gt; アレクサンドリア<br />2025/12/29 12:00<br />列車 913<br />特別<br />等級 車両 座席<br />AC 2 (エアコン付き2等車) 6 (車両番号) 29 (座席番号)<br />価格 (USD) 35.00<br />外国人<br /><br />※クレカで購入すると36ドル!たっけー!<br /><br />AI に尋ねると、、、<br />※エジプトの鉄道(特に特急・長距離列車)は、2023年より外国人には高額な外国人料金が適用されています。エジプト人料金の数倍になることもあり、外国人専用窓口での購入が一般的です。米ドル払いだと比較的安価に済む場合もあり、特に夜行列車などは専用の料金体系です。 <br />詳細なポイントは以下の通りです。<br />外国人料金の適用: カイロ~ルクソールなどの特急はエジプト人より高額で、外国人専用の価格が設定されています。<br />チケットの購入: 各駅の「外国人用窓口」で購入します。<br />支払い方法: 米ドル(USD)またはエジプトポンド(EGP)で、クレジットカードが使える場合もあります。<br />運賃目安: 例えば2023年時点で、カイロ~ルクソールの特急が約$60~70程度かかる場合があります。<br />地下鉄: カイロの地下鉄(メトロ)は、外国人専用料金はなく、乗車距離に応じた一律料金です。 <br />外国人旅行者は、基本的に「外国人料金」を支払う必要があるため、予算は多めに見積もっておくのが安全です。<br /><br />どおりで、、、前回はポートサイードからカイロ(ショブラ駅)までたったの20エジプトボンドだったはず、、、エジプトでは、列車は地元民には安価な、外国人にとっては高額な乗り物となってしまいました。

    これがチケット!
    ※カイロ > アレクサンドリア
    2025/12/29 12:00
    列車 913
    特別
    等級 車両 座席
    AC 2 (エアコン付き2等車) 6 (車両番号) 29 (座席番号)
    価格 (USD) 35.00
    外国人

    ※クレカで購入すると36ドル!たっけー!

    AI に尋ねると、、、
    ※エジプトの鉄道(特に特急・長距離列車)は、2023年より外国人には高額な外国人料金が適用されています。エジプト人料金の数倍になることもあり、外国人専用窓口での購入が一般的です。米ドル払いだと比較的安価に済む場合もあり、特に夜行列車などは専用の料金体系です。
    詳細なポイントは以下の通りです。
    外国人料金の適用: カイロ~ルクソールなどの特急はエジプト人より高額で、外国人専用の価格が設定されています。
    チケットの購入: 各駅の「外国人用窓口」で購入します。
    支払い方法: 米ドル(USD)またはエジプトポンド(EGP)で、クレジットカードが使える場合もあります。
    運賃目安: 例えば2023年時点で、カイロ~ルクソールの特急が約$60~70程度かかる場合があります。
    地下鉄: カイロの地下鉄(メトロ)は、外国人専用料金はなく、乗車距離に応じた一律料金です。
    外国人旅行者は、基本的に「外国人料金」を支払う必要があるため、予算は多めに見積もっておくのが安全です。

    どおりで、、、前回はポートサイードからカイロ(ショブラ駅)までたったの20エジプトボンドだったはず、、、エジプトでは、列車は地元民には安価な、外国人にとっては高額な乗り物となってしまいました。

  • 旅の友!駅構内の売店で購入!<br />※画像には「Schweppes」のボトルと「Jaguar」のスナック菓子が写っています。<br />シュウェップスは、1783年に誕生した世界初の炭酸飲料ブランドです。<br />英国王室御用達のソーダメーカーとして認定された歴史あるブランドです。<br />スナック菓子は「コーンスナック」で、ハンバーガーの絵が描かれています。

    旅の友!駅構内の売店で購入!
    ※画像には「Schweppes」のボトルと「Jaguar」のスナック菓子が写っています。
    シュウェップスは、1783年に誕生した世界初の炭酸飲料ブランドです。
    英国王室御用達のソーダメーカーとして認定された歴史あるブランドです。
    スナック菓子は「コーンスナック」で、ハンバーガーの絵が描かれています。

  • さて、エジプトの列車を改めて撮影!(前回はバッテリーが失くなり、撮れてなかったので、、、)

    さて、エジプトの列車を改めて撮影!(前回はバッテリーが失くなり、撮れてなかったので、、、)

  • 駅の造りはヨーロッパと変わらず、、、。時計は壊れてるけど、、、<br /><br />カイロからアレキサンドリアへは、、、<br />4時から23時までたくさん出てるようです。<br />https://enr.gov.eg/o-city/obs/enr/railway/en/booktickets<br /><br />外国人はまだこのサイトでチケット購入できないようですが、タイムスケジュールはわかりますね。

    駅の造りはヨーロッパと変わらず、、、。時計は壊れてるけど、、、

    カイロからアレキサンドリアへは、、、
    4時から23時までたくさん出てるようです。
    https://enr.gov.eg/o-city/obs/enr/railway/en/booktickets

    外国人はまだこのサイトでチケット購入できないようですが、タイムスケジュールはわかりますね。

  • やっぱり列車はいいなあ、、、。エジプトでは贅沢な乗り物に変わっちゃったけど(外国人には)、、、

    やっぱり列車はいいなあ、、、。エジプトでは贅沢な乗り物に変わっちゃったけど(外国人には)、、、

  • で、この列車でアレキサンドリアへ、、、<br /><br />※この列車は、エジプト国鉄が所有するES30ACi形ディーゼル機関車です。この機関車は、アメリカのWabtec(旧GEトランスポーテーション)によって製造されました。 <br /><br />所有者: エジプト国鉄 (Egyptian National Railways: ENR)<br />メーカー: Wabtec(米国)<br />モデル名: ES30ACi(Light Evolutionシリーズ)<br />用途: 旅客列車と貨物列車の両方に対応しています。<br />特徴:<br />砂嵐などの厳しい環境に耐えるように設計されています。<br />運転台の空調システムが強化されています。<br />画像に見られるように、通常、旅客列車向けは青色、貨物列車向けは赤色と黒色に塗り分けられていますが、この機体は赤とグレーの配色です。<br />導入: ENRは2017年に100両を発注し、最初の10両は2019年11月に納入されました。

    で、この列車でアレキサンドリアへ、、、

    ※この列車は、エジプト国鉄が所有するES30ACi形ディーゼル機関車です。この機関車は、アメリカのWabtec(旧GEトランスポーテーション)によって製造されました。

    所有者: エジプト国鉄 (Egyptian National Railways: ENR)
    メーカー: Wabtec(米国)
    モデル名: ES30ACi(Light Evolutionシリーズ)
    用途: 旅客列車と貨物列車の両方に対応しています。
    特徴:
    砂嵐などの厳しい環境に耐えるように設計されています。
    運転台の空調システムが強化されています。
    画像に見られるように、通常、旅客列車向けは青色、貨物列車向けは赤色と黒色に塗り分けられていますが、この機体は赤とグレーの配色です。
    導入: ENRは2017年に100両を発注し、最初の10両は2019年11月に納入されました。

  • で、3時間45分程乗車し、16時アレキサンドリア駅到着!<br />※この建物は、エジプトのアレクサンドリアにある主要な鉄道駅、**アレクサンドリア駅(またはミスル駅)**です。<br />アレクサンドリア駅は、エジプトで最も古い鉄道駅の一つです。<br />駅舎は壮麗なイタリア風の建築様式が特徴で、街のランドマークとなっています。<br />エジプトの他の主要都市、特にカイロへの主要な交通拠点です。<br />駅周辺は常に人通りが多く、活気があります。

    で、3時間45分程乗車し、16時アレキサンドリア駅到着!
    ※この建物は、エジプトのアレクサンドリアにある主要な鉄道駅、**アレクサンドリア駅(またはミスル駅)**です。
    アレクサンドリア駅は、エジプトで最も古い鉄道駅の一つです。
    駅舎は壮麗なイタリア風の建築様式が特徴で、街のランドマークとなっています。
    エジプトの他の主要都市、特にカイロへの主要な交通拠点です。
    駅周辺は常に人通りが多く、活気があります。

  • ※この画像は、エジプトのアレキサンドリアにあるマスル駅(Alexandria Misr Station)です。<br />エジプト第2の都市アレキサンドリアの主要な鉄道駅です。<br />アレキサンダー大王によって紀元前331年に建設された、長い歴史を持つ都市の中心的な交通拠点です。<br />「地中海の真珠」や「地中海の花嫁」とも呼ばれる国際的な港町に位置しています。<br />ヨーロッパ文化の影響を色濃く受けた、独特で開放的な雰囲気が特徴です。

    ※この画像は、エジプトのアレキサンドリアにあるマスル駅(Alexandria Misr Station)です。
    エジプト第2の都市アレキサンドリアの主要な鉄道駅です。
    アレキサンダー大王によって紀元前331年に建設された、長い歴史を持つ都市の中心的な交通拠点です。
    「地中海の真珠」や「地中海の花嫁」とも呼ばれる国際的な港町に位置しています。
    ヨーロッパ文化の影響を色濃く受けた、独特で開放的な雰囲気が特徴です。

  • すぐさま近くにあるRoman Theatreに、、、。入場料200ボンドなり。<br /><br />※この画像は、エジプトのアレクサンドリアにあるローマ円形劇場跡地です。この遺跡は1960年に偶然発見されました。<br />この劇場は4世紀に建設されたと考えられています。<br />白い大理石で作られた直径約33メートルの半円形の観客席があり、約800人を収容できました。<br />観客席は12段あり、中心部では声がよく響く設計になっています。<br />劇場跡の北側には共同浴場の跡も発見されており、現在も発掘調査が続けられています。

    すぐさま近くにあるRoman Theatreに、、、。入場料200ボンドなり。

    ※この画像は、エジプトのアレクサンドリアにあるローマ円形劇場跡地です。この遺跡は1960年に偶然発見されました。
    この劇場は4世紀に建設されたと考えられています。
    白い大理石で作られた直径約33メートルの半円形の観客席があり、約800人を収容できました。
    観客席は12段あり、中心部では声がよく響く設計になっています。
    劇場跡の北側には共同浴場の跡も発見されており、現在も発掘調査が続けられています。

  • ローマ円形劇場跡地、、、ヨーロッパには数多く残っていますが、、、ローマの繁栄を象徴する建造物ですね。支配した地に必ずと言っていいほどある、、、この後、チュニジアでもリビアでももういいと言う程、見ることとなる。<br /><br />※この遺跡はコム・エル・デカ地区に位置し、1960年代に偶然発見されました。<br />かつては800人以上を収容できた大理石造りの劇場で、ローマ帝国時代の数少ない遺跡の一つです。<br />劇場の周囲には、ローマ浴場や当時の住居跡などの遺構も残されています。<br />アレクサンドリアのマスル駅から徒歩圏内にあり、街のシンボル的な観光スポットとなっています。

    ローマ円形劇場跡地、、、ヨーロッパには数多く残っていますが、、、ローマの繁栄を象徴する建造物ですね。支配した地に必ずと言っていいほどある、、、この後、チュニジアでもリビアでももういいと言う程、見ることとなる。

    ※この遺跡はコム・エル・デカ地区に位置し、1960年代に偶然発見されました。
    かつては800人以上を収容できた大理石造りの劇場で、ローマ帝国時代の数少ない遺跡の一つです。
    劇場の周囲には、ローマ浴場や当時の住居跡などの遺構も残されています。
    アレクサンドリアのマスル駅から徒歩圏内にあり、街のシンボル的な観光スポットとなっています。

  • ※エジプトに現存する唯一のローマ劇場です。<br />2世紀頃に建てられたと考えられており、1960年に政府の建物を建設するための土地を整地していた際に偶然発見されました。<br />直径は約33メートルで、800人収容できる大理石造りの観客席がありました。<br />遺跡の北側ではローマ浴場の跡も発見されており、現在も発掘調査が続けられています。<br /><br />→ということは、ずっと埋もれていた? 不思議ですよね。

    ※エジプトに現存する唯一のローマ劇場です。
    2世紀頃に建てられたと考えられており、1960年に政府の建物を建設するための土地を整地していた際に偶然発見されました。
    直径は約33メートルで、800人収容できる大理石造りの観客席がありました。
    遺跡の北側ではローマ浴場の跡も発見されており、現在も発掘調査が続けられています。

    →ということは、ずっと埋もれていた? 不思議ですよね。

  • ※このエリアは、ワルシャワ大学地中海考古学センターと最高考古学評議会の共同努力により発掘・保存されました。<br />発掘・保存期間は1965年から2004年です。<br />

    ※このエリアは、ワルシャワ大学地中海考古学センターと最高考古学評議会の共同努力により発掘・保存されました。
    発掘・保存期間は1965年から2004年です。

  • ※この遺跡はコム・エル・ディッカに位置し、4世紀に建てられた13層の大理石のオデオン(音楽堂)と考えられています。

    ※この遺跡はコム・エル・ディッカに位置し、4世紀に建てられた13層の大理石のオデオン(音楽堂)と考えられています。

  • ※この画像は、古代ローマ時代のモザイク床の一部です。<br />この時代のモザイクは、小さな石片(テッセラ)を用いて作られ、邸宅や宮殿の床、壁の装飾として広く用いられていました。<br />地中海沿岸地域など、ヨーロッパや北アフリカで大量に発掘されています。<br />このモザイクは、魚の鱗のような模様が特徴的です。<br />この種の遺跡は、イタリアのオスティア・アンティーカなどの古代都市遺跡で見ることができます。<br />1960年にエジプトのアレクサンドリアでビルの建設中に偶然発見されたローマ円形劇場跡など、予期せぬ場所からも発掘されることがあります。

    ※この画像は、古代ローマ時代のモザイク床の一部です。
    この時代のモザイクは、小さな石片(テッセラ)を用いて作られ、邸宅や宮殿の床、壁の装飾として広く用いられていました。
    地中海沿岸地域など、ヨーロッパや北アフリカで大量に発掘されています。
    このモザイクは、魚の鱗のような模様が特徴的です。
    この種の遺跡は、イタリアのオスティア・アンティーカなどの古代都市遺跡で見ることができます。
    1960年にエジプトのアレクサンドリアでビルの建設中に偶然発見されたローマ円形劇場跡など、予期せぬ場所からも発掘されることがあります。

  • ※石造りの柱や観客席の一部が確認でき、当時の建築技術を垣間見ることができます。<br />

    ※石造りの柱や観客席の一部が確認でき、当時の建築技術を垣間見ることができます。

  • ※翻訳<br />THE AUDITORIA(講堂)<br />紀元後5世紀から7世紀にかけての22の講義室からなるユニークなグループで、記念碑的なアーケードを伴って南北に並んでいます。講堂はサイズやレイアウトは異なりますが、向きや形式は共有しています。ほとんどが長方形ですが、いくつかのケースでは、半円形または円形の講堂に似た形をしています。石造りのベンチは、最も重要な内部家具です。それらはすべての講堂にあり、壁に沿って2段または3段に並んでいます。通常、25人から30人の学生を収容できます。<br />特徴的なのは、教師のために一段高くなった場所が設けられていることで、ほとんどすべての講堂で見られます。最良の例は、大聖堂の身廊のようなもので、講堂Kで見られます。メインの座席の反対側には、学生が常に読んでいたであろう、おそらく一段高くなった石の演台があります。これらの講堂がすべて教育目的で使用されていたことは間違いありません。<br />コンパスは地中海のどこでも比類のないものです。その規模とアレクサンドリアの都市景観における位置を考慮すると、これらの講堂が古代後期における学習と教育の中心地として機能したと自信を持って想定できます。<br />

    ※翻訳
    THE AUDITORIA(講堂)
    紀元後5世紀から7世紀にかけての22の講義室からなるユニークなグループで、記念碑的なアーケードを伴って南北に並んでいます。講堂はサイズやレイアウトは異なりますが、向きや形式は共有しています。ほとんどが長方形ですが、いくつかのケースでは、半円形または円形の講堂に似た形をしています。石造りのベンチは、最も重要な内部家具です。それらはすべての講堂にあり、壁に沿って2段または3段に並んでいます。通常、25人から30人の学生を収容できます。
    特徴的なのは、教師のために一段高くなった場所が設けられていることで、ほとんどすべての講堂で見られます。最良の例は、大聖堂の身廊のようなもので、講堂Kで見られます。メインの座席の反対側には、学生が常に読んでいたであろう、おそらく一段高くなった石の演台があります。これらの講堂がすべて教育目的で使用されていたことは間違いありません。
    コンパスは地中海のどこでも比類のないものです。その規模とアレクサンドリアの都市景観における位置を考慮すると、これらの講堂が古代後期における学習と教育の中心地として機能したと自信を持って想定できます。

  • ※アレクサンドリアのコム・アル=ディッカ遺跡には、古代ローマ時代の共同浴場跡や住居跡などが残されています。この遺跡はもともと裕福な住宅街でしたが、後にローマ時代の公共施設が建設され、アレクサンドリアの主要な中心地となりました。 <br />遺跡の主な特徴<br />共同浴場跡: 遺跡内には大規模な共同浴場の跡があり、床下暖房システム(ハイポコースト)などの高度な工学技術が確認できます。<br />鳥のヴィラ: 裕福な住居跡の一つである「鳥のヴィラ」では、色鮮やかな鳥が描かれた保存状態の良い床モザイク画を見学できます。<br />ローマ円形劇場: エジプトで唯一発見されたローマ円形劇場もこの敷地内にあり、13段の白い大理石の観客席が特徴です。

    ※アレクサンドリアのコム・アル=ディッカ遺跡には、古代ローマ時代の共同浴場跡や住居跡などが残されています。この遺跡はもともと裕福な住宅街でしたが、後にローマ時代の公共施設が建設され、アレクサンドリアの主要な中心地となりました。
    遺跡の主な特徴
    共同浴場跡: 遺跡内には大規模な共同浴場の跡があり、床下暖房システム(ハイポコースト)などの高度な工学技術が確認できます。
    鳥のヴィラ: 裕福な住居跡の一つである「鳥のヴィラ」では、色鮮やかな鳥が描かれた保存状態の良い床モザイク画を見学できます。
    ローマ円形劇場: エジプトで唯一発見されたローマ円形劇場もこの敷地内にあり、13段の白い大理石の観客席が特徴です。

  • ※この遺跡は、元々は小規模な音楽堂(オデオン)または公衆浴場(テルマエ)として建設され、後にビザンチン時代の住居や浴場に改築されました。

    ※この遺跡は、元々は小規模な音楽堂(オデオン)または公衆浴場(テルマエ)として建設され、後にビザンチン時代の住居や浴場に改築されました。

  • ※翻訳<br />浴場<br />この大規模な後期ローマ時代の浴場は、4世紀後半から5世紀初頭に建設された建築物です。中央部分は赤いレンガ造りの丸天井とアーチで構成されており、浴場施設が並ぶ一連の部屋に囲まれていました。これらは、浴槽、中央の大きな会議室、東側の浴場(現在は破壊されています)にあるフリギダリウム(冷浴室)、テピダリウム(微温浴室)、カルダリウム(熱浴室)など、さまざまな目的に使用されていました。浴場は、アーチの影になったドーム型の屋根で覆われていました。壁の大部分は漆喰で塗られ、塗装されていましたが、その痕跡は建物の残骸の中にかろうじて残っているだけです。<br />浴場の暖房システム(ハイポコースト)は、地下の空洞から供給されていました。この地下の複雑な構造は、浴場全体の暖房を可能にするために、一連の廊下と部屋で構成されていました。暖房用の炉は、建物の南側に配置されていました。<br />2つの古石柱は、後に物理的な運動のために拡張されたことを示唆しており、主要な建物は再利用されました。

    ※翻訳
    浴場
    この大規模な後期ローマ時代の浴場は、4世紀後半から5世紀初頭に建設された建築物です。中央部分は赤いレンガ造りの丸天井とアーチで構成されており、浴場施設が並ぶ一連の部屋に囲まれていました。これらは、浴槽、中央の大きな会議室、東側の浴場(現在は破壊されています)にあるフリギダリウム(冷浴室)、テピダリウム(微温浴室)、カルダリウム(熱浴室)など、さまざまな目的に使用されていました。浴場は、アーチの影になったドーム型の屋根で覆われていました。壁の大部分は漆喰で塗られ、塗装されていましたが、その痕跡は建物の残骸の中にかろうじて残っているだけです。
    浴場の暖房システム(ハイポコースト)は、地下の空洞から供給されていました。この地下の複雑な構造は、浴場全体の暖房を可能にするために、一連の廊下と部屋で構成されていました。暖房用の炉は、建物の南側に配置されていました。
    2つの古石柱は、後に物理的な運動のために拡張されたことを示唆しており、主要な建物は再利用されました。

  • ※エジプト第2の都市アレクサンドリアは、紀元前331年にアレクサンドロス大王によって建設され、プトレマイオス朝の首都として栄えた歴史的な港湾都市です。

    ※エジプト第2の都市アレクサンドリアは、紀元前331年にアレクサンドロス大王によって建設され、プトレマイオス朝の首都として栄えた歴史的な港湾都市です。

  • ※4世紀に建設されたこの浴場は、数百人を収容できる広大な施設で、高度な暖房システムと給水システムを備えていました。

    ※4世紀に建設されたこの浴場は、数百人を収容できる広大な施設で、高度な暖房システムと給水システムを備えていました。

  • ※この画像に写っているレンガ造りの遺跡は、古代ローマの建築物の一部である可能性が高いです。特に、いくつかの検索結果は、イタリアのオスティア・アンティカ(Ostia Antica)にあるローマ時代の建物跡や、その他の地下遺跡や浴場跡に見られるアーチ構造と非常によく似ています。 <br />これらの遺跡は、主に以下の特徴を持っています。<br />ローマ建築のアーチ: 半円形のアーチは、ローマ建築の象徴的な要素の一つで、重量を分散させ、より強固で広い空間を持つ建物を可能にしました。<br />レンガの使用: 古代ローマ人は、大規模な建設プロジェクトでレンガやコンクリートを広く使用した最初の民族の一つです。<br />遺構: 画像の構造は、建物の地下部分、貯水槽、または浴場などの遺構であることが示唆されています。

    ※この画像に写っているレンガ造りの遺跡は、古代ローマの建築物の一部である可能性が高いです。特に、いくつかの検索結果は、イタリアのオスティア・アンティカ(Ostia Antica)にあるローマ時代の建物跡や、その他の地下遺跡や浴場跡に見られるアーチ構造と非常によく似ています。
    これらの遺跡は、主に以下の特徴を持っています。
    ローマ建築のアーチ: 半円形のアーチは、ローマ建築の象徴的な要素の一つで、重量を分散させ、より強固で広い空間を持つ建物を可能にしました。
    レンガの使用: 古代ローマ人は、大規模な建設プロジェクトでレンガやコンクリートを広く使用した最初の民族の一つです。
    遺構: 画像の構造は、建物の地下部分、貯水槽、または浴場などの遺構であることが示唆されています。

  • ※古いレンガ造りの遺跡は、古代ローマやビザンチン時代などの歴史的な浴場跡や地下通路の一部と考えられます。世界各地の古代遺跡で見られる一般的な建築様式です。 <br />遺跡について<br />建築様式: 画像に見られるようなレンガを積み上げたアーチ構造は、古代メソポタミアのシュメール人によって発明され、ローマ帝国時代に広く普及しました。<br />用途: このような構造は、浴場(テルマエ)の地下暖房システム(ハイポコースト)の空間、水道橋の貯水槽、または地下通路 など、多様な古代インフラの一部として使用されていました。<br />材質: レンガは紀元前4000年頃から存在しており、乾燥地帯では日干しレンガも使われていましたが、耐久性の高い焼成レンガも多くの歴史的建造物に使用されています。

    ※古いレンガ造りの遺跡は、古代ローマやビザンチン時代などの歴史的な浴場跡や地下通路の一部と考えられます。世界各地の古代遺跡で見られる一般的な建築様式です。
    遺跡について
    建築様式: 画像に見られるようなレンガを積み上げたアーチ構造は、古代メソポタミアのシュメール人によって発明され、ローマ帝国時代に広く普及しました。
    用途: このような構造は、浴場(テルマエ)の地下暖房システム(ハイポコースト)の空間、水道橋の貯水槽、または地下通路 など、多様な古代インフラの一部として使用されていました。
    材質: レンガは紀元前4000年頃から存在しており、乾燥地帯では日干しレンガも使われていましたが、耐久性の高い焼成レンガも多くの歴史的建造物に使用されています。

  • 町の真ん中にこんな遺跡が、、、。アレキサンドリア、長ーい歴史ある町なんですね。

    町の真ん中にこんな遺跡が、、、。アレキサンドリア、長ーい歴史ある町なんですね。

  • ※翻訳<br />居住区<br />RM通りの東側に位置するこの区画は、共和政ローマ時代後期から後期ローマ時代(紀元前1世紀~紀元後4世紀)にかけて建設された総合施設です。建物の建築様式は、いくつかの建築段階と複数の所有者を経て変化しました。<br />初期ローマ時代の住宅(紀元前1世紀~紀元後2世紀)は、私的な性質を持っていました。これらはローマ時代の公共建築が普及するまで存続しました。最良の例は、豪華なフレスコ画やスタッコ装飾で飾られた「ヴィラ・オブ・ザ・バーズ」と呼ばれる住宅です。<br />後期ローマ時代になると、この区画は住宅、産業、商業の複合施設となり、複数の壁で分割されていました。住宅Dは、最も典型的なデザインを示しており、中央の中庭とそれに面したいくつかの部屋で構成されています。通りには小さな専門的な作業場や店舗が並び、ガラス製品が生産されていました。

    ※翻訳
    居住区
    RM通りの東側に位置するこの区画は、共和政ローマ時代後期から後期ローマ時代(紀元前1世紀~紀元後4世紀)にかけて建設された総合施設です。建物の建築様式は、いくつかの建築段階と複数の所有者を経て変化しました。
    初期ローマ時代の住宅(紀元前1世紀~紀元後2世紀)は、私的な性質を持っていました。これらはローマ時代の公共建築が普及するまで存続しました。最良の例は、豪華なフレスコ画やスタッコ装飾で飾られた「ヴィラ・オブ・ザ・バーズ」と呼ばれる住宅です。
    後期ローマ時代になると、この区画は住宅、産業、商業の複合施設となり、複数の壁で分割されていました。住宅Dは、最も典型的なデザインを示しており、中央の中庭とそれに面したいくつかの部屋で構成されています。通りには小さな専門的な作業場や店舗が並び、ガラス製品が生産されていました。

  • ※この画像は、エジプトのアレキサンドリアにあるローマ円形劇場の住居跡のモザイクです。<br />この遺跡は、紀元前4世紀後半から紀元後7世紀までの様々な時代の層で構成されています。<br />モザイクの床は、ローマ時代の裕福な住居の一部であったと考えられています。<br />鳥や花のデザインが特徴的で、当時の生活様式や芸術を垣間見ることができます。<br />この場所は現在、一般に公開されており、アレキサンドリアの主要な観光スポットの一つとなっています。

    ※この画像は、エジプトのアレキサンドリアにあるローマ円形劇場の住居跡のモザイクです。
    この遺跡は、紀元前4世紀後半から紀元後7世紀までの様々な時代の層で構成されています。
    モザイクの床は、ローマ時代の裕福な住居の一部であったと考えられています。
    鳥や花のデザインが特徴的で、当時の生活様式や芸術を垣間見ることができます。
    この場所は現在、一般に公開されており、アレキサンドリアの主要な観光スポットの一つとなっています。

  • ※このモザイクには「ΚΑΛΩΣΗΚΕΙΣΟ」というギリシャ語の銘文が含まれており、これは「ようこそ」を意味します。<br />コム・エル・デッカは、もともと「瓦礫の丘」または「ベンチの丘」を意味するアラビア語の地名です。

    ※このモザイクには「ΚΑΛΩΣΗΚΕΙΣΟ」というギリシャ語の銘文が含まれており、これは「ようこそ」を意味します。
    コム・エル・デッカは、もともと「瓦礫の丘」または「ベンチの丘」を意味するアラビア語の地名です。

  • ※特徴: モザイクは小さな立方体の石片(テッセラ)で構成されており、幾何学的なパターンや、鳥などの動物のモチーフが描かれていることが特徴です。<br />意図: このような幾何学模様のモザイクは装飾目的だけでなく、魔除けの力があると信じられていたり、富と地位の象徴でもありました。 <br />このモザイクが発見された「鳥のヴィラ(House of Birds / Villa of the Birds)」は、その名の通り鳥の描写が豊富なことで知られています。

    ※特徴: モザイクは小さな立方体の石片(テッセラ)で構成されており、幾何学的なパターンや、鳥などの動物のモチーフが描かれていることが特徴です。
    意図: このような幾何学模様のモザイクは装飾目的だけでなく、魔除けの力があると信じられていたり、富と地位の象徴でもありました。
    このモザイクが発見された「鳥のヴィラ(House of Birds / Villa of the Birds)」は、その名の通り鳥の描写が豊富なことで知られています。

  • ※この場所は、紀元前4世紀から紀元後7世紀までの都市の変遷を示す、アレクサンドリアで最も完全な地上考古学遺跡です。

    ※この場所は、紀元前4世紀から紀元後7世紀までの都市の変遷を示す、アレクサンドリアで最も完全な地上考古学遺跡です。

  • ※画像に写っている遺跡は、エジプトのアレクサンドリアにあるコム・エル・ディッカ(Kom el Dikka)遺跡です。この広大な考古学遺跡は、ローマ時代からビザンチン時代にかけての都市生活の証拠を数多く残しており、現代的な街並みの中に古代の歴史が息づいています。

    ※画像に写っている遺跡は、エジプトのアレクサンドリアにあるコム・エル・ディッカ(Kom el Dikka)遺跡です。この広大な考古学遺跡は、ローマ時代からビザンチン時代にかけての都市生活の証拠を数多く残しており、現代的な街並みの中に古代の歴史が息づいています。

  • ※翻訳<br />貯水槽<br />貯水槽は、ムハンマド・アリー・モスク(1830年~1848年)が建設された際に、礼拝者が清めの儀式(ウドゥー)のために貯めておく水を確保するために建設されました。<br />貯水槽は2つあり、それぞれが高さ約17mの大きな石造りの部屋で構成されています。これらは、モスクの主要な複合施設が建つ前に、より古い時代の遺跡の上に建てられました。貯水槽は、ナイル川から運ばれた水を、多数のロバの列によって上部にあるモスクの中庭まで汲み上げることで満たされました。水はそこから、貯水槽に導かれました。<br />貯水槽の残りの部分は、19世紀半ばの地震により倒壊した後に埋められました。現在見ることができるのは、貯水槽の基礎と壁の一部のみです。複合施設のこの部分は、元の設計からわずかに変更されています。

    ※翻訳
    貯水槽
    貯水槽は、ムハンマド・アリー・モスク(1830年~1848年)が建設された際に、礼拝者が清めの儀式(ウドゥー)のために貯めておく水を確保するために建設されました。
    貯水槽は2つあり、それぞれが高さ約17mの大きな石造りの部屋で構成されています。これらは、モスクの主要な複合施設が建つ前に、より古い時代の遺跡の上に建てられました。貯水槽は、ナイル川から運ばれた水を、多数のロバの列によって上部にあるモスクの中庭まで汲み上げることで満たされました。水はそこから、貯水槽に導かれました。
    貯水槽の残りの部分は、19世紀半ばの地震により倒壊した後に埋められました。現在見ることができるのは、貯水槽の基礎と壁の一部のみです。複合施設のこの部分は、元の設計からわずかに変更されています。

  • ※翻訳<br />柱<br />この遺跡は、古代ローマの都市計画に特有の長方形の寺院として設計されました。この設計は、この地域の他のローマ時代の寺院と同様に、ローマの建築家によって採用されました。<br />この寺院は、幅広の身廊と複数の通路を持つ大きな中央空間で構成され、柱頭はコリント様式で、壁は石灰岩で造られています。これらの壁は、寺院が建設された際に、この地域で採石された大きな石灰岩のブロックで構成されています。<br />寺院は西暦2世紀後半から3世紀初頭にかけて建設されました。この遺跡は、西暦7世紀のウマイヤ朝時代に、ウマイヤ朝の建築家によってモスクに転用されたことを示しています。

    ※翻訳

    この遺跡は、古代ローマの都市計画に特有の長方形の寺院として設計されました。この設計は、この地域の他のローマ時代の寺院と同様に、ローマの建築家によって採用されました。
    この寺院は、幅広の身廊と複数の通路を持つ大きな中央空間で構成され、柱頭はコリント様式で、壁は石灰岩で造られています。これらの壁は、寺院が建設された際に、この地域で採石された大きな石灰岩のブロックで構成されています。
    寺院は西暦2世紀後半から3世紀初頭にかけて建設されました。この遺跡は、西暦7世紀のウマイヤ朝時代に、ウマイヤ朝の建築家によってモスクに転用されたことを示しています。

  • 日が暮れてきました。天気もいいし、なかなかいい風景です。

    日が暮れてきました。天気もいいし、なかなかいい風景です。

  • これにてコム・エル・ディッカ遺跡、観光終了!

    これにてコム・エル・ディッカ遺跡、観光終了!

  • アレキサンドリアは猫さんの町ですね。<br /><br />※一般的な光景: エジプト、特にカイロのような賑やかな都市では、多くの野良猫を見かけるのは一般的な光景です。これらの猫は、古代エジプトで崇拝されていた猫の子孫であると信じている人もいます。<br /><br />へー!

    アレキサンドリアは猫さんの町ですね。

    ※一般的な光景: エジプト、特にカイロのような賑やかな都市では、多くの野良猫を見かけるのは一般的な光景です。これらの猫は、古代エジプトで崇拝されていた猫の子孫であると信じている人もいます。

    へー!

  • ※この像は、エジプトのアレクサンドリアにあるヘディーヴ・イスマーイールの像である可能性があります。<br />この像は、エジプト近代化の重要な推進者であるヘディーヴ・イスマーイールを記念して建てられました。<br />エジプトで最も古い公共彫刻の一つと考えられています。<br />アレクサンドリアのアッタリーン地区に設置されています。<br /><br />&#11088;ヘディーヴ・イスマーイール、(イスマーイール・パシャ)は、エジプト、ムハンマド・アリー朝の第5代君主(在位:1863年 - 1867年)。オスマン帝国のエジプト総督(ワーリー、在任:1863年 - 1867年)であり、1867年から副王(ヘディーヴ、在位:1867年 - 1879年)であった。イブラーヒーム・パシャの次男で、ムハンマド・アリーの孫にあたる。<br /><br />ウィキで調べると、、、<br />「1869年、スエズ運河が開通。運河の権利を主張しスエズ運河会社の株式を取得する。首都カイロにパリに倣った新市街を建設、カイロ・アレクサンドリア間の鉄道敷設などエジプトの近代化を推し進めた。、、」<br />アレキサンドリアを近代化した王だったようです。そういえば鉄道博物館でもこの方いましたね。

    ※この像は、エジプトのアレクサンドリアにあるヘディーヴ・イスマーイールの像である可能性があります。
    この像は、エジプト近代化の重要な推進者であるヘディーヴ・イスマーイールを記念して建てられました。
    エジプトで最も古い公共彫刻の一つと考えられています。
    アレクサンドリアのアッタリーン地区に設置されています。

    ⭐ヘディーヴ・イスマーイール、(イスマーイール・パシャ)は、エジプト、ムハンマド・アリー朝の第5代君主(在位:1863年 - 1867年)。オスマン帝国のエジプト総督(ワーリー、在任:1863年 - 1867年)であり、1867年から副王(ヘディーヴ、在位:1867年 - 1879年)であった。イブラーヒーム・パシャの次男で、ムハンマド・アリーの孫にあたる。

    ウィキで調べると、、、
    「1869年、スエズ運河が開通。運河の権利を主張しスエズ運河会社の株式を取得する。首都カイロにパリに倣った新市街を建設、カイロ・アレクサンドリア間の鉄道敷設などエジプトの近代化を推し進めた。、、」
    アレキサンドリアを近代化した王だったようです。そういえば鉄道博物館でもこの方いましたね。

  • ※この画像はエジプトのアレクサンドリアの街並みを捉えたもので、特にスーク・アル・テラル(Souk al-Telal、トークのスーク)と呼ばれる地域の一部である可能性が高いです。この通りは、活気ある商業と都市生活の中心地です。

    ※この画像はエジプトのアレクサンドリアの街並みを捉えたもので、特にスーク・アル・テラル(Souk al-Telal、トークのスーク)と呼ばれる地域の一部である可能性が高いです。この通りは、活気ある商業と都市生活の中心地です。

  • ※アレクサンドリアはエジプト第2の都市で、地中海に面した最大の港町です。<br />「地中海の真珠」や「地中海の花嫁」とも呼ばれ、開放的な雰囲気が漂う歴史ある都市です。<br />紀元前331年にアレクサンドロス大王によって建設され、かつては首都として栄えました。<br />古代世界の七不思議の一つ、アレクサンドリアの大灯台があった場所としても知られています。

    ※アレクサンドリアはエジプト第2の都市で、地中海に面した最大の港町です。
    「地中海の真珠」や「地中海の花嫁」とも呼ばれ、開放的な雰囲気が漂う歴史ある都市です。
    紀元前331年にアレクサンドロス大王によって建設され、かつては首都として栄えました。
    古代世界の七不思議の一つ、アレクサンドリアの大灯台があった場所としても知られています。

  • アレクサンドリアの大灯台??<br />ウィキによれば、、、<br />「アレクサンドリアの大灯台(Lighthouse of Alexandria)は、紀元前3世紀頃にエジプトのアレクサンドリア湾岸のファロス島に建造された灯台。ファロス島の大灯台、あるいはアレクサンドリアのファロスとも呼ばれる。」<br />「、、、プトレマイオス朝はアレクサンドリアを首都としたが、この都市の周辺は平坦な土地が広がっており、沿岸航行や入港の際に陸標となるものが何もなかった。そのためプトレマイオス1世は陸標となる灯台の建造を決定した。建造の指揮はクニドスのソストラトスに任せられた。建造地にはアレクサンドリア湾岸のファロス島が選ばれた。島とアレクサンドリア港との間は人工的な通路で結ばれた。紀元前305年から工事を開始し、完成したのはプトレマイオス2世の代だった。」<br />「796年の地震で大灯台は半壊し、その後の1303年と1323年の地震で完全に崩壊した。14世紀の旅行家イブン・バットゥータは、崩壊のために中に入ることもできないと記している。1480年頃、跡地に灯台の残骸を利用してカーイト・ベイの要塞が建造された。」<br /><br />全高約134メートルの巨大な灯台がここにあったようです。

    アレクサンドリアの大灯台??
    ウィキによれば、、、
    「アレクサンドリアの大灯台(Lighthouse of Alexandria)は、紀元前3世紀頃にエジプトのアレクサンドリア湾岸のファロス島に建造された灯台。ファロス島の大灯台、あるいはアレクサンドリアのファロスとも呼ばれる。」
    「、、、プトレマイオス朝はアレクサンドリアを首都としたが、この都市の周辺は平坦な土地が広がっており、沿岸航行や入港の際に陸標となるものが何もなかった。そのためプトレマイオス1世は陸標となる灯台の建造を決定した。建造の指揮はクニドスのソストラトスに任せられた。建造地にはアレクサンドリア湾岸のファロス島が選ばれた。島とアレクサンドリア港との間は人工的な通路で結ばれた。紀元前305年から工事を開始し、完成したのはプトレマイオス2世の代だった。」
    「796年の地震で大灯台は半壊し、その後の1303年と1323年の地震で完全に崩壊した。14世紀の旅行家イブン・バットゥータは、崩壊のために中に入ることもできないと記している。1480年頃、跡地に灯台の残骸を利用してカーイト・ベイの要塞が建造された。」

    全高約134メートルの巨大な灯台がここにあったようです。

  • 今夜の夕飯は、せっかく海沿いの町に来たので、シーフードレストランにて、、、。<br />※写真はカチュンバル(Kachumbari)と呼ばれる料理です。トマト、きゅうり、赤玉ねぎ、パクチーなどを角切りにして作られます。レモン汁、オリーブオイル、塩、クミン、唐辛子などで味付けされています。<br />

    今夜の夕飯は、せっかく海沿いの町に来たので、シーフードレストランにて、、、。
    ※写真はカチュンバル(Kachumbari)と呼ばれる料理です。トマト、きゅうり、赤玉ねぎ、パクチーなどを角切りにして作られます。レモン汁、オリーブオイル、塩、クミン、唐辛子などで味付けされています。

  • 注文の仕方がよくわからず困ってたら、いろんな魚を置いてる所に連れてかれ、どれにするか選べ!とのこと。

    注文の仕方がよくわからず困ってたら、いろんな魚を置いてる所に連れてかれ、どれにするか選べ!とのこと。

  • で、結構大きなこの魚を選び、調理方法を聞かれる。よく知らんので無難に素揚げにしてもらった。<br />醤油があればもっと美味しいだろうに、ちょっと残念!<br />→やはり魚料理は日本が世界一進化してますね。お寿司・刺身は勿論、焼き魚、煮魚、フライ、燻製、一夜干し、魚卵も、、、どう料理したら美味しく頂けるかとことん突き詰める。改めて思った次第です、、、。

    で、結構大きなこの魚を選び、調理方法を聞かれる。よく知らんので無難に素揚げにしてもらった。
    醤油があればもっと美味しいだろうに、ちょっと残念!
    →やはり魚料理は日本が世界一進化してますね。お寿司・刺身は勿論、焼き魚、煮魚、フライ、燻製、一夜干し、魚卵も、、、どう料理したら美味しく頂けるかとことん突き詰める。改めて思った次第です、、、。

  • 12/30 ホステルの朝飯、、、<br />※平たいパン (ピタブレッド/ホブズ): 様々なディップや具材をすくうために使用される主食です。<br />卵料理: 目玉焼きのように見えますが、地域によってはトマトやタマネギと一緒に炒めたり、煮込み料理に加えることもあります。<br />白い塊: ラブネ(水切りヨーグルトチーズ)である可能性が高いです。クリーミーで酸味があり、オリーブオイルとザータル(スパイスブレンド)をかけて提供されることがよくあります。<br />茶色いペースト/煮込み: ひよこ豆やソラマメを煮込んでつぶしたフール・メダメス(または単にフール)である可能性が高いです。クミン、レモン汁、オリーブオイル、ニンニクなどで味付けされます。<br />添え物: スライスされたキュウリと、おそらくバターや別のディップと思われる少量の白い食品が添えられています。 <br />一般的なスタイル<br />この食事は、レバノンやエジプトなどのレバント地域で非常に人気のある典型的な朝食です。これらの料理は栄養価が高く、一日を始めるための腹持ちの良い食事として楽しまれています。 <br />→意外にフール・メダメスが温かくてうまかった。勿論完食!<br /><br />そうそう、アレキサンドリアで泊まったホステルは、Ithaka Raml Hostel。1泊ドミトリー1200円程。朝食付き。タバコもベランダから気兼ね無しに吸えるし、いいホステルでした。

    12/30 ホステルの朝飯、、、
    ※平たいパン (ピタブレッド/ホブズ): 様々なディップや具材をすくうために使用される主食です。
    卵料理: 目玉焼きのように見えますが、地域によってはトマトやタマネギと一緒に炒めたり、煮込み料理に加えることもあります。
    白い塊: ラブネ(水切りヨーグルトチーズ)である可能性が高いです。クリーミーで酸味があり、オリーブオイルとザータル(スパイスブレンド)をかけて提供されることがよくあります。
    茶色いペースト/煮込み: ひよこ豆やソラマメを煮込んでつぶしたフール・メダメス(または単にフール)である可能性が高いです。クミン、レモン汁、オリーブオイル、ニンニクなどで味付けされます。
    添え物: スライスされたキュウリと、おそらくバターや別のディップと思われる少量の白い食品が添えられています。
    一般的なスタイル
    この食事は、レバノンやエジプトなどのレバント地域で非常に人気のある典型的な朝食です。これらの料理は栄養価が高く、一日を始めるための腹持ちの良い食事として楽しまれています。
    →意外にフール・メダメスが温かくてうまかった。勿論完食!

    そうそう、アレキサンドリアで泊まったホステルは、Ithaka Raml Hostel。1泊ドミトリー1200円程。朝食付き。タバコもベランダから気兼ね無しに吸えるし、いいホステルでした。

  • ホステルから望むアレキサンドリアの町並み。

    ホステルから望むアレキサンドリアの町並み。

  • ※この画像は、エジプトのアレクサンドリアにある「海軍無名戦士の記念碑」の瞬間を捉えたものです。<br />この記念碑は、アレクサンドリアのサアド・ザグルール広場に位置しています。<br />エジプト第2の都市であり最大の港湾都市であるアレクサンドリアは、かつて世界の学術の中心地として栄えました。<br />紀元前331年にアレクサンドロス大王によって築かれ、約1000年にわたってエジプトの首都でした。

    ※この画像は、エジプトのアレクサンドリアにある「海軍無名戦士の記念碑」の瞬間を捉えたものです。
    この記念碑は、アレクサンドリアのサアド・ザグルール広場に位置しています。
    エジプト第2の都市であり最大の港湾都市であるアレクサンドリアは、かつて世界の学術の中心地として栄えました。
    紀元前331年にアレクサンドロス大王によって築かれ、約1000年にわたってエジプトの首都でした。

  • さて、アレキサンドリア観光、、、まず向かうはCitadel of Qaitbayまで、てくてくてくてく、、、<br /><br />※この画像は、エジプト第2の都市であるアレクサンドリアの海岸通り(コルニッシュ)の風景を捉えたものです。<br />アレクサンドリアは地中海に面しており、「地中海の花嫁」とも呼ばれる開放的な雰囲気が特徴です。<br />紀元前331年にアレクサンドロス大王によって建設され、かつてはエジプトの首都として栄えました。<br />古代世界最大の図書館や、世界の七不思議の一つであるアレクサンドリアの大灯台があったことでも知られています。<br />現在はエジプト最大の港町であり、産業と文化の中心地として活気にあふれています。

    さて、アレキサンドリア観光、、、まず向かうはCitadel of Qaitbayまで、てくてくてくてく、、、

    ※この画像は、エジプト第2の都市であるアレクサンドリアの海岸通り(コルニッシュ)の風景を捉えたものです。
    アレクサンドリアは地中海に面しており、「地中海の花嫁」とも呼ばれる開放的な雰囲気が特徴です。
    紀元前331年にアレクサンドロス大王によって建設され、かつてはエジプトの首都として栄えました。
    古代世界最大の図書館や、世界の七不思議の一つであるアレクサンドリアの大灯台があったことでも知られています。
    現在はエジプト最大の港町であり、産業と文化の中心地として活気にあふれています。

  • ヤシの木が、、、。南国のようです、、、。

    ヤシの木が、、、。南国のようです、、、。

  • ※この画像は、エジプトのアレクサンドリアにあるアブ・アル・アッバス・アル・ムルシ・モスク(Abu al-Abbas al-Mursi Mosque)の周辺の様子です。<br />歴史: 13世紀の神秘主義者アブ・アル・アッバス・アル・ムルシの墓の上に建てられました。現在の建物は1940年代にイタリア人建築家マリオ・ロッシによって設計され、ネオ・マムルーク様式を取り入れています。<br />建築: クリーム色の外壁と、高さ73メートルの印象的なミナレット(尖塔)、4つの大きなドームが特徴です。<br />重要性: アレクサンドリア最大のモスクであり、重要な歴史的・巡礼地となっています。 <br /><br />&#11088;アル・ムルシ・アブール・アッバス(1219年ムルシア没- 1287年)は、ナスル朝時代のアル・アンダルス出身の聖人で、後にエジプトのアレクサンドリアに移住した。現在一般的に呼ばれているアル・ムルシ・アブール・アッバスは、エジプトの4人の大聖人の1人で、他の3人はアフマド・アル・バダウィー、アル・デスーキー、アル・ハガグである。エジプトにおける彼の功績と尊敬の念は非常に大きく、ムルシは国内で一般的な名前となった。

    ※この画像は、エジプトのアレクサンドリアにあるアブ・アル・アッバス・アル・ムルシ・モスク(Abu al-Abbas al-Mursi Mosque)の周辺の様子です。
    歴史: 13世紀の神秘主義者アブ・アル・アッバス・アル・ムルシの墓の上に建てられました。現在の建物は1940年代にイタリア人建築家マリオ・ロッシによって設計され、ネオ・マムルーク様式を取り入れています。
    建築: クリーム色の外壁と、高さ73メートルの印象的なミナレット(尖塔)、4つの大きなドームが特徴です。
    重要性: アレクサンドリア最大のモスクであり、重要な歴史的・巡礼地となっています。

    ⭐アル・ムルシ・アブール・アッバス(1219年ムルシア没- 1287年)は、ナスル朝時代のアル・アンダルス出身の聖人で、後にエジプトのアレクサンドリアに移住した。現在一般的に呼ばれているアル・ムルシ・アブール・アッバスは、エジプトの4人の大聖人の1人で、他の3人はアフマド・アル・バダウィー、アル・デスーキー、アル・ハガグである。エジプトにおける彼の功績と尊敬の念は非常に大きく、ムルシは国内で一般的な名前となった。

  • ※アレクサンドリアの東港(Eastern Harbor)またはその近くのビーチと考えられます。この地域では、カラフルな小型漁船が海岸線や港に係留されている様子がよく見られます。 <br />この景色は、エジプト・アレクサンドリアの漁業文化や観光の一部であり、多くの船が停泊しています。背景には都市の建物が広がっており、港が街に隣接していることがわかります。 <br /><br />→この写真でわかるとは、、、。

    ※アレクサンドリアの東港(Eastern Harbor)またはその近くのビーチと考えられます。この地域では、カラフルな小型漁船が海岸線や港に係留されている様子がよく見られます。
    この景色は、エジプト・アレクサンドリアの漁業文化や観光の一部であり、多くの船が停泊しています。背景には都市の建物が広がっており、港が街に隣接していることがわかります。

    →この写真でわかるとは、、、。

  • ※アブ・アル=アッバース・アル=ムルシー・モスクのミナレットは、エジプトのアレクサンドリアで最も重要なイスラム建築物の1つです。 <br />様式: ネオ・マムルーク朝様式で設計され、イタリア人建築家マリオ・ロッシによって現在の形に再建されました。<br />特徴: クリーム色の外観、4つの大きなドーム、アラベスク模様のデザインが特徴です。<br />内部: 内部には13世紀の神秘主義者アブ・アル・アッバース・アル・ムルシーの墓廟や、美しい大理石の床、精巧な木彫りの説教壇などがあります。

    ※アブ・アル=アッバース・アル=ムルシー・モスクのミナレットは、エジプトのアレクサンドリアで最も重要なイスラム建築物の1つです。
    様式: ネオ・マムルーク朝様式で設計され、イタリア人建築家マリオ・ロッシによって現在の形に再建されました。
    特徴: クリーム色の外観、4つの大きなドーム、アラベスク模様のデザインが特徴です。
    内部: 内部には13世紀の神秘主義者アブ・アル・アッバース・アル・ムルシーの墓廟や、美しい大理石の床、精巧な木彫りの説教壇などがあります。

  • で、てくてくてくてくやっとカーイト・ベイ要塞に到着!<br /><br />※この画像は、エジプト第2の都市アレクサンドリアにあるカーイト・ベイ要塞(Qaitbay Citadel)の風景です。<br />この要塞は、かつて古代世界七不思議の一つであった「アレクサンドリアの大灯台」の跡地に建てられました。<br />15世紀にスルタン、アル=アシュラフ・カーイト・ベイによって建設され、地中海からの防御拠点として機能しました。<br />現在は海洋博物館としても利用されており、アレクサンドリアの主要な観光名所の一つです。

    で、てくてくてくてくやっとカーイト・ベイ要塞に到着!

    ※この画像は、エジプト第2の都市アレクサンドリアにあるカーイト・ベイ要塞(Qaitbay Citadel)の風景です。
    この要塞は、かつて古代世界七不思議の一つであった「アレクサンドリアの大灯台」の跡地に建てられました。
    15世紀にスルタン、アル=アシュラフ・カーイト・ベイによって建設され、地中海からの防御拠点として機能しました。
    現在は海洋博物館としても利用されており、アレクサンドリアの主要な観光名所の一つです。

  • ※アシュラフ・カーイトバーイ(? - 1495年)は、エジプトを支配したブルジー・マムルーク朝の第19代スルタン(在位:1468年 - 1495年)。<br />「カーイトバーイの治世期には大航海時代も始まり、バルスバーイ以来の貿易政策ですっかり商人の没落が進んでいたエジプト経済は、ペストの流行による人口減少と農業荒廃と相まって経済に深刻な打撃を与えることにもなった。とはいえ、このカーイトバーイの歴代スルタンの中でも長期の27年の治世こそ、マムルーク朝が安定していた最後の時期でもあった。」

    ※アシュラフ・カーイトバーイ(? - 1495年)は、エジプトを支配したブルジー・マムルーク朝の第19代スルタン(在位:1468年 - 1495年)。
    「カーイトバーイの治世期には大航海時代も始まり、バルスバーイ以来の貿易政策ですっかり商人の没落が進んでいたエジプト経済は、ペストの流行による人口減少と農業荒廃と相まって経済に深刻な打撃を与えることにもなった。とはいえ、このカーイトバーイの歴代スルタンの中でも長期の27年の治世こそ、マムルーク朝が安定していた最後の時期でもあった。」

  • 入り口があり、入場料払っていざ見学、、、かと思いきや、ここは全く別な海洋博物館でした。まぎらわしい!

    入り口があり、入場料払っていざ見学、、、かと思いきや、ここは全く別な海洋博物館でした。まぎらわしい!

  • せっかくなので、昨夜食べた魚探してみたり、、、

    せっかくなので、昨夜食べた魚探してみたり、、、

  • ベリーズでのマナティツアーで見つけられずに終わったマナティの模型なんか見て、、、。

    ベリーズでのマナティツアーで見つけられずに終わったマナティの模型なんか見て、、、。

  • こっちが本物!<br />※この要塞は、15世紀後半にマムルーク朝のスルターン、アシュラフ・カーイトバーイによって建設されました。<br />世界の七不思議の一つに数えられた、古代のファロス島の大灯台の跡地に建てられています。<br />灯台の残骸の一部が要塞の建設に利用されたとも言われています。<br />現在、アレクサンドリアの有名な観光スポットとなっています。

    こっちが本物!
    ※この要塞は、15世紀後半にマムルーク朝のスルターン、アシュラフ・カーイトバーイによって建設されました。
    世界の七不思議の一つに数えられた、古代のファロス島の大灯台の跡地に建てられています。
    灯台の残骸の一部が要塞の建設に利用されたとも言われています。
    現在、アレクサンドリアの有名な観光スポットとなっています。

  • ※翻訳<br />カイトベイ城塞<br />カイトベイ城塞は、地中海沿岸で最も重要な砦の一つです。マムルーク朝のスルタン、アル・アシュラフ・アブ・アル・ナスル・カイトベイは、アレクサンドリアの大灯台の廃墟の上に、ヒジュラ暦882年(西暦1477年)から884年(西暦1479年)にかけてこれを建設しました。これは、アレクサンドリアを海軍の攻撃から守る役割を果たしました。<br />城塞は石灰岩で造られ、約17,130平方メートルの面積を占めていました。外壁には防御塔が点在し、城塞の周りを取り囲んでいます。内部には多くの部屋があり、一部は兵舎や倉庫として使用されていました。<br />城塞の入り口は中庭に通じており、そこから北側の主要な塔に入ります。この塔は3階建ての四角い建物で、四隅には都市防衛のために大砲を支える半円形の塔があります。また、兵士に水を供給するための水槽も備えられていました。<br />カイトベイ城塞は、その戦略的な立地から常に注目を集めてきました。スルタン・カンスー・アル・グーリは、西暦1501年(ヒジュラ暦906年)にこの砦を修復しました。彼はここに武器と兵士を配置し、城塞の北側を見下ろす場所に窓を開け、そこから敵の動きを監視できるようにしました。<br />アラブ美術遺産保存委員会(フランス語:Comite de Conservation des Monuments de l&#39;Art Arabe)は、1882年にこの建物を修復し、壁や塔を補強しました。建物は修復され、他の保存作業の対象となりました。<br />北側の入り口

    ※翻訳
    カイトベイ城塞
    カイトベイ城塞は、地中海沿岸で最も重要な砦の一つです。マムルーク朝のスルタン、アル・アシュラフ・アブ・アル・ナスル・カイトベイは、アレクサンドリアの大灯台の廃墟の上に、ヒジュラ暦882年(西暦1477年)から884年(西暦1479年)にかけてこれを建設しました。これは、アレクサンドリアを海軍の攻撃から守る役割を果たしました。
    城塞は石灰岩で造られ、約17,130平方メートルの面積を占めていました。外壁には防御塔が点在し、城塞の周りを取り囲んでいます。内部には多くの部屋があり、一部は兵舎や倉庫として使用されていました。
    城塞の入り口は中庭に通じており、そこから北側の主要な塔に入ります。この塔は3階建ての四角い建物で、四隅には都市防衛のために大砲を支える半円形の塔があります。また、兵士に水を供給するための水槽も備えられていました。
    カイトベイ城塞は、その戦略的な立地から常に注目を集めてきました。スルタン・カンスー・アル・グーリは、西暦1501年(ヒジュラ暦906年)にこの砦を修復しました。彼はここに武器と兵士を配置し、城塞の北側を見下ろす場所に窓を開け、そこから敵の動きを監視できるようにしました。
    アラブ美術遺産保存委員会(フランス語:Comite de Conservation des Monuments de l'Art Arabe)は、1882年にこの建物を修復し、壁や塔を補強しました。建物は修復され、他の保存作業の対象となりました。
    北側の入り口

  • 天気もよくて何より!冬のマグレブ諸国、寒くもなく、旅行に最適ですね。<br /><br />※場所: アレクサンドリア東港の入り口にあるファロス島の先端に位置しており、地中海沿岸における重要な防衛拠点でした。<br />現在の状況: 現在は軍事博物館として一般に公開されており、観光スポットとなっています。壮大な建築と息をのむような海の景色を楽しむことができます。

    天気もよくて何より!冬のマグレブ諸国、寒くもなく、旅行に最適ですね。

    ※場所: アレクサンドリア東港の入り口にあるファロス島の先端に位置しており、地中海沿岸における重要な防衛拠点でした。
    現在の状況: 現在は軍事博物館として一般に公開されており、観光スポットとなっています。壮大な建築と息をのむような海の景色を楽しむことができます。

  • いかにもアラブていう感じ、、、。<br /><br />※カートベイ城塞内部の展示の様子です。この場所には、城塞全体のスケールモデルが展示されています。 <br />城塞内部の特徴<br />この部屋は、アレクサンドリアにある15世紀の防御要塞であるカートベイ城塞(Citadel of Qaitbay)の一部です。<br />城塞は主に石灰岩の巨大なブロックで建設されており、厚い壁とアーチ型の天井が特徴です。<br />内部の空間は、兵舎、武器庫、貯蔵室、そしてモスクとして使用されていました。<br />画像に写っているような通路やホールは、軍事的な機能と芸術的な要素を融合させたマムルーク朝時代の建築様式を反映しています。

    いかにもアラブていう感じ、、、。

    ※カートベイ城塞内部の展示の様子です。この場所には、城塞全体のスケールモデルが展示されています。
    城塞内部の特徴
    この部屋は、アレクサンドリアにある15世紀の防御要塞であるカートベイ城塞(Citadel of Qaitbay)の一部です。
    城塞は主に石灰岩の巨大なブロックで建設されており、厚い壁とアーチ型の天井が特徴です。
    内部の空間は、兵舎、武器庫、貯蔵室、そしてモスクとして使用されていました。
    画像に写っているような通路やホールは、軍事的な機能と芸術的な要素を融合させたマムルーク朝時代の建築様式を反映しています。

  • ※この画像は、石壁にはめ込まれた木製の格子窓(マシュラビーヤ)を示しています。<br />マシュラビーヤは、中東の伝統的な建築様式に見られる、装飾的な格子状の窓またはバルコニーです。<br />木材で作られており、複雑な幾何学模様の格子が特徴です。<br />外から中の様子は見えにくく、プライバシーを保ちながら、光と風を取り入れることができます。<br />この特定の窓は、歴史的な建物の一部であり、経年変化による古材の風合いが魅力的です。

    ※この画像は、石壁にはめ込まれた木製の格子窓(マシュラビーヤ)を示しています。
    マシュラビーヤは、中東の伝統的な建築様式に見られる、装飾的な格子状の窓またはバルコニーです。
    木材で作られており、複雑な幾何学模様の格子が特徴です。
    外から中の様子は見えにくく、プライバシーを保ちながら、光と風を取り入れることができます。
    この特定の窓は、歴史的な建物の一部であり、経年変化による古材の風合いが魅力的です。

  • ※14世紀の地震で大灯台が崩壊した後、15世紀後半にオスマン帝国軍の侵入を防ぐための軍事要塞として、灯台の建材を再利用して建設されました。<br />この場所はアレクサンドリア港の入り口という戦略的な位置にあり、現在も地中海沿岸の重要な砦としての役割を物語っています。

    ※14世紀の地震で大灯台が崩壊した後、15世紀後半にオスマン帝国軍の侵入を防ぐための軍事要塞として、灯台の建材を再利用して建設されました。
    この場所はアレクサンドリア港の入り口という戦略的な位置にあり、現在も地中海沿岸の重要な砦としての役割を物語っています。

  • ※画像は、厚い石壁に開けられた狭い窓(銃眼)を通して見た景色で、要塞が軍事的な防御施設であったことを示しています。<br />外にはアレクサンドリアの東港が広がり、多くの小型船やヨットが停泊している様子が見えます。<br />遠景には、現代のアレクサンドリアの街の建物が確認できます。

    ※画像は、厚い石壁に開けられた狭い窓(銃眼)を通して見た景色で、要塞が軍事的な防御施設であったことを示しています。
    外にはアレクサンドリアの東港が広がり、多くの小型船やヨットが停泊している様子が見えます。
    遠景には、現代のアレクサンドリアの街の建物が確認できます。

  • なんかいい感じだったので、思わずパチリ!<br />※カイトベイ城は、エジプトのアレクサンドリアにある歴史的な要塞です。画像に写っているのは、その内部にある特徴的なアーチ型の窓の景色です。

    なんかいい感じだったので、思わずパチリ!
    ※カイトベイ城は、エジプトのアレクサンドリアにある歴史的な要塞です。画像に写っているのは、その内部にある特徴的なアーチ型の窓の景色です。

  • モザイクが綺麗ですね。<br />※画像に見られる精巧な幾何学模様の床面装飾は、イスラム建築の特徴的な要素です。

    モザイクが綺麗ですね。
    ※画像に見られる精巧な幾何学模様の床面装飾は、イスラム建築の特徴的な要素です。

  • ※カーイト・ベイの要塞は、エジプトのアレクサンドリアにある歴史的な防御要塞です。この要塞は、古代世界七不思議の一つであったアレクサンドリアの大灯台の跡地に、その石材の一部を利用して15世紀後半に建設されました。 <br />概要と歴史<br />建設者と時期: マムルーク朝のスルタン、アル=アシュラフ・サイフ・アッ=ディーン・カーイトゥバーイの命により、1477年から1479年にかけて建設されました。<br />目的: 地中海沿岸のエジプト北部を防衛するため、オスマン帝国の脅威に対抗する目的で築かれました。<br />大灯台との関係: 要塞は、地震で崩壊した大灯台の基礎の上に建てられており、入り口の目立つ位置にある濃い色の石材など、灯台の残骸の一部が建築資材として再利用されています。<br />戦略的重要性: その戦略的な立地から、マムルーク朝時代からオスマン帝国時代、そしてムハンマド・アリー朝時代に至るまで、重要な軍事拠点として機能しました。<br />近代史: 1882年のイギリス海軍によるアレクサンドリア砲撃で大きな被害を受け、その後一時的に放置されました。20世紀に入ってから修復作業が進められ、現在は海洋博物館として公開されています。 <br />建築と特徴<br />構造: 高さ17メートル、一辺30メートルの正方形の主塔を中心に、四隅に半円形の防御塔を持つ構造が特徴です。<br />内部: 内部は3層構造になっており、兵士の兵舎や貯蔵庫、モスクなどがあります。<br />眺望: 要塞の最上階からは、アレクサンドリアの街並みと地中海を一望できます。 <br />アレクサンドリアの豊かな海洋史を伝えるこの要塞は、歴史愛好家にとって必見の場所です。

    ※カーイト・ベイの要塞は、エジプトのアレクサンドリアにある歴史的な防御要塞です。この要塞は、古代世界七不思議の一つであったアレクサンドリアの大灯台の跡地に、その石材の一部を利用して15世紀後半に建設されました。
    概要と歴史
    建設者と時期: マムルーク朝のスルタン、アル=アシュラフ・サイフ・アッ=ディーン・カーイトゥバーイの命により、1477年から1479年にかけて建設されました。
    目的: 地中海沿岸のエジプト北部を防衛するため、オスマン帝国の脅威に対抗する目的で築かれました。
    大灯台との関係: 要塞は、地震で崩壊した大灯台の基礎の上に建てられており、入り口の目立つ位置にある濃い色の石材など、灯台の残骸の一部が建築資材として再利用されています。
    戦略的重要性: その戦略的な立地から、マムルーク朝時代からオスマン帝国時代、そしてムハンマド・アリー朝時代に至るまで、重要な軍事拠点として機能しました。
    近代史: 1882年のイギリス海軍によるアレクサンドリア砲撃で大きな被害を受け、その後一時的に放置されました。20世紀に入ってから修復作業が進められ、現在は海洋博物館として公開されています。
    建築と特徴
    構造: 高さ17メートル、一辺30メートルの正方形の主塔を中心に、四隅に半円形の防御塔を持つ構造が特徴です。
    内部: 内部は3層構造になっており、兵士の兵舎や貯蔵庫、モスクなどがあります。
    眺望: 要塞の最上階からは、アレクサンドリアの街並みと地中海を一望できます。
    アレクサンドリアの豊かな海洋史を伝えるこの要塞は、歴史愛好家にとって必見の場所です。

  • ウィキによると、、、<br />「、、、1882年7月11日、イギリス艦隊はアレクサンドリアを砲撃し、特にシタデル周辺を含む街の大部分に損害を与えました。この攻撃により要塞は破壊され、甚大な被害を受けました。北側と西側のファサードは、建物を直撃する大砲の炸裂によって深刻な被害を受けました。西側のファサードは完全に破壊され、大きな亀裂が残りました。」<br />「城塞はその後放置されていましたが、1904年に国防省が上層階を修復しました。ファルーク国王は城塞を王室の休憩所にしたいと考え、急速な改修を命じました。<br />1952年の革命後、エジプト海軍はこの建物を海洋博物館に改築しました。最大の修復工事は1984年に行われ、エジプト考古学機構が要塞の修復に向けた野心的な計画を立てた際に行われました。」<br /><br />なるほど、、見学時にも修復作業してましたが、イギリス艦隊の砲撃によるものだったようです。調べたら、エジプトはイギリスの植民地支配に苦しめられたようです。、、、

    ウィキによると、、、
    「、、、1882年7月11日、イギリス艦隊はアレクサンドリアを砲撃し、特にシタデル周辺を含む街の大部分に損害を与えました。この攻撃により要塞は破壊され、甚大な被害を受けました。北側と西側のファサードは、建物を直撃する大砲の炸裂によって深刻な被害を受けました。西側のファサードは完全に破壊され、大きな亀裂が残りました。」
    「城塞はその後放置されていましたが、1904年に国防省が上層階を修復しました。ファルーク国王は城塞を王室の休憩所にしたいと考え、急速な改修を命じました。
    1952年の革命後、エジプト海軍はこの建物を海洋博物館に改築しました。最大の修復工事は1984年に行われ、エジプト考古学機構が要塞の修復に向けた野心的な計画を立てた際に行われました。」

    なるほど、、見学時にも修復作業してましたが、イギリス艦隊の砲撃によるものだったようです。調べたら、エジプトはイギリスの植民地支配に苦しめられたようです。、、、

  • 「イギリス統治下におけるエジプトの歴史は、 1882年の英エジプト戦争でイギリス軍に占領されてから、 1954年の英エジプト撤退協定に基づき最後のイギリス軍が撤退した1956年6月18日まで続いた。イギリス統治の最初の期間(1882~1914年)は、しばしば「ベールに包まれた保護領」と呼ばれる。この間、エジプトのヘディヴ国はオスマン帝国の自治州のままであり、イギリスの占領は法的根拠を持たなかったものの、事実上の保護領となっていた。したがって、エジプトはイギリス帝国の一部ではなかった。この状態は、オスマン帝国が中央同盟国側として第一次世界大戦に参戦し、イギリスがエジプトの保護領を宣言した1914年まで続いた。統治していた副王アッバース2世は退位させられ、後継者のフセイン・カメルは1914年12月にオスマン帝国から独立したエジプトのスルタンであると宣言せざるを得なくなった。」<br />「エジプトに対する正式な保護国は戦争後も短期間しか続かなかった。1922年2月28日、イギリス政府が一方的なエジプト独立宣言を発布したことで、保護国は終結した。その後まもなく、スルタン・フアード1世は自らをエジプト国王と宣言したが、独立宣言のいくつかの留保条項に従って、イギリスの占領は続いた。1936年の英エジプト条約で状況は正常化され、この条約によりイギリスはインドとの連絡路であるスエズ運河の防衛のためにエジプトに軍隊を駐留させる権利を得た。イギリスはまた、エジプト軍の訓練も引き続き管理した。第二次世界大戦(1939年~1945年)中、エジプトはイギリスの駐留のためにイタリア領リビアの攻撃を受けたが、エジプト自体は戦争後期まで中立を保った。」<br />

    「イギリス統治下におけるエジプトの歴史は、 1882年の英エジプト戦争でイギリス軍に占領されてから、 1954年の英エジプト撤退協定に基づき最後のイギリス軍が撤退した1956年6月18日まで続いた。イギリス統治の最初の期間(1882~1914年)は、しばしば「ベールに包まれた保護領」と呼ばれる。この間、エジプトのヘディヴ国はオスマン帝国の自治州のままであり、イギリスの占領は法的根拠を持たなかったものの、事実上の保護領となっていた。したがって、エジプトはイギリス帝国の一部ではなかった。この状態は、オスマン帝国が中央同盟国側として第一次世界大戦に参戦し、イギリスがエジプトの保護領を宣言した1914年まで続いた。統治していた副王アッバース2世は退位させられ、後継者のフセイン・カメルは1914年12月にオスマン帝国から独立したエジプトのスルタンであると宣言せざるを得なくなった。」
    「エジプトに対する正式な保護国は戦争後も短期間しか続かなかった。1922年2月28日、イギリス政府が一方的なエジプト独立宣言を発布したことで、保護国は終結した。その後まもなく、スルタン・フアード1世は自らをエジプト国王と宣言したが、独立宣言のいくつかの留保条項に従って、イギリスの占領は続いた。1936年の英エジプト条約で状況は正常化され、この条約によりイギリスはインドとの連絡路であるスエズ運河の防衛のためにエジプトに軍隊を駐留させる権利を得た。イギリスはまた、エジプト軍の訓練も引き続き管理した。第二次世界大戦(1939年~1945年)中、エジプトはイギリスの駐留のためにイタリア領リビアの攻撃を受けたが、エジプト自体は戦争後期まで中立を保った。」

  • 「戦後、エジプトは条約の修正を求めたが、1951年10月に反英政府により条約は全面的に破棄された。1952年のエジプト革命後、ファルーク国王は打倒され、幼い息子フアード2世の短期間の空位期間の後、王政は廃止され、ガマール・ナーセルとムハンマド・ナギーブの指導下にあるエジプト共和国が建国された。イギリスはナセルの同意を得て軍を撤退させ、1956年6月までに撤退させた。イギリスは1956年後半、フランス、イスラエルと共にスエズ運河をめぐってエジプトに戦争を仕掛けたが、国際社会の支持が不十分で撤退を余儀なくされた。」以上、ウィキより、、、<br /><br />

    「戦後、エジプトは条約の修正を求めたが、1951年10月に反英政府により条約は全面的に破棄された。1952年のエジプト革命後、ファルーク国王は打倒され、幼い息子フアード2世の短期間の空位期間の後、王政は廃止され、ガマール・ナーセルとムハンマド・ナギーブの指導下にあるエジプト共和国が建国された。イギリスはナセルの同意を得て軍を撤退させ、1956年6月までに撤退させた。イギリスは1956年後半、フランス、イスラエルと共にスエズ運河をめぐってエジプトに戦争を仕掛けたが、国際社会の支持が不十分で撤退を余儀なくされた。」以上、ウィキより、、、

  • ※この画像は、アレクサンドリアのフィッシュマーケット(魚市場)の様子を捉えたものです。<br />活気ある市場の雰囲気や、多くの人々が行き交う様子が確認できます。<br />市場には魚介類や釣り餌を扱う店が並んでおり、現地の生活感が伝わってきます。

    ※この画像は、アレクサンドリアのフィッシュマーケット(魚市場)の様子を捉えたものです。
    活気ある市場の雰囲気や、多くの人々が行き交う様子が確認できます。
    市場には魚介類や釣り餌を扱う店が並んでおり、現地の生活感が伝わってきます。

  • さて、あとはマップスミーに表示される観光スポット巡り、、、。ここは?<br />実はラス・エル・ティン宮殿(エジプト王国時代の宮殿)を見に行ったのだか、警官に止められ見れなかった。<br />&#11088;ラス・エル・ティン宮殿<br />「19世紀半ばに、ムハンマド・アリーが建設に着手したが、完成したのは彼の死後である1854年。完成後は、彼の後継者たちが夏場の別荘として用いた。<br />1892年、さらに北東方向の海に面した場所に離宮が造成され、ラス・アル・ティン宮殿は、生活としての場から切り離され、公務用に改築された。<br />その後も王家の施設として使用されていたが、1952年にムハンマド・ナギーブ、ガマール・アブドゥン=ナーセルらが起こしたクーデター(エジプト革命)の際には、滞在していたファルーク1世が宮殿からそのまま国外追放されてしまい、宮殿が事実上の王家終焉の地(後継の王は幼児で、戴冠せず廃位)となった。」<br />まだまだ一般公開はされてなかった、、、。

    さて、あとはマップスミーに表示される観光スポット巡り、、、。ここは?
    実はラス・エル・ティン宮殿(エジプト王国時代の宮殿)を見に行ったのだか、警官に止められ見れなかった。
    ⭐ラス・エル・ティン宮殿
    「19世紀半ばに、ムハンマド・アリーが建設に着手したが、完成したのは彼の死後である1854年。完成後は、彼の後継者たちが夏場の別荘として用いた。
    1892年、さらに北東方向の海に面した場所に離宮が造成され、ラス・アル・ティン宮殿は、生活としての場から切り離され、公務用に改築された。
    その後も王家の施設として使用されていたが、1952年にムハンマド・ナギーブ、ガマール・アブドゥン=ナーセルらが起こしたクーデター(エジプト革命)の際には、滞在していたファルーク1世が宮殿からそのまま国外追放されてしまい、宮殿が事実上の王家終焉の地(後継の王は幼児で、戴冠せず廃位)となった。」
    まだまだ一般公開はされてなかった、、、。

  • 腹がへりましたので、エジプトの国民食であるコシャリ屋に、、、。エジプト人はなぜこれが好きなんでしょうね?<br /><br />※画像はエジプトの国民食であるコシャリです。米、パスタ、豆、フライドオニオンなどを混ぜ合わせた料理で、ファストフードとして人気があります。<br />コシャリは、油で炒めたご飯、小さなリング状のパスタ、短いスパゲッティ、味付けしたレンズ豆やひよこ豆などを混ぜて作られます。<br />トッピングとして、甘みのあるフライドオニオンがかけられます。<br />提供されるトマトソースや、ニンニクとレモンのソース「ダッア」、チリソースなどをかけて味を調整し、よく混ぜて食べます。<br />「コシャリ」という名前は、アラビア語で「混ぜる」という意味に由来すると言われています。

    腹がへりましたので、エジプトの国民食であるコシャリ屋に、、、。エジプト人はなぜこれが好きなんでしょうね?

    ※画像はエジプトの国民食であるコシャリです。米、パスタ、豆、フライドオニオンなどを混ぜ合わせた料理で、ファストフードとして人気があります。
    コシャリは、油で炒めたご飯、小さなリング状のパスタ、短いスパゲッティ、味付けしたレンズ豆やひよこ豆などを混ぜて作られます。
    トッピングとして、甘みのあるフライドオニオンがかけられます。
    提供されるトマトソースや、ニンニクとレモンのソース「ダッア」、チリソースなどをかけて味を調整し、よく混ぜて食べます。
    「コシャリ」という名前は、アラビア語で「混ぜる」という意味に由来すると言われています。

  • アレクサンドリアにあるこの騎馬像は、ムハンマド・アリー・パシャの像です。ムハンマド・アリーは19世紀初頭にオスマン帝国領エジプトの総督となり、近代化を推進してムハンマド・アリー朝を創始した人物です。 <br />場所: エジプトのアレクサンドリア、アル・マンシーヤ広場(ムハンマド・アリー広場とも呼ばれます)に設置されています。<br />歴史: 1805年にエジプト総督に任命されて以降、実質的な独立国家としてエジプトを統治しました。

    アレクサンドリアにあるこの騎馬像は、ムハンマド・アリー・パシャの像です。ムハンマド・アリーは19世紀初頭にオスマン帝国領エジプトの総督となり、近代化を推進してムハンマド・アリー朝を創始した人物です。
    場所: エジプトのアレクサンドリア、アル・マンシーヤ広場(ムハンマド・アリー広場とも呼ばれます)に設置されています。
    歴史: 1805年にエジプト総督に任命されて以降、実質的な独立国家としてエジプトを統治しました。

  • おー!現役の馬車出現!<br />※この画像は、現代の交通の流れの中で馬車が走っている、エジプト・アレクサンドリアの日常的な一コマを捉えています。<br />この馬車は、アレクサンドリアの街を移動する手段の一つとして今も利用されています。<br />周囲には現代的な乗用車やバンが走っており、伝統的な交通手段と現代の交通が混在している様子が分かります。<br />背景の建物は、この都市の歴史を感じさせる古い建築様式を持っています。<br />街路樹としてヤシの木が見られ、この地域の気候を示唆しています。

    おー!現役の馬車出現!
    ※この画像は、現代の交通の流れの中で馬車が走っている、エジプト・アレクサンドリアの日常的な一コマを捉えています。
    この馬車は、アレクサンドリアの街を移動する手段の一つとして今も利用されています。
    周囲には現代的な乗用車やバンが走っており、伝統的な交通手段と現代の交通が混在している様子が分かります。
    背景の建物は、この都市の歴史を感じさせる古い建築様式を持っています。
    街路樹としてヤシの木が見られ、この地域の気候を示唆しています。

  • エジプトといえば、、、コプト教会。よくは知りませんが、イスラム国家でありながら、エチオピアと同じように、原始キリスト教徒が少なからず存在しています、、、。<br /><br />※この建物は、エジプトのアレクサンドリアにある聖マルコ英国聖公会仮大聖堂です。<br />この教会は、エジプトにおける聖公会の歴史的な中心地の一つです。<br />建築様式は、コプト様式の影響を受けた独特なデザインが特徴です。<br />エジプトのキリスト教、特にコプト教会は、紀元60年ごろに福音記者の聖マルコによって宣教が始まったとされています。<br />この地域は、初期キリスト教の歴史において重要な場所です。

    エジプトといえば、、、コプト教会。よくは知りませんが、イスラム国家でありながら、エチオピアと同じように、原始キリスト教徒が少なからず存在しています、、、。

    ※この建物は、エジプトのアレクサンドリアにある聖マルコ英国聖公会仮大聖堂です。
    この教会は、エジプトにおける聖公会の歴史的な中心地の一つです。
    建築様式は、コプト様式の影響を受けた独特なデザインが特徴です。
    エジプトのキリスト教、特にコプト教会は、紀元60年ごろに福音記者の聖マルコによって宣教が始まったとされています。
    この地域は、初期キリスト教の歴史において重要な場所です。

  • イスラム国家のキリスト教会、、、迫害を受けていると聞きますか、、、。

    イスラム国家のキリスト教会、、、迫害を受けていると聞きますか、、、。

  • もう1つ、、、カトリック教会にも、、、。修復中でしたが、作業員の方、快く入れてくれました。<br />※この画像は、エジプトのアレクサンドリアにある聖カタリナ大聖堂(Saint Catherine&#39;s Cathedral)です。<br />アレクサンドリアで最も古いカトリック教会の一つです。<br />イタリア人建築家によって設計され、1850年に完成しました。<br />画像では、教会のファサード(正面)が足場で覆われており、修復またはメンテナンス作業中であることがわかります。<br />手前には、クリスマスツリーと思われる装飾が施された大きな十字架があります。<br />サアド・ザグルール広場近くに位置しており、歴史的なランドマークとなっています。

    もう1つ、、、カトリック教会にも、、、。修復中でしたが、作業員の方、快く入れてくれました。
    ※この画像は、エジプトのアレクサンドリアにある聖カタリナ大聖堂(Saint Catherine's Cathedral)です。
    アレクサンドリアで最も古いカトリック教会の一つです。
    イタリア人建築家によって設計され、1850年に完成しました。
    画像では、教会のファサード(正面)が足場で覆われており、修復またはメンテナンス作業中であることがわかります。
    手前には、クリスマスツリーと思われる装飾が施された大きな十字架があります。
    サアド・ザグルール広場近くに位置しており、歴史的なランドマークとなっています。

  • ※この教会は、エジプトで唯一のカトリック大聖堂です。<br />1847年にイタリア人建築家によって建設が開始され、1850年に完成しました。<br />身廊には、イタリアの画家カヴァリエーレ・ジュゼッペ・ボッサーティによるフレスコ画と絵画が飾られています。<br />画像中央の祭壇上部には、「20 26」という数字が確認できます。これは、2025年の聖年(ジュビリー)が2026年1月6日に閉幕することに関連している可能性があります。

    ※この教会は、エジプトで唯一のカトリック大聖堂です。
    1847年にイタリア人建築家によって建設が開始され、1850年に完成しました。
    身廊には、イタリアの画家カヴァリエーレ・ジュゼッペ・ボッサーティによるフレスコ画と絵画が飾られています。
    画像中央の祭壇上部には、「20 26」という数字が確認できます。これは、2025年の聖年(ジュビリー)が2026年1月6日に閉幕することに関連している可能性があります。

  • ※歴史的背景: 17世紀からアレクサンドリアに滞在していたフランシスコ会士のために建てられ、聖カタリナに捧げられました。<br />建築様式: 建物自体はネオ・バロック様式で、1927年にイタリア・バロック様式のファサードが追加されました。<br />主な特徴: 内部には美しいステンドグラスの窓、華やかな祭壇、フレスコ画があります。 また、かつてイタリア亡命国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世の埋葬地でもありました(遺体は2017年にイタリアへ送還)

    ※歴史的背景: 17世紀からアレクサンドリアに滞在していたフランシスコ会士のために建てられ、聖カタリナに捧げられました。
    建築様式: 建物自体はネオ・バロック様式で、1927年にイタリア・バロック様式のファサードが追加されました。
    主な特徴: 内部には美しいステンドグラスの窓、華やかな祭壇、フレスコ画があります。 また、かつてイタリア亡命国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世の埋葬地でもありました(遺体は2017年にイタリアへ送還)

  • ※画像は、キリスト教の降誕祭(クリスマス)の時期に飾られるプレゼピオ(イタリア語で「飼い葉桶」の意)です。これは、イエス・キリストの誕生の場面を再現したジオラマです。<br />プレゼピオは、キリストが馬小屋で生まれたという聖書の記述に基づいています。<br />中心には、幼子イエス、聖母マリア、ヨセフの像が配置されています。<br />周囲には、天使、羊飼い、動物(牛やロバなど)の像が飾られるのが典型的です.<br />この伝統的な飾りは、世界中のキリスト教徒によって、降誕祭の精神的な意味を祝うために用いられます。<br />→ベツレヘムの生誕教会、思い出しました。

    ※画像は、キリスト教の降誕祭(クリスマス)の時期に飾られるプレゼピオ(イタリア語で「飼い葉桶」の意)です。これは、イエス・キリストの誕生の場面を再現したジオラマです。
    プレゼピオは、キリストが馬小屋で生まれたという聖書の記述に基づいています。
    中心には、幼子イエス、聖母マリア、ヨセフの像が配置されています。
    周囲には、天使、羊飼い、動物(牛やロバなど)の像が飾られるのが典型的です.
    この伝統的な飾りは、世界中のキリスト教徒によって、降誕祭の精神的な意味を祝うために用いられます。
    →ベツレヘムの生誕教会、思い出しました。

  • イスラム世界で教会、、、なんだか不思議ですが、歴史あるアレキサンドリアは、宗教に寛容なのかもしれません。

    イスラム世界で教会、、、なんだか不思議ですが、歴史あるアレキサンドリアは、宗教に寛容なのかもしれません。

  • ※このポスターは、エジプトのアレクサンドリアにある聖カテリナ大聖堂の歴史と建築、そしてアレクサンドリアのマルタ人コミュニティに関する展覧会を告知するものです。<br /><br />→エジプトにマルタ共和国、、、なんだか不思議だったので、、、

    ※このポスターは、エジプトのアレクサンドリアにある聖カテリナ大聖堂の歴史と建築、そしてアレクサンドリアのマルタ人コミュニティに関する展覧会を告知するものです。

    →エジプトにマルタ共和国、、、なんだか不思議だったので、、、

  • で、てくてく町の南側にあるPompei&#39;s Pillarへ、、、。<br /><br />※この画像は、エジプトのアレクサンドリアにあるローマ遺跡、ポンペイの柱(Pompey&#39;s Pillar)の様子を捉えたものです。<br />この柱は、かつてセラピス神に捧げられた神殿(セラペウム)の跡地に立っており、高さは約25メートルあります。<br />赤い花崗岩で造られており、ローマ皇帝ディオクレティアヌスを称えるために建設されたと言われています。<br />ローマ帝国の首都以外に建設された同様の柱の中では最大級のものです。<br />かつては400本もの柱が立っていたという説もありますが、実際には用途など不明な点も多いです。<br />遺跡内には他にもスフィンクスやナイルメーターなどの遺構が見られます。

    で、てくてく町の南側にあるPompei's Pillarへ、、、。

    ※この画像は、エジプトのアレクサンドリアにあるローマ遺跡、ポンペイの柱(Pompey's Pillar)の様子を捉えたものです。
    この柱は、かつてセラピス神に捧げられた神殿(セラペウム)の跡地に立っており、高さは約25メートルあります。
    赤い花崗岩で造られており、ローマ皇帝ディオクレティアヌスを称えるために建設されたと言われています。
    ローマ帝国の首都以外に建設された同様の柱の中では最大級のものです。
    かつては400本もの柱が立っていたという説もありますが、実際には用途など不明な点も多いです。
    遺跡内には他にもスフィンクスやナイルメーターなどの遺構が見られます。

  • 後で訪れるリビアには、このような柱がたくさんあったけど、、、。

    後で訪れるリビアには、このような柱がたくさんあったけど、、、。

  • ※画像に写っている大きな柱は、エジプトのアレクサンドリアにあるポンペイの柱です。 <br />ポンペイの柱について<br />正式名称と歴史的背景: この柱は「ポンペイの柱」と呼ばれていますが、共和政ローマの将軍ポンペイとは関係なく、ローマ皇帝ディオクレティアヌスを称えるために298年から302年の間に建てられた勝利の記念柱です。十字軍の時代に、ギリシャ語の碑文の類似性から誤って名付けられました。<br />特徴:<br />エジプトで唯一、元の場所にそのまま残っている古代の記念碑です。<br />アスワン産の赤い花崗岩でできた単一の石柱で、台座と柱頭を含めた全高は約26.85メートル(88.1フィート)です。<br />かつてはディオクレティアヌス帝の巨大な像(高さ約7メートル)が頂上に乗っていましたが、現在は失われています。<br />場所: 柱は、かつてグレコ・エジプトの神セラピスに捧げられた壮大なセラペウム神殿複合施設の跡地に立っています。神殿自体は391年に破壊されましたが、この柱だけは残りました。

    ※画像に写っている大きな柱は、エジプトのアレクサンドリアにあるポンペイの柱です。
    ポンペイの柱について
    正式名称と歴史的背景: この柱は「ポンペイの柱」と呼ばれていますが、共和政ローマの将軍ポンペイとは関係なく、ローマ皇帝ディオクレティアヌスを称えるために298年から302年の間に建てられた勝利の記念柱です。十字軍の時代に、ギリシャ語の碑文の類似性から誤って名付けられました。
    特徴:
    エジプトで唯一、元の場所にそのまま残っている古代の記念碑です。
    アスワン産の赤い花崗岩でできた単一の石柱で、台座と柱頭を含めた全高は約26.85メートル(88.1フィート)です。
    かつてはディオクレティアヌス帝の巨大な像(高さ約7メートル)が頂上に乗っていましたが、現在は失われています。
    場所: 柱は、かつてグレコ・エジプトの神セラピスに捧げられた壮大なセラペウム神殿複合施設の跡地に立っています。神殿自体は391年に破壊されましたが、この柱だけは残りました。

  • この柱だけがずーっと残っていたようです。<br />※ポンペイウスがこの地に埋葬されたという迷信から「ポンペイの柱」と名付けられました。

    この柱だけがずーっと残っていたようです。
    ※ポンペイウスがこの地に埋葬されたという迷信から「ポンペイの柱」と名付けられました。

  • ※アレクサンドリアのコム・エル・ショカファのカタコンベの近くにある古代ローマ時代のセラペウム神殿の遺跡です。 <br />この場所は、紀元前30年からエジプトがローマの属州となった後、主要な穀物供給地として栄えたアレクサンドリアの歴史を物語っています。 <br />遺跡: 神殿の一部だった有名な赤い花崗岩の柱とスフィンクスを見ることができます。<br />特徴: 古代エジプトとローマ時代の文化が融合した考古学的遺物が特徴です。<br />見どころ: 地下には広大なカタコンベ(共同墓地)が広がっており、その深く広い墓地や螺旋階段、美しい装飾を見学できます。

    ※アレクサンドリアのコム・エル・ショカファのカタコンベの近くにある古代ローマ時代のセラペウム神殿の遺跡です。
    この場所は、紀元前30年からエジプトがローマの属州となった後、主要な穀物供給地として栄えたアレクサンドリアの歴史を物語っています。
    遺跡: 神殿の一部だった有名な赤い花崗岩の柱とスフィンクスを見ることができます。
    特徴: 古代エジプトとローマ時代の文化が融合した考古学的遺物が特徴です。
    見どころ: 地下には広大なカタコンベ(共同墓地)が広がっており、その深く広い墓地や螺旋階段、美しい装飾を見学できます。

  • ここには結構な数の観光客が、、、。

    ここには結構な数の観光客が、、、。

  • 続いて、、、近くにあるカタコンベに、、、。<br />※写っている場所は、エジプトのアレクサンドリアにあるコム・エル・ショカファのカタコンベ(地下墓地)へと続く階段です。 <br />コム・エル・ショカファのカタコンベ<br />概要: コム・エル・ショカファは「陶片の丘」を意味し、かつてこの場所に集まっていた陶器の破片に由来する遺跡名です。紀元2世紀ごろに造られた、古代エジプト最大級の地下墓地です。<br />構造: この地下墓地は岩盤を掘って造られており、地下3階まであります。地下深くへと続く螺旋階段が特徴的で、中心の竪穴はかつて棺を降ろすために使われたと言われています。<br />特徴: 内部には古代エジプト、ギリシャ、ローマの建築様式や神々が融合した独特な壁画や装飾が見られ、当時の文化交流の様子を伝えています。

    続いて、、、近くにあるカタコンベに、、、。
    ※写っている場所は、エジプトのアレクサンドリアにあるコム・エル・ショカファのカタコンベ(地下墓地)へと続く階段です。
    コム・エル・ショカファのカタコンベ
    概要: コム・エル・ショカファは「陶片の丘」を意味し、かつてこの場所に集まっていた陶器の破片に由来する遺跡名です。紀元2世紀ごろに造られた、古代エジプト最大級の地下墓地です。
    構造: この地下墓地は岩盤を掘って造られており、地下3階まであります。地下深くへと続く螺旋階段が特徴的で、中心の竪穴はかつて棺を降ろすために使われたと言われています。
    特徴: 内部には古代エジプト、ギリシャ、ローマの建築様式や神々が融合した独特な壁画や装飾が見られ、当時の文化交流の様子を伝えています。

  • ここは神秘的で好奇心そそられますね。<br />

    ここは神秘的で好奇心そそられますね。

  • ※この画像は、エジプト・アレクサンドリアにあるポンペイの柱複合施設内の地下墓地(カタコンベ)に展示されている、聖なる雄牛アピスの像です。<br />この像は、セラピス神殿(セラピウム)の地下回廊で発見されました。<br />アピスは古代エジプトの神聖な雄牛で、オシリス神の化身とされています。<br />通常、額に三角形の白い模様があり、背中にはハゲタカの模様があるとされていますが、この像では頭部に太陽円盤とコブラを戴いています。<br />ポンペイの柱は、アレクサンドリアで現存する古代遺跡の中で最も重要なものの一つです。<br />この地下墓地は、ヘレニズム時代からローマ時代にかけてのユニークな埋葬様式を示しています。

    ※この画像は、エジプト・アレクサンドリアにあるポンペイの柱複合施設内の地下墓地(カタコンベ)に展示されている、聖なる雄牛アピスの像です。
    この像は、セラピス神殿(セラピウム)の地下回廊で発見されました。
    アピスは古代エジプトの神聖な雄牛で、オシリス神の化身とされています。
    通常、額に三角形の白い模様があり、背中にはハゲタカの模様があるとされていますが、この像では頭部に太陽円盤とコブラを戴いています。
    ポンペイの柱は、アレクサンドリアで現存する古代遺跡の中で最も重要なものの一つです。
    この地下墓地は、ヘレニズム時代からローマ時代にかけてのユニークな埋葬様式を示しています。

  • ※画像に写っている牛の像は、古代エジプトで崇拝されていた聖牛アピス神を表していると考えられます。 <br />詳細情報<br />アピス神: 古代エジプトの都市メンフィスで特に崇拝された創造神プタハの化身、またはオシリス神の化身とされる聖牛です。<br />特徴: 黒い雄牛で、額に白い三角形の斑点、背中にハゲワシの模様など、特定の身体的特徴を持つ牛が選ばれて神として崇拝されました。<br />場所: この像は、エジプトのアレクサンドリアにある「ポンペイの柱」として知られる遺跡群の地下埋葬所(セラペウム)の玄室で見つかったものの可能性が高いです。

    ※画像に写っている牛の像は、古代エジプトで崇拝されていた聖牛アピス神を表していると考えられます。
    詳細情報
    アピス神: 古代エジプトの都市メンフィスで特に崇拝された創造神プタハの化身、またはオシリス神の化身とされる聖牛です。
    特徴: 黒い雄牛で、額に白い三角形の斑点、背中にハゲワシの模様など、特定の身体的特徴を持つ牛が選ばれて神として崇拝されました。
    場所: この像は、エジプトのアレクサンドリアにある「ポンペイの柱」として知られる遺跡群の地下埋葬所(セラペウム)の玄室で見つかったものの可能性が高いです。

  • こちらも町の中にある古代遺跡!

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  • ポンペイの柱から徒歩11分でカタコンベ、、、

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  • カタコンベから望むポンペイの柱!

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  • ※この画像は、エジプトのアレクサンドリアにあるコム・エル・シュカファのカタコンベの入り口付近の様子を捉えたものです。<br />この遺跡は、紀元前2世紀から4世紀にかけて使用されたローマ時代の共同墓地です。<br />エジプトの伝統的な埋葬様式とローマやギリシャの建築様式が融合した独特なデザインが特徴です。<br />アレクサンドリア最大のローマ式埋葬地であり、アレクサンドリアの歴史を物語る重要な場所です。<br />1900年に偶然ロバが穴に落ちたことで発見されました。<br />へー!

    ※この画像は、エジプトのアレクサンドリアにあるコム・エル・シュカファのカタコンベの入り口付近の様子を捉えたものです。
    この遺跡は、紀元前2世紀から4世紀にかけて使用されたローマ時代の共同墓地です。
    エジプトの伝統的な埋葬様式とローマやギリシャの建築様式が融合した独特なデザインが特徴です。
    アレクサンドリア最大のローマ式埋葬地であり、アレクサンドリアの歴史を物語る重要な場所です。
    1900年に偶然ロバが穴に落ちたことで発見されました。
    へー!

  • ※アレクサンドリアにあるこの案内板は、コム・エル・シュカファのカタコンベ(地下墓地)に関するものです。エジプト最大級の地下墓地で、古代エジプトとギリシャ・ローマ文化が融合した壁画やレリーフが特徴です。 <br />遺跡の概要<br />場所: エジプト、アレクサンドリア<br />時代: 紀元2世紀頃から利用されていました。<br />構造: 地下3階建ての螺旋階段を中心に、遺体を埋葬する多くの部屋があります。<br />発見: 1900年8月末、馬車を引くロバの足が地面に沈んだことがきっかけで発見されました。 <br />特徴<br />文化の融合: 墓所の壁画や彫刻には、古代エジプトの神々とギリシャ神話の神々が融合した形で描かれており、当時の多様な文化を反映しています。<br />埋葬方法: 当時、中心の竪穴は棺を地下に降ろすために使われ、地下1階では遺族が石のベンチに座って故人に別れを告げたとされています。<br />保存状態: 地下3階は浸水のため見学はできませんが、他の階層の遺跡は現在も保護工事が行われています。

    ※アレクサンドリアにあるこの案内板は、コム・エル・シュカファのカタコンベ(地下墓地)に関するものです。エジプト最大級の地下墓地で、古代エジプトとギリシャ・ローマ文化が融合した壁画やレリーフが特徴です。
    遺跡の概要
    場所: エジプト、アレクサンドリア
    時代: 紀元2世紀頃から利用されていました。
    構造: 地下3階建ての螺旋階段を中心に、遺体を埋葬する多くの部屋があります。
    発見: 1900年8月末、馬車を引くロバの足が地面に沈んだことがきっかけで発見されました。
    特徴
    文化の融合: 墓所の壁画や彫刻には、古代エジプトの神々とギリシャ神話の神々が融合した形で描かれており、当時の多様な文化を反映しています。
    埋葬方法: 当時、中心の竪穴は棺を地下に降ろすために使われ、地下1階では遺族が石のベンチに座って故人に別れを告げたとされています。
    保存状態: 地下3階は浸水のため見学はできませんが、他の階層の遺跡は現在も保護工事が行われています。

  • ※特徴:<br />古代エジプト、ギリシャ、ローマの芸術様式が融合した独特のデザインが特徴です。<br />深い縦穴と、その下層に広がる複数の階層から構成されており、螺旋階段で降りていきます。<br />埋葬室には、取り外しできない蓋付きの大きな石棺が3つあり、遺体は後ろの通路から挿入されたと考えられています。<br />墓泥棒を追い払うための装飾が施された入り口や、複数の神像のレリーフを見ることができます。

    ※特徴:
    古代エジプト、ギリシャ、ローマの芸術様式が融合した独特のデザインが特徴です。
    深い縦穴と、その下層に広がる複数の階層から構成されており、螺旋階段で降りていきます。
    埋葬室には、取り外しできない蓋付きの大きな石棺が3つあり、遺体は後ろの通路から挿入されたと考えられています。
    墓泥棒を追い払うための装飾が施された入り口や、複数の神像のレリーフを見ることができます。

  • ※この画像は、エジプトのアレクサンドリアにある「コム・エル・シュガーファのカタコンベ」と呼ばれる古代ローマ時代の墓所です。<br />この地下墓地は、古代エジプトとローマの建築様式が融合した独特なデザインが特徴です。<br />2世紀に建設され、岩盤を掘り下げて作られた3層構造になっています。<br />「コム・エル・シュガーファ」は「破片の丘」を意味し、かつてこの場所が陶器の破片で覆われていたことに由来します。<br />画像に写っている通路の両側には、遺体を安置するための棚(ロクリア)が多数掘られています。

    ※この画像は、エジプトのアレクサンドリアにある「コム・エル・シュガーファのカタコンベ」と呼ばれる古代ローマ時代の墓所です。
    この地下墓地は、古代エジプトとローマの建築様式が融合した独特なデザインが特徴です。
    2世紀に建設され、岩盤を掘り下げて作られた3層構造になっています。
    「コム・エル・シュガーファ」は「破片の丘」を意味し、かつてこの場所が陶器の破片で覆われていたことに由来します。
    画像に写っている通路の両側には、遺体を安置するための棚(ロクリア)が多数掘られています。

  • ※様式: エジプトの神々とギリシャ神話の神々が融合した形で描かれており、文化的な混在が見られます。

    ※様式: エジプトの神々とギリシャ神話の神々が融合した形で描かれており、文化的な混在が見られます。

  • ※メインパネル: 中央の壁のパネルには、ジャッカルの頭を持つミイラ作りの神アヌビスが描かれています。彼はローマ兵の服装をしており、ライオンの形をした寝台に横たわる遺体をミイラ化している場面を監督しています。<br />アピス牛: 左右のパネルには、聖なるアピス牛が描かれており、ファラオの姿をした人物から供物を受け取っています。アピス牛は、エジプトの創造神プタハの生きた化身であり、死後はオシリスと関連付けられていました。<br />文化の融合: これらのシーン全体は、エジプトの神々がローマ風の様式で描かれ、ギリシャ神話の要素も取り入れられている点で、この時代の多文化的な埋葬習慣を反映しています。

    ※メインパネル: 中央の壁のパネルには、ジャッカルの頭を持つミイラ作りの神アヌビスが描かれています。彼はローマ兵の服装をしており、ライオンの形をした寝台に横たわる遺体をミイラ化している場面を監督しています。
    アピス牛: 左右のパネルには、聖なるアピス牛が描かれており、ファラオの姿をした人物から供物を受け取っています。アピス牛は、エジプトの創造神プタハの生きた化身であり、死後はオシリスと関連付けられていました。
    文化の融合: これらのシーン全体は、エジプトの神々がローマ風の様式で描かれ、ギリシャ神話の要素も取り入れられている点で、この時代の多文化的な埋葬習慣を反映しています。

  • ※中央のライオンの形をした寝台に横たわっている遺体は、エジプトの死と復活の神オシリス、または埋葬される故人とされています。<br />この遺体をミイラ化しているジャッカルの頭を持つ神は、ミイラ作りの神アヌビスです。ここではローマの兵士の服装(胸当て、槍、盾)をしています。<br />寝台の頭側(左)にはトキの頭を持つ知恵の神トトが、足側(右)にはハヤブサの頭を持つ天空の神ホルスが立っており、アヌビスを補助しています。<br />寝台の下には、故人の内臓を納めるための3つのカノプス壺が描かれています。 <br />このレリーフは、古代エジプトの葬儀の伝統的なテーマを、ローマ・ギリシャの影響を受けた様式で表現しており、当時のアレクサンドリアの多様な文化の融合(シンクレティズム)を示す貴重な例です。

    ※中央のライオンの形をした寝台に横たわっている遺体は、エジプトの死と復活の神オシリス、または埋葬される故人とされています。
    この遺体をミイラ化しているジャッカルの頭を持つ神は、ミイラ作りの神アヌビスです。ここではローマの兵士の服装(胸当て、槍、盾)をしています。
    寝台の頭側(左)にはトキの頭を持つ知恵の神トトが、足側(右)にはハヤブサの頭を持つ天空の神ホルスが立っており、アヌビスを補助しています。
    寝台の下には、故人の内臓を納めるための3つのカノプス壺が描かれています。
    このレリーフは、古代エジプトの葬儀の伝統的なテーマを、ローマ・ギリシャの影響を受けた様式で表現しており、当時のアレクサンドリアの多様な文化の融合(シンクレティズム)を示す貴重な例です。

  • ※名前の由来: 「コム・エル・シュカファ」はアラビア語で「破片の丘」を意味します。これは、墓参に訪れた人々が供物に使った土器の容器を、死の場所から持ち帰ることを嫌って入口付近で割って捨てたため、大量の破片が積み上がっていたことに由来します。

    ※名前の由来: 「コム・エル・シュカファ」はアラビア語で「破片の丘」を意味します。これは、墓参に訪れた人々が供物に使った土器の容器を、死の場所から持ち帰ることを嫌って入口付近で割って捨てたため、大量の破片が積み上がっていたことに由来します。

  • 実に神秘的!<br />※当初は裕福な家族1世帯のために作られましたが、後に拡張されて共同墓地として使用されました。

    実に神秘的!
    ※当初は裕福な家族1世帯のために作られましたが、後に拡張されて共同墓地として使用されました。

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  • しつこいですが、、、<br />※この画像は、エジプトのアレクサンドリアにあるコム・エル・シュカファのカタコンベの入り口付近を捉えたものです。<br />この場所は、ローマ時代に造られた古代の共同墓地であり、アレクサンドリア最大のローマ式墓地です。<br />入り口の上部には、カタコンベ内部への直射日光や雨を防ぐための大きな日よけが設置されています。<br />地下深くへと続く螺旋階段が特徴で、その構造は古代エジプトとギリシャ・ローマの建築様式が融合しています。<br />この遺跡は、アレクサンドリアで最も重要な考古学的遺跡の一つとされています。

    しつこいですが、、、
    ※この画像は、エジプトのアレクサンドリアにあるコム・エル・シュカファのカタコンベの入り口付近を捉えたものです。
    この場所は、ローマ時代に造られた古代の共同墓地であり、アレクサンドリア最大のローマ式墓地です。
    入り口の上部には、カタコンベ内部への直射日光や雨を防ぐための大きな日よけが設置されています。
    地下深くへと続く螺旋階段が特徴で、その構造は古代エジプトとギリシャ・ローマの建築様式が融合しています。
    この遺跡は、アレクサンドリアで最も重要な考古学的遺跡の一つとされています。

  • ※画像に見られる壁画は、死者の魂が冥界の神々に迎え入れられる様子を描いたものと考えられています。<br />中央の人物は、エジプトの神アヌビス(ジャッカルの頭を持つ神)の影響を受けた姿で、両側の人物はローマ風の衣装を身につけています。

    ※画像に見られる壁画は、死者の魂が冥界の神々に迎え入れられる様子を描いたものと考えられています。
    中央の人物は、エジプトの神アヌビス(ジャッカルの頭を持つ神)の影響を受けた姿で、両側の人物はローマ風の衣装を身につけています。

  • ※壁画の詳細<br />場面: この壁画は、ライオンの形をした寝台(葬儀用の寝台)の上に横たわる故人のミイラ化の準備を描いたものです。<br />人物:<br />ミイラの両側には、葬儀の儀式を執り行う二人の女神、イシスとネフティスと思われる女性像が描かれています。<br />寝台の頭部付近には、ミイラ作りの神であるアヌビス(ジャッカルの頭を持つ神)が立っています。<br />アヌビスは、ローマ軍団兵の衣装を着用している場合が多く、これはエジプトとローマの文化の融合を示す顕著な例です。<br />寝台の下には、3つのカノプス壺(ミイラ化の際に内臓を保存するための容器)が描かれています。<br />様式: エジプトの伝統的な葬儀の場面でありながら、人物の描写にはギリシャ・ローマ的な写実主義が取り入れられており、独特のアレクサンドリア様式を形成しています。

    ※壁画の詳細
    場面: この壁画は、ライオンの形をした寝台(葬儀用の寝台)の上に横たわる故人のミイラ化の準備を描いたものです。
    人物:
    ミイラの両側には、葬儀の儀式を執り行う二人の女神、イシスとネフティスと思われる女性像が描かれています。
    寝台の頭部付近には、ミイラ作りの神であるアヌビス(ジャッカルの頭を持つ神)が立っています。
    アヌビスは、ローマ軍団兵の衣装を着用している場合が多く、これはエジプトとローマの文化の融合を示す顕著な例です。
    寝台の下には、3つのカノプス壺(ミイラ化の際に内臓を保存するための容器)が描かれています。
    様式: エジプトの伝統的な葬儀の場面でありながら、人物の描写にはギリシャ・ローマ的な写実主義が取り入れられており、独特のアレクサンドリア様式を形成しています。

  • ※壁画の詳細<br />この特定の壁画は、主埋葬室の3つの石棺の上のパネルのうち中央のもので、典型的なエジプトのミイラ作りの場面を描いています。<br />中央のライオンの形をした寝台には、死者であるオシリス神が横たわっています。<br />そのそばに立つのは、ジャッカルの頭を持つアヌビス神で、死者の神、ミイラ作りの神として、ミイラに処置を施している様子が描かれています。<br />寝台の下には、故人の内臓を保管するための4つのカノプス壺が描かれています。<br />寝台の頭側には、トキの頭を持つトト神が立ち、アヌビス神を助けています。<br />注目すべきは、このエジプトの伝統的な主題が、ローマ時代の様式で描かれている点です。例えば、アヌビス神はローマ兵の服装(槍や盾、胸当て)を身につけて描かれています。 <br />このフレスコ画は、紀元後2世紀頃のローマ支配下のエジプトにおける、文化の混合と死生観を視覚的に示しています。

    ※壁画の詳細
    この特定の壁画は、主埋葬室の3つの石棺の上のパネルのうち中央のもので、典型的なエジプトのミイラ作りの場面を描いています。
    中央のライオンの形をした寝台には、死者であるオシリス神が横たわっています。
    そのそばに立つのは、ジャッカルの頭を持つアヌビス神で、死者の神、ミイラ作りの神として、ミイラに処置を施している様子が描かれています。
    寝台の下には、故人の内臓を保管するための4つのカノプス壺が描かれています。
    寝台の頭側には、トキの頭を持つトト神が立ち、アヌビス神を助けています。
    注目すべきは、このエジプトの伝統的な主題が、ローマ時代の様式で描かれている点です。例えば、アヌビス神はローマ兵の服装(槍や盾、胸当て)を身につけて描かれています。
    このフレスコ画は、紀元後2世紀頃のローマ支配下のエジプトにおける、文化の混合と死生観を視覚的に示しています。

  • ※遺跡の概要<br />種類: 主に地下墓地(カタコンベ)として知られており、古代エジプト、ギリシャ、ローマの建築様式と文化が融合した独特な特徴を持っています。<br />歴史: 紀元2世紀に建設され、アントニヌス朝の皇帝たちが眠っていたとされています。1900年8月末に、馬車を引くロバの足が地面に沈んだことが発見のきっかけとなりました。<br />構造: 地下3階建てで、深さは約30メートルに達します。地下1階には、遺族が故人を偲び、ワインなどを飲みながら別れを告げた饗宴の間があります。地下2階の礼拝堂には、エジプトとギリシャの神々が融合した壁画が描かれています。<br />現在の状態: 現在、地下3階は浸水のため見学することはできません。 <br /><br />いいものを見ることができました。ここは特にオススメします!

    ※遺跡の概要
    種類: 主に地下墓地(カタコンベ)として知られており、古代エジプト、ギリシャ、ローマの建築様式と文化が融合した独特な特徴を持っています。
    歴史: 紀元2世紀に建設され、アントニヌス朝の皇帝たちが眠っていたとされています。1900年8月末に、馬車を引くロバの足が地面に沈んだことが発見のきっかけとなりました。
    構造: 地下3階建てで、深さは約30メートルに達します。地下1階には、遺族が故人を偲び、ワインなどを飲みながら別れを告げた饗宴の間があります。地下2階の礼拝堂には、エジプトとギリシャの神々が融合した壁画が描かれています。
    現在の状態: 現在、地下3階は浸水のため見学することはできません。

    いいものを見ることができました。ここは特にオススメします!

  • さて、アレキサンドリア観光も終え、カイロに戻ります。帰りは安いバスで帰ります。バス乗り場はNew Moharam Bek Station。朝、泊まったホステルのスタッフに聞いておきました。<br />カタコンベからてくてく42分程、、、。<br />写真は途中休憩のコーヒータイム!

    さて、アレキサンドリア観光も終え、カイロに戻ります。帰りは安いバスで帰ります。バス乗り場はNew Moharam Bek Station。朝、泊まったホステルのスタッフに聞いておきました。
    カタコンベからてくてく42分程、、、。
    写真は途中休憩のコーヒータイム!

  • 途中にあったモスク!<br />※アルカイード・イブラヒム・モスクは、エジプトのアレクサンドリアにある有名なモスクです。そびえ立つミナレット(尖塔)が特徴的で、ムスリムの礼拝所であると同時に、街の歴史的なランドマークでもあります。 <br />モスクの詳細<br />名称: アルカイード・イブラヒム・モスク (Al-Qaed Ibrahim Mosque)<br />所在地: エジプト、アレクサンドリアのラムル駅エリア<br />建築: イタリア人建築家マリオ・ロッシによって設計され、1948年に完成しました。<br />建築様式: ネオ・マムルーク様式とオスマン様式の影響が融合したデザインが特徴です。<br />歴史的意義: 2011年のエジプト革命中、抗議者たちの重要な集会所となりました。

    途中にあったモスク!
    ※アルカイード・イブラヒム・モスクは、エジプトのアレクサンドリアにある有名なモスクです。そびえ立つミナレット(尖塔)が特徴的で、ムスリムの礼拝所であると同時に、街の歴史的なランドマークでもあります。
    モスクの詳細
    名称: アルカイード・イブラヒム・モスク (Al-Qaed Ibrahim Mosque)
    所在地: エジプト、アレクサンドリアのラムル駅エリア
    建築: イタリア人建築家マリオ・ロッシによって設計され、1948年に完成しました。
    建築様式: ネオ・マムルーク様式とオスマン様式の影響が融合したデザインが特徴です。
    歴史的意義: 2011年のエジプト革命中、抗議者たちの重要な集会所となりました。

  • バスステーションに到着!

    バスステーションに到着!

  • このバスでカイロに戻ります、、、。1番のり!

    このバスでカイロに戻ります、、、。1番のり!

  • バス会社はウエストバス、、、

    バス会社はウエストバス、、、

  • 満席じゃなくても定時の16時に出発!(席はガラガラ、すいてました)<br />カイロ行きは頻発しているようです。料金は180ポンドなり。600円くらい、、、列車の1/7。

    満席じゃなくても定時の16時に出発!(席はガラガラ、すいてました)
    カイロ行きは頻発しているようです。料金は180ポンドなり。600円くらい、、、列車の1/7。

  • 2時間30分ほどでカイロ到着!マップスミーで着いた場所確認したら、そこはAbd El Moniem Riad。近くに、356 bus to the Airport とマップスミーに示された所があったので、ラッキー!、、、と思ってたら、356のバスなのに間違えちゃいました。マップスミーで空港行くはずと追跡してたら変な所へ行くではないですか!バス、間違えちゃいました。アラビア数字、すっかり忘れちゃったようです。<br />で、途中で下車し、パスタのチェーン店で今夜の夕食!<br /><br />※写真に写っている料理は、チキン入りトマトソースペンネと考えられます。ペンネアラビアータのようなシンプルなトマトソースの可能性もありますが、鶏肉の塊が見えるため、チキン入りのレシピが最も近いと考えられます。 <br />料理の特徴<br />パスタの種類: ペン先のように斜めにカットされた円筒状のショートパスタ「ペンネ」が使用されています。この形状はソースが筒の中に入りやすく、味が絡みやすいのが特徴です。<br />ソース: 赤みを帯びたトマトベースのソースで、具材として鶏肉の塊が確認できます。<br />味付け: アラビアータの場合、ニンニクや唐辛子を効かせたピリ辛の味付けが一般的です。

    2時間30分ほどでカイロ到着!マップスミーで着いた場所確認したら、そこはAbd El Moniem Riad。近くに、356 bus to the Airport とマップスミーに示された所があったので、ラッキー!、、、と思ってたら、356のバスなのに間違えちゃいました。マップスミーで空港行くはずと追跡してたら変な所へ行くではないですか!バス、間違えちゃいました。アラビア数字、すっかり忘れちゃったようです。
    で、途中で下車し、パスタのチェーン店で今夜の夕食!

    ※写真に写っている料理は、チキン入りトマトソースペンネと考えられます。ペンネアラビアータのようなシンプルなトマトソースの可能性もありますが、鶏肉の塊が見えるため、チキン入りのレシピが最も近いと考えられます。
    料理の特徴
    パスタの種類: ペン先のように斜めにカットされた円筒状のショートパスタ「ペンネ」が使用されています。この形状はソースが筒の中に入りやすく、味が絡みやすいのが特徴です。
    ソース: 赤みを帯びたトマトベースのソースで、具材として鶏肉の塊が確認できます。
    味付け: アラビアータの場合、ニンニクや唐辛子を効かせたピリ辛の味付けが一般的です。

  • で、近場の地下鉄駅見つけ、El Nozha駅へ。来た時と逆に、てくてくてくてく、、、。夜12時頃、カイロ国際空港ターミナル1に着きました。(道知ってると楽チン!)<br />で、いざチュニジアへ!<br /><br />&#11088;カイロ03:15発ーチュニス05:25着 <br />チュニスエア TU814<br /><br />エジプト、楽しめました、、、。<br /><br />自分のクチコミより、、、<br />「昨日はアレキサンドリアを観光し、16時発のバスでカイロに戻る。バスターミナルは泊まったホステルの方に教えてもらった。カタコンベ見学のあと、てくてくバスターミナルに向かう。16時発のバスがすぐ取れた。バス代は180ポンド。600円くらい。鉄道と比べたら、なんと安いことか。しかも3時間でカイロに到着。列車なら4時間かかるのに、、、。<br /><br />で、到着した所がちょうど空港行きバス乗り場近く。356番バスに乗ったつもりが、途中で間違いに気づく、、、。降りて夕飯(パスタ)を食ったあと、地下鉄で空港に向かう。アタバ駅からエルノザー駅へ。危ない危ない、この便終電だった。で、またまたてくてくてくてく1時間30分、、、。チュニス行きのチュニスエアはターミナル1。深夜0時頃到着。出発は朝3時。エジプトの空港は荷物検査がこれでもかと、しつこいくらい厳しかった。<br />この日もたっぷり歩きました。」

    で、近場の地下鉄駅見つけ、El Nozha駅へ。来た時と逆に、てくてくてくてく、、、。夜12時頃、カイロ国際空港ターミナル1に着きました。(道知ってると楽チン!)
    で、いざチュニジアへ!

    ⭐カイロ03:15発ーチュニス05:25着 
    チュニスエア TU814

    エジプト、楽しめました、、、。

    自分のクチコミより、、、
    「昨日はアレキサンドリアを観光し、16時発のバスでカイロに戻る。バスターミナルは泊まったホステルの方に教えてもらった。カタコンベ見学のあと、てくてくバスターミナルに向かう。16時発のバスがすぐ取れた。バス代は180ポンド。600円くらい。鉄道と比べたら、なんと安いことか。しかも3時間でカイロに到着。列車なら4時間かかるのに、、、。

    で、到着した所がちょうど空港行きバス乗り場近く。356番バスに乗ったつもりが、途中で間違いに気づく、、、。降りて夕飯(パスタ)を食ったあと、地下鉄で空港に向かう。アタバ駅からエルノザー駅へ。危ない危ない、この便終電だった。で、またまたてくてくてくてく1時間30分、、、。チュニス行きのチュニスエアはターミナル1。深夜0時頃到着。出発は朝3時。エジプトの空港は荷物検査がこれでもかと、しつこいくらい厳しかった。
    この日もたっぷり歩きました。」

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