2025/12/27 - 2025/12/27
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kasekunさん
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昨年の冬はフランス→→アルジェリア→チュニジア→イタリア(セボルガ)→マルタと周った。ただ、フェリーの関係でチュニジアはほぼ素通り、、、。で、今回はエジプト→→チュニジア→リビア→→スイスの旅。当初はエジプトからバスでリビアに入り、チュニジアへもバスで、、、そんな計画だったのだが、今はリビアeVISAが自由旅行には下りないとの情報を知り、急遽変更!現地旅行社に問い合わせ、チュニジアからリビアへ陸路入国、5泊6日1350ユーロの手配旅行に。
、、、結局、VISAが間に合わず、3泊4日1000ユーロの旅に。世界遺産ガダメスへは行けなくなってしまった。でも、世界遺産レプティス・マグナの考古遺跡、サブラタの考古遺跡は訪れることができた。レプティス・マグナ、、、今まで見たローマ遺跡では最高ですね。
航空券は、、、
往路 千歳→羽田→チューリッヒ→カイロ
帰路 カイロ→チューリッヒ→成田→千歳
ルフトハンザドイツ航空 14万
それに
カイロ→チュニス 2.5万
トリポリ→カイロ 3.5万
旅程が変わっていらない出費が増えてしまったが、チュニジア旅行にリビア旅行を加え、これでマグレブ諸国は終了。
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12/27、この日のフライトは千歳9:30ー羽田11:10 のLH4613便。
明日の羽田11:35ーミュンヘン17:55のLH715便、そして、ミュンヘン21:20ーカイロ翌2:05のLH586便への通しの航空券を買ったので、東京1日観光となった。
(帰りは、1/11、カイロ13:00ーチューリッヒ16:10の
LX239便、1/12、チューリッヒ13:05ー成田翌10:10
のLX160便、そして、成田17:50ー千歳19:35のLX4382便)
※東京駅は、東京都千代田区にある日本を代表するターミナル駅の一つです。
丸の内駅舎は、1914年(大正3年)に日本国有鉄道の駅舎として竣工した大規模な鉄骨煉瓦建築です。
西洋建築学を学んだ最初の日本人建築家である辰野金吾の代表作の一つとして知られています。
この駅舎は国の重要文化財に指定されています。 -
北海道に住む田舎者の自分、、、東京をしっかり観光することもそんなにない。しいて言えば、大学生だった時、当時兄貴が立川市にいたので、冬に遊びに行ったくらいか。この時、超満員電車、それから1/2に皇居一般参賀、それから靖国神社、増上寺、浅草寺なんかを見に行った。
今回の旅行で図らずも東京観光ができるということで、東京駅からてくてく皇居(江戸城)一周を試みた訳です。 -
※建築様式: 赤レンガ造りの欧風近代建築で、南北に丸ドームを持つ左右対称のデザインが特徴です。
歴史: 1914年の開業以来、日本の重要な交通拠点としての役割を担ってきました。
復原: 東日本大震災の被害を受け、創建当時の姿に復原する大規模な工事が行われ、2012年10月にグランドオープンしました。
文化財: 歴史的価値が認められ、国の重要文化財にも指定されています。 -
※駅舎の背後には近代的な高層ビルが立ち並び、歴史と現代が融合した景観を作り出しています。
日本人として改めて訪れて見ると、なんかすごいです。東京駅に降り立った外国人、この風景見て何を思うんでしょうね。、、、道には、ゴミ一つ落ちていない、、、 -
※この画像は、東京都千代田区にある皇居外苑の日比谷濠の風景です。
皇居は、日本の象徴である天皇陛下と皇族の方々のお住まいです。
日比谷濠は、江戸城内濠の一部で、祝田橋から馬場先門までの間に位置しています。
濠沿いには、帝国劇場や丸の内警察署などの建物が並ぶ日比谷通りがあります。
東京駅から皇居へは、丸の内口を出て西に向かうとすぐに到着できます。
、、、そう、江戸城は東京駅からすぐそこでした。 -
この皇居外苑 (The outer garden of the imperial palace)をぐるりと廻る、、、
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※この画像は、東京都千代田区にある皇居外苑の皇居前広場付近の様子を捉えたものです。
皇居外苑は、皇居を取り巻く広大なエリアで、皇居前広場、二重橋、北の丸地区、お濠などで構成されています。
この場所はかつて江戸時代に有力な大名屋敷が立ち並んでいた場所です。
東京メトロ千代田線の二重橋前駅や日比谷駅から徒歩数分とアクセスが非常に良い場所にあります。
広大な芝生広場や歴史的な建造物があり、散策や史跡巡りの人気のスポットとなっています。 -
※画像に写っているのは、皇居の巽櫓(たつみやぐら)です。
江戸城の遺構の一つであり、現在の皇居内に位置しています。
天守閣から見て「巽」(東南)の方角にあることからこの名が付けられました。
白い壁が特徴的で、眼下の桔梗濠(ききょうぼり)の水面に映る姿が優美です。
戦闘時には防御の要として、また望楼や武器庫としての役割を担っていました。 -
※この画像は、皇居の**桔梗門(ききょうもん)**を捉えたものです。
桔梗門は、江戸城の内桜田門とも呼ばれていました。
かつて大名などの登城は、大手門とこの桔梗門に定められていました。
門の手前には桔梗濠(ききょうぼり)が広がっており、その反射が美しい景色を作り出しています。
一般の人は通常通行禁止ですが、皇居一般参観や特定の一般公開時に見学することができます。 -
※この画像は、皇居外苑から皇居東御苑へ通じる桔梗門(内桜田門)とその周辺の様子を捉えたものです。
桔梗門は、現在の皇居東御苑にある皇宮警察本部前へと通じる土橋に架かる門です。
江戸城本丸南口の通用門であり、「内桜田門」とも呼ばれていました。
門の名前は、最初に江戸城を築城した太田道灌の家紋が桔梗紋であったことに由来すると伝えられています。
この門は1614年(慶長19年)に造られました。 -
※画像に写っているのは、皇居(旧江戸城西の丸)の坂下門と考えられます。
江戸城西の丸造営直後に築かれた門で、江戸時代には西の丸大奥に近い通用門として利用されていました。
現在は宮内庁の出入口として利用されており、通常は一般の立ち入りはできません。
門の手前には内濠の蛤濠と二重橋濠の間に架かる坂下門橋があります。
1862年には、老中安藤信正がこの門外で水戸浪士に襲われる「坂下門外の変」が発生した歴史的な場所でもあります。 -
※坂下門
坂下門は、かつてこの城の主要な入り口の一つでした。その歴史は古く、築城当初から重要な防御拠点として機能してきました。
門は堅固な木造建築で、特徴的な屋根と頑丈な扉を備えています。これらの特徴は、当時の建築技術と軍事的な必要性を反映しています。
案内板には、門の正確な位置を示す地図と、様々な角度から撮影された写真が含まれており、訪問者がその重要性を理解するのに役立ちます。 -
※画像は皇居外苑の風景を捉えています。
手前には警備員詰所があり、その奥には石垣と堀が見えます。
詰所の横の道は、皇居へと続く入り口の一つである桔梗門(ききょうもん)方面へと続いています。
左側には立派な松の木が植えられており、皇居周辺の伝統的な景観を形成しています。
この場所は、丸の内警察署の近くに位置しています。
足元には、この地域の歴史や景観に関する説明板が設置されています。 -
※この画像は、皇居内にある二重橋(正門鉄橋)の光景を捉えたものです。
正式名称は「皇居正門鉄橋」といいます。
江戸時代に木橋だった際、濠が深かったため橋桁を支える台を二重に組んだことが通称「二重橋」の由来です。
現在の鉄橋は、明治22年(1889年)にドイツ人技師ウィリアム・ハイゼの設計により架け替えられました。
一般参賀や外国賓客の接遇の際などに渡られる特別な橋です。 -
※画像は皇居正門前の二重橋(厳密には奥の正門鉄橋)です。
この場所は東京都千代田区にあり、かつては江戸城でした。
「二重橋」は、厳密には正門石橋の奥にある正門鉄橋(かつて橋桁を支えるために橋を重ねた構造だったことに由来)を指します。
通常、一般の観光客は正門石橋を渡ることはできません。
新年や天皇誕生日の一般参賀の際、または事前の手続きを済ませた皇居参観時にのみ、この橋を渡ることができます。 -
※この画像は、皇居の正門石橋と、その奥に見える正門鉄橋(一般に「二重橋」と呼ばれる橋)の瞬間を捉えたものです。
皇居前広場から宮殿へ向かう濠に架かる2つの橋の総称として知られていますが、厳密には奥の鉄橋(正門鉄橋)を指します。
現在の石橋は明治20年(1887年)に建造されたものです。
かつて江戸時代には「西の丸下乗橋」という名の木橋が架かっており、橋桁を支えるために土台の上に橋を重ねた二重構造に見えたことが「二重橋」の通称の由来とされています。
この場所は、日本の象徴である天皇陛下のお住まいである皇居の一部です。 -
※画像は皇居の二重橋(にじゅうばし)です。
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※この案内板は、皇居正門と二重橋の歴史と構造について説明しています。
正門は通常閉鎖されており、天皇陛下や国賓が通る際にのみ開門されます。
二重橋は、正門から宮殿に向かう途中の濠に架かる2つの橋(手前の石橋と奥の鉄橋)の総称です。
奥の鉄橋は、昔は木造で高低差があったため、二重構造(二段橋)になっていました。
現在の鉄橋は1964年に再建されたもので、二重構造ではありませんが、その名前だけが残っています。 -
※この看板は、皇居周辺の歩道を利用する際のマナーについて説明しています。ランナーや歩行者が安全かつスムーズに通行するための重要なルールが記載されています。
歩道は歩行者優先です。
周回する際は反時計回りに通行します。
狭い場所では一列になって通行し、歩道をふさがないようにします。
ごみは必ず持ち帰ります。 -
※この画像は、東京都千代田区にある皇居外苑の桜田門(さくらだもん)です。
高麗門形式で建築された桜田門と、その右に配置されている桜田櫓門の2つの建築物の総称です。
扉の釣金具には「寛文三年」の銘が入っており、江戸時代から現存する貴重な建築物です。
安政7年(1860年)に大老井伊直弼が暗殺された「桜田門外の変」の舞台となった場所としても知られています。
小田原街道の始点にあたり、小田原口とも呼ばれていました。 -
※皇居外苑 桜田門
桜田門は、かつての江戸城の主要な門の一つでした。高麗門と渡櫓門からなる典型的な枡形門の構造をしています。この門は、1860年に井伊直弼が暗殺された「桜田門外の変」の舞台として歴史的に有名です。現在の門は江戸時代初期に建てられたもので、国の重要文化財に指定されています。 -
※桜田門について
歴史:桜田門は1620年頃に完成した旧江戸城の門で、現存する最大の門の一つです。
別名:正式には「外桜田門」と呼ばれ、本丸に近い「内桜田門」(桔梗門)と区別されています。
構造:外側の高麗門と内側の渡櫓門という二重構造の枡形門の形態を今に残しており、堅固な造りを見学できます。
有名な事件:1860年に江戸幕府の大老・井伊直弼が水戸浪士らによって暗殺された「桜田門外の変」の舞台として最もよく知られています。
現在の用途:現在は皇居外苑の一部となっており、皇居ランナーがコースの起点として利用したり、一般の観光客が訪れたりしています。 -
※江戸城は、徳川家康が1603年に征夷大将軍に任じられた後、幕府の拠点として築城されました。
城は、本丸、二の丸、三の丸、西の丸、吹上、北の丸の6つの区域から構成されていました。
天守閣は、1657年の明暦の大火で焼失した後、再建されませんでした。
明治維新後、城は皇居となり、現在に至っています。 -
※この銅像は、皇居外苑にある楠木正成像です。鎌倉時代末期から南北朝時代の武将である楠木正成公の騎馬像で、以下の特徴があります。
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※国内で最も名高い銅像の一つで、上野公園の西郷隆盛像、靖国神社の大村益次郎像と共に「東京の三大銅像」に数えられています。
高さ約4m、台座を含めると約8mの高さを誇り、その荘厳な姿は圧巻です。
甲冑をまとい、馬上で手綱を引いて馬を止めんとする姿は、元弘3年(1333年)に後醍醐天皇を出迎えた際の勇姿を象ったものです。
明治政府は、天皇への忠誠心の模範としてこの像を建立しました。 -
※この画像には、東京・丸の内周辺の複数の高層ビルが写っています。
中央のツインタワーは丸の内ビルディング(丸ビル)と新丸の内ビルディング(新丸ビル)です。
右側のビルは、東京海上日動火災保険の本店ビルです。
複数のタワークレーンが見えることから、周辺では再開発工事が進行中であることがわかります。
丸ビルは1923年に建築され、関東大震災や第二次世界大戦の戦禍を逃れた歴史ある建造物です。 -
※画像に写っているのは、皇居東御苑の入り口にある江戸城の門の一つ、大手門と考えられます。
高麗門と渡櫓型の櫓門で構成された典型的な枡形門です。
かつては将軍の出入りにも使われる正式な門であり、皇居東御苑のメインゲートとなっています。
現在の門は再建されたものですが、江戸時代の面影を残しています。
周辺はオフィス街に近く、歴史的な景観と現代的な風景が混在しています。 -
※画像に写っているのは、皇居東御苑の大手門渡櫓と考えられます。
皇居は、かつての江戸城跡地に位置しています。
東御苑は、旧江戸城の本丸・二の丸・三の丸の一部を整備した皇居附属庭園で、一般に公開されています。
江戸城は、徳川将軍家の居城として知られ、広大な敷地を誇りました。
この場所は東京都の中心地にあり、歴史的な建造物と近代的な都市景観が隣接しているのが特徴です。 -
※写っている建物は皇居東御苑内にある同心番所(どうしんばんしょ)と考えられます。
歴史: 江戸時代、徳川幕府の居城であった江戸城の一部であり、当時の史跡が数多く残されています。
役割: 同心番所は、大手門付近に位置し、江戸城の正門警備を担う下級武士(同心)たちの詰所でした。
一般公開: 東御苑は現在、予約不要で一般公開されており、歴史を感じながら散策が楽しめます。 -
※この画像は、江戸城本丸の入り口を守衛していた「百人番所」です。
江戸城最大の検問所であり、大手三の門を抜けた先に位置しています。
根来組、伊賀組、甲賀組、二十五騎組(廿五騎組)という4組が交代で警護にあたっていました。
各組には与力20人、同心100人が配置され、昼夜を問わず警護を行っていました。
長さは50メートルを超えます。 -
※この建物は、皇居東御苑にある大番所(おおばんしょ)と考えられます。
江戸時代、江戸城本丸への入り口である中之門を警備するために設置された番所です。
現在、東御苑内に現存する番所の中では最大規模の建物です。
内部には、警備にあたっていた同心や与力の詰所が再現されています。
皇居東御苑は、かつての江戸城本丸・二の丸・三の丸の一部を公開している場所です。 -
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※写っているのは、皇居東御苑内にある江戸城の天守台(天守閣の石垣基礎)です。
場所: 皇居東御苑内(東京都千代田区)
歴史: 江戸城の天守閣は「明暦の大火」(1657年)で焼失しました。その後、加賀藩前田家によって現在の高さ約18メートルの花崗岩の天守台が築かれましたが、幕府の方針により天守閣自体は再建されませんでした。
規模: 現存する天守台は、幅約41メートル(東西)、長さ約45メートル(南北)、高さ約11メートルあります。 -
※画像に写っているのは、皇居東御苑内にある**桃華楽堂(とうかがくどう)です。
香淳皇后(昭和天皇の皇后)の還暦を記念して建設されました。
1966年(昭和41年)2月に落成しました。
八角形の建物で、外壁は有田焼や信楽焼の陶片、タイルを使ったモザイクで彩られています。
約200名収容可能な音楽ホールです。 -
※皇居東御苑の天守台跡地からの眺めのようです。ここはかつて江戸城の天守閣があった場所で、現在は広場になっており、周囲の景色や近代的な東京のビル群を望むことができます。
場所の特定: 画像は、東京の皇居東御苑内にある天守台(天守閣跡)から撮影された風景と一致しています。
特徴: 広々とした砂利敷きの展望スペースがあり、多くの人が休憩したり景色を楽しんだりしています。手前には複数のベンチと柵が設置されています。
背景: 後方には木々が生い茂り、その向こうには都心の建物が見え隠れしており、歴史的な場所でありながら都会の中心部に位置していることがわかります. -
※この画像は、皇居東御苑(旧江戸城跡)内の風景を捉えたものです。
江戸幕府の中心地であった江戸城の本丸、二の丸、三の丸の一部が一般公開されています。
現在、天守閣は残っておらず、天守台の石垣のみが現存しています。
画像に写っている建物は、江戸城の遺構の一部である番所(警備所)の可能性があります。
都心の高層ビル群を背景に、歴史的な遺構と自然が調和した景色が広がっています。 -
※この画像は、皇居東御苑にある江戸城天守台跡から東京の都市景観を眺めている瞬間を捉えています。
皇居東御苑は、かつての江戸城本丸、二の丸、三の丸の一部を整備した皇居附属庭園として、1968年から一般公開されています。
天守台は、江戸城のシンボルであった天守閣が建っていた台座部分で、現在天守閣は残っていません。
高さ約11m、四方40m以上ある日本最大の天守台であり、東京の摩天楼を一望できる人気の観光スポットです。
一般公開されており、入園は無料です。
背後には東京駅周辺の高層ビル群が広がり、歴史と現代が融合した東京らしい景色を楽しむことができます。 -
江戸城天守台の石垣が見えます。
皇居東御苑は一般に公開されており、歴史と自然を感じられる都心の憩いの場となっています。
かつての江戸城の遺構が石垣や堀、門などに残されています。
背後には東京の高層ビル群が広がっており、歴史的景観と現代都市の対比が印象的です。
※閉門時刻が近づき、皆さん戻っています、、、 -
※この画像は、東京都千代田区にある皇居東御苑の風景です。
皇居東御苑は、かつての江戸城本丸・二の丸・三の丸の跡地を整備した皇居附属庭園です。
昭和43年(1968年)から一般公開されており、入園は無料です。
特別史跡に指定されており、富士見櫓や天守台など、江戸時代の歴史を感じられる見どころが多くあります。
四季折々の花の名所としても人気があります。 -
※この案内板は、現在の皇居東御苑にある江戸城本丸御殿跡地について説明しています。かつて天守台から見えた大芝生周辺には本丸御殿の建物が立ち並び、表(公式行事・執務)、中奥(将軍の生活・政務)、大奥(将軍の家族や女性の生活)の三つの空間に分かれていました。
場所:皇居東御苑(東京都千代田区)
本丸御殿の区分:表、中奥、大奥の三つ
表の用途:公的な儀式や幕府役人の執務の場
大奥の用途:将軍の正妻や女性たちの生活の場 -
※この看板は、江戸城の天守台について説明しています。
天守台は、天守閣を載せるための石垣の土台です。
江戸城の天守は、徳川家康、秀忠、家光の将軍の代替わりごとに築き直されました。
1657年の明暦の大火で焼失した後、再建されませんでした。
現在は皇居東御苑として一般公開されており、天守台の石垣を見学できます。 -
※天守台は、江戸城がかつて日本一の城であったことを示す遺構の一つです。
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※画像は皇居東御苑内にある桃華楽堂(とうかがくどう)です。
昭和天皇の皇后である香淳皇后の還暦を記念して建設されました。
1966年(昭和41年)2月に落成した八角形の音楽堂です。
外壁は有田焼や信楽焼の陶片、タイルなどを用いたモザイクで彩られています。
旧江戸城の本丸・二の丸・三の丸の一部を整備した皇居東御苑内に位置し、天守閣跡にも隣接しています。 -
※この画像は、皇居東御苑内にある汐見坂(しおみざか)の様子を捉えたものです。
汐見坂は、江戸城の本丸と二の丸をつなぐ坂道でした。
かつては、この坂から日比谷入江の海を眺めることができたため、この名が付けられました。
坂の上には汐見坂門が設けられていました。
この石垣は、古い年代の「打込接(うちこみはぎ)」という工法で築かれています。
石垣の一部には火災で破損したため新しい石材が使用されている箇所もあります。 -
※皇居東御苑内にある「汐見坂」についての説明板です。
場所: 江戸城本丸の北側、旧本丸と二の丸の境界付近。
歴史: かつては坂の上から江戸湾(日比谷入江)を望むことができたため、この名が付けられました。
現状: 現在は周辺の埋め立てにより海を見ることはできませんが、歴史的な景観の一部として残されています。 -
※この画像は、裏込め石(はいりごめいし)と呼ばれる砕石や栗石を石垣内部に配置することで、雨水を排出し、地震時の揺れを緩和して崩れにくくしている城の石垣です。
石垣は、未加工の石を接着せずに積み上げていることが多い石積みとは異なり、建築的な構造物として設計されています。
内部の裏込め石が排水機能と緩衝機能を果たすことで、石垣全体の安定性を高めています。
この技術は、日本の城郭建築における重要な特徴の一つです。 -
※画像は皇居東御苑(旧江戸城の本丸・二の丸・三の丸の一部)にある大手門です。
皇居東御苑は、かつての江戸城の本丸、二の丸、三の丸の一部を整備した皇居附属庭園で、1968年から一般公開されています。
大手門は、敵の侵入を防ぐための「枡形」と呼ばれる形式の城門で、周囲の白壁には銃を撃つための「狭間」と呼ばれる穴があります。
この枡形は、築城の名手として知られる藤堂高虎によって設計されたと言われています。
東御苑内には、天守閣跡の石垣、番所、櫓など、往時の江戸城を偲ばせる史跡が保存されています。 -
※この場所はかつて江戸城の本丸・二の丸・三の丸の一部であり、現在は皇居附属庭園として一般公開されています。
写っている石垣は、江戸時代の徳川将軍家の居城であった江戸城の防衛機能の一部です。
「大手門」は城の正面玄関を指し、この近くに位置する地名「大手町」の由来となっています。
皇居東御苑への入園は無料です。 -
※この画像は皇居東御苑の大手門です。
大手門は、高麗門と渡櫓型の櫓門で構成される典型的な枡形門です。
将軍がこの門から出入りするのが正式な作法であり、東御苑のメインゲートとなっています。
入園料は無料です。 -
※大手門は、かつての江戸城の正面玄関にあたる門です。
皇居東御苑は、皇居の一部で一般に公開されているエリアです。
入園は無料ですが、休園日があります(月曜日、金曜日、年末年始など)。
江戸城は、1638年に三代将軍家光の代に国内で最も大きな天守閣が誕生するなど、大規模な城下町として発展しました。 -
ここは大手門警備派出所、、、
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※この画像は、東京都千代田区にある皇居東御苑のお濠の景色を捉えたものです。
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※画像は皇居東御苑の案内板を示しています。皇居東御苑は、かつての江戸城本丸、二の丸、三の丸の一部を整備した皇居附属庭園です。
面積は約21万平方メートルです。
1968年(昭和43年)10月1日から一般公開されています。
宮中行事に支障のない限り、一般の人が無料で入場できます。
園内には、江戸城の遺構や四季折々の草花が楽しめます。 -
※この画像は、東京都千代田区にある皇居大手門の枡形(ますがた)と濠(ほり)を捉えたものです。
大手門は江戸城の正面玄関にあたり、敵の侵入を防ぐための防御機能を持っています。
現在の枡形は、慶長年間(1596~1625年)に築城の名手である藤堂高虎によって設計されたと言われています。
周囲の白い壁には、鉄砲を撃つための「狭間(はざま)」と呼ばれる穴があります。
濠の水面には、門の建物や空の光景が美しく映り込んでいます。
これにて江戸城散策終了! -
せっかくなので、近場の周辺を見に行ってきました。
※この銅像は、東京の皇居大手濠緑地にある和気清麻呂像です。
奈良時代末期から平安時代初期にかけて活躍した廷臣、和気清麻呂公の姿を模しています。
彫刻家の佐藤朝山(佐藤清蔵)による作品で、高さは約4.2メートルです。
昭和15年(1940年)に皇紀2600年を記念して建立されました。
道鏡事件において、道鏡の皇位継承の野望を阻止した功績で知られています。 -
※像は、宇佐八幡の神託を奏上するため宮中に参内する威風堂々とした姿を表現しており、高さは約4メートルあります。
東京の三大銅像の一つに数えられることもあります。 -
ついでにいつか来たかった平将門首塚にも、、、
※画像に写っているのは、平将門の首を祀る「将門塚」に関する説明板です。この塚は東京都指定旧跡(文化財)であり、その歴史的背景と伝説について記されています。
将門塚
平将門の首塚は、長きにわたりこの地に祀られてきました。幾多の災害や戦災に遭いながらも、その都度、心ある人々の手により再建・維持されてきました。これは、将門公に対する人々の畏敬の念と、この地が持つ歴史的な重みを物語っています。
この度、将門公千百年御遠忌記念事業として、皆様の温かいご支援をいただき、首塚の改修工事を完了いたしました。この歴史的遺産を後世に継承するため、引き続き皆様のご理解とご協力をお願い申し上げます。
令和三年四月
将門塚保存会
千代田区長 -
※この画像は、東京都千代田区大手町にある将門塚(しょうもんづか)です。平安時代の豪族、平将門公の首を供養するために建てられた塚(首塚)で、いくつかの伝説があります。
将門塚は、東京のオフィス街の中心部に位置しています。
京都で晒された将門の首が、関東へ飛んで帰ってきたという伝説から、「帰る」にちなんでカエルの置き物が奉納されています。
神田明神は平将門を祭神の一柱として祀っており、将門塚保存会が塚の管理を行っています。
この場所は東京都指定の旧跡となっています。
塚を撤去しようとすると不吉な出来事が起きるという伝説から、現在も再開発を免れ続けていると言われています。 -
※画像は「将門塚」と呼ばれる史跡です。これは平安時代中期の豪族、平将門の首を祀るために建てられた墳墓です。
平将門は朝廷に反乱を起こし、天慶の乱(940年)で討ち取られました。
彼の首は京都で晒し首にされましたが、何ヶ月経っても腐らず、夜ごと「体はどこにあるのか」と叫び、故郷である関東を目指して飛んで行ったという伝説があります。
首が落ちたとされる場所がこの「将門塚」で、地元の人々は祟りを恐れて手厚く供養し、神田明神に神として祀りました。
現代の逸話
この場所は現在、東京の金融街の中心地という世界有数の高価な土地にありますが、その歴史的経緯と祟りの伝説から、誰も手を出せないパワースポットとなっています。
過去にこの塚を移動させたり、上に建物を建てようとしたりする試みは、関係者の不審死や事故、落雷による火災などの不幸な出来事が続いたため、計画は中止され、元の場所に塚が復元されました。
現在も周辺の企業や地元の人々によって大切に管理・清掃されており、毎朝、新鮮な花が供えられています。 -
※東京都指定旧跡 将門塚
平将門は、平安時代中期、坂東八ヵ国(現・関東地方)で大規模な反乱(天慶の乱)を起こし、940年に亡くなりました。享年は三十八歳と伝わります。
徳治二年(1307年)、遊行寺二世他阿真教上人が江戸に来た際、将門塚が荒れ果てていたため塚を修復し、板石塔婆を建て、近くの日輪寺において供養したとされます。その霊は神田明神において祀られ、神田明神が移転した後も塚はこの地に残りましたが、大正十二年(1923年)の関東大震災後、大蔵省再建に際して撤去されました。
幾多の変遷の後、令和三年(2021年)に第六次整備が史蹟将門塚保存会などにより行われ、現在のようになりました。
令和三年五月 -
※この場所は日本の歴史や伝説に興味がある方にとって非常に興味深いスポットですが、将門の胴体が埋葬されたとされる場所は茨城県坂東市にある国王神社付近や延命院境内と伝えられています。
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※画像に写っている建物はKKRホテル東京(東京共済会館)です。
東京メトロ東西線の竹橋駅に直結しており、アクセスが非常に良いです。
皇居のお堀のそばに位置しており、周辺には多くのレストランやカフェがあります。
観光やビジネスの拠点として利用されており、シモンズ製のベッドを備えた客室を提供しています。
国家公務員共済組合連合会(KKR)が運営する宿泊施設ですが、一般の方でも宿泊可能です。 -
※この画像は、夕暮れ時の皇居周辺の風景を捉えたものです。
堀の水面に周囲の建物や空が反射しており、静かな雰囲気を醸し出しています。
皇居周辺は「皇居ラン」と呼ばれるランニングコースとしても人気があります。
コースは1周約5kmで信号がなく、ペースを保ちやすいのが特徴です。
一般参観では、皇居内のコースを徒歩で巡ることも可能です。
このエリアは、都心にありながら緑が多く、歴史的な名所も見どころの一つです。 -
※画像に写っているのは、皇居の平川橋と平川門周辺の風景です。
平川橋は江戸時代に架けられた木橋の姿を唯一そのまま残している貴重な橋です。
反りを持つ太鼓型をしており、かつては橋の下を舟が通航していたことからこの形になったと言われています。
平川門は江戸城三の丸の正門にあたり、大奥に通じる奥女中の通用門だったため別名「お局門」とも呼ばれます。
また、城内の死者や罪人などの出口とされていたことから「不浄門」とも呼ばれていました。
地下鉄竹橋駅が最寄りです。 -
※平川橋は内濠に架かる木橋で、現在の橋は1988年(昭和63年)に改架されたものです。
平川門は江戸城三の丸の正門であり、江戸時代の姿をそのまま残す貴重な門です。
かつては本丸大奥に通じる奥女中の通用門や、場内の死者・罪人の出口として使われていたため、「お局門」や「不浄門」とも呼ばれていました。
門は第一の門(高麗門)と第二の門(渡櫓門)から成る枡形門の形式で、防御に適した構造になっています。
最寄り駅は地下鉄東西線の竹橋駅です。 -
※画像に写っているのは竹橋です。
東京都千代田区北の丸公園にあり、清水濠(しみずぼり)の上に架かっています。
一ツ橋一丁目と北の丸公園を結んでいます。
橋の名前は、もともと竹で編んだ橋が架かっていたことに由来すると伝えられています。
近くには東京メトロ東西線の竹橋駅(たけばしえき)があります。
明治時代には、橋の西詰に近衛砲兵大隊竹橋部隊が駐屯しており、1878年(明治11年)に西南戦争後の処遇を巡る竹橋事件の舞台となりました。 -
※皇居は、明治天皇以降、現在の天皇陛下までの歴代天皇のお住まいです。
江戸城が明治元年に皇居とされ、翌年に明治天皇が京都から移り住んで現在に至ります。
宮殿や宮内庁庁舎がある西の丸地区、御所がある吹上地区、そして本丸・二の丸・三の丸跡地の皇居東御苑などから構成されています。
皇居の一部は、皇居一般参観や皇居東御苑として一般公開されています。 -
※画像は皇居の乾門(いぬいもん)です。
江戸城の北西(乾)の方角にあったことから名付けられました。
現在の門は明治時代に建てられた比較的新しいもので、京都風の様式を持っています。
通常は閉じられていますが、春(桜の時期)と秋(紅葉の時期)の皇居乾通り一般公開の際に出入口として使用されます。
この一般公開では、坂下門から入場し、乾門から退出するのが通常のルートです。 -
※この画像は皇居乾門(こうきょいぬいもん)です。
乾門は皇居の北西に位置し、通常は閉鎖されていますが、春の桜や秋の紅葉の時期に「乾通り」が一般公開される際の出口として知られています。
乾門の最寄り駅は竹橋駅で、直線距離で約580mです。
皇居は東京都千代田区の中心部に位置しています。
この場所は、かつて江戸城だった場所にあります。 -
※この建物は、旧近衛師団司令部庁舎です。
1910年(明治43年)に竣工しました。
当時の陸軍技師、田村鎭によって設計されました。
もとは近衛師団司令部として使用されていました。
関東大震災や第二次世界大戦を乗り越え、ほぼ完全な姿で現存しています。
現在は東京国立近代美術館工芸館として利用されていましたが、工芸館は金沢市に移転しました(2020年10月25日)。 -
※この画像は、東京の皇居外苑における夜のランニングの様子を捉えたものです。皇居外周は約5kmのコースとなっており、多くのランナーに利用されています。
信号がないため、ノンストップで走ることができます。
多くのランナーが利用する人気のコースで、「ランナーの聖地」とも呼ばれています。
ランナーは反時計回りに走るという暗黙のルールがあります。
コース周辺には、着替えやシャワー設備を備えたランナーズステーションが多数あります。 -
※皇居では、二重橋などの橋や門がお濠に映るよう、LED照明による落ち着いた夜間景観が作られています。
このライトアップは、東京電力管内の電力需給逼迫時には一時停止されることがあります。 -
あれに見えるは国会議事堂?
※画像に写っているのは国会議事堂です。
17年の歳月をかけて建設され、1936年11月に竣工しました。
鉄骨鉄筋コンクリート造の3階建てですが、中央部分のみ4階建てとなっています。
夜間はライトアップされており、日本夜景遺産にも登録されています。
日本の議会政治の中心地です。 -
せっかくなので、6年社会科で学習する国会議事堂に、、、。ここで日本の政治が進められている、、、
※日本の立法機関である国会が開かれる場所です。
法律の制定や予算の議決、内閣総理大臣の指名などが行われます。
東京メトロ国会議事堂前駅から徒歩3分の場所に位置しています。
平日のほか、土日祝日も参観が可能です。 -
※この画像は、東京都千代田区永田町にある衆議院憲政記念館の周辺地図です。憲政記念館は、日本の議会開設80年を記念して1972年に開館しました。
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東京の皇居外苑にある桜田門(さくらだもん)がライトアップされている様子です。
桜田門は、江戸城の遺構の一つであり、国の重要文化財に指定されています。
通常は夜間に閉鎖されていますが、特定の期間(主に年末年始など)に初めてライトアップが実施されたことがあります。
白い壁と石垣が照明によって鮮やかに浮かび上がり、昼間とは異なる幻想的な雰囲気を醸し出しています。
このライトアップは、東京駅周辺のイルミネーションと連携して行われることもあり、観光客やランナーを楽しませています。 -
※画像は、東京の丸の内イルミネーションの様子を捉えたものです。
丸の内エリアのメインストリートである丸の内仲通りを中心に開催される冬の風物詩です。
約1.2kmにわたる200本以上の街路樹が、丸の内独自の「シャンパンゴールド」のLED約100万球で彩られています。
ショッピングやビジネスの中心地であり、多くの人々が訪れる人気のスポットです。
毎年、クリスマスシーズンを含む特定の期間に実施されます。 -
で、東京駅から皇居一周てくてく散策は終了!
※東京駅丸の内駅舎は、日本の鉄道網の中心となる歴史的な建造物です。
辰野金吾の設計により1914年(大正3年)に創建されました。
横幅約335m、地上3階建て、地下2階のレンガ造りの建物が特徴です。
南北それぞれにドームがあり、内部には干支をモチーフにした彫刻や鳳凰のレリーフなどが見どころです。
夜間は温かみのある照明でライトアップされ、周辺のオフィスビル群との対比が美しい夜景スポットとしても知られています。
今晩は羽田空港で空港泊、、、
そうそう、、、この東京の写真、役立ちました。リビアで一緒に回ったガイドのバドュルさんやツーリストボリスのバシールさんにこの写真見せて、日本の様子を紹介できました。
「ゴミが落ちてない!」「とってもきれい!」そんな感想いただきました!
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