2025/12/27 - 2025/12/27
2905位(同エリア4986件中)
サバーイさん
聖ドミニコ教会に併設されている博物館「玫瑰堂聖物寶庫(St. Dominic’s Church Museum --Treasure of Sacred Art)」に初めて足を踏み入れました。その資料の1点1点が大変興味深く、一味違った街歩きになりました。
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世界遺産ではないものの、ポルトガル統治時代の面影を残す歴史的建造物である中央郵便局。セナド広場に面して重厚な雰囲気を醸し出しています。
(現在時刻は12:35) -
⑫セナド広場は12月の終わり、まだクリスマスのデコレーションが残っていました。
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日が落ちるときれいなイルミネーションが点灯されます。
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市政署もこんな風にライトアップされていました。
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セナド広場の入り口に立つ標識。
この一帯は右を向いても、左を見ても世界遺産だらけです。 -
セナド広場の端に、昔ながらの焼き栗屋さん。
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大きな、高温の鉄のドラムの中で、砂利や医師に混じってじっくり加熱されます。
いろいろなものがアップデートされたマカオのなかで、ホッとした瞬間です。 -
甘栗屋さんの路地を少し進むと⑬三街會館(關帝廟)。
マカオの商業の中心地であった3つの主要な通り營地大街、関前街、草堆街の3つの通りに集まる商人たちが会合を開き、共同で運営する場所であったことから、「三街会館」と呼ばれるようになりました。
またここは、三国志の英雄である関羽を神格化した「関帝」を祀るお寺であり、その信仰が厚いことで知られています。 -
セナド広場に戻りました。
祖国ポルトガルが大航海時代を迎える中、過酷な航海で命を落とす船員の家族や未亡人、孤児たちを見て、初代マカオ司教であるドン・ベルキオール・カルネイロは、彼らを救済する必要性を強く感じました。そこで、1569年に仁慈堂が設立されました。設立の際にモデルとなったのは、祖国ポルトガルで最も著名で古い慈善団体の建物でした。
⑭仁慈堂は、アジアで最初に設立された慈善施設であり、マカオで最初の西洋式病院や、孤児院、精神病院などの慈善福祉施設の創設と運営に深く関わりました。 -
ライトアップされた仁慈堂大楼 (Santa Casa da Misericórdia)。
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仁慈堂の横の路地は夜になると、こんな幻想的な雰囲気になります。ただ、写真を撮る観光客が絶えないため、なかなかそれに浸れないのが難です。(背後には順番待ちの人たちがずらっといるのです)
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仁慈堂右巷を抜けたすぐ先に、カトリック教会のマカオ総本山である⑮主教座教会(大堂)があります。
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主教座(カテドラル)とは、”カテドラ”のある教会のこと。カトリック教会には「教区」と呼ばれる地域的区分があり、それぞれの「教区」には教区長である司教または大司教がいます。(日本には15の教区があります)
この(大)司教が司式するための“着座椅子”をギリシャ語で《カテドラ》といいます。 -
マカオには教区は一つしかないため、ここがマカオの大司教の座がおかれる Sé Catedral (= the Cathedral) なのです。
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広東語ではカテドラルは「大堂」です。
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19世紀にマカオに居住したイギリス人画家ジョージ・チネリーのスケッチをもとにした、当時のマカオの様子(南湾の景色やジャンク船など)が白地に青のタイルで描かれています。
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主教座聖堂から主教巷を下っていくと、細い路地に建つ ⑯盧家屋敷。1889年に建てられたマカオの著名な中国人貿易商、盧華紹(ロウ・カウ)の邸宅です。
灰色のレンガ造りの伝統的な中国様式の建築に、西洋風のステンドグラスや彫刻を融合させたスタイルが評価され世界遺産に登録されました。 -
伝統的な中国の木彫り細工、梁、格子窓などのなかに、西洋のステンドグラスやアーチ型の装飾が組み込まれています。
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2階建ての建物は、広東スタイルの三間三進(3つの中庭を持つ形式)の住宅で、細部に緻密な木彫りや漆喰細工が施されています。
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盧家屋敷のすぐ先が、市政署からドミニコ教会へ抜ける議事亭前地(セナド広場)です。ここはマカオ半島の中心地。ここから聖パウロ教会までが、もっとも観光客が集まる場所です。
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夜は光のアーケードに。
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溢れる光の下を歩きながら、日本もつい最近までクリスマスに丸の内の街の通りをライトアップするイベントがあったな、と思いつつ、彼我の立場の逆転を思い知りました。
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セナド広場を抜けた先に立つクリーム色の鮮やかな教会。
⑰聖ドミニコ教会です。 -
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美しいカーブを描く花が彫刻された柱が特徴的な聖堂。
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祭壇には聖母マリアが祀られています。
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聖母マリアは「ロザリオの聖母」と称されることが多く、ロザリオの語源がバラの冠であることから、この教会は「バラ教会」や「ロザリオ教会」とも呼ばれています。
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教会の奥には鐘楼を改築して作られた資料館があります。
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少人数のグループごとにまとまって入館します。
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教会の身廊の奥にある階段を上ると、まず金製品、祭具、彫像、聖書の装飾品、礼拝用の器、宗教画など、多岐にわたる宗教関連のコレクションを見ることができます。
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これは15世紀に南イタリアのソリアーノという土地のドミニコ会士が聖ドミニコの姿を知りたいと強く願ったときに聖母マリアが聖女たちを伴って出現し、ドミニコの姿を示した、という奇跡をモチーフにしたもの。(三重県立美術館研究論集第5号を参考にしました)
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ファティマの聖母像。
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アッシジの聖フランチェスコの像。
左手に持つ骸骨は「メメント・モリ(Memento Mori)=死を忘れるな」というキリスト教の伝統的な概念を象徴しています。 -
これらの品々は、17世紀から19世紀にかけてマカオ、アジア、インドなどから集められたもので、マカオのカトリック信仰の歴史を物語っています。
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「SVF」の文字は、ドミニコ会の聖人である聖ビセンテ・フェレール(São Vicente Ferrer)の頭文字と思われます。
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博物館では、ミサで使用された金、銀、銅製の祭具のほか、木製、石膏製、象牙製の聖人像などが多数展示されています。
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聖フランチェスコ・ザビエル像。
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古い木彫像の多くは、もともと「はめ込み式」で製作されています。
聖週間の儀式のために関節が動く木彫像が作られてきました。 聖金曜日にキリストの遺体を十字架から下ろす場面を再現するため、両腕を肩の関節から折りたたんだり、パーツを外したりできる構造になっています。
儀式以外の期間、これらの像は十字架から外され、腕を畳んだ状態や、場合によっては一部のパーツを分けて専用の箱(棺に見立てたものなど)に収めて保管されることがあります。 -
最上階には、かつて鐘楼だった名残として鐘が展示されています。これらの鐘は、マカオで最も古い鐘の一つとされています。
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部屋の中央にファティマの聖母像。
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Nossa Senhoraはポルトガル語で「私たちの貴婦人」や「聖母様」を意味します。
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聖ドミニコ教会の守護聖人である聖ドミニクスに関する象徴的な展示も見られます。聖ドミニクスはドミニコ会の創設者。この絵は彼の母親の見た夢に由来します。その夢には、口に燃える松明をくわえた犬が、世界に光をもたらすという内容が含まれていました。この夢は、聖ドミニクスが後に世界中に福音を広める宣教師となることを暗示していると解釈されています。
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かつてこの建物が鐘楼だった名残の鐘が2つ展示されています。
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鐘に刻まれている1807はおそらく鋳造された年でしょうから、19世紀初頭に作られたものと思われます。 Ndo Prezidente Pal Da Costa とは誰のことか、調べがつきませんでした。
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ドミニコ教会から聖ポール天主堂跡までは人、人、人の大混雑。
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⑱大三巴牌坊が見えてきました。
「三巴(サンバー)」はポルトガル語の「São Paulo(サンパウロ)」の広東語音訳で、「大(ダー)」はかつてアジア最大の教会だったことを示しています。 -
さすが、マカオ一の観光地。さしずめ正月の明治神宮参道並みの人出です。
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いつの間にか、手前のクリーム色の建物にUNIQLOが出店していました。
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大三巴牌坊(聖パウロ聖堂跡)です。
階段(68段)の脇にある植え込みは、単なる装飾ではなく、歴史的なデザインを維持・復元するために管理されている重要な景観の一部です。
マカオ政府(市政署 / IAM)は、この植え込みを「当初のデザイン(オリジナルパターン)」に沿って維持することを重視しています。2023年10月には、約20年が経過して老朽化した植物をすべて植え替え、景観を美化・復元する大規模な作業が行われました。 -
中国本土からの観光客が大半でした。
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マカオ市街を見下ろす小さな丘の上に天主堂は建っていました。
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夜景モードです。
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1602年から1640年にかけてイエズス会によって建設されました。当時は隣接する「聖パウロ学院」(アジア初の西洋式大学)とともに、キリスト教布教の拠点でした。
1835年の台風時に発生した火災により、建物の大部分が焼失。石造りのファサードと68段の石段だけが奇跡的に焼け残りました。 -
ライトアップされたファザード。
この時間が一番静かにファザードを見上げることができるかも。 -
大砲台公園から見た大三巴牌坊。
ホーンテッドマンションのよう。 -
大砲台から見たマカオ市街とその向こうに中国本土の珠海の高層ビル。
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⑲大砲台(正式には 「モンテの砦(Fortaleza do Monte)」)かつてマカオの軍事防衛の中心だった要塞です。1622年のオランダ軍によるマカオ侵攻の際、この砦から放たれた砲弾が敵を撃退し、マカオを救ったという歴史があります。
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標高約52メートルの丘の上にあり、屋上庭園からはマカオ半島を360度見渡せます。
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聖パウロ聖堂のファサード(正面壁)の裏側には、「天主教芸術博物館」と「地下納骨堂」という2つの施設があります。
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階段を降りてすぐの遺構に納骨堂があります。これはヴァリニャーノ神父のものとされる墓です。ヴァリニャーノ神父は天正遣欧使節帰国後、マカオを日本人司祭の養成地として位置づけて神学校を設け、伊東マンショや中浦ジュリアンといった十数人の日本人の若きキリスト教徒を送り込んだそうです。
さらに中国への布教活動を目指したヴァリニャーノ神父は1603年に日本を去ってマカオに移りますが、1606年にマカオで病死します。 -
マカオにはイエズス会だけでなく、アウグスチノ会(聖アウグスチヌス修道会)も進出しており、市内の主要な教会を拠点に活動していました。1835年の火災で聖ポール天主堂が崩壊した後、周辺の宗教施設に由来する美術品や遺構が集約・保護される過程で、この聖アウグスチヌスの像もこの博物館に収められることとなりました。
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フランシスコ・ザビエルを描いた絵画が4点飾られています。
キリスト教の宣教師たちとともにザビエルが鳥や動物たちに説教をしている様子を描いたもの。 -
この絵画は、1597年2月5日に長崎で処刑された「日本二十六聖人」の殉教の瞬間を描いたものです。
彼らは豊臣秀吉の命令により、長崎の西坂の丘で十字架にかけられました。
殉教者には、パウロ三木やフランシスコ会の宣教師など、日本人と外国人(主にスペイン人)が含まれていました。 -
この壁はかつて外敵や海賊の侵入から市街を守る防衛網の一部として建設が始まりました。1623年には大規模な拡張が行われ、マカオ半島の南部を囲む強固な軍事防衛システムを形成していました。現在残っている ⑳「旧城壁」は、聖パウロ天主堂跡のすぐ近く、ナーチャ廟の隣に位置する長さ18.5メートル、高さ5.6メートルの区間が世界遺産として登録されています。
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この小さな祠<#21>ナーチャ廟は1888年にこの地域で流行した疫病を鎮めるために建立されました。聖パウロ主教道のファザードの隣にあり、マカオが多文化的なアイデンティティと信教の自由を受け入れた最も良い例の一つとして、西洋と中華の思想交流の姿を表している、というのが世界遺産選定の理由だそうです。
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狭いスペースの部屋からなる小さな建物です。内部には祭壇があり、信仰の対象であるナーチャー像が祀られています。
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祀られているナーチャは、中国神話において最も人気のあるヒーローの一人で、少年神として信仰されています。 武勇に優れた子供の神様であり、邪気を払い、地域の安全を守る守護神として信仰されていす。
(現在時刻は13:45)
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